1. 牧師のバイブルメッセージ
  2. #307 平和の王として 27/1/4
2026-01-04 25:42

#307 平和の王として 27/1/4

ヨハネ12:12‐19からの礼拝メッセージ。2027年1月4日録音。

サマリー

このエピソードでは、イエスのエルサレム入城の重要性について語り、彼が平和の王として現れる意味について考察しています。また、聖書の教えに基づいて、武力ではなく平和をもたらす存在であることを探っています。イエス様が平和の王であり、魂に安らぎを与える存在であることが強調されています。特に契約の地による解放と、イエス様の贖いによって救われるというメッセージが展開されています。

平和の王としてのイエス
新約聖書、ヨハネの福音書、十二章、十二節から十九節をお読みします。
その翌日、祭りに来ていた大勢の群衆は、イエスがエルサレムに来られると聞いて、ナツメヤシの枝を持って迎えに出て行き、こう叫んだ。
ほさな、祝福あれ、主の御名によって来られる方に、イスラエルの王に。
イエスはロバの子を見つけて、それに乗られた。
次のように書かれている通りである。
恐れるな、娘シオン。
見よ、あなたの王が来られる。
ロバの子に乗って。
これらのことは初め弟子たちにはわからなかった。
しかし、イエスが栄光を受けられたのち、これがイエスについて書かれていたことで、それを人々がイエスに行ったのだと彼らは思い起こした。
さて、イエスがラザロを墓から呼び出して、死人の中からよみがえらせたときに、イエスと一緒にいた群衆は、そのことを証しし続けていた。
群衆がイエスを出迎えたのは、イエスがこのしるしを行われたことを聞いたからであった。
それでパリサイ人たちは互いに言った。
見てみなさい。何一つうまくいっていない。
見なさい。世はこぞってあの人の後についていってしまった。
以上です。
今日はこのところから、平和の王としてと題して、絵御言葉からお話をいたします。
一応、新年最初の礼拝ですので、御名さま、明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
なかなか最近は、お店も元旦化でやっていることが多かったりしてですね、新年の区切りがなかなか見えないなんていう時もありますけれどもね。
いろんな風物詩がありますけどね。
箱根駅伝なんかですね、見た方もいると思いますが、最近はですね、ここ3年ですか、
ニーザー市にある立教大学の陸上部が出ているということで、この地域でもいろいろ話題になったり、
ニーザーキャンパスの正門の前にですね、駅伝参加みたいな垂れ幕がかかったりしてますけど、
そんな明るいニュースだけじゃなくてですね、昨日の夜ですか、ある大国が、ある国にですね、軍事介入を行って、大統領を捕まえた。
そんな物騒な話がですね、世界駆け巡っています。
実は今日の話も福岡そのことと関わってくるんですけども、
今日の出来事はですね、イエス様のエルサレム入城といって、4つの福音書をすべてに書かれている場面です。
大事な意味を持っているからなんですね。
入城というのは、入るという字に城と書いて、まさに入城。
期待との乖離
後でも言いますが、王が城に入る。
そんなニュアンスがあるようですけども。
そのキリストのエルサレム入城という有名な場面です。
なぜそれが重要かといえば、聖書で言われている通り、イエス様が王なる救い主として、いよいよエルサレムに入った。
それだけじゃなくて、まさにここから受難の道を歩まれるという、受難の始まりだから重要なんですね。
今日はそこから3つのことから見ていきます。
平和の王、イエス様について。
柔和な王、2つ目。
最後は、契約の地によって解放する王だということを見ていきます。
一番最初ですが、平和の王としてのイエス様を見ていきます。
今日の冒頭ですけど、12章、12節、13節。
その翌日、祭りに来ていた大勢の群衆は、イエスがエルサレムに来られると聞いて、
ナツメヤ氏の枝を持って迎えに出て行き、こう叫んだ。
ここから読めるか、読んでみましょうか。
ホサナ、祝福あれ、主の御名によって来られる方に、イスラエルの王に。
敬虔なユダヤ人たちは、この場面は過越の祭りだとありますけれども、
それを祝うために文字通り、世界中の散らされている国々から、
エルサレムに集まってくるわけですね。
そこには、リサンのユダヤ人と言われていますけれども、
当時、ローマ帝国に支配されていましたので、
ローマ帝国からの解放を願っていたわけですね。
そして過越の祭りは何を祝うかというと、
何をお祝いしていますか。
出エジプトの出来事です。
ですから非常にその救出劇と、そしてモーセのような、
そしてモーセが約束したメシアが来て、
ローマから我々を解放してほしいという願いが相まって、
熱狂的な雰囲気があったわけですよね。
そんな時だからこそですね、
民はイエス様、まさにこのイエス様に期待を持って、
ホサナと叫んだわけです。
実はホサナという叫びが最高潮に達していますけど、
シュプレヒコールというのがありますね。
それは同じことを何度も叫び続けていく。
そうすると高揚するわけですよね。
同じようにおそらくこのイエス様を迎えた民は、
ホサナ祝福あれ、忍びなによって来られる方に
イスラエルのおりということを叫び続けたり、
口々に叫んだに違いないわけですよね。
しかしイエス様はこの時ですね、
いわゆる軍馬に乗って、
これはおそらく100人隊長、ローマの当時の1000人隊長は、
まさに軍馬に乗って入っていく。
まさに解放の王として人々がこのような姿を期待していましたが、
ご存知のように転馬に乗ってイエス様は入場されたわけです。
ご存知の方も思いますけれども、
ホサナというのは当時の彼らの言葉で、
主よ救いたまえという言葉でした。
そして忍びなによって来られる方に、
イスラエルのおりというのは旧約聖書で約束されている、
メシア王の称号です。
ですから、メシアよ王よ我々を救ってくださいという、
シュプレヒコールをあげてですね、
イエス様を迎えたわけです。
もう町は熱狂したわけですよね。
しかし後でも詳しく言いますが、
イエス様がローマの国に乗ったその理由は何かというと、
人々のその期待を削ぐためであったんですね。
彼らはローマの支配を打ち砕く勝利の王として、
まさに勇ましい軍を率いる、
そのような軍によって武力によってローマ軍を打ちまかして、
我々を解放する王が来たという期待を持っていました。
それを削ぐためにイエス様は軍馬ではなくて、
柔和な、ロバの子に乗って登場されたわけです。
これはですね、武力を否定して平和の王だ、
そういうことを、このお姿を通してイエス様は示されたわけですね。
このロバの子に乗って、
後にちょっと引用してませんけども、
この授業説には、なぜロバの子に乗ったかというと、
聖書にこう書かれているからであるとか、
賑わな王の姿
聖書の書かれている通りにと言って、
旧約聖書が実現したことを言っています。
それが実はゼカリア書の9章の10節の言葉なんですね。
どんな言葉か。
私は戦車をエフライムから、軍馬をエルサレムから立たせる。
戦いの意味も立たれる。
主は諸国の民に平和を告げ、その支配は海から海へ。
大和から地の果てに至る。
この前後の文脈にあるように、
イエス様はロバの子に乗ったというわけなんですね。
ここにありますように、何がここで書かれているかというと、
いわゆる武装解除ですね。
今、あっちのヨーロッパの大国で今年和平が成立するか、
その一つの条件として武装解除。
どちらか、あるいは両方の、言ってしまいますけど、
小さい国の軍部を解体しろと。
そういう武装解除をして、軍馬をなくし、戦いの意味も立って、
そして平和によって統治するという。
それが実はゼカリア書で訳されている
オーナルメシアのありようだったんですね。
繰り返しますが、武力ではなくて、
武装解除によって平和に地を治めていく。
それが聖書が言うメシアを救い主だったわけです。
お察しの通りと思いますけれども、今も昔もですね、
平和のためには武力が必要だって言うんですよね。
試合、スポーツでは強いほうが勝ちますよね。
卓球でもテニスでも、オフェンスするほうが強いんです。
私、大学時代テニスやってて、その頃話題だった選手の一人に、
マイケル・チェーンという人がいたんです。
彼はどんなふうにして今有名かというと、西堀選手のコーチ。
マイケル・チェーンという選手は、アジア人、台湾系のアジア人、アメリカ人かな。
ゼンフツオープンという四大タイトルを、
おそらく初めてアジア人として制したんじゃないか。
彼の特徴はオフェンスじゃなくてディフェンスなんですね。
何本打たれてもずっと返す。
その後ですね、もっと強い、例えば誰だっけな、
ロジャーフェデラとかですね、サーブでも全部勝っちゃう。
そんなのが出てきましたけれども、
マイケル・チェーンとか西堀はオフェンシブに、
守りを固めて勝ったというのはありますけれども。
それは脱線しましたけれども、
今もですね、国が平和を保つためには、
強くなんないといけないということが言われているわけですね。
しかしイエス様は武装を解除して平和をもたらす、
平和の王だということが最初の点で見たいことなんですね。
もしかしたら私たちも時代の数世に流されそうになるかもしれませんが、
イエス様によって誠の平和が実現する。
イエス様しか誠の平和を実現することができない。
でもそれは必ず来るというですね、
その希望を持ってこの地を歩んでいく一年になりたいと思います。
2番目、それはですね、イエス様は賑わな王として来られた。
十二章、ヨハネの十二の十四から十五で書かれています。
イエスはロバの子を見つけて、それに乗られた。
次のように書かれている通りである。
ここから読んでみましょうか。
恐れるな娘シオン、によあなたの王が来られるロバの子に乗って。
この御言葉、ヨハネで引用されている御言葉ですね。
先ほども言いましたが、ロバの子に乗ったのは、
潔気盛んなイスラエルの民のその気持ちを削ぐために、
群馬ではなくてロバに乗ったわけです。
そして大なる救い主は、誠の大なる救い主は、
こういう姿だ、賑わな王子だということを示すために、
ロバに乗られたわけですね。
実はここで、大事な点を見落としちゃいけないと学者が言っているんですね。
どんな点か。
それはですね、先ほど言いました、
この元の旧約聖書のゼカリア書の言葉、
旧書旧説以降の言葉から、
この出来事を理解する必要があると言われているんですね。
気がついたと思いますが、ゼカリア書旧書旧説に、
同じというか、オリジナルの言葉があるわけですね。
これが元々のゼカリア書の言葉。
そこから、このイエス様のエルサレム入場を理解しなさいということなんです。
もう答え言ってしまいましたが、
ここで言われているのは、
王なるメシアのありよう姿は、
賑わな王方である。
そしてそれを具体的に示すために、
ロバの子供、メロバの子供に乗っているというところで、
賑わな王というところが強調されています。
実はこの賑わなという言葉、
聖書をよく読んでいる人は、
いろんな言葉を連想するんじゃないでしょうか。
イエス様の言葉で出てきますよね。
一番有名なのが、三条の説教ですね。
読んでみましょうか。
賑わな者は幸いです。
その人たちは地を受け継ぐからです。
マタイ五章五説。
プラネイスかプラナオという言葉ですけれども、
同じ、ギリシャ語の聖書では同じ言葉が作られています。
この地を受け継ぐような人は乱暴者じゃないんだ。
賑わな人がこの地を受け継ぐんだとイエス様は言っているんですね。
もう一つとても有名な言葉、
マタイの十一章の二十八節から二十九節ですね。
すべて疲れた人、イエス様の言葉。
重荷を負っている人は私のもとに来なさい。
私があなた方を休ませてあげます。
ここから読んでみましょうか。
私は心が乳和で減り下っているから、
あなた方も私の首輝を負って私から学びなさい。
そうすれば魂に安らぎを得ます。
イエス様はご自分に従う者たちにこれを語られたんですね。
このように重荷を負っている人はついて来なさい。
休ませてあげます。
なぜなら、私はイエス様は心が乳和で減り下っているからです。
イエス様の入場と安らぎ
後半の部分で首輝を負って私から学びなさいという言葉、
少しインパクトがあるんですけど、
それは奴隷のような重苦しい首輝じゃなくて、
まさに乳和で減り下ったイエス様が負わせる首輝レッスンですから、
安心して学んでいきましょう。
そうしたら安らぎを得ますよという言葉ですね。
このように言われています。
イエス様はまさに魂に安らぎを約束しています。
それは武力や力ではなくて、
イエス様が乳和で減り下ったお方だから、
魂に安らぎが与えられるという約束ですね。
もう一つ興味深いことがあるんですね。
契約の地による解放
このイエス様のエルサレム入場の元になったゼカリア書の言葉で、
娘シオンよという言葉があります。
シオンというのは難しい言葉を簡単に言うと、
エルサレムの民を宗教的に指す言葉なんですね。
もう一つ特徴的なのは、
この娘シオンよという呼びかけには、
神の民への呼びかけがあるんですけれども、
そこには苦しみ悩んでいる神の民という意味があります。
当時この伝言を読むと分かりますけど、
やはりバビロンだったかな、アシリアだったかな、
やはり保守の民だったわけです。
そこで苦しめられている神の民を聞きなさいという意味で、
娘シオンよという言葉が使われているわけです。
そのようにですね、苦しむ人を救うことができる王様、
それは武力を持った勇ましい王ではなくて、
入場で減り下った王、まさにそのような方がイエス様ですね。
まさにそのような入場で減り下った王を、
今の世界は必要としているんじゃないでしょうかね。
そしてもちろん私たちもそのような入場で減り下った王、
救い主を必要としているお互いだと思うわけですよね。
これが2番目。
3番目。
契約の地によって解放する王という考えがあります。
先ほどのゼカリア書の続きでこういう言葉があるんですね。
9章11節。ちょっと長いんですが頑張って読んでみましょうか。
3回。
あなたについてもあなたとの契約の地のゆえに、
私はあなたの囚われ人を水のない穴から解き放つ。
ここにはですね、2つの大事な言葉があるんですね。
契約の地と水のない穴。水のない穴から解放するということ。
この2つの言葉が大事だというんですね。
実はこの水のない穴というのは当時の枯れた井戸です。
枯れた井戸、何をするかというと囚人とか捕虜を投げ込むための井戸です。
有名なのはエレミアが閉じ込められたじゃないですか。
ここまで水が足して。
そういう囚人や捕虜を投げ込む穴が枯れた水のない穴、井戸なんですね。
そして実はその囚人たちを枯れた井戸の牢屋から契約の地のゆえに救い出すという約束なんです。
さあここで皆さん、契約の地のゆえに解放されたというと何を連想しますか。
まさにご自分の血を流して私たちを罪の縄目から解放してくださったイエス様の姿がここに描かれている。
それを知ることができるわけなんですね。
この契約の地による解放、イエス様の贖いの地によって、
罪とその縄目から、罪とその罰といいますかね、結果から私たち信じる者は救われる、解放されるということです。
実はそれはヨハネの福音書に繰り返し語られている大事なメッセージですね。
ヨハネの福音書の契約の地による解放にいくつかあるの中の一つは、
バブテスマのヨハネがイエス様が近づいてくるときに語った1章29節の言葉ですね。
これを読んでみましょうか。
冒頭から契約の地による罪の解放、そのメッセージが出てきます。
いくつかある中で、ヨハネの6章54節、パンの奇跡の後の民とのやりとりでイエス様がこんなことを言っていますよね。
私の血を飲む者は永遠のいのちを持っています。私は終わりの日にその人を蘇らせます。
まさにですね、死に閉じ込められたそのような乾いた井戸から、我々をですね、その血によって救って永遠のいのちを与えるというイエス様のメッセージですね。
そしてご存知のように、この赤内を実現するためにイエス様はこれからエルサレムに入り、受難の道を進んでいかれる。
そしてもう一つ、それを記念して私たちは教会で何をしていますか。生産式をしていますよね。
平和の王としてのイエス様
ですから生産式に今日預かりますけれども、そんなことも思いながら、杯とパンを取っていただければと思います。
最後に一個だけですね、大事なことを付け加えたいんですね。
それはファリサイ人たちが言った、今日の箇所の締めくくりの言葉です。
彼らはですね、イエス様についていってしまう、人々がついていってしまうことにジタンダを踏んでですね、こんな風に言ってるんですね。
見てみなさい、何一つうまくいっていない。
みなさい、弱小ぞってあの人の後についていってしまった。
この弱というのは当時の彼らが考えるところの人々です。
でも弱という言葉はですね、ヨハネノ福音書の中で全世界を表すんです。
あの有名な3章16節にですね、神は実にその一人分を救うために弱を愛された、神は弱を愛されたというこの弱というのは全世界です。
実はこの言葉は以前の大祭司カヤパの言葉のように、この皮肉にもですね、イエス様の福音が果たす役割を預言しているんですね。
まさに当時の人々ではなくて、全世界にこのイエス様の福音が今広がっていますよね。
私たちもそのうちの一人です。
このようにですね、イエス様の福音が広がって、イエス様の契約の地によって神の国に入る、神の民が全世界に、世界中に広がっている。
それがここに予兆されているわけですね。
まさに平和の君であるイエス様は、武力によってではなくて、
入馬のお方としてご自分の血を流すことによって、全世界にですね、ご自分の民を広げて、ご自分の神の御国を築き上げられている。
まさに平和の王であられるわけですね。
新しい年が始まりました。
その私たち、入馬のイエス様によって励まされ、癒されていくと同時にですね、平和を実らせる、そんな生き方に歩んでいくお互いでありたいと思います。
そんな願いを込めながらですね、ローマの十二章のパウロの言葉から引用して終わりにしたいと思います。
十二章の17から18節読める方、読んでみましょうか。
誰に対しても悪に悪を介さず、全ての人が良いと思うことを行うように心がけなさい。
自分に関することについては、できる限り全ての人と平和を保ちなさい。
お祈りしましょう。
天の神様、御名を賛美いたします。
非常に残念なことに、2025年も世界中で争いが覚めやらず、多くの人々はいのちを落とし、また悲しみの中にありました。
今年はどのようになるのでしょうか。
どうぞあなたが誠の王として、平和の君として、この世に誠の平和をもたらしてくださいますように。
必ずその日が訪れることを信じて、あなたに希望を置き、我々がこの地を歩んでいくことができますように、どうか導いてください。
同時に私たちが柔和な王イエス様の救いや助けを体験しながら、この地において私たち自身も平和を実現するお互いとして歩んでいくことができますように、どうか導いてください。
この願いと感謝を、私たちの救い主、主イエス様のお名前によってお祈りします。
アーメン。
それでは御言葉に応えて一分ほど黙祷する時間を持ちましょう。
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