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山本周五郎 赤ひげ診療譚 徒労にかける
病人たちの不平は知っている。
二医で居所を歩きながらいた。
病室が板敷きで、御座の上にヤグを述べて寝ること、
色背が同じで帯を示す、付け紐を結ぶことなど、
これは病室だけではなく、医院の部屋も同じことだが、
病人たちは牢屋に入れられたようだと言っているそうだ。
病人ばかりではなく、医院の多くもそんな風に思っているらしいが、
安本はどうだ?お前どう思う?
別に何とも思いません。
そう言ってから、上るは急いで付け加えた。
かえって清潔でいいと思います。
追従を言うな。俺は追従は嫌いだ。
上るは黙った。我々の中で最も悪いのは畳だ。
昔はあんなものは使わなかった。
御徒の御津邦は生涯、その伝柱に畳を敷かせなかったという。
それは古節的な疾走と豪献を尊ぶためだと伝えられるが、そうではない。
事実はそういう気取りだったにしても、住居の仕方としては極めて理にかなっていた。
現に畳というものが一般に使われるようになった元六年代まで、
二千四年にわたって板敷きの生活が続いていたことでもわかることだ。
敷畳というものはあったのですね。
それは寄陣の調度であり、儀礼とか寝るときに使うだけで、
板敷きという基本に変わりはなかったのだ、と虚情は言った。
板敷きがもし合理的でなかったとしたら、既に敷畳があったのだから、
もっと早く畳というものが一般化されていたに、そういない。
道は坂にかかっていた。
七月中旬の午後三時。
暦の上では秋に入ったのだが、暑さは真夏よりも厳しかった。
その日は微風もなく、空は悪意を示すかのように晴れていて、
後ろから照りつける日光はまるで手に触れることのできる個体のように、
立体的な重さが感じられるようであった。