どうもこんにちは、やじまです。 こんにちは、ほそやまです。さあ本日も始まりました、やじま・ほそやまの桶屋ラジオ。
こちらの番組は、普段広報PRの仕事に従事するやじまとほそやまが、身の回りの日常のあれやこれやについて、広報PR視点も少し織り交ぜながら、
脱線もしつつ、雑談する番組です。 お願いします。 よろしくお願いします。
今回は、ちょっと前回ね、少しあの香港行きましたよっていう話をしたと思うんですけど、ちょっとそこをもう少しちゃんと話せという、ほそやまさんからの無言の圧を感じまして。
確かに無言で言ってました。 話をしたいなと。あれ、ほそやまさん行ったことあるんでしたっけ、香港。
香港はないです。そう、台湾しかないですね。
あ、そっかそっか、いいですね。
今回、そもそもなんで香港に行ったかっていうところからお話したいんですけど、一番のきっかけは、
友人から行かないかということで、お支えを受けたっていうのがきっかけではあるんですけど、
実は、僕、昔香港に行ったことがありまして、
どのくらい前ですか?
40年くらい前ですね。 えっ、ほんとですか?
で言うと、相当ジジイだなって、改めて思う。40年前って言って。
そうですか。 それこそ、小学生の時に、父親が家族旅行で行きまして、
当時、僕、ジャッキーチェーンがめちゃくちゃ好きで、ポリスストーリーとかの劇場で見て、
お、すごい。
すごい大興奮してたぐらいの、そういう漢風大好きな男の子だった。
ジャッキーチェーンといえば、香港なんですよね。
確かに。
で、家族旅行で行って、それこそ、ジャッキーチェーンのオフィシャルショップみたいなのがあって、
そこで、ブロマイドを買ったりとか、大興奮した思い出があって、
そこからずっと行けてなかったというのもあって、もう、親父は亡くなっちゃったんですけど、
ちょっとその時の思い出とか、行ってみたら、そこでまた記憶がよみがえるところとかね、
実体験できるところもなんかあるかな、みたいなのが一つありました。
あともう一つの理由としては、前回も少し話しましたけど、
10年ちょっとぐらい前に、反対性デモというか、雨傘運動みたいな、
そういう国民と政府というか、政治との衝突とか、デモみたいなのが、
まさにその香港のど真ん中で起こった現場っていうのを、
自分の目で見てみたいなと思って、まさにその、1997年に香港が中国に返還されて、
そこからその政治体制とか、結構やっぱり激変している。
まさに今現在進行形で変わっているなと、
それをちょっと自分の勉強も兼ねて、目で見たいなと思って行ったと。
おー現場に。
やっぱ自分の目で見ないと、っていうのもあるんで。
僕、ちょっかい香港に行ったことないんですよね。
そうなんです。
空論島と香港島って大きく分かれていて、
空論島。
空論城とかって、すごい要塞みたいなマンションとかって、昔、結構一時期よくテレビとか、
あとゲームのモチーフになったりとか。
そうなんですね。
マンションのがあるんですけど、
どっちかって言うと、文化とかの中心、経済とか文化、商業は空論島で、
香港はどっちかって言うと行政とか、
あと、丸の内とか銀座とか、霞ヶ関とか、
もうちょっとその高級なショッピング街とか、
あるいはそういう政治行政の立法府っていう国会議事堂みたいな、
そういう施設があったりとかっていう、結構分かれるんですけど、
僕が今回泊まったのは、香港島の金床っていう、金を鳴らすって、金へんの金床という、
英語で言うとadmiraltyっていうエリアなんですけど、
まさにそのデモが起こったのが、このエリアなんですね。
そうなんですね。
香港の政府庁舎とか立法会っていう国会議事堂みたいな、
まさにその舞台になった場所として、
なんでそういうことが起こったのかみたいなのをちょっとおさらいしつつ、
どんなことを感じたのかみたいなのを、少し話せればと思うんですけど、
そもそも香港って、なんでまずイギリスの植民地になったのかっていうのはご存知ですか?
なんでか、なんでか分からない。戦争なんだと思ってるんですけども。
そうですね。ただ第一次世界大戦とかよりもっと前の、
もっと前なんですね。
えー、そうなんだ。
要は中国、当時シンという国とイギリスが戦争、
アヘンとか貿易不均衡みたいな、ちょっと細かい話なので割愛しますけど、
戦争があって、それでシンが負けて、香港がイギリスに割譲されたと。
それが1840年とかぐらいで、そこからもうずっとイギリスの統治下にあったんですね。
あ、軟禁条約とかそんな時代ですか?
かな?
はい。
で、それが1840年ぐらいの頃に、香港がイギリスの統治下になって、
で、その後に1984年かな、中国とイギリスが返還合意をして、
で、その97年に中国に返還されたというのが経緯ですと。
なので今は中国の配下にありますと。
なんですけど、ちょっとここで問題なのが、やっぱり香港がイギリスの統治下になったのが1840年で、
そこから150年以上、もうイギリスの統治下だったんで、
イギリスは当然資本主義の経済で独自の法制度があって、
いわゆる中国の社会主義的な政治とか統治システムとは違うわけですよね。
なのでいきなりそれを、今までそういうふうにイギリス型でやってきたのを、
いきなりその中国型に変えちゃうと、混乱するよねということで、
前回も少し言いましたけど、一国二制度という、
国としては中国なんですけど、制度としては外交と国防は中国側になるけど、
香港はそれまでの資本主義制度とか生活様式っていうのは維持をしますよという合意があって、
それが1997年に返還されて、それを50年、2047年まで変えないですよという約束をしたんです。
2047年までって期限も決めたんですか?
移行期間として、やっぱり急に中国の全部システムに一斉に変えますと混乱するから、
50年あれば大丈夫でしょうっていうので、変えたわけですね。
ただやっぱり、そんなに綺麗にパキッと動かれるものでもなくて、
返還当初は、わりとそこは一応、中国側も香港側のやり方とかスタイルっていうのを尊重してやってたわけですけども、
徐々にやっぱりその中国にどうしつかというか、
やっぱり自分たちのコントロールしやすいように、徐々に変えていくという流れがありました。
雨傘運動が起こったのは2014年なんですけども、その前にもちょっと伏線みたいなのがあって、
例えばその2003年かな、ちょっと今メモを見ながら見てますけど、
国家安全保障に関する法整備をめぐって、大規模なデモが起きて、その時は法案が棚上げされたというのがあって、
要は市民が声を上げれば政治が動くんだと、
抵抗しますと政府側も助歩してくれるんだという成功体験があって、
その伏線があって、2014年の雨傘運動になっていったというので、
2014年の雨傘運動というのは、香港のトップの総理大臣みたいなポジション、行政長官というのが、
どう選ぶかっていう制度が、
中国側ではそれは、普通選挙で選ぶんじゃなくて、
候補者は事前に、その氏名委員会が選んだ人だけから選べますよっていう、
普通選挙は投票できるんだけど、要は中国側が認めた人からしか選べないですっていう、
それは本当の意味では民主的な選挙とは言えないですよね。
完全に最初からフィルターされている。
確かに確かに。中国側が統治したいんですもんね。
そうそうそう、コントロールしたい。
だから香港側よりな人はそもそも選ばれない。
そっか、候補に際ない。
そうそうそう。
民衆が、俺らこの候補を襲うとか、この人をリーダーに立てようと思っても、
いや、こいつら反体制的だろうって。
こいつらはそもそも候補者に入れないと、中国側になったらそれ選ばれない。
それはちょっとアンフェア。普通選挙の仕組みとはちょっと違うんじゃないかっていうので、
まあ抗議運動があって、これも前ちょっと言いましたけど、いわゆるその武力による抵抗じゃなくて、
その、いすわって、さっきのアドミラルティって、そういう霞が関みたいな場所に、
学生とかが中心にいすわったんですよ。テントとか建てて。
そこで無言の抵抗というか、抗議の姿勢を示す。
それに対して警察が打ち出すためにサイリガスとか使って威嚇した。それを傘で守った。雨傘運動。
傘で守ろうとしたんですか、これは。
そうなんです。別に攻撃しようとしたわけじゃなくて、防御するために傘で守ったというので、
僕が泊まったアドミラルティとか、空欧半島の方でも文庫区とか、ちょっと新宿みたいなエリアでも運動が起こって、
しかもそれが79日間かな、続いたと。
2ヶ月、3ヶ月。
そうですね。だから学生とかはテントでずっと野宿しながら、
学校とかあるときは多分外抜けたりとかするんでしょうけど。
すごいですね。
数日でもするとかっていうんじゃなくて、2ヶ月以上か。
結構我慢比べというか。
で、これもちょっと前回言いましたけど、これをムーブメントっていうのを突き動かしたのが若者たちだったというので、
シュー・テイさんってアグネス・チョウさんっていう日本でも知られている方とか、
ジョシュア・ウォーンっていう、当時15、6歳だったのかな。学生運動でも元々注目されてたリーダーというか。
要は、返還後に生まれているのかな、彼女たちは。
要は、返還はよく知らないんだけど、
自分たちがこの香港を守らなきゃ、みたいな危機感で立ち上がって、
若い子たちがそういう風に行動で抵抗しているのを見て、
上の年代の人たちが、若い子たちが頑張っているのに、俺らそういう生還しているの、ダサいな、みたいな。
俺らもそこに乗っかろうと思って、一気にどんどんムーブメントみたいなのが広まっていったというので、
そういうムーブメントが広がっていったと。
確かに。
どうぞどうぞ。
ジョシュアウォンさん、調べてみたら、2012年の時15歳なので、ちょうど1997年生まれとかですかね。
そうですね、まさに返還後の生まれた。
そうなんですね。
そうそうそう。
で、その後、アマガサウンドみたいなのがあって、そこから5年後に、また2019年に。
もうちょっと、2014年のアマガサウンドの時は、無言の抵抗という、武力は用いずに、街中を選挙、居座ることによって抵抗を示すっていうのがあったのが、
2019年から、今度またもうちょっと武力も伴う抵抗運動みたいな。
で、2019年に逃亡法条例というのが、改正案というのが法案で出されて、
香港から中国本土とかに犯罪者を引き渡せるようになっちゃう、一定の条件しますよっていう制度。
要は、今までの一国二制度という形で、中国の法制度とは、中国は香港は別ですよって言ってたのが、
中国本土の司法制度の影響が、香港に入ってくるんじゃないかっていう、より懸念が深刻化して、
その時は立法会とかも、強引に押し入って、子どもたち中心に選挙しちゃったりとか、武力による衝突みたいなのもあって、破壊行為みたいなのもあったり。
それが雨傘運動、これもまさにアドミラレティとか、その辺りのエリアで起こって、
そういう、ちっちゃい紛争状態みたいになっていた。
銃撃みたいなのも一番、銃を発砲するみたいな、警察側も。
そこまでやる必要があるのかみたいなので、
今までは若い子たちの動きに対して、賛同してた上の世代の人たちも、一部ちょっと引いちゃうみたいな。
国民もちょっと分断されてしまったみたいなところもあったと。
ちょっと話長くなってきちゃったんで、後半はちょっとはしょりますけど、
一番大きな転換というのが、民衆と政治側との駆け引きみたいなのが続いていく中で、
2020年に国安法、香港国家安全維持法というのが制定されて、
そういう治安維持のための強制的に取り締まれるみたいな、そういう制度みたいなものが成立してしまって、
結構それによって、雨傘運動のきっかけとしてムーブメントみたいなものも、
力によって結構抑えつけられちゃって、
今は沈静化というか、一時期の盛り上がりからはだいぶ静まってしまっていて、
それこそジョシュア・ウォーンさんとかも今、就管されてたりとか、
あとアグネス・チョーさんとかも今海外に渡っていて、
そうなんですね。
香港にいないんですけど、
香港にいると捕まっちゃう可能性が高いので。
そうなんですか。
ジョシュア・ウォーンさんが就管されてるっていうのが、
今までのこの背景聞いてると、
なんていうか、このままじゃいけないと思って起こした行動だけど、
でもやっぱりそういった武力みたいなところだから、
就管されちゃったってことなんですか。
そういう、彼自身が別に暴力を振るっているわけじゃないですか。
そういう、なんていうのかな。
主導したみたいな。
テロとかを煽ったとか。
そっかそっか、なるほど。
結局、ジョシュア・ウォーンさんとか、彼らの正義と香港というか、
中国側の、からすると、それは治安を乱すものですよね。
なるほどですね。
かつ、やっぱり習近平さんとか、中国も体制変わって、
よりやっぱり締め付けとか、中国にどうしつか、
みたいなのが、より締め付けが強化されている中で、
今までは割と恩恵に対話をしながら、
妥協点見出していこうよ、みたいな感じだったのが、
より中国側の締め付けも厳しくなってきたし、
民衆側の抵抗運動みたいなのも、
やっぱり無言の抵抗運動から、
もうちょっと武力も一部伴うような、
反対性の運動みたいに、
やっぱり賛同しかねる人たちも、国民の中でも出てきて、
やっぱりそこも一枚岩じゃなくなってきて、
そういう中で、
ちょっとそういう意味では、一時期の盛り上がり、
アラブの春みたいな、民衆からの体制変革みたいな、
勢いみたいなのが、ちょっと今は失われているという話ですね。
なるほど。