1. Off Topic // オフトピック
  2. #243 「管理者(マネージャー..
2024-11-21 1:19:11

#243 「管理者(マネージャー)社会」の台頭と創業者モード

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<目次>
() 前回のおさらい
() The Managerial Revolution by ジェームズ・バーナム
() 同じ属性になりがちな経営者
() 例外なCEOはどう生まれる?
() Google+リリースにザッカーバーグが下した判断
() 管理者という仕事
() ニーチェの君主道徳ー奴隷道徳

<参照リンク>
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サマリー

今回のエピソードでは、ニーチェの「道徳の系譜」とジェームズ・バーナムの「マネージャー革命」を通じて、管理者社会の台頭とその影響について議論されています。特に、ブルジョージとプロレタリアートの間に位置する管理者の役割や、それが企業と社会に与える影響が深掘りされています。管理者社会の台頭を背景に、VCや企業の運営におけるアライメント問題が浮き彫りとなり、短期的利益を優先する管理者と創業者の役割の違いが議論されるとともに、マネージャー層の増加が企業内の社内政治や同質化を引き起こし、イノベーションに対する障害となる可能性についても考察されています。 また、「管理者社会」と「創業者モード」の対比を通じて、イーロン・マスクやマーク・ザッカーバーグなどの創業者が持つ特有のリーダーシップスタイルについても触れられています。現在のビッグテック企業における管理者の役割や、それに伴う社会的な変化についても論じられています。ニーチェの哲学を基に、キリスト教とペイガニズムの道徳観の違いや、社会構造への影響についても考察されています。最後に、ニーチェの思想に基づき、管理者社会の台頭とその影響が探求され、特にエゴを抑える勤欲主義がどのように社会に浸透し、管理者の権力を強めるかが焦点となっています。

ニーチェと管理者社会
宮武 徹郎
みなさん、こんにちは。草野美樹です。 宮武哲郎です。
草野 みき
Off Topicは、アメリカを中心に最新テックニュースやスタートアップ、ビジネス情報を緩く深掘りしながらご紹介する番組です。
今回のトピックは、管理者社会に対抗するためのファウンダーモードについて話していきたいと思います。
宮武 徹郎
前回に引き続きの、ニーチェの本の「道徳の系譜」という本について話したいと思うんですけど、
前回も少し本のサマリーを出したと思うんですけど、個人的にはこの本には大きく2つ語ろうとしているポイントがあるのかなというふうに思ってまして、
まずは偉大なる人の生産が必要という話と、それに対してそれがいろいろ制限されています。
制限されている理由としては、道徳があったりとかして、
特にキリスト教的な道徳によって、いろいろ偉大なる人の生産が止まっていて、
それによって社会がどんどん進まなくなるみたいなことを、今回ニーチェがこの本で言ってるのかなというふうに個人的に思ってるんですけど、
前回はもうちょっと偉大なる人を作るためには道徳を捨てなければいけないのかみたいな話をしていて、
今回はもうちょっと道徳について話していきたいというところなんですけど、
ニーチェがこの本で語る奴隷道徳と君主道徳みたいな話をするんですけど、
ジェームズ・バーナムの見解
宮武 徹郎
先週と同じようにニーチェの話をタダタダしても結構難しい話で終わっちゃう気がするので、
もうちょっとわかりやすく説明するっていうか、楽しく議論ができるような感じでスタートアップの事例とかそういうのを入れていきたいなと思うんですけど、
まず別の本からのニーチェを紹介するために別の本を紹介しないといけないのかなと思って、
その本があるアメリカの哲学者と政治理論について語る方、
ジェームズバーナムさんという方が書いた本なんですけど、
彼は過去2022年ですかね、1回だけメンションしたことがあると思うんですけど、
システムレネッサンスっていう年末テーマの回で彼が書いた本、マキアベリアンズっていう本を少しリファレンスしたことがあるんですけど、
彼がもう一冊すごいめちゃくちゃいい本を書いていて、それが今回紹介したい、英語で言うとThe Managerial Revolutionっていう本で、
日本語のタイトルない気がするんですけど、
草野 みき
どういうきっかけでその本を知ったんですか?もともと読んでたんですか?
宮武 徹郎
この本は何回か複数のVCがレコメンドしていて、
草野 みき
何かのメディアとかで?
宮武 徹郎
ポッドキャストとかで、それこそアンドリューシェン・ホロウィッツのマーク・アンドリューシェンさんが何回もこの本についてレコメンドしているので、
なんで1回読んでみようって思って、それで読んだっていうところですね。
草野 みき
面白そう。
宮武 徹郎
でも、これ1940年ぐらいに書かれた本だったはずなんですけど、
彼の著者のバックグラウンドってすごい面白くて、
もともとプリンソン大学とオクスフォード大学に行って、
その後にニューヨーク大学で哲学を教えてた教授なんですけど、
1934年あたりか40年ぐらいまで、
彼はすごい共産主義者を賛同してた人なんですよ。
アメリカの政治で言うとすごい左寄り、過激派の左寄り。
彼はその中でもムーブメントの中で動いてた人だったので、
レフ・トロツキさんとも仲良くなるぐらい、
友達になるぐらい、彼はすごい共産主義の中でリーダー的な存在だったんですけど、
1939年あたりからちょっと考えが変わり始めて、
レフ・トロツキとも喧嘩別れをして、
政治的な考えも逆側に行き始めた。
より右側に、より保守的になったんですけど、
ちょうどそのあたりのタイミングで書いた本なんですよ。
一応、カール・マークスとかの考えとかを結構理解しながら、
それを若干拒絶するようなタイミングでこの本を書いたので、
管理者の影響と問題点
宮武 徹郎
若干カール・マークスに対する指摘でもあり、
マルクス主義の指摘でもあり、
ただそれをいろんな要素を取り入れているのかなと思ってます。
あのタイミングって第二次世界大戦のちょうど最中じゃないですか。
そのタイミングで3つの政治システムがあったわけなんですけど、
一つがファシズム、もう一つが共産主義、民主主義みたいな、
軽く言うとその3つの政治系統があって、
それがどれが勝つんだみたいな話になってたと思うんですけど、
アメリカとかだと結構民主主義がやばいんじゃないかみたいな話も結構あって、
ちょうど経済不況とかになってたタイミングでもあるんですけど、
バーナムとしては実は3つとも結構似てるんじゃないかと。
結果的に3つとも向かう先が同じなんじゃないかと彼は主張していて、
これが管理者社会、このマネージャリオーレボリューションっていう、
マネージャーが世の中を支配するようなシステムになるんじゃないかと。
草野 みき
なんかタイトル聞くとマネージャーの革命みたいな、結構ポジティブな意味、
マネージャーにとってのポジティブな意味合いなのかなと思ったら全然ちょっと違いますね。
宮武 徹郎
若干マネージャーネガティブに見てますからね。
草野 みき
大平 なんかタイトルの感じとちょっと違いますね。
宮武 徹郎
そうですね。なんか管理者たちが革命して世の中を変えるんだみたいな感覚に聞こえるんですけど、実はちょっと違いまして、
それこそ彼がいろいろ事例として出しているのは、例えばナチスとかファシズムの代表例だと、
ナチスも結局上級商工って言うんですかね、ヒトラーの下にいたいわゆる官僚のレイヤーがいたじゃないですか。
草野 みき
大平 うん、幹部みたいな方がいてみたいな。
宮武 徹郎
で、民主主義だと政府がいるわけなので、
企業でもいわゆるマネージャー陣とか取締役みたいなレイヤーがいるわけじゃないですか。
そういうのをいろいろ見ると、実はカールマルクスがプロレタリアートの革命をミスリードしたんじゃないかと。
彼らじゃないと。
大平 ちょっと難しくなってきた。
彼らが、基本的にプロレタリアートがブルジョージを革命を起こすっていうのが、マルクスの一つの考えでもあると思うんですけど、
そのグループがブルジョージを追い出すのではなくて、全く違うグループが追い出すんじゃないかと。
それがこの管理者の人たちだと。
草野 みき
大平 なるほど。自分たちが革命を起こしてるように見えてるけど、実際は君たちじゃない。
そういう意味での、そういう話なのか。そのタイトルなんです。
なので、基本的にマルクスがシステムを2つに分けたじゃないですか。ブルジョージとプロレタリアート。
宮武 徹郎
でも3つ目の層が実はいいます。それがこの管理者っていうマネージャー陣っていう話を彼らがしていて、だからこそバーナムは2つの種類の資本主義が存在しますと。
一つがブルジョージ的な資本主義ですと。これはすごい簡単に言うと、ヘヌリー・フォード的な、今だとイーロン・マスク的な会社の仕組みで、オーナーイコールマネージャー。いわゆるオーナーが会社を自ら運営する。
草野 みき
財閥みたいなものとはちょっと違いますか?
宮武 徹郎
財閥とは必ずしも同じではないっていうところですかね。いわゆる昔のグーグルとか、去年スタートアップはこのブルジョージモデルになってますと。いわゆるオーナーが全部支配して、基本的に彼らがコントロール、会社をコントロールするっていう。
草野 みき
ファウンダーっていうことでもありますか?
宮武 徹郎
そうですね。ただあれじゃないですか、ファウンダーが必ずしも会社社長になってるわけじゃないじゃないですか。なので、このブルジョージ資本主義っていうのは、ファウンダーCEOを多分指してます。
なので、オーナーシップを持ちながら会社を自ら運営している。それによって、バーナムが語るには、マネージャーと株主に完全なるアライメントがあります。
彼がそこからどう世の中が変わるのかというと、マネージャー資本主義が、管理者資本主義が生まれてきますと。最終的に会社がオーナーシップがない人たち、いわゆるマネージャーの人たちが運営するようになってしまいますと。
これはよく起きることだと思うんですよ。最初は社長が創業者であって、何かしらの理由は、基本的に会社が大きくなるとなるほど、オーナーの調達もしないといけなかったりするので、どんどん気迫化され、場合によっては新しいCEOが入ったりとか。
そのCEOってもちろんオーナーほど株を持ってるわけではないので、よりオーナーシップが少ないのに、よりオペレーション周りの権力を持つ。それによってアライメントがずれるんじゃないかと、株主とオーナー、実際運営してる人たちの。
例えばなんですけど、某大手テック企業をとりますと、Gから始まるような某大手テック企業をとりますと、その会社の上場してるので株って何百万人も持ってるわけじゃないですか。
一応多少なり、議決権ベースで言うと、ファウンダーが議決権の半分以上持ってますけど、そこまで今は事業に入り込んでませんと。
となると、誰がその会社を運営してるかというと、オーナーを運営してないじゃないですか。雇われ社長でしたり、そこの管理者の人たちが基本的に運営しているので、
なんかこれがそういう展開になるのが、割と自然なんじゃないかっていうのが、バーナムの企業の事例ですけど、別に国ベースで見ても政治ベースで見ても、似たようなことが起こるんじゃないかっていうのがバーナムの仮説であると。
草野 みき
それは良くないっていう話ですか。
宮武 徹郎
結局、インセンティブのアライメントがなくなるので、いわゆる短期的なインセンティブには働くんですけど、長期的な、いわゆる会社の長期的なためのインセンティブが揃わなくなってしまうので、結果的に良くなくなる。
草野 みき
前の話とかで言うと、最初に発明したり、オーナーの人とかはインセンティブをあんまり持って、なんかテクノロジーの企業だとあるけど、他の企業だとそこの一番最初に発明した人、インセンティブもらえてない場合が多いですよね、みたいな話あったと思うんですけど、
その話で言うと、オーナーがずっとインセンティブ持ち続けてて、みたいなのになっちゃう。それが正しいさ、正しいようにも反対の意見的にはあるのかなと思ったんですけど、現場の人が、ちゃんと働いてる人がインセンティブ持つっていうのはめっちゃ分かるんですけど、難しい話でしたなと思って。
宮武 徹郎
そうですね。どこまで誰が株を持つべきなのかとか、そこら辺って多分いつも難しいとは思うんですけど、最終的には、その創業者が永久に会社に入れるわけではないので、
なので、どっかのタイミングでこれって何かしらオーナーがその会社を運営し続けるっていうのが、それができなくなるシナリオって絶対出てくるんですけど、なんかそこの、何ですかね、結構、会社でも株主が一応会社を運営してるっていう考えがあって、
考えを持つ人って多いと思うんですけど、基本としてはそうだと思うんですけど、いわゆる株を持ってるので、みんな力合わせてやれば社長をクビにできますと。
草野 みき
子供の頃、そういう仕組みって面白いですよね。学校高生とか中学生の時、その一般企業、上場企業は株主がいっぱいいらっしゃってみたいな話聞くと、え、会社運営してる人が運営してるだけじゃないんだって気づかされるみたいな、いっぱい利害関係いっぱいいて、その人たちがみんなで一団結してクビにできるみたいな驚いたことあったんですけど、
それも健康的なものだと思うんですけど、あ、なんていうか、第三者が見てるみたいな意味だと、どうなんだろう。なんかすごいですよね。
宮武 徹郎
うーん、なんか不思議、不思議ななんか構図になってますよね。なんかその、なんかその、プレイヤーが、たぶん、たぶんですけど。
草野 みき
まあ、お金を出している立場だから、その、何かを言えますよねっていうのは、そのVCとか、もうあらゆるお金の出資者って意味だと、ビジネスだとそうだと思うんですけど、そのインセンティブと、お金以外で機能している存在みたいな、なんか設計が難しそうですね。
宮武 徹郎
うーん、まあでも、なんかVC自身も、その同じような、その管理者、まあVCこそ管理者システムなんですよね。ほとんど自分のお金を使ってないわけなので、
VCとアライメントの課題
宮武 徹郎
だからこそ、よくVCに対して指摘があるのが、必ずしもアライメントがないっていう話は、それこそ管理者費用って呼びますけど、管理者費用を重要視してしまうVCが多いんじゃないかと。
草野 みき
アライメントっていうのは、その何かしら機能さす、企業家に対して機能させているかどうかみたいな話で。
宮武 徹郎
どちらかというと、そのLP側とVCの金銭的なアライメントでいきますと、去年LPがVCに出資している一部の理由って、巨大なリターンを出すことじゃないですか。
だからこそキャリーっていう制度があるじゃないですか。成功報酬があったで、例えばリターンを3倍にした場合、VCはその一部をもらえますと。
ただ同時に管理費用っていうものがあるので、そこそれはだいたい普通じゃなくて毎年2%。VCファンドを運営しないといけないので、手数料をもらってますと。
それっていわゆる20%じゃないですか。10年間で2%ずつっていうと。なので、リターンがゼロだった場合でも20%取られるんですよ。
それの仕組みをすごい悪く言ってしまうと、どんどんファンドサイズを大きくすれば、別にVCとしてはすごいリターンを出さなくてもめちゃくちゃお金儲けができてしまう。
それはやっぱりLP側がVCではなくて直接スタートアップに投資してればその問題って起きないじゃないですか。
なので、そこのいわゆるミドルマンじゃないですけど、その管理者っていう存在がどこまでいいのか悪いのかっていう議論がもっとされるべき。
なるほど。
必ずしも悪いっていう話ではないんですけど、それこそVCもいろんなVCっていいことやってたりしますし、別に全員が創業者になれるわけではないですし、創業者も例えばなくなったりとか、スケールできるスキルセットを持ってないとか、それをやりたくないとかいう人たちもいるんですけど、
ただ、それって誰が会社を実際運営してるのか運営してないのかっていう理解は必要なのかなっていう。
しかも管理者とか官僚、企業の場合ですと取締役とかそういうのがどんどん作られたり、マネージャー層とかができると何が起こられるかというと、
彼らが自分たちのポジションを守りたくなるんですよ。いわゆるこれって一つのシステムになるので。そうするとよく言われるものだと社内政治みたいなものがどんどんできたりとか、レポートラインができたりとか、場合によっては自分たちを守るための教育システムを作ったり、それの延長線にあるのがMBAとか。
草野 みき
そうなんですか。
宮武 徹郎
もちろんそれだけじゃないですよ。単純にいい理由でMBAも作られてビジョンスクールとかも作られてると思いますけど。でもほとんどの上場企業、これは日本でもアメリカでも多分そうだと思うんですけど、経営層とか、場合によってはVCのGPとかの経歴見ると大体同じじゃないですか。
草野 みき
MBAってことですか。
宮武 徹郎
MBAもそうですし、例えばコンサル出身とか。場合によってはファイナンスのバックグラウンド、投資銀行で働いてたとか。
草野 みき
それは宮武さんが言ってるのは、同じような属性を集めて、同じ教育を持った人で集めているっていう話ですか。
宮武 徹郎
そうですね。いわゆるそういう人たちしか管理者になれないっていうシステムが作られてしまうんじゃないかっていう。それによってずっと管理者っていうポジションが疑われなくなる。
草野 みき
多様性がないことによって。
宮武 徹郎
どこまで必要なのかっていう話です。まずその管理者が。でもその話ってしないと思うんですよ。社会の中では基本的に。
草野 みき
それはコンサル出身の人が多いみたいなのはどういうところにつながってくるんですか。
宮武 徹郎
管理者がいろいろ会社に権力を持ってます。いろいろ会社を事実上彼らが運営しています。ただ彼らのインセンティブって、元々のオーナーのインセンティブと違って、より短期的に利益を得る。
そうすると彼ら給料上がったりするので、必ずしも会社のために動いてるわけではないですと。自分たちのために動いてるケースが多くて、別にそれはそれでありますと。
でも彼らが本当に価値があるのか、短期的ではなくて長期的に価値があるのかって問われない理由ってなんだろうと思った時に、それは自分たちを守るようなシステムを作ってるから。
そのうちの一つが、こういう教育制度を作ったり、例えばビジネススクールが全部悪いっていう話ではないですけど、ビジネススクールに行くとそういう会社のトップになれるみたいな、そういうシステムを作ることによって、それがいわゆるその層だけではなくて、どんどん下までそれを教育すると、社会として誰も問わなくなる。
イノベーションのジレンマ
宮武 徹郎
別にこれビジネススクールっていう、一例でしか挙げてないんで、別に全員ビジネススクール行ったらやばいみたいな話ではないんですけど。
でも経営者の中で多くが似たような経歴を持ってるっていうのって、本来であればおかしい話だと思うんですよ。
経営者、個人、一個人がってことですか? 一個人が。例えば、上場企業の経営層の人たち個人個人見ても、だいたい、ずっとビジネススクールの話してるので、でも例えば元弁護士とか、なんとなくいるじゃないですか。でも考察っていないじゃないですか。
もちろん例外はいますよ。例外はいるんですけど、いわゆる基本的な、平均的な上場企業の経営層を見ると、いないじゃないですか。特に創業者ではなくて、創業者は例外になるはずなので。
経営者、確かにそうかもしれないですね。 特にどんどんスケールするとそうだと思うんですよ。で、それって、それを問わないのっていうのが、結構おかしいのかなっていうのは思い始めていて。
世の中的に。 世の中的に。よく言うじゃないですか、例えば東大とか京大に行ってる人たちだけではなくて、いろんな大学から来てる人たちの採用をしてますとか、いわゆるエリート校だけでしか見てないですっていう人もいれば、そこを見てないですよっていうのを強調する人もいると思うんですけど。
でも結果的にどんどん会社がスケールすると、そういう層の人たちがだいたい入ってくるんですよね。
草野 みき
その似たような人が入っちゃうっていうのとはまた別の理由でってことなんですかね。 似たような人っていうと。 例えば自分たち、自分が経営管理者層にいたら、この人よく知ってるから大学時代の友達入れましょうとか、大学時代の共通の友達のこの人が転職探してるからみたいな形で、
宮武 徹郎
組織の中の人の関係してる人がネットワーク効果で増えていくみたいな、だから同じ人。 それもまさに、システムが自ら守ろうとしてる表しでもあるのかなって思いますね。
学校が作られる理由とかって、そういう意味合いもあるのかなと思うんですよ。 そういう意味合いっていうと。 同じような経営層の考え方、同じ管理者を生み出して、その管理者社会をどんどん普及させていく。
なるほど。 それが果たしてどこまでいいのかっていう話なんですけど、そういう企業に関しては多分、組織を大きくすることにすごい長けてるんですよ。
別に悲しいも悪いっていう話ではなくて、たぶん難しいのが、新しいことがやりにくくなるんですよ。同じような考えの人たちがどんどん出てきて、しかもそれが管理者的な人たちが出てくると、今の組織編成を変えずにどんどん大きくする方法っていうふうに考えてしまうので、だからこそイノベーションのジレンマが起きるんですよ。
それをぶち壊すような全く違う視点から考える新しい人が入ってきて、どんどん大きくなると変えられなくなるっていうのは、そういう管理者システムがどんどん普及してるから。
草野 みき
めっちゃ難しくないですか。自分と似てる人じゃない優秀な人をどうやって測っていけばいいんだろうみたいな。学歴すべてでもないですし、自分がこの人をよく知ってるからって別にそれが優秀かどうかみたいなのもありますけど、それをゼロから考えるのめっちゃ難しそうな話だなって思いました。
宮武 徹郎
それを引っ張って上に決定、物事を動かしてくれるぐらいのレベルの権限を持たせるのってめっちゃ難しそうだなっていう。
基本的には管理者層の人たちとしては、違う人を選ぶインセンティブがゼロなんですよ。全く違う人を選ぶと、自分が今まで上ってたキャリアから全然違うことをされてしまうと、自分のキャリアがなくなったりとかするわけじゃないですか。
自分の仕事がなくなる可能性があるので、なのでそのインセンティブってやっぱりすごいないですし、それこそでも草野さんが言うように、それを変えるための全く違う人を採用するとか、違う考えを採用するっていうのもめちゃくちゃ難しいことなんですよね。
いや、やりたくても、結局でもバイアスってものがあるじゃないですか。誰が採用するかとか、結局でも好みみたいなところもあると思うので、それをフラットにどうやって見たらいいのかなっていうのは気になります。
でもこれこそ、今年やった回で採用回りでの考え方とか、そこら辺も多分役に立つと思うんですけど、でもなんか多分第一ステップとしては、そういうことが会社で起きてるっていうのを理解すること。
特にスケールすると、そうなりがち。必ずしもそうなってるっていう話ではないですけど、多分一般的に見るとなってますと。で、それと真逆なのが、彼を真似るべきっていう話ではないんですけど、イーロンとか。
オーナーが自ら会社を完全運営してるわけじゃないですか。彼は別に全部のことやってるわけではないですけど、めちゃくちゃ関わってる。まさにファウンダーモード的な話ですよね。しかも取締役会、例えばXとかだと取締役会がないですからね。
宮武さん、どう見てますか?それは。 その取締役会がないってことですか? ないとか、あとイーロンマスクの振る舞いをどう見てますか? まあ、プロコンはすごいありますよね。これに関しては。プロコンはあるものの、彼に関してはある程度も自由にさせないといけないのかなって思っちゃいますよね。
なんか多少なりそういう、あと彼に関しては、たぶんなんですけど、別にイーロンマスクと話したことないので、普通にアドバイスは聞いてくれると思うんですよ。それをただいいかどうか判断するのは彼なので。
正式な取締役会っていう形で取るべきかっていうところは正直わかんないです。これはイーロンの場合はっていう話ですね。 例外。 例外です。
でも、ここがでも難しいところなんですよね。例外だからこそ、例外じゃない人たちはどうするべきかっていうと、どうしても管理者になりがち、そっちに寄っちゃいがちだと思うんですよ。
自らオーナーシップを取って実際物事を動かすっていうのって、昔で言うと鉄道とか、アメリカの場合鉄道とかもそうですし、街づくりとかもそういう結構、上からそういう指示があったからこそみんな動いてたっていうところで、その一番のわかりやすい代表が今イーロンマスクになったりするんですけど、
ただなんか彼ももちろん過激的な事例だと思うんですけど、多分もっとそういう人たちは必要だと思います。全員がそういう人たちになるべきかっていうとわかんないです。ただそういう人たちがいないと、世の中が変わんない。特にこの管理者社会みたいなことをどんどん理解すると、どんどんどんどん変えにくくなる。
だからこそそこに対して逆張りをするような人たちが出てこないといけないんですけど、個人的に気になるのは、ちょっと草野さんに聞きたいんですけど、さっきの話だと、管理者的社会がどんどん生まれてくると、イノベーションが作りづらくなると。
だからこそ、異論みたいな起業家が生まれるのか、それともそこって別に関係ないのかっていうと、どう思います?
草野 みき
卵が先かニワトリが先かみたいな話ですか。
宮武 徹郎
いわゆる起業家を、もっと異論がいいのかわかんないですけど、偉大なる起業家を作るには、社会がどんどんこういう形で悪化しないといけないのか、それによって危機的なものが生まれてくるのか、それとも無理やりでも偉大なる人たちって作りにいけるのかっていうと、どうなんですかね。
草野 みき
作れないんじゃないかなっていう。
宮武 徹郎
じゃあ、これはレスポンスなんですね。その起業家が生まれてくるのは、今の社会がこういう風になってるからこそ、それに対してどのこういう起業家が、異論みたいな起業家が出てくると。
管理者と創業者の視点
草野 みき
はっきりわかんないですけど、どちらかというとそっちかなっていうのは、やっぱり、これまでの話とか、やっぱりカウンターカルチャーというか、反逆の精神があってあるのかなっていう、ただ単に逆張りではないですけど、こういうことを言ってる奴らがいる。だけど、私はこっち行くっていう、なんていうか、ところも大事かなって思いますし、
世間が同じ方向を向いているときに、それについて正しくないって言える人が、よりわかりやすくなるかなって気もするので、
ハッカーと画家っていう本あるじゃないですか。その中で、ハッカーは規則に従わないっていう、それがハッキングの本質で、それがアメリカの精神であるみたいなことが書かれてて、素晴らしいハッカーと一般的に賢い人の違いは、政治的に正しくないことを堂々と言うみたいな話をしてて、でもそれは確かに、なんていうか、そうだなっていう気もちょっとするっていうか、みんなが、
それ言っちゃっていいの?みたいな。そこまでしていいの?みたいな。でも、イノベーションをこれまで起こしてきた人とか、特にテクノロジーとかだと、これやったら、もうすべてが壊れるとか、この発言したら、いろいろひっくり返るんじゃないの?みたいな。
あとまあ、それやったほうがいいと思うけど、でも。 できるの?みたいな。 うん。みたいなのを、いや、できますけど、っていう。だから、やりますけど、みたいな。それに対して何も思わず、思わずっていうか、淡々と実行していくみたいなのは、すごくそういう人が、逆に世間が同じ方向を向いてるから、わかりやすいのかなって気がしました。どう思いますか?
宮武 徹郎
いや、でもなんか、この草野さんと基本的に同じ意見で、やっぱり自然と生まれるものかなっていうところで。で、世の中が正直、どんどん上がり下がりが若干激しくなってる気がしているので。だからこそ、今、より、例えばビッグテックが、より業界を支配してるからこそ、それに対しての逆行が生まれやすい環境にはあるんですけど。
ただ、やっぱり、もしかしたら外部的な要因があり得る場所で言うと、やっぱり、新しい反逆者が生まれやすい環境にはなってきたと思うんですけど。ただ、生まれてから、そこを潰されるスピードもめちゃくちゃ速くなってる。
いわゆる、昔で言うと、例えばカトリック教会が、地球が世界の銀河の真ん中心にあるっていう考えから、太陽、太陽ですみたいなことを言ってたガリレオとかに、最初に燃やす、彼を燃やしたじゃないですか。
そのスピード感が、たぶん、めちゃくちゃ速くなってると思うので、なので、そこを、そういう人たちをより支援できるようなインフラっていうか、情報かもしれないし、場合によっては応援っていう形かもしれないですけど、それがもうちょっと必要になるのかもしれないなって思いました。
草野 みき
大平 でも、トランプさんとか、いっぱいキャンセルされても、されたこといっぱいあるじゃないですか。でも、立ち上がって。
宮武 徹郎
キャンセルされてない、その結果って。
草野 みき
大平 どんどん強くなっていくみたいな。で、なんかイーロンマスクもいろいろ言われがちではありますけど、やっぱりその分ファンもいるし、実力もあるので、なんかそういう人も出てくるんですかね。なんか全然、こいつダメだって、本当にダメだったり、ダメじゃなかったとしても、なんかこう、どんどん強くなるみたいな。
宮武 徹郎
なんか、全然生まれてくると思います。ただ、やっぱりイーロンでさえ、スペースXが最初3回でしたっけ?失敗した時は、さすがにもうヤバいって多分なってたと思うので、多分その時に声かけた人とか、場合によっては資金提供してあげた人とかによって救われてるんだと思うんですよね。
そういう人たちをもっと増やさなければいけない。もちろん企業家側もそうですけど、あと、もっと社会としてそういうことをやること自体が別に間違ってないっていうのを伝えられるような社会に持っていかないといけない。
これも難しいところあるので、反逆してるからこそ大きなことを作れたりモチベーションになったりするので。
草野 みき
さっき言った間違ってることじゃないよっていうのは失敗に対してってことですか?
宮武 徹郎
失敗に対してとかですね。基本的にそう言いがちなので。特にメディアはそうだと思うんですけど。若干多分話ずれちゃったと思うんですけど。
管理者ではなくて創業者モード、ファウンダーモード的な人の異論じゃない。異論マスク過激すぎるので。異論じゃない良い事例を出すとすると、今上場企業でファウンダーモードまでやってる人って特に大手テク企業だと少ないんですけど、やっぱりマーク・ザッカーバーグが出てくるかなと思っていて。
彼に関してはやっぱりすごい、彼の元部下とかの話をいろいろいろんなところで聞いていると、ファウンダーモードから管理者モードへの切り替えが上手い。
へー、どういう? なんかベース管理者モードなんですよ。創業期はファウンダーモードですけど、今もうスケールしているので、彼は基本的に全部のこと関わられないので。でもなんか時々この、バーナムが言うブジュアジー資本主義モード、ファウンダーモード。
ベン・ホロイッツが言うにはたぶん戦争時のモードに入ることがあって。なんかイーロンは常にファウンダーモードなので、そこが若干違う気がするんですよ、マークさんとの違いで言うと。
平和時、ピースタイムのCEOではないですよね。フルタイム。 ベン・ホロイッツ フルタイム・ウォータイム・CEOだと思うので、それはそれで一位やり方としてあるんですけど、マーク・サッカーバーグとかはたぶんどっちもできる人。で、例えばなんですけど、えっと、Googleプラスって覚えてます?
草野 みき
もちろんです。ちょっとだけ話したことありますよね。 ベン・ホロイッツ そうですね。クサンさん使ってましたっけ? いや、登録はしてたと思います。でもあんまり使ったことはないですね。
宮武 徹郎
ベン・ホロイッツ 最初にGoogleプラスで市場に出た時って、やっぱりGoogleだったので、みんな登録したり、ちょっと使ってはいたんですよ。で、その時にマーク・サッカーバーグもこれはやばいと。
やばい。 ベン・ホロイッツ Googleなので、やっぱりディストリビューションパワーすごい持ってるので、何かしなければいけないっていう時に、彼がこれ、Facebookのキャリアの中で何回もこれ行われてるんですけど、ロックダウンを行うんですよ。彼がロックダウンって呼んでるんですけど、これがマーク・サッカーバーグのファウンダーモードなんですけど。
ベン・ホロイッツ 会社の歴史上何回もやっていることなんですけど、基本的に全エンジニアを呼び出して、今やってることを全部やめろと。
ベン・ホロイッツ これから僕がロードマップを全部決めるから、それを全部成し遂げてくれと。っていう、もう完全にピボットさせるんですよ、会社は一時的に。
ベン・ホロイッツ よほど売上に貢献するようなインフラ、例えば広告インフラとか、シャットダウンしたらクライアントが使えなくなるみたいなことをやってるエンジニアに関してはそのままなんですけど、基本的にその他全員は、この7つの機能を作ってくれとかっていうオーダーに対して全員やらないといけないんですよ。
草野 みき
ベン・ホロイッツ ちょっとUI変えたりみたいな部署とかの人がそっち行ったりみたいな。
宮武 徹郎
ベン・ホロイッツ なので、実際にフロントエンドのエンジニア、他の部署のフロントエンドエンジニアを、例えば広告チームのエンジニアを引っ張って、C向けの機能を作らせたりとか、場合だったらPMまで引っ張り出して、こっちの部署に寄せたりとかするんですけど、
ベン・ホロイッツ 彼、今も違いますけど、昔のオフィスと彼のオフィスの外にロックダウンっていう文字があって、それが確か赤くなるとオンなんですよ。
ベン・ホロイッツ 通常赤くないので、それぐらいロックダウンっていうものが明確に会社の中であって。
草野 みき
ベン・ホロイッツ なんか面白いですね。
宮武 徹郎
ベン・ホロイッツ いいですよね。
草野 みき
ベン・ホロイッツ ロックダウン用のライト作るか、設置しといて、おーいい感じみたいなやりとりがあったと思うと面白い。
宮武 徹郎
ベン・ホロイッツ そうですよね。このフォントじゃないみたいな。
草野 みき
ベン・ホロイッツ いいですね。ロックダウンに備えて作っておきます。
宮武 徹郎
ベン・ホロイッツ 明確なロックダウンから外れるのも明確に定義していたのはすごいなと思うんですよね。
ベン・ホロイッツ 何人がどれくらい使ってくれたらもうロックダウン終わりますっていうのを最初から定義してて、
ベン・ホロイッツ それによっていろんな会社の危機的な、マークさんが思う危機的な瞬間を乗り越えられたっていう話があるんですけど、
管理者の役割の変化
宮武 徹郎
ベン・ホロイッツ これも多分管理者と創業者の考え方としてめちゃくちゃ違うので、やっぱ創業者だからできること?
草野 みき
ベン・ホロイッツ 創業者だからできること。紙砕くと。
宮武 徹郎
ベン・ホロイッツ オーナーであり、運営してるからっていうところですね。
草野 みき
ベン・ホロイッツ それはもし管理者モードだったら、今運営してることを伸ばしていくことに注力しがちみたいなことなんですかね。
宮武 徹郎
ベン・ホロイッツ そうですね。で、どちらかというと自分のポジションを守りにいく。
草野 みき
ベン・ホロイッツ そうですね。
宮武 徹郎
ベン・ホロイッツ もちろん全員の管理者がそういう話ではないんですけど、一般的に考えるとっていうところなので、
ベン・ホロイッツ 全体的にこのバーナムの話を、そのサマリーを出すとすると、
ベン・ホロイッツ 昔の資本主義だと通常2つの、マルクスが言うような2つのクラスがありましたと階級があったんですけど、
ベン・ホロイッツ それがどんどん企業とか国がスケールする中で、
ベン・ホロイッツ その2つではない3つ目の層ができましたと。で、それがこの管理者っていう層で、
ベン・ホロイッツ その層が結構支配権を持つような社会に自然にそういうふうに進化するっていうのが彼の仮説ですね。
草野 みき
ベン・ホロイッツ うーん、それはなんか確かにそんな感じはしますね。
宮武 徹郎
ベン・ホロイッツ 特に今の世の中を見ると、なんとなくそんな感じはしますよね。
草野 みき
ベン・ホロイッツ うーん、なんでだろう。でもミドルマンは結構淘汰されつつある流れじゃないですか。
宮武 徹郎
ベン・ホロイッツ うんうんうん。
草野 みき
ベン・ホロイッツ 直接やり取りをやるっていうのがまあできるようになってきてるけど、とはいえみたいなとこなんですかね。
宮武 徹郎
ベン・ホロイッツ そうです。なんか特定の部分でしかそうなってないのかなっていうところで、なんか社会全体としてそうなってるかというとそうではないかなっていう。
ベン・ホロイッツ うーん。
ベン・ホロイッツ でもなんかまあ草野さんが言うように、なんかそれが行き過ぎたからこそよりDtoCとかなんかより直接っていうのがなんか重要視され始めたのかなっていうのを思います。
草野 みき
ベン・ホロイッツ うーん。なんでそんな人、逆そのでもそれを必要としている人たちもいるっていうことですね。その人たちが存在してるってことは。
宮武 徹郎
ベン・ホロイッツ それを必要としてるっていう。
草野 みき
ベン・ホロイッツ 結局管理してほしいっていう人たちもいるっていうことなのかなと思ったんですけど。
宮武 徹郎
ベン・ホロイッツ そうですね。あの、いわゆるその、その例えば会社で見ると、一上場企業の株主、たとえ僕がG社にちょっとだけ10万円投資した場合ですと、自分の不安とか自分の声を代表してくれるような管理者みたいな人を欲しがると思うんですよね。
草野 みき
ベン・ホロイッツ うーん。
宮武 徹郎
ベン・ホロイッツ だから、なんですかね、なんかそういうシステムになんか、自分一人だとそれが動けないからこそ、管理者にそれをやってもらいたいで、だからその管理者の立ち位置がすごい上手いんですよ。
いやなんか創業者だとまあ、イーロンみたいな、なんかヤンチャでなんかヤバイ人がいますみたいな、いやうちらはそうではないですともっとプロですよっていう…
草野 みき
ベン・ホロイッツ イーロンもプロですよ。
宮武 徹郎
ベン・ホロイッツ あ、もちろんですよ。これはあの。
ベン・ホロイッツ 分かった。
ベン・ホロイット 管理者側がいうにはですよ。
草野 みき
あんなやっちゃしてて、私は話が通じますから、はい、つって
管理者社会の運営
宮武 徹郎
そうなんですよ、まさにそういう話で、安定的に会社を運営します
で、それを売ってるんですよね
草野 みき
すごい鋭い言い方ですね
宮武 徹郎
でも別に、それが悲しいも間違いではないので
バイトって安定的に、それを株主が求めてたりするので
ベースで言うと、それを求めてるんですよ
なぜかというと、今の株主の動きを見ると、管理者社会の中で動いているわけなので
多少なりの安定性を求めてるわけなんですよ
で、それがどこまで、安定じゃない、ちょっとカオスなイエローマスクみたいな人たちを
より世の中に解き放すべきなのかっていうところ
で、VCはそういう人たちに投資をしたがる
で、それただ上場して、どの大きくなると、それがそういう形態になりにくくなるっていう社会構造が生まれてるっていう
ニーチェの視点
草野 みき
難しい話ですね、これは
宮武 徹郎
難しい話です
で、ようやくこれでニーチェの話に行けるんですけど
ニーチェも実は似たような構造を、バーナムのだいぶ前から気づいていて
で、ニーチェの場合ですと、西洋の話をメインにしているので
西洋の中ですと、2つの考えがありますと
キリスト教的な考えと、あとペイガニズムっていう考えが
いわゆる古代ローマとかギリシャの考えですよね
彼としては最終的にキリスト教の文化が勝ったっていう主張をしてるんですけど
クリスチャンからすると、より世の中にキリストの教えなので
優しさとかニューアであれば戦って取られなくても
最終的に地を継ぐものが出てくるっていう
みたいな話をしていて
で、ペイガニズムに関して結構真逆っていうか
ゼウスとかアテナとかニケとかアレスとか
そういうすごい強い神がいるっていう
で、神が正しいっていう考えを持ってるので
キリシャンからにとって
ペイガニズムを見た時に
すごい道徳に反する神様がいるなっていう考えなんですよ
結構ゼウスとかなんかいろんな古代ローマとか古代ギリシャとかの神の話とか見ると
もう子供なんですよ
神様って
宮武 徹郎
なんかすごい嫉妬したりとか
なんかすごい戦いあったりとか
全然大人じゃないんですよね
草野 みき
たしかに
なんかギリシャ神話とか面白いですよね
宮武 徹郎
なんかそんな話なんかいみたいな
ただ競い合ってるだけじゃん
どっちの方がなんかイケてるのかを
なんか競い合ってるとか
草野 みき
なんかアキレウスもなんかかかとを水に浸しなかったからそこだけ弱点になったみたいな
そんなことなんかいって思いました
初めて小説読んだ時
宮武 徹郎
結構びっくりしますよね
草野 みき
びっくりしますね
最後の最後まであんまり戦い出てこなかったんだみたいな
親友が出てたんだと思って
なんかそれ面白いっていうか
宮武 徹郎
そうなんですよ
でもなんかそのペイガニズムの教えの人たちから見ると
キリスト教の神様って無能にしか見えないんですよ
例えばですよ
キリストの一つの奇跡と呼ばれるものが
5つのパンと2匹の魚を大勢に配られたみたいな
なんかキリストのスーパーパワーって
パンを倍増することですか
僕はそう思ってないですけど
ペイガニズムの人たちからするとそう見えてしまう
ゼウスとかそういう究極に言うとですよ
草野 みき
マジレス突然のマジレス受けました
宮武 徹郎
パンを倍増することなんですか
なんか水をちょっとワインに変えられるんだみたいな
草野 みき
それは良さそう
宮武 徹郎
それは別にいいけどみたいな
っていう多分考えを持ってしまうんですけど
全体的に社会として
キリスト教の考えがより勝ったとニーチェは思っているのは
しかも彼としてはバーナムみたいに
共産主義とか社会主義とか
例えばフェミニズムもそうですし
動物を守りたいっていうアクティビズムとか
環境とかもそうですけど
それも全部キリッシャンであると
キリッシャンの道徳の上で動いているからこそ
でもそれを理解せずにみんな動いていて
しかも無神論とかサイエンスですら
キリッシャンな動きをしているのが
かなりすごいっていうのがニーチェの考えで
それがニーチェからすると間違ってるっていう話なんですよ
これが被害者をベースにした考え
っていうのはキリッシャンの考え
っていうのがニーチェが言ってることなんですけど
そもそもキリッシャンの道徳が
なぜこれだけ普及できたのかというと
一つの理由が
善と悪の定義の違い
ペイガニズムとキリッシャンの
善と悪の定義の違いがかなりありますと
ニーチェが調べた中だと
ペイガニズムの中だと
善っていうのは例えば立派とか貴族とか
高潔とか特権みたいな言葉に紐づいてる
エリート層みたいな強いものみたいな
逆にその悪っていうのは
普通とかシンプルとか一般みたいな言葉に
紐づいてると
なのでニーチェからすると
その君主道徳
それがイコールペイガニズムの道徳なんですけど
まず自己肯定から始まりますと
私は強いですと
私は良い人ですと
で奴隷に向かって
お前たちは自分の持ってる要素を持ってないから
君たちは悪い人だと
なんで悪っていうのは
何かがあるものではなくて
ないものに対して悪を悪と呼んでるんですよ
キリッシャンの考え方
奴隷道徳っていうのが逆だってニーチェが主張していて
まず悪から定義していますと
で悪っていうのは
奴隷の考え方だからこそ
君主
まあいわゆるその上の人たちが持ってるものが悪だと
でそれはニーチェ
ニーチェ曰く
奴隷として羨ましいからこそ
嫉妬していて腹が立ってるからこそ
草野 みき
君主が持ってる美徳を悪徳に変えていると
宮武 徹郎
なんで野心ではなくて強欲になると
食欲ではなくて過食になると
性的能力ではなくて性欲になると
自信を持つのではなくてプライドがあると言ったり
強さを持ってるっていうよりも怒りがあると
なんでなんかその
じゃあその奴隷道徳が
善のコンセプトをどこに持ってるかというと
君主が持ってるものの逆を善と言いがちなんですよ
なんかまあ君主が断定的で強いとなると
キリストの教えみたいに
もう一方の方法を向けたりとか
そのお金を持っていて特権があるのであれば
天国に入りづらくなったりとか
道徳の違い
宮武 徹郎
まあっていうことは日誌からすると
その奴隷道徳の考え方っていうと
善を善っていうのは
悪の逆である
悪だけを定義していて
善はそれのただ真逆である
っていうことしか言っていない
っていうのが彼の考え方
草野 みき
そのまま弱者であることが救われるみたいな
そのただの恨み
そのパワーを持ってる奴に対しての
宮武 徹郎
無惨治マンみたいなことなんですかね
そうですね
あのそれをニーチェが言っています
別に僕と草野さんがそれ言ってるわけではないんですけど
ニーチェはそういうことを言っていて
いわゆるその自分が何を
どういうことに対して考えてるとかではなくて
ただただその恨み
憎しみとかをベースに動いていますと
なんででもなんかその
だからこそその奴隷道徳を持ってる人たちは
NOと言いやすいんですよ
拒絶するっていうのが本能的にあるからっていう
その君主に対しての
草野 みき
まあでも君主以外に対しても基本的にNOって言いやすい
宮武 徹郎
こういうことをやってはいけません
草野 みき
こういうことをやるべきではないですと
宮武 徹郎
逆に君主道徳って言うと
YESって言いやすい
私は強くて
私は美しくて
私は最高だみたいなことを言ってる人たちに関しては
新しいこととか
なんか違うことに対して
それやってみよう
草野 みき
それやってみようって言いやすい
宮武 徹郎
しかもより危険性のあるものを受け入れたりとか
試してみたりとか
なので一番わかりやすい
たぶんニーチェが語る
この君主道徳を代表してる人たちって
日本だとわかんないですけど
アメリカで言うと高校生のジョック的な
アメフト部で
もう一番人気者で
いけ
まあよくいるじゃないですか
よく海外ドラマで
草野 みき
スクールカーストのトップにいるような
宮武 徹郎
スクールカーストのトップにいる
草野 みき
一軍たち
そうですそうです
宮武 徹郎
でそういう方々って
草野 みき
ジョックって言うんですね
宮武 徹郎
ジョック
まあジョックそのあのなんですかね
マスキリンで力持ちでみたいな
結構ちょっと危険なことを好きじゃないですか
スポーツやったりとか
結構飲んで飲んだりとか
あと別に怒ってるから人をいじめてるわけではなくて
ただただ人をいじめるのが面白いからいじめたりとか
してると思うんですけど
それがまさになんか君主道徳の
いい多分代表例だと思うんですよ
草野 みき
うーんなるほど
宮武 徹郎
ちょっとバカでっていう
多分そういうのも含めてだと思うんですけど
草野 みき
全然なんか必ずしもバカではないですけど
宮武 徹郎
でもやっぱり
その奴隷道徳っていうのは
この被害者がベースとしてあるので
なんかその古代
例えばその君主道徳をベースにした
古代ローマとか古代ギリシャの話を見ると
すごい偉大なる人の話が多いじゃないですか
さっき話したアキレオスとか
すごい弱点を持ってますけど
勝ったと思ったらそこにシャッって
でもなんかすごい戦士じゃないですか
いろんな人を倒したりとか
できるような人なので
その何千人も殺せるような伝説的な戦士の話です
そのオデセウスもゼウスとかもやっぱりすごい人
もちろんなんかいろんな弱点はあるものの
すごい強い人たちがベースとして主人公である
けどキリスト教に関しては
キリスト自身がそもそも生まれが地位の低い
第一から生まれているというかそういう人だったので
なんでしかも彼のそのストーリーの聖書の中の一番の
クライマックスの瞬間で彼が処刑される瞬間じゃないですか
いわゆるなんか勝者の話じゃないんですよ
それって被害者の話なんですよ
なんでなんか古代ローマと古代ギリシャの話って
勝者が勝者について
勝者のために書いた話なんですよ
キリスト教に関しては真逆で被害者が被害者について
被害者のために書いた本というのがニーチェの捉え方
なのでだからこそキリスト教みたいな宗教に関しては
その弱さとか純潔さとか貧困さみたいなことに対して
すごい強調したり
別にこれは悪い話っていう
ニーチェからするとなんかあんまりいい話ではないっていうことなんですけど
一応なんかそういうのがあるので
だからこそ今の社会を見ても
すごいキリスト教に影響されてるなっていうのもいるのは
特にこれ日本だとわかんないですけど
アメリカの場合ですと
自分の自己紹介のタイミングで
結構自分がどのように被害者なのかっていうのを
無意識で多分説明してる人がいるんですよ
これ僕もよく聞く
で別になんか彼らは別に多分それを意識してやってないので
別になんか彼らがなんか被害者になりたい
みたいな感じではないと思うんですけど
あの移民としてとかアジア人としてみたいな話を
あの話し方をする人っていると思うんですよ
ニーチェの思想と管理者社会
宮武 徹郎
でもそれっていわゆる自分たちが被害を受けてきた民族とか
人たちからしてこう思ってるっていう
一つのパワープレイであるっていう
草野 みき
おーなるほど
宮武 徹郎
ニーチェからすると
これ毎回言いますけど
草野 みき
メンチャー意識的に使わないでください
私は思ってないんですけど
ニーチェから言うには
宮武 徹郎
逆に言うと
例えばアキレウスがどうやって自己紹介してるかっていうと
自分の先祖の先
草野 みき
僕はこの人の息子ですから始まるんですよね
宮武 徹郎
ペリウスの息子のアキレウスだっていうところから始まるので
全然被害者妄想がないんですよ
伝説の強い子として生まれてますね
そこが結構大きな違いがまずありますと
それに対して
バーナムですと管理者っていう
第三者の人がいたと思うんですけど
ニーチェも第三者の人がいますと
それが司祭って呼ぶんですかね
英語だとpriestって呼ぶんですけど
その人たちが入ることによって
だいぶヒエアルキーが変わる
もちろん奴隷が君主を100対1で
その人数的に多かったとしても
奴隷がみんな集まって
君主を覆すことって
割とレアケースだと思うんですよ
それを覆す要因としてあるのが
何かしらのリーダー的な人が必要なんですよね
草野 みき
多少ないそういう野心を持った人
宮武 徹郎
それがこういう司祭みたいな
司祭みたいな人なんじゃないかっていう人で
彼らは君主と違うのが
ニーチェが呼ぶには病的である
病気を持ってるっていう
それは別になんかフィジカルな面ではなくて
魂とか心で病気を持ってるっていう
ニーチェが説明するんですけど
すごいネガティブな人だと
すごい簡単に言うと
草野 みき
なるほどなるほどはい
宮武 徹郎
ただ違いで言うと
もう一つの違いで言うと
めちゃくちゃ知的な人たちである
なので頭はいい人たちですと
草野 みき
ただ病的に
宮武 徹郎
ただ病的に考える思考があって
ただその君主と似たような考えを持ってる部分は
権力を欲しがってる
権力に対する意思は強い
草野 みき
なるほど
宮武 徹郎
でそれの多分今一番近しい事例が
こういう管理者だと思うんですけど
それを成し遂げるためには
勤欲主義の浸透
宮武 徹郎
司祭に関しては
勤欲主義っていうものを
世の中により普及させた
これは奴隷道徳のすごい近しいものなんですけど
何が良いと何が悪いかっていうところの
違う強調をしていると
でこの勤欲主義っていうところだと
例えば食べ物とか水とか
睡眠とかいろいろ自分の中で満足するようなものを
捨てること禁止にすることによって
より社会的地位とかお金とかをもらえる
みたいなことを強調していますと
いわゆる自分のエゴを抑えることが重要
なんとなく社会でもわかる気がする
見える気がするんですよね
結構お金持ちの人たちって
寄付したがったりとか
もちろんそれは良い理由もありますよ
あれが悪いっていう話ではないんですけど
そういう自分が何も持ってないとか
そういう欲がないっていうことが
すごいよく見える
何かしらを何かを知っているのか
何かを成し遂げられたから
そんなに欲がないのかっていうふうに
周りから見えがちだと思うんですよ
それがすごいニーチェからすると大事なポイントで
基本的にニーチェからすると
人々は何かしらの残酷的なことをやりたい
草野 みき
って思ってるんですよ
宮武 徹郎
昔ってか
チンパンジーも暴力が好きみたいな話を
よく彼は出したりしてますけど
昔の文化だと
例えばコロセウムとか
あと処刑を見に行く文化ってあったと思うんですけど
いわゆるそういう暴力とか痛みに関して
イベントになっていた
それが今だとそういうのができないからこそ
例えばビデオゲームとか
草野 みき
映画とかそういうところでちょっと発散していますと
宮武 徹郎
でもそれだけだと発散しきれないので
ニーチェからすると
何をどこにその残酷さを出しているのかというと
自ら自分たちに出してるんじゃないかと
それをうまく誘導させるのが
草野 みき
こういう司祭の人たち
宮武 徹郎
自分が足りてない
自分がだらしないとか
そういうのを思うことによって
自分に対してそういう残酷さを作る
作るというか
そういうのを作らせている
草野 みき
でもこれって
宮武 徹郎
よく草野さんもこういう
自分の中で会話したことあるかもしれないですけど
ネガティブな会話を自分の中でする時って
だいたい例えばですけど
お前は太ってるとか
お前はブスだとか
お前はだらしないとか
お前バカだとか
お前は何かしら足りてないみたいな会話って
結構聞くじゃないですか
草野 みき
いろんな人がそういう会話を持ってるって
宮武 徹郎
でもそこのすごい面白いポイントって
なぜお前っていう言葉を使ってるって
別にお前でも君でもあなたでもいいんですけど
なぜ自分って言わないのか
自分の話なのに
草野 みき
二人称のベースで話しかけるわけじゃないですか
宮武 徹郎
それはニーチェからすると
残酷さを与えたい対象が必要だからっていう
ことなんじゃないかっていうのが彼の考え
草野 みき
どう思いますか
宮武 徹郎
ある意味そこって
すごい正しい部もあるのかなと思います
これジラルも似たようなことを言ってますし
何かしらのところに
暴力的な考えとか思いとかを寄せたいっていうところで
それを自分に寄せるっていうのは
割と分かりやすいのかなと思うので
ニーチェからすると
例えば原罪で宗教の中であるじゃないですか
その英語で言うと
original sinと呼ぶんですけど
一番最初にアダムとイブが犯した罪
それってバグではなくて機能であったと
ニーチェからすると
それがあることによって
草野 みき
自分たちに対してより自分を責められる
宮武 徹郎
それを誘導させるのがこういう司祭の人たち
そういう人々は何かしらの意味合いを欲しがってる
その人生の中での
それを痛みとか苦しみをベースに
その意味合いを見つけたがるじゃないかっていうのが
たぶんニーチェの考えで
だからこそこういうことがどんどん起きてしまうんですけど
なんで世界の五大宗教の中だと
何かしらこの苦しみの話
しかも自分に対しての苦しみとか
罪に関しての話って出てくるのは
こういうシステムの中で
こういう道徳の中で生まれてるからだっていう話
そういうのをどんどん広げることによって
司祭は奴隷をどんどん支配できるようになる
彼らが最終的にトップに
いわゆる管理者になれる立ち位置に行くっていう
なんかこのバーナムが語る管理者と
管理者って第三者のところで
いわゆるこういう色マスクみたいな
こういう人たちが良くないですと
良くない理由は何かっていうと
彼らが持ってる豪欲さとか
そういうのによって
会社をどんどん悪い方向に行かせてますと
彼らは救われないですと
でも君
他の株主に対して言ってるのは
我々に任せてください
我々はそういうことを
そういう欲を持ってませんと
会社のためにいろいろ動きますっていうのが
この管理者社会のシステムなんですよね
時代を超える思想
宮武 徹郎
でそれが全く同じことを
個人的にニーチェが言おうとしてるのかなと思ってるんですよね
一人の個人その君主に対しての権力が
悪いっていうのを言ってるっていう
草野 みき
権力持ちすぎてるし
私たちはそんな風になれないしみたいな
宮武 徹郎
でもそれを慣れないっていうのを
草野 みき
うまく見せないっていうところですね
宮武 徹郎
でしかもそれをうまく
管理者であれば
例えばビジネススクールとか
コンサルとか
いろんな形で自分たちを守るためのシステムを作ると
同じように
司祭に関しては宗教とか
教会とかを通して
それを自分たちのポジションを
守ってるんじゃないかと
草野 みき
本当でもそうですね
システムって社会っていうシステムが敵だ
みたいなそのマトリックスで言うと
その社会に順応していくことが
ダメだ
ダメだっていうかそのそれがもう敵である
みたいなのはある意味
管理者社会なのかもしれないですね
草野 みき
そこのシステムに乗っ取ったら
宮武 徹郎
ダメだみたいな
そこのシステムに乗っちゃったら
草野 みき
そのシステムに従わなくなって
宮武 徹郎
いけなくなるみたいな
なんかちょっとだいぶ今日の話は特に難しかったと思うんですけど
僕もなんかちゃんと説明できたかっていうのを
若干不安ではあるんですけど
この話をなぜこのタイミングで
いわゆる今年の夏にその本を読んで
こういう系の話をしたかったなと思ったんですけど
今回このタイミングでやってる理由は
次回からようやく
あの恒例の年末テーマの話に行くんですけど
そこに最終的に全部つながっていて
これって実はすごいセットアップだと思っていて
こういう世の中になってるからこそ
それに対して何を知らなければいけないか
何をどういう行動をしなければいけないのか
っていうところにつなげられたらなっていうふうに思って
今回ちょっと複雑でしたけど
ぜひ皆さんこの2つの本を読んでもらって
日記の方はそこまでお勧めはできないですけど
草野 みき
なんでですか
宮武 徹郎
いや難しいからっていうところで
ただ読むべきか読むべきじゃないかっていうと
多分読むべきだと思います
やるのであればグループでやったりとか
クサノさんはブッククラブでやるかわかんないですけど
ちょっとこれさすがに興味持たないかもしれないですけど
もうちょっとグループでやって
ディスカッションできる中でやるのがいいかなと思いました
草野 みき
でもなんか結構日本だとニーチェの話とか
ピーター・ティールとか加速主義みたいな話って
宮武 徹郎
2019年とか2020年とか結構本出てたりとか
草野 みき
話題になってたイメージで
なんかそこの部分
この2005年前ぐらいから
またここで宮武さんが取り上げたっていうところで
なんかどういう変化があったのかなとか
どうして今逆に注目してるのかなみたいなのは
ちょっと気になりました
宮武 徹郎
今回話聞いてて
いろいろタイミングがすごいあると思うので
これがより多分個人的に
自分の中で話題になった理由は
でもやっぱり1940年ぐらいに書いた本で
80年前以上の本なんですけど
未だにこの考え
ニーチェで言うともっと前ですけど
草野 みき
ニーチェも元々アメリカの哲学者が好きなんですよね
アメリカの何か好きな人がいて
その人からもインスパイアされてるみたいなのを聞きました
なんかの本で読んだんですよね
宮武 徹郎
結局なんか人間って結構
根本的には似たようなところにもつくんだなっていう
その100年前で書いた本が
未だに適用するって
やっぱすごいなって思いますよね
草野 みき
変わらないんですかね
そういう意味だと
宮武 徹郎
そこまで変わらないんじゃないですかね
草野 みき
面白い
宮武 徹郎
でも変えられると思うから大事だと思うんですよ
草野 みき
確かに
ラルフウォルド・エマソン
宮武 徹郎
エマソン
そうなんだ
あのエマソンはすごい人
彼はすごい人だと思うんで
草野 みき
ちょっとあれですかね
これ年末それの回も聞いてもらえたらって感じで
はい今回も聞いていただきありがとうございました
気になった方はオフトピックJPのフォローお願いします
メンバーシッププログラムオフトピッククラブも
ノートでやってるので
ぜひ気になる方はお願いします
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ビデオポッドキャストやってるので
それも登録お願いします
それではまた次回お会いしましょう
さよなら
宮武 徹郎
さよなら
01:19:11

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