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2022-10-17 34:27

【690GMV】「投影同一化」は欠かせない

同じ気持ちにさせられたと気づければ、共感できない相手にも共感させられたと気づくことができる

00:04
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
10月15日土曜日の19時42分です。
すっかりこの公式が定着しつつありますね。
良かったとは思っております。
今CMしたいこととしては、やっぱり掛け上げ塾ですね。
掛け上げ塾の7期が間もなくスタート。
第1回は11月13日になりますね。
掛け上げ塾7期という風に検索してもらえれば、
たぶんすぐに申し込みページは見つかると思いますので、
そちらをぜひ確認してみていただきたいですね。
クラゾの軽装産による赤入れ、これはもう私から見ると
プロでも滅多にこのレベルはないなと。
私、あのレベルで入れていただいた赤入れって
滅多に遭遇してないんですよ。
全くないってわけじゃないんですよ、さすがに。
規格が50もありますから。
でもあのレベルはほんと滅多にないんですよ。
たぶん体験できます。
それと、掛けなくなるっていう問題について、
これはもう私もクラゾのさんも山のように体験はしてきているので、
あの手この手で掛けなくなる問題といったものに
手当てする考え方なり方法なりワークなりをお伝えしていけるので、
この2つだけでも私は十分意味あるんじゃないかなと思います。
その上で6ヶ月。
6ヶ月で電子書籍1冊分の原稿というのは厳しいといえば厳しいんですけれども、
不可能ではない期間だと思うんですね。
こちらを提供すると。
3本だけですね。
一応、もの書きのプロといえばプロなんで、
2人でサポートさせてもらって、
しかも人数が10名には満たないんですよ。
参加者全名には満たないという状態なんで、
結構そんなに安っぽくはないと思うんですね。
ここまでロッキーやってきて、
おおむね8割方でかなり盛況だったので、
安っぽいということではないと思うんですけれども、
ぜひこの機会といえばあれですけれども、
今、11月からスタートすれば、
11、12、1、2、3、
春にはうまくいけば本が電子書籍が出せるということになるので、
チェックしてみてください。
完全にガッチリ珍しくちゃんと、
僕としてはお話できたなと思っておりますが、
03:02
この話できた理由はありましてね、
私今ねじ巻きのりクロニクル読んでいて、
このザッカンという珍しいタイトルで前回出したんですよね、
ポトキャスト。
あれはもう本当に長い小説で、
すごいなと思うんですよ。
私はあんまり読んできてないんですよね、
村上春樹さんの。全然じゃないんだけど、
あんまり読んできていないんですよ。
久しぶりにこういうのを、
今もう周辺に入っているんで、
これでもうぐいぐい進んでいる感じなんですよね。
どっちかというと、今もこれを中断して読みたいぐらいなんだけれども、
なんていうのかな、小説ってこういうふうなのがいいと思うんですよね。
仕事に中断されてはまた再会っていう、
鍋にいるのを見ながらまた再会みたいな、
そういうのが僕はちょうどいいと思うんだけれども、
なんつうんですかね、
よくこれを書き上げられるのがすごいなっていうふうに、
まず思いますね、こういう小説をね。
どういう小説か説明しがたいので、
読んでいただくといいと思うんですけれども、
なんつうんですかね、象徴的でもあるし、
意識の話のようでもあるし、
誰かの夢みたいな構造を取ってもいるし、
それでいて、
現実物語を少し思い出しますね。
現実物語もヒステリーな話じゃないですか、
ヒステリーな話って言ってもわけわからないんですけど、
例えば、六畳の見やすどころっていう有名なキャラクターいますよね。
浅木夢美子っていうコミックにされてますけれどもね、
話なんかも、六畳の見やすどころって方はやっぱり上流階級の女性で、
まさにああいう悩みですよね。
あんなに性が満ちあふれているのに性欲ないですみたいなね、
そういう無理な態度を取らなければいけない。
もう許されてないみたいな感じですよね。
だから源氏が、
源氏の年上の彼女ってことになってるんだけど、
寄りつかなくあんまりなっていった時に、
彼は若いんだから、
来る女のところは一つと決まってるわけじゃないんだからって言うんだけど、
そういう表と裏の顔を使い分けようとすると、
表面に出せない怒りをまず貯めますよね。
これはもうありきたりな怒りの胸の内ってやつだけれども、
これをないものとしようとするっていうのが、
ヒステリーの一つの基本だと思うんですね。
これヒステリーだけじゃなくて、
全て欲圧と呼ばれているものって、
結局私は当然ある欲動がないものとされる。
今日もそういう話したんですけども、
06:02
セミナーでも、
私はMacとかWindowsのゴミ箱にファイルを入れる感じっていうのがやや近いかなと。
6条の見やすどころの心の中ですよね。
心の中で起きていることは、
つまりこんな意識は自分にはあっちゃダメなんだってことなんですよ。
だと思うんですね、あれは。
だけどあるじゃないですか。
なかったことにするっていう態度を取ってるけど、
そんな態度を取ったってなくはならないんですよね。
で、ある。
どうなるかっていうと、
白い蝶々になって呪い殺していくんだけど、
この白い蝶々になって呪い殺していくという夢を見るっていうのが、
私はあの中で描かれているヒステリーの人の真理というものの中身だと思うんですよね。
ああいうことが現実には起きませんが、
白い蝶々になって他の女の人呪い殺したりは実際できませんからね。
あのオカルティックでひどくマガマガしい感じの夢を自分の中で見ていくという、
もう全然心を休まらないですよね。
そういう心理状態というものが、
私はヒステリーという人の中身としてすごい描かれてるなと感じるんですよ。
で、まさにそういう感じの嫌な感じがですね、
ねじ巻きドリクロニクルも全体的になんとなく上手く伝わってくる感じがするんですよね。
不意に奥さんがいなくなるみたいなね、
なんだか原因がさっぱりわかんないわけですね。
その時何をしてるかというと、東京にあるとはとても、東京だったよね。
あるとはとても思えない井戸の下の方に降りていくと。
この井戸はもう完全に意識の底ってやつですよね。
意識の底に降りていくと、
そこで奥さんと出会った思い出というものを思い出していくっていうね。
この非常に不思議な感じ、なんていうのかな。
ここがやっぱり小説家の力の見せどころだと思うんですよ。
これをいかに不思議だと感じさせないか。
あの蝶々も実に上手いですよね。
源氏物語そのものも上手いし、佐紀梅美史って漫画も上手いですよね。
まるでリアルにそういうことが起こったように描いてしまうと、
ほぼ完全にオカルトになっちゃうんだけど、
心の中でこういう動きになってましたって言うと、
そうだろうなぁと。
上流階級でもなければ女性でもない私がですね、
そうだろうなぁと思っちゃうんですよね。
ここが人間の分裂ってものですよ。
私の心がやっぱりですね、
私の心じゃないような私の心があるわけですよね。
そんなものを私が知ってるはずはない。
私は平安貴族じゃないし、
モテてもいないし、
女性でもないんだけど、
でもわかる。
非常に不思議なことですよ。
そういうものがねじ巻どりクロニクルでも、
ちょっと私はね、
村上キャラって抵抗があるんで、
実は六畳よりも共感できないという、
非常に不思議なんですよね。
六畳より共感できそうなものですよ。
あの僕なんてのは、
多分21世紀の男性って感じなんで、
09:01
20世紀かな、
本来ここに携帯電話あるはずだろうっていうところに、
携帯電話が出てこないんですよね。
スマホがない。
ここでスマホが出てくると、
話がややこしくなっちゃうよなっていうのはあるけれども、
その前のやっぱり時代ですよね。
でも平安時代よりはよっぽど共感しやすいですし、
同性ですし、
奥さんに逃げられればこういう感じなんだろうなっていう、
逃げられたっていうのもまたちょっと違うんだけども、
とにかくそういう共感しやすいはずなんだけど、
僕は村上キャラには共感しにくいんでしょうね、
心理的に。
6畳の方が共感できるはずはないんですけどね、実際には。
で、そういうことが起こるわけです。
で、こういうことが起こるというのはですね、
私はこう、戸畑先生がね、
聞く技術、戸畑海人さんが聞く技術の中で、
あれはいい本ですね。
非常にいい本だなと思います。
売れるだけのことはある。
あれを見てまたね、
うちの奥様が、なぜお前はそういう売れもしない本ばかり書いているのかといって、
お怒りになるんですけどね。
この話はお祝いしよう。
えっと、今日はその、
戸畑さんが東映ドイツカとか、
そういう難しい言葉を使わなくてもって書かれてるんだけど、
僕はやっぱあれ逆だと思っちゃうんですよね。
私はウッドバイブスというものを得て、
こう、自分がすごく開放的になり、
東映ドイツカとかいう概念を振り回せるようになったんですよ。
これによって、まず自分の家庭の状況というもので、
一息つくことが完全にできるようになったんですね。
つくづく久しぶりに、
ねじ巻き鳥ですよ。
あれ読んで、やっぱこういう家庭的な緊張感みたいなものにずっと晒されてたら、
耐えられないよなっていうね、
あれじゃ発狂しちゃうよっていう、
発狂しかけてるじゃないですか、
あの主人公は明らかに。
昼間から井戸の底に降りてる場合じゃないんですよ。
そのままこう、二度と戻ってこれなくなるかもしれないじゃないですか。
あの井戸が本当にあるんだとすればですけどね。
つまり、そういうことをやりかねない心理状態に追い詰められるのはまずいって思うんですよね。
で、そういう時に、なんていうのかな、
かなり緊張度が高まってきた大人のこう、
人間関係の中では、
投影の追いつかぐらいはですね、
使えるように、知ってるだけじゃ十分じゃなくて、
いざって時のために使えるようになってないといけないかと思うんですよね。
人に対してこれを向けるのは、
ともかく、自分自身の中ではやっぱりこれを使えるようになっておきたいなって僕は思うんですよ。
あれってどういうことかというと、
赤ちゃんが泣いてるってことなんですよ。
ただ単に。
非常に原始的なコミュニケーションなんですよね。
普通の大人が、いい大人が、
洗練されたコミュニケーションというか、
一般的なコミュニケーション能力を使うならばですよ。
言葉使うに決まっていますよね。
例えば、家の中でですね、
それこそ平安貴族じゃないですけど、
手紙で筆談とか始めちゃったら、
12:01
何かまずいことが起こってるって、
一般的には感じるじゃないですか。
言葉で口を使えよって感じがするじゃないですか。
なんか訳がありますよね。
親子とかで筆談を始めてしまったら。
で、それより、
それと、
そのですね、
口頭のコミュニケーションの間ぐらいのところに、
東洋同意使って現象、私は絶え間なく発生しているという気がするんですね。
ここでやっぱり僕らは、
踏みとどまりたいなって、
僕なんかは思っちゃうわけですね。
東洋同意使ってのは、
赤ちゃんが泣いているって今言った通り、
基本的に精神分析で言われていることって、
言葉が若干いかめしいけど、
全部原始的なやり口なんですよね。
原始的なやり口って僕らは分かりにくい。
原始的な心理状態の原始的なコミュニケーション、
あるいは原始的な防衛メカニズム、
そういうものはひどく我々を凍惑させるんですよ。
なぜなら我々は大人だからなんですね。
ちっちゃい頃は、僕らは、
それこそですね、東大を一番で出ましたぐらいな、
こんなわけわかんないこと言ってますけど、
昭和ですけど、
ものすごい頭のいい子だって、
絶対ゼロ歳児の時は東洋同意使だったはずなんですよ。
つまりギャーって泣いてただけなんですよ。
きっとね。
で、やっていた、
現実的な、現実的っていうか、
防衛メカニズムといったら、
分割しかなかったと思うんですよ。
だから、いいおっぱい、悪いおっぱいって言うんですね。
分割するわけです。
いいものと悪いもの、これしかできないんで。
このやり方ってのは幼いってことなんですよ。
例えば、迷信に頼るわけですよね。
あるいはオカルトに頼るわけです。
これはすべて幼児心性だと思うんですね。
ただ、それを大人がやると、
ものすごく難しいことがそこで起きているようにも、
見えかねないところがあるんですね。
ここのところで、東映ドイツカとか、
それこそ脅迫性、脅迫的な防衛とか、
そういう発想が出てくるんだと思うんですよね。
文局的な防衛とかね。
そういう考え方っていうのは、
考え方っていうのかな、
名前が付けられているのは、
原則的には幼児心性というものがそこで
露呈してきていると。
なぜなら、危機にあるから。
危機にあるので、
もう普通のコミュニケーションを取る能力というものに
限界を感じ始めて、
対抗が始まるんですよね。
ところが大人なので、ギャーとは泣かないわけですよ。
何か分かりにくいことを言い始めるんですね。
言っている言葉と違うものが投げ込まれてくると。
この投げ込まれてきたものを、
言葉の内容とともに捉えていこうとするときに、
私は東映ドイツカっていう表現を使うしかないと思うんです。
他の言葉を使ってもいいんだけど、
とにかく何かいるんですよ。
その現象を示す。
赤ちゃんがうわーって泣いていると、
お母さんの方もぐーって緊張してくるでしょう。
聞きてこないかもしれないけど、
やっぱり何か感じると思うんですよね。
15:01
これが東映ドイツカなんですよ。
直接コミュニケーションなんです。
投げ込まれるんですね。
言葉使えないんだからしょうがないですよね。
投げ込まれたものを、
言ってみればコンテインと言って抱え込んで、
そしてこの投げ込まれたものについて考えて、
解釈を与えて赤ちゃんに対して適切なことをするんですよね。
この適切なことをできたっていうときに、
環境としての母親というのがその人の中で機能すると。
これが同じことをやればいいんだと、
僕は言ってるわけですね。
このポッドキャストの中では。
これと同じことをやらなきゃいけないんだぐらいに、
僕は言ってるわけですよ。
何か奥さんなりクライアントさんなり、
お客様に投げ込まれたら、
毎度毎度それをやるのを消耗するって言うんだったら、
できるときだけでいいんだけど、
とにかくできるときはこれをやるしかないと思うんですよ。
投げ込まれたら。
一旦抱えてみて、
これは一体この感じ、
この感じの悪い感じ、
うんと鳴かれてうるさいなみたいな感じ、
この感じと全く同じものをこの赤ちゃんは持ってるんだ、
と思うわけでしょう。
ある意味では。
こんなに辛いんだと。
だから何とかしてあげたいって思うわけじゃないですか。
だから投げ込まれたっていうことは、
投げ込んできた人は同じ気持ちでいるんですよ。
ここで僕らは誤解するんですよね。
投げ込まれたということは、
投げ込んだ赤ちゃんは同じ気持ちでいるんだ。
私は今投げ込まれて、
泣き声を叫ばれて、
こんなに眠いのに辛いんだと言ったときに、
赤ちゃんも全く同じように辛いんだと思えるから、
共感できるわけじゃないですか。
これが投影同一化と共感なんだと思うんですよ。
だけど、
泣きやがって、
俺を起こしやがってって思うところで止まっちゃうと、
赤ちゃんがどういう気持ちでいるかということに至らないですよね。
そこまで意識が至らないと。
これが考えられない状態なんですよ。
これは赤ちゃんと全く同じ状態になっていて、
2人揃って赤ちゃんになっちゃってるわけですよね。
この状態はまずいわけです。
大人の場合は何か言ってきますよね。
ふざけんなとか何か言ってくるわけですよ。
このふざけんなが泣き声なんですよ。
ふざけんなと言われて、
私はうわーってなるわけですよね。
何かものすごく怖くなったり、
ものすごく理不尽だと思ったり、
ものすごく腹を立てると。
っていう気持ちに言った人もなってるはずなんですよ。
ここに思い至ると、
投げ込まれたということによって共感できるんですよね。
これは赤ちゃんとお母さんの関係が全く同じなんですよ。
それぐらい言った人の心理状態が対抗している。
だって大人なのに赤ちゃんとやってることは同じなわけですから。
ダイレクトなコミュニケーションを取ることしかできなくなってしまっているから。
だから言葉が意味をほぼなさなくなっちゃうんですよね。
直接コミュニケーションだったら泣けばいいわけですよ。
泣けばいいんだけど、
18:00
泣くっていうのは大人にとっては取れないオプションだから、選択だから、
泣く以外の適当な言葉をそこにくっつけるんです。
それが誤解を呼ぶわけですよ。
この直接投げかけられたコミュニケーションで考える能力を発揮できる人は
そこで発揮するということによって、
こういう気持ちになってるのか、ここで共感できる。
何か解釈を、これは一体どうしてこういう気持ちになったんだろうという解釈をしようとすれば、
うまくいけば適切な質問が、
あなたはどうしてこんなにつらいんでしょうかっていうことを聞ける。
ここから進展するんだと思うんですね。
これができると自分自身が、つまりケアする母親になるわけじゃないですか。
赤ちゃんに対してミルクをそれにやってあげるとか、
着ているものを一枚脱がせて涼しくしてあげるとか、
何か適切な処置ができるということは、
当然自分自身に対してもできるということになりますよね。
こういうふうにして私たちは自分自身のケアにも成功するんですよ、きっと。
だから与えられると同時に与えられるんですね。
これは、ライフハック系のいろんなところでしばしば経験することが実際できました。
例えば一番多かったのはタスクシュートの記録が残せませんという話を聞かされたとき、
何度も何度も取れません、取れません、取れませんと言われているうちに、
自信がなくなってきますよね、誰だって。
タスクシュートというのはこういう人には無理なのかなという気持ちになってくるじゃないですか。
だって何度も何度も言われるんだから。
そのうちにだんだんグラついてくるわけですよ。
誰でも取るだけだったら誰でもできるはずなんだけど、
そういうことではないのかもしれないと、
このツールの何か限界があるのかもしれないというのが、
その言っている人の気持ちなんですよ。
同じように気分が落ち込んでいて、
タスクシュートだったら時間管理ができるようになるのに、
いろんな人がそうなってるのに自分だけはダメなのかもしれない。
同じじゃないですか。
そういう気持ちが投げ込まれてくるわけですよね。
言われている言葉とは関係なくコピーされてくるんですよ、
相手の気持ちがダイレクトに。
でもこれはこうやって大人がやるとね、
しかもそれに東映ドイツカって名前がついてみると、
非常に何か高度で複雑な話に聞こえるかもしれないんですけど、
これは単純な話なんですよ。
赤ちゃんがわーって鳴いているときに、
解釈をして服を脱がせたり、熱を測ってみたりするっていうことを、
大人のほうはしなきゃなんないじゃないですか。
そこはテレパシーでもなんでもないじゃないですか。
そういうことは当然のようにやりますよね。できることだし。
これと同じことだと考えれば、そう難しくはないんですね。
これは私は全ての人がやっぱり使えるようにならないと、
まずいんじゃないかって思うんです。
大人相手に。
21:00
これは赤ちゃんとお母さんやお父さんだったら当然できるんだけど、
大人になるとそうではないことになっていきやすいんですよね。
東映ドイツカみたいな概念を全然知らないし、
私もそういうのを全然意識せずにやっていた頃は、
なんでこの人は記録をしようという気にならないんだろうとか、
いや本気で記録してみたらどうですかとか、
余計なこと言おうとしちゃうんですよ。
言ったことないつもりですけどね。
でもなんかそういう態度が出ちゃうわけじゃないですか。
それは赤ちゃんが泣いたときに、
お母さんがやるであろう適切な処置とはすごくかけ離れてますよね。
お前なんで泣くんだって言い返してるようなもんなんですよ。
そうすると事態が収拾できなくなっていきますよね、どうしても。
だからこういうふうに原始的なコミュニケーション、
原始的な心のありようというものを、
精神分析みたいなカウンセリングでも今そうだと思うんですけど、
すごくいろんな知識を使って、いろんな専門用語を使ってですね、
それを明らかにしようとしているわけです。
ヒステリーもある意味そうなんだと思うんですね。
原始的な心のありようだと思うんですよ。
もちろん赤ちゃんほどじゃないにしても、
なかなか子供らしい心のありようだと思う。
こういうヒステリーって名前がつくと、
何かこうですね、それこそ先日話題になっていた
女性が聞いて言うというような話になっちゃうんだけど、
そういうことを元々言いたかったわけでもなんではないと思うんですね、あれは。
ただ大人がやるから、赤ちゃんになってやるわけじゃなくて、
大人がやるんでね、そこに言葉に棘のある言葉みたいなものを使ってみたりするんで、
誤解を招くわけです、どうしてもね。
そこの誤解を招かないためにも、
やっぱり私は繰り返しですけど、
投影同意使って概念を持っていた方がいいと思うんですね。
知識を振り回さないっていうのは大事かもしれないんだけど、
使わないとやっぱりわからないんですよ。
やっぱり言葉を受けちゃいますからね。
言葉の方をきつく感じて、
棘のある言葉だと、あの人はサイコパスかもしれない。
全然違う話になっちゃうんじゃないですか、そういうことをやっていると。
もっと単純な話だったはずなのに、むしろややこしい話になっていく。
そういう概念を知らないとか、知ってても使わないとかいう、
こっちの方が僕は問題だったと思うんですよね、自分の中では。
使わずにいて、この人は本当に厳しい人だ。
もう距離を置いて、こういう人とは二度と関わらないようにするぐらいしか
私にできることはないなとか、そういうことになってしまうわけですよ。
やっぱり大人を相手にしているから。
その言葉の棘の方を考え始めるわけですよね。
決してその人の心象の状態を読みに行こうという気がなくて、
自分がこういう同じ気持ちにさせられているだけなのに、
自分は嫌な気持ちにさせられたというふうに捉えるわけですよ。
もちろん相手は嫌な気持ちになっているわけだから、
私にそれをコピーしてきているだけだとしても、
24:01
私を嫌な気持ちにさせたという解釈をしても正しくはありますよね。
間違っているわけじゃない。
だけれども、その時に相手と同じ気持ちになっている、
つまり共感できるというふうに考えるのと、
攻撃されて私は嫌な気分にならなくてよかったはずのところを
嫌な気分にさせられたんだから許せないというふうに考えるのとでは
えらい違うと思うんですよね。
実際えらい違うんですよ、これが。
藤山直樹さんの本の中にですね、
この話をしておいようと思うんですけど、
藤山直樹さんという精神分析家の、
この人はすごい人だと思うんですけどね、
すごい人の話ばっかりいつもしてますけどね、
僕がすごいと思っているからなんだけど、
話の中に、ほとんど東映ドイツカーの話をされてくるんですけれども、
そうしないとあれですよね、
クライアントさんの気持ちって何にも伝わってこないんだと思うんです。
言っていることをいくら聞いても、
話としては同じ話が多分繰り返されるでしょうし、
非常にひたすら沈黙みたいなケースもあるでしょうから、
その中にですね、
ずっと会社の中で人を見下しているような態度をずっと取っていて、
全然周りと調子が合わないというような、
こういう話ってよく出てくるんだけれども、
他のカウンセラーの方でもね、
そういう人の話をずっと聞いていて、
すっかり飽き飽きしてうんざりしている時に落書きをしていたと。
もう落書きしているという段階であれじゃないですか、
悲しい聞く気がもう失せているじゃないですか。
何度も同じ話をされているということが、
よっぽど大変なんだと思うんですよ、ある意味。
週何回なのか分かりませんけれども、
精神分析ってインテンシブルなのが基本じゃないですか。
例えば週3回同じ人がやってきて、
同じ話を繰り返すわけですよね。
会社でああいうろくでもない部長がいてこうこうこうというの。
多分1回聞いた話が何度も繰り返されることになるわけです。
何の話をしても基本いいことになっているわけですから。
その時にメモに何の意味もない図を書いていたと。
僕これがですね、やっぱり非常にねじ巻き取りを
最近読んでいるせいなんだろうと思うんですけど、
感じさせられるんですよね。
いろんな話あれも出てきますよね。
僕っていう主人公はいつも話聞かされてますよね。
すごく精神分析的にずっと聞いてますよね、カウンセラーみたいに。
長い話を、モンゴルの平原でひどい目に遭った話とか、
井戸に投げ捨てられておしっこかけられた話とかね、
もうロックな話ないですよね。
かと思えば変なビニールの帽子被ってきた女の人が、
27:04
水こそ大事ですみたいな、
分からない信仰宗教みたいな話をしてみたり、
ずっとそういう話を聞かされてますよね。
で、ふと気がつくと奥さんは逃げていて、
自分は井戸の底に降りている。
これはすごくやっぱり、
人というものに巻き込まれていくうちに、
自分の真相に降りていくっていう雰囲気を感じさせるんですよね。
それとよく似た話なんですよ、藤山さんの。
似てはいないですけどね、話は。
カウンセリングを受けている時の、
感じさせるニュアンスっていうのが、
リアルなカウンセリングって本当こんな感じなんだろうなって感じがするんですよ。
ひたすらひたすら、
面白くも何ともない話を聞いているうちに、
図形を描いていたと。
そのふと図形がですね、
船の形になっていったと。
その時に、藤山さんは、
そういうことなのか分からないんですけど、
昔自分がヨット部みたいなのに所属していたことがあって、
その時に喉がカラッカラになって熱くて、
うんざりしていた時のことを思い出して、
そのうんざりしている中で、
オール漕ぐんですよね、ヨットだから。
だけれども多分合わないんですよね。
僕もやったことあるんだけど、
下手だと合わないんですよ、他の人と。
そのヨットを漕ぐタイミングとか速さとかが。
チグハグになっていくと、
当然遅いじゃないですか。
多分競争するんでね。
そのチグハグなんだけど、
一生懸命やってるわけじゃないですか、自分としては。
だけど合わないと。
周囲と調子を合わせられない時の、
そしてうんざりするような熱い中で、
周囲と調子を合わせなきゃいけないんだけど、
合わせることができる自分の能力がないと。
そういう時の大変さというものを思い出していくんですよね。
これが東映同一化なんですよ。
東映同一化によって共感させられていくんですよね。
相手はつまりこういう状態にあるんだということ。
会社の愚痴を言って、
自分の能力がないのを棚にあげてですね、
人のことばっかり言っているっていう、
その人の調子っていうのは、
ちょうど自分がヨットの部活動をしている時の、
一生懸命やってるんだけど、調子が合わない。
調子が合わないっていうのは結局自分のせいなのか、
周囲が悪いのか、よくわからないところもあるじゃないですか。
絶対的な基準っていうのは必ずしもないから。
多分自分が悪いんだろうけれども、
100%自分が悪いともなかなか思えないですよね。
調子が合わないわけだから。
そういう調子の合わなさというものを訴えられているんだけど、
それをうんざりして聞いている自分っていうのがいて、
そのうちにそのうんざりというものが何かに似ているってことを、
無意識の方から気づかせる何かが起こるんでしょうね。
それによって描いていた図形がヨットに見えていくみたいな、
そういうことが起こると。
30:02
よくできた偶然みたいな話ですけど、
この種のことはどうせよくできた偶然みたいな話なのだと思うんですよ。
でも考えるようによっては、
まさにそういう力量のあるカウンセラーだから、
そういうことを、そういうところを手がかりにして
思い出すべきことが思い出せたというふうに
捉えることもできるじゃないですか。
結局それによって、
人が訴えてきたことに共感できるというところまで来ると、
分析が進み始めるっていう話なんですよ、これは。
つくづくですね、
僕はこんなレベルのことは到底できる気がしませんけれども、
やっぱりつくづくこういうことって絶対必要だって思うんですよね。
だって話いくら聞いたって伝わってこないことってありますよ。
まして、ものすごく対抗が進んでいてですね、
もうどうしようもないんですって言ってる時の人から、
理路整然とした話が聞けるわけがないじゃないですか。
私がその奥さんと関係が非常に肉食していた時は、
もう東映同一化しか起きないんですよね、家庭内で。
言ってることに話に耳を傾けていてもイライラするばっかりで、
そのイライラさせられているという事実がもっとずっと重要なんですよ。
それくらい相手もイライラしている。
だからこんなことを言わずにはいられないんだってところまで
行き着かないとダメなんですよね。
その時に思い出せることが例えばあるじゃないですか。
私であれば静電気に触れないとかいうことですよ。
静電気に触れないなんてくだらないことじゃないですか。
触れる人からしてみればね。
なぜこんなものが触れない。
ちょっとビリッとくるだけでしょってね。
済まされてしまうじゃないですか。
でも僕は触れないんですよ。
こういう心理状態になったらどうしたってできないことがある。
意思力をどんなに発揮して
どんなにそれが命に関わらないってことを
自分に言い聞かせてもできないことがあるってことに
思い至るべきなんですよね。
奥さんがものすごく理不尽なことを言うと
それを言わせる力が働いているぐらいに
やっぱりでも思い至らないんですよ。
で、私も全く同じ状態にさせられてしまうんですね。
私も全く同じようにこれを言われればもう
相手に対して言い返すのは
たとえ倉園さんがどれほどグッドバイオス大事ですと言ったって
何を言ったって知ったこっちゃなくなるわけですよ。
ここが大事ですよね。
そういう気分に相手はなっているんだってことなんですよ。
これは非常に幼稚っぽいですよね。
子供の喧嘩ってまさにこのようにして始まるんです。
そういうところまで2人とも
8歳と7歳ぐらいまで来ちゃっているんだよってことまで
行き着ければですね
頭のどこかでそれが理解できればですね
そこから何とか盛り返そうという
気運が僕の中で上がってくる
高まってくるっていう流れが作れるんですよ。
私やっぱりここまでやるために
僕はこれをずっとここ何年かはやってきた
33:02
これだけをやってきた気がするんですね。
とにかくうまくいくこともあれば
当然うまくいかないことも多々あるんだけど
仕事場でもどこでも常にこれをやろうとしてきたんですね。
とにかくこう自分が気が付けばなんですけどね
ある気持ちにさせられた時に
同じなんだって考えて
そこで共感を得るんです。
共感を得ちゃえば後は何とかなるんですよね。
昔からそうですけれどもよく言われることですけど
カウンセリングみたいな話でも
それこそタスク習得に関する質問の話でも
こう聞かれたらどう答えるんだっていうことを
人は気にしちゃうじゃないですか。
僕はそれでは全然意味がないんだってことを
ここ最近ようやく理解しつつあるわけです。
そういうことには意味がないんですよね。
まさに記録ができないんですっていう言葉に
言葉に共感
気持ちだな
記録ができないんですって言ってる人の
気持ちに共感できないと
何を返してもおそらく無駄なことってありまして
何度も何度も投げかけてるうちに
もう限界なんですよと
そうかタスク習得には限界があるのかもしれない
残念だなっていうこの気持ちが
相手が持っている
タスク習得って限界があるのかもしれない
本当に私じゃダメなのかも
残念だなと思っているっていうところに
蝶が合わせられれば
そっから話ができるんですよね。
34:27

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