1. 佐々木正悟のライフハックからの精神分析
  2. 僕らはフロイトにダメ出しした..
2025-05-19 48:45

僕らはフロイトにダメ出ししたくてフロイトの話をする【1184】

イマココでの話よりはあの時あそこでの話がしやすい。
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サマリー

このエピソードでは、フロイトの理論を基に、クラインやウィニコットのモデルなど他の心理学者の考え方と関連付けて、親的現実について深く掘り下げています。特に、心のモデルの限界や、それに伴う矛盾について考え、自己の内面を探求する重要性を語っています。また、フロイトの理論や心理療法の進化に焦点を当て、母子関係や転移の重要性について議論しています。シンデレラの物語を通じて、母親の役割や子供の心理的葛藤についても深く掘り下げています。さらに、フロイトの心理学に対する批判や、ビジネス書としての心理本の扱いについても言及されています。認知症や発達障害に関する個人的な考えや、治療の進行状況についての意見も述べられています。フロイトの理論に基づき、親子関係や自己愛のダイナミクスが探求され、特に父親と母親の影響が強調されています。無意識や自己犠牲感の問題も取り上げられ、さまざまな力動が語られています。

フロイトと心理学者たちの挑戦
おはようございます。人生相談のための精神分析的ラジオ、第1184回をお送りします。
5月19日、月曜日、7時54分です。えーとですね、普段より20分ほど遅くなってるわけですが、まあそんな、そんなに平均が4時半かって言われると困るんだけど、なぜかというと今日は菊池雄生さんが投げていて、大谷翔平がヒットを打ったんですね、彼からね。
すごいですよ、あれ。日本人対決とかっていうレベルじゃなくて、大リーガーの中で高校の先輩・後輩対決になっちゃってますからね。花巻東でしたっけ。
あの、高校同じですから、彼らは。ああいう時代になるんだなと。ちなみに、あそこでベンチにいた、今、故障者リストに入ってる佐々木老貴さんも花巻なんですよね。
なんかもう、岩手県どうなってんだよ感がありますが、岩手の人たちがみんなこう、ロサンゼルスに集結しているという。雄生違うだろうと思われるかもしれませんけど、雄生はロサンゼルス・エンゼルスですからね。
あの、ロサンゼルスなんですよ。ドジャーズとエンゼルスはどっちもロサンゼルスなんで。いやもう本当に、全部岩手県の人みたいな、そういうよくわからんことになっていまして、すごいなぁと思って見ていたために、この時間になってるわけですね。
まあ、余談やってる場合じゃないんだけどね。余談ばっかりになっちゃいます。
えっとですね、今3ヶ月チャレンジでは、すげー無謀なことを私やっておりまして、グループセッションという、参加者さん任意で水道と水曜20時と土曜12時にやってる、週2回もやっちゃってるんですけど、
来期から週2回にするのはどうなんだろうって考えて、週2回にするのがどうなんだろうっていうのは、週2回は全然いいんですが、水曜20時枠って大事だなぁと思っていて、ここをグループに当てるべきなのかどうなのかがちょっと半然としないという、自分の中でね。
水と土を交代交代ぐらいにやらないと全部土曜になっちゃうのもそれはそれでなぁと思いながら、ちょっと思い悩んで、思い悩んではいないな、改めて検討しようぐらいには思っているんですが、まあその中でまた余計なことを喋ってるから1分経つんだよな。
クラインとウィニコットとビオンのそれぞれのモデルを並行して書くという無謀なことをやってみて、あんまりうまくいかなかった気がするんだけれども、なんでそんなことをやってるんだっていうふうに少しでもご存知の方からは異様なことをやってる、それをしかも1時間以内にまとめようというね、無謀極まりないことをやっちゃってるんですけど、
なんでこういうことをやってるんだろうなと、まあやりながら僕も悩んではいないね、考えてたんですよ。で、やっぱこれはですね、あの、親的現実ってやつなんですよね。
親的現実という中でも特に親についての親的現実を、あの、まあ分析というのはちょっと行き過ぎた言葉な気がするんで、まあ検討してるって感じなんだなと思います。
で、私自身の親のことを考えながらビオンとクラインとウィニコットのそれぞれに当てはめるということを実際やっているわけなんですけれども、私はあの話をしながらですね、えーと、それってでもリアルな私の親とはあまり関係のない話をしているわけですよ。
あの、嫌でも大でも、あの辺の人たちのメンタルモデルというものか、なんて言うんですかね、心の中のモデル。これをね、あの、いやお前やってるの正規でもないし不正確だろうって言われるかもしれないですけど、ここに正確性を過剰に意識するっていうのは僕は、あの、あんまり得るものがないなって感じがするんですよね。
あのモデルは、量子力学のモデルとか、なんかこう、原子と分子のモデルとか、太陽系の惑星モデルをやってるわけじゃないんですよ。リアルには存在しないものについてのモデルなんだから、どこかにいい加減な部分があるのは、誰のモデルであっても間違いなくて、そもそもフロイトのモデルだって前期と後期じゃ結構違う上にですね、
フロイトの前期と後期のモデルのどっちと照らし合わせても、メラニ・クラインのモデルって明らかに違う部分が明らかにあるじゃないですか。明らかにしなかった気配もありますが、とにかく違うじゃないですか。だから両方付き合わせるとどっかに矛盾が生じる上にですね、あの、クラインとウィニコットのモデルも明らかに違うじゃないですか。違うんですよ。だから、だからだって過剰になったわけですから。つまりあの2つのモデルを付き合わせようとすると、なんかが崩壊するわけですよね。
しかもそこにビヨンのモデルを持ち込んで、じゃあビヨンとクラインとウィニコットとフロイトと、これが対象関係の人たちの路線ですけど、さらにフェアバーンって人がいるんですけど、
付き合わせようとすると、ぶっ壊れるわけですよね。そんなものはくっつかない。ということはつまり、誰かのが間違ってるか、一部どこかがみんな間違ってるか、そういうことになりますけれども、ならないと思うんですよね。ある意味。だってそもそもモデルというものが間違ってると思うんで、心のモデルが描けるはずないじゃないですか。心はものじゃないんで。
結局のところモデルっていうのは絵ですからね。絵に描けるっていうのは本当は実体があるもののはずであって、実体がないものについての絵を描いてみても、特にそれが一人一人が違っていておかしくない心というものについて描いたら、それはもうダメですよね。ダメっていうか、厳密に言ってしまったら、整合性が取れなくなって当たり前の話であって。
親的現実の探求
そういう意味では、だから間違ってていいってわけじゃないんだけど、クラインが言ったことには極力忠実に描く必要があるわけですけど、でも結局それは究極的には成り立たない話だと思うんですよね。で、私はそのなるべく正確になるようには頑張りますけれども、ここで大事なのは、これをやることによって、帽子って書いてあるぐらいですからね。自分の心そのものについての検討を加えることになっちゃうと思うんですよね。
これを僕は自分の心そのものについての検討をダイレクトに加えない形で、でも検討を加えざるを得なくなるように持っていってるっていうのが、多分一つの3ヶ月チャレンジの方向性なんですよ。
これは最初から僕やってたなっていう気がするんですね。そもそも僕自身がかわいはやおさんの本なりを読んでいた時にやってたことって結局そういうことなんで、これ誰の本でもそうですよ。信田沙耶子さんの本読むんでもそうなんですよ。誰のだからそうならないとかいうことはありえないはずで、真相真理っていうのかな。
まあ私はこれは自分が乳幼児だった時の真理というものを扱おうとすれば必ず起きてくる。だから僕、真相って言ってるのは単に乳幼児の真理のことだろうと、あるいは情緒的な記憶のことだろうと思うわけですよね。
乳幼児っていうのは愛とかはないわけじゃないですか。愛着はあっても、アタッチメントはあっても、愛とかじゃないわけですよね。で、乳幼児は怒りとか言っても怒るけど、乳幼児ももちろん。でもあれもやっぱ情緒だと思うんですよね。感情的な怒りっていうのはおかしいじゃないですか。大人びすぎている。
そんなコナンくんやってるんじゃないんで、4歳児のやっぱり男の子の怒りとかは情緒なんですよね。感情っていうのはなんかちょっと感情でもあるけれども、やっぱ情緒だと思うんです。そこは。少なくともなんかこう、ヤンキーの怒りとかとは違うわけですよ。明らかに。そういうふうに誰も扱わないです。
その頃の話を真相って言ってると、ここがさらにね、あの空想の世界に、だから物語の世界ですよね。やっぱり物語ってのはグリム童話とかもそうですけど童話なわけで、童話ってのは真相って言うかもしれないけど、子供向けってことです。しかも幼児向けってことですよね。
グリム童話をずっと30歳になってる人が読んでたら、その人心理学者なのかなって思っちゃうじゃないですか。趣味で読んでるのかなってあんま思わないですよね。童話作家とか心理学者なのかなみたいに思いますよね。臨床心理の人なのかなとかって思うじゃないですか。
こう思うようになったのは極めて大きな影響がかわい早尾さんにあると思うんですけどね、原因は。で、そういうことをやってるという、取り扱うと自然そこへ向かうんですよ。なぜなら自分の心は親の心でできてるからということになると思うんですよね。
ベースにはね、一番最初に関わった人間関係がおそらく親だからですよね。だから母、配分、子っていうあれは母子一体を指してるんだけど、その配分を攻撃すると連結への攻撃とか美音が言い出したことになってくるわけですけども、あの配分攻撃したらやっぱりやばいことなんか起きそうですよね。極力そこは繋いでおこうと。
でもここを繋がれるのがそもそも非常に嫌なんだっていう体験をお持ちの人もいっぱいいらっしゃるわけじゃないですか。一部の体験が嫌なんだって言うんだったら私だってそうなんで、そういう難しさがあの母配分子の配分にあると思う。あれなんて呼べばいいんですかね。連結、リンクって美音は入ってましたけど、リンクねって感じもしますよね。
何がリンクなのって感じもします。何でリンクされてるのみたいな。カラマンザフの巨大にありましたね、そういうなんかこう鉄の鎖とかで縛ると地獄に行くと鉄の鎖で縛られるとか、鎖で縛られるって書いてるけどその材質は何なんだみたいなことを言っていましたけど、だから材質とかないわけですけれども。
なんかやっぱり物で物を考えたがるという人にしてみると、天国に行ったり地獄に行ったり、天国に行くと十字架みたいになるんだけどあれは何出てきてんだみたいなことを考えちゃったりする人が出てくるわけですよね。そうするとぶち壊しになるって言いますか。そういうことだと思うんですけど、あのリンクは何なんだって感じはしますけどね。
つまり、帽子っていうハイフンコみたいになってるやつは心のベースのところに、まあ大概の人にあるから、あれで何を感じるかはその人その人違うんだけど何かは感じちゃうと思うんですよね。
何かを感じるというのが結構直接取り扱うと辛くなってくることも多いんで、一旦モデルとして見ておくわけですよ。そうするとそれを書いてるのがオグデンだろうと、クラインだろうと、そして厳密に言って誰のモデルが正しかろうと正しくなかろうと、大事なのはそこに強烈に注意力を受けていくということだと思うようになっているわけですね、私は。
もちろん正しいにこちたことはないと思いますよ。書いてることに私が説明してることがあまりにも超かけ離れていたらダメだと思うんで、そのことを考えて私はモデルのビオンとクラインとウィニコットのモデルをちょっと書いてみたんだけど、無理やり横につなげてみたんだけど、これどう思うみたいなことをチャットGPTとかに聞いてみたわけですよ。
そしたら、絵を書いてみてこの絵どうっていうふうにただ聞いてみたわけですよ。何の意図を持ってとか聞かなかったわけですね。そしたらチャットGPTがこれは対象関係論のモデルでおそらくはこういう意図だと思われますって返してきて、そんなに私の説明は土地狂ってはいないなっていう、つまりこれをあの適当に手書きで書いて、なんかぐじゃぐじゃぐじゃって書いてあって、なんかいいおっぱいと悪いおっぱいみたいな話が書いてありそうな絵を、
手書きのメモみたいなやつですよね。それを私は、もちろん私は対象関係論のモデルだと思って出してるわけだけど、いやこれは宇宙のモデルだと思いますって言ったら明らかに僕が土地狂ったことを書いていたことになるじゃないですか。あるいはこれはなんか量子力学のモデルっぽいですねってなったら明らかに間違ってるわけですけど、あれが対象関係論のモデルでっていう風になって、すごいその説明は僕の一部の手書きが下手っぴだったんで誤読はされたにも関わらず、
だいたいの方向性は僕の意図した通りだったんで、これは厳密に言ってそこまでおかしなことはここでは書いてないなと、それでいいと私は思うんですよね。
あれを対象関係論を今教えている大学院生とかの方に見せたいとは全く思いませんけれども、それは別の話だよねっていう気がするわけですよ。厳密性っていうのは確かに大事かもしれませんけど、私がやろうとしていることとは直接は関係ないような気がするわけですね。
母子関係と転移の重要性
で、こうすることによって私たちは私たち、例えば私であれば私の母というものが心の中に住んでるわけですけど、この母と母子というリンクの説明で繋がってるとき、あるいは私の母が環境としての母親として何をしてくれただろうってことを考え始めてしまうんですよね。
そうすると話が始まると思う。展開が始まる。できるだけ今ここでの転移が大事って言うんですよ。今ここでの転移はそれは大事でしょうね。私が私に母親を投影している。自分はその投影した当時の自分になっている。
その関係においてもう1回問い直すみたいなことを劇化する形でやるとかいうのは、それはカウンセリングでは大事だと思いますけど、やっぱり今ここでの転移っていうものは我々みんな知ってる通り、よほどの準備が整ってからだとなかなかできないんですよね。
付き合いそうになっていることをお互い意識しても良さそうな関係の、私こういうの苦手だから適当なこと言ってますけど、ダンジョンがいたとするじゃないですか。なんかカクテルとか言ってますみたいな。で、あの時あそこでの話をそういう時するもんじゃないですか。
今ここでの2人の関係について喋り出すということは緊迫感を高めてしまうと思うんですよね。私は苦手だから常にあの時あそこでの話を延々して振られるという形を取りやすかったわけですけれど、そもそもバーとか行かないしね。行かないんだけど、やっぱり今ここでの関係の、で下手にそれをやるとめちゃくちゃ唐突になって、それはそれでキモくなってしまうわけですよ。私がやるとね。
でもそれって誰がやってもいくらか気まずくなると思うんですよ。今ここでのこの2人の関係について語ろうみたいな。それってもう、くどいてるっていうか真正面感が出てくるじゃないですか。で、あの時あそこでの、なんか昔付き合った彼氏がとか言ってる時は、なんかこう偉そうなことを言ってられるじゃないですか。
つまり、カウンセリングでやってることも同じだと思うんですよね。あのうちの母があの時あそこでああ言ったんですみたいな。いやそれはひどいですねみたいな、そういうやり取りをしてる時は、まあほとんど進展しないわけですよ。でも、それはそれでも結構厳しいっていう体験の人は辛くなってくると思うんだけれども、でもあの時あそこでの話はしやすいのは間違いないと思うんですよ。
それが今ここに持ち込まれてしまったら、君は私のことどう思ってるみたいなそういうノリになっちゃったら、それは直球に入っていくじゃないですか。それってつまり、あの定義がそこに今ここの定義なわけですよね。僕はそれをやっぱり少なくともグループセッションでそれをやるのはいかんだろうって思うわけです。人目もあるわけですからねお互いに。
だからグループセッションではあの時あそこでがいいんだけど、その人その人にとってのあの時あそこでは違うんで、であの時あそこでをモデル化すると、はっはっはいふんこうが僕は一番いいと思うんですよ。これがスキーマとかになっていくと今度は、遥かあの時、遥か彼方でみたいな、やってるのは同じなんですけどね結局ね。
遠すぎてなんて言うんだろう、こう僕の感じだね遠いんで、スキーマとかそのモデルって感じがいかにもだから僕ビオンはやっぱ遠いなって感じがするんですよ。後で検討するときにはいいかもしれないけど、あまりにも図式が図式化しすぎていて、あの多くの人に当てはまる上に辛くなりにくいという点ではすごい優れてると思うんだけど。
えーと、今自分にとってのこれは何を意味するんだってなった時にめんどくさいなって思うんですよねビオンの場合。だけどクラインは逆にめちゃくちゃ生々しくなるんです。良い酔っぱい悪い酔っぱいとか言っちゃうし、なんかこう、私やっぱり童話ってよくできてるなって最近は、あのこの辺あんまりユングっぽくなるから嫌だなと思ってたんですけどでもやっぱ童話ってよくできてる。童話とか漫画ってやっぱよくできてるなと思うんですよね。
シンデレラとかよく出しちゃうんですけど、あれはやっぱり良い酔っぱい悪い酔っぱい言うよりも、あの分かりやすいなと。やっぱり母が二人になってる。でサンドリオンによっては、あのあれは母殺しなのかと僕は思ってたんだけど、あの話を読むとママ母殺しになってるんだよね。悪い酔っぱいやっぱり破壊されるっていう意味で、そしたらなんか良い酔っぱいも壊れちゃったんじゃないんだろうかと不安になるじゃないですか。
その辺の話を書こうとした筆者がいたんでしょうね。シンデレラのいろんな、結局バリエーションできちゃうじゃないですか。昔話だから。その中の一人がそういうことを考えたんでしょうね。やっぱりね。だからシンデレラがなんか家庭教師と吊るんで、悪いママ母の一人目を殺すみたいなすごい話があるんですよ。
だけどやっぱこう怖くなりますよね。やってることめちゃくちゃだし、自分少女なのにみたいなそういうノリがあってですね。大変こうすごい話なんですよね。やっぱりね。そうするとシンデレラ恐ろしくなって、あの迫害分裂的になってくる。お前ひどい悪いことやっただろうってことでママ母、第二のママ母がやってきて攻めてくるという非常にこう。
まあ迫害妄想的な世界ですよね。妄想分裂ポジションですよね。パラノイドですよね。パラノイドとスキゾイドの世界。いいお母さんはどこへ行ってしまったんだろう的な。いやあなたがダメにしたんじゃない。てか自分がダメにしたんじゃないだろうかと。ここにだからコンサーンがあるわけですよね。欲打つポジションへの効果があると。
ここのところだけはヤダラウィニコットは持ち上げなんで。欲打つポジションっていう考え方はすごくいいねみたいな。あの妄想分裂ポジションはダメだねみたいなことを。そういう、だからやっぱり彼はそういう一部取り上げられたような狂気みたいなものにこだわりすぎない方がいいとは思ったんだと思うんですよね。
妄想と疑心暗鬼の違い
だからモデルが合致していかない部分があって、そこをどっちで見た方がこの人のあの時あの時あそこでの話にマッチするんだろうなっていうのを考えながら見ていったりできるじゃないですか。それがモデルのいいところなんで。直接取り扱わないで済む部分があると言いますか。
モデルを意識しながら昔話を語っていると、なんかこう補正が聞きやすいっていうのかな。まさにそういうことを目指してるんだと思うんですけれどもね。共通点って人間体験だからやっぱりあると思うんだけど、もちろん個別具体的な話をみんなされてるわけですし、私だってそうなわけですから。
いつしか母はどこか厳しくなるわけじゃないですか。どんなに優しいお母さんを持っていましたって人だって、いつしかどこかで厳しくなるじゃないですか。お掃除をしなさいぐらいのことは言うわけですよね。
で、もう一つ大事なのは、ママ母ってやっぱ表現が子供の疑心暗鬼を誘っているようにですね。いや優しいって言ったって表面的には優しいかもしれないけど、この考え方、この発想はいっぱいあると思うんですよ。逆に言うと信じてくれない苦しさみたいなのが、だから子供の閉塞感ですよね。もっと言うと監禁感ぐらいのところまで行っちゃうケースもあると思うんですよ。
だってママ母が外に外面超良くて、いやもう私シンデレラ愛してますからみたいなことを言って、後ろではめちゃくちゃいじめてるみたいなのよくありそうじゃないですか。で、めちゃくちゃこのママ母の言ってることは、いやこのお母さん嘘ついてるからっていくら言っても、さっきちょっと喧嘩しちゃったからこの子今興奮してるのよとか言われて済まされたりしそうじゃないですか。
で、後でお前はなんであんなことを外で言うんだみたいなこと言って、なんかこうまたサディスティックなことをやってくるわけですよね。っていう話になってるかもしれないですよね。でもそれは子供の心の中で起きてることかもしれないですかね。わかんないですよそこはね。しかもまして、あの時あそこでの話で。で、これが起きたのは今から30年前の話なんだけどって話になった場合、これをどこでするのかと。
だから正規の人に言わせれば正規のカウンセラーにしてくださいってことになると思うんですけれども。で、すると思う。今もまさになされていると思うんですよ。この時間にはしてないにしてもね。で、こういう話はでも人によってバリエーションがやっぱ違うんで、今言ったのって結局はシンデレラの話に寄せてるんで。
あの父親家でもそういうことありましたっていう方はもちろんいらっしゃると思うんですけど、全く同じことがあったわけじゃないじゃないですか。母はママ母だったわけではない。このママ母ってのはやっぱりパラノイドのことを言ってると思うんですよね。あの人私のお母さんじゃないんじゃないのかしらみたいな、そういう疑心暗鬼ですよね。
だからそれを妄想と呼んでるんだけど、日本語は本当に妄想が2つあるんで困るんですけど、疑心暗鬼と妄想は違う。やっぱり疑心暗鬼は白外ですよね。白外妄想だと思うんですよね。だからPSポジションじゃなくて白外妄想分裂ポジションだと思うんですよ。はっきり言って。長いからダメだけど。そういうことなんだろうなと思うんですよね。
そして疑心暗鬼になるっていうのは色々あるじゃないですか。近所の人がうちに盗聴器仕掛けてるって疑心暗鬼もありますしね。大体それはまあ確かに妄想だと思うんですけど、その人の心の中では事実なんで、単にひそひそ話してるだけとか、実はひそひそ話すらしてないとかいう可能性の方が高いと思いますけど、でもその人の心の中ではもうそうなっちゃってるんで、信じてくれないのが苦しいんだって話がもう一つ出てくると思うんですよ。
で、ここで信じる信じない問題というのに切り替わる部分もあると思うんですよね。聞いてる側としては。カウンセラーって人は、私はカウンセリングをやってるわけじゃないっていうのはここでエクスキューズとして必ずしてますが、私はだから対人支援をメンタル的にやるという、それのどこがどう違うのかっていうのについては説明しないことに。
先日ね、あのあれなんですよ。また東中野の方に行って、ポッドキャストの収録にお邪魔させてもらったんですけど、そこで3ヶ月チャレンジって言ってましたら一体何なんですかって聞かれて、もはや私の答えは3ヶ月チャレンジは3ヶ月チャレンジなんですってことになるんですよね。
心理臨床なのかどうなのかって言ったら、今正規が正規がってこれほど言われてる、まあSNSで言われてるってことだけど、要は、あの、個人心理師か臨床心理師しか心理臨床にしちゃダメだってことを言ってるわけでしょ。だから、やってないことにしてますということになるわけですよ。
法的罰則はないんですけどね。でもやってないことに私は、だからその件は、その取り決めというのか、その体制に従いますと、別に逆らう理由ないんで、心理臨床やりませんと。精神分析も、私はましてあれは、実は公認精神分析とは言わないから、精神分析やってますと言っちゃったからでいて、もちろんその精神分析協会とかには攻撃はされても文句は言えないと思うんですけど、
精神分析やってますって言ったからといって、僕は公的な罰があるとは思えないんですよね。まして精神分析的なことやってますって言ったら、もう文句しか言えないと思うんです。ある意味文句を言うことは誰だってできると思うんですけどね。
私は精神分析やってませんって言うし、心理臨床もやってませんと言うけど、基本的にビジネス、仕事のメンタル的な面を支援する仕事をしてます。だけど、別にそれが一般で言うところの仕事から逸脱する分は全然OKですって思うんですよね。
だから家で主婦やってます。それは仕事だし、私からすれば。家で家事やってます。それも仕事だし。で、家で仕事しようと思ってます。何も今してないけど。それも私の中では仕事支援に入り、それはもう昔からそうですから、先送りっていう問題について心理的な方からサポートするっていうのは、私はそれは公認心理師の特権です。
先輩特許ですというのはおかしいと思うんですよ。だって明らかにそうじゃないことをやってきてますからね。今は知りませんよ。公認心理師ができた後だから。でも私がビジネス書書いてた時は、あっさりビジネス書のと言われているビジネス書と言われているコーナーに、あっさり心理職というべき人たちが海外のも含めればね、先送りはこうやればいいんだよっていうことをあっさり本に書いてたじゃないですか。
フロイトへの批判
だから両者の領域分はオーバーラップすると思うんですよ。書店のコーナーというものは図書館とは違うんでね、物類が絶対に正確に正しくなきゃいけないんだって言っても、正しくなきゃいけないのかもしれないけど、本売る側の人間にとってそんなこと言ってられないじゃないですか。売れるんだったらできるだけど真ん中に置きたいし、ビジネス書売れてるときは、そしてそれが心理本だったとしてもビジネス書扱いにして売っちゃうわけですよね。
で、それが心理職の人にしてみるとビジネス書じゃないっていうのかもしれないし、ビジネス書の側からするとこれは心理本じゃんってことになるのかもしれないけど、そんなことお構いなしですよね、ある意味。しょうがないということになると思うんですよ。
だからそこはオーバーラップする、オーバーラップすることに腹が立つってことになったら、本出さない方がいいって話になりかねないと思うんですよね。やめた方がいいと思うんですよ。そういう、まあするかもしれないですけどね、そういう議論はそういう議論でね。
でも私はそういう議論は極力関わりたくはないので、基本関わらないことにして、そうするとビジネス系メンタルサポート、これは公認の心理なのかそうでないのかという議論の範疇の外だろうなっていう感じがやっぱり今は僕は持つようになりましたんで、三チャレは三チャレです。
三ヶ月チャレンジは三ヶ月チャレンジであって、それが心理に関わることなのかどうなのかは外で決めてくださいみたいな、中で何やってるのかの説明はするんで、いつも言ってる通り、精神力動について参加者が、精神力動について参加者が検討する。
その中で出てくることについてまた改めて検討を加えていくっていう、これの繰り返しですね。それが何になるのかとか、その結果どうなるのかっていうのは、参加するかどうかの話であって、それが何になるのかを僕は一般論として説明する義務まではないような気がするんですよ。
入る人が、入るかどうかの目安にするときに考えていただければいい話であって、入ってる方はこれ以上の説明を私はしてないことは明らかなので、入ってる方にはですね、これ以上の説明が存在しないので、目標設定ないですし、進展の目安とか基準とかも存在しない。
なぜなら僕の心の中にそれがないからなんですね。進展の10段階で今どの辺とかいうことを私が信じてないので、1なのかもしれないし9なのかもしれないけど、それが私に分かる必要は全くしないんですよ。
で、アセスメントしないことにしていますから、見えてしまうとか感じてしまうのはしょうがないと思うんですよね。この人は薄皮の自己愛性パーソナリティのような気がするとかは気がするんでね、もうしょうがないと思うんですよ。
だけどそれは別に、あなたは薄皮の自己愛性パーソナリティ障害ですとかって言わないから、言うつもりもないですし、DSMに照らし合わせでこのチェック項目7項目中3項目以上当てはまって、これは一家制のものではなく3ヶ月以上続いてますよねみたいな話をする気はないんで、そんなことは考えてもいませんから、今ではね。
余計なことだと思う。私だっていろいろ発達障害のアセスメントとかやりゃ入ると思うんですよね、いくらかはね。興味ないんですよ、全然。それで困ってるっていう気もしないし、周りの人が困ってるかどうかも、うちの妻、うちの娘、実家の両親、実家の妹とか、仕事の関係者が私の発達障害傾向で困ってるかどうかは、いちいち検討したことあるんですけど、そんなことでは困ってないなと。
これ全部取り除いても彼らの問題に何ら貢献できる気がしないなと思うんで、問題があるとすればね、うちの母が例えば今、いわゆるマイルド認知症みたいになってきているけど、私が発達障害的な傾向をやめれば、あれが進むの止まるとかそういうことはないなって思うんで、ないんで実際多分。
だからそういうことに興味はないんですけれども、だからアセスメントもしないでしょ。進捗状況を図るということもしないので、ポイントになってくるのはやっぱりこう、何つうんですかね、力度が揺さぶりがかかるときと思うんですよね。
今ここでの転移みたいなものについて、お互いがもうなんか言及しだしちゃってるよねみたいな、そういう時、ここで現状維持なのか前に行くのか後退するのかみたいなことはさすがに考えはします。
だってやっぱりこの種のことをやってる以上、それは傾聴はしますよね。
共感もしますよね。
で、変異解釈だってするときはありますよね。
てか、思わずしちゃってるってことは起こりますよね。
最初はなるべく何もしないようにするんですよ。
思わず聞きたくなることは聞くし、だから介入もしちゃってるときはしちゃってるし、もちろん質問はしちゃいますよね。
だからなんかはするわけですよね。
何にもしないってことはありえない。
なるべく何もしないようにしようと。
で、そうするとこの話に対して、訴えられてるお話に対して、自分は一体何ができるんだろうと考えつつ、なるべく何もしないようにしようってすると、なんか勝手に出ていくものが出ていっちゃうわけですよ。
思わず聞いてしまったり、思わず言ってしまったりするってことが出てくる。
これだから全部僕の未熟さゆえに出てくるんだけど、これが効果を発揮するべきなんですよね。
これが全く何の効果も発揮しないんであれば、この仕事には向いてないってことだと思うんですよ。
基本的におさえにおさえておいて、もう勝手に出ていくものが割とボンボン出てて、これはだから相性って言われてるものなんですよね。
あんまり何も出ないなっていう方もいらっしゃるわけですよ。
でもこれもう分かんないんですよ。
私の方ではあんまり喋ってないし何も出てないな、というか申し訳ないなって感じが無風感というか薙ぎみたいになるときがある方とはあるんですね。
そのまんま本当に薙ぎで、とりあえずありがとうございましたみたいに3ヶ月であっさり終わってしまう。
非常に良いことではない気がしちゃうんだけど分からないんですよね。
全く同じような感じでこの人ももうさよならだなと思っていたらすごい良かったんで続けますみたいになることもあるんですよ。
だけどその方が良いかどうかもやっぱり分からないんですよね。
こんなに分からないのに、分かんないですよ、それこそね。
正義の人ならこれが全部分かるのかなと思いながらやってたりもします。
本当に全部分かるかな。
その後何が起きて、どっちが良くてどっちが良くなかったのかが全部手に取るように分かるかなって思うと、
私はそうは信じ難いなって思うのがやっぱり多いんですよね。
人間にはそこまでは分かんないんじゃないんだろうかみたいなそういう感じ。
正義の人の方が分かるというのは分かるんですよ、モデル持ってるからみたいなことをおっしゃるならばね。
だけど、でもそれはの方が分かるとか言うのではなくて、それは比較対象の話、上の話でしかないんで。
そうじゃない話をやっぱり考えてみた場合、つまり本当に分かっているのかどうかってことですよね。
そうなってくると、分かんないよなって感じがします。
しますが、一つの方針としてですね、さっきのように私はあの時あそこで、
それもあの時あそこでがなるべくその人の心の真相に関わるようなあの時あそこでの話を自然の成り行きでなされていくようにしたいと。
そうするとやっぱり精神力度だなと。やっぱり力度はある意味スピリッチャルにも、野野医者を笑うように読んでいただくとよく分かるんですけど、スピリッチャルにも自己啓発にはもちろん、
心理臨床系の悲しみの正義の方の当然ね、それがCBTだろうとBRIEFだろうと明らかに入ってるんですよね。
あの真逆のような主張に、真逆なんですよある意味。私はあれ精神分析に対するすべてアンチテーゼだと思っているんで、スピリッチャルは別ね。
スピリッチャルは別ですけど、でもある種の自己啓発はやっぱりそうなんですよね。野野医者を笑うでも出てきますけど、太鼓さんでしたっけ?本名じゃないと思うんですけどね。
出てくるわけですが、あそこで出てきている話って結局これ心理臨床に対するアンチテーゼじゃんって感じがするんですよ。
長すぎる、高すぎる、意味不明すぎるという。意味分かりやすくしましょう。早く終わらせるようにしましょう。劇的に効果出るようにしましょうって。
本当に変わりますよみたいな言葉のセリフこそが、もちろんキャッチコピーでマーケティングだって言われればそうなんですが、にしてもですね、やっぱり精神分析長いしわけわかんないだろうっていうことだと思うんですよ。
あんなことダラダラやってたらダメでしょ。もっと劇的に効果が上がる方法あるよってこれアンチテーゼですよね。やっぱりね。
で、やってることは実は力度そのものじゃん。ここにおかしさがあるんですけどね。だから我々はやっぱりやりたくなるじゃないですか。そういうことをちゃんとこうですね、脱穀して種を撒いてどうのこうのって言っても、いやいやなんか肥料やったらすぐに芽出てくるんだからさっていうことをやりたくなるじゃないですか。
世の中文化、文明が進んじゃうんで、例えばオンラインでやったっていいじゃんみたいになるってそういうことですよね。だから私もサンチャレは精神分析に対する一つのアンチテーゼだと思うんですよ。なるべくアンチになりたくないアンチテーゼと、真正面からぶつかっていくアンチテーゼとあると思うんですよ。だから派閥ができるんだと思うんですよね。
反ってるって言ったって正規ですっておっしゃったとしてもですね、やっぱり僕はフロイトに対するアンチテーゼ絶対含んでると今や思います。なんつったって、だって週4回やってないわけです。その段階でもアンチテーゼじゃないですか。そこまでやるのは高くつきすぎるよっていうアンチテーゼですよね。もっと安くやろうよ、もっと楽にやろうよ。
要は学習っていうのだってかなりメインになってきていると思うんですけど、学習なんて精神力道と精神分析を徹底的に投入してますって言ったって、それが本当に公認的でちゃんといっぱい訓練積んできたんですと言ったって、学習で精神分析やってしまったらフロイト的にはダメじゃないですか、明らかに。
彼はそういうことをやると整形が立たなくなるぞって言ってるわけだからダメなわけですよね結局それは。だからそれはアンチテーゼだと思うんですよ。ものすごく経緯を払っているアンチテーゼだと思うんですよね。
で、私はもっと経緯の足りないアンチテーゼなんだけど、代わりに頻度とかインテンシブさというような意味では、もっと情緒に接近したいっていう意味ではそんなにアンチテーゼじゃない方のアンチテーゼなんですよ。
でも3ヶ月で切ってる段階で既に猛烈にアンチテーゼだし、空間共有もしてないのに力度を言ってる段階で既にダメなんですよね。だからそういうアンチテーゼの提示の仕方が各種様々だということですよ。
発達障害の考察
で、でも私はその真相真理を扱い扱わなければどうにもならないと思っていて、思っていてって私が思ってるからなんだって話ですけど、中間つまりそれは行動科学の方によるわけですが、中間であろうが、目標設定であろうが、未来に目を向けてしまったらそこに真相真理はない。
未来に目を向けてしまったら、母-子っていうのは子宮にいた時がそうだし、出てすぐもそうだ、一時的母性的母の時もそうだし、シンデレラの時代もそうなんですよね。母-子なんですよね。
母-母だから私は悪い子。いいお母さんなら私はいい子って完全に環境主義で自分が動いちゃうから、自分イコール環境じゃないですか、それだったら。全然主体性とか自立性がないわけですよね。それは真相真理なんだと思うんですよ。
でも我々にはそういう部分がバッチリ残ってる。つまり美音のいう精神病部分が間違いなくあって、精神病部分活性化、非精神病部分も活性化、つまり正気の精神病状態って言われてる状態に我々はなると思うんですね。
この状態では正気ですから仕事進めなきゃとか思うかもしれないけど、進まないですよ。やっぱり母-子の状態にバッチリ入って、しかもママ母にパージされてますっていうその精神状態を抱えたまま、いやでもママ母にパージされてるとかないだろうと。
とにかく今はこの来週に早々にある、私で言えばね、養成講座の人の集めるマーケティングに背を出すんだよって思ったとしても、でもあの昔母はね、ハシガス学校ドラマとかを見ながら見てたわけですよ。
ずっと見てるんですよ、あの人ね。ハシガス学校ドラマを見ながら、生後にはこれを見てほしい、同時に見せたくはないというこの気持ちのアンビバレントをね、伝えてきてるわけですよ、力動的に。旅館とかにいるから、あの人やっぱり私にも見てほしいわけですよ。
全然見てほしくないからどうでもいいからみたいな態度をとってるけど見てほしいわけですよ。だけれども、小学校5年くらいの私が、ああいうダメ親父の話を見てほしくはないわけですよ。なぜならうちの母は私にダメ親父にだけは絶対なってほしくないからなわけですね。
で、そんなことはうちの母は知りませんから、心の中でそんなことを思ってるなんて。私はうちの母の意見を完璧に受けてるから、トラさんの男はつらいよは全然見る気がしないわけですよね。まだ力動が徹底的に封鎖してるわけですよ。
あんなものを見るのは最悪なわけですよ、うちの母からすれば。男がああなるのは最悪なわけですよね。あれほど嫌な男はたぶんうちの母から見るといないと。でもうちの父に会い所があるんだよね。ここがやっぱり力動の面白いところなわけですよね。
だってね、坊さんやってながら小説書いてるのはダメ親父に決まってるじゃないですか。だけども坊さんをメインに置いてられるから、そしてだんだん出世するとそれっぽいことになっていくから、服とかもね、だんだん高層っぽく。今回の強行選挙で強行の服着ると全然立派度が増すじゃないですか。
あれほど宗教的でないものもないと思うんだけど、現実ってそうじゃないわけですよ、やっぱり。サコロモがうちの主婦は紫にならなかったけど、紫のを着るとめっちゃ偉い感じがすると。そういうことってあるわけですよね。そっちはマーケティングの話だと思うんですけどね。
で、こういうことを理事的に分かっていれば、望遠になるかというといくらかなるんだけど、あ、ならないですよ。本当に偉い人がやってきて、高層がなくなりましたと。で、神徒さんの大神徒さんですよ。なんかもうある意味地域のヤクザみたいな、ちょっとそういう感じの人もいらっしゃるわけですよ。みんな泣いてるわけですよ。
ああいうところに子供がいて、理事的に、いや、こんなの儀式じゃんとか思ってても、めっちゃ圧がかかってくるんで、心の奥底ではね。私はそういうのに何度も何度も、100回くらいは出てるわけですから、影響を受けずにいられると思うのが、そもそも朝母ですよね。影響を受けるに決まってるわけですよ。
で、気が付くと父の小説を、新宿のランブルって喫茶場、背景にある、先日も言いましたけど、その舞台で繰り広げられる、恋愛なんだか、あの人は村上春樹の小説読んでないと思うんで、村上隆は読んでたと思うんだけど、でもそのはるか前ですからね。
彼が大学時代の頃に書いた小説を読んでいて、なんか雰囲気を伝えたいのはわかるんだけど、なんかこれをね、出版社に僕が持ってって小説にしてくださいとか言ってなるのは、やっぱり万能空想の世界ですよね。
夢物語もカナカナし、そうはならねえんだよって言いたくなるんだけど、うちの父は、なんかこう、そうなり得る世の中であるべきなんだぐらいに思ってますから、正午はわかってないけどぐらいに思ってますから、僕はいつまでも彼の中では小学生なんで、45とかになってるわけだから、
これ出版社に持ってって、もう持ってったっていいですけどね、別にね。困った人がやってきたもんだと思われる以外の何も起こらないじゃないですか。だからしませんけどやっぱり。なんか親を喜ばせるという、ただそれだけのために持ってってもいいんですけどね。
まあでも、突っ返されちゃうんで結局。そうすると父の万能空想と自己愛が傷つきますよね。あんまりそれもやりたくなかったわけですよ。今これを修正するんじゃなくて、改め書いたらとか、ぽろっと言っちゃうわけですね、僕もね。
そうすると本当に書き出しちゃうんですよね。ダメ親父なんでね。うちの母が嫌いなダメ親父なんで。で、この力道がですよ。非常にちょっと話がすっぽんでるんだけど、やっぱりでも母-子からここに来るんですよね。この力道がまんま私の奥さんにもあるんですよね。
自己愛とダメ親父
うちの奥さんはダメ親父を叱りつけて勝利感を持つっていうね、女性化。これは結局、犠牲的、自己犠牲的な万能感なんですけれどもね。私がこの人いないとダメなんだから、みたいなこと言って舵すっげーやって。で、結局脳の血圧が上がりすぎてお亡くなりになってしまったんですけどね、私の母切りの。
わかります?この力道、めんどくさい力道ですね。勝利感欲しいじゃないですか、やっぱり。勝利感が欲しいと言ったって、勝利ってのはひたすら暴力を振るって勝てればいいってもんじゃないわけですよ。それしちゃ本当にただの粗暴でやばい人になっちゃうんで。
うちの母にしてもそうですけど、うちの父を殴るという時はですね、やっぱりねすっげー正しい時なんですよ。うちの父がどうしようもないくなったと、これはもうどう考えても私が勝てるってなった時、ビシビシ殴るわけですよ。これがね、僕の現光景にあるんですよね。非常にこう、なるほどなって今思うと思うんですよね。
いや、それだって勝利感得たいですよ。うちの母は、うちの私の祖父、母方の祖父にバカバカ殴られたんで、絶対恨んでますよね。絶対男を殴りたいわけですよ。で、ここで殴れる。私、普段から家事ちゃんとやってるし、寺の奥さんバッチリだし、そしてこのダメ親父がダメなことやってたら、ここが殴れると。
うちの父の偉いところは、全然殴り返さないし、怒鳴り返しさらしなかったんで、いや偉いな、あれ後から考えてみると。私だったら殴り返し兼ねないなっていう、私未熟なんでね、その辺は。で、私の母は、男は辛いよはダメだみたいな。長男はあんな物見ちゃダメだって思ってるから、私は男は辛いよは歌しか知らないっていうことが起こるわけですね。で、うちの妻にもあるわけですよ。
でもこれをやっちゃうと、ものすごい自己犠牲感を持っちゃうわけですよね。だって普段はもう全部完璧に家事やってます。育児も私だけがやってます。本当に私はひどい目に漁されてるんです。だから殴っていいんですってところまで持っていくためには、どこまでやればそこまで持っていけるんだっていうことになっちゃうじゃないですか。
無限ですよね、これね。絶対的な正しさが欲しいわけだから、何でも完璧にやらなきゃならなくなりますよね。犠牲的万能化。非常に難しい問題だなとは思うんですよ。戦争の時って、みんなあのヒットラーでさえ、我々ドイツはひどい目に合わされたんだから、ここで立ち上がるのは正義だって言ってたじゃないですか。
被害者ってのは非常に重要なんですよ。やっぱり、いやいや、俺はとにかく殴りたいから殴るんだよ。そんな人いないじゃないですか、はっきり言って。特に女性の場合はそれはすごい難しいと思うんですよね、これまでは特にね。
いやもうなんかこう、街で殴りたいという気持ちに従って殴りますみたいな、すぐ逮捕されてどっか連れてかれちゃいますからね。そうはいかないわけですよ。
私、夫を殴るとなってくると、もう絶対的正義みたいなものが必要になって、そのためには普段からめちゃめちゃ我慢するみたいな、そういうよくわからない力動が必要に。これはうちの話をしてるんですからね。
世間一般の話してるわけじゃないんで。ここに目を当てるためには、やっぱりまず力動の力を借りるのが早いと思う。これをCBTから迫っていくとなると、だからこんなことはやりたくないからやんないっていう考え方もありだと思うんですけど。
だから私は何もかも家事とかいうか、部屋を完璧にライフハックしてって思ってる時に、理性的なものそこに全然ないですかって問いたくなる人は、これまでライフハック界隈でもいっぱいいたんです。女性とは限りないですよ。男でも同じことやってるやついるんですよ。
いや俺もうバッチリ家事も育児も部屋もバッチリ綺麗にしてるからさ、奥さん離婚していいよねみたいになってるわけですよ。非常に厳しいと思うんですよね、その人の人生にとって。いやそんなこと考えない方が良くねって感じがするわけですよ。
あなたがやりたいことは要するに離婚なわけじゃないですか。家事じゃないじゃんそれ、明らかに。で、もっと言ってしまうと、これを今ここでの定義で言うのはやばいから、まずは力道から入るわけで、結局これは遠回りなんですけど、でも私はCBTよりはダイレクトにいけてるって思わなくはなかったわけですよね。
まあ今スキーマ両方みたいにできたから、もう同じようなことは言えなくなりましたけど、でも未来に目標を置いて、部屋をすっきりしましょうみたいなところをやってると、いつまでも行きつかないじゃないですか。その人の情緒の一番奥で悶々としている部分には。
この人は離婚したいんじゃなくて、母親にやり返したいわけじゃないですか。代替えを置いてそうだと父親かもしれないけどね。いずれにしてもそういうことが絶対絡んでるはずなんですよ。もうこれまでの経験からすると、もう96%以上はそうなんですよ。だからどう考えてもそれは、いや離婚するのは別に構わない。
だからこれなんですよね。ここのところで何もしないっていうのが出てくるんですよ。何も言いたくない。だって何か言うのはめちゃくちゃ余計なことだから。離婚しましょう。いや余計だろ。なんでそんなことが言えるっていう。離婚しないでおきましょう。これも余計ですよね。じゃあ何も言わない。じゃあだったらあんた何のためにいるのってことになるじゃないですか。
そこで何か言いたくなる。もう一歩考えたくなるわけですよ。もう一歩考えると不意に、いやでもこの人が言ってる人って母親とか父親の話してないみたいなのが感じられてくる。ここで何か言えるっていう可能性が出てくるわけですよ。
こういう話って、いやそれは修正浄土体験ですかと言われると、そりゃそういうこともあるでしょうよね。では思うんですよね。でも別に僕は修正浄土体験を目指すわけじゃないしね。それは共感ですよね。もちろん共感はあるでしょう。それは傾聴ですよね。傾聴もあるでしょう。でもやっぱり全部あるんですよ。
そして追って追って追っていくとそうやって傾聴ですよねとか共感ですよねとか修正浄土体験ですよねとかヒステリーの話ですよねとか無意識が絡んできてますよねって言っていくと、だんだんフロイトですよねってことになるしかないんですよね。
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