ものづくりの始まり
おかさん、ハイ。このチャンネルでは、琵琶湖のほとり、滋賀県に住むあらかん、まもなく60歳、定年を迎える会社員だったけど、希望退職で会社を辞めて、セカンドキャリアを歩き始めたおかさんが、仕事、生活、人生についてゆるーくお話しします。
あらためまして、みなさん。こんにちは、おかさんです。今日は、企画のご挨拶をいただいて、その話をしたいと思います。
ものづくり系ポッドキャストの日。ものづくり系ポッドキャストの日というものづくり系のポッドキャストの人たちの企画、ハッシュタグ企画、支部長さんという方にお誘いいただきました。
知っている方も結構多いんじゃないかと思うんですけど、ものづくり界隈でのインフルエンサーですよね、事実上の。支部長技術研究所というのを企画されていて、ものづくりとラジオというポッドキャストをされたり、
あとは、近日初めての定欠設計という書籍まで出版されると。大活躍の方、支部長さんが企画されて、それにお誘いいただきました。本当にありがとうございます。
私は今、ものづくり界隈から離れてしまったので、お誘いいただいてよかったのかなと思うんですけど、ちょっとものづくり系ポッドキャストの日についてお話したいと思います。支部長さんからいただいたテーマは扉。扉を開ける、扉を閉めるのは扉ですよね。
皆さん、ものづくりに関わっている方々、結構おられると思うんですけども、皆さん、ものづくりの扉をくぐった、開けたのがいつだったかって覚えておられますでしょうかね、いかがですかね。
私がものづくりの扉をくぐったと言えるのは、小学校3年ですかね、9歳の時です。でもよく覚えています。9歳の時にものづくりの最初の扉をくぐった。鮮明に覚えているんですね。
自分自身が開けたわけじゃなくて、ある方が開けた扉を私はくぐったんですけども、ある方というのは小学校の先生、寺田先生という担任の先生だったんですけど、その方が科学部、科学クラブで何をしようかというときにラジオを作る。
ゲルマニウムラジオという電池を使わなくてもラジオが聞けるという、そんなのを簡単に作ってみようという、簡単なキットを用意してくれて、それでゲルマニウムラジオを作ったんですよね。
それで実際にNHKラジオが聞けてすごい感動したのを覚えています。それでめちゃめちゃ電子ラジオとか電子工作とかに興味を持って、その後すぐに自分でも作ってみたいなと思って、
友達と一緒に近くの電気屋さんに行ってハンダゴテを買ったり、ハンダを買ったり、あとは電子部品を買って初めての電子工作をしました。
電子工作への情熱
初めてを作った電子工作は断線検知ブザーというんですよね。線が切れたらブーってブザーが鳴ると。それだけなんですけど、割り口クリップを2つくっつけてそれをピッと離すとビジュアルとなると。
トランジスターを1つ使って、2SC372という当時非常にポピュラーな、どこでも売っていて多くの電子工作で使われていたトランジスターを1つ使って断線検知ブザーを作ったのを覚えています。
そしてその後、やっぱり楽しいからトランジスターラジオを作ったり、その後、次の天気が通信ネットワークとかコミュニケーションとか通信にハマったんですよね。
きっかけは電子工作でワイヤレスマイクを作って、それで実際に自分でしゃべったら、FMラジオから自分の声が聞こえると。これはすごいな。
電子工作を続けながら通信コミュニケーションにも興味を持って、CB無線をトランジスター小学校5年の時から買ってもらって無線通信を始めて、
そして高校に入った時にアマチュア無線部に誘われてアマチュア無線の免許を取って、そういった無線や電子工作を続けながら自分で電子回路を設計して、
何で動いているかという動作原理も理解をしたいなということで、大学は電子工学科に進学したと。
大学に6年間行ったんですけども、そこでよりアマチュア無線にハマったり、あとは研究室で実際にマイクロフォンを使って、当時はマイクロマウスというかコンピューターで制御するロボットみたいなやつを作って実際に動かしたりとか、
またちょうどTCPIPという、今でいうインターネットですよね。TCPIPをアマチュア無線の電波を使って実際にデータ通信をする、パケット通信というのが流行り始めた頃で、それでパケット通信というアマチュア無線の無用の電波の上でTCPIPを動かして、
実際に日本中の人たちと電子メールを交換したり、BBSというんですかね、フリーソフトとか画像とかをシェアするみたいな活動をしたり、めちゃめちゃそっちにハマったんですね。
通信ネットワークの仕事とか電子回路の仕事をしたいなと思って、フォムロンという会社を希望しました。
配足のときにFA、ファクトリーオートメーションの事業部を希望して、そして通信ネットワークをやりたいと。
希望したところ、FAのコントローラ研究所、通信技術開発グループという、FAのネットワークを技術開発、研究開発をするところに配足をされて、そこから仕事としてものづくりに関わりになったと。
FAで使える無線を開発したりとか、あとは一番開発のときに大きく関わったのが、イーサネットIP、聞かれたことがある人多いと思うんですけど、今FAの通信、最もメジャーな通信の一つになっております。
イーサネットIP、2000年の11月、イーサネットIPという考え方がアメリカで発表されてすぐに、実際にプロタイプを作ってみようと開発をしたのを覚えています。
仕様書もない中で、いろいろと自分たちが想像する部分とか、仕様を決めたりして実際にイーサネットIPを動かしたりしていました。
どんどんどんどん自分のものづくりにハマって、ますますハマっていって、停止回路を作って、通信のプロトコルも考えて、実際にプロタイプを作ると。
それをお客さんに今度は持っていくという活動が始まったんですよね。
セカンドキャリアとコンサルティング
ここからだんだん実際に自分でものづくりをするというところから離れていくことになりました。
お客さんにイーサネットIPのプロタイプを見せると、あるお客さんがこれでいいな、試してみたい、商品にしないのか、みたいになって、実際にそれを商品にするというような動きになって、
私はお客さんとのやり取り、お客さんとのやり取りをして、細かい仕様を決めていくという企画的なとか影響的な役割を担うようになって、結局そのお客さんの採用は決まって工場に導入されて、それをずっと面倒を見るというのもあって、影響部門に移動になって。
その後、商品企画、PLCを商品企画するという仕事に移動になって、自分でものづくりをするということから離れて、ものづくりをする人たちにものづくりをしてもらう。
開発の人とかね。そして、PLCとかFAネットワークの貴重品を作って、それをお客さんに採用してものづくりをしてもらう。
ものづくりをしている人たちを支えるみたいな仕事をやりました。
結局、34年間。あとは最初にものづくりの扉をくぐったのは9歳なので、そこから数えると何年ですか。50年。半世紀。電子回路、通信ネットワークというものづくりに関わってきましたということです。
くぐるときは自分でものづくりの扉を叩かずに、開いたものづくりの扉をくぐっただけだったんですけれども、59歳になって、会社を定年の1年前に退社をしました。
そのときは非常に悩んだんですけど、自分でものづくりの出口の扉を開いて、そこから出ていったということです。
扉をくぐるときには自分でものづくりの扉を開けて出ていったということになるわけですね。
今は、ものづくり製造業の人たちが作るシステムとか機械とかFA機器のセキュリティを高めるようなコンサルティングをやっている。
コンサルティングという仕事は、ものづくり業界、製造業ではないものづくりから離れたんですけど、ものづくりを支える仕事というのを今でも続けています。
それが私のセカンドキャリアになりましたということです。
私のものづくりについてのお話をしてきてしまったんですけど、皆さん自身がものづくりの扉を開けた方もおられるでしょうし、
私のように誰かが開けてくれた扉をくぐったという方もおられるんじゃないかなと思います。
皆さん、ものづくりの扉をくぐったのはいつだったのかなと。
くぐったり、開けたりしたときの気持ちを改めて思い出して、あ、くぐってよかったなというように今でも思っていただいておられるといいなというふうに私は思います。
今日は支部長さんが企画して誘ってくれたものづくりの日のポッドキャスト、企画扉というテーマでお話をしてみました。
いかがでしたでしょうか。
今日も最後まで聞いていただき本当にありがとうございました。
それではまた次回のおかさん配でお会いしましょう。
さようなら、さようなら、支部長さんどうもありがとう、さようなら。