それが緩和される方向にいろいろなものが働いてなくないかと思うんですよ。
本当にそう思う。何にも緩和されない。育休が長く取れるようになったとか、そういうことはあるけれども、
普通に働いて、育休からあけて働き始めたら、みんな大変。何をしたって大変で、
もちろん時短で働くことが選べたりとか、子どもの病気で早退をするとか、中抜けをするとか、そういうことにフレキシブな会社ももちろんありますけど、
でも、そういうことが許されたとしても、ベース大変じゃない?
子どもを育ててる環境の中で、週に5日、1日8時間ないし、8時間半働くっていうことって、すごい大変で、
かつ働くだけじゃなくて、子どものお世話、家事。
家事も夫と2人で暮らしてるときには、やらなくていい家事が増えるじゃないですか。
子どもが出てくるとね。
そう、そう、そう、とかも全部含めて、それをこなさなきゃいけないって、すごい重労働ですよね。
そうなんですよね。こういう話って、今日も結論どこに行くかはわからないけど、
例えば、産経育休の制度面の話になると、
例えば、アメリカだと、また日リーブの期間は、2ヶ月しかないよみたいな話とか、
他国の事例が持ち出されて、それに比べたら日本は恵まれてるんだっていう話が始まっちゃったりとか、
あとは、そうだな、1人目産んで産休で育休入ったと思ったら、そのまま2人目で、
都合数年、育休のまんま、ほとんどね、転職入社したと思ったら、いきなり育休でとか、
っていう、そういう特例の人を持ち出してみたりとか、
今、僕言ってるのは、主にXみたいな、そういうSNS上での議論とかを指して言っているわけなんですけれども、
何て言うんだろうな、あんまり、働く母ちゃん大変ってどういうこと?っていうのを、
切り分けていって、分解していこうとすると、いろんなものがそぎ落とされちゃって、
僕らの言おうとしている、わばばの大変さみたいなものって、薄められちゃう気がするんだよな。
なるほどね。私、シンガポールに来て、日本の母ちゃん、マジ頑張ってるなって思うのは、やっぱりね、ナニー文化ですね。
うん、ナニー。
シンガポールって、海外の、それこそフィリピンとか、インドネシアとか、ミャンマーとか、そういう国から、ナニーさんを雇って、
だいたい、月10万円ぐらいですよね。住み込みしてもらって、月10万円で、いろんなお仕事、家事とか、
それこそ、子育てをまかせるかどうかっていうのは、家庭にもよるけど、子どもの送り迎え程度とか、
ちょっとした買い出しとか、そういうものをしてもらうっていうことを、24時間体制でやってもらう。
24時間体制ではないけど、でも、やってもらう文化があるんですよ。
で、シンガポールは、それこそ、育休定期間がすごく短くて、2ヶ月とか3ヶ月でみんな仕事復帰するんだけど、
それは、ナニーさんがいるからできること。
うん。
日本って、そもそもナニーさんって、雇えないじゃないですか。同じようには雇えないし、
かつ、すごく思ったのは、日本の文化として、家のこととか、食べ物のこととかっていうのを、
他の国のカルチャー、私はシンガポールとアメリカしか知らないですけど、と比較したときに、
すごく緻密かつ手の込んだことを、すべてにおいてしてるなっていう感覚があるんですよ。
たとえば、弁当を作るのひとつにしても、日本人は、白ご飯と副菜3つと、ブロッコリーとトマトと、
あと、シャケとか入れて、きれいに持って、これを弁当と呼びますみたいな感じだけど、
たとえば、アメリカで弁当を作るって言ったら、パンにピーナッツバターとジェリーを塗って挟んで持ってけば、
それだけでも弁当になるんですよね。
でも、この工程の差って、はかり知れないじゃない。
いや、そうね。
こういうことが、日本の文化というか、日本の家庭の扉ひとつ入ったときって、
全部そこが行われてるんですよね。
なにぃさん抜きで。
だから、ひとつは、なにぃさんという手を借りることが難しいってことはひとつあるし、
借りれたとしても、やっている工程とか、こだわっているものっていうスタンダードが、
日本の文化的に高すぎて、すごく労働として、ハイレベルなものになってしまってるっていうのは、すごく感じるんですよ。
でも、それって日本に住んでると当たり前だから、
たとえば、子供がお弁当を持ってったときに、他の子と比べたときに、
シンプルでシストなお弁当だとかわいそうって思って、やっぱそれをやんなきゃって思う。
それこそ、ピーナッツバターとジェリーだけ弁当に持ってかせたら、
あの親はなんて親なんだ、とか思われたりとかもするじゃないですか、日本だと。
そうね。
そういうこととか、すごく起きてて、
他の国のワーキングマザーと比べても、
人の手を借りづらい、かつ、家の中のやっている全てが、手も時間も手間もかかっていることをやってて、
そりゃ、日本のワーママ、大変だよ、みたいな。
みんな苦しいよっていう感じなんじゃないかなっていうのを、すごい思いますね。
ノータブルラジオ。
そうね、なんか小学校とか始まるとさ、それに加えて突然ラップのシーンを持ってきてくれって言われたりする。
そうそうそう。
ラップすぐ終わんねえよ、みたいなね。
とかね、新聞紙が必要とか、新聞撮ってないけど、うちとかさ、
とか、お便り読み解くの難しいとかね、
1年生から6年生までの予定が全部この紙に書いてある、みたいな感じとかさ、
そういうのがあったりとかっていうね、学校側が学校側でいろいろ知らせるのは大変だと思うし、
そこのコミュニケーション負荷って高まっているし、
お弁当の話とかはさ、SNSに何投稿するかみたいな話とすごい似てるというか、
人からどう見られるっていうものを中心に行動が規定されるパターンじゃないですか。
お弁当の見栄えと。
どうなんだろう、それだけじゃない気がする。
やっぱ日本人って職位に関するアンテナめちゃめちゃ高いから、
誰かに後ろ指をさされるっていうこと以上に、やっぱり子どもの栄養に関してすごくコンシャスですよね。
それもあると思う。
だから日本人って、外国人が日本に来てびっくりすることっていろいろあるじゃないですか。
すべてがハイスタンダード。
治安もいいし、ご飯もおいしいし、愛想もいいし、素晴らしい。
それを当たり前にやるって、やっぱそれだけの労力を使っているからできていることじゃないですか、国として。
それが家庭の中に持ってきたときに、他の国のママたちがやっていることと、
日本人のママがやっていることのスタンダードが違いすぎて、
でも人間同じ24時間しかないから、より大変に感じたりとか、
あとかつサポートを得られる環境が少ないから、
それを全部やらなきゃいけなくなって、大変になっているっていうのは、
なんかありそうだなっていうのを、
アメリカでも子育てして、シンガポールでも子育てして、
日本でも子育てして、中で感じることはすごくあるな。
それめちゃくちゃ貴重な視点だなと思ったし、
私自身もイギリスで子供を小学校に2年半通わせた経験からすると、
学校の要求とかもすごく低いっていうふうに感じた。
学校に対する期待もそこまで高くないしね。
なるほどね。
きっちりするみたいなことへの価値が、日本ほど高くないと思いましたね。
例えば、小学校から制服があって、制服って大したものじゃなくて、
冬はトレーナーよ。お揃いのトレーナーと指定のズボン。
靴は黒ね、みたいな感じ。
夏とかはね、ワイシャツ。低額にはポロシャツ。
でもそれは一応制服として用意されてるから、
毎日洋服を着せるっていう苦労はほとんどなくて、
制服これ着とけいいみたいな感じで渡せるし、
給食とかも、日本の給食とレベルの比較にならないくらいのクオリティでさ、
子供たちはかわいそうだったんだけれども、
栄養に対する考えとかも、全然進んでないですよね。
だから、それをかわいそうと思う日本人の感覚と、
それが当たり前って思ってる感覚って、全然ギャップがありますよね。
ありますあります。
細かいところでいくと、鉛筆とかノートとかは、
全部学校が用意するんですよ、小学校、イギリスだと。
だから、筆箱、鞄は持ってくるんだけど、基本空なんですよね。
あるいは水筒だけ入れてくみたいな感じで。
指定の鞄あるけど、そこに入れてくものは本当にタオルとか水筒だけみたいな感じで。
でも一方、今だと1年生の子供が、
筆箱に鉛筆入ってないじゃないか、みたいなことがあって、
なんで筆からっぽで上学校行ってんだよ、みたいな話。
削れてないし、とか、毎日ですよ、これ。
ノータブルラジオ。
知り合いの業務改善のコンサルタントの会社をやっている社長さんがいるんですけど、
2秒で終わることが、0.1秒になるとか、
そういうものも見逃しちゃいけないんだってことをおっしゃるんですよ。
結局、従業員が100人いて、その2秒の集合体。
1日に2秒やってたら、1年だったらすごい時間になっていくんだ、みたいな話。
で、社員が1000人だったら、1万人だったら、すごい差になっていくんだって。
この2秒を軽視してはいけない。
そういう人が、この業務効率を高めるっていうところが重要なんだっていう話を振り返ったときに、
お弁当がパンにジャム塗るだけ、バーサスブロッコリー茹でて、トマトを湯剥きして、
鮭も焼いて、米も炊いて、ふりかけ振って、海苔挟んでとかさ、
綺麗に飾り付けて、で、粗熱も取っておくみたいなことまでいったら、
全然能力が違うから、そりゃ不可になるよね。
だし、日々こんだてとか、別にお弁当に限らず、
今最近で昼飯食いながら夜飯考えるっていう生活をずっと、僕が主婦になった3年前からずっとしてるの。
これ皆さんそうなんでしょ?
これって結構認知不可食うじゃないですか。昼飯に集中できないというか。
だし、子供育てながらメニュー考えるっていう立場でいくと、
果たしてこれを用意して食うだろうかみたいな不安というか、嫌な気持ちもずっとある。
あるある。
そういうものをずっと抱きしめながら、頑張ってるっていうところをね、
もっとね、自分に頑張ってるよというふうに抱きしめてほしいし、
自分で言うのが難しければ、僕たちが言っていくよっていう。
本当に頑張ってる。めっちゃ頑張ってるよ。本当に頑張ってる。
最近、何人かで見たんですけど、横沢夏子さん、小笑い芸人の横沢夏子さんが、
お子さん3人だけ、4人だけいらっしゃるんですよね。
そんなにいるんですかね。
そう。で、彼女もワーキングマザーじゃないですか。
何かの番組で、ベビーシッターが5人だか6人だかいるっていう発言をしたんですって。
で、その5、6人いるっていうのは、おそらく、どういう文脈かわかんないんですけど、
おそらく、この人はこの日に来れるけど、この人はこの日に来れないから、
5、6人をローテーションしながら、お願いをしてるって文脈なのかなって私は推察したんですけど、
そもそもそれをやらなきゃいけないって結構大変じゃない?
5、6人をマネジメントしなきゃいけないって、まずそもそも大変でしょ。
そうよね。
で、プラス、その話を番組でしたときに、どこかの方が、
ベビーシッターが5、6人いるなんて、それワーキングマザーじゃない、ワーママじゃないみたいなことを書き込んだ人がいたんですよ。
で、それがちょっとバイラルになって、それを私見たときに、
ベビーシッターいたら、私と同じワーママじゃないって思うって、どういうことなんだろうかって思ったんですよ。
で、考えたときにきっと、私はこんなに大変なのに、
ベビーシッターを5、6人雇える余裕があるこの人は、私と同じワーママという称号を与えたくないみたいな、
そういう気持ちから書いたのかなって思ったんですよね。
日本のワーママ、めっちゃみんな頑張ってるけど、めっちゃみんな頑張ってるから、私も頑張んなきゃいけないし、
あの人も頑張んなきゃいけないし、みんな同じように苦しまなきゃいけないって、
頭のどこかで思ってるってことないかなって思ったんですよ。
みんな一緒に苦しもうみたいな、みんな一緒にここの場を戦おうぜ、同じコンディションで、同じ条件でみたいな、
それ頑張ってんだったら、私はあなたのことワーママって呼んであげるよみたいな、
そんな気持ちが、私は読み取れて、
そういうものも、もしかしたら、日本のワーママたちが苦しむ一つの要素になってるのかもな、なんて思ったりしたんですよね。
もし協力できることがあったら、協力し合おうよぐらいの、
あとは思ったらいいと思うし、
あとはすごく本当に日本人のママたちって、他の国の比べてやっぱりタスクフォースというか、
ワークロードがめちゃめちゃ多いから、家庭における。
だから思ったよりも手抜いても大丈夫。
そうだと思うぜ。
本当にそう思う。
1、13歳とか言うけどさ、それはもうお料理の土居先生に習って、
ご飯と味噌汁だけでもいいし、
ご飯と味噌汁別々に食べないんだったら、猫まんまにして食わせたって別にいいし、
自分が思ってるよりも肩に乗ってる荷物を下ろしてあげて、
実はちょうどよくなることって日本においてはすごく多い気がした。
そうかもね。大事に捉えすぎな感じはありますわな。
最低限をどこに設定するか。
スタンダードが高いっていうのは、良くも悪くもなんだよ。
みんな頑張ってから、頑張りすぎないでっていうところと、
今苦しみの最中にあるのであれば、延々に続くものではないですよとかね。
本当にそう。
いつが最後の抱っこ指定かわかんないですからね。
悲しい。
そういう意味では限りある時間をね、限りある子供時代を過ごせるのは今だけだし、
大人になって気づくのは、子供って大人時代の方が長いんじゃねっていうのはね、
長いよね。
親とその親の関係とかを見てるとね、大人になってからの方が付き合いが長くて、
頻度っていう意味では住んでる場所によっても変わるでしょうけれども、
いろいろあるし、そういう意味ではね、ちょっとあと少しの辛抱だぜみたいな感じで、
やり過ごすこと、家事労働みたいなものはね、やり過ごしていくっていうところで、
折り合い付けていったらいいんじゃないですかねってのは思うし、
もうな、本当にそう。
よし、仕事も家庭ももっと頑張れとはね、僕らは言わないので、
もう頑張ってるぜ、あなたたちは。
いやもう本当に頑張ってる、本当に頑張ってる。
やっぱりだから、よく育児とかでも言われることってそうですけど、
うちもなんか正直、最近その夫とナニーさんをうちに、
もしね、迎えられたらどうなるかみたいな話をしたんですけど、
やっぱり一番大事なことは、私たちが子供と接する時間を増やすために、
ナニーさんに入ってもらうって前提がいいよねって話をしていて、
ていうことは裏返すと、やっぱ親ができる一番重要なことって、
子供にと、どう自分の気持ちを整えて接することができるか、
できる時間を増やしていくかってことだから、
もしその食事を作ることとか、掃除をすることとか、
それ以外のことで、なんか切羽詰まっちゃうんだったら、
もうそれは全部、なんていうの、のけてもいいぐらい、
子供をこの期間、分かんないですよ、
5年とか6年とか7年とかを集中してあげるって、
もしかしたら大事なのかもしれないなぁなんて思ったんで、
頑張りすぎずに、ルンバに任せるとか、
あのルンバなくなっちゃうか。
いや、ルンバはさ、またね、センシティブだよ、さやこさん。
ルンバの何がセンシティブなのか。
ルンバを使うためには、ルンバを使える状態にしなきゃいけない。
分かるよ、椅子あげなきゃいけないとかね、
だから、うちルンバ使ってない。
床に物が落ちてるじゃねえか、みたいなことになるのでね、
ルンバもね、ルンバがあれば済むってもんじゃない、みたいなことがあるんですけど。
うちはもうそれに当てはまって、ルンバは使ってませんので、すごく分かるんですけど。
でも、そのぐらいね、ゆるくやろう。
マジで日本人頑張ってると思う、日本のママ。
ほんとに頑張ってる。えらい。
ちょっとね、手放していきましょうよっていう感じで。
もう、自分にも寄ってるから。
そうね、僕もちょっとできてないことって思い浮かぶし、
今もね、早く洗濯機に入ってるやつ、乾燥機に入れなきゃとか思いながら喋ってるんですけど、
まあね、それさえやればオッケーっていうことで、
みんな支え合っていこうぜと。
こうぜ。
なんか聞いてて思ったことあったら、ぜひシェアしてください。
なんか心が軽くなったとかだったら一番嬉しいし、そうじゃなかったとしてもね、
我々も戦う投資なので、ぜひお便りお待ちしますんで。
ね、さやこさん。
そう。頑張ろう、ほんとに。
頑張りましょう、ということで。
ノータブルラジオ。
今週もお便りを紹介していきましょうかね。
していきましょう。
ラジオネーム、奥沢さんからのご感想のお便りですね。
どうぞお願いします。
ちょっと長いけどね、せっかくなんで読んじゃおうかな。
こんにちは。エピソード49で思いがけずフィーチャーしていただいた奥沢です。
ちょっとね、名前読んだんですよね。
毎回考えさせられるトークが好きで、毎週配信されるエピソードを楽しみに拝聴しています。
さて、今回話題にあがっていたこのポッドキャストを聞いている男性リスナーってどんな人なんだろうという問いについて、
一男性リスナーとして少し考えてみました。
ありがとうございます。
まず正直に驚いたのは、リスナーの性別に偏りがあるという点です。
この番組が扱っているテーマ、アイデンティティや思考の癖、自分らしい生き方は、
決して女性だけのものでなく、誰にとっても内省すべき、普遍的なテーマだと思っています。
そこに、サイコさんの女性というレンズ、
そして消耗者マンから中ゴッドへ大きく人生をシフトされたリーチャーさんの視点が重なり合うことで、
リスナーにも新しい気づきを促してくれる番組だと感じています。
同じエピソードで、これを聞いている人はアンテナが立っている人なのではという話がありましたが、
その点には一理ある一方で、アンテナが立っていることと男女の偏りっていうのは、
必ずしも同じ話ではない気がしています。
もし男性リスナーが本当に少ないとすれば、
それは中身ではなく番組の入り口の印象で足踏みしてしまっている人が多いからかもしれません。
そしてその入り口を越えて一歩踏み出す人が結果としてアンテナが立っている人と呼ばれているのかなと。
ちなみに私がこの番組を聞いている理由は、
自分ではアンテナが立っているつもりという感覚よりも、
お二人が体現している成功の多様性に惹かれているからです。
それは一つの成果やキャリアに収束するのではなく、
それぞれ全く異なる道を歩みながら人生を充実させている姿そのものだと感じています。
自分とは全く違う人生を歩んできた二人の価値観に触れるたびに、
そういう考え方もあるんだなと視野が広がります。
この番組が誰に向けたものかではなく、