イエスの祈りと「栄光を表す」ことの意味
お読みします。 ヨハネの福音書17章1節から5節。
これらのことを話してからイエスは目を天に向けて言われた。 父よ、時が来ました。子があなたの栄光を表すために、この栄光を表してください。
あなたは子に、すべての人を支配する権威を下さいました。 それは、あなたが下さったすべての人に、子が永遠のいのちを与えるためです。
永遠のいのちとは、唯一の真事の神であるあなたと、あなたが使わされたイエス・キリストを知ることです。
私が行うようにと、あなたが与えてくださった技を成し遂げて、私は地上であなたの栄光を表しました。
父よ、今、あなたご自身が見舞いで私の栄光を表してください。 世界が始まる前に一緒に持っていたあの栄光を。
以上です。今日はこのところから、人生の目的と題して御言葉からお話しいたします。
皆様おはようございます。 本当にですね気温の変動、気候の変動が激しくて、先週水曜日は台風がですね
関東にも接近しました。 おはようございます。そしてまあ体調を崩す方もいらっしゃいましてね
今日礼拝お休みやオンラインの方もいらっしゃいます。 まあそんな中ですけれども今日はヨハネの17章からあるね新しい章から見ていきます。
でイエス様の 国別説教いわゆる最後の晩餐のようなところでですね
イエス様は弟子たちにお別れのメッセージを語ったというのが13章から続いてきました。
実はそれが先週のところで終わって、その最後の言葉が
あなた方は世にあっては困難があります。しかし勇敢でありなさい。 私はすでに世に勝ったのです。という勝利の宣言でその弟子たちへの国別説教を終えました。
そして今日のところからイエス様はいよいよ十字架を間近に控えて、まさに逮捕される直前にですね
父なる神様に祈りを捧げた。その祈りが17章に記録されているわけです。
で今日はその 冒頭の部分からですね
学びます。でそこには 今まで見てきたような難しい理解に難しい言い回しがあります。
その一つが道と御子が互いの栄光を表すということですね。
そのことをまず最初に取り上げる。栄光を表すとはどんなことか。 そしてそれに関係して私たちが神の栄光を表すとはどういうことかということを
まあそれが人生の目的であるということを2番目に言います。 3番目はですねもう一つの難しい部分で5節のですね
3節の唯一の誠の神とイエス様を知ることが永遠のいのちであると。この意味をですね見ながら
人生の目的として神を知るということについて考えていきたいと思います。 それでは
この絵を見せませんでしたが17章はですねイエス様の祈りです。 道と御子が互いの栄光を表すというその栄光を表すということを中心に
まず最初の2つの点を見ていきます。 一番最初はイエスの栄光を表すとはどんなことかということを見ていきましょう。
17章1節でイエス様の祈りがこう記録されています。 これらのことを話してからイエスは目を天に向けて言われた。
じゃあこの祈りを読んでみましょうか。 父よ時が来ました。子があなたの栄光を表すためにこの栄光を表してください。
実はこの栄光を表すという言葉はですね ギリシャ語の動詞でもともと一つの単語なんですね
動詞の一つですが日本語はですね 栄光という
栄光を表すという2つの言葉が組み合わさっていますが元々のギリシャ語ではですね 栄光という名詞が動詞になったたった一つの言葉は日本語にない表現なんですね
で実はそれにはですね
え
このちょっと 知識として言っておきますけどね
独作像という一つの 栄光を表すという動詞ですでもともとこの独作というこの
栄光という名詞が動詞になっている 実は2つの意味がですねこの栄光を表すという独作像にはありまして一つは華やかに服を
着るんだ この間の絵画展に行った方もいると思いますけどね
森花江さんのあの 絵画展ってやってましたけどねまさに森花江さんはですね華やかな衣装を花の衣装ですね
デザインしたんです それもともとそのような華やかな服を着るで聖書では
威厳を身にまとうとか栄光を身にまとう そんな意味があるんですね
で実はその 律令がですね旧約聖書の4編の4編の一節に出ています
こんな言葉です 我が魂よ主を褒めたたえよ
我が家に主よあなたは誠に大いなる方 ここから3読んでみましょうか3はいあなたは威厳と意向を身にまとっておられます
この栄光を身にまとうという まあ栄光を表すというのはそういう意味なんですね
ここである神は威厳と意向を身にまとっている でまぁちょっと難しく言い直しますと神様の神性な本質がですね
目に見える形で現れていることを意味しています でなぜこんな話をするかというとですね
実は イエス様がこの地に来られた時にこの神としての身にまとっていた栄光を脱ぎ捨てて地に
下ってこられたことなんです で実はその姿についてパウロは
このように表現しているんですね イエス様が神の栄光を身にまとっていたものを脱ぎ捨てて人間になったということですね
フィリピンの2章6節7節でパウロはこう言っています キリストは神の見姿であられるのに神としてのあり方を捨てられないとは考えず
ここで読んでみましょうかさんはいご自分を虚しくして下辺の姿を取り 人間と同じようになられました
このご自分を虚しくして下辺の姿を取り人間と同じようになられました そしてその後実は十字架の死にさえもしたかったこれ
ね身にまとう王様がまさに王様の衣装を身にまとって 冠を身にまとっています
でも これ脱ぐと普通の人ですよね
これあの 興味を皆さんに面白いなと思ってもいただくために言いますけどこれね王様の姿
っていうのでインターネットで出てきた絵なんです で
これを 説教と関係ですけど今流行りの生成 ai で
この王様を庶民の姿にしてくださいって言ったらこの絵になったです もっと顔がこのままだったんでエヴァてたのでこのエヴァった顔でこの
服だったのでもっと優しい顔にしてくださいって言ったら この映画できたんですね
まあそれ生成 ai でか変わりましたけどまさに家様は本当ならばこの 多いを身にまとっていたのにこれを脱ぎ捨ててまさに
ちょっと言い方悪いんですけど一般の民衆の姿をとってきた まあ後でも出てきますがだから人々は信じなかったんですね
お前が神の救い主のわけないじゃないか 約束された王のわけないじゃないかと言ってこの姿を見て人々はイエス様を拒んだ
わけです
まあ何が言えるかと言うと私たちにとってはですねイエス様が人となったというのが まあ当たり前のこととして信じています
しかしそこにはこのような大きな自生と言いますかね そういう
ご自分を癒しくするそういう姿があったということをもう一度思い起こす必要が あるのではないでしょう
そして今日見た1節から5節の祈りでイエス様はですね 父なる神様にもう一度この神の意向を私に授けてくださいというそういう祈りが
この今日のところに書かれているわけです そしてこの栄光を表すには読者読者像には
まあ身にまとう 威厳や意向を身にまとうということがありましたあります
そしてもう一つの意味はですね栄光を表すには神や偉大な人物に対して賛美して 称える栄誉を称えるという意味があるんです
でよく私が思い起こすのですね いわゆる高校野球の甲子園大会で勝った学校が効果を歌いますよね
その時に場内アナウンスが流れますただ今から丸々高校の栄誉を称え 同校の効果を演奏して後期の
こういう掲揚行為を行いますこの 栄誉を称えなぜかこれはこの学校が買ったそれにふさわしい努力をした
それだけまあ素晴らしい学校ですということがこの勝利に現れていてその素晴らしさや 栄誉を称えるために効果を歌いますということが言われているわけですね
それが公に示されたのでその実績と名誉を称えるという意味を込められて 効果を歌ったわけです
このイエス様の十字架と復活ですね このイエス様の十字架と復活そして焦点によって実はイエス様は世界が始まる前に一緒に
持っていた 神様と一緒に持っていたあの栄光を
神様が私に あもう一度まあ表してくださるようにと祈ったというのが今日の箇所の祈りなんですね
まさにイエス様は
ここではですね人間という限りある肉体を脱ぎ捨てるがごとく 十字架で死なれそして復活して今度は復活した後まさに
その前に脱ぎ捨てた神の威厳と栄光を身につけて 天に登っていく
そのことをイエスさんはですね父なる神様に願ったというのが今日の祈りなんですね まあ前半の部分はイエス様の祈りの背景ということ
栄光を表す栄光を身につけるということをちょっとまあ 聖書の知識として皆さんに知っていただきました
人生の目的:神の栄光を表す
じゃあ次ですね2番目神の栄光を表すという人生の目的ということを考えていき ましょう
じゃあ17章の4節読めるかで読んでみましょうかはい私が行うようにとあなたが与えて くださった技を成し遂げて私は地上であなたの栄光を表しました
人生の目的は神の栄光を表すことである 私はですね学生時代にある宣教師の方を通してキリスト教信仰もしまい
その時にその宣教師の方がよく私に教えてくれた言葉です 学生ですね
全という防火全都たなんかわかりませんけど イエスも信じたばかりの学生にその宣教師の彼はですね
人生の目的は神の栄光を表すことですよ 実はこれは宗教改革者のカルバンという人の思想なんですね
それを私は今でも覚え
でイエス様はまさにこの地上の生涯で父なる神様の栄光を表してきたわけですね そして
これまで見てきましたようにイエス様が押した教えとかイエス様がした奇跡というのは 自分が称賛されるためではなくて
イエス様を使わした知事なる神様の栄光を表すためだった そしてそのゴールが
十字架だということですね 実は
イエス様がですね先ほど 祈りましたけど見ましたけども一節で
父よ時が来ました子があなたの栄光を表すためにこの栄光を表してくださいという 祈り実はこれはですね
覚悟の祈りでもあるんですなぜかイエス様がまさに 神の栄光をもう一度身につけるためにはですね
十字架を通らなければいけないです ですからこれはですね私はこれから受難の道に進んでいきますという覚悟が現れた祈りなんですね
でその覚悟が現れた祈りですけれども イエス様ご自分の生涯を通して
神の栄光を表しましたけど父の栄光がなましたけど最後はこの自分のいのちを投げ出して 神の栄光を表す
まあちょっと難しいことは言いませんけども それを通して多くの人々が神を信じるようになるということにつながるんですけどもね
まあここで考えてみたいんですけどもイエス様が神に仕えた人の モデルであるならばどうでしょう皆さんもですね神様に栄光を表すそんな人間に
なりたいと思いませんか大されたことが大されたことだと思ってしまうかもしれません けど
実はこれを言い表した
パウロの言葉がありますね パウロは実は
ローマの獄中の中にいたんですねご自分 パウロがした選挙の家にですね捉えられて
まさにおそらく皇帝ネロの前に立とうとしている そういう自分のいのちが脅かされるような
まあ自由はありましたけどもローマの南京状態の中でパウロはこういうふうに手紙に 書いてるんですね
読んでいますね 私の願いはどんな場合にも恥じることなく今もいつものように大胆に語り
国連で読んでみましょうかさんはい生きるにしても死ぬにしても私の身によって キリストが崇められることです
まさにパウロはできればあなた方のために生き延びていきたい そしてあなた方にまあ福音を伝え続けたいというようなことを言ってるんですけども
もし自分が死んだとしてもということでこのように生きるにしても死ぬにしても私の 人生の究極の目的それは私の身によってキリストが崇められることであるならば
このいのちが失われてもいいという覚悟でパウロが書いています もちろんですね私たちは自分のいのちを粗末にしてはいけませんよね
いのちを守っていくことは大事ですけれどもなおですね このパウロが告白したようにどんな境遇であっても
イエス様の素晴らしさが自分を通して表されるそんなことを願っていこうではないか そういうふうに私は
私も思いますし皆さんにもお勧めしたいわけですね 3番目
人生の目的:神を知る
神を知るという人生の目的ですね 17章3節でイエス様はこのようにおっしゃいました
読んでみましょうかさんはい永遠のいのちとは唯一の誠の神であるあなたとあなたが使わされた イエスキリストを知ることです
人生の目的は神を知ることである 人生の目的は神を知ることである
実はこれもですね先ほどお話しした 宣教師がよく言っていた言葉です
これはですねこの言葉も実はその宗教改革者カルバンの思想をもとにした言葉なんですね 人生の目的は神を知ることである
でちょっとこの意味を考えていく前に先ほど申し上げました この制服の難しいところを少し考えていきたいと思います何が難しいかというと
唯一の誠の神であるあなたとあなたが使わされた イエスキリストを知ることです言い換えると唯一の誠の神である
神と唯一の誠の神と 神が使わしたイエスキリストを知るということその
どうしてこれが一緒に書かれているのかということを見ていきたいと思います もう結論から言うとですね
この2つは切っても切れない縁があって一つのことなんですね それもう少し詳しく見ていきます
旧約聖書を見るとですね 神が使わした預言者を受け入れるというのは神を受け入れることでした
反対に神が使わした預言者の言葉を拒むことは神を拒むことでしたね まあこれはよ
まあ猛瀬がを猛瀬ですけどねこの 猛瀬に呟いた人々は神を呟いた神に呟いたということでまあ
いろんな裁きが下りましたで同じように 唯一の誠の神を信じることはその神様が使わした
救い主イエス様を信じることなんだそれが 2つともですね
特に 神が使わしたイエス様を信じることは唯一の誠の神を信じることであるんだ
ということなんですね でなぜそれが言えるのか
それはですね 人間が永遠のいのちを得るためにそして人間が神を知るために神様がその解決策と
してイエス様をこの地に使わせてくださったからなんですね 人間はいつも言ってますけども
罪という問題があるゆえに神様を知ることができないし 神の御心を悟ることもできないそしてその罪という人間の根本的な問題を解決するため
そしてその罪の問題を解決して神を知り 永遠のいのちを得るために神様は救い主イエス様をこの地に使わせてくださったわけですね
ですからその 問題解決として
使わせてくださったイエス様を私たちが信じることは 信じることによって当然罪が許されて神を知ることもできますし
神が使わせた救い主イエス様を信じているわけですから それはですねすなわち神をそのイエス様を使わせたおもとであるこの神様を信じているということになるわけなんですね
実はそのことを同じオハネが共感やってた手紙の中でこう語っています これも読めるかと読んでみましょうか
はい誰でも美好を否定する者は道地を持たず 美好を告白する者は道地も持っているのです
何が言いたいかというとちょっと 理屈としては難しいかもしれませんが
イエス様を信じることとそのイエス様を使わせた 父なる神様を信じることは切っても切れない縁です
あもう少し極端に言うと 神様が使わせたイエス様を拒むということはそのイエス様だけではなくて
イエス様を使わせた唯一の誠の神を拒んでいることになる それが実は
この
誠の神とイエスを 知るということが2つであり1つであるという永遠のいのちにつながるということなんですね
でその 両者を知るということが切っても消えない縁があるということからこの17章3節もですね
永遠のいのちとは何ですかというときに永遠のいのちとは唯一の誠の神である 父なる神様とその父なる神様が使わされたイエス様を知ることを信じることだ
それが永遠のいのちなと イエス様は教えているわけです
でここから見ていきますけど私たちの人生の目的は神を知ることだということとどう関わり があるか
実は ここではっきり言っているのは永遠のいのちとは何ですか
それは簡単に言うと永遠のいのちとは父なる神とイエスキリストを知ることです と言ってるわけです
縁の人は単なる死なないでずっと生き続けることをそうでもあるんですけども そうではそれだけではなくてあるいはそこに含まれているように神を知ることが
永遠のいのちなっていうのがこのイエス様の言葉の意味するところなんですね 私たちがですねこのイエス様を信じるときに永遠のいのちが与えられます
そしてその永遠のいのちを与えられて誠の神とイエス様を知りますけれどもその 神を知り続けるイエス様を知り続けるという生涯が始まっているんですね
そしてこの イエス様を知り続けること神を知り続けることそのものが永遠のいのちであり今このいのちが
始まっているならばそのいのちはですね 私たちの肉体の死を超えても続くいのちであるわけなんです
先週まで見たようにイエス様は イエス様の弟子であるならば
悲しみが避けられないと言いましたそして キリッシャーキリスト者として困難が待ち受けていると
イエス様をおっしゃったんですね しかし
そのような 困難の中にあっても私たちはどんな境遇の中にあっても
神様を知り続けることができるしイエス様を知り続けることができるわけですね で
人間関係と似ていてですね知るっていうのは単なる知識ではなくてその人がどんな人 なのかなということがその人を知ることです
もう少し極端に言うと私が苦しい時に私が信じている神様はイエス様は私を助け てくださる神様なんだ
それを知ることが 本当の意味で知ることでありそしてそういうしそれを知り続けることが永遠の
いのちであるということなんですね そしてその
赤身は私の本当の救い主であるんだ私を愛しているんだというその神を知る 知り続けることは
この地上の困難の中にあってもできることですしそしてその最大の困難である 死を超えてもなお続く
永遠のいのちであるということができるわけなんですね 先ほど話したですねその選挙子のお話をしますとですね
その選挙子と私が出会ったのは1980年代から90年代にかけてなんですね で
その頃ですね まあいろんなことありましたけどその選挙子の方は学生に向けて伝導してたんですけども
まあ役割が変わって会計専門の選挙子になったんですね でまぁ選挙子とすればですね直接日本人に対面してその人を救いに導いた
り指導するということがですね まあ母国に対していいレポートかけたりとか選挙子としてきた意味があるにも
関わらずですねその方はですね事務所にずっとこもってこう会計の事務をしてました で必要な時だけ週に1回私に会いに大学に来てくださったんですね
でまぁ なんであのそういうオフィスにて選挙子として辛くないですかって言ったらですね
彼はですねや人生の目的は神を知ることだから だからこの仕事をしても私は神を知ることができるんですそれに満足しているんです
っていうことを教えてくださったんですね そして実はですねあのその時選挙子のチームがあったんですけどいろんな個性的な方が
でまぁ今で言えばトムクルーズみたいなですね かっこいい方もいてで当時選挙子が自分を導いた若者にマンツーマンでこうコーチみたいな
指導してたんですねだからまあ私は違いましたけどああいうトムクルーズみたいなね 選挙子に指導を受けたいなって思った方もいるかもしれません
あるいはですね オリンピック選手のような花々しいこのスポーツの経歴を持った方もいたりしてですね
ああいうこうね立派な経歴の持った人にですね 指導を受けたいという
ちょっと私は思ったりもしたんですけどね で私を指導してくれた人はですね
まあ性は高いんですけど見てくれはですね あのトムハンクスとかですねダスティンホフマンを合わせて一つにして髪の毛をですね
アフロヘアにした感じですね まああんまり目立たない感じの大人しい方だったんですね
でも その方がですね先ほど言いましたけど人生の目的は神を知ることである
それから人生の目的は神の栄光を表すことである 私はこのオフィスにいても
神に栄光を表すことができるからこの仕事に満足しているんですよって言ってくださったんです 実は
彼が日本に来た頃は1ドル250円とこの時代だったんです でもあのプラザ5位からどんどん円が高くなって1ドル100円を切っちゃったんですよね
もう本当にですねサンドイッチもなんかだんだん昼ご飯のサンドイッチがの中身が少なく なっていくのを見えたんですけども
そんなので彼は 最後ですねもう日本にいられなくなって母国に帰ってしまったんですね
で実はこの話を思い出した時にふと思ったのですね 非常に地味な方で最後はですね選挙の前線になかったんですけども
なぜかですね彼が言った人生の目的は何をやってても神を知ることであるし何をして どこにいても神に栄光を表すことだっていうことを今でも覚えているんですね
私はこの自分の境遇に満足できないことはあんまないんですけども 辛いと思った時にそのことを思い出します
で実は今日たまたまこの足をすることになったんですけどもその時に思ったのはあ もう40年近く経ってもですね
その彼の言葉を覚えているんですね さっき言ったようにまあ
ルッキズの問題があるかもしれませんが トムクルーズのような人でもなければ
オリンピック選手のような経歴持った人でもなかったけれども今でもその彼の言った 言葉が私の心に残っているんです
どうでしょうね皆さんもいろんな境遇にあって目立ったり目立たなかったりするかもしれ ませんけども
皆さんの存在がですね 誰かの中で
神を思い起こさせるような存在皆さんの言葉が誰かにとって 思い出した時にですねあの人が神様についてこんなことを言ってたなということが
思い起こさせるような存在 そんな存在となってですね神に栄光を期す
何年経っても 自分を忘れても神に栄光を期したそのことがですね人々の頃に残る
そんなお互いにありまた教会になりたいそう私は願うわけですね 最後にこのパウ
結びと祈り
人ヨハネがですね教会に書いた 永遠のいのちについての見事を読んで終わりにしたいと思います
読んでみましょうさんはい誰でも美好否定するものは道地を持たず 美好告白するものは道地も持っているようです
私たちがですねこの救い主イエス様と知なる神様を知り続ける そんな永遠のいのちに生きるお互いであり教会でありたいと思いますお祈りしましょう
天の神様御名を賛美いたします イエス様が十字架の上で死んでくださり私たちの罪の贖いを成し遂げてくださいました
それによって私たちの罪が許され私たちは唯一の誠の神である 知ってある神様そしてその神が使わしたイエス様を信じることができ神のことされている
幸いを感謝いたします どうぞ私たちがこの与えられた永遠のいのちあなたを知る幸いをこの地上で十分
味わい尽くすことができますよ 私たちはこの地上の生涯を置いてもこのあなたを知る
永遠のいのちの希望がなおも続いていくことも感謝いたします どうぞその幸い
私たちがまた私たちを通してあなたの栄光を表す そんな存在としてこの地を歩んでいくことができますよ日々私たちを導いてください
この願いと感謝を私たちの救い主主イエス様のお名前によってお祈りします
それでは1分ほど黙祷する時間を持ちましょう