ふだん広報・PRの仕事に従事するやじまとほそやまが、日常のあれこれをPR視点も織り交ぜつつ雑談する番組です。
祝・放送50回&1周年!1年間の活動を振り返りつつ、今回は、ほそやまが今更ながら見て感銘を受けたアニメ『チ。―地球の運動について―』をピックアップ。真理を次の世代へ繋ごうとした人々の熱量や、知的好奇心の美しさについて語ります。
後半、やじまが最近訪れた香港の歴史や雨傘運動の経験談を引き合いに出し、何かが世の中に伝わり動いていく背景にある「危機感」や「大義名分」について話は広がりました。伝えたい熱意を持つ起業家へのリスペクトとPRの役割について、ぜひお聞きください。
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サマリー
50回・1周年を迎えた番組で、ほそやまがアニメ『チ。―地球の運動について―』を紹介する。天動説が主流で異端が迫害された時代に、命を懸けて真理を探究し、次世代へ地動説を引き継ごうとする人々の知的好奇心と生き様、作品の美しい映像や重い描写について語る。そこから、伝えたい人の思いを社会に届けるPRの役割として、語り口やタイミング、社会的な意義を工夫することの大切さを考える。後半は香港の返還後の状況と雨傘運動を取り上げ、若者たちが危機感や未来への使命感から行動し、支持を広げた経緯を振り返る。最後に、制度改正など世の中が変わる場面に立ち会った経験や、価値観が多様な時代に仲間を集めながら伝えていく姿勢を話す。
50回・1周年の振り返りと今回のテーマ
どうもこんにちは、やじまです。 こんにちは、ほそやまです。
さあ、本日も始まりました、やじま・ほそやまの桶屋ラジオ。
こちらの番組は、普段広報・PRの仕事に従事する、やじまとほそやまが、身の回りの日常のあれやこれやについて、
広報・PR視点も少し織り交ぜながら、脱線もしつつ、雑談する番組です。
はい、よろしくお願いいたします。 はい、よろしくお願いいたします。
ついに、50回に。 ついに。
おめでとうございます。 おめでとうございます。
すごい。 あっという間でした。
あっという間でしたね。50回、いつの間に。
すごいですね。 すごい。
続きましたね。
なんか、いつ1回目だったのかって、さかのぼってみたんですけど、
去年の10月の16日でした。
10月16日、ちょうど。
だから、今日、今、収録日が10月1日なので、ほぼ本当に1年。
1年ですね。もう1年ですか。
ほぼ毎週収録して。
そうですね。本当に。
よく続いたなっていう感じはしますけど。
ありがとうございます。こちらこそ。
なんか、ゆるっと2人で作戦会議を立てた、夏の日が懐かしいなと。
懐かしいですね。
そうですね。うれしい。
なんか、いろんなテーマでお話しましたね。
ネタ切れになるかなと思いきや、なんとか、かんとか続いたっていう感じです。
やっぱり矢島さんの得意なものと、私が興味持つものと、やっぱり違うなっていつも思って。
楽しいです、それが。
そこの視点の違いが面白いっていうかね。
ちょっと過去の振り返ってたときに、去年の11月頃に、インザメガチャーチの話、矢島さんされてて。
そうですね、たしかに。
今年、上半期のね、一番売れた本みたいな感じで紹介されてたから、
矢島さんさすがと思って、火星を読むと思って見てました。
たしかに。たまたまだと思いましたけど。
いやいや。
でもたしかに、わりと初期に読んでたかもしれないですね。
そうですね。そうですよね。
だから、何か予知をするポッドキャストになるかもしれませんからね。
予知を。たしかにね。そうなるといいですね。
なるといいです。
はい、じゃあまた引き続き。
はい、引き続きよろしくお願いします。
100回、200回と続くように、がんばっていければと思いますので。
がんばっていきたいと思います。
アニメ『チ。―地球の運動について―』の魅力
今回は何話しますか?
今回ですね、私が最近見たアニメの話になってしまうんですけれども、
ぜひぜひ。
ちょっとこれ、きっとご覧になった方、けっこういらっしゃると思うんですけど、
カタカナで、ち、まるって書いてある、自動説の、
ち、あれを今さらながら見まして、
今さらだけど話したいっていうので、
聞きたいです。むしろ僕も、アニメの1話目の途中で離脱してしまったので。
そこの離脱理由もちょっとね、気になるんですけど、何でやらされました?
いや、なんすかね、ここまで1話目でまだ引き込まれなかったという感じですかね。
たしかに、そうですよね。
逆に知りたいです。見どころを。
ありがとうございます。
私も一周して、最後やっぱりどんどん引き込まれていって、
そして行ったら、もう1回、1話目から見返したいって思う。
そんなに?
そうそう、そういうお話で、何かっていうと、
この自動説について、地球の運動についてってサブタイトルがついてるんですけれども、
これについて、まだ実証されてなかった時代に生きたヨーロッパの舞台に、
その自動説が唱えられる、証明されるまでの、たくさんの関わっている人物を描いた漫画になるんですけど、
時代が15世紀なので、1400年代の時代に生きた人たちで、
当時はまだ完全に天動説、そして圧倒的にキリスト教が強かった時代で、
それ以外のことを唱える人たちは、無断だっていうので、迫害されてた時代で、
それでもなお、自分たちの命をかけて、
今、目の前に見えてる美しい星空、夜空の、
でも、あの星の動きがどうも天動説では、理にかなってないと、矛盾が生じると、
これは別の説があるんじゃないかっていうのを書き留めて、
次の時代に引き継ぎ、引き継ぎってやってった人たちのフィクション作品なんですね。
それで、私がやっぱり感動したのはっていうのは、映像もすごくやっぱり美しいんですよね。
私はちょっと漫画見てないんですけど、
アニメの映像が美しくて、本当に星空を一緒にプラネタリウムで見てるような感じで、
うっとりする、けっこう暗いシーンも多いんですけれども、
その中で、確かにこれを見た当時の時代の人たちって、情報も本当に少ないわけなので、
今、目の前のこの星って何なのかって、興味持つのがすごいわかるっていうのと、
あと、何人か登場人物が出てきて、男性も女性も、それこそ男の子、女の子も出てくるんですけども、
その方々たちが、自分のその一生をかけて、このいわゆる地球の運動について、
証明したいと、真実を知りたいと。
それをしかも、堂々と学ぶわけにいかないので、
こそこそ毎日、夜、山に行って、地球というか、うちの動きを見て、
真理を次世代へ引き継ぐ人々
っていうのを書き留めて、やっていって、
それを、しかも自分の生きてる時代だけじゃなくて、
次の世代に残していこうっていう、そのなんか、原動力がすごいなと思って、
だから、すごくたくさんいろんな名言が出てくるんですけど、
なんでこの人たちは、こんなに命をかけて、研究をするんだろうっていうところに、だんだん引き込まれていって、
しかも、同じように、地動説を信じている人たちが、やっぱり集まってくる時があるんですけれども、
その集まってるからこそ、一気にそこに、あの人たちは異端の集団だって言って、
時々取り締まる人たちが、聞きつけて、やってきちゃうんですよ。
そうすると、その集団が全員死んでしまったら、これを引き継ぐ人が誰もいなくなるっていうので、
そこで作戦を考えたのは、この一人だけ逃がそうみたいな、
なんか将軍様を生かそうみたいなのに、ちょっと近いなと思っちゃったんですけど、
彼だけ生かしたら、僕たちは全員ここで死ぬけれども、それでもこの地動説の話は、いつか本になるかもしれないって言って、
それをみんな了承して、受け入れるわけですよ。で、あっという間に死んでいくわけなんですよ。
っていうのに、ちょっと私は衝撃を受けて、結構矢島さんが、一話の途中でやめたっておっしゃってたのって、
他にも私の知り合いもそういう方いたんですけど、やっぱり最初から、
そうなんだ。
そうそう、結構暗いシーンが多いんですよね。
そうなんです。今、拷問のシーンが結構最初から出てきていて、
しかも当時は結構古典的なものが多いから、なんか私もほんと見ていられないっていうシーンがたくさんあったんですけど、
だから、たぶんそういうお話かなって思っちゃう。
でも、それちょっとシリアスに仕上げて、だからこそ美しいっていう対比にしたのかなとも、ちょっと思ってるんですけど。
一旦ちょっとバーッと話したんですが、そんなお話です。
逆に見どころというか、こんだけすごい評価されてる。
そうですよね。
どこが一番受け入れられたというか。
そうですね。
どういうところなんですかね。面白みというか。
面白み。
当時は天童説が主流だったところに、地童説っていう、これを世に証明しようっていう意思というか思いを持って、
頑張った人たちの生き様みたいなのが面白いっていうことなんですかね。あんまりまだわかってないんですけど。
そうですね。
どういうことなんだ。
大きく主要人物とか、ストーリーが4つに分かれてたはずなんですよ。
で、その4つの中でそれぞれ主人公がいて、14歳の少年とか、街で出会った、全然役回りも違う2人とか、
あとは女性とか、引き継ぐ人たちがそれぞれいて、まさしくその生き様がやっぱり魅力的っていうのと、
なぜあなたはここまでして、この地球の運動について伝えたいと思うんですか?みたいな話を聞くシーンとかがそれぞれやっぱりあって、
そのときのセリフがやっぱり面白いっていうのは、ぜひ見てほしいんですけど、思いはそれぞれちょっとずつ違うかもしれないんですけど、
みんな言えるのは、やっぱりまず真理を知りたいってすごく言うんですよね。
真理を知りたいっていう、そういう今だと当たり前な欲求かもしれないですけど、
当時言葉にしづらかったものを、それでもこの欲求をおさえられないっていうので、その本能にしたがってっていうのが美しいっていうのと、
その自分が見つけた真理を次の人に渡したい、自分が提唱して目立ちたいんじゃなくて、
ただただその真実を次の人にバトン渡したいっていう、そこの思いを描いたのが美しいんですよね。
美しい。
美しいんです。
真理を発見してしまった。
そうなんですよ。
そうっていう知的好奇心をすごくね、見ていて、こちらにも伝わってくるのがいいですね。
ちょっと矢島さんにもなので聞いてみたいなって思ってるんですけど、
この描かれた人たちの時代では結局、地動説って実証されなかったんですよね。
最終的に歴史上にも出てくるコペルニクスですね。
学者のコペルニクスに、この地動説が伝わって、その人が本を出版したんですけど、
コペルニクスの時代でも、結局裁判にかけられて、認めてもらえなかったっていうのがあり、
最後、ガリレオのところまで行って、ようやく世の中に伝えることができたっていう。
その先もまだまだ長くて、最後、そこまでは描かれてないっていうところがまた実妙に。
むしろ出てこないな、ガリレオとか。
出てこないんですよ。
出てこないんです。
そうなんだ。てっきりガリレオが出てくる話か。
そうですよね。全然出てこなくて、コペルニクスも出てこなくて、
それまでのフィクションで、こういう人たちがいただろうっていうので出てくるだけなんですけど。
それは別に、史実に基づいているというか、実際そういう。
違うんです。ノンフィクションでもないんですって。
そうなんですか。
そうなんですよ。
想像で描かれてる。
想像。それもすごいですよね。
面白いですね。
そう。私、てっきりこういう人たちがいたんだなって、よく年初末残ってたなと思ってたら、そうでもないから。
そうなんです。ウォートさんすごいなと思って。
面白い。
そうなんです。
でも、その話を聞いて、もう1回見たくなってきました。
ぜひ、ちょっと見てほしいです。1回2倍速でも、いや、怒られますね。ちゃんと見てほしいです。
いやいや、全然。ちゃんと見ますよ。2倍速でないと。
そうですね。すぐ見てくれちゃう。
作品から考えるPRの伝え方
っていうお話で、だからこの矢島さんにお聞きしたかったのは、その地動説から天動説とか、あとその歴史上の中でも、この見解が大きく変わるみたいな、そのエポックメイキングみたいな話って、ちょこちょこあると思うんですけれども、
それって、これを信じて、そして時間をかけて、真実を伝えていったから、実現した話じゃないですか。
なんか、いわゆるPR活動だったりとかにも、ちょっと似てくる部分があるんじゃないかなというふうにも思っていて、
PR活動は、誰かがこの思いとか、技術とか、そういったものを伝えたいって思わなければ始まらないし、
それが確かなものであって、真実であって、優れたものじゃないとっていうのは、今の時代はあるかもしれないですけども、
ただ、それ一人じゃできないことだし、みんなの力を借りてというか、実証されていかないと、広まらないっていうのがあると思うんですけど、
矢島さん、今までのこの広報人生で、そういう現場に立ち会ったことたくさんあるんじゃないかなと思ってて、
感動したことというか、ご自身が、これは伝えなきゃならないとか、信じて一緒に伴奏したとか、何かありますかというのを聞いてみたかったんですけど。
なるほど。
山本さんにもぜひ、同じ質問を聞きたいですけど。
僕は、僕自身は何かこれを伝えねばっていうのは、良くも悪くもあんまりないというか、むしろ、さっきの地で描かれてたような、
これを伝えたいんだって思うような経営者とか企業家の人たちが、その考えを広める手助けをしたいっていうのもあるんですけど、
僕自身が別に何か強い主張を持ってるわけではないし、ある意味良くも悪くもフラットだと思うので、
ちょっと批判してみて、これはこういう伝え方をしたほうが、もっと伝わりやすいよねとか、
あるいは、僕は結構やっぱり、企業に対して、ナラティブみたいな、自分たちがやってることが、社会とか生活者にとってどういう意義価値があるのかっていう、
ちゃんと語り口を変えてあげないと、なかなか多くのステークホルダーというか、利害関係者に合意というか、共感って得られないんで、
やっぱ伝え方は工夫しようねとか、あるいは同じこと言うでも、やっぱりタイミングとかが、伝え方が合わないと、結局伝わるものがうまく伝わらないんで、
そこの伝え方とか、タイミングとか、そういうのを工夫しましょうねっていう、そういうスタンス、どっちかって言うとなんて言うんですかね、
そういう思いを持ってる人を、自分はあんまり強いパッションみたいなものはあるわけじゃないんで、逆にそういう思いを持ってる人に対してすごいリスペクトがあるんですよね。
世の中変えたいんだとか、これを広めたいんだみたいな、強い衝動みたいなのを持ってる人に対して、ノールックでリスペクトしますみたいな。
わかりますわかります、ノールックで。
なるほど。
僕自身はだから、別にそういう強い思いはない。
あと、何が真実かっていうのも、後から時間が経って証明されるみたいな、自動説の話みたいな。
あるいは、時代的にやっぱり天道説が主流だったのも、ちょっと宗教的な価値観と合わさって、自動説っていうのを唱えることは、すなわち神を否定するとか、わかんないですよ、僕全然この辺詳しくないんで。
あれですけど、単純に自動説が悪いっていうよりかは、当時の常識とか、宗教も含めて、アイデンティティを否定することになっちゃうから、国も危険視するというか、
いうことなのかなと思っていて。
香港の歴史と雨傘運動
ちょっとそれに近い話でいくと、ちょっとまた別の機会でどっかで話せたらと思うんですけど、僕ちょうど先週香港に旅行に行った気がして。
旅行、いいですね。
香港ってやっぱり、1997年に返還されて、今まではイギリスの投資家にあったのが、中国の参加に入って。
つい最近ですね、97年って。
そうですね。今までは民主的な国家だったのが、中国の入って、コミュニストというか、共産社会主義みたいなところに入っちゃって、やっぱり香港の地域の人たちも含めて、混乱が起こらないようにっていうので、
今、一国二制度って、一つの国の中に二つの制度があるっていう、段階的に中国に一体化していくための、暫定的な措置として、一国二制度っていう仕組みを作ったんですけど、
でも、建前としてはそうだけど、やっぱり選挙制度だったりとか、あるいは香港につかまった人が、中国で引き渡されちゃうみたいな、どんどん中国に一体化させようとする共産党というか、中国側の意図みたいなのがあって、そこに対して、若い子たちが反発のデモとかを。
よく一時期テレビに出てた、アグネス調査官、周庭さんっていう女性の方とか、そういう若い、それこそ10代、20代の子たちが、それに反発してデモみたいな、反抗議、抗議デモみたいなのをやって、それに対して、最初は若者だけがわちゃわちゃやってるよっていう感じだったんだけど、
でも、こんな若い子たちが頑張ってるんだったら、俺らもなんかそんなね、中国におもねってる場合じゃないよなっていうので、大人たちがそこに賛同するようになって、一大運動になったんですよね。
っていうので、それでも変わらなかった部分もあるけど、中国の教育を義務教育の過程に入れようみたいな議案があったのが、一旦それは差し止めというか、義務化じゃなくなったりとか、このデモによって変わったことが結構あって。
熱意を支える大義名分とPRの役割
で、何が言いたいかっていうと、若者たちの原動力っていうのは、やっぱり自分たちがここで動かないと、やっぱり次に続く世代の若者とか、未来をつくる若者、自分たちに含む若者たちにとって、よくない未来が待ってるんじゃないかっていう、自分たちが動かないと、よくない未来が変わっちゃうみたいな、すごい危機感みたいな。
みたいなので、動いたというか、そういう使命感というか、ここでそういうちゃんと真実というか、後世に伝えていくことが、世の中にとっていいことであるっていう、思いみたいなのがあったのかなとは思いました。
ちなみに、極論別に転動説だろうが、自動説だろうが、困らないじゃないですか、生活者からしては。
そう、確かに。
そうですね。
さっきの香港の話で言えば、ここでちゃんと中国に対して押し返さないと、どんどん生きづらくなっていく。
確かに。そうですよね。自分たちの生活が。
そういう自分たちの身に降りかかってくる危機があるっていうのは、一つ原動力だったと思うんですけど、なんていうのかな、別に地動説だろうが転動説だろうが、別に人は死にはしないし。
そうなんですよね。
むしろ、変に異論を唱えることで、身の危険が及ぶわけで、なんでそこまでこだわったというか。
そこが本当に面白いですよね。
そこが大義名分というか。
そう、まさしく本当に面白いところで、好奇心なんですよねって見解になるんですよ。
あと信念みたいな。
そうなんだ。
それを残したいっていう欲求とか、そこよりも今だったらね、自分の命が晒されるんだったら、しかも生活に何も困らないんだったら、このままでいいじゃないかって思っちゃうんですけど。
好奇心は全然個人の原動力としてはあると思うんですけど、そういう関係ない人も巻き込んでいこうとすると、自分はこれ興味ある、伝えたいって言っても、他人の人からすると知らんよっていう話じゃないですか。
そこには大義名分とか、ナラティブみたいなことってやっぱり必要で、それが何だったのかなっていうのが純粋に気になったというか。
私が今、それで一人思い出すのは、出てきた主要人物の一人で、決闘みたいなのをして、相手を殺人するみたいなのが仕事だったというか、ちょっと役職忘れちゃいましたけど。
その時に、いつも目の前の人たちが苦しそうに死んでいくと。それはしょうがないのかもしれないんですけど。
でも自分が見た中で、自分の研究だったりとか、好きなことに打ち込んで、でも意図せず殺されてしまったみたいな方々は、すごく幸せそうな顔をしていたっていう言い方をしていた人がいて、
なので、同じ人生を生きるんだったら、自分の信じたこととか、興味のあることとか、あと知りたいっていう欲求だったりとか、それに素直に生きてみたいっていう、その幸せそうになくなってった人たちを見て、僕もそういう生き方をしたいって言ってた人はいたんですけど、
なんか時代がちょっと違うのかもしれないなと思いながら見てましたけど、そういう理由になるんですよね。
ちょっと人生化はしてますけど、それこそ2012年とか14年とか、雨傘運動って、若い子たち中心に、町の中心部を選挙して、そこにテント張って座って、
武力による攻撃はしない、反対性みたいなことはしないんだけど、そこに座ることで抵抗の意を示す、ストライキというか、そういう抗議のデモですよね。
そこに賛同する人たちがもっとだんだん増えてきてみたいな、そういうのを、香港の警察とか政府というか側も、そこに対して武力で鎮圧しちゃうと、昔の天安門事件みたいに、またさらに民衆を敵に回すことになるんで、
そこの武力は使わないけど、歳類弾とか、みたいので、そういう蹴散らそうとするというか、それを防ぐために傘で防いだ、雨傘運動っていう名前なんですけど、
それこそ香港の中心部、セントラルとか、中心部があるんですけど、そのあたりがまさにデモの舞台になった場所で、全然昔に起こったことじゃないなって、実際行ってみても、現在進行形で、そういうのがあった場所なんだなって実感できたので、
それはめちゃくちゃよかった。
その話。
ちょっとコロナ禍とか挟んで、ちょっと一旦そのムーブメントとかを、ちょっと親切化しちゃったりとか、その時に、主導的にやってた人たちが、ちょっと逮捕されちゃったりとかっていう。
逮捕された方もいるんですね。
いますね。
とか、あるいは、より習近平さんになって、より締め付けが厳しくなったりとか、みたいなので、そういうのもあって、ちょっと今、運動としてはちょっと静かではあるんですけど、まだ完全に終わってるわけじゃないんで。
今、雨傘運動の写真を一枚見てましたけど、雨も降ってない、月がとってもきれいな夜に、雨傘でこの広場に集まってる絵がすごく象徴的ですね。
そうそう。でもまさに、なんか、雨傘運動って調べてると、そういう黄色い傘さしてね。
恥ずかしながら知りませんでした。
いやいや、台湾もそうだし、香港もそうだし、今見てる、自分たちが知ってる世界が、5年後、12年後には変わっちゃうかもしれない。
ほんとそうですよね。
完全に中国に同一化されてるかもしれないし。
確かに、中国はあり得ますね。
なるほど。
そうですね。こういうのを知るとね、より、世界で起きてることのニュースにもより関心が持てるようになると思う。
そうですね。
ありがとうございます。ちょっと、私も調べてみようと思います。
ちなみに、あれですよね。
ほずやまさんの、僕に対していただいた質問をそのままお返しすると、ほずやまさん的には、なんかあったんですか?
そういう、これは自分が何としても伝えねば、みたいな。
私、そうですよね。
私が提唱するっていうことでもちろんないですけども、同じように熱意を持って伝えようってしている人たちにすごくリスペクトを感じて、
じゃあそのお手伝いができないかというか、一緒にできないかって思って仕事することが多いですけど、
やっぱり、過去、事業会社で働いてた時とかは、特にその思いってすごく強くて、
まだ伝わってない情報というか、制度の引っかかりとかがあったりして、
これが解決すれば、もっとこの業界が良くなるとか、その中で働いてる人たちがすごく生きやすくなる。
そしてチャンスがもっと生まれる世の中になるみたいな、その世の中がちょっと良くなるっていうところが、
自分自身ですごく想像できたときに、初めて自分の言葉で伝えられる、やりますし、
社長の魂が少し乗っかってくる感じがするので、
実際に2,3年かけて、制度改正があるとか、歴史的に変わるタイミングって、突然起きてやってきたりするもので、
そこに立ち会えたとき、すごくやってて良かったなというか、そう信じてやってきて良かったなっていうのはありましたね。
たしかに。
地の時代のように、1400年、1500年の時代のように、これが真実である、これが虚偽であるみたいな、はっきりとした概念みたいなのもないじゃないですか。
いろんな多様性の時代で、ある意味、見解を変えたら全てが正しい、それを共存させようみたいなところだと思うので、
誰か白黒はっきりさせるとかじゃないところがまた、ミソだなと思っていますよね。
そっちの方が適応まずいいっていうのもあるかもしれないけれども、だからこそ伝わりづらいというか、
目の前の人の気持ちとかを変えるってすごく難しいから、
変に変えようとはせず、自分がいいと思ったものを、ただ伝え、仲間を集めていくっていうことになっていくなと思ってます。
ありがとうございます。
長々お話ししてしまいましたが、またこういった何かの作品の話とかから、ちょっと得られたものを共有したいと思います。
ありがとうございます。
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