2022-09-11 26:41

#122 逆境と喜び 22/9/11

ピリピ-18からの礼拝説教。2022年9月11日録音。ピリピ教会の人々はパウロ投獄の知らせに心配を募らせていました。そのことを気遣う上でもパウロはこの手紙を書いたのです。手紙の本題に入ったこの箇所で、パウロは「困難の中での前進と喜び」というこの手紙の大きなテーマに触れています。今回は、1.それでも福音は前進する、2.それでも逆境は訪れる、3.それでも私は喜んでいる、の3つの視点を取り上げます。

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この手紙、1章12節から18節。
さて、兄弟たち、私の身に起こったことが、かえって福音の前身に役立ったことを知ってほしいのです。
私がキリストのゆえに投獄されていることが、神威隊の全員と他のすべての人たちに明らかになり、兄弟たちの大多数は、私が投獄されたことで、主にあって確信を与えられ、恐れることなく、ますます大胆に御言葉を語るようになりました。
人々の中には、妬みや争いからキリストを述べ伝える者もいますが、善意からする者もいます。
ある人たちは、私が福音を弁証するために立てられていることを知り、愛をもってキリストを伝えていますが、他の人たちは、当破神からキリストを述べ伝えており、純真な同期からではありません。
鎖に繋がれている私を、さらに苦しめるつもりなのです。
しかし、それが何だというのでしょう。
見せかけであれ、真実であれ、あらゆる仕方でキリストが述べ伝えられているのですから、私はそのことを喜んでいます。
そうです。これからも喜ぶことでしょう。
以上です。今日はこのところから、逆境と喜び、逆境と喜びと題して見言葉を取り継ぎます。
皆さんおはようございます。
今日9月11日、覚えていらっしゃる方は、21年前のニューヨーク同時発テロが起こった日ですね。あれからもう21年ですか。
何度も申し上げますが、私たち教会が始めたのが9月23日だったんです、その時。
その直前に私は当時のニュースステーションですか、夜10時のテレビを見ていたところ、ニューヨーク貿易センタービルが燃えているところが映り、
そしてそれを見ていたら、ニキビの飛行機が突っ込んで、ビルが倒壊するという、そこに行ったこともありますから、私は非常に驚いたのを覚えております。
そのような不穏な空気が当時ありましたが、今もウクライナの戦争を始め、日本での様々な出来事から心配も募るわけでございます。
そんな中で心配ばかりの話になってしまいますが、例えば私たちも遠く離れて暮らす家族、あるいは友人から、昨晩救急車にお父さんが乗せられて運ばれたんですよ、という知らせが次の日来ることがあります。
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そういう知らせが入ると、まさに大丈夫かなと心配が募るわけですね。しかしそのしばらく後に、もう一度連絡が入って救急搬送されたけれども、ことなき終えて家に帰ってきたとか、これだけ入院すれば出られるようなんて聞くと、ホッとするわけですよね。
実はパウロも似たような状況がピリピリの人たちの心配にあって、その心配をやらげるためにですね、気遣って手紙を書きました。そんなことから今日3つの点から学んでいきますけれども、まず第一の点、今日は逆境という中でそれでもということですけれども、一番目、それでも福音は前進するということです。
読める方は1章12節、その場でそれぞれ声に出せる方は読んでみましょう。
さて兄弟たち、私の身に起こったことが、かえって福音の前進に役立ったことを知ってほしいのです。
福音は前進し続けるということをまず覚えておきましょう。
私たちの力の限界を超えてもなお福音が前進し続けるということです。
どういうことでしょう。
まあそういうことを知った上でですね、先ほども申し上げましたが、ピリピリ教会の人たちはですね、パウロとこれまで話したように、親しく選挙活動に関わってきました。
そしてそんな中、パウロがローマで投獄されているという知らせを聞いたんですね。
しかも裁判によっては皇帝ネロの下、死刑になるのではないかということも聞きました。
非常に不安な知らせを聞いたわけですね。
その不安を和らげるためにパウロは手紙をこのように託したわけです。
先週までのところは挨拶と祈りだったんですが、今日からこの本題に入っていくんですね。
本題のところでこの、さて兄弟姉妹たち皆さんと呼びかけて。
その中で彼はですね、彼らの不安を和らげるために、こう言ってるんですね。
自分の身に起こったことをこの投獄さえも、かえって福音の前身に役立った、そのことを知ってください。
と、開講一番本題に入るときに伝えているわけです。
投獄といってもですね、軟禁状態でしたので、家を借りてそこにいたってことです。
それでも彼には命の危険がありました。
しかし、それがかえってこの彼の状態が鎖につながれているとも言ってますが、その状態が福音の前身をもたらしたとパウロは伝えているわけです。
二つの方法で。一つ目はですね、13節。
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読めるかと読んでみましょうか。3、私がキリストのゆえに投獄されていることが、真鋭体の全員と他のすべての人たちに明らかになった。
一つ目の前身は、それはですね、真鋭体。真鋭体とは何でしょう。
アイドルの追っかけではありません。真鋭体というのはですね、当時のローマ皇帝直属の兵隊です。
そしてローマ皇帝を守るという役割がありました。
で、先日エリザベス女王が亡くなりましたね。その時にここの絵にあるような、この赤い洋服で黒い熊の革の帽子をかぶった、これはですね、コノエ兵と思うんです。
実はこれはバッキンガム宮殿などを守って、要は王室の行事などで警備をする特別な部隊です。
実はこのコノエ兵とローマの真鋭体ですね、この白いのが真鋭体のこのレプリカを表した。
この真鋭体、ローマの真鋭体というのは今で言えばロンドンのコノエ兵という、ちょっとイメージが似ていると思っていただければ結構です。
とにかく、このパウロを順番で監視していたローマの皇帝直属の軍人たちが、このパウロの統獄が犯罪ではなくて福音のゆえに入っているということを知った。
すべてという彼は言い方を大げさに言ってますけれども、そうやってパウロが福音のゆえに統獄されているということで、福音が彼らに知れ渡ったとパウロはみなしていたわけです。
2つ目の出来事は、パウロの統獄を知ったローマのクリスチャンたちが、恐れるどころか死の核心によってますます大胆に福音を伝えたと言うんですね。
14節で書いてあります。兄弟たちの大多数は、私が統獄されたことで死にあって核心を与えられ、恐れることなくますます大胆に御言葉を、福音を語るようになりました。
このようにパウロの統獄に刺激されて、死から核心を与えられた、このパウロが統獄されているローマのクリスチャンが大胆にますます福音を伝えて、福音が前進したとパウロは伝えているわけです。
もちろんですね、パウロは自分で努力をしました。
後で見ていただきたいのですが、使徒の25章11節でパウロはカイザリアという町でユダヤ人の指導者たちに訴えられたんですね。
エルサレムが騒乱状態になったということの中で訴えられて、そしてその時にパウロは皇帝に上国しますと言った。
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そしてそれはどういうことかというと、パウロはローマ市民として持っている市民権を使って、いわゆるローマの皇帝に上訴することによって彼はローマに行くことができたんです。
彼は他のローマ人の手紙なんかでも、後々私は世界の中心のローマで福音を選挙したいと言ってたんです。
だからパウロはそういう自分の立場とかを使って、今で言えば地方裁判所で裁判があってですね、東京の最高裁判所に上国しますっていうようなね、そういうことを使って
彼が念願としていたローマへの選挙に彼は身をやすすことができたわけです。
彼はそうやって知恵を用いてローマに来ました。 けれどもローマで軟禁状態でありながらも
投獄されてしまって自由を奪われてしまった。 さらに死刑の危険性もあった。
その上にパウロは何が言いたいかというと、 ベストを尽くしても自分ではどうにもできない状況に陥った。
よくお祈りしますよね。 変えられることと変えられないことを見分ける力を与えてくださいという祈る。
ニーバーの祈りをモットーとしている方もいらっしゃいますけれども、 彼は自分が変えられない状況の中で
それでも福音が前進しているということを喜んだ。 つまり何が起こったかというとですね、
最善を尽くしても壁にぶち当たったパウロ、 それでも福音が前進したというかどういうことか。
それは私たちに当てはめれば、私たちも逆境に置かれたり、 不本意な状況に置かれることがあります。
それでも福音は私たちの限界を越えて前進していく。 私たちを通してでさえ前進していく、前進し続けるということなんです。
それはですね、私たちの弱さ、力不足ということを超えて、 福音自体にその前進する勢いがあるということなんです。
それはつまりですね、私たちの意志が弱くても、 福音の前進というのは神様の御意志、
神の御心であるからこそ私たちの弱い意志を超えて、 なおなお福音が前進し続けるという素晴らしいことなんですね。
御心というのはですね、英語で言うと will なんです。意志です。 神の意志は私たちの意志よりも強いわけです。
だから福音は私たちの限界を超えて前進し続けるということです。 さらにですね、ある学者はこう言うんですね。
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前にも出しました。 パウロはゆるやかな勝利を喜んだ。
マイルドって言い方してます。英語の学者が。 アメリカ人の学者。それはですね、パウロはですね、
理想ははっきりと親衛隊などにですね、 福音を伝えたかったけれども、おそらくそれができなかった。
大胆に彼は福音を伝えられなかったかもしれないけれども、 少なくとも親衛隊の人たちは、
パウロの当国の理由は犯罪ではなくて、福音のゆえだ。 イエス様のゆえだということがわかった。
そのことが知れ渡った。 キリストゆえだということが、福音ゆえだということが知れ渡ったことを、パウロは喜んだということなんです。
つまりこういうことです。 私たちの、あなたの周囲にいる誰かに、
あなたがクリスチャンであるということが知れること自体も、 福音の前身として喜ばしいことなのですよということなんです。
もっとはっきり福音を伝えなきゃいけないとか。 この間ある人は言ってました。私は牧師や宣教師のようになれませんって言ってましたけど、いいんです。そうじゃないんです。
あの人がクリスチャンであるということが知れ渡るだけでも、
マイルドかもしれませんが、 その福音の前身で喜ばしいことなんですね。
何度も言いますが、これはこれこそ私たちの力と考えを超えた 福音の勢いと神様のその強い意志を私たちは信じることができるわけです。
そのことを表す見言葉なのかなと思って引用したんですが、いわゆるこれはイザヤ書のメシア予言です。
クリスマスよく呼ばれる。 ちょっと読んでみましょうか。イエス様、メシアが生まれるというところで抜粋ですけども、
一人のから読んでみましょう。1人の緑子が私たちのために生まれる。 1人の男の子が私たちに与えられる。万軍の死の熱心がこれを成し遂げる。
イエス様メシアの誕生はまさに 万軍の死の熱心ゆえにこれから実現する。
同じように私たちを通しての福音の前進、それは神様の熱心さゆえに前進すると信じていきましょう。
だからそれでも福音は前進すると信じることができるわけです。
2番目はですね、今度はそれでも逆境は訪れるんですよということです。
パウロは続けてこう書いています。 人々の中には妬み争いからキリストを述べ伝える者もいますが、善意からする者もいます。
他の人たちは当破神からキリストを述べ伝えており、純真の道義からではありません。
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鎖につながれている私をさらに苦しめるつもりなのです。 続けて言っています。実はこのパウロが逆境を乗り越えたと思いきや、
思わぬ横槍がパウロをさらに苦しめることになりました。 つまり妬み争いを動機として当破神から
福音をわざと述べ伝えて、わざわざ当獄中のパウロを苦しめることを目的として 福音を伝える人がいたというのです。
なんとなくわかりますよね。 自分の勢力を
増し加えて、そういう意図で
ローマで福音を伝えた一派があったというのです。 この一派はどんなグループかというと、いろんな説があって難しいのですが、少なくとも
使徒の働き28章を見てくださるとわかるのですが、 ローマでパウロはあるクリスチャンたちから歓迎されましたが、やはり
立法をめぐってでしょうか、反目が起こって ある人たちはパウロから離れたという記載が
あります。おそらくそういう人たち パウロには反対だったけれども、でもパウロが認める
福音の純粋さはなぜかしら持っていた人たちがいたわけです。 個人的にパウロに敵対して
この自分たちが成功することによってパウロに妬みを起こさせて苦しめようという そういう人たちだったようだともある学者は言っています。
そういう人たちがですね、どのような立場の人であれパウロが言うには、 鎖につながれている私をさらに苦しめるつもりだと告白しています。
ある英語のNIBという訳では、
they can stir up trouble for me と訳されています。彼らは
パウロの問題をさらに煽動していたと言っています。 彼らの苦しみや煽動。
今風に言えば、SNSの個人アカウントに対して、 炎上させる者たちがいたと言えるかもしれません。
そういうパウロを苦しめることを意図として、福音を伝えた人たち。
私たちもそれでいいのかなと思いますけど、とりあえずそういう存在があった。 それでもパウロは良しとした。
私たちも一つの問題を乗り越えたと思いきや、別の問題が起こってくることがありますよね。
その安堵の後に逆境がさらに訪れるということはないとも限らないわけです。
それはパウロにさえそんなことが降りかかった。
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それはですね、いろんな考え方ができるんですが、パウロはこの歴史に名を残す偉大な大伝道者、大使徒ですよね。
そういうパウロでさえ、私たちと同じように旅重なる苦労を体験していた。
そういうことはですね、それを知ることは私たちにとって、ロークの中で、さらにロークしている私たちにとって、パウロに仲間意識を抱くような励ましとなるのではないかなと思うわけです。
2番目は、それでも逆境は訪れた。最後。
しかしそれでも私は喜んでいる。パウロは告白しています。
読める方は1章18節を読んでみましょう。
しかしそれが何だというのでしょう。
見せかけであれ、真実であれ、あらゆる仕方でキリストは延べ伝えられているのですから、私はそのことを喜んでいます。
そうです。これからも喜ぶでしょう。
実はですね、このそれが何だというのでしょうというのは、
今風で言うと、それで?
だから?
昔ある芸能人が何か、
女優さんがですね、
聞かれて、
何か聞かれた時ですね、記者会見。
別に?
って言ったんですよね。
私はちょっとその人のことを言えませんけどね、今捕まっちゃったりした。
とにかくパウロは、そういう逆境の上にさらに苦しみが増しくなりましたけど、
だから?
って書いてるって言うんですよ。
意に返さない。
それどころか予想を超えて、
私は喜んでいますとさえ言っているんです。
どういうことだと。
パウロは喜んでいる理由それは、
見せかけであれ、真実であれ、
見せかけであれ、真実であれ、あらゆる仕方で
キリストが延べ伝えられているのですから、
そのことを喜んでいます。
これはですね、
自分が苦しめられても、
たとえ相手の動機が悪かったとしても、
イエス様自身のことと正しい福音が延べ伝えられている
そのこと自体を喜んでいると言っているわけです。
ある英語の
アメリカ人の学者によれば、これはですね、
彼の
シングルマインド、
この一意先進、
彼の人生の目標を表しているそれは、
キリストと福音だって言うんです。
彼の人生は、
キリストと福音という、
そういうシングルフォーカス、
そこに
見合った出来事だから、困難さえも
彼は喜ぶと言っているって言うんですね。
これはですね、もっと大きな
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人生の視点に繋がる
って言うんですね。
パオロは
神様の恵みによって
全てを神様の視点から
見ることを学んでいたって言うんです。
単なる希望的観測や楽観主義じゃないんですね。
どういうことか。
つまり、
どんなに苦しいことが起こっても、神様は
十字架と復活を通して、必ず
神様の
御心を実現させる。
そういう信仰に立っていた。
つまり、精霊によって教会を通して、そして
教会に属する私たちを通して、
パオロ自分を通して、フィリピンの人々を通して、私たちを通して、
この世において必ず神の御心は実現されるんだ、という
そういう大きな視点を
パオロが持っていた証拠だって言うんです。
深い確信を持っていたって証拠だって言うんです。
先日見たクイズ番組で
ある絵の一部が出て、
この
絵は何でしょうか?って問題出たんですね。
まあ落ち葉拾いだったんです、答えは。
つまりですね、
絵の本当に一部分が拡大されたり
一部分しか見えないと何の絵か分かりません。
けれどもその絵が
大寿司になると
この絵は例えば落ち葉拾いだってことが分かります。
あ、違ったな。
後で教えてあげる。今どう忘れちゃったから。
どういうことかっていうと
私たちの身に起こる
苦難の意味がやはり分からないことがあるんですね。
で、岩鉄が外来カフェなんかでよく学ぶ
苦しみの原因の一つは
なぜそれが起こるかってことが分からなくて人は悩むって言うんです。
当たり前ですよね。
でもそういう苦しみがありますけども時に
神様の大きな絵、
神様の御心とかですね
福音の禅師の中で
時にそれが意味を持つことがある
と言うんですね。
で、それが時にはですね
私たちの苦しみはいつも言っているように、パウロも言っているように
イエス・サムの十字架の苦しみに預かるってことであり
それが弟子の道だというそういう信仰にも
つながりますし
そしてパウロはですね
自分の苦しみは
これは神様への
注ぎの
お酒だ
自分がこう死んで血を流すことは
神への注ぎの
武道士の生贄だという言い方をピリピリするんですけども
ちょっと気をつけるところあるんですが自分の苦しみ
を耐えていること自体も
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神への礼拝行為だと
パウロは考えたわけです。
このような大きな神様の
御心、絵を
信じて
目の前のこの苦難を
受け入れ、また最善を尽くしていくということ
このような信仰の姿勢を養う時に
私たちもパウロのように
それでも私は喜んでいるのですと
心から告白するように
変えられていくんですね
それこそ
パウロがこの手紙で教えていく信仰の奥義なので
そしてそれがまた様々な形でこの手紙で教えられていくので
これから
共に
学んでいきましょう
最後にですねこのパウロがこの手紙の中で教えている
教訓を
読み合わせて
この時間を締めたいと思います。
フィリピン4章9節読める方
共に前の御言葉を読んでみましょう。
あなた方が私から学んだこと、受けたこと
聞いたこと、見たことを行いなさい
そうすれば平和の神があなた方と共にいてくださいます。
お祈りしましょう。
天の神様、皆お賛美いたします。
私たちの身には
思わぬ心配事や
苦難が訪れることがあります。
時にそれが
乗り越えた後も続くことがありますけれども
どうぞ
あなたのご精霊の助け
またあなたの恵みによって
それらを
乗り越えていくことができますように。
また、あなたを信じてその中で
喜びを得ることができるように
神様どうか私たちは憐れんでください。
またどうぞ
そのような中で私たちの限界を通して
私たちの意思をさらに
越えて
あなたの御心ゆえに
福音が前進していく
そのことを信じてまいりますから
どうかその
福音が前進する様を知り
その技を見て
あなたにあってまた喜んでいくことができるように
どうか導いてください。
何よりもどうぞ今
試練にあっている
一人一人の兄弟姉妹を
あなたが憐れみ
御霊により慰め支え
導いてくださいますように
あなたの御手にお祈りして
私たちの救い主
主イエス様のお名前によって祈ります。
アーメン
それでは1分ほど
御言葉に応えて祈る時間を持ちましょう。
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