1. 『八女ラフラマナマナ』@FM八女
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#15_251210_『入院してた去年の年末』『久留米第九を歌う会のもとに毎年集まるオーケストラ』『第九のいろんな初演』『久留米や福岡は第九と縁が深い』『深夜3時まで盛り上がる熱海のヤンチャな介護勉強会』『全日空の機材トラブル』『歌声喫茶って福岡にないの?』『カラオケボックスになる前のカラオケ』『荒井注さんのカラオケ屋』

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コミュニティFM放送局、FM八女「きらきらミュージックBOX」でクラシック音楽を中心にお送りしている水曜日のコンビ、クラシックの解説をする担当「まつお」とそれを聞く担当「みとさん」でお送りする番組。フリートークがやりたくてラジオやりはじめたはずのまつおが、番組内容に余裕がなさすぎてフリーに話す時間がなくてやってるアフタートークを聴きやすく軽く編集したものです。

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「ラフラマナマナ」という言葉について

基本的には検索するための独自の言葉なだけなのだけど、『障碍・困ったこと』をあらわすサンスクリット語の『ラーフラ』という言葉と『神の力、パワー』を意味するハワイ語『マナマナ』をくっつけて、悪いことから良いことまでなんでも、っていう意味でつけた番組名です。

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まつお:松尾隆志:FM八女の市民パーソナリティでクラシック音楽の解説担当。番組「きらきらミュージックBOX」はすでに10年を超える長寿番組である。本職は写真屋さんで、写真を持っていないシニア層が多いのを心配していて、有償無償でそんなみなさんの撮影をやってる。ヴィオラを演奏し、単独での演奏、演奏付きの撮影会などを精力的に開催、2つのオーケストラに所属。

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みとさん:今村美都:FM八女スタッフでクラシックの番組ではまつおの解説を聞く役。がん患者・家族向けコミュニティサイト『ライフパレット』編集長を経て、2009年独立。がん・認知症・在宅・人生の最終章の医療などをメインテーマに医療福祉ライターとして活動。日本医学ジャーナリズム協会会員。『「不」自由でなにがわるい 障がいあってもみんなと同じ』を上梓。

https://www.shinnihon-net.co.jp/child/product/9784406068703-----

FM八女:福岡県八女市を放送エリアとするコミュニティFM放送局。自局放送は、午前の音楽番組『きらきらミュージックBOX』午後のワイド番組『がまだすワイド801』を中心として構成している。このPodcastは水曜日版の『きらきらミュージックBOX』のメンバーが出演しています。---

八女市について(福岡県で暮らす|福岡県プロフェッショナル人材センター https://www.projinzai-fukuoka.jp/flive/flive_yame.html サイトより)八女市は、平成18(2006)年10月1日に上陽町、同22(2010)年2月1日に黒木町、立花町、矢部村、星野村と合併し、 福岡県内で2番目の面積を有する広大な市となり、現在に至っています。福岡県の南部、福岡市から南へ約50kmに位置し、北は久留米市、広川町、 うきは市、西は筑後市、みやま市、南は熊本県、東は大分県に接しています。八女丘陵には岩戸山古墳をはじめ多くの古墳があり、 仏壇・提灯・手すき和紙などの伝統工芸品や、ブランドとして名高い八女茶・電照菊・イチゴなどの農産物が豊富です。

サマリー

このエピソードでは、久留米市の第九やその歴史的背景について話されています。また、入院を経て迎えた12月の焦りや練習の様子、久留米大工というコンサートの重要性についても詳しく紹介されています。久留米や福岡では、第九を歌う会が定番となり、多くの人々が楽しんでいます。熱海で行われた介護の研修会では深夜まで盛り上がり、全日空の機材トラブルも経験されました。カラオケボックスの歴史や歌声喫茶に関する話題も取り上げられています。

入院中の思い出
大変だ、練習行かなきゃっていう感じで練習に行ったら、周りの皆さんにめっちゃ惹かれるっていう。
そりゃそうですよね、そりゃそうですよね。
何着てるの?みたいな感じ。
で、なりますよね。
久留米、福岡っていう土地が、第九にものすごい縁がある土地だっていう話を、あまりご存じない方が多いと思うんです。
第九を日本人が初めて聞いたというタイミングだったんだそうです。
もうちょっとみんな取り合いのチケットになってもいいな。
あれいいですよね。
この辺にないかなって思って探すまでしました。
なんか福岡にも昔あったらしいんですけど。
ヤメラフラマナマナ始まってまいります。
この番組はFMヤメ、平日朝10時からの生放送、キラキラミュージックボックス、クラシック音楽の水曜日という番組がありまして、
その番組終わってからのアフタートークなので、番組の反省とか振り返りをしながら、
ヤメの話とかチクボの話とか身の回りの話とかを、私、パソナリティの松尾と相方の水戸さんがお届けするというコーナーでございまして、
ヤメ氏の方も近くの方、遠くの方、楽しんで帰っていただきたいと思っておりますが、
年末のバタバタの中でございますが、僕はこの時期をですね、
僕去年、病気してたのを言ったことあると思うんですけど、
11月の20日ぐらいから12月の20日ぐらいまでを病院のベッドの上で過ごしてたんですよ。
序盤線はもう管でグダグダにされてまして、寝返りも打てない状態で縛り付けられているようなのが10日ぐらいあったかな。
そこからは結構自由に過ごさせていただいてたんですけど、
で、そんな時期がざっと1ヶ月間あったものですから、
どうやって12月を過ごしていたのか思い出せないような感じがちょっとあって、
なんとなく去年の12月がなかったんですよね。
覚えているのは退院したのが12月の20日ぐらいだったんです。
久留米大工の重要性
12月19日かなんかだったかな。
20日に退院したけれども大工には出られたんですか。
出たんですよ。
ってことですよね。
そうなんです。確か翌日か翌々日ぐらいに練習があって、
僕も入院している時からずっと病院の人にも看護婦さんとかにも言ってたんですけど、
僕は退院して12月の28日本番なんですよっていう話をずっとしてて、
12月の初春ぐらいからもうすぐ退院できるだろうと思ってたんですよ。
全然退院していいよっていう話にならんで、
間に合うかな間に合うかなって思いながら、
けどなんか行かなきゃ行かなきゃっていう気持ちばっかりあって、
だから結構大変だ練習に行かなきゃっていう感じで練習に行ったら周りの皆さんにめっちゃ惹かれるっていう。
それはそうですよね。
何来てるのみたいな感じで惹かれるっていう。
それはそうですよね。
何来てるのみたいな感じで。
それはそうなりますよね。
みんなびっくりしてるみたいな感じでした。
まさか来るとは思わないですよね。
そんなそうだったみたいですね。
まさか来るとは思わなかったという人が、
だから本番の10日前に現れて、
10日前?わかんないけど、
ちょっとそのくらいに現れて、
本番もちゃんと弾かせていただけたんでよかったんですけどもね。
それから1年間無事に命も流れておりますんでそれはよかったんですが。
そんな感じです。
12月どうしてたっけって今年は思ってる感じなんですが。
そのクルメ大工っていう大工のコンサートに関しては、
例年ここまで3年間12月にコンサートが行われてて。
本編の中では言ったんですけども、
今年の聞きに来ていただくためのチケットは、
昨日の夜。
僕はあのチケットがどのくらい売れたかなっていうのをチェックするのが結構好きで。
昨日の夜残りの一石になったっていうところをチェックして、
あと1時間2時間経ってからチェックしたら、
全部売れてるっていうことになりましたので、
今はインターネットでは買えるチケットはなくなりました。
もしかするとどこか窓口とかに残ってたりするのかな、
それはわからないです。
それは調べてみてください。
一応インターネットでは完売という形になってますね。
これが3回目のクルメ大工。
僕はもう毎年、今のところ3年間続けて
ビオラというパートに載せていただいてるんですけども、
なるだけ長く続いてほしいなと思ってますし、
毎年大工が引けるっていうのは本当に豊かな話なんだと思ってるんですけど。
クルメ大工の話を今日はしようと思ってて、
クルメ大工、
もしかするとこのアフタートークとしてではなく、
ヤメラフラマナマナだけを聞いていただけている方もいらっしゃるかもしれないので、
一応説明すると、
クルメ大工っていうのはベートーベンの第9番公共曲、
歓喜の歌っていうのを毎年クルメ市で演奏するというコンサートなんです。
これが我々アマチュアオーケストラを編成する形になって、
今回が3回目、
歴史的背景と初演
今年2025年が3回目ということになってます。
この12月28日、
2025年12月28日に本番がやってくるんですけども、
アマチュアオーケストラを編成するという言い方をしたんですが、
これ、
アフタートークで喋ったかな、
これ企画オーケストラっていう形式なんですね。
よく企画オーケ企画オーケと言うんですが、
この曲を弾きたいからって言って、
クラシック業界、演奏業界ではやることがあるんです。
今度、例えば、
ブラームスの公共曲全曲演奏をやるオーケストラやりますって言って、
弾きたい人って言って、
はいはいって言って集まってくるっていうのが企画オーケです。
僕がいつも参加してるでっかいオーケストラと小さいオーケストラって言ってる、
アマチュアオーケストラっていうのは、
僕がいつも参加してるでっかいオーケストラと小さいオーケストラって言ってる、
ああいうのが常設オーケストラって言って、
だから一回例えば演奏会が終わったら、
じゃあ来年はこれでっていう計画がすでに立っていて、
その練習をし始める。
みんな辞める人とかもいるけども、
それはそれで基本的には全員同じオーケストラにずっと出ていくっていうのが常設オーケストラで、
その大工をやっているオーケストラっていうのが、
企画オーケストラで3年間やってるっていうのも結構すごいことなんですね。
その形式が身軽っていうところもあるかもしれませんし、
ある程度安定的に参加する人がいるっていう、
その形成が分かってるっていうところももちろんあるとは思うんですけど、
まず主体になってるのが歌う会の方たちなんですよ。
くるめ大工を歌う会の皆さんが、合唱の方の皆さんね。
そっちが主体というか、どっちが主体ってことなんですけど、
それで大工を歌う会の皆さんがコンサートをやりますよ、
コンサートをやりますよでオーケストラを集める、
いつも首謀者をなさっている皆さんがいらっしゃって、
その皆さんの大工弾きたい人っていう人差し指に、
いち早く毎年握りに行く僕みたいな人がいるっていうような感じですね。
僕はもう毎年絶対出たいと思ってますから。
そんな感じのくるめ大工というコンサートが、
今年も無事行われるという話ですね。
そもそもなんですけど、くるめ福岡っていう土地が、
大工にものすごい縁がある土地だっていう話を、
あまりご存じない方が多いと思うんです。
大工っていう音楽の一番初めで言うと、
ベートーベンが作って、硝煙する硝煙っていうのは、
初めて演奏されましたっていうのを硝煙って言うんですけど、
硝煙されたっていうのが、ベートーベンが生きてた1824年。
だから去年が、2024年だったから、
去年が大工の硝煙200年っていう記念の年だったんですね。
これウィーンで硝煙されました。
日本で初めて演奏されたのがいつかっていう話によくなるんです。
それで大工が日本で初めて演奏されたのは、
よく言われるのがドイツの、
あれは第一次世界大戦時です。
ドイツ不良って呼ばれる、今はもう不良って言わないですね。
捕虜って言いますね。
ドイツの戦争で日本に捕まっちゃった皆さん。
日本にというか、第一次世界大戦は、
日本は連合国軍になりますから、
連合国に参加していた日本に囚われていたドイツの皆さん。
という皆さんがいらっしゃって。
そういう方はドイツの不良って、
第二次世界大戦より前は不良って正式に呼んでいたそうなんですね。
日本に5000人近く収容されていた、
そういう人たちがいらっしゃったんだそうです。
いろんなところに収容所っていう場所があったんだそうで。
ドイツ人を5000人も集めていると、
学団ができるんだそうで。
なるほど。
だそうで。
分かんないけどね。
日本人5000人集めて学団できるのかな。
できるんですかね。
分かんないけどね。5000人もいれば。
5000人いたら。
もう一つの街みたいなもんですからね。
そうですね。そう考えたら。
まあまあ学団ぐらいできるかもしれないなとは思っちゃうじゃないですか。
日本で初めて大工を演奏した場所として、
徳島県の万能不良収容所っていうところで演奏されたっていうのが、
一般的な共通認識になってるらしいんです。
ただこの演奏は他の不良の皆さんに聞かせるために、
だからお楽しみ会みたいなところで聞かせるために演奏されたってされていて、
日本人はまだ聞いてないんですね。
なるほど。
そこに来て、その1年後2年後なんですが、
1年後かな、1919年、これちょっと調べてきましたが、
1919年の12月に、
久留米高等女学校、現在の明善高校に、
久留米不良収容所っていうところもあったそうで、
のドイツ兵たちと日本人というか、
高校の女学生さんたちですね。
だからドイツの兵隊さんたちが楽器を演奏するよって言って、
学校に行って女学生さんたちと楽しむ会みたいなのが開かれて、
女学生による薙刀の演舞みたいのが披露された後に、
収容所の楽団による米東弁の大工が演奏されたっていうのが、
大工を日本人が初めて聞いたというタイミングだったんだそうです。
へー。
要するに、その後ね、
日本人が初めて演奏したのもちょっと気になるじゃないですか。
日本人が初めて大工を演奏したのは、
その後の話なんですけど、これ僕の先輩たちなんです。
そうなんですか。
僕の大学の先輩たち。
九州大学のフィルハーモニーオーケストラっていうところが、
日本人として初めて大工を演奏した楽団として、
一応知られていることになっているそうです。
へー。
というわけで、福岡県、
久留米市は特に大工に縁がある場所で、
だからこそ、久留米大工っていうのが重要であるというか、
せっかくそういう大工の歴史がある土地なので、
毎年大工を聞きに来てくださいよっていうのが、
久留米大工の設立趣旨でもあるのかなと思いますね。
意外とドイツの不良の皆さんっていうのは、
結構自由な生活をされていたっぽい話を聞くんですよ。
へー。
なんかね、ハイキングに行ったとかさ。
あ、割と厚良なイメージ、不良、太っちゃい不良ですね。
のイメージとはちょっと違う感じですね。
そうそう、なんか折りに入れられて動けねえぜっていうイメージであるじゃないですか。
結構なんか、今日はちくご川沿いにハイキングに行きましたとかさ。
なんかね、あれがビール瓶とかめっちゃ出てくるらしいんですよ、
その跡地とかから。
だから、確か去年の久留米大工の前に、
そこら辺の歴史を調べてらっしゃる大学の先生とか出てこられて、
いろいろお話ししてもらったりした、そういうトークショーもあったりして、
いいですね。
そんな感じだったんだねって。
で、ビールも飲めたし、楽器も。
久留米と第九
楽器とかどうしたんでしょうね。
自分で作るちゅうは行かないでしょうからね。
持っていく。
そうですね。
持っていけたのかな、まあわかんないけどさ。
僕戦争に行けって言われて、自分の楽器持って行く邪魔になるだろうな。
わかんないけど。
けど不良収容所で捕まってる皆さんが楽団で演奏してたわけだから、
その楽器とかどうしたんだろうとは思いますよね。
そんな感じで。
そういうわけで、日本人が初めて、
ベートーベンの高級曲第9番を聴いた土地として、
久留米という土地で大工を皆さん毎年楽しんでいただくっていうのが、
これから定番になっていってほしいですし、
もうちょっとみんな取り合いのチケットになってもいいな。
僕はもう、何隻売れた、何隻売れたってずっと見てましたけど。
無事になりましたね。
熱海の介護研修会
三戸さん、先週は何にされてました?
先週は、
関東へ行かれてましたよね。
そうですそうです。関東へ行って、
住民票が山梨にあるので、
保険証を取りに行ってましたっていう。
保険証を取りに行くついでに、
熱海の方で認知症のケアの研修会みたいなものがあったので、
それに一泊二日で参加をし、
なかなかやんちゃな会でして、
ちゃんときちんと勉強するんですけど、
1日目は1時から5時半くらいまで、
きちっと先生方のいろんなお話を聞いて、
講師の方々のお話を聞いて、
その後にご飯を食べて、
ちょっとあたりに花火が上がるんですよね。
冬の花火が上がるので、花火を見て、
その後、9時くらいから本番戦が始まるという。
本番戦。
9時くらいから、最後の人たちは3時半くらいまで、
その介護について語り合ってるっていう。
私は1時半くらいで離脱しちゃいましたけど、
みたいなことをやりつつ。
その後に月曜日、日月とあって、
月曜日の夜の最終便で帰ってくることにしてたんです。
月曜日の夜の最終便。
火曜日のガマダスワイドには間に合うように。
そうですよね。
最終便に帰る予定がなんと、
普通に全日空だったんですけど、
機体が手配ができないので結構。
たまにありますね。
本当ですか?
機材が。
機材のトラブルですよね、きっとね。
なんとかって言いますよね。
初めて会って、天気とかの欠航ではなくて、
機材トラブル欠航みたいなのを、
国内の会社でっていうのが初めてだったので、
あるんだと思って。
カラオケの歴史
確かにですよね。
あんだけいっぱい飛行場に飛行機停まってるんで、
どれか使えばいいのにみたいな気持ちになりますよね、
そういう時ね。
本当に。
どれか貸してよっていう感じがします。
みんな予定があって停まってるんでしょうね。
わかんないけどね。
そうなんです。
急遽帰れないことになるということが起きて、
ちょっとびっくりしました。
なるほど、なるほど。
そういうことがありました。
歌声喫茶行ってましたよね。
行きました、行きました、行きました。
ブログで言いましたけど。
そうです、そうです、そうです。
あれはちょっと僕、あのブログ読んで、
あれいいですよね。
この辺にないかなって思って探すまでしました。
福岡にも昔あったらしいんですけど、
どうやら滑れてしまったようなんですが、
あんまりないのかな。
どうでもなんなのです。
中須の辺りとかに少しありそうな形跡は見えましたが。
本当ですか。
今後探してみようかなと思います。
でもすごく良かったですよ。
あと昔ね、
これ歌声喫茶っていうのとはまた雰囲気が違うんでしょうけど、
僕は水戸さんより多分一回りぐらい年が上なので、
水戸さんはもう分からない世代なのかもとは思うんですけど、
世の中にカラオケ屋さんっていうものが出来上がってきた時に、
まだね、今もそういうお店少しはあるかな。
今それこそなんか、
スナックとか行くと、
お客さんみんないるところで、
このお客さんが歌ってるっていうパターンになるじゃないですか。
それのもうちょっと大規模な雰囲気で、
どこかのいろんなグループが同じフロアにいっぱいいる中で、
もう本当に100人ぐらいいるような店で、
一人が代表してステージに行って歌うみたいな形のお店って結構あったんですよ。
へー。
と思うんですよ。
僕福岡は親福岡通りとかで、
そんなお店に僕何回か行ったことある気がします。
大学の頃とかですけどね。
あれから自分たちの家はだけでカラオケをやりたいっていう需要が高まっていって、
だから他の人がいるところじゃ恥ずかしいとかいうようなあれもあるかもしれないし。
けどその頃はまだ、
誰とか彼とかのなんとかっていう曲を入れた人みたいな感じで、
呼び出されて歌うみたいな感じの形式のでっかいカラオケの。
だから今みたいになんかほんの数人で一部屋使ってみたいな感じでは全然なかったような覚えがあるんだけど、
みんな覚えてないかな。覚えてないのかもね。
なんかそんなのが多分知らないでしょう。
そうですね。
そうですよね。そこからカラオケボックスっていう概念が生まれていって、
黒木町にもね、あれができたよ。
コンテナみたいのに、もうその辺の地べたにコンテナみたいのを固定して、
ドアつけて、エアコンとかあったかどうか覚えてないけど、
その野外にポコポコ部屋がある形にした、
なんか昔のカラオケボックスのスタイルってありましたよね。
ありましたありました。
あんなの黒木町にもできましたし、
何件かできてはなくなりってしたような覚えがありますね。
今はもう、今は作ろうと思う人もいないでしょうけども、人口も増えちゃったし。
けどあの頃盛り上がってたんでしょうね、多分ね。
そうですね。中高大学、高校大学、大学くらいの時ですかね、カラオケボックス。
行きがちなのが少なくともそうでしょうね。
まあそうですね。
今はね、結構ね、中学生、高校生とかも普通にカラオケボックスに行きますよね。
小学生とかでも、子供たちによっては。
誰か友達と遊びに行ってくれてね、何しに行くと、カラオケとか。
みたいですね。
なんかそんな雰囲気なんですねって思いましたね。
みたいですね。
僕らはもうカラオケと言ったらもうお酒を飲む場所にしかなかったので、
というかカラオケボックスでお酒を飲まずに歌うこともできたんでしょうけど、
けどお酒は飲めたもんだから、お酒を飲む時の付物だとばっかり思ってましたけど。
今普通になんか学生さんたちとかはね、健康的に歌を歌いに行かれる環境っていう感じですよね。
あの頃ですかね、新井中さんって、新井中さんって知ってます?
新井中さん。
新井中さんを知らないかもしれませんね。
名前の日。
ドリフターズで。
わかりました。
志村健さんの前にメンバーだった方で。
はい。
ドリフターズって元々バンドだったじゃないですか。
はい。
新井中さん何の楽器もできなかったらしいんですけど、
そうなんですね。
キーボードを弾いてるふりしてたっていう人です。
基本的にはコメディアンの方ですね。
あの方が、だから志村さんとメンバー交代して、
あとはお金ももちろんお持ちだったでしょうし、
悠々時的な中で建物を建ててカラオケボックス作ろうってなって、
で、カラオケボックス作って、よしじゃあ機械入れようって言って、
カラオケの機械屋さんに電話して機械持ってきてって言ったら、
入り口が狭くて入らなくて会議をできなかったっていうのがものすごい話題になりました。
すごく新井さん、新井中さんらしくて面白いっていう話にね。
あれはその後どうなったんでしょう。
ネタですかね。
いやまあどうでしょうね。ネタかもしれないですね。
というわけで、また来週あたりお会いしたいと思います。
来週はボレロとか聞いてみようかな。また楽しみにしておいてください。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
23:35

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