1. グッドモーニングボイス
  2. 【687GMV】セルフ・カウンセリ..
2022-10-12 40:01

【687GMV】セルフ・カウンセリングの限界

怖さと内向性の共謀

00:05
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
今日はですね、10月11日火曜日の朝のちょうど8時ぐらい。
多分、さっき確認したので確実に、既に三連休中に撮ったものが今日の朝には上がってるんですよ。
本当は三連休あったから3本あるはずなんだけど、なぜか1本しかなく、
火曜の朝に撮っているわけですね。
すごく混沌としてきております。
この混沌が結構私の進歩なんだなっていうのを最近気づいてるんですけど、
混沌は精神的にはいいんですが、混沌なのでアップされているものが
意外と撮ってる回数に比べて数が足りてこないなという、これがもう混沌の問題なんですよね。
だからここで脅迫的になってもいくんですよね、人は結局。
こういうのが嫌だからなんだと思うんですよ。
私はもうこれも取っ手出ししちゃえばいいぐらいに、
そうすると火曜日の朝に2本あっていよいよカオスになってくるじゃないですか。
そういうのがいいんじゃないかなと思うんですよね。
ただ一方でそこまでやってるとやっぱりこう本当に辛くなってきた時困るんで、
一応手は慎重にやっておくんですけど、
確かにこの辺のサジ加減って難しいとは思うんですよね。
思うようになりました。こういうサジ加減ってあるんだなと。
もっともっと何にも考えない方がより良いと思うんですけれども、
この辺が今の私だなというふうに思います。
だからこれテイクなんだかよく分からなくなったんですよ。
必ずしも私のミスじゃなくて、
アンカーのサーバーの方で明らかにセーブしたはずのデータが消滅したっていうのも、
最近久しぶりにあって、でも割とちょくちょくあるんですよね。
全くないっていう人もいるから、私のところの環境の問題なんだと思うんだけれども、
そんなにでもうちのネット環境がひどくはないんでね。
確かに時々は調子崩すんですけれども、
調子崩すっていうかサーバーみたいな、あるいはルーターとかのね。
そんなないよなと思っておりまして、いろんな意味で混沌としてきているわけです。
今日はそういう混沌としたテーマだと本人は思っているんだけれども、
引き続きCMはしたいわけで、
7期の書き上げ塾、これはもう私どうなのかな。
いろんなことを今お伝えしたいんだけど、それがまさに混沌としているんで、
03:01
カオスなんですよね。
こういう時って意外と伝えたいことばかりがあり何もできないというケースは、
もう僕も経験してきておりまして、珍しいことではないので、
そんなにジタバタしてもしょうがないかなと思うんですが、
7期のこういう書き上げ塾にご参加いただくと、何かいいものが手に入るかもしれません。
もうひっしり滅裂な感じがしてきましたけれども、
こういう時なんですよね、でも何かが生み出されるというのは、
これも私の経験上、例えば不意に小川純さんのやる気クエストってすごくいいじゃないですか。
1巻あたりの分量もさることながら、全部で6冊あるという。
あれと同じことは、一度できたから何度でもできるというような気もするしちゃうんだけど、
そうはいかないんですよね。
やっぱりあの時は混沌としてたんですよ。
後から考えてみると、私と岡野さんの感じからいくと、
ある意味何もわからないからできたということもいろいろあるんですね。
そういういろんなものが積み上がっていって、
カオスになっているなあみたいな時に上がってくることってあって、
そういうところにお誘いするというのは、
私は実は一番いいんじゃないかと。
それは偶然ですからね。
例えば今、Jマスターキさんと100日チャレンジというのをやっているんですが、
これもめちゃくちゃ混沌としているんですよね。
出だしは。
一体あれで何をしようとしていたのかが、私たちもよくわからなかったし、
私とJさん、私がJさんのタスクシュートクラウド公式のブログで書かせていただき始めた頃には、
こんなことをやろうという気は強ほどもなかったですね、お互いに。
なんだけれども、不意に何かこう行き詰まりを打開せねばということでですね、
でも言いたいことはいっぱいあるよね。
という話をしていたら、あれが出てきたんですよ。
Jさんのほうから。
私はこの第0期と呼んでいるんですけど、1期ですらないんですよ。
だから0期なんですよ。
この0期は非常に参加された方にはいろいろ良かったのではないだろうかと思うんですが、
0期に参加するのを必然にするわけにいかないじゃないですか。
こういう主催者がほぼ思いつきでやったようなことは。
これからはあれが、
つまりエディプスなんですけど、
これをエディプスと言うと私は思っているんですけどね。
これが組織化されていき、第1期、第2期と。
わかりませんけどね。
でもそういう計画でおるわけですよ。
で、これはこれで、
というか、こうでないと参加される方にはイメージもできなければ、
必然性を持って参加できないので、
困るので、こうなるべきだし、こうなるしかないんだけれども、
でも0期の良さってあるんですよ。
これにお誘いしたくなると。
で、かけんじが毎回0期みたいなところが、
06:03
すごく今はもうガチッとしましたけれどもね。
第1期の頃に比べると会場も違うし、
やってることも全然は違う。
やってることは全く同じだし、
これも面白いところなんですよね。
カオスだということと、
秩序だったというときにやること変わるかというと、
そんなことはないのですよね。
100日チャレンジも今後、
おそらく現在の形式を踏襲することになります。
だから後のほうが得なはずなんだけれども、
だって後のほうが洗練されていくわけだから得じゃないですか。
常識的に考えれば。
ところが、
後のほうが、
洗練されていくわけだから得じゃないですか。
常識的に考えれば。
ところが、
一番最初の得っていうのがあるよなと思うんですよね。
それは、
やってみなくちゃわからないことをやりだしているときにしか、
何か手に入らないようなものがある気がします。
ということで、
掛け上げ塾にご参加いただくと、
素晴らしいんじゃないかと私は勝手に思っているわけですよ。
そう思っているのは私だけかもしれませんけどね。
というわけで、
第7期の募集を
やっていきます。
11月からの第7期の募集を
やっていますということですね。
それで、
そのことと関係がとてもあるんだけど、
あるようなないような話で、
私今、
自我心理学を読んでいるわけですね。
その中で、
かわいはやおさんは自我心理学ではなくて、
ユングですけど、ユングをやっているかわいはやおさんも、
何故か今、
読みまくっているわけですが、
そのうちに村上春樹さんが気になり始めてですね。
かわいはやおさんと村上春樹さんは
晩年親しくされていたので、
読み始めていて、
読み直しているんですよ。
村上春樹さんの小説って、
これを言うと批判みたいになっちゃうので嫌なんですよね。
苦手でして、
よく挫折するんですよ。
挫折するような長さではないだろうと思うので、
長さで挫折はするものではないので、
小説長さで挫折するんだったら、
松本成長を読み出して止められるかって話ですからね。
松本成長が先気になりだしたら、
たぶん止められないんですよね。
つまり小説は長いほど挫折しないんですよ。
実はね。
はまってしまえば。
トルストイ挫折するとかはちょっと別なんですけれども、
あれは飽きるって人はいると思うんですけれども、
私はトルストイとかで挫折したわけじゃないから、
村上春樹さんの長さで挫折するはずないんですよね。
相性の問題だろうなと思うので、
それも問題だろうなと思うんですよ。
相性ってなんなんですかね。
あるんですよ。
でもやっぱり一文一文の文章が上手い下手は論外で、
上手いに決まってるんで、
村上春樹さんなんか上手いに決まってるんで、
下手だから読んでられないとかでは全くないんですよね。
ただ何かあるんですよ。そこには。
何かあってとにかく読み進めると、
苦しくなってくるんだと思うんですね。
09:00
今回も読み始めて、
そうだ、この漢字が来るんだっていうのを思い出したんですけども、
構わず読んでったら、
なるほどなぁと思うようになったんですね。
なるほどなぁっていうのは、
何になるほどなぁと思ってるのか分からないんだけど、
やっぱり分析的な観点なんですよね。
これもまたしつこく微妙で、
じゃあ村上さんはフロイトを読んでたのかって、
読んではいたと思うんですけれども、
意識してたかというと、
読んでもいなくて意識もしてないだろうなっていう方が
当たってる気がするんですよね。
だから読んでいて、
僕が勝手にそこに読み込んでいくんですが、
それをしないと、
僕はあれを読めなかったんだなっていう話なんですよ。
こういう話何度もしてますよね、
このポッドキャストでも。
ただ多くの場合、
例えば私、
新井ピロエさんの話とかもよくしてるし、
いわゆる少女コミックみたいなのとか、
あるいはこう、
何だろう、
あれですよ、
つまり私が今念頭に置いたのは
高階亮子さんなんですけども、
非常に大化の方ですよね。
勝ったのは、
別に精神分析のことなんて全く意識しないでも
読めたわけですよ。
子供の時読めたわけですから。
村上春樹さんの、
例えば、
ノルウェーの森とかは、
小学校6年の時に読んだんですけれどもね、
その時に感じたその釈然としなさを
ずっと持ったんですよね。
50、現在に至るまでですよ。
変わらずなんですよね。
これはいったいって、
精神分析がなくたって、
それは漫画読むのはできるんだけど、
村上春樹さんのに関しては
そうはいかなかったということなんですよ。
この違いはあるんですよね。
で、
何の話をしているかというと、
自我心理学には、
私は、
実は、
何度か言っている通り、
留学生で、
留学先で学んだのは、
あれは自我心理学だったので、
後から気づいたんだけどね。
日本に戻ってきてから、
ババアレイコさんの、
非常にこう、
最近話した人に言わせると、
色気がゼロの本なんですけれども、
中身は非常にいいわけですよ。
私はあれで、
アメリカで何を学んできたのかが
分かったというぐらい、
じゃあお前、学んだ時にはそれは
分かんないのかというと、
分かんないんですよ。
英語力が僕に不足していたのは、
それはそれとしてあるんだけど、
そういう問題ではないんですよ。
例えば、私はスキナーは、
英語力がまだまだ乏しかった時に、
アメリカで習ったけど、
あれは別に日本に来たから、
ああ、こういうことだったのかなんては
少しも思わなかった。
だから、行動科学に関しては
分かったわけですよ。
全然、留学中に。
おそらく分かったと思うんですね。
自我心理学は、
分かってはいたんだけれども、
よく分かっていないところが
多々あったわけですね。
それは、日本に来て
分かったわけですよ。
12:01
こういうことが起きちゃうんですよね。
精神分析っていうのは、
どうしても経験みたいなものとかも
様々あるから。
だけれど、一番僕が
でかいなと思うのが、
その対照関係論は、
アメリカではほぼ教えてくれないに
等しいので、
メラニー・クラインが出てこない
ということではないですよ。
そういうのが苦手なんですよ。
少なくとも、学部レベルでは。
対照関係論については、
戸井武夫さんの本が大きかったし、
北山治さんの本も大きかったし、
藤山直樹さんのは、
もちろんのこと、
ミニコットの本とか、
オグデンの本とか、
その辺なんですよ。
私が理解できるようになったのは。
グッドバイオスも重要なんですよ。
だから、ごく最近まで
よく分かっていなかったんですよね。
ここからもう一回、
どうしても自我心理学が僕に
いろんな意味で
実践的な役には
立ってくれなかったわけが
分かった気がしたんです。
これを、
最近言ってるわけですよね、私。
分かった気がしたというのは、
自我心理学に、
要するに物足りないとか、
飽き足りないとか、
いうことになっちゃうんですけど、
それは当然なんですね。
なぜならば、
本でも、
自分で学ぶものじゃないからですよ。
やっぱりあれは、
受けなきゃ分からないんですよ。
絶対に。
ただ、
最近思うようになったのは、
いくら受けなきゃ分からないと言っても、
この知識は、
本を読んで泳げるようにならない
というのとは、
少し違うんですね。
この知識は、
本を読んでいるだけで、
運転できるようにならない
に近いと思うんですね。
運転できるようにならないのと、
運転できるようにならないのって、
微妙な差がありますよね。
教則本だけ読んでいて、
運転されては困りますよ、絶対に。
特に首都高とか、
絶対ダメだと思うんだけど、
でも、素質のある人は
できそうなところがあるじゃないですか。
やらないほうがいいと思うんだけど、
つまり、素質の差って出るんですよね。
泳ぎは、
本に全然意味ないんです、
はっきり言って。
私は本を読みましたよ。
目をつぶっても泳げるんで、
そういう人間が本を読むのは
意味あるんだけど、逆はないんですよ。
全く泳げませんっていう人が
いくら本を読んでも
泳げるようにはならないんですよね。
これほどではないというか、
こういうのとちょっと違うと思うんですよね、
精神分析っていうのは。
読んでできるようにはならないし、
読んで受けたことにもならないんだけれども、
読んで泳げるようにならないほど、
肉体がやることではないんですよね。
やっぱり、
頭脳がやることなんですよ。
だから、運転も読んでも
運転はできるようにならないじゃないですか。
15:00
でも、読むことによって
運転とはどういうものかは
なんとなくつかめるじゃないですか。
日本の場合、教習所があれほど
スクールスクールしてるから、
なんとなくご理解いただけると思うんですよ。
でも、
分かれますよね、タイプが。
教則本の方はどんどん進むけれども、
技能教師は苦手だっていう人と、
技能教師だけバンバン行くんだけど、
授業受けると寝ちゃうみたいな人と、
あれ寝ちゃうと遅れないんですよね。
こういうタイプの差ってあるじゃないですか。
で、その教則本に近いところがあるなと思うんですね、
最近。
で、
自我心理学でやってることっていうのは、
学ぶことっていうのが
すっごく教則本っぽいんですね。
で、
対象関係論を
学ぶことっていうのは
全然教則本らしくはないわけですよ。
ほとんど、
技能教習のことが
教科書に書いてあるような感じなんですよ。
だからわけわからんのですよね。
ものすごく読みにくいし、
読んでも何かが手に入ったような気が
まるでしないんですよ。
そういう違いがある。
だけれども、
どっちをやらなきゃならないかって言ったら、
やっぱり結局技能じゃないですか。
運転してみないことには
運転はできるようにならないですよね。
これが対象関係論の
僕が思うにですね、
やっぱり
僕が手に入れようとしたことであって、
これが自我心理学の
物足りなかったところであって、
で、
時々こういう言葉が出てくるんですけど、
ここが
セルフカウンセリングというものの
限界なんだろうなという感じがするんですね、
私は。
一人じゃできないんですよ。
精神分析って一人じゃできないところが
ミソなんですよ。
本を読むだけでできるってことは
一人でできるって意味になりますよね。
受けなきゃ絶対に
やったことにはならないよっていうのは
そういう意味なんですよ。
受けるということは
もう一人いるんですよね。
誰かが。
ここが大事なんだと。
先日ですね、
かき上げ塾の中で
こういうところにかき上げ塾が出てくるところが
ミソなんですよ。
かき上げ塾の中で
一人じゃできないと思っていたから
この考え方ではなかった
というような話を
自我心理学を私が先に講義したから
お話ししてくださったんですけど
そういうことなんですよ。
私が
2017、8、9年の頃の
ミドルクライシスなんですよ。
私にとっての
中年の危機って怖いんですよ。
精神病になったわけじゃないんですよ。
だけども
ニッチもサッチもいかなくなったんですよ。
こういう時に
歯が立たないっていう表現は
土井滝夫さんが面白いこと言ってたんで
今の機会にしゃべらないと忘れるだろうな。
歯を立てようとしちゃダメだっていうことを
土井滝夫さんっていう方が
本に書かれてるんですけど
実に面白いんですよ。
つまりフロイトって
口吐いて言い方するじゃないですか。
18:00
口なんですよね。
口でおっぱいを吸う。
とにかく食欲を満たすとか
これが人間にとって一番最初のSの
Sが表現として出てくる。
口を通じる部分が大きいと。
ホムンクルス人形っていうのは
口とか手がやたらでかくなってる
脳を人形化しましたみたいな
有名な人形ありますよね。
見たことある方多いと思うんですけど
性器もやけにでっかくなってるやつね。
だから男性の人形になってることが
多いんですけどね。
ここはつまり神経が
すごく発達してる部分だよっていう意味なんですけど
あれはそれに過ぎないんだけど
口の発達が最初に来ると
そういうことフロイトが言ったわけですよね。
つまり口ばかりが
発達することは
押さないんだって言ったわけですよ。
ある意味ではね。
対抗とすごく関係のある話ですけれども
歯を立てようというのは
発想が押さないっていうことなんですよ。
だからどいたきょうさんが
最後に不意にね
長くあなたと付き合ってましたけど
私のカウンセリングは
結局歯が立ちませんでしたね
と言っちゃったという話なんですよ。
こういう発想でいたから
このカウンセリングは
うまくいかなかったんだというわけなんですね。
うまいことを言うと思ったんで
今喋ったんですけど
それのおかげで
何を喋ろうとしていたかは
わからなくなったんですけど
要するにミドルクライスというのは
私が何かに歯が立たない状態を
招いたんですね。
ここで僕は思うんですよね。
自己啓発の本というのは
その本に書いてあることが
インチキだとか
いうわけではなくて
インチキに近いケースもあるだろうけど
そういうことではなくて
私がライフハックタスクシュートで
主にタスクシュート
エヴァノート路線で
ずっと言ってたわけですが
それではできなくなったのは
その後討論に問題があったというよりは
問題があったんだろうと言われれば
そんなことはないんですと
僕はやっぱり言いたいんですよ。
問題があったというよりは
つまり
倉園さんがよく言うところ
自力じゃ無理なケースってあるよ
っていうことなんで
ここを違う意見の人もいると思います。
いやそれはつまり
座禅みたいな
なんて言えばいいんですかね
でも座禅って一人でやらないんですよね
つまり
もっと内面を掘っていって
それができる人も
いると思うんですが
そこでさっきの
いろんな話出てきてるでしょ
ここが混沌としてるんですよ
最近読んでるのは
村上春樹さんの
ねじ巻き鳥クロニクルなんだけど
あれ読んでいて
井戸を掘るっていう表現が出てくる
というか
込み出しが出てくるんですよね
井戸を深く掘っていくと
つまりそれなんですよ
井戸を深く掘っていくというやり方なんですよ
ライフハックとか
私のようにタスクシュートとかをやりたがる
やりたがるというか
現代の文化なんですよこれはやっぱり
21:01
アメリカ文化なんですよね
個人趣味なんですよ
倉園さんの指摘は
その時にパチッと言ってたのは
その通りだというのは
つまり自我心理学が
どういう位置づけにあるかとか
いう話ではなくて
一人じゃできないんだという
ケースなんですよね
でも一人でやろうとしちゃうんですよ
私たちの文化は
こういう困ったことがあっても
一人でやろうじゃないかと
なるべく頑張るんですよ
なるべく頑張ること自体は
ある意味ありだろうと思うんですね
ここをまた非常に
ややこしい話をいっぱい含むんだ
でも自我心理学で大事なことは
あえて意土だの
Sだの
自我だの
そして自我は様々なメカニズム
つまり手段を用いて
現実に適応しよう
適応しようと頑張るから
この構造を一見ね
クライアントさんが理解して
現実に適応できない
自分の心の構造の歪みを取れば
まるで生体みたいですけどね
歪みを取れば
何とかなるように思っちゃうじゃないですか
思えるように読めるじゃないですか
でもこの本読んだだけじゃ
無理だからねと言ってるのは
これはまるでね
カウンセラー受けに来いと言ってるようにも
聞こえなくはないんですけども
でも本当は
あの構造を頭に入れてるのは
分析家の方であって
クライアントさんは何も知らなくてもいいんですよ
ということは
外側に
あるんですよね
精神分析家という人が
少なくとも2社はいるわけですよ
しかも少なくとも2社いる中で
3社関係というものが
扱えるように
なりましょうと言ってるのは
つまり人間関係をやらなきゃダメなんですよ
ここで技能教習が出てくるわけですよ
本読んでるだけで
人間関係がうまくできるようになるはずがないと
言ってるんですよ
ある意味では
本読んでるだけでは
運転はできるようにならないじゃないですか
もちろん泳げるようにならないし
どれほどその知識が正確だとしても
しかも正確じゃないですしね
はっきり言って
精神分析の
心の構造論などというのは
いい線いってると思うんだけど
やっぱりあれは擬似的なものなので
もっと言ってしまえば
本物ではないので
だからあれをいくら勉強したからといって
人間関係ができるようにはならないし
例えば他人関係が怖いということであれば
この怖さを
あの図を
どんなに了解しても
とれるようにはならないと思うんですよね
で、あの
小説家の村上春樹さんみたいな人が
糸を掘ることによって
つまり
内面を深く
見つめ直すことによって
これを何とかするというのは
もうどちらかというと
宗教にしかいいんですね
私が思うに
しかしそれですら
彼は小説を書いてるんですよ
読み手がいるんですよね
24:01
これを開発者さんは
おっしゃってるんですよ
そういうことなんだなと思うんですよ
ここを
何かね
なしで済ましたいっていう
文化のところがあるんですよね
そんなことは別に
アメリカ人が言ってるとかいうわけじゃないんだけど
何かですね
ここをなしで済ませない
済ませられないかなと
都合よく思ってる私たちが
どこかにいる気がするんですよ
で、面白くないと思うんですよね
だから、精神分析のお世話になりなさいというのは
どこか面白くないという
気持ちがあるとすると
やっぱりそれは対人恐怖っていうのが
その根底にはあるんじゃないかな
という気がするんです
その手前のところに何かこう
何つうんですかね
エゴの額みたいなことを
指摘されるケースもあると思うから
だから面白くないっていうのはあると思うんですよ
私一人の力でやってやるってやつですよね
そういう気持ちもあるんだろうと思うんだけど
ですけれども
こっちに関してはですね
えっと
何て言えばいいんだろう
こっちすらも
つまり
これがモラルっぽく聞こえるという
こと自体がですね
人は一人では生きられないというのは
何かモラルっぽく聞こえますよね
どうしても
でもそれ自体が何か僕は
僕の場合はですね
そういう人は一人では生きられないというのは
なるほどそうだけれども
一人で生きたいみたいな
そういうところが
僕はライフハッカーっていうのは
あると思うんですね
だってほら何かを見失ったとか
人に聞けばいいじゃないですか
それがみっともないみたいな感じを
抱くっていうのは
独力というものにすごく
頼んでるところがありますよね
この頼むはあの字ですけど
お願いしますじゃない字の方ね
自らに頼むっていうのは
自らに頼みすぎるっていうのは
やっぱり人が怖いんだと思うんですね
でも
人が怖いっていうのが
本読んでるだけで
治るはずがないというのは
モラルじゃないと思うんですよ
対人恐怖症の恐怖を
本読むだけで取りましょうと
言ってるのは
対人恐怖っぽいんですよ
だからこれをいくらやっても
無理だろうと
つまりいくら移動を
掘って内面を深く見つめ直しても
それダメなんじゃないかと
そのやり方をしようというのが
そもそも
その恐怖に触れずに
置こうという感じがするんですよね
小説でそれを書いて
表に出しましょうっていうのは
対人恐怖じゃ
できなくなってしまうと思うんですね
やっぱり
だってバッシング怖いとか
あるじゃないですか
だから書けなくなるわけですね
こういうことが全部
ひっくるめて
何て言うんですかね
本読むだけでは無理です
っていう話と
つながってる感じがします
27:01
つまりセルフカウンセリングの
限界なんですよね
思うに
ちょっと途切れましたけど
私がミドルクライシスっていうときに
ところに入ったのは
この線だけで押し進めたせいなんですね
奥さんが
奥さんとの関係でも
とにかく
基本的には
脅迫的に進めたわけですよ
脅迫ってのは脅したってことではないですよ
チェックリストを作ることで
済ませようとしたわけです
面白いことに
ねじ巻き鳥クロニクに出てきますよね
いやあれは非常に
精神分析的な話だなと思うんだけども
奥様は大変に
自立心が強い
脅迫的な方なんですよね
主人公の冒頭に出てくる
久美子さんでしたっけ
部屋はきちんといつもなっていて
どこに何があるか
分かるようになっている
あれ大変恐ろしいことなんですよ
何が恐ろしいかっていうと
別にあの状況であれば
きちんとしているだけで済みますけれども
きちんと何がどこにあるかを
全部分かっているということは
勝手に動かすとすぐバレるって意味ですよね
勝手に余計なものが持ち込まれると
それもすぐに発見されてしまうんですよ
そういう家に
そういう恐怖について
スティーブン・キングの映画にありますよね
私はあなたのナンバーワンのファンなんです
とか言っている
ストーカーみたいなファンに
売れっ子の作家が捕まって
家から出られなくなるわけですよ
足とか膀胱を受けて
骨とか折られたりして
その人が看病するという
最初大怪我したから看病するという
冥福で家の中に転がり込んだんだけど
出られなくなる
それがつまり
そういう料理を持った
母親的な何かに
縛りつけられている
そういうのをスティーブン・キングが
ホラーっぽく描いたんですけどね
そこで非常に象徴的なシーンが出てきますよね
主人公が何とかして脱出しようとして
こっそり車椅子で移動していたんだけど
小さな小物のガラスの
かわいいお人形さんを
ほとんど
手に入れられなくなって
お人形さんをほとんど
倒しちゃうと
慌ててそれを元に戻すんだけど
元に戻ってないわけですよね
これが脅迫症の人の
怖いところなんですよ
明らかに私がやったのと
置き方が違うというのは
一目でバレてしまうんですよ
ある全ての位置づけは
完璧になっているから
バレるわけですよね
これに近い心理状態が
クミコさんという方の
クロニクルの本の中で
入りがかりみたいに
言われますよね
青いティッシュは私は
絶対使わないのって言って
青いティッシュ買ってきた
主人公がすげえ怒られるという
ああいうことが起きますよね
30:00
必ず
つまり
そういう話になってしまうんですよね
脅迫というのは
フェアバーンという人に言わせると
つまり脅迫症というのは
対人恐怖を
コントロールするための
方法論なわけです
これはこの番組にも
時々お話してますけど
結局人コントロールするには
儀式化するのが
一番いいんですよ
これSなんですけどね
Sをコントロールしようとして
始まるんだけど
同じことです
人との関係というのは
私今コントとしてるって
言ったじゃないですか
カオスが嫌いなんですよ
コントロールしたいと
ところでSはカオスなので
Sの要求というものを
入れていったら
この世はぶち壊しになると
朝にこれ収録してみたり
夜に収録してみたり
出す時間もバラバラだったり
するわけですよ
これがSのやりたいやり方なんです
というかSというのは
特に難しいことは考えてないんでね
だからそれをコントロールしたい
という欲求を私たちは
常に持ってるんですけど
自分のテリトリーを
完全にしようと思えば
必ずそういう風になっていくはずです
私の目の前にはいろんな
洗剤とかがあるんだけど
洗剤も一種類にしましょう
ミニマリストって
そういうところがあるじゃないですか
一種類にしましょうと
これだけを使いましょうと
できればラベルを
こっちに向けておきましょうとか
これが講じてきて
スティーブン・キングの出られない家が
出現するわけですからね
逆に今度は
洗剤ばっかりあるところに
醤油が置いてありますみたいな
これがSがやりがちな
子供ってそういうことやるじゃないですか
私はどっちが健全かというと
たぶんSが行き過ぎてる方が
まだ健全だと思うんですよね
自我が病的になって
全てを同じ方向に並べるっていうのは
全然健全な感じがしない
だけども僕らの秩序っていうのは
そういうところが
やっぱり普通にあるわけなんですよね
いろんな恐怖を誤魔化すために
今みたいな方法論を考え出すんだ
というのが
エアバンティストの考え方なんだけど
概ね当たってると思うんですよ
最終的に
人との関係というものを
全く取らないという方向に
向かうために
そういう意識はないんですけどね
ないんだけれども
人との関係の中に
脅迫見えたものを持ち込むわけです
だから私は
やり方が行き詰まったんですよね
だって奥さんとの関係というものが
ある中で
奥さんを怒らせないために
思うじゃないですか
久美さんは青いティッシュ買うなって言ったから
分かった僕はもう二度と青いティッシュは買わない
ここで誓うみたいなこと
誓わせられてるんですよ
あれがチェックリストになってるだけの話ですよ
33:01
私の場合は
これでは解決にならないですよね
あの小説の中では
そういう言い方をしてたけど
あれでドツボにはまってくんですよ
あれは
それはチェックリストが膨大になるっていう
話ではないですよ
膨大にはなるんだけど
あの後久美さんは非常に面白いことを言っていた
なんかわけわかんない
カノーマルタさんでしたっけ
っていう人に水玉のネクタイつけてこいって言われたのに
ないと
あれはすごい久美子が気に入ってたのに
家のどこにもないと
その話をしたらですね
あれはうっかりですよ
この久美子さんがうっかりと
クリーニングに出しっぱなしにしたまま
これは非常に象徴的ですよね
こういう脅迫症のエアポケットみたいなものがあるんですよ
必ずあるんですよね
これがこの話の大きな起点になっているんだけれども
その辺やっぱり
さすがだなと思ったんですよ私は
読んでてちょっとやっぱり
なんか文体の相性がやっぱり合わないね
つらくなってくるんだけど
それでもさすがだなとは思いました
こう、こうですよね
フロイト書いてた通りですよ
失策行為の意味ってやつですよね
そういうものはどこでもあるんですよ
ちゃんと100年前に
結局あらゆるものを支配している
コントロールしている人が
コントロールしもらすところが出てくる
っていうのは
大きな穴ですよね
この穴はすごく意味がある
こういうのを塞いでいって
気づかないふりをしていくと
どんどん僕の
しっくらい質みたいなところが
どんどん
どんどん
どんどん
どんどん
クライシスみたいな
クライシスから出られなくなって
ちょうどあれは
出られなくなっていくものなんですよね
落ち込んでしまうというよりは
だから私は
自分に何が起こっているのかの
分析という方針では
どうしようもないわけです
だから本読んでちゃダメなんですよ
本読んでここを出しよう
出しようとしているという
その状態が
出せなくしていくものであって
それを話したと
グッドバイブスを発見して
セッションを受けてみる
みたいなことをしているというのは
それで言われることによって
なるほどすごい情報を得た
というのではなくて
他者が自分の外にいるというところで
なんていうんだろうな
倉園さんがよくおっしゃるところでは
与えると
同時に与えられる
って話なんだけど
そういう見解が必要なんですよね
何もお前与えてないじゃん
だからセッション
倉園さんから受けて
グッドバイブスをしてもらって
与えられているだけじゃなくて
思うと思うんですよ
ここにカンセリングのミソがあるんですよ
でも私が
私が陥っていた
あの時の状況というのを
倉園さんに与えないと
グッドバイブスが
グッドバイブスが現実に
適応した形で
36:01
与えられてくるという形式は
取れないんですよ
あくまでも抽象なんで
実践から出た
どんな方法論であっても
方法論になった瞬間に
もうそれは抽象なんで
抽象っていうのは
何かこう具体的なものと
噛み合わない限り
何かが生み出されることはないですよね
だからここでは
二者絶対必要なんですよ
最初は倉園さんの問題を
グッドバイブスが解決するでいいんですよ
フロイトがそうであったよ
でも2度目からは
二度とこの世に再登場することは
本当の意味はできなくなるじゃないですか
その意味通るかな
そういうことが
カウンセリングの世界では
常に起きてるじゃないですか
自我心理学のあの心の自我
超自我って
どこにもないじゃないですか
そんなこと
でも具体的な人がやってきて
私にはこういう問題があって
こうこうこうなんですと
そのふうにさっとは言えないですけど
言った時に
何かがそこに発生するじゃないですか
これが多分与えると
同時に与えられるんですよ
だから自我心理学でもやっぱり
他者がいるんですよ
他者が自我の外に
それが精神分析科なんですよ
精神分析科そのものは
この中の図には出てこないから
一者しかいないようにあれは見えちゃうんだけど
対象関係論ってのはそこが面白くて
二者いるんだぞということを
常に言い続けてるから
めちゃくちゃ読みにくいものになってんだけど
現実の状態には近いんですよね
むしろあっちのほうがやっぱり
なんかこう私は思ったんですよね
自我心理学というのは
少しズームアウトしてるみたいな
市街地図みたいな感じ
それから見ると
市街地図分かりやすいでしょ
それから見ると
対象関係論というのは
まるでですね
歩いてる視点なんですよね
そんなものを本にされたら
わけわかんないじゃないですか
でも歩いてる視点じゃないと困るじゃないですか
実際の問題としては
私が実際の問題に困った時に
つまり僕ら殿さんに
与えて与えられたっていうのと
同時に奥さんに関してもそうなんです
私が当時困ってたのは奥さんとの関係とか
もっと多分実家との関係ですよね
非常に困ってた
いざこざが起きてたとかいうレベルでは
全くなかったんで
ああいう時にセルフカウンセリングは
何の意味もないじゃないですか
問題が心だけで起きてることじゃないですからね
私が実家との関係で困ってたのは
父は失職するわ
母は心臓の手術に失敗するわ
兄弟はどっか行っちゃうわっていう
この三重が一斉に
一ヶ月の間に起きたから困ったわけだけれども
ここはセルフカウンセリング
いくらしてても無駄ですよね
何かしなきゃいけないんだけれども
何すりゃいいのかもわからないんだけれども
こういう時にやっぱり
実家という関係は私の外にあるんですよ
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だから私が内的対象とばっかり
イチャイチャしててもダメで
昔のお母さんの像とかね
そういうことは
なんて言えばいいんだろう
含み込むんだけど絶対に
母と対面すると
昔の母のイメージが
私に影響を与えちゃうんだけど
そういうものを含み込んで
やっていかなければ
何にも展開しないんですよね
っていうことがよくわかったわけですよ
そういう中で
父にどなたかって
言われたりどなったり
っていうような話を
分析しているっていうよりは
与えて与えられるんですよね
そういうのがあの時
よくわかったのと
よくわからなければ
多分使命的だったんじゃないか
という感じを抱いてるわけです
よくわからされたみたいな感じですよね
よくわからないでは
もう済まされないみたいな
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