こんにちは、Notable Radioへようこそ。今日は海外大学院への留学とその準備過程についてお話しします。
この15分で、彩虹さんがどのように決断をしたのか、その裏側を深掘りしていきます。
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ということで、彩虹さんは、一社目に入った大手電気メーカーを退職して、自分の心を震わせてやまない本を書いた社長の、作った結婚式の会社ですね、ウェディング・ブランディングの会社に、
プロデューサーとして、転職されてご活躍されていたわけですけども、まずそうですね、どうだったんですか?
そのウェディングの仕事って、元々のメーカーは、自分の心を震わせる場所じゃなかったっていうことが、残念ながら分かり、ここに違いないっていうことで、
1個候補の会社があって、そこにそのまま転職したんで、自己分析不足なんじゃないかっていうのはね、元転職エージェントとしては突っ込まざるを得ないんですけど。
そうですね。
ただ、どうだったんですか?入ってみて、どんな環境だったんですか?
めちゃめちゃ楽しかったんですよ。水を得た魚ってこういうことっていうぐらい楽しかったですね。
そう、あのね、そう、自己分析不足だったっていうのは否めないと思う。まだ自己分析不足って思うんですけど、でも多分そうだと思って、
多分ね、私リクルートとか受けたら、リクルートも多分楽しめるタイプの人だ気がするので。
あのね、超ハイパフォーマーとしてね、表彰されまくってたと思います。
わかんないですけど、嬉しいです。元リクルートのりーちゃさんにそう言っていただいて。
でもなんか、そのぐらい視野が狭かったんですよね。視野が狭くて、そこに信じて転職をしたので、私の熱意も多分すごく高かったし、
これをやりたいって思っている、心で動いていた部分があったので、正解にできたっていうのはあるかなっていう気がしますね。
なるほどね。じゃあ、すごく順調というか、めちゃくちゃ大変なこともたくさんあったと思うんですけれども、
そこからチャレンジとして海外大学院に挑戦されるっていう、めちゃめちゃでかいチャレンジをしているわけですけど、
これはどんなきっかけがあったんですか?
これが、大学院に行こうって決めたのが29歳のときですよね。で、そのときがめちゃめちゃひどかったんですよ。
14週間連続で結婚式を作ってて、14週間連続で、かつその間に会社の周年パーティーとかものをプロデュースもやったり、
あとは、その14週間のうちに3回だか4回全国で作ってたんで、福岡行ったり、千葉のキャンプ場に行ったり、和歌山行ったりとかそういうタイミングで、
もう本当に体力的にかなり、かったというかギリギリだったんですよ、精神的にも。
で、ここで働き切った14週、一番最後の週に台風が来て、超大型台風で、すべての結婚式が延期になるみたいな。
日本全国のすべての結婚式が、全部延期になるレベルの台風が来たんですよ。
そこで、またお客様の気持ちにも寄り添って、延期のご案内をさせていただいたりとか、
それにまつわるすべてのことの手続きをしている中で、
ちょうど、心がポキッと、燃え尽き症候群じゃないですけど、折れたっていうよりも、ちょっとしぼんじゃった時があったんですよね。
へー。
えー、なんだろうな、その時も朝4時生活してたので、
そうだったんですね。
朝4時から、ほんとなんか、17時とか12時ぐらいまで仕事して、
その時はもう睡眠時間が短くって、
えー、なんかこんなに心を尽くしてやってるのに、最後の最後に台風で、
で、お客様も悲しいし、私も悲しいし、
なんかもう、あれー、なんか、やば、もうだめかも、みたいな。
ポロって涙出ちゃうぐらいの時があって、
で、その14週間が無事に終わった後に、ちょっと長期休み、2週間ぐらい休みを取って、
今後、30目前になった時に何をしていこうかっていうのを棚卸ししていったんですよね。
で、その時に分かったのは、
私がその当時、人生が変わるほどの結婚式っていうのを、
クレイジーで歌っているものを作っていく時で、一番楽しかったのって、
新郎新婦の2人の話を2時間ぐらい初対面でわーって聞くんですよ。
で、そこで2人の人生のターニングポイントとか、
なんでそもそも2人は結婚したのかとか、
結婚する理由って何ですかとか、親御様との関係性なんですか、
2人はこれからどんな思いを持って、もしくはビジョンを持って、2人で歩んでいくんですか、みたいな、
ちょっとある種コーチング的なヒアリングを。
で、そこから2人のコンセプトを紡ぎ出して、
コンセプトを元に2人の人生を後押しできるような結婚式を作って、
この伴奏する6ヶ月の間で、2人の人生が少しでも何か良い変化が生まれるといいなと思いながら、
関わりを持った先に、結婚式を終えてから、
もう安倉さん、ほんと人生変わりました、みたいな、2人で移住をしますとか、
起業をしますとか、転職をしますとか、それこそその結婚式後にクレイジーに
転職をしてプロデューサーをやってる方とかも今いるんですけど、
またそういう話を聞いて、
大人の価値観の変容ってすごいなって、
自分の人生を結婚式を機に捉え直して、
それによって自分の人生を歩み直すって素晴らしいことだなって、
そこに感動してその仕事をしてたんですよ。
で、そこで結婚式を作るっていうのも、
記事表とか、手記札とか、切れ物とかあるじゃないですか。
もっとある、もっとある、決めなきゃいけないこと。
で、それを一緒にやって、一緒に悩んでって、
それも楽しいんですけど、
30歳以降の今後のキャリアを考えたときに、
私が突き詰めたいのはこの前者だなって思ったんですよ。
前者というのは特変容ですね。
そうそう。
その変容とか、そういう関わりをしていく、
大人の変容をアスファルトしていくっていうことを、
プロフェッショナルとしてやっていきたいと思って、
今のままでももちろん12分に楽しいけれども、
30歳以降のキャリアを考えたときに、
ちょっとデバレージを聞かせて、海外の大学院に留学をして、
胸を張ってこれを学んできました。
そして今後実践をしていきますっていうことにしたほうが、
いいんじゃないかなと思ったっていうのが、
一番のきっかけですね。
なるほどな。なんか繋がりましたよ。
もともとグローバルメーカーに就職して、
ファイト企業でしたと。
選んだのもそもそもグローバルに活躍したいからだと、
思ってたんだけれども、
本当にやりたいことっていうのは、
たぶんこれって言って、
たまたま見つけたクレジーウェディングに、
飛び込んで入っていったら、
自分がやってることは、
結婚式をプロデュースするっていうこと。
これがやってることだけど、
この雑誌っていうのは、
結婚式を申し込んでくれた2人夫婦が、
人生を変えるような、
そのための伴奏っていうのをしてたんだと。
で、これにあたしめちゃめちゃ興味があるっていうことに
確信を持ったので、
それを突き詰める方法として、
何が人の変容を起こすのか、
っていうところだなって確信を持って、
じゃあやるんだったらとことんやろうぜっていうことで、
海外大学院となったわけですね。