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2024-08-20 45:07

パーソナリティの不具合の色んな顔【1041】

層的防衛と回避と妄想と抑うつと。
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おはようございます。 第1041回、キク百日セラピーです。
8月20日ですね。火曜日。 朝の10時7分になります。
いやー、あのー、
女装材巻きました。 ちょっとね、ちょっとだけだけど。何しろこう、車止めるところの後ろとか、なんかこう、妙なところから、
ファンポポのなんかみたいなのが、こう、やら出てくるんですよね。 そして、その中にはなんかこう、木の
木の若木が混ざってて、放っておくと木になってしまって、もうなんか収集がつかなくなるらしいので、しょうがないので、こうね、あのー、まずは
縫わらせて、それから抜くという。抜けないんですよ、簡単にはね。 切ることはできるんだけど、なんかこう、切るっていうのが、いろんな意味で後々よろしくないので、畑は逆みたいなんですけどね。
引っこ抜くのは良くなくて、基本切るべきらしいんだけれども、それも簡単じゃないですけどね。 あのー、まあ暑いんで、今日は涼しかったんで、そういう作業をですね、
もはや完全に農作業化してきてるんですけれども、朝やってることは、この雨が降った感激的涼しさを利用してですね、
農業みたいなことをやっているわけです。 本当に昔はここまで暑くなかったんですよね。
今日はいい方ですけど、すっごく、実に厳しいです。
倒れないようにやっていかないとなぁという感じですね。
あのー、お知らせはですね。 9月の、確か、9月に相次いでちょっとした日曜日にセミナーというかをしておりまして、
9月の15日に、逆算せず締め切りに間に合わせるタスクシュート時間術。 もう僕の総集編です。これは15日の14時からオンラインのみでやります。
総集編ですね。 とにかく、
私の考えるところの、タスクシュートで、 順算って最近、J松崎さんと始めた新しい3Waysというポッドキャスト。
こちらもあの、ほぼ日でやると思うので、 ぜひご登録お願いしたいんですが、
ここで喋っている逆算じゃなくて、順算で行こう的なやつですね。 それをタスクシュートでやってても大丈夫なのかというご心配がね、その大丈夫なのかという心配が既に逆算の始まりなんだけど、
そこから抜け出すためには、私はこう、 ほとんど唯一の手段が、少なくても一つはあると思っておりまして、その話をですね、2時間かけて、
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びっしりやります。それを採用する気にならないわ。 もうそれは聞いた人、ユーザーさん次第だろうと思います。 別に逆算してはいけないわけじゃないですしね。
要するに間に合えばいいわけでしょ。 だから間に合えばいいという観点からいくと、何段やったって別にいいわけですよ。
そしてまた、いつかやりたいこととか、やれたらいいなみたいなことをタスクに入れるというのは、 僕にはブレーキになっちゃうと思うんだけど、別にそれを入れたからいけないわけじゃないじゃないですか。
間に合わせたいかどうかだけの話で言った場合、間に合うかどうかが不安だ、 著しく不安だ、とんでもなく不安だということであればね、
私は自分がやっている方法がおそらく唯一に近いんじゃないかなと。 これやれば間に合います。
今回間に合ったことは私にとってある種の確信に至りました。 あの論文を書くのが他のと、他のっていうのはね非常にこうまた逆算的なんだけど、
大学の先生で時々いらっしゃるんですよ。論文書くのと他のたくさんの雑部っていうんですか、 雑部っていうのも非常に逆算的なんだけれども、今日私が助走台巻いたようなもんですね。
こういうことがおびただしくあって、論文が書けないと。 これはですね、もう本当にあるあると言っていいと思います。
そういったことのすべてを一応網羅できるなという感じがしたんですね。 私のトイレットリストは捨てていいの本ですけど、あれ読み直してみて、私の実力からするとってことですよ。
これを20日で書けたのは十分だと思うんですね。 もちろんあれを100日かければもっとブラッシュアップできたのは事実なんだけど、
その落差が異常にでかいとは言えないんですよ、もはや。 僕の感覚ではですね。他の本に比べて、例えばそれこそ150日ぐらいかけて作った本に比べて、質の上で大きく落ちるっていう印象はないんですね。
だから、これ以上早く書くのはやばい、良くないですけれども、あの速さも良くないですけれども、 大事なことは再現性とかではなくて、
逆算化、順算化だけでもなくて、もっとタスクシュートを使っていて、私が思うところなんだけれども、
もっと遥かに、単純に言うと絞り込むということが、そしてその絞り込む過程に不安が宿らないようにする。
この2軸かな。 もうちょっと違うことを実は喋りますし、
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2、3分では喋れないんですよ、要するにね。2、3分では無理なんです。 単純な方法だと思われるでしょうし、
それができたら苦労しないと思われるかもしれませんが、それはできたんですよ。 でできるはずなんですよね。できない話はこの中にはない。
もしできないとするならば、それはメンタル的な話であり、 恐怖の問題だと僕は思うんですよね。それがなければできるはずだと思いますね。
まあとにかくそういう話をします。できないというご異議につきましては、当日ぶつけていただけるのが一番いいんだと思うんですよね。
言いにくいのはわかりますよ。私が直接喋っているところに直接異議がありますっていうのは難しいって思うんですよ。
だから1on1セッションというものがこの世にはあるんですけど、不思議とその種の勇気がいるんですよ。
これは僕が怖モテだとか、僕は怖モテじゃないのは皆さんご存知の通りです。そういう話ではなくて、これは要するに転移なんですよ。
皆さんが怖い人を僕に転移しちゃうんですよね。そういうことが起こるんですね。
この話もそもそもなぜ逆算が始まるのかという、これだって逆算なんですよ。
これって何か僕に余計な不安なことをぶつけると僕が怒り出すってことを先取りしてるわけじゃないですか。
こういう逆算を一切やめることをすればですね、仕事が滞る要素っていうのが消滅していくわけですよ。
その際にやっぱり僕は、今日しゃべりますが、内的対処という話を、これがないとやっぱりこの説明できないんじゃないかなって思うんですよね。
今日ちょっとしますけどね、あのドーパミンが云々という話をいくらしてても、そのドーパミンが出ない理由のところが、
だからコンサータって話になったりするんでしょうけれども、いやコンサータはドーパミンを出す薬じゃなくて、あれはドーパミン再取り込みの主薬じゃないですかっていう、
話をしたくなるんですけど、僕は文外観ではありますけどね。
まあとにかくそういう話を15日にしますんでよろしくということです。この話はまたずっと9月に入ってから皆さんご検討されると思うので、また9月にもしようと思います。
今日はドーパミン疎止薬とか言っちゃいましたからね、あのちょっと発達障害の話ではないですが、一体全体最近話題になっているこの発達障害というのが、その特徴としての過集中とか先送りとか、
他なんだ、コミュニケーションが苦手な方がいらっしゃるその中には、あとはHSPみたいに怒られるのが怖いという話があったり、
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ずっと仕事を放置してるんだけど急に何か異常な馬力が出て、締め切り効果で仕事をやっつけてるけど辛いとか、あるいはそうなんだろうな、計画倒れになりやすい、あれもこれもいろんなアイディアだけは出るんだけど、なかなかこう行動が伴わないとかそういった話でしょうかね。
これはですね、僕は考えるに病理構造体という、昨日しゃべったやつ、この観点で解釈をし直すのが望ましいと、僕はですよ、これはもう意見です。
野良カウンセラーの意見だと思っておいてください。そんなものは却下するで結構なんですよ。僕がそう思ってるってことです。
僕がどう思ってるかをしゃべるのがこの番組のあれですからね。ちなみに良かったなと思ったんですよ。スタンドFMにしてちゃんとSpotifyの方にも投下されていて、当たり前なんだけどAppleのPodcastの方にも回っていたので、
ただやっぱりこのスタンドFM以前のものが見えなくなってるよね。というのはありますが、これはちょっとですね、そっちはリススで賄ってくださいと。昨日もお伝えした通りです。この話、微妙なんですよ。非常にしにくい。なぜならば、別にそれでいいんですよ。
良い悪いはないんですけども、ないと思うんですけどね、僕はね。発達障害にするべきであるっていう、なんか不思議な勢いが感じられるんですね。ただ、発達障害だと考えるか考えないかみたいな話って、つまりそれはなんて言うんだろうな、それを風と呼びますか、鼻炎と言いますかみたいな話であって、いや鼻炎じゃないと絶対に許されないっていうことではないと思うんですよね。
そういうのってあるわけですよ。この発達障害といっても精神病では全くないわけですから、そういう、どっちと捉えるかが難しい、昔からあった名前でもない病気の名前ですし、障害の名前、私はある病気だとは思いませんけれども、私はどちらかというと、パーソナリティ障害の入り口付近にですね、
状況に従って出方が変わっていく、そういう一種のシンドロームみたいなののマイルドなやつ。話がすっごい長くなって、しかも専門家が聞くとまた前を潜められるでしょうけど、僕はそういう感じを抱くんでしょうがないんですよ。
で、その中心には、抑鬱不安と病理構造体があるし、それが決定打を成してはいないんだけれども、しばしばそれが活用されてしまうために、ご本人は非常にいろんな状況をうまく乗り切っているっていう印象でいらっしゃるかもしれないけれども、例えば先送りが続くとか、過集中が辛いとか言って言う話になっていくんだろうなと、その副産物みたいな話ですよ、これはきっと。
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と思っているんですね。まあ複雑ですね、今の話をしてみて分かったことは。なんで病理構造体だの、パーソナリティ障害だのっていうふうに言うかというと、そこに既に症例とされている症状が全部出揃ってるからですね。まず、発達障害という新しい、これも多分症候群みたいなもんだと思うんですけど、そういう新しい、こうなんていうんですかね、領域を作り出さなくても、作り出してもいいと思うんだけど、作り出さなくてもいいんじゃないかっていう。
なんて言えばいいのかな、えっと、黄色と赤と緑があれば、黄色と赤と緑と白の絵の具があれば、ピンクは買ってこなくてもいいけど、ピンクを買ってきても便利じゃないっていう話。このピンクに相当するのが発達障害みたいに聞こえるってことなんですよ。いや、でも絵の具持ってるじゃんみたいな、そういう感じ。
今の説明は説明になっているような、なっていないようなところはあります。例えば、抑鬱不安から回避性パーソナリティ障害、これも非常に微妙な気もするんだけど、アボイダンスってやつですね。回避して回避して回避して回避すると。
ちょっと引きこもりっぽくも見えると思うんですが、これはですね、やっぱり、昨日言った総的防衛とはまた違った防衛の仕方、防衛をしたいわけです。簡単に言いますと、良い自己は弱いんですよ。そう思っていらっしゃる。良い自己は弱い自己でもある。
だからこの弱い自己を守らなければいけないということで、活躍し始めるのが、自己対象と悪い母親対象が合体した病理構造体。でも悪い母親に、悪いと言ってもいろんな悪さがありますし、自分にとっての都合の悪さだからね、悪いと言ってもいろんな悪さがあるし、破壊的な自己と言ってもいろんな破壊の仕方があるわけですよ。
そのうちの一つが、私が昨日言った正義感に訴えるっていう戦略がありますが、また別のやり方としてですね、回避するというやり方があるわけですよ。
例えば、彼女と別れるときに、「いや、私、俺は正義だから、彼女の言ってることが理不尽だから別れる。」っていう正義の攻撃に満ち溢れた別れ方もあればですね、相手が彼氏だった場合、「いや、あの彼氏怖いから、正義で怒らせるのはちょっと得策ではない。」と回避しようという考え方ね。
例えば、私が悪いことにしちゃうみたいな、そして合わないことにする。なんか最近体調が悪いとかね。ここで例のドーラみたいな話、小麗ドーラみたいな話が出てきますね。
体調が悪いということにすると、都合いいなってなったときに、「よっしゃ!」っていうことで、体がいっちょ体調を悪くしてくれるんですよ。これは病理行動態ですよね。つまり盗作的なので、なんていうんですかね、手段が目的化していくと言いますか、本来望ましくないものが望ましいことになってしまうわけですよ。だから盗作なんですね。
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ひっくり返ってしまっています。病気になったら都合がいいなと思ったら、本当に体の調子がおかしくなったみたいな、そして家に引きこもるからデートできませんみたいな、すごいラッキーだ。これはアボイダンス、回避的ですよね。
これが、例えば会社に行くでも、会社の上司と顔を合わせるでも、自分が詰められる会議に出たくないでも、全部有効なわけですよ。だから、ある種のことに近づこうとすると、体調が自動的に悪くなってくれるわけです。体調が悪いんで、コンプライアンスとかもありますから、そうそうその人に向かって詰められなくなるじゃないですか。
とてもこれは大事なことですよね。本当に体調が悪かった場合詰めたらまずいんで。本当か嘘かというものは、精神的な話が入って、無意識的な話が入ってくると、本当が嘘で嘘は本当になってくるわけです。だから非常に盗作的なわけですね。これはさっきの正義感に訴える人の態度とえらい違うんだけども、非常に近いことが言えるわけですね。
世の中に不都合なことってたくさんありますから、不都合なことがあるたびに体調が微妙に悪くなるというのを、うんとマイルドに起こしていくと、最終的にどうなるかというと、その人は常に何らかの理由で体調が悪いんですよ。これは全然気分が良くないと思うんだけれども、だんだんだんだんなんで体調が悪いのかは、もちろん本人にはよくわかっておりませんから、わかる理由もないし、わかんない方がいいから、ある意味ですね。体調が悪い。
で、こういう時に先送りが繰り返されるという事態が、事態というかですね、一つのその、そこはラッキーなんですよ。なぜならば、その仕事を仕上げて、苦手なパワハラがありそうな上司のところに持ってって、強烈に自分の自尊心を傷つけられるようなことに至るぐらいならば、ずっと調子が悪いことによってその仕事がなかなか進捗しないという事態を維持するということはですね、
もしそれができつかつ会社にいられるのであれば、悪いことではないはずなんですね、その人にとってみれば。
で、これがこんなに明らさまだと本人にも周りにもバレちゃうんだけれども、これがそれほど明らさまでない場合、例えば低気圧が来ると調子が悪くなり、例えば台風が来ると頭が痛くなり、
例えば、日々高温が続くとお腹の調子が悪くなるということがあればですね、これを繋いで繋いで繋いでいけばですね、いろんなことがうまいことを滞ってくれるという状況を実現することは可能ではないんですね。
で、この時、その人の心の中ではですね、私はこの時にドーパミンを頭の中で残しておけばその人は行動的になれるというプロセスがですね、そういうこともあると思いますよ、そういうこともあると思います。
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だけれども、本来これも逆なんですよ。だから面白いことにここに逆転現象がいろいろあってですね、ドーパミンが出るということは何か前向きになる。
それはですね、要するに予測以上の報酬が望まれるとか、予測以上の危機が迫っている予測以上っていう予測が外れるっていう基準にエルドーパっていうものが多分ですね、密接に関わっていて、それがですね、こう活性化するような、なんていうのかな、ドーパミンそれ自体は所詮はこう道具ですから、ドーパミンが大事っていうよりは大事なんだけど、
そのドーパミンが走ることによって、ある経路が活性化されることによって行動的になるわけですよ。その前にそもそも予想以上に良いことがありそうだとか予想以上にやばいことがありそうだっていうことと関係があるわけですよ。だからそのドーパミンの数を、再取り込み素子薬なんで、コンサーターとかですかね、あるいはなんだろう、リタリンみたいなものか、リタリンはでもこの理由では使わないと思うんですけれども、
とにかくそういうものを使って脳内にジャブジャブと余らせておいてからといって、果たして経路が活性化するんだろうかっていう、なんて言うんですかねそれは、ピクミン僕思い出しちゃうんですけど、これをピクミンで説明しても分かりにくいな、きっと。とにかく働き者がそこにいてくれるということと、その働き者たちがみんな働いてくれるということは別だと思うんですよね。
要因はそこに、なんていうんですかね、小詰めのように置くことはできてもですね、それによって望ましい働きを実現することができるかどうかはまた別の問題だと思うんですよ。
そもそも先送りは都合がいいという状況がそこにあるわけなので、先送りをやめることによって、つまり行動的になることによってですね、予想以上の報酬が得られるかどうかわからないわけですよ。だからむしろ発達障害の人が食えるようになったすごい仕事術の借金玉さんが書いているあの本を読むと思うんですけれども、予想以上の危機が訪れたときに彼は動いてるわけですよ。
これは予想以上の危機が訪れればですね、彼も別に投薬がなくてもですね、ドーパミンが動き出すわけですよ。なぜなら予想とずれてるから。予想以上の危機があるということは、それを乗り切ると予想以上の報酬があるという意味になりますよね、当然。だからここでアボイダンスが停止して、ドーパミンがそれこそ脳内で活性化して動くのが自然な流れ行きというものが出来上がるわけですよ。
ただそれは、100日あったらようやく終わりそうなものがあと3日だみたいな、予想以上に状況がまずいじゃないですか。だからこれが機能するという話なんですよね。東京無職日記っていう4コマ漫画を書いている面白い鳥畑春信っていう人がですね、ある事態をきっかけに、結構順調に仕事してたんだけれども、ある事態をきっかけに寝込むんですね。
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今言ったようなアボイダンスなのか病気なのかが分からないような状況で、もう頭が布団から出られなくなっちゃうんですよ。ところが彼がそこそこ機能するようになっていた会社の社長というのは面白い人で、お前たちに今から殴り込みに行くと。とにかく会社にやってこないと、そっちに俺が行くと。
で、この人は本当に行っちゃうようなタイプなんで、ここに予想以上の危機っていうものが訪れることによって、彼はガバッと起きて、ゲソってガーッと走って会社に行けたわけですね。ドーパミンが機能したわけですよ。で、その時に鳥畑さんがですね、その上役の人に、本当に病気だったらどうするんだって聞かれるんですよ。後でね、事が収まってから。
しこたま怒られた後に。そしたら、いや今回のは本当に大変な病気だったら困るだろうって言われるんだけど、その時に、いや今回のは多分柔度のけ病ですって答えるんですね。ありましたよね、鳥畑カイトさんのやつに。あのけ病にはけ治療が必要だと。それがカウンセリングなんだと。ちょっとあの物議を醸しそうな書き方なんだけど、でもやっぱ症例ドーラを思い出します。つまり柔度のけ病ってのはもはや神経症なんですよ。
柔度のけ病をしなければ、にならなければ、やばいと本人が思ってるから、ある程度無意識と体がそれに、その期待に応えてくれてるわけです。だけれども、これは荒漁師でしたけれども、社長が殴り込んでくるってことになったら、柔度のけ病は終了するしかないんで、もっと危険なんでね。だからこそ、そうやって動くこともできるんだけど、このやり方ってのは僕は荒っぽいし、基本的にはやめといた方がいいだろうとは思うんです。
こういう考え方は。アボイダンスに対して、粗暴な長寿がみたいなものによって叩き出すみたいなのは、時々それが機能してしまうことがあるから、そういう何かのヨットスクールみたいな荒っぽい治療こそが究極の治療であるっていう論が出てきちゃうんですし、それはもうゼロにはならないだろうなと思うんですけどね。
やっぱり、原則やめておいた方がいいと思うんですよ。後で何が起きるかわかんないし、それ自体がそもそも、それこそ倫理的にどうよっていう感じはありますからね。倫理とか言わなくても、非常に無理がそこにかかってくるだろうと。
あの社長さんいい人だったし、やっぱりそういうキャラクターがあるんですよ、そういうのってやっぱり。それに向いているケースとそれにフィットする状況ってのは確かにあると思うので、全面的にそういうものがなくなるべきであるとは思いませんが、私は。私とかには全然向かないなっていう感じがします。やるにせよ、やられるにせよね。
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そういう、圧倒的な長寿がによって根性を叩き直すみたいなやつですね。それは、文にどうかなって思うんですよね。土井たけおさんがお前の構造でお前の重要性をあれほど説いているのに、やっぱりだから、発達障害の話とかもそうですけれども、土井たけおさんの論はすごく大事だろうと私は思うんですけどね。
気にしすぎるっていう、この気の話なんかも、お前との兼ね合いで説明する方がいいだろうって感じはしますね。つまり、内的対処の話をしているんですよ。やっぱりね、結局、アボイダンスしなければならないっていうのは怖いってことじゃないですか。開始しなければならない。逃げなきゃならない。避けなければならない。それは恐ろしいってことですよね。
そこで、やっぱり自分の心の中の、この原始的な長寺賀が活躍しようとするわけですよ。あの弱いあなたを守ってあげましょうっていうフリをするわけですよ。ただ、この場合、昨日言ったみたいに別れ話を出すぞっていう話ではなくて、弱いあなたはそこで寝てなさいってことなんですね。だから起きられなくなるわけですよ。弱いあなたはそこで寝てなさいと。
で、この長寺賀というのが破壊的なんで、実は最終的には無責任なので、基本的に何をしているかというとですね、世の中のいろいろな悪い母親を黙らせるってことが狙いなわけですから、悪い母親を黙らせるための、あの猫の手が現実には使える、いろんな手段があるんですよっていうことなんですよ。
低気圧だとか猛暑だとか台風だとか、その他にも無理解な人々、あるいは無神経な人々、なんとかハラスメント山ほどありますね。ここにある種の情報に対する強いアンテナっていうものを張り巡らせるっていうことが内的対象としての長寺賀がやってくれるんですよ。
だから、この時の長寺賀はやっぱり結構正義感に燃えていて、その正義感によって最終的には、だってずっと鳥畑さんがもしあのままずっと引きこもっていれば、会社との縁は結局切れてしまいますよね。
総的防衛そっくりの事態が進行するわけですよ。
じたともに困ったことになる、その関係の切り方なんですよね。
フェードアウト型っていう感じが私はするんだけど、そのフェードアウトするための理由付けを大量に外から入手してくる、外からってところがとっても大事なポイントです。
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外から入手してくることによって、この悪い母親、内的対象、悪いっていうのは要するに自分とて都合が悪いってことですよね。
ちゃんとした仕事をしないと怒るとか、ちゃんと出社しないと怒るという都合の悪い母親を黙らせるためには、黙らせるだけの文化的な情報源というものが非常に有効に作用するであろうと。
そういうふうに長寿賀が検討をつけてですね、つまり長寿賀とその悪い内的対象としての母親が実は決卓してるんですよ。
これって決卓って言うと非常におかしく感じられると思うんですよ。パワハラの上司を褒めるために、正当な理由を探し出すのが決卓かと。
でもこれが内面で起こってるってことを忘れないでほしいんですよ。まずは内面で起こるでしょ。
外的な事実がそうなんだって言ったとしても、仮に外的な事実が確かにその通りだったとしても、まずは内面で起きますよね。
これの情報を持ってくれば、相手は黙るしかないはずだという検討がつかない限り、この手を実行に移す理由はどこにもないと思うんですよ。
この検討をつけるためには、内的に動いている対象を使ってシミュレーションをしているはずなんですよね。
こういうことをしていないんだったら、突然定期発が来たから会社に進みますというのが、通じるか通じないかわからないけどいきなりそれを言い出すってことになるんだけど、僕はそうは思わない。
やっぱりこれはそういえば相手は納得するしかないはずだと、どこかで検討をつけて、つまり逆算をすることによって、こういう事実というものが出てくるんだと。
そして、そういうのは事実なんですよって言うと、事実なんですよ。僕が言いたいのは、投影は投影同一化なので、現実は作り出されるものなんで。
だってどこらが体調がおかしくなったか、事実がおかしくなったわけじゃないですか。岩竹さんは本当に起き上がれなくなったわけですよ。
だから社長さんも言ったわけですよ。本当に重要な病気だったらどうするんだと。まず病院に行けよって言ったら、これは至って真っ当じゃないですか。ここに倒作はないですよね。
だけれども鳥畑さんは、いや今回のは重度のけ病ですっていう話をされたと。これは私は病気じゃないっていう意味には取らないんですよ、私だったらね。
それを神経症と言うんだって思うんですよ、むしろ。だから重度の神経症は劣気とした病気ですよ。そこに別の名前をあえて冠する必要はないんじゃないかっていう感じもするし、
その場合に必要とされるものはやっぱりですね、その重度のけ病によって自体を乗り切ろうとしない良い自分っていうものを強くしていくことであって、
重度のけ病で乗り切るという戦略を立てている、比較的原始的なというか、子供時代に確立した超自我というものの戦略を基本的には選択せずにおけるっていう言葉になりますよね。
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その超自我がやろうとしていること、悪い母親はこれで黙らせられる、だからあなた安心して寝てなさいねっていう、ヤングケアラーみたいな親の態度、これを親っぽい態度、これを選択せずにおく。
だけれども良い自己は自分のことをとても弱くてヘルプレスレスだと頼りない存在だと考えているので、このような超自我に頼ってしまうわけです。
で、この超自我を怒らせるのが大変怖いんですよ。だからこの超自我に良い顔をしたい。そして自分も寝ていられる。後のことはどうなるか、それは超自我に任せておこうということになっているわけ。
で、この超自我は残念ながらそこまで世の中のことを切り戻りできないんですね。彼女が嫌なことをしてきたら別れるという戦略しか持ち合わせてないんですよ。
10代の半ばぐらいまでならこの戦略でもしょうがないかもしれないんですけど、30代がこの戦略ではやっぱり思いつかないって感じがしますよね。
これは一次過程と二次過程のちょうど間っこなんですね。というように松木邦路さんは書いてたわけです。
一次過程と二次過程の間なんですよ。階原則にベースを置いてるんだけど現実原則が全く無視されているわけでもない。
だからこそ微妙な情報というものをたくさん仕入れてくるわけです。微妙な情報でなければ、やっぱり微妙な情報といえどもというか、微妙な情報といえども情報は情報。
外部からのものであることに違いはない。だからその外部というのは現実ですよね。現実の文化が受け入れていそうな情報を持ってきては自分の回避行動というものに正当性を与えていく。
これはおかしな戦略ではないんですけれども、これを乱用すると面倒なことにはなるとは思いますね。
そもそも微妙な情報というのは、それがある文化のある一時的な条件では納得されるかもしれないけれども、次の時勢がやってきた時には納得されなくなる可能性も結構あるわけです。
だからこの調子がはこの時のこの種のケースの調子がは非常に新しい情報というものの取得に対して積極的なんですね。時代の流行というものに敏感です。
そのらへんちょっとヒステリーを思わせるところが、だからショーレイ・ドーラがそうでした。ヒステリーでしたね彼女は。ヒステリーを思わせるところもあるわけですよ。
私はこの番組の、それこそだいぶずっと昔グッドモーニング・バイブスとまだ言っていた頃、100回とかそのくらいだったと思いますが、頃に男性のヒステリーというのは現代社会では必ず見ていくべき重要なテーマだと言っていて、言うのをやめるようにしましたけど、いまだにそういうふうには思っています。
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もう今、男女っていうものはもちろんありますけれども、すごく曖昧になってきている、今から若い人はますますだろうなと。一方で、病理構造体と抑鬱の中央において、回避、創的防衛、そして理想化と脱下地下と、
やっぱりその後の抑鬱状態かな、こういうのを変遷するように回っていくっていう、なんて言えばいいんですかね、心理的な不調っていうものは、それが発達障害と呼ばれようと、HSPと呼ばれようと、人格障害と呼ばれようと、
共依存と呼ばれようと、変わらないと思います。そういう事態はこれからもやっぱり進行していくんだろうなって感じがしますね。
その慢性的な不調というものですね。慢性的な不調というものと、距離を置くという戦略。これが今後の私たちの課題なんだろうなって感じがします。距離を置くのが容易になってますからね。
私たちはもう町内会とかごめんだって思ってる人が多分大半なんじゃないですか。そのうち8割を超えたりするんじゃないですかね。だから地域の人とは繋がらないし、面倒な人とも関わらないし、なるべく機械、物、人と関わるはずなんですよ。機械、物、それに近い人ですよね。間にZoomとかを置くはずなんですよ。
その方がいいはずなんですよ。いいと感じられるはずなんですね。いつでも回避できる。いつでも想的に独立できる。これが大事なんですよ。ただそのためにはお金が要りますよね。お金が要るということはつまり時間が要りますよね。
だからいろんなものやいろんな人に邪魔されるという感じが邪魔されるというのを精神分析の用語にするべきだと書いたのがドイタケオさんでしたけど、甘えの構造の中にありますが、邪魔をされるっていうのは実に面白い内的対象の言葉じゃないですか。内的にしか置きませんよね。多くの場合邪魔してやろうという意図を持ってませんから。
私の妻がですね、私がこの収録中にちょっと洗濯物干してくれない。これは私の内部から見て邪魔というものに定義されることはあるかもしれませんが、彼女に邪魔をしてやろうという意図はないわけです。ごめんねって言うかもしれません。つまり邪魔をしようという意図はない。でも邪魔をされたという現象は心理的には存在する。これが内的対象の世界なわけですよ。
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その内的対象の中でこの事態を重く見た場合、長寿が乗り出していって、正義感なりアボイダンスなりを発揮するわけです。あるいは欲打つ不安というものに訴えてくるわけです。正義感に訴えてくれば、ああいう無神経に大事な収録の邪魔をする、奥さんはごめんだから別居しようみたいな激しい主張を繰り広げ出す。
あるいは、いやいやそこまでやらなくてもいいから、奥さんいなくなっては困るんで、コワーキングスペースに引きこもりましょう。これがアボイダンス的な戦略ですね。良し悪しではないですよ。これをした方がいい時はありますよ、当然ね。
ただ、そういう戦略に訴えやすい時代が既に到来していて、そこから来る面倒臭いというか厄介な事態というものが一挙に進行していて、しかもそれに対する対策が投薬だけというのは私は大変心もとないと思うんですね。
コワーキングスペースに行きましょうっていう話が、どうして事態を厄介なものにするかというと、ここにコミュニケーションの回避っていうのを挟んでしまってるからなんですよ。本当はここは話し合いで解決できる部分だと思うんだけれども、それを回避していきなりコワーキングスペースに行っちゃうことによって、ここに溝ができますよね。
空白ができるんですよ。こういう空白を僕らは知らず知らずあちらこちらに作り出しているっていうような意味なんですよ。それはすべて基本的には先取り先取り先取りでやってるはずなんですね。つまり内的対照というものとの会話しかしてないってことなんですよ。それはナルシシズムの進行でもあると思うんですよ。
自分の心の中の会話ですべて決めてしまってる。自分の脳内シミュレーションで、奥さんはこういう時に何かを頼んでくるんだ。だったら自分がその場所にいなければ何も頼めなくなるよねって脳内で全部現実を先取りしてその後行動を移すじゃないですか。そうすると奥さんの行動というものがそうでなかった可能性の部分については事実上無視されることになってしまうわけです。
もちろんそれは脳内で検討するかもしれませんが、奥さんとの検討はしてないっていう点に変わりはないですよね。
内的対照とのやりとりというのは、結局のところは自分と自分の対話なので、内的対照の奥さん役ってのは自分自身ですし、内的対照の長児がというのも自分自身ですし、内的対照の中の良くて弱しいと思っている頼りない自分、これこそがまさに自分だと思っている自分ですし、自分しかいないんですね、この場合。それがパーソナリティ障害ってものの多分大きな特徴なんですよ。
こうやって自分しかいない脳内の会話ばっかりやった挙句行動をとっていくと、他の人の思惑とはずれていくので、その人の行動というものが知らず知らず、周囲の人を困惑させる。これがパーソナリティ障害の特徴だっていうふうに松木さん書いてましたけれども、そういうことだと思いますね。
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本人はそれで困ってる気はしないんだけど、周囲は非常に困惑する。ドコンジョガエルの娘のお父さんがまさにドコンジョガエルの人ですけども、俺は少しも困らんと言って、いつも麻雀を打っていて、いつもパチンコに行って、周りの人が困る。
そういうふうにパーソナリティの障害の人が行動を起こす。それによって周りの人は困惑する。なんでこの人急に毎朝毎朝コワーキングスペースに行くようになったんだろうっていうふうになるわけですよ。
それによって何を意味しているのかがわからなかった場合、必ずしも腹が立つっていうのではないかもしれないけど、困惑はしますよね。アボイダンスもそうですし、あるいはすごく抑鬱不安が強くなってくる、抑鬱的な障害みたいなものが中核にあったりすると、このままポッドキャストを邪魔され続けて、こういうふうに思いますよね。不思議とね。
一生このウダツが上がらないままなんだと。奥さんがそういうところで邪魔に入らなければ、もっと素晴らしいアイディアが実現して、どんどんお金も貯まって、そもそも奥さんは洗濯物を自分で払わなくても済むようなお金持ちになれるのにみたいな感じでですね、勝手に妄想的なことを考え始めるわけですよ。
その時にすごく抑鬱的にもなりますよね。このままでは自分の未来は真っ暗だみたいな感じでね。あるいはすごくうまくいってる収録のど真ん中にそれが入ってきた時に、全てが誤破産になったとか、そういうふうに考えることもあるかもしれないですよね。
その時に例えば自分がこれから喋ろうとしていることをきちんとメモにとっておけるツールを用意しておけばよかったとか考えるかもしれない。これは非常に脅迫的な発想ですね。
こういう一連の成り行きの話がですね、今まではバラバラに出てきてたんだけど、これからは多分グルグル自分の中で回って一つのセットを組むようになるんじゃないかと。
で、そう私は考えてるんですよ。今のアボイダンスみたいな回避的な行動、あるいは脅迫的な行動、あるいはそうで希望、または抑鬱的な態度、あるいはそれこそ境界的に脱価値化とか理想化みたいな。
今度新しいMacのMacBook Proを買って、今あるiPad miniとかMac miniとかを一掃して下取りに出してきちんとした体制を整えたら、自分のこの状況は一新されて一変する、そういうアイディアをマインドマップに書きましたみたいな、そういう強い理想化みたいなのが起こったりもすると思うんですよね。
やっぱりこれも内的対処との会話だし、今ある私が作り出した弱々しい私が作り出したMac miniとかiPad miniがあって弱々しいもないんだけど、そういう自分が作り出した当てにならない私の状況というものを一掃して、私が新しい世界を築き上げてあげますっていう言い方で超自我が頑張ることもあるわけですよ。
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これもまた悪い母親対象というものを黙らせるために、このような環境を設定すれば横から邪魔が入ってきたり時間がなくなったりする、時間がなくなる邪魔みたいなのもあるんで、そういったものも全部一掃できると。
そういった状況が起こると、自分が作り出したMac miniを自分が作り出したMac miniを自分が作り出したMac miniを自分が作り出したMac miniを自分が作り出したMac miniを自分が作り出したMac miniを自分が作り出したMac miniを自分が作り出したMac miniを自分が作り出したMac miniを自分が作り出したMac miniを自分が作り出したMac miniを自分が作り出したMac miniを自分が作り出したMac miniを自分が作り出したMac miniを自分が作り出したMac miniを自分が作り出したMac miniを自分が作り出したMac miniを自分が作り出したMac miniを自分が作り出したMac miniを自分が作り出したMac miniを自分が作り出したMac mini
を自分が作り出したMac miniを自分が作り出したMac miniを自分が作り出したMac miniを自分が作り出したMac miniを自分が作り出したMac miniを自分が作り出したMac miniを自分が作り出したMac miniを自分が作り出したMac miniを自分が作り出したMac miniを自分が作り出したMac miniを自分が作り出したMac miniを自分が作り出したMac miniを自分が作り出したMac miniを自分が作り出したMac miniを自分が作り出したMac miniを自分が作り出したMac miniを自分が作り出したMac miniを自分が作り出したMac miniを自分が作り出したMac miniを自分が作り出したMac miniを自分が作り出したMac miniを自分が作り出したMac miniを
しかも多くの場合そういうことをしたからといって収益収入がどんどんどんどん入ってくるというよりはむしろ逆の事態を引き起こしますよね
MacBook Proに買い直してみたんだけどこの環境設定ではやっぱりまだ悪い母親が邪魔をしてくるのでもっといい環境にやり直しましょうってことになるわけですよ
でこういう時の長寿画というのはあまり後先を考えね横薄ポジションじゃなくてPSポジションなので後先考えず三次元的に自体を一新しようとするので
どちらかというと論を汲むみたいな考え方を取っちゃうんですよお金を儲けてからそういう環境を設営するっていうのではなくていきなり全てを設営し終わった後ですごい支出の分は後で回収しようみたいに考えるんですよ
だから長期的に言うとかなり無責任なところがこの長寿画対象はありましてそれが中心に偽っているせいで自分の現実世界はですね
なんかうまくいかないんですよ妙に高級なものを持ってるんだけどすごいお金はないとかいろいろとこうアンバランスな雰囲気というものを持ってたりもするんですよね
それをある一つの名称を与えて一つのアプローチで全部解決するっていう考え方そのものになんか同じような匂いをかぎ取ってしまうというのかなそういう印象を私は今持っているんですよ
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