1. Notable_ Radio|セルフリーダーシップを育む15分
  2. #2 海外大学院への挑戦/限界ま..
2025-02-25 16:34

#2 海外大学院への挑戦/限界まで落ち込みきったことで見えてきた光の話

▼今回のトーク内容

大学院出願直前にわかった妊娠。喜びと不安の中で揺れた期間と、限界まで落ち込み切った先に見えた感情と現実について話しています。


▼番組概要

Notable_ Radioは、「セルフリーダーシップ」をテーマにした15分のポッドキャストです。パーソナリティの保倉冴子(子連れワンオペでコロンビア教育大学院に留学し、夢のシンガポール移住を実現)と、サブMCの岡田リチャード(会社を辞めて妻のロンドン駐在に同行)が、実体験に基づく「自分らしい生き方」へのヒントを毎週お届けします。

毎週火曜日AM5時の配信です。


▼お便り投稿フォーム

https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSdwhKV5vKanuSGHSW4xy6FZjD6GLbw3L5lIl9igcTEnIhp_gA/viewform?usp=sharing


▼保倉冴子主宰コミュニティ Notable_

noteメンバーシップにて、セルフリーダーシップを育む女性のためのサードプレイスNotable_を運営しています。次回募集は2025/3/1-3/9を予定しています。

https://note.com/saekoyasukura


▼番組ハッシュタグ

#notableradio


▼パーソナリティ

保倉冴子(プロコーチ/コミュニティ主宰)

https://x.com/SaekoYasukura

https://www.instagram.com/saeko_yasukura/

コロンビア教育大学院にて成人教育とリーダーシップ修士修了。コロンビア大学認定エグゼクティブコーチ資格保有。女性のためのセルフリーダーシップを育むコミュニティNotable_主宰。シンガポール在住の3歳児ママ。


岡田毅志リチャード(リチャ/プロコーチ) ⁠https://x.com/tiedfamily244⁠日本育ちのイギリス系ハーフ。住友商事、リクルートを経て妻の海外駐在に同行するため退職し、バリバリのサラリーマンから一転、主夫として渡英。2児の父。筋トレ、読書、ストレッチが日課。国際コーチング連盟認定コーチ。

サマリー

このエピソードでは、彩虹さんが大手電気メーカーを退職し、ウェディング・ブランディングの会社での経験を経て、海外の大学院への挑戦を決意した経緯が語られています。彼女は心の中での変革や、結婚式を通じて得た感動から、新たなキャリアに向けた準備とチャレンジの重要性を感じています。また、海外大学院への挑戦と妊娠がもたらす新たな状況への適応についても触れています。苦しい時期を経て、自分の道を信じる重要性に気づくストーリーが描かれています。

キャリアの出発点
こんにちは、Notable Radioへようこそ。今日は海外大学院への留学とその準備過程についてお話しします。
この15分で、彩虹さんがどのように決断をしたのか、その裏側を深掘りしていきます。
Notable Radio
ということで、彩虹さんは、一社目に入った大手電気メーカーを退職して、自分の心を震わせてやまない本を書いた社長の、作った結婚式の会社ですね、ウェディング・ブランディングの会社に、
プロデューサーとして、転職されてご活躍されていたわけですけども、まずそうですね、どうだったんですか?
そのウェディングの仕事って、元々のメーカーは、自分の心を震わせる場所じゃなかったっていうことが、残念ながら分かり、ここに違いないっていうことで、
1個候補の会社があって、そこにそのまま転職したんで、自己分析不足なんじゃないかっていうのはね、元転職エージェントとしては突っ込まざるを得ないんですけど。
そうですね。
ただ、どうだったんですか?入ってみて、どんな環境だったんですか?
めちゃめちゃ楽しかったんですよ。水を得た魚ってこういうことっていうぐらい楽しかったですね。
そう、あのね、そう、自己分析不足だったっていうのは否めないと思う。まだ自己分析不足って思うんですけど、でも多分そうだと思って、
多分ね、私リクルートとか受けたら、リクルートも多分楽しめるタイプの人だ気がするので。
あのね、超ハイパフォーマーとしてね、表彰されまくってたと思います。
わかんないですけど、嬉しいです。元リクルートのりーちゃさんにそう言っていただいて。
でもなんか、そのぐらい視野が狭かったんですよね。視野が狭くて、そこに信じて転職をしたので、私の熱意も多分すごく高かったし、
これをやりたいって思っている、心で動いていた部分があったので、正解にできたっていうのはあるかなっていう気がしますね。
なるほどね。じゃあ、すごく順調というか、めちゃくちゃ大変なこともたくさんあったと思うんですけれども、
そこからチャレンジとして海外大学院に挑戦されるっていう、めちゃめちゃでかいチャレンジをしているわけですけど、
これはどんなきっかけがあったんですか?
これが、大学院に行こうって決めたのが29歳のときですよね。で、そのときがめちゃめちゃひどかったんですよ。
14週間連続で結婚式を作ってて、14週間連続で、かつその間に会社の周年パーティーとかものをプロデュースもやったり、
あとは、その14週間のうちに3回だか4回全国で作ってたんで、福岡行ったり、千葉のキャンプ場に行ったり、和歌山行ったりとかそういうタイミングで、
もう本当に体力的にかなり、かったというかギリギリだったんですよ、精神的にも。
で、ここで働き切った14週、一番最後の週に台風が来て、超大型台風で、すべての結婚式が延期になるみたいな。
海外大学院への挑戦
日本全国のすべての結婚式が、全部延期になるレベルの台風が来たんですよ。
そこで、またお客様の気持ちにも寄り添って、延期のご案内をさせていただいたりとか、
それにまつわるすべてのことの手続きをしている中で、
ちょうど、心がポキッと、燃え尽き症候群じゃないですけど、折れたっていうよりも、ちょっとしぼんじゃった時があったんですよね。
へー。
えー、なんだろうな、その時も朝4時生活してたので、
そうだったんですね。
朝4時から、ほんとなんか、17時とか12時ぐらいまで仕事して、
その時はもう睡眠時間が短くって、
えー、なんかこんなに心を尽くしてやってるのに、最後の最後に台風で、
で、お客様も悲しいし、私も悲しいし、
なんかもう、あれー、なんか、やば、もうだめかも、みたいな。
ポロって涙出ちゃうぐらいの時があって、
で、その14週間が無事に終わった後に、ちょっと長期休み、2週間ぐらい休みを取って、
今後、30目前になった時に何をしていこうかっていうのを棚卸ししていったんですよね。
で、その時に分かったのは、
私がその当時、人生が変わるほどの結婚式っていうのを、
クレイジーで歌っているものを作っていく時で、一番楽しかったのって、
新郎新婦の2人の話を2時間ぐらい初対面でわーって聞くんですよ。
で、そこで2人の人生のターニングポイントとか、
なんでそもそも2人は結婚したのかとか、
結婚する理由って何ですかとか、親御様との関係性なんですか、
2人はこれからどんな思いを持って、もしくはビジョンを持って、2人で歩んでいくんですか、みたいな、
ちょっとある種コーチング的なヒアリングを。
で、そこから2人のコンセプトを紡ぎ出して、
コンセプトを元に2人の人生を後押しできるような結婚式を作って、
この伴奏する6ヶ月の間で、2人の人生が少しでも何か良い変化が生まれるといいなと思いながら、
関わりを持った先に、結婚式を終えてから、
もう安倉さん、ほんと人生変わりました、みたいな、2人で移住をしますとか、
起業をしますとか、転職をしますとか、それこそその結婚式後にクレイジーに
転職をしてプロデューサーをやってる方とかも今いるんですけど、
またそういう話を聞いて、
大人の価値観の変容ってすごいなって、
自分の人生を結婚式を機に捉え直して、
それによって自分の人生を歩み直すって素晴らしいことだなって、
そこに感動してその仕事をしてたんですよ。
で、そこで結婚式を作るっていうのも、
記事表とか、手記札とか、切れ物とかあるじゃないですか。
もっとある、もっとある、決めなきゃいけないこと。
で、それを一緒にやって、一緒に悩んでって、
それも楽しいんですけど、
30歳以降の今後のキャリアを考えたときに、
私が突き詰めたいのはこの前者だなって思ったんですよ。
前者というのは特変容ですね。
そうそう。
その変容とか、そういう関わりをしていく、
大人の変容をアスファルトしていくっていうことを、
プロフェッショナルとしてやっていきたいと思って、
今のままでももちろん12分に楽しいけれども、
30歳以降のキャリアを考えたときに、
ちょっとデバレージを聞かせて、海外の大学院に留学をして、
胸を張ってこれを学んできました。
そして今後実践をしていきますっていうことにしたほうが、
いいんじゃないかなと思ったっていうのが、
一番のきっかけですね。
なるほどな。なんか繋がりましたよ。
もともとグローバルメーカーに就職して、
ファイト企業でしたと。
選んだのもそもそもグローバルに活躍したいからだと、
思ってたんだけれども、
本当にやりたいことっていうのは、
たぶんこれって言って、
たまたま見つけたクレジーウェディングに、
飛び込んで入っていったら、
自分がやってることは、
結婚式をプロデュースするっていうこと。
これがやってることだけど、
この雑誌っていうのは、
結婚式を申し込んでくれた2人夫婦が、
人生を変えるような、
そのための伴奏っていうのをしてたんだと。
で、これにあたしめちゃめちゃ興味があるっていうことに
確信を持ったので、
それを突き詰める方法として、
何が人の変容を起こすのか、
っていうところだなって確信を持って、
じゃあやるんだったらとことんやろうぜっていうことで、
海外大学院となったわけですね。
準備の苦労
そうです。そうなんです。
なるほどな。
ノータブルラジオ。
どうと思っていけるところなんですか?
コロンビア大の教育大学院とか。
頑張ればね。
いけた人はね、そう言うわ。
いけた人は言うでしょうけども。
どうだったんですか?
だって日々14週連続で結婚式、
14件ってことでしょ?結婚式が。
そうです。そうです。はい。
朝4時に起きて、夜中まで仕事をしてて、
勉強する時間とか、
そこまでも多分あんまり取れてなかったんじゃないかなって、
勝手ながら思うし。
そうなんですよ。
どうだったんですか?大学院への準備って。
どのくらい大変な過程だったのかって。
そうなんですよね。
でもそれで言うと、その直後にコロナが来たんですよ。
そういう時期でしたね。
コロナが来て、そうすると結婚式はちょっとね、
できなくなるパターンが多くて、
なので担当していたお客様も、
ちょっと延期をしたりとか、
そういう形で、
ちょっと時間が空いたっていうのもあるんですよね、
そのタイミングで。
とはいえ、結婚式の現場の仕事がないにせよ、
業務はちょこちょこあったんですけど、
でもちょっと余裕ができたっていうのと、
あとはもうね、
私大学院に行きたいんですっていうのを、
その当時の上司に言います。
うんうんうん。
で、その当時、多分プロデューサーの中でも、
一番ぐらいに案件を持たせてもらってたんですよね。
なので、ちょっと減らして、
月に2件ぐらい。
月に4件はちょっと難しいから、
月に2件ぐらいにして、
自分の今後のキャリアの形成のために使っていきたいです、
っていうような交渉もして、
っていう感じでやってました。
で、朝4時に起きて勉強をするので、
1日5時間とか6時間ぐらいは英語に使って、
話準備に使って、
海外大学院への挑戦
試験、試験というか出願のための勉強に使って、
っていう感じだったかな。
その英語の勉強がやっぱり大変でしたか?
英語はね、大変でした。
私、大学卒業する時に、
等1個は930あったんですよ。
おーすごいすごい。
なので、トフルもちょっと頑張れば、
いい線いけるかな、みたいな気がしてたんですけど、
全然甘かったですね。
全然甘くて、
どんな感じだったんですか?
いやもうね、一番初めスコアが65ですね。
トフルのスコアが65。
これ、トフルってね、
いくぐらい必要ですか?
コロンビア、教育大学。
コロンビアは100以上なんですけど、
100以上ですね。
ハーバードが確か105?
だから104以上だったですね。
で、私が目指してたのがコロンビアと、
ハーバード向けようと思ったので、
じゃあ105以上だなっていう感じで、
なんかもうすごいね、道のりが長くて。
いやそうでしょうね。
もう苦しかった、そうなんですよ。
ねえ、なんか英語勉強してなかったわけじゃないというか、
ねえ、教育は930あったのに。
そう、全然幅立たなかった。
そうあったんですね。
じゃあそれでもう勉強の日々を決意して、
頑張って。
そう、苦しかったですね。
大変でしたね。
それでも頑張れるっていうのは、
やっぱり自分の革新した道に進むための、
一つの道標だと。
ここが目標だと。
そう、そうです。
もうなんか、それしかないって思って働いてましたね。
で、あとはなんか、ちょうどその時にクレイジーが、
会社としてちょっと方向が変わるっていうこともあって、
一回業務委託にしてもらったんですよ。
コロナなので、そもそも案件数が少なくなってるし、
私は大学院進学したいので、
社員のままでいるっていうよりも、
ちょっと業務委託という形で、
今持ってる年内のお客様は担当するけど、
それ以降はちょっと一回スタートさせてくださいっていう感じで、
もう一回辞めますっていう感じでやっていたので、
退路を断ったっていうのはありますね、そういう意味で。
なるほど、覚悟を切れてだけですね、
コロナという環境も好か不好か背中を押す排水の陣をしくに、
ふさわしい状況となり、業務委託になり、
ほんで、出願と。
そうです。出願の4ヶ月前に妊娠が分かるっていう。
あれだ。
そうなんですよ。
妊娠だからそれはおめでたというか、
嬉しいことには違いないんですけど、
時期ってあるよねみたいな。
そうですね、もう全くのサプライズ妊娠だったので、
もちろん嬉しい、めちゃめちゃ嬉しかったんですよ。
めちゃめちゃ嬉しかったんですけど、
やっぱりどうする?みたいな、
もし合格してもワンオペ?みたいな、やば!みたいな感じで、
ほんと妊娠したことを100%喜べなくて、
ほんとにそんな自分も嫌になっちゃうんですけど、
人生終わったなって一瞬思ったぐらい落ち込みましたね。
落ち込んだんですね。
でも、サイコさんといえばワンオペ海外大学院留学なんで、
それも引き受けていたわけですよね。
どんな決意をしたんですか?そこで。
そこで、決意っていうかね、一回落ち込みたんですよ。
もう全部、妊娠が分かったのが8月末とか9月で、
1月に出願。スコアがあともう少し伸ばしたいなって感じだった。
あとエッセイも2学期をかけてっていうフェーズだったんですけど、
妊娠が分かってからたぶん1ヶ月ぐらいは、
ほんとにホルモンの変化もあって、
気持ちが落ち込みすぎちゃって、
何もできなくなってずっとベッドの上で泣いてるみたいな感じだったんですよ。
でも、それを自分に許したのがたぶん大きかったんですよね。
すごい落ち込んで落ち込んで落ち込みきった先に、
なんか、あれ?みたいな、まだ受かってないのに、
受かってないのに、受かった後のことを考えて落ち込んでるって、
なんて意味のわからない落ち込み方してるのかなって。
続いて、土俵に立ってないのに落ち込んでてもしょうがないから、
土俵に立ってから考えようって思えたんですよ。
そこからスイッチ変わって、また大学院の準備を始めて、
落ち込みからの気づき
1月に出願してっていう感じでしたね。
なるほどな。だから、未来のことばっかりずっと考えてたと。
未来に大学院行って勉強する。
その先で大人の自己変容のサポートをしていく。
そのために今、頑張って勉強してきたっていう、
これまで積み上げてきたものと、これから先に待ってるものとが、
今お腹に子供がいて、全部台無しになるのかもしれない。
そんなのたまらんわーって言う、全然自分ができること以外のことで、
努力してるって気づいたんですね。
そうなんです。
本当にいかに人間って空想の中で落ち込んでるのかって気づいた。
自分の身をもって体感したんですけど、
まだ起きてない空想の中でのことで落ち込んでいるし、
まだ浮くってもない。ハーバードもコロンビアも。
なのに浮くって気になって落ち込んでるの、
すごい意味わかんないなって思えたんですよね。
でもそれは本当に落ち込みきったからだと思うんですけどね。
なるほどな。
だからそこまで落ち込んだ時に、改めて自分が信じてる道、
物の捉え方で自分の人生変わるぞっていうことを、
まず自分自身が経験したっていうのが、
この大学院受験のチャレンジだったってことですかね。
そうですね。そうだと思う。
なるほどな。これからもお話聞くのが楽しみになってきました。
ありがとうございます。
ノータブルラジオ。
では今日はここで締めていきましょう。
締めていきましょう。
今日も聞いてくださってありがとうございます。
ノータブルラジオ。
ノートに綴る一言があなたの未来を輝かせる。
次回もまた新たな発見をお届けします。
ご視聴ありがとうございました。
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