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おはようございます。 人生相談のための精神分析的ラジオ、1126回をお送りします。
全然お早くはありませんが、1月25日土曜日、21時33分です。
今日はですね、相変わらずというか、またしてもタイトルを変えたんで、まあ開題編、まあ番外編です。
まああのですね、一体全体このタイトルは何なんだって感じが、割れながらするんですが、しかし結構考えついて、しばらくして、最初考えた時はダメじゃんって思ったんですけれども、
考えついてしばらく経ってみると、これいいタイトルかもと思って、しばらくはこれでいこうと思いました。
もうしたかしするとこれで1000回ぐらいいけるんじゃないかという、よくわかんない感覚も持ってたりします。
ポイントの一つはですね、人生相談のための取るか入れるかは結構悩みました。もうね、チャットGPTで聞いたぐらい悩みました。
けど、まあ入れることにしました。チャットGPTはどっちにしろとかどうせ言わないですからね。こっちのメリットはこうで、こっちのメリットはこうだとかいう、
まあそういうことを言うだろうなと思った通りのことをおっしゃってくださいましたけど、敬語を使うこともないんですけどね。
精神分析的ラジオの方からいこうと思う。これだけにしようかと思ったんですけどね。
精神分析的ラジオというタイトルにしたいみたいものの、言うまでもなくですね、私は精神分析家じゃないし、精神分析受けたこともないし、
精神分析的という言葉に相変わらず一定の重みを、敵意の部分にある種の感触を込めているわけですけれども、
まあこういうのはね、本当は私なんかがじゃなくて、もっとふさわしい人は他にいくらもいらっしゃるんですが、だんだんわかってきたんですよ。
それらの人は早々こういうことをなさらない。まあ多分できないってわけじゃないから、なさる方もいらっしゃる可能性はあるんですが、
可能性はあんまり高くないだろうなっていうことで、私やってみようと思いました。まあどうせどうなっても別に構わないですしね。
で、精神分析的といって一つは、週に4回はやるぞっていう意味があります。
これはですね、精神分析って週に4回以上、3回以上なのかな今は、週に4回以上は、つまり人生の半分の日数以上はやらなきゃいけないようなニュアンスがあるんですよ。週は7日ですからね。
同じ時間、同じ空間で分析家が一緒にいて、同じ空間をともにし、そこで解釈をしてくれると。自由連想をクライアントがし、それに対して精神分析家が解釈をする。
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週に4回以上、1時間1回、1時間以上セッションという定義が少なくともあるんだと。
だから例えばこれオンラインでやるのは、サイコアナリクスピックスオンラインという本もあるんですが、基本ダメなはず。
で、時間変更したりやたらするのも当然ダメなはずです。そういう意味ではですね、だからといって私はちょっきり7時に始めるぞというのは約束しませんが、
でも7時半ちょうどに毎日極力始めよう。そして週に4回以上はやろうと思っております。同じ場所でね。
でもそれは精神分析ではないんですよ。なぜなら分析家がいないから全く精神分析ではないんですね。
精神分析的とすら本当は言えないでしょうね、このようなものはね。 だからこれはまあ、おままごとなんですよ、要するに。
で、これは私がそうは言ってもですね、精神分析的だぞと思っているものは原則精神分析的ではあるだろう。
的に嘘はないよね。精神分析だとは言ってないわけですからね。 このような言い方は精神分析的心理療法という言葉と関係があると私は思っていて、
このようなラジオで喋ることに一体何の意味があるのかと、私はどっかにあると思っているけど、そんなことを思っているのは私だけかもしれません。
というようなものでいいやと。 分切りが十分ついたのでこのタイトルにしてみました。
もう一つ人生相談のためのというのは、私が人生の相談をここでするっていう意味ですよ。 このように人生相談というものがあって、それは精神分析的なものだとかそういうことを言っているわけでは全くないですね。
ただ、この背景にはまあ裏テーマ的にですね、 心理カウンセリングと言われているものは
その中のどこかに必ず精神分析的なものが含まれていると私は思っています。 それは自覚されている場合、そして自覚してそうでないようにされている場合も含みます。
この言い方は相当問題がありますが、どうせ話題にもならないと思うので、よしとしましょう。
で、私は日本ではですね、多分人生相談という言葉は全く今好まれなくて、なぜならば専門的であることが望ましいとされているから、そして私はそれがそういうことを信じられなくなってきつつあります。
で、専門家であるということと心の相談なるものをするということが一致する日はおそらく来ないだろう。
最近私は、これは間違っているかもしれませんが、私の感覚ではね、そんな日はきっと来ないだろう。 日本では非常に難しいだろうなって思うようになりました。
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余計なお世話なんですが、心理カウンセリングというものはですね、占いとか野良カウンセラーとかそういうものをライバル視する、ライバル視しているかどうか知りませんが、するんじゃなくて、
もしマーケティング的なことを言うならば、敵は美容院だって思いますね。私は敵じゃないけど、強豪他者は美容院であるって私は思いますね。
このことをある精神科医の方がyoutubeで喋ってたんですけれども、私もあれに完全に同意ですね。美容院ですよ。
占いじゃないなって思いますね。 美容院に勝てるかどうかっていうのが一つのポイントになるんではないかと。
そして私はそう考えてみたとき、かなり難しいんじゃないかなと正直思いました。 これが専門的であるということ。ちなみに日本では美容院は専門家そのものですけれども、
野良がいたって全く鼻から相手にしてないと思うんですよ。野良いくらでもやってくださいぐらいに思ってると。このぐらいに思えるようにならなかったら、
心理カウンセリングが美容院に勝てる可能性は決して高くはないと私は思うんですよね。 だから野良を意識している間は厳しいんじゃないかなというのが正直なところですね。
美容師と同じぐらい臨床心理師なり後任心理師は素人よりも技術力があるっていう点については私は別に反論する気はしないんですけど、
そうは思われてないんじゃないかっていうところは十分問題だろうと思っています。 で果たしていつそう思われるようになるだろうというと、なかなか厳しいんじゃないだろうかっていう感じがしますね。
あと学校と塾の比較は非常に良いと思うんですよね。 まあ塾も専門家だって言われればその通りなんですけれども、でも塾って割と開業誰でもするじゃないですか。
やっぱりあそこも非常に強豪他者が非常に厳しい状態にあると思うんですよね。 ここにスクールカウンセラーというものの存在がついに登場してきて、
日本はやっぱりこれがあるんですよね。教育だけは何だか知らないけど、いろんなことをいろんな人がいろいろ言うというのが割と僕の目には健全に機能している。
少なくとも心の相談よりはこっちの方が自由競争なんだけど公的なものもあり、公的なものもあるんだけれども専門領域みたいな雰囲気があって、
そしてそこに野良も割と純公的な雰囲気で入っていける。 これはやっぱりいい形だと本当は思うんですけどね。
こういう話も人生相談の中につまり私は何が言いたいかというと、こういうものは人生相談であって心の相談とか言う言い方をしているとマーケティング的には絶対厳しいだろうというふうに思うということですね。
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心の相談って言っておきながら治療ではありませんとかってホームページに書いてあるのは心の相談です、治療ではありません、専門家に相談するべきですっていったい何を相談しろというのかっていうのが分かりにくすぎるという単純にそれだけの話でもあります。
分かりにくいじゃないですか。心の相談です、心の治療ではありませんみたいなことが時々ホームページには書いてある。
1回に5000円から1万円。 しかも週に1回ずつ50回とか通わなければいけない。本当はもっと多くなきゃいけないと思うんですけどね。
でも高い。 保険も効かない。これは保険が効くようにすればいいんじゃないかと思うんですけど割と高い。
そしてどうなるのかが明瞭に描かれていない。何よりも私はこんなことを相談してもいいんですよっていう書き方されてるんですけど、それがそもそもおかしいと思うんですよね。
医療じゃないからしょうがないのかもしれないんですけれども、大概塾とかでもそうですが、行ってもいいのかなーなんて思わないですよね、行く人はね。
行くしかないかって思うんですよ、こういうところには。 こういう相談してもいいんですよっていうお医者さんって聞いたことがないじゃないですか。
まあ僕はよく歯医者さんに例えるんですけど、歯医者さんなんて、いや歯痛いんだけど歯医者さん行ってもいいかななんて話じゃないじゃないですか。
歯医者さん行くときって、歯医者行くしかないかって言うじゃないですか。 行きたくないんだけど行くじゃないですか。ここがやっぱり医療ってもののすごい強さだと思うんですよ。
言ってもいいかなぁみたいなんじゃないと思うんですよね 愛車行くべきかなっていう話ですよ行きたくないんですよ
でも行く 心理療法がそうならないんだったら結構やっぱ厳しいんじゃないかと思うんですよね
行くしかないかっていうところだと思うんですよあそこは私はですね まあ3ヶ月チャレンジはそうじゃなくて専門的雰囲気というものを身にまとっているわけ
ですけど専門的雰囲気というのは僕は最近ビジネス心理コンサルタントっていうあたりが いいかなと思ってそういう名称をくっつけようかと思っておりますけれども
8要は人生相談なんですよある意味ではですね で僕は人生相談というのがやっぱりこう
イメージとしては真っ当かなと必ずしも心の相談だけやるわけじゃないよねっていう 感じがする
そして人生相談としては実は私が思うに 精神力道とも言いたいんですけどこの話もしょっちゅうしてますが
精神分析 しかないんじゃないかなっていうのがですね
正直なところなんですよねし変身分析とは人生相談だよなっていうふうに私は思うん ですよ
それは心の相談なんだろうけど最初からそのつもりでみんながみんな行くわけじゃないん じゃないかなっていうふうに
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だってドラだって まあ省令ドーラのドラですがあれは人生相談だろうと
あれを心の相談だと捉えられたところがフロイトの凄さだと思うんだけど 基本的にしている人は心の相談だと思って言ってるわけじゃなかったと思うんですよね
その後だから精神分析は精神病理学の方に一気に入っていって それはそれはすごいことだったとつまり始めた時は人生相談として始まり
途中から一気に心理療法そして特に精神病理的な心理療法になったというところが ロイドの偉大さであってでも
彼は最初は多分 彼がとも彼はどうだったかともかくいった人たちは大半が最初は一種人生相談のつもりで
いったんだろうというふうに思うんですよね わかんないですけどね
これは私にはただ感覚としてすっごくよくわかるんですよ なぜなら宇宙は寺だったからなんですよ
あれですね本当に寺というものが機能する時の雰囲気というものは つくづくこの精神分析の本に書かれて僕は多分自分
地で精神分析でものをかなりの部分理解したんだと思うんですよね 私のやってたことつまりやってたというよりやっぱりやらされてたことなんですけど
あさっぱらからですね えー
後座って言うんですけどお経を唱えるんですけど1時間となるんですよ 意味が全くわかってないですよここがすごいところなんですよ
意味が全くわかっていない同一の空間の同一の時間にきっちりきっちりですよ朝6時に 開始して指示までかかるんですよ
週5どころじゃないですよ週7ですよこれが 寺ってそういうもんなんで年中無休おまんじゅうなんで24時間体制なんで休みなどでも
存在しないんですよ寺にはね あれ楽だと思ってる人がいるのが僕は不思議なんですよね
あれ楽じゃないですよ全然割に合ってるかどうかも非常に疑問ですしね まあ割に合うかどうかを考えるような職業じゃないんですけど
でとにかくやるわけですよ 僕はあれが真理に聞くっていうのは
報酬は全然全く少しも理解できませんでしたけど 4歳とか5歳の時の話ね
今はよくわかりますね多分あれはなるほどちゃんとやれば聞くちゃんとの意味をよく わかんないんですけどちゃんとやれば聞くようなという気がしますよね
でお金を包んでおいていくと思い出がない人もいますけどね 同一の空間で同一の場所で私の場合はですよ
私の場合はお坊さんて誰か父親ですよね これが店員じゃなければ何が店員なんだって感じですよね
空間ごと転移してるって意味も手に取るように実はわかるんですよ私には そんなことがオンラインごときでそうそう
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あれと全く同じことが起きるっていうわけにいかないと思うんですけど でも私は感触としては店員ってものは全然珍しくも不思議なものでも何ともないんですよ
だってまさにあれですよ小4歳ぐらいの時に まあ父親だと思ってますけどねはっきり言ってでもそれなりの格好をしてまあ坊さんらしい
格好してまさに坊さんじゃないですか あのおじいちゃんもお坊さんなんだけどまさに坊さん
おじいちゃんなんかほんとね私ので私のおじいちゃんなんか本当に坊さんらしい坊さん だったんで
今朝衣にバチッとした清掃に着替えると全く雰囲気変わるんですよ でまぁあれですよね
あの信者さんとかにもカーツみたいな感じのあれ迫力あるんですよ結構間近でやる やんないですけどねうちは周波が違うんででも近いことやるんですよ
怖いとは思いませんけど めちゃくちゃ高指定感みたいなものは出るんですよね私土下座みたいな格好をして祈って
いるわけですよ でその時間が終わると食事している時はもうおじいちゃんと孫なんて思いっきりおじいちゃんと
孫のうちのおじいちゃんはたものすごくおじいちゃん感がある人だったんで本当に 足を少々みたいな感じでめちゃくちゃ可愛がられちゃう
でまぁおじいちゃんにべったりだったんですよね私 あれが定位じゃなければいったい何が定位なんだっていうぐらい定位なんですよ
空間もものすごくいかにもそれっぽくなってますし だから定位空間てのもすごくよくわかる気がするんですよ
でまさにあれはミニコットの言うのは本当正しいなと思うんですよ 私が作り出したもの本当に私の夢の空間みたいな私非常に好きだったんですよ
お堂ってやつがね ちっちゃい頃だけですけど
あの でそこに入るっていうことがもうまあしょっちゅう夢にも見ましたから夢と現実が寸分たがわ
ぬ雰囲気って思ってるんですよね だってもう全部が儀式なんで人工的な世界なんで完全
古いお堂で地区700年ぐらいの堂でそこでこう 唱えるわけですよ
いいなーって思われるかもしれないけど切りで苦痛ですよ 4歳児にとってあんな何が良いんだってが寒いしねまた東北だったから
寒いんですよね 0度ぐらいしかないっていう日もザラにあるんですよね
本当にね何のためにこんなくったらないことって内心絶対思ってましたからね もう4歳児でもくっ本当くだらねーって思ってたんだけど
家族みんなやるんだからやるしかないじゃないですか やらないという選択は最初から全くそこにはないわけですよ
思いっきりエリプスですよあれはねエリプスマッシグラっていうぐらいエリプスですよ 僕はすっごい面白いなぁと思ったのが
じいちゃんは私の祖父は遅かったですね坊主になったのが だから私の父の方が暗いとしては上なんですよ坊主として
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坊主でこの暗いが上ってめちゃくちゃ大事なんですよ親子関係ないですよ 暗いが上の方が偉いですよ
でもうちのおじいちゃんの寺に行くとおじいちゃんが住職だから一番神座にはおじいちゃんが 座る
僕あれが不思議な感じがしたんですよあれ だけど来てる頃も的には親父の方が偉いんだよねっていうお父さんのが偉いよね
でもおじいちゃんが指導するんだねっていうここでもね あいうことをよく私は問いただしたんですよ
どっちが神座座るのみたいな あの副住職的な位置ってあってそんな座に座るんですよねうちの父はね
でもうちの父の方が偉い偉そうな頃も来てるからそれにすっごい違和感があるんですよ そういうような話がありますまあまあ面白い話じゃないですね
何が言いたいかというとあれは精神分析の空間とおそらく相当近い性 心理影響はまあ一対一じゃないし解釈とかしてくるわけじゃないんだけど
お経唱えてるだけなんだけどあれは絶対ですね 一定の人が来ると精神的にものすごく効果があるでしょうねっていうかそういうの私
ザラに見てきました 完全にまあほぼほぼ急性精神病みたいな状態の人が来るんですよ
夜中とかでうちの親父が言うことはいつも同じで朝からお寺に来なさい お寺に来るんですよ
来る人と来ない人と言いますけど来る人ほんとねしに来るようになるんですよ そしてみるみるうちに子供の目にはですねまあマイアさん
ありますからその人とどうかと思うんだけど マイアさんみるみるうちに正気になっていくんですよ
子供の目にはよ 子供の目には正気になっていくんですよ
なんなんだろうこれって思いましたよなんて非科学的なんだと でうちの父はそれでも一定の説明をしてくれるんですよね他の人は全然説明してくれません
もうこれこそがまさにえっと信仰の力なんですよみたいなことを言って馬鹿じゃねえかって 僕は思ったわけですよ
4歳5歳の頃からほんとこいつらは何を考えてるんだかみたいな人を子供だと思って もう少しマシな説明しろよともう少しマシな説明は父はしてくれるんだけど
よくわかんないんですよねマシな説明に限ってわけわかんないんですよ こういうものってそうなんですよねだいたいただうちの父はあの
に書く まあいろんな説明の仕方をしてくれるんだけど要するにあれはエリプス的な説明なんですよね
あの 属する空間が持ってないんだと属するコミュニティもないんだ
誰からもああいう人を相手にされないだろうと あんな人と話していたいかお前はとやだろう
でも家には来られるんだと みんなが家にくれば相手をしてくれると誰もが相手をしてくれるで
忘れちゃいけないというか一応こういうことがあるんだ これは何年も続いてきた何百年も続いてきたことで何百年も続いてきている
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流れの中に入れるんだぞ その方が良くないっていうそういう説明なんですよね
子供にしてくれた説明としてはまあまあどうに言ってるような説明だなと 私は思ったんですよ
近いことやってますよねフロイトもね精神分析というのは歴史があるんですよね 歴史と伝統と文化がある
同じ形をずっと継続してきているんですよ ただ宗教の方が長いし行きがして毎日無理やりやらされているところに強みがあるけど
でも精神分析の方が自由連想しているという強みがありますよね 宗教と違って
松木先生が宗教は答えがあるし 押し付けがあるっていうそういうところが宗教と精神分析違うんだというその通りだと思うん
ですけど ただ言うほど答えはないですから私の体感ではあそこにおける答えなるものは全然重要じゃない感じが
する時は多かったですよね まあそれは言うんですけどこの教信じなさいってでも意味は勝手でやってるわけじゃないですからね
意味のわからんお経を唱えさせられている でもこれはお経が答えなんでしょうけど
はっきり言って僕はそのお経の解釈を読んだけど いやでもこれなーっていうようなもんですよ
みんな日本人なら知ってるような話ばっかりですよあそこに書いてあることって どっかで聞いたことがあるはずです
一切は空みたいな話ですからね結局ね 実装は何かみたいな話してますけど実装なんてないんだに近いですからね
限りなく少なくとも違わないっていうような話をして書いてあるだけなん それを意味もわからずつないでてそしてそれにどの程度答えなるものの意味があるのか
どっちかというとあれは人間関係と空間共有みたいなものの方がはるかに意味がやっぱ あるんじゃないかなと集団転移みたいなことが起きてるんですよ
ご住職様っていう人もがほとんど普通でしたけれども やっぱりあのご孫父様って方いらっしゃいましたからね
父親になっちゃってますよね完全 その所呼び方はキリスト教的で微妙だって僕なんか子供頃にも思ってたんですけども
神父っていうじゃないですか孫父っていう言い方はどうなっていう感じはしてたんです けれども
だってあのうちの集団のトップは父ではないですからね 天に増します父ではないですから
まあそれはどうでもいいんですけどつまりそういうような話が私の中では割とあるんですよ 最初から実はあるんです生まれた時からとは言いませんが
ごく幼い頃からあるんですよ だから精神分析的っていうのはなんとなく分かるような日がするっていうようなニュアンスなん
ですね でこれが人生相談やってきてますからうちの父はずーっと人生相談を受けてきているし喋っているし
結局のところまあ 反復なのかこれはと思わなくはないわけですよ
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私の人生においては巡り巡って反復してるわけかなって感じがしないわけでは決してない というかするよなそりゃあなっていう反復っていう言葉を持ち出されれば何かが反復してると
しか思えないような気がする でよくも悪くも私は大橋絵造さんと仕事してきましたから
あれは反復が得意なわけですよ ものすごくタスクカフェのあるものも100回やったし
タスクシュートっていうツールも結局反復のツールなんですよ 僕はもう習慣っていう感じじゃない感じがするんですよ
だってタスクカフェとかある意味すごかったんで 精神分析みたいだったんで本当に同じ時間に同じ空間で毎月毎月
人が来ようとこまいとっていうかこういう言い方は失礼かもしれないけど でも僕は主催者でしたからね
多くても少なくても同じ時間に同じような形式で同じようなスライドを見せてからやっぱりこういうところはある意味同にいってるんですよね
伝統っていうにはちょっと歴史が浅いですけど まるで伝統みたいな顔をして同じようにやってたわけですよ
タスクシュートっていうのはそういうツールなんですよね で私はこれにやっぱりどっぷり浸っているうちに何かわかるような気がするんですよ
彼との付き合い長いですし そのなんて言うんですかねそういうものがわかるような気がしたんですよ
これは私はやっぱり精神分析的だなぁって感じがします なんだかんだ言ってそこでいろんなものが出てくる
でてこざるを得なくなる いわゆるいいおっぱいも悪いおっぱいもそこにはもう全部があるって感じがある
要するにカオスなわけですよ 全てが整然と記録されているようだけどその記録の中にはもうどうしようもないものまで含めて
1回あるわけです すごいなと思うのはそれが全部ある意味同じような形式で8扱われている
結局のところ名称があり行動の名称があり実行した時間と開始した時間と終了した時間が 整然とつけられてある意味正気じゃないじゃないですか
そこには夫婦喧嘩もあればまあ我々の中にはないですけど一方違いと犯罪だってあって もおかしくないわけですよ
行為の中にはね 非常にドロドロしたものから非常にまあ社会的には好ましいとされているものまで全部が
同じリスト形式に乗っかって開始したのは何時で終了したら何時ですと まあ要するに
記録ですよここに何かやっぱりあるなぁって感じがするんですよね まあそこに喜怒哀楽があるといえばそういう言い方になりますかね
なんかこう生活し全域がそこにあるんですよ 山直さんが精神分析は生活療法なんだっていう表現をされてましたけどやっぱ
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週4回とか週5回とかですからね 同じ人と連日会うわけでしょ
話すことなんかなくなるはずなのに自分の心の中をまあある意味ではそれがまあできないって 話なんだけど洗いざらいしゃべってるわけですよね
そのうち今回こういう今回この精神分析を語る中で
藤山直樹さんがあのスーパーバイズしてもらった先生が言ったんだそうです女性なんだけど あなた大事なことは何も喋ってないんじゃないのって言われたっていう話があるんですよね
ものすごくドキッとしたみたいに書いてあるんだけどだってですね そんな毎日毎日平日4日も5日もですね
あの洗いざらい自由連想でしゃべりまくってればこの人が本音でしゃべるときはどんな ニュアンスなのかってばれちゃうじゃないですか
この人本当のことをしゃべっているときにはどんな風にこんな風にしゃべるのか こんな顔でしゃべるのか顔見ないんでしょうけれども
こんなあの声の調子なのか こんなニュアンスになるの全部バレバレバレバレじゃないですか
そうするとなんか大事なことに限って回避しているとか 大事なことに限ってなんかこう自分が感じる
8感覚が違うとでものすごいいっぱいいろんなことをしゃべっているようだけどこの大事な ことを
まあわかんないですよ藤山さんがそういうことをやったかどうか知りませんけどこの大事な ことを隠すために
わざわざこんなしゃべり方してるんじゃないだろうかみたいなことまで 全部わかってしまっていくと思うんですよね
てかそういう感じを抱くようになってくると思うんですよ なんだかんだ言ったって人が聞いているわけですからね
あのいわゆる二次過程っていうのかな現実原則に従って考えるならば言うべきでないことって あるわけじゃないですか
人間ての面白いもので自由にしゃべりましょうなんて言われた時ほどですね いやー俺は自由にしゃべるからみたいなノリになっちゃってそして自由になってくると
ある種の人にとっては労悪的っていうのかな 露出気味にしてしまうと思うんですよ
でもそれは正直でいないってことですよね露出的にするってことは要するに隠してるって ことじゃないですか
わざわざ全部ベラベラ喋ってしまうぞみたいな風な意気込みで喋ってしまうことは つまり告白とはやっぱりまた違うじゃないですか
これ懺悔みたいな時に必ずつまり教会の牧師さんはわかってると思うんですよね いろんな意味でだっていろんな人の秘密聞くわけでしょあれ
秘密というものはどういうニュアンスでどういう風に秘密だって言われていることも意外と全然 秘密じゃなくいろんな形で聞こえてくるっていうことをよくしよくよく知ってるはずじゃない
ですか 馬鹿私はわかんないですけどねつまり
ギャップがあるわけじゃないですかギャップというかずれというか 苗地急苗地キリンっていうのも変だけど要するにそこで話してるんだけど隠しているみたいな
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ことが起きるはずではないですか ここにやっぱり焦点付けするというのかななんか焦点付けする習慣がつくと言う
んですかね僕もこの フォットキャストではめちゃくちゃ自己開示的な頭おかしいんじゃないかと一部の人に思わ
れても仕方がないぐらい自己開示的に喋ってきてますよね 聞いてる人がいないように思ってるからと思ってインターネットだから
案外に喋ってますよね でもやっぱ隠してることがあるんですよ
ほぼ確実にあるんですよこのニュアンスというものを まあ私これつまり何が言いたいかというと後で僕これ実は聞いて
るんですよ自分で 最初非常に苦しかったし聞き苦しいとはまさにこのことだと思って慣れるんですよ
そんなものは で最近はあの
オンラインでやっている オンラインですけどねセッションを動画で撮って
えっとご希望の方にはそれを共有させてもらっているんですね これを私はさらに自分で聞くように時々してるんですよさすがに全部は聞けない
倍かかっちゃいますから聞くんですよ 法則ですよ必ず投足で聞きます
最初やっぱ見苦しいって感じがあったんだけどそのしやっぱそんなことにはなれるんですよ そして
これをものすごく真剣にやればさすがにどんな自分だって セッションはうまくってのおかしいんだけど
違ってくるはずだとは思います まあさすがに今全然対して数はできてないし
途中飛ばし飛ばしになることも多いんですけどでもこれは 長外かけてでももっと真剣にできれば全部やってもそうすると2倍かかりますけど
いいかもしれない自分の姿表情 声の調子喋ってることを正直反省材料が多いんだけど反省するがやめようと
こういう時グッドファイブさん役に立ちますよね反省しちゃいけないと まああのリチャードバックので実に不思議な
タイトルですけどイリュージョンって本があるんですよ 鴨目のジョナさん書いた人
まるでグッドワイブスな本なんですけどイリュージョンってタイトルなんですよ クラゾのけぞさん最初の頃イリュージョンって言葉をちょっと正確には異なる意味なんですけど
使われてましたねでもまあイリュージョンですか 完全に違う意味ではないです実に
いい本です あのリチャードバックのイリュージョンって探せばあると思います
多分クラゾのさんを連想知ってる人はねご存知の方は連想するだろう 僕は彼があれを元に書いて考えたとか書いたって言ってるわけじゃないですよ
別にどっちでもいいと思ってますそれはそうじゃなくて書いてることが告示している ということですね
鴨目のジョナさん鴨目のジョナさんも似てるっちゃ似てるところがいっぱいあるんでね あのでもイリュージョンの方が遥かに出ます
反省してはいけない恥ずかしいと思ってはいけないとか あの空はいつだって完璧だ
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なぜなら毎秒ごとに変化するかで同じ姿は決して示さないか この世のすべてはイリュージョンだって非常に言ってることが似てて面白いですよ
で私が言いたいことはですね イリュージョンだって言いたいわけじゃなくてそのリチャードバックも書いていた通り
恥ずかしいと思ってはいけない だって自分が価値マックスだと思いながら自分のことを恥ずかしいってものはおかしいじゃない
ですか どっちかを信じてないってことになるじゃないですか間違いなくね
私はを感じちゃうんでまだつまり8 もっと私はマシな存在であり得るはずだと思ってる分だけ完璧だと思ってない
価値マックスだと信じきれてないわけですよ でも私だって空と同じなんでね毎秒変化するんだし私自身が変化させているわけじゃ
ないんだし多分 完璧なんですよねそういう意味ではだって私自分以外のものを見て完璧じゃないと思う
ことないですもん どうかね完璧だなぁって思いますへの入れようがないですよね
これ以上感じがしますね 技術的に木を作ろうと思ってもだいたいあるより無様なものになっちゃうじゃないですか
なぜなのかわかんないけど 人間が作ってるものって相当レベルが高くなって初めて
自然そっくりのレベルに感じられてくるじゃないですか だったらなんで作るんだろうって感じがしますよね
空とか海とかすごいじゃないですかなぜなのかわかりませんけど なぜなのかわかんないですよね
で自分自身はまあ一旦置いておくとして他の人見た時 それを自然物としてみた時はやっぱり僕は掃除で完璧に近い
ないしはほぼ完璧だって思うんですよ その人が何できるとか関係ないですよねだからここには2つの異なる視点があると思う
んですよ 藤沢さんの指す将棋ってのは僕は商業限りなく素人に近いですけど
まあし頑張って初級になれるかぐらいだって言われたことがあるんですけど まあまあそういうレベルの人間からしてもこれはやっぱ完璧だよなぁ見てみたいに思います
よね まあ太谷翔平が完璧だみたいな話ですよでもよくそういう人と比べて自分はっていう話が
あるし私にもその言わんとすることはわかるんだけどでも 藤沢さんとかいう人の人間造形ですよね
日を見るのと同じように彼を見たとき彼が他の人間よりも完璧度が高いかっていうと 別にそんな風には僕には見えないんですよね
いや同じじゃんっていう感じがするんですよ なんか虎とか見ると虎とか見ても
なってすごい完璧だなーって感じがするそういう意味では人って完璧だなって感じが するんですよね
そういう感じですよこの感じは僕は3ヶ月チャレンジの参加者さんと まあいわばオンラインですけど対面するとき必ず意識するようにはしてるんですよ
だって完璧じゃないですかその人が太谷翔平と比べて 例えば練習が完璧でないとかそういう話になってくるとそうなんかもしれないんですけど
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それはなんか全然違う視点をそこに投入している感じはするんですよ なんか話がいろいろ作装してるんですけれども
要は恥ずかしいと思っちゃいけないんですよ だから他の人を見ても自分を見ても絶対にそう思うのは何かが視点がおかしいと思うん
ですよね狂ってるってことだと僕は思うんですよ 正気ならそうは見えないで
でですね その
恥ずかしいと思わないって観点で自分の動画を見直してみるとですね いろいろと発見があるんですよね
反省材料とかじゃないですよ発見がやっぱあるんですよね でこれは私の一生の仕事にしてもいいんじゃないかなぁとは思う
ここに精神分析的なものはあるなとは僕は思う これは万が一万万が一とか絶対ないけどあの
松木国派さんからいやそれは間違ってるって言われても僕は譲らないなって思う 思えるんですよ
そういうふうに思えたんでまあ人生相談のための精神分析的ラジオというからちょっと 長い
チャット gpt にも長すぎますねみたいなことは指摘されたんだけどちょっと冗長だみたいな ことは言われたんですけど
これを単に精神分析的ラジオってやるとかっこいいんだけどなんだかよくわかんない よね僕は精神分析の人でもないしねっていうのは残っちゃうんで
そうじゃないんですよねやっぱりね 人生相談てものはどんなものであっても
いくらか精神分析的であるはずだしそういう意味でやっぱりフロイトを読むとプラス になるようなどんな人の場合でもなるようなと
何ならタスクシュート のトレーナーの方だったとしても
フロイトを読むってことはプラスになるっていうふうに読まないと思われますし 別に読めとは思わないんですけどわけわかんないしね
わけわかりにくいですしでもプラスには絶対あれはなるなっていう感じがする それは何でかというと結局人生相談
人生相談なものだからあそこには人生が入っていくか だって先送りをゼロにするっていうのだってある種人生相談じゃないですか
そうすれば人生がマシなものになる感じがするんですよね この精神分析を語るの中で松木国さんが繰り返し
とにかく生きにくいうまく生きられていないまずい人生だって時にマシなものにしたい というのはまあ藤山さんに言わせる人人間の本能みたいなものでここにかける
これをやるために一番いいのが 精神分析
いうふうに彼らは考えている信じているっていう話が語られていますね