人生の終わりと選択
みなさん、こんにちは。ということで、やっていきましょう。
はい、月曜日ですね。人によっては4連休みたいな人もいるかもしれませんけど、
今日からまた一週間、張り切ってやっていきたいなと思っています。
張り切ってやっていきたいんですが、ちょっと今日時間の都合で、朝起きてすぐに今収録をしてるんですね。
投稿はいつも通り夜にされてると思うんですけど、朝起きて、
結構ずっとまだすっきりしてないというか、ちょっと眠いんですよね。
目覚めあんまり良くなくて、コンディションとしては良くないんですが、
ちょっと時間の兼ね合いで朝取らざるを得ないので、寝起きですけども、いつも通りやっていきたいなと思っています。
はい、というわけで、今日のテーマは、
なんかね、ふと、昨日おとといかな、なんかふとね、自分の中に降りてきたものを、
ちょっと今のできる範囲というか、今言葉にできる範囲で、ちょっと言語化していきたいなと思っています。
人生って、僕もそうだしあなたもそうですけど、生まれてきて、どんな人生を過ごそうが、
最後はね、結末は同じじゃないですか。
終わり方っていう話もあるにはあるものの、みんな同じ終わりを迎えるわけですよね。
どんな過程を生きようが、みんな終わりは絶対に来るし、
それはもうその終わり方が違うだけであって、終わるっていうことは人類共通だと思うんですね。
だから、ちょっと言い方を変えると、この生まれてから終わるまでの過程をね、
何年あるか何十年あるか、人によって違うかなと思いますけど、
この何十年を頑張ったとしても、完全に手を抜きまくったとしても、
最後の終わりはね、みんな絶対に来るわけじゃないですか。
頑張ろうが手を抜こうが、結末は同じなんですよね。
最後は同じ。終わり方はもう終わり方が違うだけで、終わることは約束されている。
努力と挫折の経験
で、すごく努力しようが、何もせずにぼーっとしてようが、どっちみち終わる。
これは共通として、だったら僕は、努力する人、頑張る人、
どうせ終わりは絶対に頑張ろうが手を抜こうが同じなんだけれども、
それでも頑張る、努力する、何かを叶えるために、しんどいことを乗り越えていく。
そういう道を選んだ人と、やっぱり僕はこの仕事を通して報われていきたいなと思いましたし、
なんか僕の感覚的には、そういう人と一緒に僕は報われるべきなんじゃないかなっていう風に、
あんまり僕べきべき言わないんですけど、なんかそこは自分の中にすごく感じるものがあって、
ちょっとこれを今できる範囲で言葉にしておきたいなと思ってラジオを撮ってます。
ちょっとね、日本語表現をあまり強いものにしたくないので、オブラートに包んでますけど、
例えば僕は小学生の頃に野球を始めて、中学校は学校じゃなくてクラブチームに入ったんですね。
なので間違いなく中学校の野球よりもきつい環境に行きました。
高校は野球の推薦入学で入ったので、結構ね僕は大阪なんですけど出身が、大阪では強い高校に入りました。
甲子園にも出たことがあるような高校ですね。
なので僕は野球をやってきて一番最初に挫折をしたのがその高校生の時。
やっぱり推薦入学、僕以外にも何人かいるし、大阪では強い高校なので、
中学校までに出会ってこなかった人たちとそこで出会いもする。
やっぱり能力の高い選手が集まってくるので、
自分からまたここでも厳しい環境に足を運んだな、厳しい環境を選んだなって思います。
大学も僕は実は野球をやっていて、
そう聞くと結構サークルとか遊びと趣味みたいな感じの、
ふわっとやってるんでしょみたいな風に見られることもなくはないんですけど、
本当に部活だったんですよね。野球部ですね。大学の野球部。
だから社会人野球とかプロ野球とか、もう一個上のステージを目立つ人たちがやるようなこと。
そんなステージで僕も野球をやってて、
そこでも高校で僕はちょっとだけ挫折っていうか、
結構熱が冷めてしまった部分が正直あって、
大学はそんなに歯食いしばって死ぬほど努力するみたいなことは正直なかったんですね。
でも野球をやっていたかった。野球を結構すごい悩んだんですけど当時。
けど4年間野球やりたいなって。
しかも遊びじゃなくてやるんだったらちゃんとやりたいなと思って野球部に入りました。
だからなんだろうな。
手を抜いて生きてきたかって言われたら、
そのステージの中で手を抜くことはもしかしたらあったかもしれないけど、
一個一個の選択は手を抜くどころか頑張らないとどうにもならないような、
そういう環境を今までずっと選んできたんですね。
たぶん野球せずに普通に、
小学校野球しない、中学校部活しない、高校も部活をしなくてもいいし、
自転車で通えるくらいの近いところに行く。
大学も部活までしなくてもいいかもしれないし、何なら行かなくてもいいかもしれないですけど、
そういう人が手を抜いているとは言わないですよ。
僕がしてきた選択よりも楽な道っていうのはもっとあった。
もっと遊ぶ時間が多いとか、
怪我するとか、どこか痛いとか、
本当に走ってトレーニングしてしんどいみたいな、そんな道をわざわざ選ばなくたって、
もっと楽に自由に好きなようにね、
部活みたいに明日は何時から何時ってどこどこでみたいな風に拘束されなくたって、
本当に自由に楽しく生きる道も選ぶことはできた。
けど僕はそっちを選ばなかった。
だからどちらかというと僕はすごく自分がめちゃくちゃ人生、
特に学生時代ね、部活とかを含めて頑張ってきましたとか、
本当に歯食い縛って死に物狂いでやってきましたっていうような、
そこまでは正直自分では言えないような、
僕は努力が足りなかったなって自分の過去を振り返って思ってる。
努力しきれなかった人間だなって正直思っていて。
だからそこはちょっとね、
自分はこんなに辛くて苦しくて、すごい厳しいステージで、
でもそこで戦ってきた、それを乗り越えてきたなんて、
そういうところがなくはないんでしょうけど、
でも自信持って胸張って言えるような、
そんなにそこまで僕は努力できなかった人間なんですけど、
でも気を抜いて生きることはできないようなステージ、
環境を常に選んできましたね。
社会人としての挑戦
社会人になってから就職ですね、最初の。
新卒で大手の会社に入って、地元の大阪をそこで初めて僕は離れることになるんですけど、
大阪を離れて関東に来て一人で。
そこで最初は営業をしたんですけど、
結構大手で、全国の中でもすごい期待の高いというか、
いろんなことを率先してやっているような拠点に配属をされて、
それもある種期待の現れ。
僕は研修期間中、ちょっといろいろ省きますけど、
結構長い期間研修をしなくてはいけない仕事で当時ね。
すごいテストとかも毎日あるような、
そんなところでテストあったりロープレあったりとかで、
ただ僕は営業のロープレも座学、勉強のほうも同期の中ではトップだったんですね、ずっと。
だからそういうトップというもので期待をされて、
全国でも先頭を走っているような視点に配属をされたんじゃないかなって思います。
そこには結構優秀な人も多くて、
ある意味これぐらいのところでまずはやってもらったらというよりは、
本当に一流が集まっているような環境に社会人になってからも、
ありがたいことに行かせてもらうことができて。
そこで、僕は営業時代は本当に全国でもトップクラス、
明確に1位2位とかという戦力がないんですけど、
全国で10人選ばれないぐらいの優秀な営業みたいなものには何回か選ばれたことがあって、
それぐらい社会人になってからのほうが僕は学生時代よりも頑張ってたなって、
努力してたなってすごく思える。
それも別にもっと楽そうな、大阪を離れなくてもいいような会社もたくさんあるし、
別に営業とかってトップとかを目指さなくても、
トップを目指すがゆえのしんどさとか努力量とかもやっぱり出てくるので、
普通でいいかな、平均ぐらいでいいかなって思っていれば、
そんなに努力する必要はなかったっていう見方もできる。
けど僕は特に社会人になってからは結構学生時代よりは努力できているんじゃないかなっていうふうに
自分の過去を振り返って思うんですけど、
もっと手を抜くこともできるんですよ。
そんなに頑張らなくたって手を抜いて生きることとか楽な道を選ぶことっていうのは
いくらでもできるわけで、
例えば部活の中で今日は手を抜こう。
これは別にできない子はないでしょう。
仕事してて今日はちょっとゆっくりめのペースでやろうかな。
ちょっとしんどいもんな。
手を抜く。別にこれもできますよね。
逆に言うともっと前の段階で、
こっちよりはこっちの方が楽だなって思う方を選ぶとかね。
そういうこともできるわけですよ。
楽に生きようと思えばいくらでも生きられる。
気を抜こうと思えば正直いくらでも手を抜ける。
そんな状況、そんな選択も僕たちはできるはずなんだけれども、
僕と同じように、あるいは僕以上に頑張らないとやっていけない道、
努力とその結果
努力しないと置いてかれちゃう。
そういう環境を選んできた人たちってたくさんいると思うんですよね。
僕のリスナーさんの中にも、あえて厳しい環境を選んできて、
あえて別に頑張らなくてもいいのに、
頑張らなきゃやっていけないところに身を置いてきたっていう人。
もしくは今そういう状況にある人。
少なくとも片手ぐらいはいるんじゃないかなって、
どんなに少なく水を持っても思うんですよ。
僕はやっぱりこのコーチングやった仕事を通して、
努力しきれなかったなって自分で思うものの、
結構厳しい道を選んできたタイプなんですよね、人生を振り返ると。
頑張らなくても別にお好きにどうぞなんだけど、
でも頑張らないと結果出ないよっていう。
頑張らないと試合には出れない。
頑張らないと一番にはなれないみたいな、
そういうところを選んできた自負はあって。
そういう経験を改めて考えると、
別に人生って最初に言ったように、
どんなに頑張ろうが、100頑張ろうが、80頑張ろうが、
50に抑えようが、10ぐらいにしてようが、
そこでもちろん得られるもの、人生が終わるまでの時間の中で、
その過程はその努力によって大きく変わりますけど、
最後はみんな同じなんですよ。
家でなのか病院なのか不良の感じなのかわからないけどね。
終わり方はわからないんだけれども、
その時にどれぐらい人がいるかとかね、
その辺もわからないけど、
でも終わるっていうことはみんな共通のゴール、
ゴールっていうか結末であり、
頑張ろうが手を抜こうが終わるんですよ、いつかね。
それはみんな等しく終わる。
けども、その終わるまでの道のりを、
あえて険しい方に行く、あえて厳しい方に、難易度が高い方に、
そういう道を選んでる人、選んできた人、
これから選んでいきたい人と、
僕はこのコーチングって仕事を通してやっぱり報われに行きたいなっていうことが、
ふと降りてきたんですよね。
この辺の言語化はまだ荒いなって正直思うんですけど、
でもすごく気づきになったというか、
改めて思ったのがさっきも言った通り、
頑張っても手を抜いてもどうせ終わるから、
別に手抜いたっていいじゃん。
目的意識と関係性
手抜いてても別に誰かに迷惑さえかけなければ、
どうせ終わるんだから一緒じゃんっていう見方もできなくはない。
そういう考え方で生きてる人もきっといるんじゃないかなって思うんですけど、
けど何かが欲しくて、何かを求めて、何かを見たくて、
そうじゃない、手を抜いててはそれができない道を選ぶ、
何かを目指している人ってもちろんいると思うんですよね。
そういうどうせ終わるんだけれども、
その終わりまでの間にすごく目的意識があったりとか、
これをやりたい、この景色が見たい、こうなりたいっていうものがある人と、
僕はやっぱりこの仕事で一緒に時間とか人生を共有していきながら、
お互いに目指したいところをいい関係性で、
ライバルとかではないんだけれども、
お互いに意識し合いながらそれぞれの目指したいものを目指せる関係性、
それが達成できる確率をグンと上げられる、
そういう仕事を僕はこの仕事でやっていきたいし、
やっていくべきだなっていうのをすごく自分に対してここは思ってます。
結論はこの放送を聞いて、こうしてくれ、ああしてくれっていうのは正直ないんですよね。
今自分の思っていることを整理したくらいの感覚なんですけど、
僕の仕事のスタンスというか、今思っていることっていうものが少しでも伝わっていたら嬉しいなと思います。
頑張るを選ぼうが、手を抜くを選ぼうが、結末は同じなんで、
だったら僕は頑張るを選んだ人と一緒に報われたいなって。
僕もやっぱり特に今はそっちを選んできているので、
今はね、学生時代は後悔たくさんありますけど、
社会人になっていこう、今もそうですけど、
頑張る方向、頑張らなきゃどうにもならない方向に進んできているっていう自覚はあるので、
そうやって一緒に報われにいく、そんな仕事を僕はこの仕事を通してやっていきたいなということを改めて思ったので、
喋っておきたいなと思って今日は録音しました。
なんか響くのかな?でもなんか伝わっていたら嬉しいなとすごく思います。
はい、いつも通り概要欄に一本ラジオを貼っています。
何だっけ、挑戦する時って特にお金がかかる挑戦ほど、
家族への説明説得が必要になってくる。
僕も高いコーチングセッションを契約したいなって思った時は独断ではなくて、
ちゃんと妻にも相談をしましたけど、
そういう場面ってお金を使うとか環境を変えるとかっていう時って、
必ず家族がいれば家族への説明説得っていうものが発生してくるし、
そこをある意味乗り越える必要がある。
そこについて考えた放送です。
よかったら聞いてみてください。
はい、そんな感じで若干寝起きで大丈夫かなと思ってましたけど、
一応言いたいことはしっかり言えたかなと思うので、
そこから何か伝わるものがあったら、
こんなちょっと寝起きの状況であれですけどね、
なんか伝わっていたら嬉しいなと思います。
はい、そんな感じで。
ではまた次回お会いしましょう。
バイバイ。