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2020-10-19 31:22

【GMV 238】先の心配を追い出す

本当のことはわからない。タスクシュート はそれを教えてくれるツール
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おはようございます。グッドモーニングバイブスです。
最近、結構この再生数が、特に土日を挟むと増えていて、大変ありがたい限りでありがとうございます。
グッドバイブスでもそうですし、数数えちゃダメなんですけどね。数多い方がいいというのはイリュージョンなので。
これ、ちなみに禅の教えにもあるんですよね。数数えてはいけない。
何でかっていうと、数というのは蓄積だからですね。
蓄積いいじゃんという話ありますよね、ライフハック的に。
何日連続でジョギングしたとかそういうやつですけど、蓄積ダメなんですよ。今ここじゃないですからね。
禅は特にここにこだわるので、良いイリュージョンであったとしても、イリュージョンであればそれについて喜ばない方が良いという考え方があります。
これは快意と不快の間を多さを押しちゃいけないという、私たちともすると一生気持ちのいいものを求め、不愉快なものを避けるという。
右行ったり左行ったりしているだけで一生終わってしまうので、という話をするんですけれども。
ここのところ、グッドバイオスはちょっと私の解釈では違うところで、禅とは違うところでですね。
良いイリュージョンは良しとするというか、少なくとも問題視しない。
自分をざわつかせるっていうのかな。不愉快にさせるイリュージョンだけ避けようと。
この辺があれですよね。スピリチュアル系は時代とともに変化する。禅の教えって結局仏教なんで、仏教ってのはやっぱり古代のインドですからね。
時代が異常なほど過酷だったわけですよね。今の私たちでは想像できないほど人間実際ひどい目に遭うし、
そうそう気持ちのいいことばっかりってことはないので、ああいう教えになると思うんですけど、今のような現代の日本の社会であればですね、
だいぶやっぱり古代インドに比べれば過酷さが減っているので、人はやっぱり熱中症で亡くなる方もいらっしゃいますけど、
インドで熱風が吹いてバタバタ人が倒れるみたいなのとは違いますよね。
そういうことで、良いイリュージョンというものは、それほど問題視するに、これを全部避けるということになってくると結構大変なんですよ、私たちの生きている世の中では。
だからそれは問題視しないぐらいでいいんじゃないかなと私もよく思っているんです。
その辺がですね、やっぱり宗教というのは、宗教じゃないですけど、宗教であってもですね、文化と時代の影響というのは当然ありますよね。
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そういうこともあるかなと思って、数は数えない方がいいのはまた現代的に別の理由なんですけど、古代に比べても私たちは数に囲まれているので、
数にすごくこだわるというのは、それなりにざわつかせたりもしますよね。
数はすぐ比較の世界に入っていくので、僕が増えたと思っていても、ヒカキンさんとかのを見るととんでもなく虚しくなったりするじゃないですか。
しないんですけど。
今日はですね、昨日ちょっと僕は別のところで喋った、本当のことはわからないと。
これは完全に倉園さんのそのまんまですけれども、本当のことはわからないという話をちょっと久しぶりにしたいなと。
これが、これを僕はタスクシュートの文脈で喋るんですが、これがですね、タスクシュートの肝だなと、私なんかは思っているんですね。
タスクシュートで、これは私の考えですよ。タスクシュートというのはツールなので、ご存じない方がいるとは思えませんが、これを聞いている方ではね、
あえて説明しておくと、朝から晩までやることをひたすら記録にとっていくというツールですね。
とにかくひたすら並べておいて、やる順番通りにね。やる順番通りに並んでいるわけだから、その通りにやっていくと、その通りに記録が残るという、言ってみればそういうだけなんですよ。
例えばですけど、私は今日朝起きて、気象が一番最初にてっぺんに来ますよね。
何よりも大事だから気象がてっぺんに来ているのではなくて、タスクシュートは実行する順番が最初だからてっぺんに来ているわけですね。
気象というのをやったら歯磨きというのをやって、その後に着替えというのを、私はこの順番でやるから。
で、散歩、シャワー、朝食準備、娘を起こすという風になっていくわけです。
この間、間が空かないのが一つの特徴なんですよ。
なぜ間が空かないか。それはですね、何もしない時間というのはないからですね。
万が一何もしないという時間があったら、何もしなかったという記録を残せばいいです。
ここに評価を入れないというのが非常に大事なところなんです。
なぜ評価を入れないのかというと、つまり私たちは本当のことを何も知らないからです。
本当のことを何も知らないのに、何もしなかったのは無駄だったとか、そういう評価はできないはずですよね。
それを評価しているということは、つまり何かをする方が価値があり、何もしないのは間違っているということを私たちは知っているということになります。
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本当にそうであるということを知っていると。
でもそんなことはないので、評価は一切つけない。
もう一つは、一つ一つにかかるであろう時間を一応入れておくんですね。
そうすることによって最後に寝る時間が明らかになります。
全部びっしり埋まっていて、基本的にはやらないことはそこに入っていないから、
全部足し合わせた時間を勝手に算出してくれる。
これも大事でですね。私は最低7時間は寝たいと思っているというか、7時間は寝ているんで。
そうすると寝た時間から翌日起きる時間、だいたい朝の6時ですけど、
11時には寝なければならない。絶対に。
これを厳守するためにもこのタスクシュートをやっているということになります。
ここまではなんてことはないんですよ。
エクセルで、現実に一番最初の原型はエクセルだったので、エクセルでもできます。
いわば全部足して時間に換算すればいいわけですから。
これを私は計画表のようには使わないんです。
どういうことかというとですね、翌日翌翌日分、その次の日の分とか、
作っていこうという発想になる人がとても出てくるんですね、それなりに。
つまり、例えば10日後の自分はこうでありたいと、そこから逆算してですね、
9日目、8日目のタスクシュートをガンガン作っていけば、
どんどんいろんなことができるのではないかと。
この未来のゴールをセットして、そこから逆算するというやり方を、
私が一番タスクシュート的でないと思っているんですよ。
なんでかというと、本当のことはわからないからです。
つまり、10日後9日後の自分が何をしているかを、私たちにわかるはずがない。
3日後に死んでいるかもしれませんから。
それは非常に極端ではありますけれども、
今回、南大東島の方に台風が行っちゃって消えちゃいましたけれども、
あの台風、一番最初は八丈島の方で消える5日ほど前には、
西北を取った場合、北海道の根室の方に行くはずだったんですね。
それが上から高気圧が、上の高気圧に押される格好で珍しく、
本当は偏西風に乗って少なくとも調子の方に行くはずなんだけど、
あの種の台風は10月はどういうわけか難過していってしまったと。
ああいうコースを取ることは滅多にないので、
気象庁の予報が当たっていないんですけれども、
私があれを見てもよく思うのですが、
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まず台風は意思がないですよね、別に。
風に流されるままじゃないですか。
だから人の行動より予測しやすいはずなんですよ、台風の進路というものは。
第二に基本あれは大きな世界ですよね。
地球規模じゃないにしても八丈島と三宅島の差はとても小さい世界ですよね、台風から見れば。
それなりに大きな世界でミクロじゃないですよね。
予想しやすいと思うんです。
しかも台風の動きというのはそんなに劇的に速くはない。
だいたいせいぜい時速30キロといったところで、遅い時は時速15キロですから。
自転車並みですよね。
せいぜい軽自動車よりは少し遅いですよね、実際には。
それが会場を風にどう流されるか、気圧配置の関係もあるけど、
予測すればいいんで、もっと当たりそうなものじゃないですか。
でも当たらないわけですよ。
かなり予測精度が高くなってきてますけれども、
外れることも頻繁にあり、こんなに盛大に外すこともあり得る。
後になってみれば理由はいくらでも出てくるわけですよ。
上の高気圧がとても強かったから、想像以上に難化したと。
後になれば理由をつけるのは簡単なんですけど、最初はそうは言ってなかったんですよ。
上の高気圧が強かったことは最初からわかっていたけれども、
やっぱり難化してしまったということに、
最初から難化して八丈島の方に行きますという予測には全然なっていなかった。
このこと一つとっても、私たちは3日後、4日後の人間を絡めた会社に行ったり、
自分がどのような健康状態でどんなことをして、
というのをそんなに詳細に精密に当てられるとは到底思えないというか、当たるわけがないですよね。
だって台風というのは天気図だけの話に切り取っているわけですよね、現実を。
気圧だけの話じゃないですか。気圧と雲の動きだけの話をしている。
人為的なものも一切なく、医師が介在する余地も一切ない。
しかも同じパターンを過去、組織を挙げて、気象庁という組織を挙げて、
過去80年だ50年だのデータを集めた上に、AIを使って進路を予測して外すんですよね。
私たちがそれに対してですね、この人間いっぱいいて、関係者が少ない人だって、数人はいると思うんですね。
みんなしかもそれが自分の意思で動いているのか、ある程度は風任せなのかも分かりませんけれども、
完全に予測ができない空間の中にいて、しかも自分の心でさえも完全に予測はつかないじゃないですか。
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かなり気ままに動くこともあるわけですよね。しかもミクロときていますよね、かなり。
私たちの動きは細かいですよね。過去のデータに照らし合わせるんですけど、タスクシュートもね。
何時頃だいたい自分は何度も起きていると。そんなことを大抵の人はしてないですけれども、それはしてるんですよ。
例えば私の家では夜間のお湯をかけて12分何十秒で湧くとか、そういうデータを何百回となく取ってきているから、これは間違いなく12分何十秒で湧きますわね。
そういうことをやっていてもですね、やっていてもタスクシュートで予想精度はせいぜい1日、現実には0.7日間精いっぱいですね。
0.7日が予測精度通りにいったらこの日はすごいなと思います、私でも。
もう少なくとも5、6年はびっしりやってきているんですよ、これは。
それでも0.7日やれればもうこれは非常に自分の予測精度に感心しますよ。そのレベルですね。
うまくいかないときは半日も持たない。1日ことは僕のケースではもう360日中で1日2日あるかないかです。
それも極めて予測しやすい1日。それでようやく1日分がやっと当たると。
だからこれを2日目についてもやろうというのは無謀なんですよ。
ましてですね、これを来週についてもやるとか論外だと僕は思うんですね。
台風が当てられないのに自分の動きの来週の精度が当たるわけがないと思うので。
だから3ヶ月から逆算するとか大事なところだけをプロジェクトで計画するとかいうのとタスクシュートは大いに違うと自分は思うんですね。
つまりその3ヶ月後だとかプロジェクトだとか本1冊書くのに3ヶ月だとしてゴールはこういう本になりそういう編集者さんがいらっしゃったんですよ。
表紙までイメージされると。そこから逆算して本を作っていく過程をすべてカレンダーみたいなものがあるんですけどね。
そのカレンダーに書き込んでいくと。自分はそうやって本を作るんです。
だから佐々木さんもそれに合わせて書いていってくださいと。
すごいなと思って。僕もまだ駆け出しだったんでね。その通りにしようとしてもさっぱりそうはならないんです。
その人も面白いんですけれども最初はこんな表紙で最後にはなるんですよって言ってたんですけど全然違う表紙になってるんですよ。
その本が今手元にあってその表紙見るたびに僕はちょっと笑いがこみ上げてきちゃうんですけれども。
そういうこともあるんですよね。
その人にとってみればそれはちょっと昔に話した認知的不協和で全然最終的には自分の中では矛盾が起きてるという気はないんですけれども。
ここが人間の面白いところですけどね。
どんどんどんどん変化していくわけですよね。3ヶ月のうちに。
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それは当然ですよね。3ヶ月後ってデスパーじゃないんで。
わかるわけがないんですよ。
たとえ自分のやることであったとしても。
これも非常にタスクシュート的ではないんです。
また面白いことにですね。
タスクシュートっていうのはこれはさっきのZENだの、Good Vibesだの、だから喋ったんですけど。
蓄積型ですよね。
過去のデータがどんどん蓄積される。
これは壮大なイリュージョンなんですけど。
僕も眺めて面白いんで。
ざわつかないイリュージョンは良しとしてるわけですよ。
ここでさっきのZENの話が伏線なんですけどね。
ところがですね、面白いことに。
さっきの書籍の最終形態から逆算する人の場合、データは残らないんですよね。
面白いことに。
未来のカレンダーにはびっしり書くんですけれども、
過去どうなっていったかについて彼は興味を持たない。
これがタスクシュート的でないといった理由なんですね。
未来の構想は非常に熱心なんだけど、
過去のデータには興味がなくなっていくんですよ。
タスクシュートをやってる人っていうのは、
みんながみんなじゃないけど、私なんかはそうなんですが、
未来の構想にはほぼ興味がないんです。
さっき言った理由でですね。
私たちは本当のことは分からないので、
まして未来のことについては分かりようがないので、
そこについて何か書くということは虚しいんでしないんです。
私はそうなんですよ。
過去のデータは少なくとも、
実際には現在のデータを取っていったやつが
ただ過去に残っていくだけなんですけれども、
概ね精度は正しいじゃないですか。
だから過去のデータに関してはまだしも残してはあるけれども、
こっちが拡充していくわけですね。
そういうことで本当のことは分からないというのが、
私はタスクシュートで非常にタスクシュート的であると思っているんですね。
これさっき0.7日と言いましたけれども、
僕がいつもやっていることはつまりタスクシュートでやることっていうのはですね、
ちょっと先のことについて私たちって予想しちゃうんですよね。
これを脳内でやらない。
ちょっと先のことについて脳内で予想しちゃうと、
どうしてもいろんな感情が不安ですけれども、
ネガティブなものがこの時間までに間に合うだろうかとか、
いろんな感情が、つまりただプランを組んでいるつもりでいても、
私たちはそこにいろんなものをくっつけてしまうんですよ。
意味付けしてしまうんですね。
ここで急がなければならないとか、そういうのが嫌なんですよ。
嫌なんだということに気づいたんですね、タスクシュートやってて。
この予測を全て自分の外に追い出しちゃおうと。
この辺ちょっとGTDと言い方似てるんですけれども、
とにかく自分の心の中にそのようなものを置いておかない。
予測は全部タスクシュートに、
私の場合iPhoneってタスクマって使ってるんですけど、
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そっちに吐き出してしまって、お任せしてしまう。
間に合う間に合わないは私の知ったことではなく、
タスクマが知っていることだということにしちゃうんです。
そうすると大体そうなんですけど、2,3時間後なんですよ。
私たちが間に合うかどうかを気にすることって、
大概はこの電車に間に合うのとか、
この時までにメール出せるのとか、大体2,3時間。
2,3時間後の精度すら怪しいもんですけれども、
でもタスクマにやらせておいたほうが、
僕の頭よりはしっかりしていて、
しかもタスクマは、タスクシュートは不安とかを持たないですよね。
そのまんま出します。
間に合いそうだろうと、間に合わなさそうだろうと、
心配したり傷ついたりはしない。
私がタスクシュートに全てを追い出しておけばですね、
私自身もそのことに不安を覚えたり、傷ついたりする。
柔度が下がっていくんですよね。
その深刻さみたいなものが。
そうすると、いつもグッドバイブスというところの、
要するにグッドバイブスでいられるわけですよ。
少なくとも時間の心配についていえば。
そこから先のことについていえば、
本当のことはどうせわからないので、
一切考えないという癖をつけると。
これをずっとやっているとですね、
確かに2,3時間後より先のことについては、
一切考えないという癖がつくんですよ。
かつ2,3時間の先のことだって、
本当はわからないんだけれども、
まあまあこういう予測は放っておくと、
僕はしちゃうんで、
そこはタスクシュートにやらせることにして、
私はそこも考えない。
こういうことをすることで、
一瞬後のことも本当のことはわからなくて、
しかも不安にはならないということを実現できる
というツールがタスクシュートだと、
私は思っているんですね。
だから3ヶ月後のこととか1週間後のことを、
カチッと想定して逆算していって、
それをタスクシュートにどんどん書いていくというのは、
一番タスクシュートからほど遠い作業のような気が、
私の目には映るという話なんですよ。
ここから先は少し人間関係的な話になっているんですけど、
そもそも本当のことはわからないというのはですね、
例えばこうやってタスクシュートで、
2,3時間後のやっとここでピッシリやって、
11時には電車に乗れるだろうとしていてもですね、
何か他人から電話がかかってくるとか、
何か用事を追いつけられるとか起こるわけじゃないですか。
これもまた本当のことはわかっていないから、
私タスクマーとかタスクシュートでこんな時間に電話がかかってくることは
めったにないからかかってこないことにしておくわけですよね。
しかし電話がかかってくると、
そうするとたとえその電話が2分だったとしても、
電車の時間だからアウトなわけですよね。
そういうことが現に起こりうる。
昨日起こったんですよ、そういうことが実際に。
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ああいうときに私が対人関係の中に生きているものとしてね、
必ず感じることがタスクシュートのおかげでですね、
私に一つ明らかになることがあるんですよ。
つまり本当のことはこんなに身近で、
こんなに精度、予測精度を上げられそうなときですら
わかっていないということをタスクシュートにですね、
何度も何度も教えられるんですね。
これをずっとこう、これはですね、
GoodVibesの前からずっと意識させられてきたことなので、
2日後のことはましてやなんだけれども、
2分後のことも実は相当怪しい。
てことを私は結局さっきの編集者さんのことで
言った通りなんですけれども、
記録しておかないと後になってみるとですね、
私は予測の通りにやってるんだと思い込む変な癖があるんですよ、
人間には。これが認知的不協和の解消なんだけど。
最初に想像、イメージしている
書影、本の表紙とは似ても似つかないものを作っているのに、
私は予定通りのものを作ったんですって、
編集者さんはおっしゃる。それで僕は同じことをやるんですよ。
最初からこの辺で電話がかってくるような気がしていたような。
気になっちゃうんですよ、あれ不思議とね。
なので、そうではなかったということをはっきり示す証拠が
目の前にあることでですね、
私は絶対に分かんないんだと。
分かるということはありえないんだと。
分かると思っているから不安になるんですよ。
この話ですね、大概逆に取られるんですけど、
分からないと不安だと。
だから3ヶ月後、6ヶ月後、1年後まで計画をびっしり立てておけば、
この通りにやればうまくいくという計画を持っていないと不安だし、
持っていれば安心だと。
持つことができるならそうだと思いますが、
そういうものを持つことはできないんですね。
最終的にはどっちを信じるか的な話になるんですけど、
でも私はですね、台風の予測制度を組織を挙げて当てられない私たちが、
どうしてそんな人間の行動を1年にわたって予測できると思えるのかが、
もう今となっては不思議で仕方がないんですよ。
実際にNASAの宇宙の運行もそうなんですけど、
気圧とか風の流れとかそういうものは一切なく、
しかもかなりマクロな星の運行ですら、
実は完璧に予測が当たるわけではないんですよ。
完璧に予測が当たるぐらいだったら、
いつどこに隕石がどういうふうに落ちるか、
全部完璧に予測がつきそうなものです。
そうはいかないんですよね。
宇宙の運行というのはかなり機械的に見えるじゃないですか。
事実、かなり機械的なんですけど、
それすらも完璧に予測するというわけにはいかないんですよね。
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それに対して人間は動きが機械的ではないので、
どう考えても何によって動いているのかは、
実はよくわかっていないんですよね。
リベットの実験が示している通り、
意思によって動いているとは言い切れない部分があります。
だけど例えば夢を見る、夢ひとつとっても、
ものすごく複雑回帰ではないですか。
どんな夢を今日見るのかとか、
誰も予測できないと思うんですよ。
でもその見た夢によって、
私たちは脳の状態が変わり、
感情の風向きが変わり、
翌朝の調子に左右するんですよね。
これが予測できないうちは、
多分何をやっても無駄だと思うんですよね、予測については。
予測は確実にできている人がどこかにいると思っている人がいるわけなんですけれども、
いないんですよ、そういう人は。
昔私、このことは本人がそのうち書きたいと思っているんですけど、
そのうちというか、キンキン書きたいんですけど、
アイルランドの国会議事堂のことを書いたことがあるんですよ。
後期も予算も全くめちゃくちゃだったと。
そういうもんなんですよね、めちゃくちゃなんですよ。
みんな多分社会のちゃんとした組織とか、
ちゃんとしてそうな名前の組織とかは、
ちゃんと計画通りやっていると思い込んじゃうところがなぜかあるんですけど、
そんなことはないんですね、おそらく。
かなりめちゃくちゃなんですよ。
ただ、人間は認知的不況の解消という必殺技がありますから、
どんなにめちゃくちゃでもこれは予定通りだったんだとみんな言って、
そして割とそれで納得できるんですよ。
記録をびっちりつけておけば、そうではなかったという証拠が残るんですけど、
今回、公文書改ざん問題とか、廃棄とかいろいろあったじゃないですか。
公的機関がその証拠がどうしても不都合だということになると、
捨てちゃったりシュレッダーにかけちゃったりもしますんで。
つまりですね、私たちはそれくらい予定通り、計画通りではないんですよね。
そんなことは誰もしてないんですよ。
だいたい国がそれができないのに、自分ならできるってちょっとおかしいと思うんですよね、やっぱり。
なぜ自分だったらできると思えるのかが、むしろ不思議でしょうがないと思うんです。
自分がもちろん日本で一番優秀で、どの点をとっても間違いなく日本で一番だったって言うんだったらそうかもしれないんですけど、
不思議そうだと承認させてみれば、そうでないことはすぐにわかりますので、
計画通りに何でもうまくいくんだったらイリュージョンなんですよね。
つまり認知的不協和というものを使って初めてそういうことをしている自分のイメージみたいなものは維持できるかもしれないけど、
それは事実とは関係ないです。事実と関係ないからこそ認知的不協和が起きるわけですからね。
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タスクシュートっていうのは、つまりそういうツールなんだと自分は思って使っているわけです。
他人との関係がそこに当然入ってくる。
他人との関係の中でも、これはもうWoodVibesに出会うまでは全くそういうやり方を僕は想像しませんでしたけど、
依頼の方が優先が高いDominanceと。
これ一個入ってくるともう全てが変わるんですよ。
これが一個入ってくれば、なんて言えばいいんですかね。
予測精度云々ということにこだわる理由が一個もなくなります。
自分の計画を何らかの形で優先したいと思っているからこそ、
他人からのいわゆる依頼というものを割り込みというふうに一段下げてですね。
しかもそれをなるべくやらないようにしようという考え方になるんですけど、
このやり方というのは結局非常に未来に影を落としますので、
未来はないですけど、そもそも現在に影を落としますよね。
極めて厄介な事態というのかな。
もうちょっと違う言い方をすると、変動体モードをいっぱい動員することになってしまって、
身体的にも心理的にも有毒なので、これはあれですね。
今までいろんなことを悩んできたけれども、すっぱり諦めてですね、
優先度最善にしてしまうというのがいいと思うんですよね。
この話とどうしても絡んで出てくるのが、今日はこの話までは踏み込みませんが、
削除という問題というか、その指摘が入ってくるんです。
私もつい最近もこの話題を持ちかけられてですね、
長い時間をかけないと、これについては納得いただけなかったということがあります。
長い時間をかければですね、そこそこ納得はいただけるようになってきたんですけれどもね、
皆さんこれを大変恐れている。
これは確かに計画通りにしようとしたいという気持ちはまだちょっと違って、
削除されるということにより自分が他人に迷惑をかけるのではないかという恐怖感があるんだなということが分かってきたんですけど、
削除に対する少なくとも過剰な恐怖感というのは、
今日はだから踏み込まないんであれなんですけれども、
持たない方がいいというのは結論としてあります。
これはですね、分かんないんですよ本当のことは。
ということがまず何よりもあります。
それだけでは多分納得されないとは思うんですけども、
例えば電話がかかってきたと、その電話が果たして緊急を要する電話なのか、
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どうでもいい電話なのか、クレームなのか、いずれに関してもですね、
取ってみるまでは分かんないじゃないですか。
そして取ってみても結局分かんないんですよね。
ましてそれに対応することがですね、自分に何をもたらすのか決して分かんないと思うんです。
一つこういうことがありました。
昨日はそのクレーム対応というものをしたためにですね、家を出る直前になってですね、
わずか6分だったんだけれども、プラス6分になったために1本電車を逃すことになったと。
おかげでですね、富士山が見られたんですよ。
見られるんですけれども、うちはどうやっても。
でも非常に良い富士山が見られたんですよ。
あれは数分違うと違うんですね。
これを何と見なすかは分かんないですよ。
私も他人の目を通しても、私の目を通しても分かんないです。
でも私は結局それは電車が1本遅かったとしても、
イベントには間に合っているし、あれ見れたほうが良かったと思ったんですね。
これはでもクレームを出してくれたおかげだとまでは思いませんけれども、
つまり本当のことは分からないんですね。
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