努力の定義と自己評価
おかさん、ハイ、このチャンネルでは、宮古のほとり、滋賀県に住むあらかん、まもなく60歳、定年を迎えるはずだった会社を希望退職で辞めて、セカンドキャリーを歩き始めているおかさんが、仕事、生活、人生について、ゆるーくお話しします。
改めまして、みなさん、こんにちは、おかさんです。
今日、新しい本を読み始めました。
ちょっとその話をしたいと思います。
ボイシーという音声配信のサービス、ご存知ですかね。聞いておられる方もいるかもしれません。
ボイシー、私も毎朝散歩しながら聞いているんですけども、高橋新平さん、おもちゃクリエイター、
あらきひろゆきさん、ブックカフェという本を紹介されているの2人の配信をほぼ毎日聞いているんですけども、
ちょうど昨日かな、高橋新平さんの番組で、あらきさん、あらきマスターと対談をされていたんですね。
その対談が、あらきさんが5月に発売された新刊の努力の地図という本についての対談だったんですね。
私も本は買っていたんですけど、まだ積んどく状態だったんですけど、
昨日のボイシーのお二人の対談を聞いて、早速読み始めようと思って、
今日朝午前中マクドナルドまで散歩をして、そこで読み始めました。
これ努力についてのことが書かれているんですね。
努力が本当に報われるのかというもやもやに主婦が打てるかも、新しい目標や課題に直面した際にも役立つということですね。
努力について構造化して書かれている。
改めて思ったことが、私、お母さんは今まで努力をしてきたかということで、
努力してきましたかと問われると、どうなんだろうとちょっと思ったんですね。
この本にも書いてあるんですけども、
広辞苑によると、努力の定義というのは、目標実現のため心身を労して努めること、骨を折ること、目標実現のため骨を折る、これが努力だと言われるんですね。
目標とかを達成したいと思って勉強しようとか、何かしようなんていうことがあるんですけど、骨を折ると、心身を擦り減らしてまで何かをやったようなことがあるかと言われると、もしかしたらないなと。
つまり、私は努力をしてきたかと問われると、さしてやってきていないんじゃないかなというふうに思うわけですね。
目の前に現れたこと、いろいろ現れると、それに関心を持って何かやってみようと取り組んでみようというのがずっと子供のときから続いている、そして今があるという割と感じなんですね。
そしてこの本では努力神話という、努力を9種類あるというふうに整理されているんですね。
例えば、自動販売機型神話とか、階段型神話とかですね、農業型、ホッケスティック型などなどありまして、自分はこのうちの9つの努力神話のうちどれに当てはまるかなというふうにはちょっと考えてみたと。
空型の理解と自己認識
何かどれにも当てはまらないなと、つまり努力というのをしてきたという感覚があまりないかななんですよね。
でも、この定義を見ていて、自分は何型かと問われると、この定義によるとどうも空型と、空というのは空と書いてある、仏教の空、四季卒前空の空だと、これに近いのかなというふうに思いました。
何でかというと、この空型神話というところで、空型というのは努力も方針も固定的な形はないというようなものらしいんですけど、例え話が書いてあるんですよね。
空型神話はビジネス現場で生き延びられるかという例が書かれていて、例えば売上目標達成に向けて努力をしている組織があるとすると、その中のメンバーに空型神話の信仰者がいるとしたらどうなるだろうか。
その人は売上に無関心に振る舞うわけではない。売上向上に向けて努力するはずだと。しかし、売上に絶対的な価値があると思っていなくて、売上にも価値があるが、他の可能性もあると思っていると。
なので、その組織が売上に絶対的な価値を置いているとは理解しつつ、自分はそこを絶対視しないと。常に相対的だと。だから、もしも売上が全く上がらなくてみんなが絶望していたとしても、一人、動揺もなく、淡々と売上向上に向けてやるべきことに集中することができると。
この例が書いてあって、まさに私、前職プロダクトマネージャーをやっているときはこんな感じだったなと思ったわけです。
プロダクトマネージャーは担当商品と担当事業領域で売上責任を持つから、それに向けてやっているわけなんですけれども、売上というのは絶対と思っていない。
ながらやっていましたという感じですね。
なので、この例は本当に私にぴったりで、だったら私って空型という努力の神話型なのかなというふうに思ったわけです。
こういう型というのは結果や報酬といった概念自体が存在しない。
何か結果を求めて努力をするんだみたいなことから距離を置いているというか、あまり興味がないということなんですよね。
そうかもしれないなと。
一方で、この努力神話の中で職人型神話というのも書かれていまして、
職人型神話というのは、外の世界に振り回されず報酬は自分で決める。
自分が納得できるかどうかで努力を決めるという哲学的な姿勢である。
書かれて、職人型の努力に憧れ続けている空型のおじさんだということなのかもしれないなというふうに、
荒木博之さんの新刊の努力の地図を読んでいて、そう思いました。
まだ少ししか読んでいないので、引き続き読み続けてみようかなと思います。
努力の地図、荒木博之さん。
クロスメディア・パブリッシングから出版されています。
ぜひ興味を持たれた方は目を通していただければいいかなと思います。
今日は努力の地図という本を読み始めましたと。
自分はこの9つの努力神話が出てされているうちのどれに当たるかなというふうに考えてみましたという話をしてみました。
いかがでしたでしょうか。
今日も最後まで聞いていただいて本当にありがとうございました。
それではまた次回の岡山肺でお会いしましょう。
さようなら。