2020-09-20 26:37

#24 20/9/23 三つの祈り

コロサイ-12 からの礼拝メッセージ。2020年9月20日録音。パウロの3つの祈りから学びましょう。
00:05
コロサエビトの手紙、1章10節から12節、新開薬聖書2017年の版でお読みします。
それでは読みします。
また、主にふさわしくはゆみ、あらゆる点で主に喜ばれ、あらゆる良い技のうちに身を結び、
神を知ることにおいて成長しますように。
神の栄光の支配により、あらゆる力をもって強くされ、どんなことにも忍耐し、寛容でいられますように。
また、光の中にある生徒の相続分に預かる資格を、あなた方に与えてくださった御父に、喜びをもって感謝を捧げることができますように。
以上です。
今日はこのところから三つの祈りと題して御言葉を取り継ぎます。
後でまた一節ずつ、今日は取り上げながら、読みながら説教しますので、その時に御言葉を見ていきましょう。
おはようございます。
今日は三つの祈りと題して御言葉を取り継ぎます。
先週、日本にとってですが大きなことが起こりましたね。
16日水曜日に新しい総理大臣が誕生しました。
こちらに書きましたが、昨日こんな線流が新聞に載っていました。
これ読めますか?
菅総理復活したと勘違い。
菅という名前と菅という名前がややこしいので、こういう菅総理復活したと勘違いというね。
昔の民主党の菅総理大臣が復活したんじゃないかという、そんな誤解が生じるような名前だという、こんな線流でした。
そして昨日からですね、ホラー野球とJリーグの観客動員数の制限が解除されました。
これを見ますとですね、GoToトラベルキャンペーンも東京の行き来の解除が間もなく起こるんじゃないかということで、
感染者数が日本での世界に落ち着かないですけれども、だんだんと世の中が動いています。
よく揶揄する人はブレーキとアクセルと両方踏んでいるという、そんな風に言われていますね。
そんな中で様々な見識を持つ人がいろんなことを言って、いろいろな意見が巷に溢れていて、私たちは誰の声を聞くべきか迷うことがあるかもしれません。
03:02
こういう多くの情報がある混乱しているということは、時こそ場所こそ違い、また時代こそ違いますが、このコロサイ教会にも当てはまることです。
実は当時はですね、今よりも宗教がずっと高んで生活の中に根絶していました。
それよりもまた大きな影響力があったんですね。
そして例えばその中で、この手紙の背景にありますが、神秘主義とかギリシャ哲学とか、旧約聖者の立法主義、いわゆる戒律主義、そういうものがブレンドした宗教や思想の影響をコロサイ教会の人たちもたくさん受けていて、動揺していたんです。
こうすればもっと立派な信者になれるとか、こうすればもっと高い地位の信仰が持てるとかですね、そういうことが言われていたようです。
そしてパウロはその教会に対して大正の手紙としてコロサイ教の手紙を書きました。
クリスチャンとしてどう生きるべきなのか、神の御心は何なのか、その指針をパウロはこの手紙の中で教えています。
先週、一つの祈り、9節の祈りを学びましたね。
神様の御心を知って、支援をもって生きることができますように、その祈りを学んだんですが、今日はその続き、
10節、11節、12節の一つずつの祈りを取り上げて学びます。
そしてその一つ一つの祈りというのは、私たちが日々クリスチャンとして歩んでいく中で必要な要素を含んでいます。
その中で10節、11節、12節を取り上げながら、3つの点を祈りとともに学んでいきましょう。
まず最初にですね、1番目、主にふさわしく歩めますように、との祈りです。
前に10節を掲示しました。どうぞこちらを見てください。
10節、こう書いてありましたね。
また、主にふさわしく歩み、あらゆる点で主に喜ばれ、あらゆる良い技のうちに身を結び、神を知ることにおいて成長しますように。
実はですね、これは植物の種のようなもので、この中にいっぱい成長する要素が含まれています。
もうちょっと説明しますと、実はこの祈りというのは、主にふさわしく歩めますようにというのが、難しく言うと主導詞、主な祈りなんです。
そしてその後は、いわゆる就職後です。
主にふさわしく歩むために、あるいは主にふさわしく歩むとはすなわち、あらゆる点で主に喜ばれますようにということです。
あらゆる点で主に喜ばれますように。
そしてあらゆる良い技のうちに身を結びますように。
神を知ることにおいて成長しますようにと、この3つの内容が実は主にふさわしく歩むということにつながっているんですね。
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実は、この神を知ることにおいて成長しますようにというのは、先週学んだ9説の神の御子の知恵と関係していますから、
9説の御言葉や先週の説教を復習してみてください。
さておきまして、実はこの一つ一つの言葉がすごく大切なんです。
主にふさわしく歩むとは何ぞや、主に喜ばれるとは何ぞや、良い技のうちに身を結ぶとは何だ、神を知ることとは何だ、
一つ一つが実は私たちがクリスチャン生活を送る上で、とても大切で深いことです。
そしてこれは実は、この10説だけでも今日の説教を終えることができますし、
何回でも説教できるくらいの大切なことが含まれていますので、ここを捉えてください。
10説の内容は私たちに与えられた宿題、生涯かけて私たちが知っていく、実践していくべき宿題のような、
そういうことがいっぱい詰まっている、そういうふうに考えてください。
その上で今は、主な動詞、主にふさわしく歩むということを重点的に学びます。
実は、この主にふさわしく歩む、これら全部に関連することについて、ある学者はこうまとめているんですね。
それは、日常生活の中で良い業を行って、神様の素晴らしさを周りに明かしするということです。
そしてそれを表すイエス様の言葉も紹介されています。
ここに引用しました。有名な言葉、知ってますか、皆さん。
マダイの5の13から13と15、読んでいますね。
あなた方は世界の光です。山の上にある町は隠れることができません。
このように、あなた方の光を人々の前で輝かせ、人々があなた方の良い行いを見て、
天におられるあなた方の父をあがめるようにしなさい。
これが、この10節の言葉をまとめたことだと言われています。
また、この逆説的な言葉から真理を表しているとして、こういう言葉も紹介されています。
第一ペトローの2の15節、2章15節。
善を行って愚かな人々の無知の口を封じることは、神の御心だからです。
終わります。
このように、私たちがイエス様を信じる主の弟子、クリスチャンであるならば、
その生き方というのは、この社会において良い生き方をすることによって輝く、
09:04
そして私たちの存在を通して、イエス様の素晴らしさを世に知らしめることなんだと言われているんですね。
実はこれが、死を喜ばせる、身を結ぶ、主にふたわしく歩むということなんですね。
どうですか、皆さんは職場において、家庭において、学校において、主の明かし人として輝いているでしょうか。
実はそれができないから、後の言葉に続きますけれども、
そう生きることができるように、自らのために祈ってみましょう。
主の明かし人として光り輝くことができるようにと、
自分のためにまた、自分の家族や友人のために、教会の兄弟姉妹のために取り成していきましょう。
このような、主の栄光をあらわす輝かしい生き方というのは、私たちには自分の力ではできません、実は。
ですから、さらなる祈りへとパワーは続いていくんです。
それが十一節です。
二番目になりますけれども、十一節の御言葉を読んでみましょう。
神の栄光の支配により、あらゆる力をもって強くされ、
どんなことにも忍耐し、寛容でいられますように。
二番目のポイントはですね、あらゆる力によって強くされますように、ということです。
さっきの十節、前の節と同じように、ここでもですね、主なる祈りの願いはこの文です。
あらゆる力をもってあなた方が強くされますように、そう祈っているとパワーは言っているんですね。
どういう方法かというと、その力の源は、神の栄光の支配の力だ。
その結果、何ができるかというと、あなた方が何においても忍耐して、寛容でいることができるようになるためだとパワーは言っている。
ここの主たる祈り、力をもって強くされますようにという祈り、それが私たちに必要だということです。
実はですね、この十一節の御言葉の特徴は、力、パワーという言葉が散りばめられていることです。
これはあらゆる力、すべての神様の力によってあなた方が強くされるとかですね。
その力はどんな力かというと、さっきも言いましたが、神の栄光の支配する輝かしい力だと。
その力がここで御言葉ではみなぎっているわけです。
繰り返しになりますけれども、私たちはその神様の力によって強められてこそ、
12:06
血の光を輝かして歩む証人として生きることができるんだ、私たちは本当に強くされるんだという意味なんですね。
神様の力によって強められてこそ、私たちは主にふさわしく歩むことができるんだということにもつながります。
そしてその神の力によって強められてこそ、私たちにはこの世を生き抜き、神の立候補を行うべく忍耐強さが与えられるんだというのです。
そしてそのイエス様の力というのはですね、まさにイエス様の復活によってこの世に明かしされた私たちに明らかになった。
そしてそのイエス様の復活の力は信じる、その復活の力にすがる私たちにこそ働くとパウラは言っています。
このコロサユビトの手紙の、双子の手紙というエペソビトの手紙でパウラはこのように述べています。
前に掲示しましたが、エペソ1章19節。
また、神の全能の力の働きによって、私たち信じる者に働く神の優れた力がどのように偉大なものであるかを、あなた方が知ることができますように。
ここでもパウラが祈っています。
どうでしょう、私たちは、皆さんは、神様のその全能の力が自分に働くということを経験したことはあるでしょうか。
その力を経験するために、私たちはその神に力を求めて祈る必要があるし、
その神の力を体験できるように、家族や兄弟姉妹のために、やはりパウラのように祈る必要があるわけですね。
そのイエス様の復活の力を、神の全能の力を体験できますようにという祈り。
何度も言いますが、自分はそのような光を放つことができないと思いますか。
自分の力の弱さ、限界を感じますか。
そのことを心配する必要はないんですね。
パウラ自身も、自分は本当は弱いんだと、聖書の中で告白しています。
そして、パウラはですね、自分自身や、私たちの中の弱さの中でこそ働く神様の全能の力について、こう述べています。
こちらですね、子輪と人の手紙第2の12章9節10節、何度も紹介していますから皆さんも知っているかと思いますが、この言葉です。
主は、私の恵みはあなたに十分である。
15:03
というのは、私の力は弱さのうちに完全に現れるからであると言われたのです。
ですから私は、キリストの力は私を覆うために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。
私が弱い時にこそ、私は強いからです。
私がですね、学生時代から勤っていたデリマバブテスト教会という教会。
そこの私がバブテストを授けてもらったイズテ・アキラという先生がいたんですね。
その方は、老人訪問をたくさん立て上げた人です。
埼玉県に、東京都に、そして茨城県に、数え切れない、いくつぐらいあったと思います。
行政を動かして、政治家を動かして、銀行を動かして、そして多くの人を雇用して、
そして多くの老人がそこに入る、その中で洗礼を受けるような施設を作った人です。
でもその先生がよくですね、説教の中でこの聖書の言葉を引用しているんですね。
私は本当は弱い人間です。
パウロのように神様の力が働くからこそ、この働きをさせてもらっているんです、
とおっしゃっていたのを、今でも忘れることができません。
私もそんな先生から学びましたから、この御言葉が一つの座右の銘にもなっていますが、
この聖書の言葉の素晴らしさはですね、イエス様がパウロにこう言ったってんです。
私の全能の力は、イエス様の全能の力は、パウロの弱さのうちにこそ完全に現れる。
英語の聖書ではですね、
My power is made perfect in weakness.
ティリシャ語のちょっと訳に近いんですけども、どういうことか。
イエス様の全能の力は、パウロの私たちの弱さの中でこそ完成するんだって言うんです。
別の言い方をすると、私たちの弱さがあってこそ、イエス様の力が完成するんだって言うんです。
当たり前ですよね。自分が何でもできると思ったら神様なんかいらないわけですよね。
全部自分の手柄になるわけです。
私たちの弱さがあるからこそそこで、弱さがあってこそそこに、イエス様の力が完成する場所があるんだってことですね。
近年日本で災害が多いですね。
このように災害救助のヘリコプターが人を救う場面がよく出てきます。
ヘリコプターがよくなかなか見つかりませんでしたけど、
隊員の頭についているカメラで撮影している映像を見たことありますか?
18:02
そしてそれでずっと現場までヘリコプターが飛んでいって、
そして眼下の被災地を見て、そこで救助する人を見つけるわけですね。
そしてそれを見つけると共に、救助隊員がこのロープを使って、
助けるべき人の元に降りていって、そしてその人々を救出するというんですね。
イエス様もこのヘリコプターの隊員のように、もし空を回っているならば、
精霊が動き回っているならば、私の力が働くところはどこなのかと言って探しているわけです。
そして私たちの中に弱さがあると、そこだと言ってそこを見つけて、
この精霊が下ってくる、イエス様が私たちの中に下ってくるわけですね。
ですから私はこの言葉を知っていましたけど、
弱さの中に弱さがあってこそ、イエス様の力が完成する場があるんだということが分かってから、
なおさらこの御言葉が励ましになりました。
ですから皆さん、自分の弱さ、それはイエス様が探して、精霊が探して、
そこに急降下して力を発揮するんだという場所だと認識してください。
レスキュー隊員は救助するような人がいないと仕事がないんです。
イエス様の力も精霊の力も私たちの弱さがないと働く場所がないんですね、ある意味。
ですから私たちがこの自分の弱さを覚えるときに、
この世に祈ること、いいかもしれません、と書いていました。
イエス様、私は弱いものです。どうぞ、この私の弱さの中であなたの力を完成させてください。
あなたの全能の力によって私を強めてください。
あるいはこれはですね、誰か取り成すべき人の名前を入れてもいいかもしれません。
どうぞ、その誰それの弱さの中にあなたの力を完成させてください、と。
このように自らの弱さの中で、兄弟姉妹の弱さを覚えて私たちは祈ることができるわけです。
そしてそのときにまたに精霊の力が私たちのうちに、私たちを通して働くという。
そしてパーラはその力を経験できるように取り成しているというわけです。
最後の点ですね、3番目。
喜びをもって感謝を捧げることができますようにとの祈りです。
この1章12節、こちらに掲げました。
パーラはこの上で今、また光の中にある生徒の相続群に預かる資格を
あなた方に与えてくださった道に喜びをもって感謝を捧げることができますように。
さっきの2つのセークと同じようにここもですね、大事な言葉は
21:04
あなた方が喜びをもって父なる神様に感謝を捧げることができますようにという。
それが主なる動詞です。
喜びをもって感謝を捧げることができますように。
実は喜びをもって父なる神に感謝を捧げること、それが神の御心でもあるわけです。
私たちが知るべき神の御心は何か、それはこちらに御言葉にありますけど、
光の中にある生徒の相続群に預かる資格が与えられているというその幸いです。
これはですね、生徒というのは前も言いましたけど、旧約聖書から続く神の民のことです。
私たちは違法人ですけども、旧約聖書から続く神の民の素晴らしい相続財産を与えられました、
その資格を神様がイエス様によって与えてくださった、その素晴らしさを喜びをもって知ることができます。
その素晴らしさを知って喜んで神に感謝できるようにと祈っています。
あの、関運何でも官邸団というテレビ番組知ってます?石崎王子さんが。
あれいつからやってるか知ってますか?
今日調べてびっくりしたんですけど、1994年からやってるんです。
長男が93年生まれですから、26年。長寿番組ですね。
なぜ面白いかというと、ガラクタのようなと思ってたものが高額になるわけですよね。
よく出てくる人の中で、おじいちゃんからお父さんからもらったものです。
こんな絵僕でも描けますよ、こんな器私でも作れますよって言ったのが1000万とか2000万とかするわけです。
その時の驚きと喜びが番組の一つの魅力ですし、
見てる私たちもそのような喜びや驚きを共有できるから番組が続いているのかもしれませんね。
実は私たちが神の相続財産の素晴らしさを知るというのは、そのような再発見の恵み。
新しい財産を知るという恵みです。
今日は詳しく述べませんが、実はどんな相続財産を私たちは神からいただいているのか、
それを詳しく書いているのがこの殺さえ人の手紙なんですね。
そしてパーラはその筆を進めていきます。
そしてそれを知ることができるように、喜んで感謝を捧げることができるようにパーラは祈っているわけです。
今日3つの点でお話ししましたけれども、イエス様を信じ続けて生きる生き方、
この世で主の光を輝かせる生き方というのは簡単ではないかもしれません。
忍耐を必要とするでしょうし、またパーラのように反対にあうかもしれません。
24:03
イエス様はご自分の命を十字架に捧げましたが、私たちはイエス様のように自分に死ななきゃいけない。
そういう経験をすることもしばしあるかもしれません。
しかし、その中で私たちは弱さの中で働く神の力や精霊の力を素晴らしさを知ることができるわけです。
そして私たちはまだ知るところを知らない神様から預かっている素晴らしい相続財産を知ることができるとパーラは言います。
そして神に喜んで感謝を捧げることができるようにとパーラは祈っています。
その期待、喜びを知る期待、神に喜んで感謝をすることができるというそのようなことを期待しながらですね、
これからこの手紙を続けてお互い学んでいきたいと思います。
お祈りしましょう。
天の神様、皆を賛美いたします。
パウロの働きの中心は福音の宣教であり、また教会のための祈りでもありました。
私たちはパウロの祈りから今日も学ぶことができたことを感謝いたします。
どうぞこのパウロの祈りを私たちの祈りとし、私たちがあなたからいただいている素晴らしい祝福をさらに豊かに知り体験することができますように。
またそのような豊かさをここに集まれている私たちの教会の兄弟姉妹がさらに豊かに知ることができるようにどうか導いてください。
そして弱い私たちを、限界なる私たちをして、この世においてあなたの光を輝かす証としてお持ちくださいますようお願いいたします。
この願いと感謝を私たちの救い主、主イエス様のお名前によってお祈りします。
アーメン。
しばらくお祈りしましょう。
今日学んだパウロの三つの祈りから皆さんが感じるところがありましたらどうか一緒にお答えして祈りを捧げてください。
定期の祈りはありませんけれども、自らを捧げる祈り、また自由に導かれるまましばらくお祈りしましょう。
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