幼児の頃の幻想と現実の区別
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
11月21日火曜日の夜21時16分ですね。
つい先頃まで東京の方に外出していておりました都合上。
夜に撮っているわけですが、また明日の朝の分なんですね。
これは多分明日の朝アップするということになると思います。
今日すでに聞いていただいた方はいらっしゃったかもしれませんが、
朝1本出しておりますので、2本目ということになるんだけれども。
あのですね、もう遠慮なくガンガン、この話ガンガンするのはですね、
聞いている人がやっぱり気分害するかもな、みたいなのがどうしてもあるんだけど、
話をですね、だからといってぼやかしてもあまり意味がない。
そうだそうだ、その前に告知を。
12月30日に、また前回大変盛況だったので、
グラドのけいぞうさんと、またタスクシュートをですね、
私の方ではテーマに一応置いたお話というかセミナーを開催したいと思っています。
まだ告知は、告知ページは準備しておりませんけれども、
なるべく早い段階で、遅くとも今月中には必ずですね、
11月30日までしかないので、12月30日まで1か月は間を空けたいと思っております。
12月30日というのは独特の日程になってしまいますが、
アーカイブ配信もお申し込みいただいた方には必ずお出しするようにいたしますので、
ぜひお申し込みいただければと思います。
だいたい値段も今回と同様のあたりにしたいと思っていますし、
いくつかタスクシュート関連のですね、特典も用意させていただこうと。
何しろ2月の初旬にJマスザキさんとの、Jマスザキさんの商業本としては第1作目が出ます。
そのイベントも用意してありますので、
それとの関連でこの12月30日のセミナーもやりたいということにします。
そういうことで、ぜひ開けといていただけるというのはちょっと都合がいいかもしれませんが、
そうは言っても年末なんで、開いている方もいらっしゃるのではないかと期待してやろうと思います。
この番組ちょっと途切れになってしまうかも、その辺申し訳ないんですけど、
夜ですね、夜ご飯のお手伝いをしながらこのポッドキャストを収録しているという関係上、
途切れ途切れになってしまうかもしれないんだけど、話の脈絡はですね、僕は一応終えるので、
そういうふうに途切れたとしてもですね、あんまり気にせず聞いていただければと思っております。
相変わらず不在論なんですけど、精神分析なんでやっぱりセクシュアルな話にあるんですよ。
理想化された幻想と自己愛
特に僕の場合、現実逃避がセクシュアルな方に突っ走っていた人間なんで、
ここを別の事例で代替的にですね、代替え的に出しても、
リアリティを僕の、喋っている僕のリアリティが一印く損なわれるんですよね。
正直気にならないんですよ。漫画を脱線して読んじゃうんですとか言っても、
実際漫画とか読まねえしないみたいになりやすいわけですよ。
私は漫画読むときは全然脱線じゃなくて、もう漫画読みまくる方向で読むんで、
脱線はやっぱりセクシュアルなやつがほとんどなんですよね。
漫画ってこともなくはないんだけど、漫画読むぐらいなら精神分析を読むというのが私なんで、
本当にこれは、なんかね、これも知的なように聞こえるかもしれないけど、違うんですよね。
僕にとってリアリティのないものって、本当僕は極端な人間なんだと思うんですよね。
例えばつい最近までAKBを知らなかったみたいなのも、私が知的だから、
すいません、今がこう途切れたわけなんですけどね。
だから僕は極端なんで、そんなにアイドルとかね、興味が全く湧かないわけですよ。
だって別に僕と関係ないじゃないですか。手が握れるわけじゃないし、
握れるんですけれども頑張れば、頑張らないとならないじゃないですか。
そんなことに全く興味が湧かせるということができないんですよね。
だから僕はストレートになってしまうんですよ。
それだったらセクシュアルなことについて分析している方が、
はるかに興味をかきたてられるっていうところがものすごい強いんだと思うんですよね。
だから本当に昔からそうなんですけど、
テレビのブラウン管の中の女の子に興味を持ったということがないんですよね。
それはいいんですけど、でも同じなんですよ、理屈は。
その理屈について書いてあるんだけど、ここにあるんですよ。
フザイロンからですね。相変わらず松木邦博さんのフザイロンから。
理想化されたちぶさの幻想、こういうことなんですよね。
だからドストレートじゃないですか、この表現。
とても論文的な本だとはフザイロンですからね。
フザイロンって3200円プラス税。買われないですよね、一般的には。
理想化されたちぶさの幻想っていうのはこれでもすごいですね、正しいとやっぱり僕は思うんですよね。
フラストレーション、ちょっと読みますね。
フラストレーションの苦痛に直ちに全く耐えられないのではないが、
フラストレーションの苦痛っていうのは要するにお腹が空いてもおっぱいがもらえないというのが、
どんどんフラストレーションたまりますよね。
耐えられないだけれどもしばらくは耐える。
その時に気をあまり置かずしてほとんど耐えられなくなっている時がある。
というかほとんど耐えられないんですよね、赤ちゃん。すぐな。
この時にニュージーは苦痛から逃れようと自らの欲求が充足されているという万能的な空想を抱く。
これですね、本当にそんなことするのかってこともあるかもしれないんだけど、
ちょっとするみたいなんですよね。
最近そういうのを農科学側の研究である程度はそういう報告がなされてきたんですよね。
だから補入してくれる理想的なちぶさの幻想である。
そういうものを抱く。
で、これは万能なんですよ。
これさえあればもう絶対大丈夫。
つまりこれがですね、理想の彼女ってやつになっちゃうんですよ。
大人になって同じような空想をしているとですね。
理想の彼女がいれば、現実の苦痛は全部耐えられるって考えてしまうんですよ。
僕が考えたのはそういうことだったんですね。
でもその原型が、このお腹が空いた時に。
だって幼児にとってお腹が空くってもう絶望的じゃないですか。
どういうことが起きているのかわからないから、そのまま死んじゃうんじゃないかという観念すらないまま、
どんどんどんどん苦しくなっていくわけですよ。
ちゃんといつかおっぱいがもらえる、などというある意味保証はないわけですからね。
自分立てもしないんだから。
二次過程とリアルな表現
ハイハイもできない時期ってあるわけですからね。
この状態で、何にもできない状態でどんどんお腹が空いていく。
しかもそれがどういうことが起きているのかもわからない。
とにかくとにかく苦しくなっていく。
絶望的ですよね。そこにおっぱいが来る。
もうこれは理想ですよね。
で、それを空想で満たすと何が起きるのかってことですよね。
空想で素晴らしいおっぱいがもらえましたという夢を見てしまうって感じなんですよね。
夢と現実の区別もあんまついてないですから。
ちなみに、もう一つ言っておくとですね。
幼児って視力が弱いんですよ。
外、動き回らないんだから見る必要ないですよ。
ぼんやりしか見えてないんですよ。
大変ですよね。
で、この幻想に浸っている乳児はあたかも理想的な乳房から補入されているかのように、
これ幻想ですか。
血をもぐもぐさせたり、指や体のどこか一部を吸う。
だから指しゃぶりってこれだっていう風に精神分析では捉えてるわけですね。
あるいは良い乳房の感触を得ているかのように、
それを思わせる自らの身体の一部、
お尻とかに触れる。
たぶんお腹とかなんじゃないかと思うんですよね。
乳房の不在は身体の活動と快感につながる知覚を活用して、
理想化された乳房を得ている幻想に現実を置き換えられるのである。
置き換えられるのかどうかわかりませんが、
これが僕がファンザに供じている時に起きている現象です。
必ず身体の一部を触るでしょう。大体の場合ね。
しかも常に理想的なものを見てるんですよ。
なるべくそうしますからね。
そして大事なのは、これが完全に幻想だと思っていたのでは興奮できやしないわけですよ。
これは現実だと。
私はこれを自体愛って言うんですけど、この状態ではないですから。
自体愛っていうのはまた一時過程とも言うんですけれども、
自体の区別とか幻想と現実の区別がついてない状態なんですね。
ついてないほうが都合いいですよね。
理想的なおっぱいを吸ってると思っていて、
でも赤ちゃん自身が、いやでもこれは本当はおっぱいないんだけどなって思ってたら、
もう全然辛さは全く取れないじゃないですか。
だからこの場合、幻想と現実の区別がつかないほうが、
少なくともフラストレーションを減らすという意味においては正しいわけですよ。
で、同じことやるじゃないですか。
僕はこれすっごい強調したいんですよ。
ファン座はなるべくリアルにリアルに、
見ない人はわかんないかもしれませんけれども、話をリアルにリアルに作るんですよ。
できるレベルでね。できないんだけどそんなことは。
でもできるレベルでリアルに近づけようとするし、
だからこそやっぱり文章だけだった時代から、
昔はポルノのものは文章だけだったわけですよ。
文章じゃねえ、なんだわけですよ。
文章からコミック、コミックから音声、音声とアニメ、そして動画ですよね。
で、今4Kだ8Kだいうわけですよ。
リアルになればいいのかって話もあるんだけど、
なるべくリアルにリアルに近づけようとするから、最後VRに行き着くわけですよ。
どこまでリアルにしたってリアルでないことは、
我々はこれを二次過程と言うんですけどね。
ここにフロイトが言った、快感原則から現実原則へとか、
現実原則のなんだっけな、
とにかく快感原則の彼方へみたいな論文があったと思うんですけどね。
すぐタイトルを僕は忘れる。
最近はもう本当に物忘れの局紙みたいになってきてるんだけど、
確認すればいいんだけどね。
とにかくそういう二原則があるわけですよ。
一次過程と二次過程。
二次過程っていうのはつまり夢を見ていながら、
それが夢だと気づいてない状態。
赤ちゃんはまず間違いなく最初はそうだと思うんですよね。
我々は二次過程の世界にいます。
だからVRかけようと何をしようと、
この女性は目の前にいないのは分かってますが、
なるべく分かりたくないという、
これがおそらくパーソナリティ障害という人たちが落ちる状態なんですね。
落ちるというのはなるべくもう二次過程を忘れると思います。
頑張って一次過程の理想の空想のいい部分だけに浸っていたい。
浸るっていうのはまさにいい表現だと思うんですね。
臨床例にあります。
赤ちゃん時代に父離れをさせることがお母さんができなかった。
離乳ですね。させられなかった子がですね。
この子がいくらか大きくなった時、
どこか心底にあらずな表情で口をもぐもぐさせながら、
自分の乳首を指でつまんでいる様子がよく見られることを周囲に気づかれ、
成長していったその子の特徴は、
活動性は豊かなが本を読むなどの考える作業をまるでしないことにあった。
考えるのが嫌だ。
考えるということはつまり普通だってことですよね。
よくよく普通というものから、
幻想的な世界への逃避
要するに一時過程、極端に言うと理想のおっぱいで考えるということを開始したいわけですね。
だからこの子は身体の一部に触れながらひたすら心地よい空想の世界に浸った。
快感を生む幻想に浸るために何も学ばないことが優先されていた。
学校の授業とかの話ですよね。
これはずっとあると思うんですよ。
だから皆さんはこの話を聞いてこの部分に着目する必要はないんですね。
私だとファンザになっちゃうけど、別に何でもいいんですよ、何でも。
何でもいいんだけど、やっぱり僕の場合、
多分何らかの理由ですごくストレートな人間なんで、
マッシュグラな人間なんで、
母親にしがみついていた時代をなるべく直接思い出せるような幻想に浸りたいんですよ。
しかしそういう人がいっぱいいるからこそファンザっていうのは儲かるわけですよね。
まず間違いなくそういうことなんだと思うんですよ。
これ自体愛っていう自体ですか、自分の体の愛なんで、
なるべく自分の体ではないと思いたいわけです。
ここのところにあれですよね、ここの本にも書いてあるんだけど、
そういう倒作ってありますよね。
自分の体が他人の体のように扱って、
それ自体にフェティッシュになっていくという。
極端に言うと自分の胸とかじゃなくてもいいんですよ。
自分の手とか、自分の顔とかに惚れ込むみたいな。
そういうケースもあり得るわけです。
何だってあるわけですよ。幻想の世界に近いわけだから。
なるべくそこに幻想を見ようとしていて、
ただおそらく精神病レベルの場合は本当に区別がつかなくなる。
だけどもパーソナリティ障害の場合は、
頑張って区別をつけなくしていくんだと思うんですよね。
そのために小道具を使うわけですよ。
VRに浸ってみたり、あるいはお酒を飲んでみたりするというのは、
なるべく現実と幻想の境界線というもの。
現実と幻想の区別
これをそもそも確立するために幼児の頃頑張ったわけですよ。
つまり、幻想と現実が区別つかないと危険じゃないですか。
我々は生物だから、すごく心地いいんだって言ってるうちに
クマに襲われて死んじゃったりするわけですよ。
それを避けるためにこそ、知覚力というものを、
知覚、注意、判断の力を高めていくわけじゃないですか。
でも嫌になっちゃうわけですよ。
現実嫌になりましたと。
特に辛い時にこれは起こるわけね。
やっぱり現実嫌になりましたと。
毎日毎日通勤電車ばっかり乗ってやってられませんと。
東京は混みますしね。
体中に行くぐらい混みますしね。
行くだけで精一杯なのに、行った後で今度は嫌味を言われたりするんですと。
だから現実というものから、なるべく逃避したいと思った時にですね、
私たちは昔とった作戦を取るわけですね。
つまりどうしようもなくなった時に、
赤ちゃんはすぐどうしようもなくなっちゃいますから、何をしなかった。
理想のおっぱいを空想しましたと。
これでどうしようもなくお腹が空いたのに、
なおミルクが出てこないという事態を乗り切った気がするわけですよ。
成功体験なんですね。
だからこれで同じ作戦を取るわけですよ。
自分の体の一部をいじりながら、幻想に幻想に向かって行くわけ。
それが要するに理想の内的対象という、固く表現すればそういうことになる。
そしてそれに浸りまくって、
何とかこの現実の苦痛というものをやり過ごすんですよね。
だってやり過ごしてるじゃないですか。赤ちゃんは空腹やり過ごしてるわけでしょ。
それは非常に頑張ってるじゃないですか。
同じ作戦を大人になって取らない理由は別にないわけね。
ないんだと思うんだよね、別に。
大人になったからといって、もっと高級な作戦を取れと言われても、
別にそんな気にはならない人もいるわけですよ。
僕みたいに。だからまっすぐファンザに向かう。
そして理想のお母さんとずっと戯れていて、
この間に何とかこの苦痛をやり過ごそうと。
苦痛を忘れてミルクが来る時間を待つわけですよ、結局はね。
ところがここでですね、何でもよくて、それこそコミックでもいいわけですよ。
で、なぜかここでニュースとか、不思議なんですけどね。
なんでここでニュースなんだろうなって僕よく思うんですよね。
一部の方はここでニュースを選ぶんですよね。
僕はニュース全然選ばないんだけど。
これね、ちょっと意地の悪い。
僕これだけカミングアウトしてるから別に意地が悪くても良くはないか。
ここで立派なことはしないってことなんですよ、要するに。
だって幼児の万能空想ですよ。
空想で都合の良い世界を作り出してるわけだから、
そこで何も別にね、その行為自体が立派ってことは多分ありえないじゃないですか。
だからニュースを見るという行為もですね、別段立派な行為である必要はないんですよ。
僕なんかに言わせると、そのニュースを見て何を空想するのであったとしてもですね、
万座見まくるより立派だと思うんですよね。
でも僕はこれが二次過程だということは十分承知しています。
その証拠に1000円台までしか絶対お金つかないんですよ、月々。
最高いっても1980円までなんですね。
ここを完全に抑えてるところが、私のこれが一次過程には決してなりきっていない。
幻想と現実は完全に区別されているわけですよ。
だからこそお金が2000円台に入らないように毎月ね、最大でも1980円までしか使ってないんですよ。
1980円というのはですね、980円の動画のダウンロードした場合、2本なんですよ。
何かを意味しているわけですね、これが。
お酒の値段でも同じですよね。
心の中の存在との関係
お酒を飲むアルコール飲酒料を月々。
1980円だったらめちゃくちゃ安いじゃないですか。
僕は酒飲みませんからね。
つまり一次過程というものが、区別がつかないんだったら、
ここでのほうずにお金を使っていきそうなもんじゃないです。
だからそうはならないということは、区別をつけているということなんです。
区別をつけているということは、つまり理想のお母さんはどこにもいないということを心の底ではよく知っているということになるわけですよ。
ここにある種の寂しさがあると僕は思うんですけどね。
だってVR外してしまえばどんなに綺麗なお母さん、お姉さんが好きだ好きだ言ってくれていたって、
その人はそもそもそこにいないということを確実に完璧に知り尽くしているっていうことを、この場合意味せざるを得ませんからね。
ここに正気と正気でないところの縁があるじゃないですか。間違いなく。
いやもういるってことを信じてしまったよってなったら正気じゃないでしょう。
でもいるってことを信じてしまわなかったら意味ないじゃないですか。
この狭間がやっぱり精神にはどこかあるなって僕は思うんですよね。
現実の見当が完全につく状態とつかない状態の狭間みたいなもの。
そのなんていうんですかね、サンズの川みたいだって僕はよく思うんですけど、そういう領域がどこかにあるなって感じがいつも僕はこの件についてするんですね。
小学校の中学年の頃から追い求めてきました。
理想の女性のリアルな感じ、でも絶対にリアルでないってことを確信してしまっているという、
実に現想でないと困るんだけど現実でないと悲しいっていう感じですね。
ここで大事なのは不在というものを確信しきれていないんですよ。私は今確信しきってますけど。
理想のお姉さんって言っておきましょう。理想の母親なんだけどね。どっかにいると思ってるんですよ。
これはもう完全に統合失調とまでは言いませんけれどもやっぱりこの一時過程の世界に生きてるわけですね。
完全にこれは現実が理解できていなかったんですよ、大学時代の私は。
それは絶対心の中のものだったんだけれども間違いなく。
僕はどっかにいるから出会えるって思ったんですよ。で、出会えないで死にたくないって思ったんですよ。
だから絶望してたわけですね。絶望寸前のギリギリのラインだったわけですよ。
女性という女性にアプローチするんだけどまず振られるでしょ。振るって段階ですでにこの人は理想の存在じゃないわけです。
ここわかります?僕の心の中の理想の女性は僕を振ること絶対なかったんですね。
だから振られたってことはもうその人は理想の女性ではないんですよ。だから振られてもいいんですね。
だから僕はめちゃくちゃこういうアプローチが苦手で下手で全然こなれてなかったくせにめちゃくちゃアプローチできてたわけですね。
なぜならばアプローチして僕を振るということは僕のアプローチの仕方次第で振るんではないか。
その人は理想の女性でないからこそ振るんですよ。
理想の女性なら僕を振ることは絶対しない。僕の心の中ではそういう風になってたから。
これが完全にこの振る舞い正気じゃないですよね。既に。
またから見ると相当狂ってるやつだったと思うんですね。
大学時代の僕の同級生の人は多分僕の存在を相当狂気地味なやつだと男女とも思ってたと思います。間違いないと。
これは僕はやっぱり内的対象という存在が存在しているんだって思った。
でもこれは無意識だったから。心の中にいる女性だと思ってなかったわけですね。
外にいるって思ってるんですよ。
伝わりにくいかもしれないんで説明しておくんですけれども、こういう風に考えてみてください。
赤ちゃんはお腹を空かせています。とても辛いです。
でも赤ちゃんは自分というものがまだ分かっていません。だからお腹が空いているということも知りません。
とにかく辛いってなったとき、赤ちゃん、みんなはみんなじゃなくてもいいんです。
赤ちゃんの中にはこれは外部の宇宙的な世界から何か、
僕のお腹の中に苦しめている悪い宇宙人Xが存在しているんだって思ってもおかしくないでしょ。全然。少しも。
おかしいですかね。これ僕はおかしく全くないと。今みたいには考えませんよ。
でもたぶん赤ちゃんは心の中で魔王みたいな奴がいてね。それも本当にいて。
だって現実にどういうものがいて、世界とはどうなっていて、宇宙には水金地下モフ土天界名があるとか知らないんですから。
だから太陽があることだって知らないと思う。
魔王みたいな、最近うちの娘がやってたカービィの悪いやつみたいなのが、
ワーンとかなってて、そいつが心の中、お腹の中とか苦しみを与えてきてるわけですよ。
これが空腹なんですよ。赤ちゃんによってはね。こういう空想をしてるってことなんですよ。
これが悪いおっぱいというふうに表現されているやつなんですよ。悪いおっぱいが体の中に入って食い荒らしてるとか。
なんせ恐ろしいじゃないですか。めちゃくちゃ恐ろしいですよね。そして非常にオカルトですよ。
でもこれの大事なところは、お腹の中に何もないという概念が持てないから、何かがあることになっちゃうんですよ。
で、これだったらどんなことでも起こるじゃないですか。
悪くしているのは、そういうカービィの悪い魔物みたいなやつかもしれないし、悪いおっぱいみたいなやつかもしれないし、
なんか知らないけど、虎みたいなやつかもしれないし、空想なんで何でもできてしまうわけです。
どこにいるかも自由自在ですよ。空想なんで。
ここまで考えればですね、統合視聴症の人が言っていることの意味って分かる気が僕はするんですよ。
自分の心の中での現実と非現実の区別の曖昧さ
例えば、何か苦しいと。何でもいいから苦しいと。
この苦しみについて、無意識のところで、無意識の心の中の、結局のところ。
同じなんですよ。赤ちゃんの場合と。この苦しみは何だと。
で、頭のどこかではそんなことあり得ないと思ってるんだけど、
でも、もう現実と非現実の区別をつけにくくなっているんで、
一時過程で赤ちゃんの心で、心はね、脳はそうじゃないかもしれないけど、
つまり精神構造全体、全体っていうのかな、上部の意識ではそんなことあり得ないんじゃないかと思ってるけど、
もう意識下ではあり得るわけですよ。何だって。
だから、いや、これはもしかすると宇宙人がね、私の脳に悪い電波を送っているから、
自分はこんなにつらいんだと。そういうふうに考えてみたり、
あるいはもっと、もう少し現実的に、これは日本政府の悪い組織が、
私を貧乏にしようとしているから、私はどこに行っても仕事がうまくいかないんだとかね、
こういうことを、空想することは脅威にできてしまうわけです。
発表しもないんだけど、別に脈絡いらないんですよ。赤ちゃんの心に脈絡はないんで。
脈絡なく自分の空腹を作っているわけですよ。
だから私も意識下で、私の場合はいい空想の方だったけど、
意識の下では、勝手に理想の女性というものを作り出していて、
それは理想のお母さんで、おっぱいくれてただけなんだけど、
それを作り出していて、それがこの世の中にはいるって思ってたんですね。
いないってことがわかんないんですよ。僕には彼女がいない。
ただそれだけだっていうのがないんですよ。
理想の女性がいるってことにして、このいないという苦しみを持ちこたえられないんで、私は。
いないという苦しみ、これは大元をたどると、自分の母親に恐らく厳しくされたということなんだけど、
これに持ちこたえられない心が、この苦しみをやり過ごすために、
意識の下で作り出した理想の存在というもの、これにすがったんです。
これがいるから、今どんなにつらくても、必ず全部にお釣りをくれるほどの存在がいるから、この世の中に。
実は私の心の中にいるだけなんだけど。っていう、いるってことにしちゃうんですよね。
お腹の中に何もないんじゃなくて、何か食い荒らす奴がいるってことにしてしまっているわけですよ、赤ちゃん。
それと同じ構造なんですね。
これが、日々家庭で存在する、つまり、物を十分考える、現実について考えるっていう思考が、
現実を検討すること
さらかなくなった時の、私たちの妄想のパターンなんですね。
何かがないっていうのは、抽象的なんて極めて。
そうではなくて、何かがいるから私は苦しいんだと。
お金がないんじゃないんですよ。
お金を、私のところにあるお金を、何らかの形で吸い取っていく、
悪い超能力を持った財務省の役人がいるから、こんなことになっている。
これ、実際に私は読んだんですよ、ツイッターで。
こういうふうに考えるのが、きいに我々の目には見えるんだけど、
いいでは別にないってことなんですよ。
僕らもそう考えていた時代は間違いなくあったし、
そのように考えるしかなくなるような苦しみっていうものを直面すると、
これに限りなく近い考え方を取るんです。
この場合の特徴は、ないって考え方がすっごく難しくなるってことなんですね。
何かがあるになってしまう。
いいものがあり、それに頼るしかなく、悪いものがあり、それを潰すしかない。
こういう思考にどんどんどんどん進行していくっていうのが、
この不在論でまず語られている内容なんですね。
ここを何とかするために、私たちは多分ですけど、
心理カウンセリングでやることは、二次家庭というものに向かうように、
向かうように多分、向かうようにそこまで言わないかもしれないけど、
でもやっぱり二次家庭というものが維持できるように応援するってことなんだろうなって思うんですよ。
何とも地道で、かつあんまり心がワクワクしない考え方かもしれませんけど、
私はこれしかないような気はするんですね。
その人が現実を検討できるように応援する、支援する。
場合によってはアドバイスです。
でも多分3番目ほとんどなくて有効じゃないですから、こういうふうになっちゃうと。
私実際そうでしたから。
理想のお姉さんがどっかにいるんだと信じてたとき、
極めて真っ当なアドバイスをしてくれた人、いっぱいいましたから。
全部無視してました。
一番真っ当なアドバイスをしてくれていたのが、私の指導教科。
現実なら何とかなる
結婚はいつでもできるから、フロイトを読めと。
すっげー正しかったんだけど、僕には受け入れられなかった。
当時はね。フロイトなんか読んでどうするんだって。
そういう感じしかしないじゃないですか。
これこそが正解だったんですよ。
うちのあの先生、実によく分かってたんですね、僕のことが。
怖いぐらいですよね。
私のおじいちゃんより年上のおじいちゃんだったんだけど、
なんでそこまで分かっちゃうのかなって。
私のおじいちゃんは孫である私のことを何にも分かってなかったですから。
好きだったけど、私はね。
うちの先生は本当に驚きですよね。
結婚はいつでもできるから、フロイトを読めて。
完璧なアドバイスじゃないですか。
当時の私にするアドバイスとしては。
私は聞く耳ゼロでしたけど。
まあでもフロイトの本もらえましたけどね。
本当にそういうことってあるんだなって今思うとですね。
つくづく思い知らされるんですよね。
その理想の存在があるという風に。
あるあるあるの世界なんですよ。
ないってことが分からないんですね。
自分には今彼女がいない。
ただそれだけってのがないんです。
何かがあるって思うしかない。
悪い奴がいて、
まあ要するにこういうことなんですよね。
私は自分の周りにいる女の子はみんなどうしても魅力的には見えるし、
腹は立たないんだけど悪い存在がある。
だから彼女たちは私を受け入れてくれない。
拒絶するおっぱいってやつなんですけどね。
表現としては。
彼女たちは拒絶すると。
で、空想に浸るために画面とか見るんだけれども、
これはある意味悪いわけですよ、僕にとって。
それは結局ビジネスで僕を騙してるだけなんですよ。
本当は僕は理想のおっぱいに出会いの旅に行かなきゃいけない。
だからやたら僕は旅に出てたんですね。
意味が全く分かんないんですけどね、当時ね。
あっちこっちを旅行してました。
全く意味のないことだったんだけれども、
だからこれがやっぱりですね、無意識っていかに強力に作用するか。
僕は自分がなぜ旅行に出てたのかが分からない。
だいたい旅好きじゃなかったしね。
旅に出ると寂しくなるんですよ。
これも実によく分かりますよね。
なぜ旅に出ると寂しくなるか。
全てが同じ方向をちゃんと向いてるんですよね。
無意識って怖いんですよ。
で、そういう風にしてでも私が一時過程の心を持ち、
二次過程で現実の人生を送るという、
非常にですね、独特の、独特ではないな。
非常にありきたりな分裂をしていた状態で、
ひたすら理想を、理想を。
結局身近な人に振られれば振られるほど、
理想はより現実的な方向に向かうわけですね。
しかも僕はそのことに無自覚なの。
後から気づくんだけれども。
当時は全く無自覚だったんで。
ひたすら理想の女性っていうのの理想のレベルが上がっていくわけですよ。
誰にも受け入れられない度合いが広がっていくわけですよ。
アプローチする人が増えれば増えるほど、
僕は誰にも受け入れられない男になっていくわけですよ。
つまり女性から見るとものすごく魅力がない人間なんだけど、
これを受け入れてくれるから理想的っていうハードルが
ぐーっと増していってしまうわけですね。
だんだん正気を浮かびていくわけ。
でもね、当時僕はかなりだから酒は飲むんですよね。
命定していたわけです。
何しろ現実と非現実の区別をつけたくなかったんで、
もうどことん命定していたんだけど、
さすがにドラッグはしませんでしたね。
やっぱりですね、どっか知ってるんですよね。
どっか知ってるっていうのがすごく大事で、
だからね、現実検討式をつける方向にやっぱり支援するしかないんじゃないかな。
これは介入しすぎだったり、価値観示しすぎなのかもしれないんだけど、
やっぱりその人が苦しみというものを覚えたときに、
この現実を見に、このアドバイスがですね、
非常に苛立たしく腹立たしく、つまり私が指導教官に
結婚はいつでもできるからフロイト嫁って言われていたときのような、
非常に正しいんだけれども、正論を腹立たしいというのの典型的なんですけどね。
2つ方向性があると思うんですよ。
そういうときの人間に対してできること。
つまり、基本的には一時過程をあなたは脱するという選択もあるよと。
つまりこの世の中には現実を検討するというオプションがありますよと。
なるべく現実と非現実の、つまり心の中で起きていることなのか、
現実にあることなのかを分けて考えるというメリットがありますよと。
いうのが一つですね。
で、もう一つが、これがグッドワイオスで倉野の家族さんがよく言うやつ。
現実なら何とかなる。
ただしこれは精神分析の言い方ではないような気もしますね。
精神分析家の価値観が反映します。
現実なら何とかなるから二次過程なのか、
現実を生き抜かねばならないから二次過程なのか。
同じようなものなんだけれどもニュアンスは違いますよね。
でも私はやっぱりグッドバイブスにインスパイアされている人ですから、
現実なら何とかなるを言っていきたいと思うんですね。
で、この場合一旦縮小してもいいと思うんですよ。
あなたの置かれている現実なら何とかなります。
同じことですからね結局。
あなたの置かれている現実なら何とかなるから、
現実について検討しましょうってことなんですよ。
自分の力、これが大事なんですよ。
人は何にも結局この件についてはできないんですよね。
心の中にあるものは外界にはない。
だけれども、外界にはないんだけれども、
もうここで絶望しちゃうんですけどね。
僕の場合はその理想のお姉さんは外界にはいません。
いないということを受け入れましょう。
だったらもう生きていく価値ないよってことになりがちなんだけど、
そうじゃないんだっていうことを理解するために、
現実なら何とかなるっていう話になるわけですよ。
現実愛するに値するでもいいと僕は思うんですけどね。
どっちにしても、
一時ナルシシズムにどっぷりはまってる人には
受け入れがたい言葉です。
無理無理無理って感じがします。
無理無理無理って感じがしますね。
だから僕は結婚いつでもできるっていう先生の言葉を
全く信じませんでした。
1ミリも信じませんでした。
誰も僕のこと相手にしないのに
なぜそういうことが言えるのか。
ところが彼は正しくないですね。
つまり僕は何も分かってなかったわけですよ。
これ超大事なことなんですね。
意識と無意識
意識で分かっていることが全てだと思い込んでいると、
自分の無意識が何を指摘しているのか
全く分からなくなってしまうところがあるわけです。
多分ミルクは来るよというのは
無責任なように聞こえるんですよ。
待たされている赤ちゃんにしてみる。
でもほとんどのケースで正しいでしょこれ。
ほとんどのケースで。
確率論的に言えばほとんどのケースで正しい。
こういう時に絶望している人はどうしてもこう言いますよね。
でもミングレットされてしまう赤ちゃんもいるじゃないかと。
そうなんだけれども
でもあなたはそうじゃなかったよねっていうのも
まだ正しいじゃないですか。
じゃなきゃ生きていないはずですからね今。
つまりどっちが現実的かというと
おそらく後者だと思うんですよ。
現実と空想
そしてもう一つ忘れちゃいけないのは
たとえどっちが現実だとしても
どっちが現実だとしてもですよ。
一時なるシシズムに浸っていては危険なんですよ。
これは事実ですよね。
どっちが現実だとしても
万能空想万在では生きていけないんですよ。
これが僕は最も重要なポイントだと思う。
どちらが現実だとしても
現実がどれほど過酷だとしても
この言い方だと多分きつくなりすぎるんだけど
でも過酷だとしても
現実の検討をつけられることに
価値はあるはずなんですよ。
その方が生き延びられる確率は
圧倒的に高くなりますよね。
実際私が結果としてはそうだったんですよ。
一体どうやったんだお前はって
言われると思うんですけれども
ここでですね私は
多分相当変に思われるとは思いますけれども
タスクシュートにひとつ出会ってる
っていうのが大きいんですよね。
ついでにここ少し言っておきますが
タスクシュートというのは結局
お前はこの時間空想を見ていたぞ
っていうことを
私に示してくるツールなんですよ。
これが僕は結局精神分析で言うところの
解釈に限りなく近いんだと思う。
同じじゃないですけどね。
解釈されるんですよ。
あなたは今空想で見てました。
あなたは今現実のことをしています。
あなたはまだ空想していました。
だからここをものすごく長い時間していたから
見ないようにしようってやっちゃダメなんですよ。
ここの空想を15時間していたとしても
その記録を残したほうがいいんです。
そうしないともう分かんなくなってしまうから
本当にここを曖昧にしてしまう。
ここは15時間ファンザ見てたんなら
15時間ファンザ見てたっていう風に
記録を残すべきなんですよ。
そうしてそれをするってことが
二次過程に入るってことじゃないですか、結局は。
現実を見に行くとはそういうことですよね。
あなたが今ずっと空想世界にいました
という現実を15時間37分何秒
っていう形で教えてくれるんですよ。