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#024 新宿二丁目、ゴールデン街、歌舞伎町…新宿の「盛り場」の歴史を振り返る
2026-03-28 45:07

#024 新宿二丁目、ゴールデン街、歌舞伎町…新宿の「盛り場」の歴史を振り返る

ふだん広報・PRの仕事に従事するやじまとほそやまが、身の回りの日常のあれやこれやについて、広報PR視点も少し織り交ぜつつ、脱線しつつ雑談する番組です。

今回のテーマは、日本最大の繁華街「新宿」。「新宿」という名前の由来となった江戸時代の宿場町から、戦後の焼け野原に突如現れた「闇市」の熱狂。そして、地図上に引かれた「赤線・青線」という境界線が、なぜ現在の歌舞伎町、ゴールデン街、そして新宿2丁目が作られたのか?

新宿の「生きる力」と「混沌」の正体に迫ります。この放送を聴けば、次に新宿を歩く時、街の解像度が10倍変わるはず。


参考

新宿 「性なる街」の歴史地理 (朝日選書) ⁠ https://amzn.asia/d/07q3uuh5⁠

性欲の研究 東京のエロ地理編(平凡社)⁠https://amzn.asia/d/0dAtFTC0⁠

すごい! 新宿・歌舞伎町の歴史(PHP研究所)⁠https://amzn.asia/d/0euqO0sn⁠

ルポ歌舞伎町(彩図社)⁠https://amzn.asia/d/06kt3mbz

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00:00
どうもこんにちは、やじまです。 こんにちは、ほそやまです。
さあ、今日も始まりました、やじま・ほそやまの桶屋ラジオ。
こちらの番組は、普段広報PRの仕事に従事するやじまとほそやまが、
身の回りの日常のあれやこれやについて、広報PR指定も織り交ぜながら、
雑談する番組です。
はい。 お願いします。
お願いします。
なんか最近、ちょっと気になったニュースがあって、
渋谷の西武百貨店が、2020、今年の9月末に閉店するっていうニュース。
えっ、そうなんですか?
見ました。
見てないです。
そうなんですよ。
いや、ちょっと、結構いろんな方がコメント寄せてますけど、
なんか、渋谷の若者文化を牽引してきた、西武、セゾングループというか、
パルコ含めての、その象徴であった西武百貨店というのが、
閉店するっていうのは、結構エポックメイキングだなっていう。
とはいえ、僕もそんなに西武百貨店使ってたのかって言って、別に使ってないんですけど。
でもね、西武と言ったらっていうね、象徴的なとこですよね。
そうですね。
やっぱりなんか、僕、前にもね、古地図とか見るのが好きって話をしたと思うんですけど、
やっぱりなんか、街ってずっと同じじゃないんだよなっていうのを、
商業施設とか人の流れとか文化っていうのを、やっぱりその時代の流れとともに入れ替わっていくっていうのが、
改めてなんか、このニュースを見て思ったというか。
このニュースは渋谷でしたけど、
他の街っていうかね、結構新宿っていうのがまさにそういう、
移り変わりが激しい街の象徴かなと思って。
新宿ですね。
ちょっと今回は、新宿の盛り場、
歌舞伎町とか二丁目とかゴールデン街とか、僕がよく行くエリアのところの変遷というか成り立ちみたいなところについて、
ちょっとお話をしたいなというふうに思います。
今日は大都会の話ですね。
大都会、新宿って行ったりします?
新宿は、そうですね、前住んでいた場所は、池袋、新宿、渋谷で言うと、新宿が一番近かったので、
買い物しに行ったりとかしてましたし、大学も小田急沿いだったので、よく使ってましたね。
じゃあ結構なじみの街というか。
そうですね、長年そうかもしれないです。
新宿の成り立ちって、どこから来てるかってご存知ですか?
成り立ち、考えたことなかったです。
新しい宿?
03:00
新宿、宿、惜しいですね。新しい○○なんですけど、
宿場町ですね。
宿場町、はい。
新宿って江戸を起点にして、街道っていうのが、東海道、日光街道、応州街道、中専道、甲州街道みたいな、
立ち寄り所というか、ターミナルとして、新宿というのができたと。
なんで新宿って言うかっていうと、
もともと応州街道の、一番江戸から近い宿場町っていうのが、高井戸だったんですよね。
高井戸?そうなんですね。ちょっと距離あります?
そう、まさにおっしゃる通りで、他の宿場町っていうのは、品川とか千住とか板橋とか、
わりと江戸から、日本橋か、わりと近距離にあるところだったのに比べて、ちょっと高井戸が遠いというので、
ちょっとその手前に、宿場町を設けようっていうので、
当時、内藤家っていう、新宿の武家の、内藤家の中屋敷の一部を使って、新しい宿場町を作ろうというので、
新しい宿場町っていうことで、新宿っていう。
そうなんですね。そういう成り立ちなんですね。
そうなんです。で、新宿って、今は新宿の東口っていうかね、ターミナルのイメージが強いですけど、
どっちかっていうと、当時の新宿って伊勢丹とかがある、追い分けって呼ばれてたんですけど、新宿三丁目のあの交差点のあたり、
あの辺がターミナルっていうか中心。
そうなんですか。
あそこに宿場町ができてたと。
知らなかったです。
で、まああの、盛り場的な話でいくと、
その宿場町って人の往来がめちゃくちゃあるんで、
で、そこに、宿っていうかね、宿屋みたいな、宿泊所みたいなのがあって、お酒飲んだりとか食事するところがあって、
そうすると、ちょっと女性遊びもしたいよねっていうので、
当時、飯盛り女っていう。
飯盛り女。
宿場町の遊女。
まあ、非公式の、買収をする女性っていうのが、
そういう性的サービスをしてたと。
江戸時代に行くと、その交渉、そのオフィシャルな誘拐、買収していいよっていうのは、吉原が有名ですけど、
06:02
まあ、アンオフィシャルというか、黙認ですよね。
黙認してるけど、そういう性的サービスを提供するっていう、
飯盛り女っていうのが、宿泊施設のところに常駐していて、
非常に繁盛したよと。
そこから盛り場というかね、そういうところがスタートして、
人の往来が激しいところに、そういう性的なサービスを提供する飯盛り女っていうのがあって、
より町が賑わっていったと。
そうだったんだよね。
それが江戸時代の話ですね。
で、その後に明治になって、日本っていう国家として、前回もね戸籍の話とかで、
それまでは、その藩とか、その封建制度の下で、あんまりその日本人も、
日本って国っていう概念がなかったんだけど、国民国家を近代化していく過程の中で、
作っていかなきゃいけないよね、という流れの中で、
売春って言ったら人心売買みたいなもんなんで、
諸外国と比べると、世間体が良くないよね、というので、
明治に入って1872年かな、
芸章議会法令っていう、売春禁止の法律ができて。
そういう法律ができてたんですね。
で、元々はその吉原で交渉、オフィシャルな有格があって、
そういう飯盛りをなって、非公式だけど黙認みたいな、
そういう盛り場みたいなのがあったんだけど、
正式に法律として禁止ですよっていう法令ができたと。
じゃあなくなるのかと思いきや、ちょっとその抜け道的な形で、
貸し座敷制度っていう形で、
要はなんか、ちょんの間って言われてるみたいな、
飲食店の中に寝床みたいなのがあって、
お店の女中さんとお客さんが自由恋愛で、
そういう風になっちゃったんです、みたいな。
なんで貸し座敷って、あくまでも場を提供してるだけであって、
売春を売りにしてないんですっていう、
僕らやってませんよっていう、
公実みたいな。
公実みたいな。
というので、事実上、その交渉制度っていうんですけど、
っていうのは存続をしたと。
で、じゃあその、新宿においてその交渉制度のもとで、
09:00
そういう売春的な、性的サービスが行われてた場所って、
どこかっていうと、どの辺だと思います?
新宿のその辺りですよね。
あれですよね。それで東側が栄えてたってなると、
ゴールデン海とか、そっちの辺りですか?
ちょっと近いですけど、
厳密に、正しくは新宿御苑ですね。
御苑の周辺ですね。
御苑の周辺ですか?
新宿1丁目から2丁目の辺りですね。
そうなんですね。
あの辺に、新宿御苑の近くに結構ね、
ちょっとこじゃれた飲食店とか、結構あると思うんですけど、
あの辺、新宿御苑の景色が見れるテラスがある、
レストランとかあると思うんですけど、
あの辺一体がもう、そういうお茶屋さんとか、
蛍光の置屋さんとかが並んでるっていう状態だったと。
知らなかった。
で、その後大正時代に入って、
ちょっと都市整備をしなきゃいけないよねっていうので、
もともとその御苑の近くにあった、
遊郭のエリアっていうのを2丁目に移したんですね。
移したんですね。
はい。
で、2丁目っていうのが、もともとその、
そういう、売春地帯というか、歓楽街として発展していったと。
今だとね、新宿2丁目ってゲイワーのイメージが強いですけど、
もともとはその2丁目が、そういう遊女というか、
性的サービスを行う場所だったというのが、大正時代ぐらいまで。
あれ、ゴールデン街と2丁目ってすごく近い場所なんですよね。
ゴールデン街の建物は、
ほんと昔ながらのあの急な階段とかがそのまま残って、
狭い道というか、だと思うんですけど、
2丁目の建物ってどうなってましたっけ?
新しく変わってるんですったっけ、今。
変わって、ちょっとそれも後ほどお話しますけど、
大きくエポックメイキングの出来事だったのが、関東大震災と、
あと第二次大戦ですね。
またちょっと街並みが変わってくるんですけど、
まず最初の関東大震災っていうので、
もともと東京の中心って東京の東側、下町とかって言われているエリア。
もともと江戸って、東側が庁人地って、
庶民とか庶民が住んでて、西側に武家屋敷とかがあって、
あとお寺とかがあるっていう。
庶民の文化って割と東側が中心で、
吉原とか、あるいはさっきの酒居場っていうところで行くと、
12:02
亀井戸とか、あと須崎っていう江東区の木場のあたりですね。
あのあたりだったんですね。
須崎パラダイスっていう映画があるんですけど、
当時の有格の発展ぶりを描いた映画があったりするんですけど、
関東大震災で、東京の下町って木造のちっちゃい家がめちゃくちゃ多いじゃないですか。
関東大震災で、造いうちっちゃい家っていうのがのき並み壊滅、火事とかも起こって、
人の人口というか、東京の人の中心地っていうのも、
東側じゃなくて西側に移ってったんですよね。
そうなんですね。移動してったんですか。
そうですね。
鉄道の発展とリンクしてて、
ちょうど1915年に京王線が新宿にできたりとか、
あと小田急線が乗り入れたりとか、
東京の西側に広がった住宅街からの人が東京に入ってくるターミナルとして、
新宿っていうのが中心になっていったというので、
今まで東京の中心地の東側だったのが、徐々に西側にシフトしていたっていうのが、
大きな流れとしてありますと。
二丁目自体はさっき言った通り、誘客として繁盛していつつ、
あとは新宿という町自体も人の往来っていうのが盛んになっていったことで、
映画館とか劇場とか、
飲食店みたいなのが増えて、
武蔵野館とか、
あとムーランルージュっていう舞台だったりとか、
あとキノクニア書店とか三越とか伊勢丹とかですね、
あの辺が1930年代に続々と出てきて、
山手エリア、西側の最大の娯楽街っていう風になっていったというのが、
戦前の話ですね。
そうなんですね。戦前には、そういう娯楽街ができてたんですね。
そうですそうです。
ただ、さっきおっしゃってた、ゴールデン街とか歌舞伎町とかってまだ全然発展してなくて、
どっちかっていうと、
関西の住宅街だったんですね、あの辺って。
そうなんですか。今じゃちょっと想像できないですけど。
戦前は、新宿三丁目の大岩家とか、
あとは三越とか伊勢丹があるあの辺りとか、
あとは、遊郭って意味だと新宿二丁目みたいなところが中心地。
で、ゴールデン街とか歌舞伎町みたいなところまだ全然未開の地というか、
15:04
昔は牧場とかがあったりとか、
割と牧歌的なエリアだったと。
で、その後のもう一個のエポックメイキングの出来事として、
第二次大戦で、1945年に東京大空襲というのがあって、
で、もう新宿エリアも一帯も含めて、
もう全て消失しちゃったというので、
まあ、やけの腹になっちゃったわけですよね。
で、その後GHQが入ってきて、
で、さっきその明治期になって、
その交渉制度っていうそのオフィシャルの売春制度っていうのは、
もうダメですよっていう風になったんだけど、
まあ事実上、貸し座敷制度っていうので存続したって話をしてたんですけど、
その貸し座敷制度っていうのもオフィシャルに廃止になりました。
そうなんですね。
はい、なんですけど、やっぱりまたそこの抜け道みたいなのがあって、
抜け道がある。
法律的にはダメよって、
まあ改めてね、そういう貸し座敷っていうちょっと抜け道みたいなものも含めてダメだよっていう風になったんですけど、
実態としては、やっぱりそういうオフィシャルなそういう性的サービスを行う場所がないと、
やっぱり性犯罪とか増えたりするんで、
特殊飲食街っていう形で、
赤線とか青線って聞いたことありますか?
赤線、青線、わかんないです。何ですか?
まあ、いわゆる買収を目的とする特殊飲食店の集まっていた地域っていうのを赤い線で囲んでたんで、
そうなんですか?
それが転じて、赤線っていう呼び方になったと。
囲んでたのは地図上でってことですか?
そうです。地図上で警察が、この辺は買収エリアだよねっていう。
そうなんだ。
まあ、もう、だから警察もわかってるんだけど、
まあ、とはいえ、それをあんまり取り締まりしちゃうと、風紀がさらに乱れちゃうんで、
まあ、事実上黙認してたと。
あれ、すみません。青線は何でしたっけ?
青線は、さらに非公認の買収地域ですね。
非公認。赤線は公認?
まあ、事実上公認って感じです。
本当はダメなんだけど、まあ、仕方ないよねっていうので、
まあ、純公認みたいな感じですかね。
青線は?
青線っていうのが、もう完全に非公認。
へえ、そうなんですね。知らないな。
はい。
っていうので、新宿2丁目っていうのは、もともと赤線とか有格があったエリアで、
それがそのまま赤線地帯になった。
そうなんですね。
一旦、東京の大工種でやけの原になっちゃうんですけど、
またそこに有格っていうか、置屋さんとかができて、
で、またそういう、買収を行う飲食店っていうのが集まってたっていう形ですね。
18:13
今もありますよね。
今はもう完全にゲイバーというか、そっちが中心になってますけど、
当時はそういう、新宿2丁目っていうのは、そういうエリアだったと。
で、もう一個、またさらにエポックメイキングの出来事があるんですけど、
戦後、やけの原になって、新宿駅の周辺に闇市が、
闇市?
めちゃくちゃ出てきて、闇市。
闇市って聞いたことあります?
耳にしたことある気がしますけど、何売ってるかちょっとわかんないです。
もう何でも売ってる感じですね。お酒とか食料とかお薬とか、もう何でも売ってて。
要は戦前って、国家統制で、軍事物資を確保するために、
物資動員計画っていう形で、
基本的には、食料とか機械とか鉄鋼とか薬品とか、
あらゆるものを一旦軍事優先に配分すると。
で、余ったものを配給制っていう形で、一般の人たちに配給するっていう。
で、政府が許可したものじゃなくて、勝手に統制してないって、
街に流れちゃってるものを闇って言うんですよね。
そうなんですね。なるほど。
その闇が流通してるマーケットっての闇市っていう。
政府が許可してないもの。
戦前までは、政府とか軍とかが物の流通っていうのを統制してたんで、
闇の商品があんまり流れてくるっていうのはなかったんですけど、
第二次戦争が終わって、GHQが入ってきて、
警察とか軍の統制っていうのは効かなくなって、
で、闇市っていうのが一気に街に流れ出すようになって、
それを取り仕切ってたのが、敵屋さんっていう人たちです。
例えば、東口の新宿通り沿い、キノクニ屋とかあのあたりとかは、
関東大津組っていうのが、新宿マーケットっていうのを作ってたりとか、
あと、東口のルミネエストとか、
ザラが入ってる新宿武蔵野館って、もともと映画館だったりとか、
あの辺は和田組っていうのが仕切ってて、
で、西口は、今思い出横丁ってなってる場所があると思うんですけど、
あそこってすごい狭いエリアの中に、ちっちゃい飲食店が密集してるじゃないですか、
あれはもともと闇市だったんですよね。
21:02
安田組っていうのが、あのあたり一帯を取り仕切ってて、
それが今思い出横丁になってるんですけど、
そうなんですか。安田組も敵屋?
敵屋です。
そういう混乱の中で、そういう、個別に売買するんじゃなくて、
一箇所に集めて、食品とかお酒とか薬品とかを、何でも買えますよみたいな、
そういう飲みの市みたいな。
最初はもう本当に青空マーケットで、振り間みたいなもんですね。
露天市だったんですけど、次第にその土地の上に平屋の屋根を作って、
長屋みたいなのを作って、マーケットっていう形で、形成されていった。
そこに、ちょっと商売の市場が広がっていくわけなんですね。
はい。
っていうのが戦後、1945年からだいたい50年ぐらいにかけて、
新宿の駅の周辺っていうのは、闇市だらけになってたと。
これはもちろん新宿だけじゃなくて、池袋とか新橋とか、
そういうエリアも、軒並みも闇市って乱立してて、
ちょっとこれは別の話ですけど、新橋の駅前のビルとかって、
すごいビルの中にちっちゃい飲食店が密集してる、新橋のビルあるじゃないですか。
あれとかも、もともとは闇市が選挙してた場所で、
そこをリプレイスして、新しいビル立てて、当時そこで商売やってた人たちが入居してっていう。
そうなんですか。全然知らずに普通にご飯食べてましたね。
はい。
っていうのが、混乱期の中で、物資の物流というかね、
っていうのがうまく回らない中で、ある意味社会正義というか、
敵屋さんたちがそういうマーケットとか場を作って、
物の流通を滑らかにしていく、みたいなことをやってたと。
そうなんですか。今さっき1945年から50年くらいっておっしゃったじゃないですか。
つい最近までですよね。新宿駅周辺に。
そうですね。だからもうやけの腹になっちゃってて、
そういった中で、今までは軍とか政府から配給されてた物資も滞っちゃって、
あと戦争小児とかもいたりする中で、日々の食べ物に困る中で、
そういう敵屋さんがそういうマーケットを何でもいいし、みたいなのを作って、
オフィシャルなものではないけど、軍事物資の流れ、
24:03
軍物が流れてきた商品とかっていうのも含めて、
占領軍の物資とか、そういうものを横流しして、
あるいは地方の農家とか、漁師さんから直接取引した食料とかっていうのも、
市場を買いさずに直接この闇市で手に入れられるようにしたりとかっていう、
そういうマーケットを展開してたと。
そこはやっぱりアクセス的に新宿が起点にしやすかったからって、
立地的なところもあるわけないですか?
立地的なところも、基本的には新宿だけじゃなくて、新橋とか池袋とかも、
もう駅前周辺にやっぱり闇市って、人が往来するところでやっぱり商売って成り立つんで、
その辺一帯がもう、だって焼け野原で何もないところに、
いきなり青空市というか、ふりまみたいなのを開いて、
で、次第にそういう長屋みたいなのができて、バラックのマーケットみたいなのができて、
もう事実上、別に土地の権利とか持ってるわけじゃないんだけど、
もう事実上、選挙するみたいな、
そういう混乱期で、政府とか警察の機能も十分に機能してなかった中で、
必要枠というか、として成立してたと。
とはいえ、じゃあそういう状態が長く続くっていうのも、良くないよねということで、
1949年にGHQから露天性リレーっていうのができて、
えー、そうなんですね。
で、立ち向きなさいよというので、さっき言ったその和田組って、
敵屋の。
敵屋のその東口のルミネとか、ザラが入ってる武蔵野館とか、
あの辺りで一帯で闇市やってた人たちっていうのが、
花園神社の裏の横の三高町っていうエリアとか、
花園神社の裏の方に移動してたんですよね。
そうなんですね。
それが今で言うゴールデン街とか花園街っていう、
飲み屋街になるんですよね。
それがゴールデン街、なるほど。
そうです。だから元々駅前で闇市やってた人たちが立ち向きなさいよって言われて、
で、花園神社の裏の、今ゴールデン街とか花園街があるエリアに、
意識移って、
敵屋というよりかは、
いわゆる、さっきの青線地帯。
1階はバーとか飲み屋なんだけど、
2階で売春するっていう非合法で、
ていうので青線地帯になってたんです。
27:00
だから2階建てなんですか?
そうです。まさにそうです。
ひっそりしてますもんね。
そうです。1階でお酒飲んで、
で、女中さんとかと、
体としては自由恋愛で、
盛り上がったんで、2階でことに及びますっていう、
そういう作りになってるんですよね。
納得しました。
はい。ていうので、
闇市がいろんな場所に移転しなきゃいけないっていうので、
ゴールデン街とかは、そこが成り立ちっていう。
へー、そうなんですね。
それが今も残っているわけですもんね。
そうですね。
そうですね。
あとは、
ここから歌舞伎町が出てくるんですけど、
敗戦後のやけの原になっちゃったよね。
そこでさっき闇市が出てきて、
そういう物の流通みたいなのを必要枠として、
そこを手掛ける闇市みたいなのが出てきたっていう話をしたと思うんですけど、
一方で、
その敗戦後やけの原になっちゃった新宿を、
もう一回復興しようぜというので、
歌舞伎町のエリアを、
娯楽のエンターテイメントの中心地にしようっていうので、
当時の町内会の会長の鈴木さんっていう方が、
歌舞伎町っていうのを作ったんですね。
そうなんですね。
なんで歌舞伎町っていう名前かというと、
そのエリアに歌舞伎座を誘致しようっていう。
そうだったんですか。
なので、歌舞伎町っていう名前なんですけど、
ただ、結局当時って、
敗戦後で住宅建設なしとかで、資材が足りてないっていう中で、
劇場とか映画館とかそういうのって、
建設制限があったりとかっていうので、
結局、歌舞伎座を誘致するっていうのは、
とんざしちゃったんですけど、
ただ、映画館とか劇場みたいなものは、
結構できてきたんで、
QMAXとか、あと風鈴会館とかって今もありますけど、
ああいったようなものがたくさんできてきて、
娯楽街として発展していったと。
で、もともとはさっき言った通り、
もともと第二次大戦前までは静かな住宅街で、
歴代の総理大臣とかも住むような、
そういうエリアだったんですけど、
戦後一回やけの腹になって、
もう一回ゼロに戻って、
もう一回じゃあ、ゼロから新宿っていうのを建て直そうぜっていうので、
エンターテイメントの中心にしようというので、
歌舞伎町っていうのを作ったと。
なるほど。
だから花園神社はエンタメの神社なんですか?
花園神社は昔からありましたけど、
30:03
後付けかもしれないですね。
そうなんですね。
確かにエンタメの街だ。
ただまさか歌舞伎町を作った鈴木さんっていう方も、
そういうヤクザとか東横キッズみたいな、
そっちのエンタメに行くとはまさか思ってなかったと思うんですけど、
でもコマ劇とか東方の東横ビルみたいな映画館とか、
ああいうのは戦後、誘致をして一気に発展していったという歴史があると。
すごい、めちゃくちゃ見えてきました、今急に新宿が。
見えてきました。
あと、ただ、とはいえ、新宿の中心地っていうのは引き続き、
三越とか伊勢丹があるあたり、
あの辺がやっぱり中心地で、
まだ歌舞伎町とかゴールデン街とか羽野園街っていうのは、
ちょっとその場末というか、
新宿から行くのはちょっと遠いエリアだったんで、
そこまで盛り上がってなかったんですけど、
1949年に都電の路線変更っていうのがあって、
もともと新宿に乗り入れる都電で、
四ツ谷から新宿に乗り入れる路線っていうのが、
もともとは新宿通りをまっすぐ行って、
新宿駅東口まで行くっていう路線があったんですけど、
それが新宿2丁目の交差点で右折して、
靖国通りに入っていくっていうルートに変わって、
今までは新宿、京王線とか小田急は通ってるけど、
歌舞伎町とかゴールデン街に近くまで行く交通機関ってなかったんですよね。
っていうのが、路線バスの路線変更によって、
そっちに人が流れるようになって、
あと西部新宿駅っていうのも1952年にできて、
っていうので、さっき言ったとおり、
ゴールデン街とか花園街っていうのは、
闇市から人が流れてきて、青線街になって、
歌舞伎町は鈴木予兵さんっていう方が復興しようっていうのを、
劇場とか映画館とか作って、
そこに都電のバスも乗り入れるようになって、
より人の往来っていうのが増えてきたと。
歌舞伎町自体も発展していったんですけど、
33:05
ちょっと長くなってきたんで、そろそろ最後にしますけど、
1958年に売春防止法っていうのができまして、
昭和33年ですね。
ついに、準公認だった赤線とか、
あと非公認だった青線とかっていうのも廃止になっちゃったと。
もう完全に、警察としても黙認じゃなくてNGですっていう風になっちゃいましたよね。
で、二丁目にあった赤線の特殊飲食店とか、
ゴールデン街、花園街にあった青線の、
そういう売春地帯っていうのも、
のきなみ閉店を余儀なくされて、
バーとか飲み屋とかスナックに転業せざるを得なくなったと。
で、とはいえ、そこで働いてた商婦というか、
業者の方たちってどうするのっていう話で、
そういう人たちが歌舞伎町に流れ込んでったっていう。
そうなんですね。そこで流れ込んだんだ、歌舞伎町に。
で、花園街、ゴールデン街はもう飲み屋街として存続するし、
逆に新宿二丁目の方は、
それこそね、交通の便も悪いし、
中心地も新宿東口とか、歌舞伎町の方にシフトしている中で、
さびれちゃって、ちょっとバス絵みたいになっちゃったと。
そこで土地の値段も、もともと赤線地帯だったんで、
土地の値段も安いというので、そこで入ってきたのがゲイバーっていう。
なるほど。それが現在っていうことでいいんですか?
そうです。1958年に売信防止法が施行されて、
二丁目の赤線地帯っていうのは、
のきなみ閉店とか、廃業しなきゃいけなくなって、
そこに目をつけた、そういう同性愛のコミュニティみたいなものっていうのが、
二丁目にできて、70年代以降にゲイタウンになっていくっていう。
すごいんですけど矢島さん。
もうめちゃめちゃ想像しながら聞いてたら、
なんかすごい、そういうことかっていうのが、ガッテンガッテンって感じです。
なるほど。
いや、なんか一見複雑というかね。
なんでこんなぐちゃぐちゃしてるんだろう、新宿って思っててましたけど。
そういうことだったんだ。
そうなんですよね。いろんな入り組んだ歴史があって、
もともと宿場町として発展して、その中で飯盛りようになって、
そういう性的サービスを行う店があって、
それが明治に入って、交渉制度っていうのは、
36:07
名前は暗がりするけど、実質その売春制度自体は存続して、
漁園中心にあった遊郭みたいなところが存続して、
それが今度2丁目のほうに移転して、
さらに今度は第二次大戦で東京大空襲があって、
一旦やけの原になって、
2丁目にあった遊郭のエリアっていうのが赤線地帯という形で、
また継続をしつつ、
闇市?
闇市が戦後、バックをした闇市っていうのが、
今度は露天整理令っていうので、ゴールデン街とか花園街に流れてきて、
また青線地帯っていうのを形成して、
またさらに戦後のやけの原になった新宿を再興しようっていうので、
歌舞伎町っていうのができて、
その後に売春防止法っていうのが1958年にできて、
赤線地帯、青線地帯っていうのが消滅しちゃって、
青線地帯だった花園街、ゴールデン街は野宮街になるし、
赤線地帯だった新宿2丁目はゲイタウンになるし、
そこで働いてた女性たちっていうのは歌舞伎町に流れていったっていう、
そういう流れです。
すごいですね。
この数十分で何十年、何百年という歴史を振り返りました。
すごい、そうなんだ。
新宿って活気づいてるっていう言い方が正しいかわからないですけど、
やっぱりいろんな魂、息玉みたいなものが、
すごく感じる瞬間、ありません?スポットによって。
あります。
だけどそれが若者だったりとか、いろんな性別も関係ない方、
いろんな方いらっしゃって、
なんだろう、ここの熱気と言ったらいいのか、生きる時間と言ったらいいのか、
時々感じることもあって、町もいろいろ混沌としていてって思ってましたけど、
歴史聞くと、だからこうなったんだなって納得しますね。
最初、西武百貨店の閉鎖の話もあって、
結構町って変わりゆくものだよねっていうのは、もちろんそうではあるんですけど、
結構その、地続きでつながっている部分っていうかね、
ゴールデン街とかって、2階建ての建物が小さい、狭くて2階建ての建物が多いっていうのは、
もともとはそこは青線の町だったからだよねっていう話だし、
39:02
あとちょっと余談ですけど、
新宿2丁目が裕郭っていうかね、赤線地帯だったって言うんですけど、
厳密に言うと、今の新宿3丁目の一部のエリアまでが2丁目だったんですよね。
広いですね。
そうなんですね。
ちょっと広かったんですよ。
今、新宿3丁目と2丁目の間に大きな新宿御苑大通りっていうのが通ってるんですけど、
戦前ってそういうのはなかったんで、地続きで2丁目と3丁目がつながってて、
3丁目の一部の区画も入り込む形で、裕郭エリアっていうのがあって、
明確にそこは区切られてたんですけど、
その名残があるエリアっていうのが、実はあって、今も。
名残。
裕郭の置屋さんとかと、他のエリアを分ける追辞米というか、
みたいなのが、実は名残として、今も確認できる場所があって。
そうなんですね。
普通の人は気づかないんですけど。
どこだろう?
そういうのを見ると、戦前戦後のところから、
地続きで今もそれがつながってるんだなっていうのを感じて、
個人的にはちょっとテンション上がる。
確かに。すごい。
これは書籍とかも出てたりするんですか?
いくつかあるんですけど、後でポッドキャストの参考書籍でご紹介します。
なので、例えば、これも余談ですけど、思い出の抜け道っていう、
新宿区役所の脇に、ちょっとした抜け道っていうか、
歩道みたいなのが、街中を横切る歩道とかがあるんですけど、
それはもともと都電の道だったところを廃線になったんで、
遊歩道になってたりとか、
あとは、
ごめんなさい、それさっきは四季の道だ。さっき言ったのは。
四季の道。
四季の道っていうのが新宿区役所の脇の方にあって、
ゴールデン街の方に抜けていくルートに遊歩道があるんですけど、
それは四季の道っていうのが、もともと都電があった場所。
あと、もう一個思い出の抜け道っていうのが、また新宿区役所通り沿いにあって、
看板も出てるんですけど、
ちょっとすごい怪しいエリアで、
黄色い看板ですね。
そう、黄色い看板があって、
新宿センター街って書かれてるんですけど、その看板に。
ここは、もともと新宿センターって呼ばれてる、
42:02
その売春ビルがあったんですよね。
ビルがあったんですか?
ビル1棟、まるまるそういう場所。
で、これもさっきの和田組マーケットが移転した場所の一つなんですよ。
新宿センターってビル自体はないんですけど、
そのエリア自体が、ゴールデン街と同じで、
そういうちっちゃい飲食店とか、密集してるエリアで、
かつ、屋上に脱出路とかがあるんです。
店があるんですけど、実は今も。
え?脱出路?
はい、脱出路。
青線地帯って非合法の売春地帯なんで、
脱出できるように抜き道があるんですけど。
そうなんだ。
なんですけど、
そこが一時期、中国マフィアの活動拠点で、
もうアウトじゃないですか。
ヒットマンを中国からこっそり入国して、
で、潜伏してるエリアとして、一時期使われてたっていうので、
これルポ歌舞伎町って本に書かれてるんですけど、
あそこって、もともと闇市が駅から流れてきて、
で、占拠してたエリアなんで、
けっこう権利関係も入り組んでて、
いまだにあそこってごちゃごちゃしてて、
ビルとか入れ替わってないんですけど、
それも今見に行っても名残りというか、
っていうのが、ちょっと垣間見える場所って意味で面白いです。
すごい、急に最後怖くなってきましたけど、最後の話。
ごめんなさい。
全然。
そういう裏社会系の話とかもいっぱい新宿ってあるんで、
深いですね。
深いですね。
そうなんですよ。
これでもちゃんと話そうと思うと、もっと1時間とか普通に喋れちゃうんで、
今回は歌舞伎町と花園街、ゴールデン街と新宿2丁目っていうところに、
中核に据えながら、新宿という町がどう発展してきたのかっていう、
大まかな成り立ちの歴史みたいなところを、
少しご紹介させていただいたという形です。
次ちょっとゴールデン街行くとき、
そういうふうに周りキョロキョロしながら、行ってみようかなと思いました。
そういう町の歴史を知るとね、見え方が変わるというか。
そうですね。
楽しいですよね。
ちょっとまた本も教えてください。
はい、後で送ります。
45:07

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