「まなざし」という言葉との出会いと子育てでの難しさ
おいのっこりーのスキマ時間、冒険ラジオ。
今日はですね、まなざしのコスパというタイトルで喋ってみたいと思います。
子育てしてると特に、まなざしっていうこの4文字に結構巡り合いませんか。
本とか、子育ての本とかによく使われてたりとか、私は子供関係の仕事をしてるんですけど、職場でもね、まなざしってよく聞くんですよ。
で、まなざしってなんとなく子供にとっていいものなんだろうなーって思いつつも、なかなかまなざし、日常でね、まなざせるかって子供に、まなざせる?って思いながら子育てしてまして。
例えば、よく子供、うちの娘もそうなんですけど、「ママ、見て見て見て見て!」って言うじゃないですか、めっちゃ。
見て、見て、つって呼ばれて。見てんのに、ママ見てないとか、ママ今見てなかったとか、めっちゃ言ってくるじゃないですか。
その見て見ての見てを最初から最後まで見ることが一つまなざしなのかなって思うけど、なかなかそのまなざし、最初から最後まで見るって難しいなって思いながら子育てしてまして。
ママ見てって言われるから、いかにね、見てる振り?見てないんだけど見てる風に、見てるよっていうまなざしチックなことがね、娘たちにできるかどうかみたいな感じで私は子育てしてます。
例えば、ママ見ててって言われたら、OK、見てるよって言って、その間見てるよから始まり、よしママ見てるなって子供はね、確認してそこから何かこうやり始めるじゃないですか。
で、終わりました。ことが終わりました。はいママ見てるかなってそのはいママ見てるかなのチェックの時までに、私もその間見てなかったりあっち見たりこっち見たりスマホ見たり、別のとこ見たりとかしてるんですけど、
ママ見てるかなの時に見てるよの目がちゃんと戻ってくるように、いかにバレないかみたいなそういうゲームをね、してるぐらいのなかなか最初から最後までまなざしをね、子供に向けるって難しいなって思いながらやってます。
剣玉練習に見る「まなざし」のコスパの良さ
で、でも最近ね、このまなざしの効果、コスパ、もしかしたらその一時をずっと見るってなかなかできないよって思ってたんだけど、でもその一時を一回じっくり見ることが、
後々のその子供の気持ちというか子供自身の安心感というか子供が私大丈夫かもみたいなそんな気持ちの土台にね、もしかしたらつながるのかもって思ったんですね。
そう、なんかきっかけとしてはうち今その長女が小学校行って学童行ってめちゃめちゃ剣玉が流行っているらしくて、もうお友達も剣玉めっちゃうまい子いっぱいいるらしいんですね。
で、その剣玉をうちでも家でAmazonで買いまして、毎日のように剣玉の練習をしてるんですよ。
で、その練習の時にママ見ててって始まるんですけど、見ててって言われて見ててもうなんか全然それうまくなるんですかぐらいのレベルから始まってたんで、なかなか見る側も集中して見れない感じだったんですけど、
一旦ここでちょっとマジで集中して見てみようと思って、その娘にじゃあ今日はさ何回やるとか言って、
今日100回やるって言って、じゃあ100回やって、100回のうち何回成功するかママ記録するわっつって。
で、iPhoneのメモ機能にね、はい1回目、はい失敗、2回目失敗、3回目失敗、5回目、5回目成功!みたいな感じで成功した回数を、
成功した回数目?何?5回目に成功したら5って記録してくるんですね。
そんな感じで記録してったんですよ。
そしたらこっちも楽しくなってきて。
で、だんだん娘の成功率が上がってくっていうのが数値でわかってきて、すごいと思って。
で、だんだんそのフォームも整ってきて。
そう、で私はほんと剣玉何もできないんで、
もっとここがこうとか、この手がこうとか、玉の位置に向かってさらおうとかね、全然なんかそういうアドバイス全然できないんで、
ただ見て、ただ成功した回数を記録する、それだけのことしかしてないんですけど、
それだけでね、めっちゃ上達して、今1発目がさらに乗って、2発目のあの、なんかもう1個はさらるじゃないですか。
あの、剣玉の2つのとこと、下のとこと、説明できないんですけど、もしもし亀代の1、2の2個目のさらにも乗るようになって、
3回目でまたそこに戻ってくるところまでね、できるようになったんですよ。
だからこれはほんとに、なんか全然何にもしてないんですけど、ただ見てる。
それだけで娘が、なんかどんどんどんどん、何、上手くなっていくんですよ。
これすごいですよね。
「まなざし」がもたらす安心感と自己肯定感の土台
で、なんかもう姉妹には勝手に練習してるっていう感じなんです。
ママ見ててっていうことも、なんかだんだん減ってきて。
できた時に、ママ見てて、みたいな感じで言ってくる、完全に変わってって。
なんか最初の眼差しだけ、最初の眼差しさえ集中して、親が集中して眼差しビームを与えていれば、
なんか子供はもともと本来持ってる力を発揮できるのかもって思ったんですよね。
そう、これは面白いって思ったのと、
あと私自身もね、なんか自分の子供自体を思い出した時に、
なんか結構親に、見ててって言って、見ててくれたりとか、
え、なんかこれどうしたらいいの?みたいな時に、なんか一緒に考えてくれたりとかね。
なんかこう、うちの両親は、ああしろこうしろとか、それ違う、あれ違うとか、
なんかそういう口出しはあんまりなかったんですけど、
とにかくなんかこう、見ててって言った時に見ててくれてた、みたいなところが、
なんか思い出した時にあるなあと思って。
そう、なんか私、人生生きてて、なんかどうにかなるだろうって、
なんか死ななければ別にどうにでもなる、みたいな、そんな気持ちなんですね。
なんかそういう、なんかどうにかなるだろう精神って、
なんかその両親がこう、まなざしをね、与えてくれてた、
そういうベースが今を作っているのかなあ、みたいな。
なんかどうにかなるかも、みたいな。
なんかそういう、なんかどうにか大変な時になっても、なんとかなる。
なんとか、誰かどうにかなんとかなる、っていう。
多分どうにかしてくれてたんだと思うんですよ。
両親はじめ、周りの人たちがいろいろ助けてくれてたので。
だからそういう、なんかこう、一つ、何かするってわけじゃないんだけど、
ただあなた見てるよっていう、そのまなざし、その視線が、
なんかその見ててほしい相手をすごく安心させるんだなあっていうのを感じました。
し、なんか大人になった私たちでも、見ててもらえるってすごく自信になる。
すごく安心につながる。
大丈夫かもって思う、そういう、なんだろうな、土台になるじゃないですか。
だから子どもも大人も、やっぱり誰かに見ててもらうっていう、
なんかそれは年齢を超えてもね、なんかすごく大事なことなんだなって思うと、
やっぱり周りの人、子どもですね、まあ夫に対してもだけど、
自分にとって大切な人に対しては、なんか大事な、まなざしってものをね、
一つ大切なものとして大事に、なかなかしょっちゅうはできないけど、
全然できないけど、なんか今できそうっていう時にはね、
しっかりまなざし、見る、見てる、見てるだけでいいなら、
なかなかコスパいいんじゃねっていう風に思ったという配信でした。
まとめ
最後まで聞いてくださりありがとうございました。