アドラー心理学ラジオ。この番組では、お手軽な自己啓発として消費されがちなアドラー心理学を、
哲学、カウンセリング、そして、科学の視点から深掘りし、本物の知性として語り直していきます。
お相手のあつくてゆるいです。 自分とはこういう人間であり、世界とはこういうものである。
それいえ、私はこう生きる。 あなたの人生を動かすエンジン。
アドラーが言うライフスタイルは、このシンプルな三段論法のロジックに整理することができます。 今回はじっくり時間をかけて分析してきた、私自身のバラバラなピースから、
いよいよこの三段論法を組み立てていきます。 長かったライフスタイル診断シリーズの総まとめ。
皆さんも自分にはどんな無意識のマイルール、三段論法があるだろうかと、ご自身に引きつけながら聞いてみてください。
ここまで家族不知、家族の語り、そして早期階層といろんな切り口から私自身の分析をしてきました。
いやー自分で言うのもなんですが、かなりとっちらかっています。 この散乱した分析結果を一体どうやってまとめていくのか。
過去回でもお話ししましたが、アドラー心理学では目に見えないライフスタイルを整理するために、
シンプルな三段論法を使っていきます。 自分はこうであるという自己概念。
他者や世界はこうであるという世界像。 だから私はこうするべきだという自己理想。
これめちゃくちゃ秀逸なフレームワークなんですが、実はこれアドラー本人が作ったわけじゃないんです。
アドラーは、人間中のは分けることのできへん。 一つの全体や。
と言っていますが、ライフスタイルという捉え所のないものを3つの箱にすっぱりと切り分けて、
完璧に説明することなんてできっこありませんよね。 ライフスタイルの三段論法はアドラーの弟子たちが、
せやかで先生、先生めっちゃええこと言うてはるけど、このままやと現場のカウンセリングで使いづらいわ。
なんとか整理しようや。と、後から使いやすくパッケージ化してくれたもの。 先人たちの知恵と汗の結晶ですね。
ただここで大前提としてお伝えしておきたいことがあります。 この三段論法に当てはめるとき、数学の問題みたくたった一つの正解なんてものは存在しません。
ライフスタイルはあくまでナラティブでありフィクション。 要するに素材は全く同じ過去の記憶や出来事でも、切り取り方やスポットライトの当て方次第でいくらでも違う物語を作れちゃうってことなんです。
でもそこはあえて前向きに使えるように切り取り方を変えてみる。
例えば摩擦を恐れないのはより良い関係を目指しているから、でも正義のアクセルを踏みすぎて事故らないようにちゃんとブレーキも持っておこう、って整理できたらどうでしょうか。
言われてちょっと嬉しいですし、明日から自分の安全装置として使えそうな気がしませんか?
これまでお伝えしてきた通り、私たちのライフスタイルは諸刃の剣。どんな行動パターンにも必ず光と影がある。
その前提に立って、あえて光の部分にスポットライトを当ててみる。
これは、「嫌な上司に怒られた。でもラッキー!ハッピー!」みたいな、頭の中お花畑の薄っぺらいポジティブ思考とは違います。
私にはこういう前向きな意図があるんだ、と良さを自覚しつつ、でもこの剣、切れ味が鋭すぎて自分も周りも怪我するから、ちゃんとコントロールしよう、と冷静に扱う。
わざわざ自分に呪いをかけて萎縮するより、そうやって自分の癖を乗りこなす。その方が圧倒的に生きる活力、つまり勇気づけになりますよね。
というわけで、この一貫性、腹落ち、そして使えること、という3つのルールを意識しながら、
実際に私自身のとっちらかった分析の欠片たちを、自己概念、世界像、自己理想という三段論法の箱に整理していきましょう。
では一つ目の枠組み、「私とは?」という自己概念から作っていきます。
当然ですが自己概念はできるだけポジティブに書きたいですよね。
自分自身をわざわざネガティブに定義する必要はありません。
ネガティブ要素は極力次の世界像の箱に引き受けてもらう。そんな方針で進めていきます。
そしてもう一つ、自己概念はダラダラ書かず、一文でスッキリと言い切ること。
自分専用の称号とかキャッチコピーを作るイメージですね。
ちょっと胸を張れるようなしっくりくる言葉を選ぶのがポイントです。
さて私のケースを振り返ってみると、
完璧主義、明るくてよく喋る、死者に構えて疑ってかかる癖、
理不尽な権力の前で固まる無力さ、すぐ喧嘩する戦闘モード、
危険を課題に見積もる慎重さ、自転車、工夫する、そして遊ぶ。
いやーこれまでの分析で実にいろんなパーツが出てきました。
さてこの散らかったピースをこれはどの箱に入れると一番輝くかなぁと、
全体のバランスを見つつ置き場所を選んでいきます。
まず完璧主義とすぐ喧嘩する戦闘モード。
これ普通に考えたら、私は完璧主義な人だとか、
俺様は誇り高き戦闘民族だ、みたいに一つ目の自己概念の箱に入りそうですよね。
でも少しだけ見方を変えてみると、完璧主義って自分は完璧であるべきだという、
自分が目指している姿の話とも言えるし、
戦闘民族の方も舐められないように常に戦うべきだという行動の指針みたいなもの。
つまりこれらは私とは何とかであるという自己概念に無理に入れなくても、
私はこうあるべきだという自己理想の方がしっくりきそうです。
というわけで、この血の気の多いパーツたちは後でポジティブに磨き直して、
自己理想の箱に放り込んでやろうと企んでおきます。
次に、危険を課題に見積もる慎重さ。
これもそのまま自己概念に入れちゃうと、
私はビビリです、っていう情けないレッテルになっちゃいますよね。
だからさっきの作戦通り、世界とは油断ならない危険な場所である、
というそういう認知の癖として、すっと世界像の箱に横流しします。
こうやって箱の仕分けを進めていくと、
自己概念の箱に残るのは、母譲りの社交的で明るいというのと、
父譲りの知性を重視する、
そしてちょっと扱いに困る理不尽な権力の前で固まる無力さ、
この3つになります。
ちなみにこの知性っていうのは、ただお勉強が好きという意味じゃなくて、
社に構えて一回疑ってかかるような面倒くささも含んでいます。
批判的って言葉もしっくりくるんですが、両方を入れると長くなるし、
クレバーとかスマートみたいな言葉はどうかな、みたいな感じで悩んだんですが、
結局えいやと、知的という言葉に押し込むことにします。
というわけで、当初の作戦に従ってポジティブに前振りするなら、
私の自己概念は、明るくて知的な探求者、みたいなキラキラした前向きな称号になります。
でも自分でこれを行為に出していってみた時、嘘くさ!って思ったんです。
だってこれだと、あの理不尽な親父の前でフリーズしていたか弱い少年が、
完全にいなかったことになっちゃうじゃないですか。
マッチングアプリのプロフィール写真か、ファミマの40%増量作戦くらい盛りすぎです。
かといって、理不尽に固まるっていうどう見ても弱点のパーツを、
私はこうあるべきだという自己理想の箱には入れられませんよね。
私の理想の姿は、理不尽の前で固まることです。
って、ゾンビ映画で開始3分で食われるモブキャラでも目指してんのかって話になっちゃいます。
どうでしょうか?
ここにさっき自己概念から横流ししてきた、
理不尽さとか危険とか警戒心みたいなネガティブな要素がすっぽり綺麗に収まりましたよね。
そして大事なのがこれを聞いて、
ああ私ってダメな人間だ、みたいに自分にネガティブなレッテルを貼らないじゃないですか。
ああ私は他人や世界をこういうふうに警戒して捉えがちなんだなと、
自分のかけている眼鏡の偏りとして冷静に受け取ることができる。
自分自身を責める代わりに、自分の物の見方の癖として一歩引いて扱えるようになる。
これがさっきお話したネガティブな要素は世界像に背負ってもらうという作戦の効果なんです。
そして最後3つ目の枠組みが自己理想、だから私はこう生きるべきだという箱です。
テーブルの上にまだ残っているピースは完璧主義、戦闘モード、自分で自転車を漕ぐ。
お気づきかもしれませんが、この自己理想の箱にはアクション、つまり動詞っぽいものを入れていくイメージです。
ただ、これをそのまま自己理想の箱に突っ込んじゃうと、完璧に理論武装して敵を全員論破してねじ伏せるべきだみたいな、
SNSで全方向に噛み付くレスバー最強おじさんみたいになっちゃいます。
そうじゃなくて、なぜ私にこの血の毛の多いピースが必要だったのかということを考えてみると、
それはあの理不尽な父親とか権威に潰されないための私なりの盾と剣だったわけです。
だからこれを理不尽さに負けない実力を身につける、という目標に変換してみます。
先ほど自己概念のところで書いた、理不尽に脆いっていう言葉とか、権威は時に理不尽だという世界像とも辻褄があっていていい感じです。
一応ポジティブには転換していきますが、キラキラしたお花ばてきにする必要はないと私は考えています。
これまで自分自身で厄介な弱点や余計な棘として捉えていたものを無理にいじったり消したりするんじゃなくて、
ああこれは理不尽から自分を守るための武器だったんだなと、すっと自然に捉え直す、
自分に嘘をつかない無理のないリフレーミングをしていくイメージです。
次に自転車のピース。
前回お話したメタファーの通り、自分でハンドルを握って自由に力を発揮する、というメッセージとして採用します。
最後に今回何度も登場した、遊ぶという動詞をもう一度登場させまして、
私は理不尽に負けない実力を身につけ、自由に力を発揮しながら仲間と楽しく遊んでいきたい。