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2025-09-21 27:13

#292 イエス様と人間関係 〜分裂と別離の宿命 25/9/21

ヨハネ-23からの礼拝メッセージ。2025年9月21日録音。(聖書朗読は()、導入は()までです)“Christianity is Christ”(キリスト教はキリストそのものである)とは英国の神学者の言葉です。今日の箇所では、そのイエス様についての理解を巡って人々の間で意見の相違が生まれ人間関係が変化する様子が見て取れます。1.パリサイ人の分裂()、2.「あの人は預言者です」()、3.家族との距離()、の3つの点を取り上げます。

原稿を読む:イエス様と人間関係:ヨハネの福音書9章13-23節|Kishio

サマリー

イエス様が盲目の人を癒す奇跡を通じて、パリサイ人たちの間に分裂が生じ、信仰への理解が深まります。特に、癒された人がイエスを預言者と認識することで、彼の家族との距離感が強調されます。このエピソードでは、イエス様と親子関係における葛藤が掘り下げられます。両親はイエスによる息子の目の回復を認めますが、信仰告白の結果、周囲からの圧力によって息子に対する言及を避ける場面が描かれています。

パリサイ人の分裂
ヨハネの福音書9章13節から23節をお見せします。
人々は前に目の見えなかったその人をパリサイ人たちのところに連れて行った。
イエスが泥を作って彼の目を開けたのは安息日であった。
こういうわけで再びパリサイ人たちもどのようにして見えるようになったのか彼に尋ねた。
彼は、あの方が私の目に泥を塗り、私が洗いました。それで今は見えるのですと答えた。
するとパリサイ人のうちのある者たちは、その人は安息日を守らないのだから、神のもとから来たものではないと言った。
他の者たちは、罪人である者にどうしてこのようなしるしを行うことができるだろうかと言った。
そして彼らの間に分裂が生じた。 そこで彼らは再び目の見えなかった人に言った。
お前はあの人についてどう思うか。 あの人に目を開けてもらったのだから。
彼は、あの方は預言者ですと答えた。
ユダヤ人たちはこの人について目が見えなかったのに、見えるようになったことを信じず、ついには目が見えるようになった人の両親を呼び出して尋ねた。
この人はあなた方の息子か。 盲目で生まれたとあなた方が言っているものか。
そうだとしたら、どうして今は見えるのか。 そこで両親は答えた。
これが私たちの息子で、盲目で生まれたことは知っています。 しかし、どうして今見えているのかは知りません。
誰が息子の目を開けてくれたのかもしれません。 本人に聞いてください。もう大人です。自分のことは自分で話すでしょう。
彼の両親がこう言ったのは、ユダヤ人たちを恐れたからであった。
すでにユダヤ人たちはイエスをキリストであると告白する者がいれば、カイドウから追放すると決めていた。
そのために彼の両親は、もう大人ですから息子に聞いてくださいと言ったのである。
以上です。今日はこのところからイエス様と人間関係と題してお話をいたします。
みなさまおはようございます。 9月も中ごろ過ぎて終分の日が23日ですが、ようやく涼しい日がポツポツと見えるようになりました。
今日また30度以上気温が上がるそうですけれども、 朝夕は20度台でエアコンもいらないような夜でした。
そんな秋が本当に近づいてくるような中ですけれども、共に御言葉から学べることを感謝しています。
さて、今日のところはですね、先週見た生まれつき目の見えない人が、そして物語をしていたこの男性の話の続きです。
この目が見えるようになった人はですね、先週彼の知人たちに目を開けてくれた人は、
イエスという人が目を開けてくれましたと言い方をしたんですね。 癒された人の知人たちが、しかしそれを聞いてですね、
この彼をパリサイ人のもとに連れて行った、そういうところから今日のところが始まります。
よく日本昔話なんかではですね、困った村人たちはですね、困りごと、わからないことを村の和尚さんにですね、聞きに行くとか、
あるいは庄屋さんとか長老に聞きに行くなんて場面があるかと思いますけれども、それに似た感じですね。
パリサイ人というのは、皆さんご存知のように、宗教的社会的指導者で、これはおそらくエルサレムだったので、
最高法院、最高議会のメンバーだったわけですね。だからそのような人のところにですね、この驚くべきことが起こったわけですけれども、
その意味やですね、どう捉えたらいいのかということを聞くために、目の見えない人をパリサイ人のもとに連れて行ったわけです。
で、そこから、ある進展が、話が進んでいくんですけれども、
興味深いことにですね、イエス様について、この癒された人はですね、先週見た10位説で、
イエスという人が、こうしてくれましたって言い方してですね。
イエスと言われている人という言葉はですね、人間、アンソロポスという言葉です。
人によりますけど、私はそれを見てですね、珍しい言葉が使われているなと。
で、実はこのアンソロポス、イエスという人間ということがですね、今日の箇所でも繰り返し使われているんですね。
で、何かというと、今日から出てこないんですけれども、話の主役は実はここに登場していないイエス様という人間だということなんですね。
そこから今日はですね、3つのことを見ていきます。人間関係ということにかかるんですが、パリサイ人の中で分裂が起こったということが最初です。
そして2番目はですね、あの人は預言者ですとこの目の見えなかった人が言った証言について。
そして最後は、この目の見えない人と両親、家族との距離ができてしまったということを見ていきます。
まず一番最初、パリサイ人の分裂ということを見ていきましょう。
失礼しました。
接続が悪くてすみません。失礼しました。パリサイ人との分裂ということを見ていきます。
16節にこうありましたね。
するとパリサイ人のうちのある者たちは、その人は安息日を守らないのだから神のもとから来たものではないと言った。
じゃあ他のから読んでみましょうか。
他の者たちは罪人であるものにどうしてこのようなしるしを行うことができるだろうかと言った。
そして彼らの間に分裂が生じた。
このイエス様をめぐり、パリサイ人の中で分裂が生じたと言われているんですね。
実はパリサイ人のうちのある者たちというのと他の者たちという言葉がわざわざ書いてあって、この間で意見の違いがあったということが見て取れるわけなんです。
なぜか安息日の受け手を破って癒しを行ったという、この人物イエスという男は罪人なのか、神から使わされた神性な人なのかという意見がぶつかったんですね。
皆さん、律法学者とパリサイ人の違いを覚えていますか。
律法学者というのは、いわゆる旧約聖書のモーセの律法を日常生活に適応するために掟を作った人たちです。
だいたい700以上あった。
外から帰ってきたら足を洗うとか手を洗うとかってありましたよね。
そういう掟を作った人が律法学者です。
じゃあパリサイ人はどんな人か。
パリサイ人は律法学者の中に含まれている人たちで、その掟を日常生活の中で厳しく守った人たちです。
そして自分たちも守って、学者はパリサイ人ですけども、実践したのが律法学者。
そしてそれを人々に教えたのも、ごめんなさい、実践したのがパリサイ人で、それを人々にも教えていたのがパリサイ人だったんです。
だから安息日に泥をこねて 土を作ったこと、そして
瀕死の重症でない、目の見えなかったという人を癒したということが、安息日の掟に
彼らの700以上ある掟の中の安息日を怪我してはならない、働いてはいけないということに抵触するんだ、というふうに強く唱えたのが
いやこれは 安息日守らないから神から使わせられた人間でない、といった
強いて言えばイエス様の敵対者の立場だったんですね。
ここで前にも赤い字で書きましたけども このイエスは違うって言った中で
彼らの言葉はやっぱりそこで そんなことをする人
という表現にやはり人間、アンソロポスという言葉が使われているんです。 そんなことをする人間は
安息日守らないから 神のもとから来たものじゃないって言ったんですね。一方で
盲人の目を開けるなど数々の記しを行えるような人物 人間このアンソロポスが罪人のはずではないという
そういうイエスという人間、人物について 盲人の男の人から始まって議論が進んでいった
ということがわかるわけです。 そしてこの
同じ心情を持っていたパリ裁備との間で 分裂が生じた。分裂の度合いがどれくらいだったかというので学者の間で議論が
出てくるんですけども その分裂が生じたということですね。
まあ後でも見ていきますけども実はこの イエス様に敵対する人たちはどうしてもこのイエス様が神から使わされたということを認められないし
どうしてもイエス様が安息日律法に違反したということを決めつけたかったので 後でですねこういうことがですねついには目が見えるようになった人の両親を呼び出した
信じられなかったの 実はこの後でも出てきますが
ついにっていう言葉で 言われているギリシャ語はですね英語のtilとかuntilにあたる
ヘオースという言葉で そこまでして両親を呼ぶまでして彼らは
生まれつき目が見えなかったことそしてその人が目が開かれたことを信じたくなかった っていうことが強調されているんですね
で以後この反対者たちの とだけが登場して話が展開していくわけなんです
まあこのようにしてイエス様という人物について 意見が分かれました注目すべきはですね
この 思想と心情が一致していたような厳格なパリサイ人の間でさえ
イエス様をめぐって仲違いが起こった 仲違いまで言いませんけど分裂が起こったということなんですね
預言者としての理解
これは私たちの周りでも今でもあり得ることです 本当にちょっとした意見の沿いから今まで親しくしていた人との間に溝ができてしまった
ましてや なかなかないかもしれませんがイエスキリストという人についての意見が
親しかった人 親しい
共同体の中で私たちと異なっていくというのは仕方がないんだということを受け入れて いくべきなんじゃないかと思う
はいそれが最初ですね2番目 あの人は預言者ですということですね
まあちょっと前後しますけれども こういうパリサイ人たちの中で意見が分かれたので彼らは困り果てて
癒された本人に聞いたわけですねそこで彼らは再び目の見えなかった人に言った お前はあの人についてどう思うかあの人に目を開けてもらったのだから
彼はあの方は預言者ですと答えたって言う ですね
自分たちの意見が分かれたから実際の体験者の意見を聞いてみようということですね
この目の見えなかった人を即答したんですねあの人は預言者です これは素晴らしい回答なんですね
なぜか 彼のイエスターについての理解が進展していることがわかるからです
一番最初に上げましたように最初は 誰があなたの目を開けたんですかって
知り合いに控えた時にイエスと言われている人ですってしか答えな でここでパリサイ人に聞かれて
預言者ですといった意味はですね あの
サマリアの女性が イエス様のことをやはりあのあなたは預言者ですといったことと似ています
どういうことか それはですね
エリアやモーセのような預言者を言うんですね神に使わされた人で人間であってもっと もち神の近くにいた人
あるいは神の声を直接聞いた人神のしるしである奇跡を行った人 尊敬愛婦の念が込められているんです
もう生は皆さんご存知のようにあのでパンを増やしたり 水を湧き出させるということを神様にして行いましたね
そしてエリアやエリシャは 死んだ人を蘇らせた
そういうとにかく伝説的なイスラエルの預言者 最も神にと親しい人物だという
威風や尊敬の念が込められていたわけです でこれはこのサマイヤの女性と同じようにここから彼もサマイヤの女性も健全な
信仰告白へと進展していくそういう予兆が見られるんですね でこのようにですね皆さんもそうかもしれませんが
私たちがある人がイエス様を救い主だと真摯告白するまで 理解の進展があるわけですね
さらにそれだけではなくてイエス様を信じた後 私たちクリスチャン
クリス社と呼ばれている人たちもうこの男性のようにですね 目が開かれていくような経験をしてイエス様のことがもっとよくわかる
繰り返しこのまあ相手と霊的な目が開かれるような経験をしてイエス様が救い主だと 確信できるような体験を通して
イエス様への理解が進んでいくそれが私たち クリスチャンの信仰生活の醍醐味ではないかと思うわけです
そしてこの目の見えなかった男性のように確信を持って イエス様はまあ
彼は預言者ですと言いましたけどこれこれこういうお方ですと 確信を持って告白するものへと変えられていくんですね
家族との距離
最後 3番目家族との距離というところを見ていきましょう
で 何が起こったかというと
イエス様をどうしても否定したかった 安息日律法に違反したことを
まあ強いてば有罪にしたかったわけですね 敵対するパリ沢人たちは
ついにはですね この両親を呼び出して尋問を始めたんです
20節と21節そこでまあそしてですね これは本当にお前たちの息子だったのか
そして本当に目が見えなかったのが開かれたのかと尋問したんですね
すると両親はこう答えたんです2021 これが私たちの息子で盲目で生まれたことは知っています
しかしどうして今見えているのかは知りません 誰が息子の目を開けてくれたのかもしれません
本人に聞いてくださいもう大人です自分のことは自分で話すでしょう 繰り返しますが
彼らはどうしてもこのイエスさんを有罪にしたかったそしてまあね 詳しいからもいらっしゃいますけど
冤罪の生まれる典型で自分たちの描いたストーリー通りにこの
なんていう人が出来事が進展していくことを願って 証言を許容した
強要したそんなことがこの場面からも見て取れるわけです 両親を呼び出して自分たちの自分たちに有利な証言を引き出そうとした
しかしご存知のようにその彼らの答えは パリサイビドラの期待を裏切ったわけですね
ユダヤ人たちの圧力
まあ 親子関係は認めます
生まれつき盲人であったことを認めます でも
まあ極論言うとイエスという人物との関わりや イエスという人物が何をしたのかという確信部分についてはあれに聞いてください
もう この当時の法律では13歳になれば大人になって法律法的にでですね
証言できる 成人ならしいですだからもう
直接そういう言葉 息子に聞いてくださいあれに聞いてくださいという言い方してるんですね
でもう皆さんお気づきのように 確信部分を両親は息子に突き返して
このように言ったその背景は何かというと 22節で解説されていますねちょっと長いんですけど読めるかで読んでみましょうかさん
彼の両親がこう言ったのはユダヤ人たちを恐れたからであった すでにユダヤ人たちはイエスをキリストであると告白するものがいれば
街道から追放すると決めていっ ねまぁ選手ちょっと話しましたけどここでユダヤ人ということを極端に受け止めて
ユダヤ人排斥の理由にしてはもちろんいけないということを皆さんご存知かと思います まあ
文学的なヨハネが使う表現で同じことの繰り返しを避けるために パリサイ人という代わりに使ったようなんですけれども
まあ余談ですけども今日の最後のところの23節にはですね わざわざもう1回ですね
この後に そのため彼の両親は
もう大人ですから息子に聞いてくださいと言ったのであると言って この両親の
セリフをわざわざ繰り返しているんですね それほどこのまあ親子の別離というか離別が
顕著であったということが繰り返されているのかもし強調されているのかもしれません 実はここでありますように
どれくらいの範囲で追放されたのかって議論もあるんですけども少なくとも そのコミュニティの中心であったユダヤ教の街道まあ今で言えば礼拝堂みたいなところ
でも礼拝堂だけじゃなくていわゆるですね地域住民が集まるコミュニティセンターみたい ところですでしたからそこでいわゆる
敵になったわけですつまりその地域社会から爪弾きになる そういうことがもう起こっていっ
両親はそれをで 同胞のユダヤ人さえも恐れていたという言い方はされているんですね
で先週もお話ししましたがヨハネがこの福音書を書いた時代にはですねもうすでに イエス様信じた人たちがですねやはり地域のユダヤ人のコミュニティから疎外されていた
ということが起こったわけです だからまあ書いたヨハネはそういう目に合っているユダヤ人の
キリストクリスチャンたちですね共感を 呼ぶようなことをかけ書いてですね
自分たちと同じ苦しみにあった人がいるんだということで慰めと励ましをこの 物語にも込めたのではないことを言われているわけです
信仰の告白と成長
このように目を引くのはですねイエス様を告白することによって 最も親しいとされているような親子や家族関係の中でもまあ
離別 分裂が生じたということが示唆されているんですね
でまぁ経験した方もない方もいるかもしれませんが私たちが日々の生活の中で この
同じような 経験イエス様の救いに触れたり告白する中で家族との関わりが
ギクシャクするということが起こってくるかもしれない その時の慰めとなり指針となるような物語でもあるわけですね
しかし私たちにもこの与ハネの福音書は同じ慰めや励ましを
与えているわけです 親しい人からですね
別離を告げられるようなことがあったとしてもですね 私たちは日々の生活の中でこの目の見えなかった人のようにこのイエス様の救いに
触れていく そういう経験をする中で実は信仰が確かなものとされていって
繰り返しますがイエスは私の救い主ですと告白できるように
成長させられていくんですね ただ
まあ皆さんよくご存知のように 宗教カルトとは区別して気をつけなきゃいけませんね
この間もある国で 全政権との関わりがはっきりしたある
教団の 幹部が捕まったなんて事件が事件でがほど報道されましたけれどもつまり
極端にですね家族関係や人間関係の別離や拒絶をですね
強調して献金や献身を強制するというのがカルトの上等手段です そんなとこにいたらサタンに
誘惑されるようみたいなことを言ってですね そして
献身して献金しなさいそれカルトの上等手段ですから皆さんそこないと思います けれどもそういう相談を受けたらですねそれはいい
違うよと言ってあげることもできているかと思います まあそういうことには注意していくわけですね
ちょっと最後に注意が入りましたけれども まあ私たちはこの目の見えなかった男の人のようにですね
イエスさんの救いを体験するような そういう経験をする中で
このかこの方この人物イエス様は私の救い主ですと強く言えるものとされていく そのことを感謝していきましょう
最後に旧約聖書の呼吸ですね 呼ぶ自身が締めくくりで告白した信仰をの言葉を読んで終わりにしたいと思います
ヨブ記の42章の2節と5節です ちょっと長いんですけれども読めるかで読んでみましょうか
あなたにはすべてのことができること どのような計画も不可能ではないことを私は知りました
私はあなたのことを耳で聞いていました しかし今私の目があなたを見ました
お祈りしましょう 救い主なるイエス様あなたのお名前を賛美いたします
あなたは神様から使わされ私たちに神様ご自身を示し そのしるしをなさった救い主であることを信じてあなたを褒めたたえます
私たちの日常生活の中で様々な困り事が起こり救いを必要とすることが起こります またあなたに対する信仰を告白することで人間関係の圧力を体験することがあるかもしれません
どうかそのような中で 人々を極端に拒絶するのではなく祈りながらしかしイエス様への信仰を
確実にしていくことができるように私たちを哀れに導いてください 日々の生活の中でイエス様が救い主だ私の目を開けてくださった
そのような経験を積み重ねることによってあなたを大胆に告白していく 私たちであり教会でありますようどうか導いてください
この願いと感謝を私たちの救い主主イエス様のお名前によってお祈りします アーメン
それでは1分ほど黙祷してイエス様に祈る時間を持ちましょう
27:13

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