2022-11-13 24:32

#132 輝く人たち 22/11/13

ピリピ-18からの礼拝説教。2022年11月13日録音。新型コロナウイルス感染症拡大が再び訪れ第8波に入ったとも言われています。繰り返し訪れる流行の波に私たちは翻弄されて不安をぬぐえません。しかし、試練の時にその人の本来の姿が現れるといいます。旧約聖書の箴言 にもこのような言葉があります。「もしあなたが苦難の日に気落ちしたら、あなたの力は弱い」。
パウロは同じくローマ社会の中で信仰の試練にあっている神の民ピリピの人々に「神の恵みを疑ったりその不安や不満で他の人に当たりちらすことがないように」と警告し、さらに「神様に信頼して一致を保ちなさい」と教えています。
その上で、「邪悪で暗闇のようなこの世において福音の市民として輝きなさい」と教えています。そのことを踏まえ1.輝く人たち、2.労苦は報われれる、3.共に喜ぶの3つの点から学びましょう。


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それでお読みします。 ピリビジンへの手紙2章14節から18節。
すべてのことを不平を言わずに疑わずに行いなさい。 それはあなた方が非難されるところのない純真なものとなり、
また、まがった邪悪な世代のたたなかにあって、 傷のない神の子供となり、
命の言葉をしっかり握り、彼らの間で世の光として輝くためです。 そうすれば、私は自分の努力したことが無駄ではなく、
労苦したことも無駄でなかったことを、キリストの日に誇ることができます。 たとえ私が、あなた方の信仰の礼拝という生贄に添えられる、
注ぎの捧げ物となっても、私は喜びます。 あなた方すべてとともに喜びます。
同じように、あなた方も喜んでください。 私とともに喜んでください。
以上です。今日はこのところから、 「輝く人たち」と題して、言葉を取り継ぎます。
皆さん、おはようございます。
新型コロナウイルスの感染拡大が、 第8波に再び入ったとも言われております。
繰り返し訪れる流行の波に、私たちは翻弄されたり、不安を拭えない。 いつになったら終わるんだろうかという気持ちになるかと思います。
しかし、よく言われているのは、 試練の時にその人の本来の姿が現れると言われているんですね。
旧約聖書の神言の24章10節にも、このような言葉があります。 ちょっと読んでみましょうか。
「もしあなたが苦難の日に日落ちしたら、あなたの力は弱い。」 ずばりと言われてしまってですね、自分はそうだなと思うかもしれません。
私はその一人です。 そんな中ですが、パウロはこの手紙を書いている今、
福音のために投獄されて、裁判を受けることになっていました。 そしてその時同じくして、
フィリピンの人たちも信仰の試練に遭っていたわけです。 ローマの社会の中になって、信仰を貫くという中で。
実は、かつて、 神の民がエジプトから
脱出して、アラノを彷徨っている時、 その時と今の今日の言葉はイメージが重ねられていると言われているんですね。
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この時イスラエルの民は、奇跡の中を救われたにも関わらず、 アラノの旅の中で食べ物を書き、飲み物がなくなり、喉が渇いた時に何をしたかというと、
モーセに歯向かって、昔の御言葉では呟いて、今は不平を言って、 そしてモーセを石打ちにしようとした。
この神様の奇跡によってエジプトから救われたけれども、 こんなことなら、たらふく食べて、エジプトで腹いっぱい食べて、死んだ方がマシだと。
奴隷の苦難から救われたにも関わらず、このアラノでイスラエルの民はモーセに対して呟き、 神への不信仰を怒呈してしまったわけですね。
そしてモーセはじめ神の恵みに留まろう、神を信頼していこうというものと、争いが起こった。
実はパウロも時を同じくして、ローマ社会の中で試練にあっていたこの時は、 ピリピ教会のクリスチャンが、このイスラエルの民のように不平を言って呟き合わないように、
今日の御言葉で警告しているわけです。 今日の冒頭の2章14節で、こう書いてあります。
全てのことを不平を言わずに、疑わずに行いなさい。 神の恵みを疑ったり、
その中で不満や不安で、他の人に当たり散らすことがないように警告しています。 そして神様に信頼して、神の民として一つになるように。
実はそのことをずっとパウロは、ピリピ人の手紙の中でこれまで教えてきたわけです。
実はこの2章14節以降、今日見るところは、
1章の27節からずっと続いている部分のまとめだとも言われています。 前も言いましたが、福音の市民としてふさわしく生活しなさい。
そのまとめです。 その中でこの2章14節が語られました。
その中には、こういう願蓄があるんですね。 邪悪で暗闇のようなこの世において、福音の市民として輝きなさい。
そう教えているんですね。その福音の市民として、 証人として輝きなさいということを中心に、今日3つの点から学んでいきましょう。
まず、輝く人たちと言うんですね。 パウロはこの
全てのことを不平を言わずに疑わずに行いなさい。 そうやって神の民として一つになりなさいと言いながら、次にこう教えています。
なぜかそれは、あなた方が非難されるところのない純真なものとなり、 また、曲がった邪悪な世代のただ中にあって、傷のない神の子供となり、
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最後だけ一緒に読みましょう。 命の言葉をしっかり握り、彼らの間で世の光として輝くためです。
実は、 今日の箇所にはですね、先週学んだ
救いを達成しなさいということの具体的な内容が書いてあるんです。 その具体的な内容がこのような言葉にまとめられているんですね。
パウロがフィリピンの人々に願っていたこと、それは命の言葉をしっかり握って、 この邪悪な世の中で光として輝いて欲しい、
そういう願いだったんですね。 この
命の言葉、 命の言葉社という出版社ありますけど、それはパウロがよく使っている、おそらく福音の言い換えです。
イエス様を信じて、 皇帝ではなくイエス様を救いの人として信じる、そして救われるという福音をしっかり握って、この信仰の
支援の中で輝きなさいということです。 それはですね、もちろん今を生きる私たちに対するイエス様の願いでもあるわけですね。
有名なこの見事が、マダイの5章14から16節にこのように書いてありますね。
あなた方は世の光です。 山の上にある町は隠れることができません。
また、明かりを灯してマスの下に置いたりはしません。 植材の上に置きます。
そうすれば家にいるすべての人を照らします。
ここからちょっと長いんですが読んでみましょう。 このように、あなた方の光を人々の前で輝かせなさい。
人々があなた方の良い行いを見て、 天におられるあなた方の父をあがめるようになるためです。
これがイエス様の見言葉でした。 このようにイエス様もですね、弟子たちにそして私たちに、この暗い世の中で
輝く光となって、そして周囲を照らす光となるように願っておられる。 そのことをまず覚えておきましょう。
2番目 ロークは報われる。
そんな中でパウロはピリピの人たちにこのような確信を語っているんですね。 続きになりますが、読んでみましょう。
そうすれば私は自分の努力したことが無駄ではなく、 ロークしたことも無駄でなかったことをキリストの火に誇ることができます。
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実はですね、 素晴らしいことにパウロはピリピ教会のクリスチャンが
この逆境にも負けないで、その中で争わないで、まさにここである 避難されるところがない純真なものとなって、世の光として輝く。
そう確信していたんですね。 なぜそう言えるか。実はですね、このちょっと難しいことを言いますけれども、
この 2章16節の言葉、元の言葉でですね、そうすればっていう言葉なんですけど、
難しいこと言うとギリシャ語でホティって言葉なんですね。 英語のザッと。どう捉えるかっていろんな解釈があるんですけど、それは
理由とかですね事実を表す時に使われると。つまり、 そうすればって言うと、あなたがそうしないと
ダメですよって読めるんですけども、これをですね、 そうじゃなくて
なんて言うんでしょうかね。 そうであると。彼の事実の確認として、このそうすればの元となるホティという言葉を捉えることができるわけです。
ちょっと難しいんですけども、もうちょっと優しく言いますとですね、 こういうことなんですね。
タオルはここで、何を言いたいかというと、彼自身がこの世の生涯を終えた時に、 つまり全てが完成する未来でイエス様と再会する時に、
フィリピンの教会の人たちを神様の前で誇ることができるって言ってるんです。 なぜかそれはフィリピンのクリスチャンの人たちが逆境にもめげずに信仰を捨てなかった。
アラノのイスラエルの民のようにつぶやいて滅び滅ぶことがなかった。 そうやって、神様の前であるところでは自分の冠のように、
自分を通して救われ、育った人をイエスの前に誇ることができると言ってるんですね。 あの人を自分のお子さんとか生徒さんに教えた人ならわかると思うんですけど、
なんで言ったのにできないのとかってがっかりしますけれども、 パウルはそうじゃなくて、フィリピンのクリスチャンの人たちが教えた通りしっかり
信仰を守ることができて、それをイエス様と再会の日に誇ることができると、そう確信しているということですね。
ここで語っているわけなんです。 フィリピンのクリスチャンが逆境に負けずに信仰を全くできるということが、この御言葉の前提になっているんですね。
それは私たちへの期待と信頼にもつながるんです。 なぜそのように私たちは、まあパウロは今生きていませんけど、パウロや神様からそのような信頼を得ることができているか。
その確証が実はですね、 神様ご自身にあるからなんですね。
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このフィリピンの手紙でいくつか出てくる名言のうちの一つ、二つ、先週と同じ掛けておきました。
あなた方の間で良い働きを始められた方、神様は、キリストイエスの日が来るまでにそれを完成させてくださると、私は確信しています。
1章6節ですね。 2章13節、先週見た言葉ですね。これを読んでみましょう。
神は御心のままに、あなた方のうちに働いて、志を立てさせ、事を行わせてくださる方です。
先週言いました。 神様がフィリピンの人たち、私たちの心、あるいは教会の中に、
精霊によって働くから、私たち 喜んで神の御心を行いたいという意志が与えられる。
それは私たちも、そのために前進しますけれども、同時に精霊が私たちの中に働いてくださるという、そういう確証があるわけです。
このように、老くは報われる、その根拠、私たちが主の証人として輝くというその確信、それは神御自身の確かさにあるということが、
2番目の大事な点です。最後ですね、 共に喜ぶ
パウロは今日の歌唱を締めくるにあたって、このように言っています。 2章17、18
たとえ私が、あなた方の信仰の礼拝という生贄に添えられる、注ぎの捧げ物となっても、私は喜びます。
ここから読んでみましょう。3、あなた方すべてと共に喜びます。 同じように、あなた方も喜んでください。
私と共に喜んでください。 ピリピリとの手紙はですね、信仰の奥義が書かれていると言われているんですが、その中のいくつかの特徴のうちの一つが、
喜びの手紙と言われているんです。喜びという言葉がたくさん出てくる。 繰り返しになりますが、逆境の中でも喜べる、喜びなさいという、そういう希望が語られた手紙です。
実はこの17節の前半、 礼拝という生贄とかですね、注ぎの捧げ物というのは、旧約聖書の神殿の捧げ物のイメージなんです。
これをですね、いろんな学者が議論して、何を言ってるかというと、もしかしたらパウロは自分が死刑になることを覚悟してたんじゃないかという人もいますし、
いや、そうじゃなくて、今受けている盗獄されていて、裁判にあっている。そのこと自体が試練であって、それが苦しみの捧げ物だと捉えることができるとも言われています。
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何はともあれ、パウロがここで獄中で苦しんでいること、それさえも、
あなた方のための喜びの犠牲、神への聖なる犠牲として喜んでいるとパウロは言っています。 しかしここで大事なことはですね、パウロが
苦しみの連帯ということをですね、強調しているんです。ごめんなさい。 ある方、観光人のクリスチャーの方が昔言ってたんですけども、
苦しみは共にになると半分になるって言うんですね。 そのようにですね、パウロは
私は苦しんでいるだけじゃなくて、その前にピリピの皆さん、あなた方は信仰の試練にあっていますね。
その中で争ってはいけませんよって言いながらも、 実はあなた方だけじゃなくて、思い出してください。
私も信仰の苦しみにあっているんですよ。仲間ですよ。そういう連帯を呼びかけているんですね。 そのような
苦しみの連帯、その招きというのは、実は私たちにも開かれているんですね。 私たちはですね、
同じロークを担う仲間がいるときに、私たちに逆境を乗り越える力が与えられます。 毎週やっているガン鉄学外来カフェ、日野浩教先生がよく言うんですね。
マイナスかけるマイナスはプラスだということか。 マイナス、落ち込んだ人がプラスの元気な人と会うと、プラスかけるマイナスはマイナスになってしまって、
かえって落ち込んでしまう。私はあんなに元気になれない。 でも、落ち込んだ人同士がですね、
まあこういう言い方がふさわしいかわかりませんが、同病相憐むじゃないですけど、同じ苦しみを私も経験しています。
経験しましたという、その苦しみが共感になるとですね、そこからプラスが生まれるという、そういう考えです。
そのようにパウロは、 ピリピのクリスチャンに対して、そしておそらく今の私たちに対して、苦しみの連帯を呼びかけています。
有名なパウロのこんな見言葉もありますね。
引用しつつと忘れましたけどもですね。 第一コリントの10章13節、皆さんのこのレジュメにあると思いますけれども、
こう書いてありますね。2ページの真ん中のあたり。第一コリント10章13節。
あなた方が経験した試練は皆、人の知らないものではありません。 神は真実な方です。あなた方を耐えられない試練に合わせることはなさいません。
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むしろ、耐えられるように試練とともに、脱出の道も備えていてくださいます。
この、 とても有名な見言葉ですね。いろんなところに共感するかと思いますが、今日はですね、この前半の部分、前半。
あなた方が経験した試練は皆、人の知らないものではありません。 私も知っていますよ。多くの兄弟姉妹も知っていますよ。という、そういう連帯がある。
実は、 試練の種類こそ違いますが、教会には共に福音のために労苦する仲間が集っているわけですね。
しかし、それで苦しい、辛いで終わりではない。 今まで皆様にもお話ししましたように、
パウロはその先にある恵みをも、 私たちに教えているんですね。
それは苦しみはですね、イエス様の十字架を担う弟子の恵みでさえあるという信仰に基づいています。
このピリピの1章の29節。 このようにパウロは
励ましていますね。前にありますが、読めるかと読んでみましょう。
あなた方がキリストのために受けた恵みは、キリストを信じることだけでなく、 キリストのために苦しむことでもあるのです。
ピリピ1の29。 苦しみはイエス様の十字架に預かる恵みですよ。弟子の道ですよ。ということですね。
しかし、それで終わりではなくて、その喜びをも共有するべく、 ピリピの人々や私たちをパウロは招いています。
先ほど読んだ二言葉。あなた方すべてと共に喜びます。 同じようにあなた方も喜んでください。
私と共に喜んでください。 先ほど苦しみは
二人で分けると倍になると言いましたが、喜びはですね、 二人で分けると、一緒に分けると、それも
苦しみは分けると半分になりますが、喜びは分けると倍になると、そういう続きがあるんですね。
そのようにパウロは、今の苦しみの中、 私は喜んでいますが、あなた方も共に喜んでくださいと
ピリピの人々、私たちを招いていたんです。 なぜそう言えるか、いろんな理由がありましたが、ずっとパウロがこの中で語ってきている
その先に栄光のゴールがあることを彼は知っていたからです。 その先に栄光のゴールがあるとなると、苦しみに耐え抜くことができますね。
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先週日曜日、大学駅伝がありました。 また来週の日曜からサッカーのワールドカップが始まります。
その先に勝利の栄光があると思うと、苦しみを乗り越えて前進していけるわけです。
パウロは、私たちがこの世の終わりにイエス様と共に、このイエス様に姿に変えられるという栄光のゴールがあることを知って、
その幸いを私たちにもこの手紙の中で教えています。 その栄光のゴールを見据えつつ、今も喜びを失わないように、苦しみの中で一緒に信頼して、
この信頼する中でイエス様の救いを体験する時に、実は私たちは今度はイエス様の救いを体現するような光として輝いていく。
そのようなものとされていくんです。 そしてそれらのすべては、
私たちをキリストの証人として、キリストの教会としていく、そのすべての源は、 精霊によって神様がなしてくださる、その根技であるということを、
もう一度心に留めておきましょう。 ワールドカップはこの手紙の最後にその秘訣を語っていますが、今日ちょっと先にそれを紹介してしまいます。
4章の12節13節でパウルがこう述べています。 私は貧しくあることも知っており、富むことも知っています。
満ち足りることにも、飢えることにも、 富むことにも、乏しいことにも、
ありとあらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。 最後読みましょう。
私を強くしてくださる方によって、私はどんなことでもできるのです。
パウロと共にですね、神様に頼りながら、先の見えない日々、あるいは苦しみの中、 神を信頼し、イエスさんを信頼し、主にあって輝くお互いであり、
教会でありたいと思います。お祈りしましょう。 天の神様、
皆を賛美いたします。 パウロがピリフィの人々に対して、
暗闇の中で世の光として輝く、そのことを勧めていました。 私たちもイエス様にあって、世の光として輝く、
灯しみとなるべく召されていることを感謝いたします。 どうぞ私たちにそれをする力がございません。
あなたが与えてくださったご精霊によって、私たちを生かし強め、 あなたの証人として、あなたの救いを体験し、
あなたの救いを体現するそれぞれであり、 教会でありますよう、どうか導いてください。
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この願いと感謝を、私たちの救い主、 主イエス様のお名前によってお祈りします。
アーメン それではしばらく1分ほど
主の御言葉に応えて祈る時間を持ちましょう。
24:32

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