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  2. それっぽい問題の問題
2025-06-18 06:56

それっぽい問題の問題

生成AIは"それっぽい"答えを出す。それっぽいってダメなの?一度立ち止まって考えてみました。下記noteの記事をNotebookLM で音声化したものです。

 

note : https://note.com/daisaw33/n/n81347103ae9e

 

サマリー

このエピソードでは、「それっぽい」という言葉の深い意味を探求し、生成AIの影響を受ける現代におけるそれっぽさの価値について考えています。初期段階の学びや創造性を肯定的に捉え直し、模倣から本物へと進化するプロセスが重要であることを示唆しています。

それっぽさの探求
ノト丸
さて、今回はですね、事前に共有いただいた資料を、「それっぽい問題の真相」、これを手がかりに、「それっぽい」という言葉、これについてちょっと深く考えていきたいなと思います。
あのー、あー"それっぽいね"って結構耳にしませんか? しますね、日常的に。これってどうでしょう?褒め言葉なのか?それとも、なんかちょっと違うニュアンスも含まれてるのかな?
えー、含んでますよね。 特に最近、生成AIとかがグっと身近になってきて、なんかボタン一つでそれらしいものができちゃう時代じゃないですか。
そうですね。 だからこそ、この"それっぽい"っていう一言が持つ意味合いって結構大きいんじゃないかなって思うんです。
今日の探求のミッションとしてはですね、ネガティブに捉えられがちなこの"それっぽい"っていう状態、
これが実は学びとか、あるいは創造性のすごく大事な入り口ステップになってるんじゃないかと、そういう視点を探っていきたいなと。
ブク美
なるほど。確かにこの言葉ってしばしば本物のように見えるけど、まあ本物じゃないよねっていうちょっと微妙な評価を含みますよね。
資料にも例はありましたけど、プロっぽい構図の絵とか、インテリっぽい表現とか、あと意味ありげなキャッチコピーとか、一見形にはなってるんだけども、何かこう借り物感というか、魂入ってないよねみたいな、そういう時に使われやすい言葉かなと。
ノト丸
なるほど。じゃあその形にはなってるけど、何かが足りないと感じさせるそれっぽさ、その正体と、あとその価値についてもうちょっと掘り下げてみましょうか。
ええ、ぜひ。資料を読んでて、あ、これ面白いなと思った指摘があって、そのそれっぽい状態そのものが問題なんじゃなくて、まあそれっぽいだけだよねって言って、そこで考えるのをやめちゃう。
ああ。対話を打ち切っちゃうこと、それこそが問題なんだっていう指摘、これ結構ハッとしませんか。
ブク美
まさに。思考停止を招くそのラベル張りに警鐘を鳴らしてるわけですね。
ノト丸
ここからが非常に面白いポイントなんですけど、それっぽさっていうのは、そもそもあらゆる学びの初期段階における基本的なフォーム、型なんだと。
型ですか。
考えてみれば、スポーツだって楽器だって、まあプログラミングでもなんでも、最初は誰かの真似、見様見真似から入りますよね。
ブク美
確かに、まずそれっぽくやってみるってことですよね。
そうなんです。
最初から完全なオリジナルなんて無理な話で。
ノト丸
まずそれっぽく形をなぞってみて、試行錯誤して、その中でこういうことかって身体でわかる瞬間が来て、その繰り返しの中でだんだん自分なりの感覚とか感情が乗ってきて、単なる模倣から本物に近づいていくみたいな。
ブク美
その通りですね。だからそれっぽさっていうのは、まあ未熟ではあるんですけど、創造性への扉を開ける、その最初のステップだって言えるわけです。
なるほど。
ところがこの言葉がちょっと厄介なのは、資料にも指摘がありましたが、しばしば評価する側が、なんていうか、上から使うニュアンスを帯びやすい。
ノト丸
ああ、上から。
ブク美
ええ。例えば、経験豊富な先輩が新人の企画を見て、「ふーん、それっぽいね。」とか。
ノト丸
言いがちですね。
ブク美
あるいは、専門家がAIが生み出した文章とか映画に対して同じように言う場合。
ノト丸
ふーん。その言い方には、単なる評価だけじゃなくて、もしかしたら、自分の優位性とか専門性を守りたいみたいな、そういう心理も働いてるかもしれないと。
ブク美
そういう可能性も指摘されてますね。
何か新しいものとか、自分を脅かすかもしれないものに対して、「まあまだそれっぽいレベルだよね。」って位置付けることで、相対的に自分の価値を保とうとする、一種の防衛姿勢みたいなものじゃないかと。
ノト丸
なるほどね。
模倣から本物へ
ブク美
逆に作る側も、「いや、まだ全然それっぽいだけなんで。」みたいに過度に謙遜したり。
ノト丸
言っちゃいますね。
ブク美
批判を避けるために予防線を張っちゃう。これもまたそれっぽいことの本来の価値をちょっと見えにくくしてる側面があるかなと。
ノト丸
ああ、もったいないですよね。自信のなさの現れかもしれないけど、本当はそれっぽく形にできたっていう、それ自体がもう大きな進歩のはずなのに。
ブク美
まさに。で、生成AIの登場がこの状況をさらに加速させているわけです。
ノト丸
ああ。
ブク美
誰でも本当に驚くほど簡単にそれっぽいものを作り出せるようになった。だからこそ、これからはそのそれっぽさをあくまで出発点として。
ノト丸
出発点。
ブク美
そこからいかに時間をかけて試行錯誤を重ねて、自分ならではのもの、資料の言葉を使うなら自分っぽさへと昇華させていくか、そこが問われるんだと。
ノト丸
自分っぽさですか。それは単なるオリジナリティとはまたちょっと違う?
ブク美
そうですね。単に奇抜ってことじゃなくて、その人ならではのスタイルとか思考とか手触り感みたいなものが滲み出ている状態。
なるほど。
AIが生成したそれっぽいものをそのまま鵜呑みにするんじゃなくて、それを素材として自分なりの問いとか意味付けを加えていく、そのプロセス、そこがこれからの創造性の核心部分になるんじゃないかと。
ふーん。
だから重要なのはそれっぽいで終わらない、そこをゴールにしない粘り強さということですね。
ノト丸
ということは問題の本質はそれっぽいかどうかそのものじゃなくて、それを未熟だね、模倣だねって早々に見切っちゃう私たちの見方とか評価の仕方、あるいは自分自身の捉え方、そっちにあるってことになりそうですね。
ブク美
まさにそう言えると思います。
今回の資料全体を通して見えてくるのは、やはりそれっぽいという状態をネガティブに切り捨てるんじゃなくて、むしろ学びと創造の不可欠な初期段階として、もっと肯定的に捉え直しませんかということですよね。
それっぽいから始めればいいじゃないかと。
その認識の転換が個人にとっても社会にとってもすごく大きな可能性を開くんじゃないでしょうか。
ノト丸
なるほどな。
最後にですね、この探求を踏まえてリスナーの皆さんに一つ思考の種みたいなものを投げかけたいなと思います。
資料の締めくくりにもちょっと示唆されていましたけど、突き詰めて考えてみると、私たち人間が日々やっていること、生み出しているものって、もしかしたら全部壮大なそれということの積み重ねなのかもしれないなと。
誰もが最初はそれっぽく真似ることから始めて、いろんな経験とか内省を経て、少しずつ自分らしくなっていく。
だから、もし今あなたが何か新しいことに挑戦していて、いやまだ全然それっぽいだけだなって感じていたとしても、そのそれっぽさをどうか大事にしてほしいなと。
続けていればそれはきっと未来のあなた自身の本物につながっているはずですから。
それっぽい、むしろ推奨していきましょうということですね。
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