2023-02-12 27:31

#心配の対処法 23/2/12

ピリピ4:6-7からの礼拝説教。2023年2月12日録音。先週はトルコ・シリアの大地震、日本では日銀総裁後任人事の発表がありました。また教会のある新座市では10日の朝から雪になり、前日から通勤通学の影響などを考え心配した人もいたでしょう。これらの他に自分自身や家族に関わる悩みもあるかもしれません。

先週見た箇所の「どんな時にも喜び」、「どんな人にも寛容を示す」という教えに続き今日は、「どんな場合でもどんなことについても祈りなさい」とパウロは教えています。この有名な教えから「心配や悩みの対処法」として1.思い煩わずらわずに、願いを神に知って頂く、2.思い煩わずに感謝する、3.人知をはるかに超えた神の平安が守って下さる、の3つの点から学びましょう。

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00:04
新海約聖書2017年版でお読みします。 ピリピジンへの手紙4章6節7節をお読みします。
ちょっと待ってください。 失礼しました。それでは、新海約聖書2017年版でお読みします。
ピリピジンへの手紙4章6節7節。
何も思い煩わないで、あらゆる場合に感謝をもって捧げる祈りと願いによって、あなた方の願い事を神に知っていただきなさい。
そうすれば、すべての理解を超えた神の平安が、あなた方の心と思いをキリストイエスにあって守ってくれます。
以上です。 今日はこのところから心配の対処法と題して見言葉を取り継ぎます。
皆様、おはようございます。 2月の第2日曜日です。
先週は、トルコとシリアで大きな地震が起こって、東日本大震災以来の2万人を超える死者が出ているという、本当に悲惨な出来事がありました。
あるいは、日本では、人によって関心が違いますが、日銀の総裁が変わって名前が出てきたということで、これから日本の経済がどうなるんだろうかなと思ったかもしれません。
あるいは、新座市など、埼玉県では、雪がこの金曜日に降って積もりました。
皆さん、車を運転されるか分かりませんけれども、自転車で歩いている方が転んでいるのを見たりとか、
私も仕事で車で1日運転しまして、何とかチェーンやスタッドレスなしで動けましたけど、すごく不安になりました。
前の晩から、明日雪になるんだろうかということで、いろいろな準備をしたりして、心が騒いだこともあるかと思います。
このような、私たちが及ばない世界の情勢とか、日本の経済事情、そして天候、また、私たち一人一人が家族や健康など、いろいろな心配事があるかと思います。
そんな中で、今日、パウロの有名な見言葉から学んでいきたいと思います。
実はですね、先週からの続きの言葉で、英語のallというですね、カンタというのはギリシャ語で、すべてという言葉がずっと連なっているんですけども、
先週は、どんな時にも喜びなさいという命令、そしてどんな人にも寛容を示しなさいという教えで、そして今日は、どんな場合でも、どんなことでも祈りなさいという、
そういう鍵の言葉ですけども、そこから3つの点を学んでいきたいと思います。
03:03
まず最初は、「思い煩わずに願いを神に知っていただく。」
願いを神に知っていただくということですね。この見言葉、4章6節読める方はちょっと長いですが、読んでみましょう。
何も思い煩わないで、あらゆる場合に感謝をもって捧げる祈りと願いによって、あなた方の願い事を神に知っていただきなさい。
これ、元の言葉で読むともっと強いんです、インパクト。まず一番最初に、「思い煩わずに願いを神に知っていただく。」と言っているんです。
そして、「祈りと願いによって、あなた方の願いを神に知ってもらいなさい。」という、主に2つの命令が進められています。
思い煩ってはいけません。その代わりに、神に知っていただきなさいという、そういう命令です。
実は、この思い煩わずに祈りなさい、願い事を神に知らせなさいという、この神様パウロの教えですけれども、
この心配事の対処法として、祈ることを教えていると考えられるかと思います。
実は、この6節には、祈りに関する似た言葉、同義語、類義語は3つ繰り返されているんです。
祈りと願い、そして願い事という3つの言葉。ほぼ変わりないと言うんですけれども、ある程度厳密に言うと、
願いというのは、祈りの中でも人の必要、いわゆるニーズですね。そのことに重点が置かれている。
そして、神に知ってもらいなさいの願い事は、自分の願いを正確に神様に伝えることで、祈りの具体的な内容を指すと言われているんですね。
ここでですね、私たちよく、特に私よく言うんですけど、日本人の方とか、私の業界に来ている方は真面目なんでですね、
こんなことを祈っていいんだろうか、って思うかもしれません。
でもですね、ここであらゆる場合に、パウロが言っているように、私たちの祈りや願いに制限がないということなんですね。
こんなことを祈っていいのかなっていう、そういう心配はない、後でも触れますけども、そのことを覚えておいてください。
そして、その中でもですね、パウロは、思い患う代わりに、どんな場合でも自分の必要だと思うことは、神様に祈りなさい。
思い患う代わりに、どんな場合でも自分が必要だと思うことを、具体的に神様に祈り求めることを、パウロは教えているわけです。
それがある面、心配の対処法と言えるかもしれません。
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具体的にですね、祈ることは大事なんです。
なぜなら、私も経験しているんですけども、思い患いにとらわれる、心配事が増えてくると、そういうことに頭や考えや心がとらわれて、定まらなくなってくるんですね、特に思いが。
そういう時にですね、具体的に祈ることが大事になってきます。
マルコンの福音書の中にですね、イエス様とバルテレマイという目の見えない物語の物語が出てきます。
10章の46節以下に書いてあります。物語のバルトロマイはですね、バルテレマイは、座って物語をしていた。
そしてイエス様の意向が通りかかるのを知って、ダビデの声を私を哀れんでくださいと、座りながら叫ぶんですね。
するとイエス様はですね、この男を近くに連れてきなさいと言って、道端から自分の元にバルテレマイを連れてこさせます。
そして何て言ったか、私に何をして欲しいんですかって聞くんです。
するとバルテレマイは、見えるようにしてくださいってはっきり言うんです。最初は私を哀れんでください。
でもイエス様に、何をして欲しいのかって言われたら、見えるようにしてくださいとはっきり、いわゆる自分の必要、ニーズを具体的にイエス様に訴えたわけですね。
するとイエス様は、あなたの信仰があなたを救ったと言って、彼の目を開かれたんです。
そういう物語が丸く10章にあります。
同じようにですね、私たちがこの思い患いの中で目が見えなくなるような思いになるかもしれません。
その時は祈りの中で神様に対して、具体的にどうして欲しいのか、何を願っているのか、願い事を明確にして祈ってみてはどうでしょうか。
パウロの教えではそうだと言います。
そしてですね、この明確にして打ち明けていく、こんなことも言えると思うんですけど、願いと求めを具体的に考えるうちに、祈りの中で、考えが整理されてくるんですよね。
そうすると不安が和らうことがあるかもしれません。
とにかく一番最初、私たちの思い患いの対処法として、願いを具体的に祈りの中で神に申し上げるということです。
でも一番もっと大事なことがあって、それが2番目です。
それは思い患わずに感謝するということですね。繰り返しになりますが、もう一回読んでみましょう。4章6節3回。
何も思い患わないで、あらゆる場合に感謝をもって捧げる祈りと願いによって、あなた方の願い事を神に知っていただきなさい。
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このですね、「感謝をもって」という言葉は、非常に珍しい、特徴的な言葉で、パウロの信仰の姿勢を表している。
この、「感謝をもって、感謝と共に」という言葉なんですけれども、それこそ、今までパウロが教えているように困難の中にあるビリビリ教会に、
パウロが求めているこの模範に従うという態度。パウロのように感謝をもって、思い患いの中で祈るということ。
また、先ほどから続けているように、それは心配事の対処法の一つであるとも言えるかもしれません。
よく、「感謝することは大事だ」って、別に教会と関係なくても一般的に言われてますよね。
ただ、ここで特徴的なことは、想像を失る神様に感謝するという。感謝する根拠や対象が、この神様に向いているということが非常に鍵なんですね。
今からもうちょっと感謝することについて、全知全能の神様に感謝することについて、少し深く学んでいきたいと思います。
ある神学者、キリスト教の学者の考えをもとに話を展開するんですけれども、その方が言うには、
神様に感謝することは、クリスチャンとして最も基本的で純粋な信仰の態度ですよ。
まさに基本の基、それは神様への感謝だ、と言うんですね。
なぜなら、神様に感謝するという行為、特に祈りの中で言えると思いますけれども、神様に感謝するという行為は、
神様を創存主と認める行為、そして自分は神様によって養われているということを認めることだからなんですね。
私たちが祈りの中で神様に感謝している時というのは、私たちが意識しているしないとにかかわらず、
この創造主なる神様と被造物である自分という関係を認めていることになるんです。
そして大事なことは、この創造主なる神様に対する感謝の心を持っているなら、
私たちは信仰の道を踏み外すことがないというのです。
先ほどこんなことを祈ってもいいのかという真面目なクリスチャンの方々は不安になるかと思いますけれども、
その感謝の心を持って祈るならば、祈りは間違った方向に行かないとも言われているんですね。
12:07
なぜなら、私たちは感謝の心を持ってこの神様に自分の願いを祈っている時、
その時、私たちは神様、私はあなたに頼っているんですよ。
そしてあなたに信頼しているんですよということを具体的に表しているからなんですね。
言い換えるならば、
さっきから言っていますけれども、創造主なる神様への信頼を表して、
使徒信条にもありましたけれども、神様が創造主である。
そして自分は神に作られた被造物であるということを認めて、
神の前に減り下った態度で出ている。
そのことになりますから、信仰の道を踏み外さないし、祈りも間違わないと言われているんですね。
ところで、この人誰か知っています? 日野原重明先生。
この西流科国際病院の元理事長ですね。100歳超えて亡くなりました。
有名なことですが、彼のお父さんは牧師さんですね。
西工会といって、この近くだったら立教大学も西工会です。
西流科国際病院も、西工会の専教師が作った病院です。
この病院を作ったトイスラーというですね、初代の専教師であり、理事長はですね、
余談ですけど、立教大学の当時の理事にも入っていた。
駅伝で今、騒がれていますが、150周年を迎えるので、立教も今、いろいろ頑張ってますけど、
150年前にですね、西流科国際病院も立教大学もですね、築地の地に誕生した。
それはそれとしまして、この日野原先生のお父さんが、この生前ですね、
親子の糧としていた、ある牧師の本をですね、秘密に訳していたそうです。
そのジオットという使徒の本をですね、日野原先生のお父さん、日野原善介という人が、
密かに訳していて、この日野原善介先生が死んだ後にですね、出版されました。
その日々の祈りの中に、この神様への秘蔵物であるということを告白した、
祈りがですね、書いてあるんですね。ちょっと難しいですが読んでみますね。
我が父よ、父なる神様よ、私のすべての厳選はあなたの内にあります。
この源を忘れるとき、私の魂は固くなりなり、干からびます。
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どうぞいつもこの厳選を忘れないで、絶えずこの命の川から水を汲ませてください。
こういう自分が秘蔵物であり、神様こそが全ての全てであり、
神なければ私は何もないという、そういう思いがこの祈りに込められているかと思います。
そしてこの神の前の秘蔵物である自分と、想像の下の神様に与えられている自分ということをですね、パウロは別の聖書の箇所で、
ちょっとネガティブな表現ですけども、こう書いているんですね。
ちょっと第1コニット4章7節、読める方は読んでみましょうか。
あなたには何か人からもらわなかったものがあるのですか。もしもあったなら、なぜもらっていないかのように誇るのですか。
これは神様からあなたはすべてもらっているんでしょうという信仰の裏返しですね。
もうちょっと積極的な言葉で、主の兄弟ヤコブの書いた、ヤコブの手紙1章17節を読んでみましょう。
すべての良い贈り物、またすべての完全な賜物は上からのものであり、光を作られた知事から下ってくるのです。
すべての良い贈り物、すべての完全な賜物は光を作られた創造主なる神様から下ってくるんですよ、と明言されているわけですね。
私たちはですね、この心に思い患いが増すときに、 自分が神様に与えられているものを一個一個思い出して監視するということも大事かと思います。
まあ本当に教会学校でよく聞くんですけども、大量の感謝します、 家族を感謝します、健康を感謝します、本当に一つ一つですね、
幼子のように自分に与えられているものを神様に感謝するときに、実はですね、 神様への新たな信頼が芽生えて、思い患いを増してですね、
こうやってですね、この祈りの萌えが湧き上がってくる、 そのことがあるかと思います。
2番目は、感謝の心を伴って祈るということですね。 3番目、
心配の対処法。 人知を遥かに超えた神の平安が守ってくださる。
感謝の心を伴って具体的に、神に自分の願いを知らせるときに、 こうなるとパウルを約束しています。
4章7節読めるかと読んでみましょう。 ごめんなさい、これはソが抜けちゃいましたね。
そうすれば、全ての理解を超えた神の平安が、 あなた方の心と思いをキリストジェスにあって守ってくれます。
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この感謝を伴った祈り、 具体的に願いを神に捧げるときにですね、
神の平安が私たちの心と思いを守ってくださるという約束なんですね。 この神の平安が私たちを守る。
これはですね、 当時の軍隊用語でした。
ピーピーの人たちはですね、ローマの中に生きていましたから、 今の私たちよりも身近にローマの軍隊、
そういうものに慣れ親しんでいたので、説得力があったかもしれません。 先日ですね、あるテレビ、日本テレビの
夜10時からニュース番組を見てましたら、大腰キャスターという方が キーグに行っていてですね、そこから中継していました。
私もですね、約40年前にそこに行ったことがありまして、 そこは地下鉄がですね、
防空壕になっている、避難している様子です。 本当にですね、大腰さんがレポートしている最中に、いわゆる空襲警報が鳴って、
地下鉄の下に避難していく、そういう場面に遭遇したわけです。 普通に他の場面ではショッピングモールで買い物をしたりしてるんですよ。
でも本当にですね、その同じシューの中で、 まさにですね、防空壕に、地下鉄に避難していく
場面が出てきたわけです。切迫した状況を目の当たりにしたわけですね。 この
あなた方の心と思いを神の平安が守るという言葉。 これはですね、まさにこの
力強い軍隊がその町に駐留しているから、 敵の攻撃から守ってくれる。
そういうニュアンスなんです。 だから安心だ。
そこが、神の平安があなた方の心と思いを守るという確かな約束になっているわけなんですね。
そしてさらに2つの大事な鍵の言葉があるんです。 一つは、
全ての理解を超えた神の平安という言葉なんです。 これですね、実際に考えるとちょっと面白いんですよね。
先ほどの6節では、 願い事を神に知ってもらいなさい。
具体的に自分の必要について言うとき、この頭使いますよね。 頭使って何が必要か祈りなさいって言いながら、ここでは驚くべきことに、
私たちの頭で考える理解を超えた神の平安が、 あなた方の心と思いを守ってくださいますよって言ってるんです。
それはあなたの知性も守るし、心というのは感情の中心ですね。 この気持ちも守る。
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それは私たちのこの、 理解を超えた神の平安の守りだと言っているんですね。
さらに注目すべきはですね、 ここで
願い事を具体的に神に知っていただきなさいって祈りながら、 ここでの約束はそれが叶えられるって書いてないんです。
そうじゃなくて、その願いや思いを超えた 神の平安が、あなた方の心、感情も思いも守るよと言っているところが、
興味深いところなんですね。 もちろん願いが叶うってことはありますよ。
皆さんクリスチャン経験をしている中であると思うんですけども、 それはそれとしてそれを超えた神の平安が、あなた方の感情、心の奥底と考えを守ってくださるっていう、
そういう教えなんです。 ここにですね、一見矛盾するような教えですけど、ここにですね、私はキリスト教の素晴らしさとか奥深さがあると思うんですよ。
そして実は皆さんも経験していると思いますけども、 本当に心の底から具体的に神様助けてください、こうしてくださいと祈ったときに、
私たちの心に私たちの思いを超えたこの神の平安が訪れる、 そういった件をされるかと思うんです。
パールはここの言葉にですね、似た表現で、 私たちに平安を与えてくださる神様はどんな神様なんだってことを、
エペソビトの手紙の中でこう教えているんですね。 エペソ3章20節。
ちょっと難しいかもしれないですね。 未知からって読むんですけど読んでみましょうか。
私たちの内に働く未知からによって、私たちが願うところ、 思うところのすべてを遥かに超えて行うことのできる方。
神というのはどんな方ですか。 それは私たちの内にご精霊の
命の力を与えてください。 そしてそれと同時に私たちの願い思いを
遥かに超えて行うというのは何が行うかってこれを発揮しないんですけど、 遥かに超えて
行うことができる方が神様なんですよ。 神様ってどんな方ですか私わかりませんって言うですね。
問いに対してある信学者が、あなたが理解できるように教えられたら、 それは本当の神様じゃありませんよって言ったんですね。
とにかく私たちの思いを超えた神であり、私たちの理解を超えた平安が訪れるという約束です。
守るという約束です。 もう一つの注目すべき言葉は、
キリストイエスにあって、 神の平安が訪れる。
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神様が授けてくださる平安の根拠、何ですか。 それは救い主イエス様にあるんですよ。
実はですね、すごく興味深いことに、冒頭申し上げました 4章のこの
6節からですが、教えが喜びなさい、いつも喜びなさいというところから、 ここでスタッカートのようにですね命令が続く中で、
この主キリストイエスという言葉が一番最後に来ています。 それはどういうことかというと、
すべての鍵はイエスキリスト、救い主にあるんですよということを教えているんですね。
ある学者が言うには、私たちに平安をもたらす秘訣は他でもなく、 キリストイエスにあると教えられているということですね。
それはどういう意味か、いろいろあるかと思います。 神様と私たちの間を妨げていた罪の問題を解決したのがイエス様であるからということも言えるかもしれません。
あるいは、私たちのうちに
精霊によって宿るイエス様が、私たちに思いもよらない平安を授けてくださる見た目のみは平安とあります。
それだということも言えるかもしれません。 それを皆さん自身がですね、信仰生活の中で
体験したり、得得していけるものかと思います。 そんなイエス様は
十字架を前に自分の弟子たちにこのような素晴らしい約束を残してくださいましたね。 読んでみましょうか。
私はあなた方に平安を残します。 私の平安を与えます。
私は世が与えるのと同じようには与えません。 あなた方は心を騒がせてはなりません。
ひるんではなりません。 この全ての鍵であるイエス様に信頼しながらですね、神に願いを捧げ、また約束された平安をものにするお互いでありたいと思います。お祈りしましょう。
天の神様、皆を賛美いたします。
私たちは自分のコントロールできない世界や日本の出来事、
また身近に起こることでさえも、私たちの支配に及ばないことがあります。 全てを支配しておられる
神様どうぞ、私たちの願いをご生命によって
明確にしまたどうか、あなたへの信頼を私たちの心に育て、約束の平安をお与えくださるようにお願いいたします。
どうか、そのあなたの理解を超えた平安を私たちが知ることができますように、
そしてどうかその平安を生き、平安を明かしするお互いであり、教会でありますよう、どうか私たちを導いてください。
27:05
この言い尽くせない思いを、私たちの救い主、主イエス様のお名前によってお祈りします。
アーメン
それでは1分ほど時間をとって、御言葉に応える時間、黙祷の時間を持ってください。
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