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#3 アドラー心理学は宗教なのか?宗教・占いと心理学を分かつ2つの違い
2026-04-11 14:30

#3 アドラー心理学は宗教なのか?宗教・占いと心理学を分かつ2つの違い

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アドラー心理学ラジオ、「アドラジ」へようこそ。この番組では、お手軽な自己啓発として消費されがちなアドラー心理学を、哲学、カウンセリング、そして科学の視点から深掘りし、「ホンモノの知性」として語り直していきます。

第3回のテーマは、「アドラーって宗教みたいで怪しい?」という疑問についてです。

「すべては自分次第」「見方を変えれば世界は変わる」……こうしたアドラーの教えに触れたとき、ふと「これって『信じれば救われる』系の占いや宗教と同じじゃないの?」と感じたことはありませんか?

実は、あなたのその「怪しいものセンサー」は極めて正常に作動しています。今回は、東畑開人氏の著書『カウンセリングとは何か』を補助線に、「目に見えない概念で心を救う」という点で親戚関係にある占いや宗教と、アドラー心理学の「決定的な2つの違い」を解き明かします。


【今回のハイライト】

🖐️ 両手にある「覇王線」: 天下取りの手相なのに改札で弾かれる日常(笑)。なぜ私たちは目に見えないものに人生を委ねたくなるのか?

📚 カウンセリングは宗教の親戚!?: 神の怒りから「無意識」や「ライフスタイル」へ。人類が心をケアしてきた歴史のメカニズム。

✍️ 違い① 物語の主人公は誰か: 運命に脚本を「与えられる」占いと、自ら脚本を「取り戻す」アドラー。ペルグリーノ博士の公開カウンセリングで気づいた真実。

🚪 違い② フィクションは開かれているか: 外部の声を遮断するカルトのエコーチェンバーと、他者との対話でOSをアップデートし続けるアドラーの思想。

アドラー心理学は、あなたに「絶対の正解」や「運命の免罪符」を与えてはくれません。その代わり、自分の物語を自分の手で書き直す「人生の主導権」を、もう一度あなたの手に握らせてくれます。アドラー心理学で理不尽な世界をタフに生き抜くためのヒントを、ぜひ音声で体感してみてください。


■ パーソナリティ:あつくてゆるい(あつゆる)アドラーを実践して10年以上。教育現場に身を置きつつ、アカデミックな哲学研究とカウンセリングの修行を重ねてきました。

✨ 番組のフォローとシェアをよろしくお願いします。皆さんのご感想が、私の「覇王線」を現実にする一番の勇気づけになります!

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アドラー心理学ラジオ。この番組では、お手軽な自己啓発として消費されがちなアドラー心理学を、
哲学、カウンセリング、そして科学の視点から深掘りし、本物の知性として語り直していきます。
さて、3回目の配信です。前回はアドラー心理学の大前提となるノリ、虚構主義、フィクショナリズムについてお話ししました。
アドラーの言葉は、科学的な真理として拝むのではなく、自分の人生を動かすための便利な嘘として使いこなす。
それが、アドラーと上手に付き合うためのお作法だ、という話でした。
でも、ここで鋭い人はこう思うはずです。
役に立つなら嘘でもいいって。
それ、信じれば救われる系の宗教や占いと一体何が違うの?
実はこのアドラーって宗教みたいで怪しいという直感、めちゃくちゃ的を得ているんです。
というわけで今日は、皆さんが抱くこのスリリングな問い、アドラーは結局宗教や占いと同じなのか、という疑問に真正面から答えていきます。
皆さんは占いって好きですか?
私は普段あまり見ないんですが、実は手相がめちゃくちゃ良くてですね。
プロに見てもらったわけじゃないんですけど、自分で見る限り右手がマスカケ戦という徳川家康と同じ天下取りの手相。
で、左が覇王戦。これ、運命戦、太陽戦、財運戦という3本の線が一点で交わる数千人に1人、あるいは1万人に1人しかいないという億万長者確定の最強の手相らしいんです。
両手に天下取りと覇王ですよ。
うわ、これ絶対凄いことになるぞって、たまに自分の手のひらを見てニヤニヤしているんですけど、悲しいから今のところ全然目が出ておりません。
天下を取るどころか、毎日ヒーヒー言いながら働いておりまして、駅の改札でモバイルスイカがしょっちゅう反応せず、締め出される有様です。
後ろの人に舌打ちされ、「すいません、すいません。」とへこへこ謝る。覇王のはずが改札ひとつまともに通れない。
いや、おかしいなあ、手相は最強なのになあ、っていつも思っています。
なぜ私たちは手相や占いみたいな、エビデンスのなさそうな、ある種うさんくさいものについ自分の人生を委ねたくなってしまうのか。
実はこれ、戸畑海斗さんのカウンセリングとは何かという本に明快な答えが書いてあったんです。
戸畑さんはつまり、宗教や占いはカウンセリングの親戚だと言っています。
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大昔人間は原因のわからない不幸や悩みにぶつかったとき、「これは神様の怒りだ。」とか、「悪霊の仕業だ。」と意味付けて、お祈りや悪魔払いで心のケアをしてきました。
それが近代になって、フロイトやアドラーといった心理学者が登場します。
彼らは悩みの原因を外側にいる神様や悪霊のせいにするのをやめて、自分の内側にある心の問題として扱うようにしたんです。
目に見えない概念を使って人間の悩みを解決するというメカニズムは占いも宗教も心理学も実は根っこでつながっているわけですね。
だからこそ、皆さんがアドラー心理学の世界に触れたときに、「なんか占いみたいだな。宗教っぽくて怪しいな。」と感じるのは、あなたの怪しいものセンサーが正常に作動している証拠。
え?ということはアドラー心理学って結局占いとか宗教と一緒ってこと?
いえいえ、もちろんそんなことはありません。
ここからが本題です。私が特に重要だと考える占いや宗教とアドラー心理学を分かつ二つの決定的な違いについてお話ししていきます。
アドラーと宗教の違い一つ目、それは物語の主人公が誰かということです。
占いや宗教の世界では物語の主人公は運命や前世あるいは神様といった超越的な存在です。
そこで私たちは自分の人生という映画なのにセリフさえないエキストラとして扱われます。
怪しげな教祖様や占い師が、「あんたのオーラは今ドブのような色をしている。それは落武者の呪いだ!」と勝手に書いた脚本をバシッと叩きつけてくる。
さらには、「でも安心しなさい。この30万円のオーガニッククリスタルを買えば運命は書き換わるから。」と安易な解決策まで向こうから提示してくれる。
これ、言われた側は一瞬すごく楽になるかもしれません。
なぜなら30万円払って、「私は悪くない。運命のせいだ。」という免罪符を買っているようなものだからです。
でもその代償は自分の人生の運転席を他人に開け渡してしまうこと。不自由になる代わりに人生の責任から逃げるという楽を手に入れる。
これ一見すくいのようですが、めちゃくちゃ高くつく買い物だと思いませんか?
一方、アドラーのフィクションは全く逆です。物語の主人公はいつだってあなた自身。
カウンセラは運命を言い当てる預言者ではなく、あなたが自分の物語を書き直すのを隣で支える伴奏者なんです。
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ここで私が思い出すエピソードがあります。もう十数年前、私はアドラー心理学のレジェンドジョセフ・ペルグリーの博士の講座に参加しました。
博士はアドラー心理学の道をとことん極められた方で、親しみを込めてウォーキング・エンカレッジや歩く勇気づけとも呼ばれるすごい先生なんです。
その博士の公開カウンセリングを目の当たりにした時のことを博士がじっくりと話を聞き、ある見たてを伝えると、クライアントははっと目を輝かせて、「その通りです。」と深く納得している。
そんな魔法のような光景を見ながら、当時の私は素直に感動しつつも、心のどこかで冷めた疑問を抱いていました。
これ、賢いある博士が言うから正解になっているだけじゃないの?占い師のお告げと何が違うんだ?
当時の私にはその違いが全くわからなかったんです。
でもその後、学びと実践を繰り返す中で、ある時はっと気づきました。
博士がやっていたのは絶対の正解を与えるお告げなんかじゃなかった。
クライアントが自らの物語を語り直すための呼び水となる言葉を投げていただけだったんです。
博士から提示された言葉を材料にして、自分の人生をどう読み解くか、物語を紡ぐ主役はどこまで行ってもクライアント自身だったんですね。
実はこれ、私が今カウンセリングやライフスタイル診断をやる時も一番大切にしている感覚です。
あなたの答えはこれです、なんて勝手に決めることは絶対にありません。
あなたの人生の脚本、もしかしてこんな風に書かれていませんか?とあくまで仮説として差し出してみる。
すると相手が、ああそこはちょっと違って、こういう感じです、と自ら修正を入れていく。
そうやってその人自身の感覚にピタッとくるまで、二人三脚で言葉を遂行していくんです。
占いや宗教はあなたに物語を与える。
でもアドラーはあなたに物語を取り戻させる。
主導権はどこまでもあなた自身にある。
自分で書いた脚本なら自分の手で書き直せるはずだ。
そう言って、人生のハンドルをもう一度あなたの手に握らせる。
アドラー心理学で扱うのは他人のせいや運命のせいにすることを許さない、極めてタフで自立したフィクションだということ。
これが占いや宗教との一つ目の違いです。
続いて二つ目は閉じたフィクションか開かれたフィクションかという違いです。
カルト宗教のフィクションは、教祖様の言うことだけが絶対の真実だ。
疑う奴は地獄に落ちる、と信者をガチガチに囲い込みます。
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家族がちょっとそのクリスタル高すぎない?と心配してくれても、
あなたの魂のステージが低いからクリスタルが放つ波動を感じられないんです、と外部の声を完全に遮断してしまう。
完全防音のエコーチェンバー、これが閉じたフィクションです。
大使でアドラーは開かれたフィクションを採用します。
理由はシンプル。
第一回でお話した通り、アドラー心理学のそもそものゴールが、ソーシャルインターレスと共同体感覚だからです。
他者に対して自分を開き協力していく。
思想のゴール自体が他者に開かれているのだから、私たちの教えを信じないと救われませんよ、と閉じたアプローチをしていたら完全に矛盾しちゃいますよね。
でもアドラーが開かれている理由はもっとシンプルです。
それは、自分の物語は所詮ただのフィクションだ、と自覚しているからです。
本来、ただの便利な嘘でしかないものを、これこそが絶対の真実だ、と思い込むから、人は他者を排除して閉じてしまう。
でも、自分が信じているものはあくまで一つの仮説に過ぎないとわかっていればどうでしょうか。
自分が絶対に正しいわけじゃない、と知っているからこそ、常に柔軟でいられるんです。
だから、自分と違う価値観にぶつかった時も、相手を敵だ、と排除せずに済む。
ああ、そういう見方もあるのね。私のかけているメガネは、今の現実に合わないから、ちょっとかけかえてみよう。
こんな風に他者との対話を通して、自分の物語をまるでスマホのOSのようにどんどんアップデートしていけるんです。
これが、ライフスタイルという概念にガッツリ関わる話なのですが、それはまた次回以降のお楽しみです。
ただ最後に一つだけ、いくらアドラーを学んでいても、アドラーがこう言っているからこれが絶対の正解だ、と他者の声を遮断し始めたら意味がありません。
お前は課題の分離ができていない、と他者を論破し始めた瞬間、その人はアドラーを絶対の真実として握りしめ、自分の物語をガチガチに閉じてしまっています。
それはもうアドラー教という立派なカルトです。
アドラーの思想はどこまでも他者に対して開かれたものです。
その大前提を忘れず、自分と違う相手を排除せず、泥臭く対話を続けていく。
これから一緒にアドラーを学んでいく上で、ぜひこの他者に開かれたというキーワードを心の片隅に置いておいてくださいね。
占いや宗教もアドラー心理学もフィクションを扱うという意味では同じです。
でも、主導権が自分にあるか他者にあるか、そしてそのフィクションが閉じているか開かれているか、ここが決定的に違うわけです。
12:09
私は決して占いや宗教は全部ダメだと批判したいわけではありません。
占いだって、今日のラッキーカラーは赤か。
よし、今日のクレーム太陽は真っ赤なショーブパンツを履いて乗り切ってやる。
みたいに、自分を励ます便利なフィクションとして、ある種エンタメ的に使うなら全然アリだと思っています。
私も自分の両手にある覇王線と増すかけ線という都合のいいフィクションをがっちり握りしめ、
いつかドカンと大成功するはずだ!とニヤニヤしながら、明日も満員電車に揺られてこようと思います。
そして、このフィクショナリズムはアドラー心理学の枠を超えて、皆さんの日常でもめちゃくちゃ強力な武器になります。
例えば、会社での理不尽な評価、社会人ならこうあるべきという世間の常識、あるいは自分には才能がないという思い込み、
私たちは日々、こういうものを絶対的な事実だと思い込んで、勝手に縛られて苦しんでいます。
でも、そんなもの絶対でもなんでもない。ただの虚構に過ぎません。
どうせ全部が虚構なら、自分を苦しめる物語ではなく、自分を勇気づける最高の物語を選んでいってください。
さて、ここまで2回にわたってアドラー心理学の前提となるフィクショナリズムのノリを共有してきました。
次回からはいよいよアドラー心理学の心臓部、私たちが無意識のうちに選んでいる個人的なフィクション、ライフスタイルの話に突入します。
血股の性格診断よりも遥かに深くて面白い沼へと皆さんをご招待します。
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アドラー心理学ラジオ第3回、お聞きいただきありがとうございました。
お相手は熱くてゆるいでした。
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