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おはようございます、グッドモーニングバイブスです。
グッドバイブスファクトリーというコミュニティがありましてですね、
そこそこいらっしゃっているんですけど、
月付き、私は今厳密に覚えていないんですけど、2000円くらいで、しかも初月は無料なんですよ。
これを聞いている方では、もう検討したよという方ばかりかもしれませんが、
よろしければですね、
これが一番、僕はなんだかんだ、時間をかけてグッドバイブス的になるみたいな話で言うと、
今日はそういう話をちょっとしたいんですけど、
うってつけかなと、
倉園さんにいつでも相談できるという状態にありますから、
倉園さん、確かワンワンセッションというのも随時開催されているんですが、
要するに、専門的に言えば個別カウンセリングですよね。
受けられるんですが、いつでも。
いきなりこれを受けること自体のハードルってあると思うんですよ、心理的には。
金額とはまた別にね、個人カウンセリング、個別カウンセリングとしての金額としては、
あの辺は妥当か休めなんですけれども、
それとはまた別に、
ああいうのをやるのは結構大変なものなんですよ。
精神分析なんかでは、そもそもあそこに行って自由連想みたいな話もありますけど、
あなたの好きにまずお話くださいと言っても何も喋れないという人がいっぱいいるんですよ。
それは何でかというと、分裂しているからなんだけれども、
つまり表に出している自分と本当のところの自分というものをすっかり分けちゃってるんで、
本当のところの自分は誰にも出したく、晒したくないっていう、
そこの気持ちがそもそも生きていくのを苦しくさせているわけだから、
それ言えっていきなり言われても無理になったりするわけですね。
だからグループセッションとかいうものが世の中にはあったりするわけです。
他の人の話を聞くっていうのがまず必要になってくると、
他の人が悩みを相談できているというのを畑目で見るっていうのが大事なんですよ、
この種のケースの話ではですね。
この種の話じゃなくても大事なんじゃないかなと最近思っているんですけどね。
なのでグッドバイブスファクトリーというのをちょっとやっておりますんで、
よろしければ覗いてみるなりチェックするなりしてみていただければと思います。
昨日もお話ししましたが、逆に立たないって言われるっていう話だ。
03:03
僕これはぶっちゃけ相談、YouTubeのグッドバイブスのぶっちゃけ相談でも話題になったことがあるんですけど、
なんで私たちが罪の意識を持たないとか罪悪感を持たないとか、
私が盛んに言いをするので言うとですね、反省しないとかそういう話を盛んに言うかと言うとですね、
僕らは多分一種の癖で、僕が思うにこれは悪癖みたいなものでして、
嫌な気持ちになったらすぐ何が悪いんだろうって考える癖があるんですね。
で、最近これはチェンジ図というところで書いているものについて、
そろそろ10回くらい連載してきたんですけど収束して、
しかも繋いで違うような話に持っていきたいなと思っているんですが、
その時、なんで私はいつの間にか精神分析の話を盛んにやっているんだろうと思ったんですよ。
一つ目はグッドバイブスでは、この問題をグッドバイブスに持ち込んで今解消しようと思っていない、
でも私にとってややこしかった問題がずっと尾を引いているというのがあるので、
それは要するにいわゆる学生時代に彼女ができなかった問題なんですよ。
でもこれが学生時代に最大のピークを迎えて、今はほとんどこのことはどうでもよくなってしまっているので、
これをグッドバイブスで何とかしようとか思うほど、今切迫していないんですね。
ただ、昔切迫していた記憶はあるんですよ。
で、時々そういうことを訴える、男性が多いんですけど、レズ風俗を書いた人、
女性なんですよね。
あの悩みと僕の悩みは完全に一致していて、
彼女のあの漫画はすごい私にとってはヒントがでかかったんですよ。
これはもう本当グッドバイブスとかライフハックは全然関係なくて、
趣味であの漫画を読んだ時、こういう人いるんだと思ってびっくりしたんですよね。
彼女の悩みと私の悩みは完全に同じなんだけど、ただ彼女は女性なんですよ。
で、彼女は女性なんだけど彼女が欲しいわけですよね。
私は男性だからこのことに疑問抱かなかったんですけど、
あの漫画の存在はでかかったんですよ。
あ、この気持ちは別に理性だから発生するわけじゃないんだと。
で、普通はただどうして男の悩みになるんだろうと、
彼女が欲しいというのは一般的には男の悩みですよね。
なんでそうなるんだろうと、
なんでそうなるんだろうと思った時に、
これはすごく精神分析だなと。
でも彼女はすでに漫画の中で対抗って言葉を出してますからね。
06:02
対抗は完全に精神分析用語だと思うので、
今でカウンセリングで使われているわけですけども、
でも大元をたどればフロイトだと思うので、
あの時僕は一つ学んだんですよね。
お母さんを求めるというのを女性が考えた場合、
それは母親への志望ということになるんだけれども、
それは同性愛になるからそこで混乱は起きないんですが、
男がこれをやると異性愛を同時に意識しちゃうから、
ここで大いに混乱するんですね。
私の混乱はそれだったんですよ。
じゃああなたはそんなにお母さんが大好きだったんですかというと、
そういうことでは全くないんですね。
逆だと僕は思うんですよ。
逆というのはお母さんが嫌いだったというわけじゃないんですけど、
要するに独立というのは怖いんですよ。
一人でやっていかなきゃならないから。
これは昔ですよ、2009年頃、もっと前かもしれないですけど、
大橋さんに僕は食い下がって質問したことがあって、
会社辞めるの怖くなかったのって何度も聞いた記憶があるんですよ。
多分結構うるさかったと思うんですね、僕ね。
これは僕の恐怖感なんですよ。
僕の怖さを尋ねているんですね、彼に。
彼は辞めちゃったわけだから、
そこは何とかしたんですけど、
僕はそこをどうやって何とかしたのかを、
これ聞いてわからないんだけど、聞くんですよね、こういうのって結局。
同じなんですよ、これは。
別に会社に限らずに、
結局親にずっと世話になって生きてきた人間が親元離れるのは怖いじゃないですか。
怖いからお母さんに向かっていきたくなるという気持ちが
反動的に形成されるのであって、
別にお母さんが大好きとかは関係ないんですって。
だいたい今なんかもうすっかり老いちゃってるわけですから、
お母さんのところに戻っていったってどうにもなんないわけですよ。
タスクシフトがあんまりかんばしくなくてとか、
彼女のところに持っていっても、
彼女がどうにかする知恵を持ってるわけがないんですよ。
それはわかってるわけですよ。
そういう意味ではなくてですね、
この恐怖感、結局のところ、虚勢恐怖ですよ。
エリプスコンプレックスなんだけど、
家から叩き出されるという、
叩き出されたことがあるわけじゃないんですけど、
象徴的な意味でね、
叩き出されるという恐怖が
反動的に彼女を求めたくなってしまう。
僕はそのことをあんまりにも切実に考えてたから、
一つには多分会社員に勤まらないだろうなって意識が、
いっそこの意識を強めてたんですね。
何とかしなきゃっていう気持ちが湧き上がってくると、
それが性欲に転化しちゃうんですね。
若いからこのことの意味がわからないんですよ、結局。
そもそも会社員に勤まりそうもないから、
自立するのが怖いから、
彼女になってよって言われて、
OKしてくれる女性は極めて少ないですよね。
しかもこの事情を加味できる人はいないと思うんですよ。
09:00
少なくとも私の周りなんかにはいなかったと思うんですね。
これじゃわかんないですよね。
僕もわかんなかったんですよ。
だからこのことを一生懸命今、
チェンジ図でまとめているわけなんですけれども、
これとグッドバイブスが何の関係があるのかというと、
まず一つにはですね、
怖いっていうことなんですね。
恐れや不安なんです。
恐れや不安というのはですね、
すぐに、割と簡単にですね、
罪の意識にまた転化するんですね。
これは私は一種の転化だと思うんですが、
切り替わってしまう。
もともと罪の意識が、
何て言うんですかね、
意識しやすい人というべきなのか、
意識させられすぎた人というべきなのか、
この長中指さんもそういうところがありましたけど、
独立が怖いというふうに思っている人っていうのは、
自分に自信が結局ないわけなんですね。
私はだからそこを大橋製造さんに尋ねたんですよ。
どういう自信があって会社を飛び出せたのかと。
会社が嫌だったというのは、
もちろんわかるんですよ。
私、会社には勤められない。
だけど会社が嫌だったからといって、
辞められないじゃんって。
僕、やってないくせに、
そういうことを聞くんですよね。
辞められないというのは、
どうしてなのかというと、
つまり怖いからなんですよ。
金を稼げる自信がないと。
ここでですね、
罪の意識があるというのは、
たぶんやっぱり、
親との関係だと思うんですけど、
親がうるさいことを言ってくると、
罪の意識がでかくなりやすいですよね。
子供はそれを一つの
罪の意識とみなすから。
倉園さんの事例はよくて、
非常にいい事例だったと思うんですけど、
ジュースの瓶を割っちゃったってやつですよね。
ジュースの瓶を割っちゃうというのは、
言ってみれば、
自立できないんですよね。
自立できていれば、
ジュースの瓶を割っても、
自分で片付けて、それまでじゃないですか。
自分で片付けられないから、
これが悪みたいになってしまう。
失敗が悪みたいになってしまう。
ギャラ化したってやつですよね。
これが要するに、
自分の頼りなさなのか、
自分の罪悪なのか、
親が怒ると、
この二つが両方同時にやってきますから、
この経験を何度も何度もしている人は、
これが罪の意識なのか、
自分の頼りなさなのかが、
はっきりしなくなってくると思うんですね。
このことは、精神分析の本の中で、
時々出てくるというか、
しょっちゅう出てくるんだけど、
ここはやっぱり難しいところだな、
って思うんです。
難しいというのは、
長寿がとの兼ね合いってやつで、
長寿が一体罰するためにあるのか、
非難するために存在しているのか、
非難と罰は違うのかって言われると、
非常にややこしいんですけれども、
ことは自立だったような気がするんですよ、
私なんかの場合は。
だけれども、
自立しようとするたびに、
罪の意識の話をしだすっていう方は、
はっきり言って、
いっぱいいらっしゃるわけです。
フリーランスの話になると、
12:01
この二つってしょっちゅう混同されていて、
ここを切り分けることは、
もう一つの作業として大事だなと思うんですが、
要は、一人でやっていこうとした時に、
でも私の文章は、
なってないと批判されますって、
それは違う話をしてるんですよ、実は。
なってないと批判されるっていう、
その文章がちゃんと書けないとか、
恥ずかしいとかいうのは、
親に批判される話をしてるんですね。
だから、自立の問題、
でも結局それは親からの自立なんで、
昔、お前なんかやっていけないって言われたっていうのが、
トラウマになっていると、
そういう話ってしょっちゅう出てくるじゃないですか。
お前なんか一人じゃやっていけないから、
会社に勤めなさいっていうのは、
実はおかしな話をしていると、僕は思うんですけど、
それじゃまるで会社員というのは、
一人ではやっていけない人間の集合体として、
社長が面倒見るよって話をしているみたいな、
そういう話になっちゃうんじゃないですか。
昔の日本って割とそういう話ありましたよね。
お父さん、親が、
うちの息子を預けるとかいう言い方をするんですよね。
あれは、家から家に行くんですよね。
今でも、
相撲の世界とかには、
そういうのが如実に残ってますよね。
トップが親方って言いますもんね。
そして、入るところは部屋ですもんね。
完全にそういう世界ってあったんだけれども、
今、明らかにそうじゃない世界もいっぱいありますよね。
そもそもオフィスなんかないみたいなのもあるわけだから、
社長は自分より年下とかもいっぱいいますよね。
そういう話になっている時代に、
全くとところ、親から親へ的な感覚ではないんですけれども、
でもやっぱり私たちの気持ちのどこかには、
会社だったら食わせてくれるという、
奇妙な感じがしっかりと残っていて、
会社ごとなくなっている会社がいっぱいあるにもかかわらず、
そういう話をするんですよ。
だから、この寄るべなさというんですかね、
頼りなさみたいなもの、自分自身に対する頼りなさみたいなものと、
寂しさみたいなものと、
罪の意識というものが、
根前一体となってしまう。
で、この罪の意識というものが根前一体となったところは、
一番グッドバイブスが、
出てきやすい。
グッドバイブスで何とかするという感じになりやすい。
ここをタスクシュートで何とかするというのは、
まあ無理がありますから。
そこに踏み込もうとしているライフハックもあるんだけど、
つまり、やらかさなきゃいいんだって考え方なんだけど、
僕はこれは、いかにも無理があると思うんですよ。
で、今までずっとライフハックの人たちに、
このタスクシュートとかタスク管理とか、
チェックリストでもいいですよ。
何ならエバーノートでもいいんですよ。
みんな同じことを言ってますからね、実はね。
チェックリストみたいなの、エバーノートも
盛んに作りたがるわけじゃないですか。
機能がかぶっちゃってるぐらい、
つまり同じようなものを何度も何度もリリースしようとするから、
機能をかぶるんですよ。
15:00
で、情報整理の話をしているはずが、
実はやらかさない問題になっちゃってるわけですよね。
で、あのやらかさない問題を、
何て言うんですかね、
未来計画みたいなものの中にまぶすんですよね。
未来計画をまぶすのかな。
とにかくそういうふうにして、
プロジェクトノートみたいなのを見ていて、
私昨日ちょっとこういう観点で
エバーノートのCM見てですね、
つくづくそう思ったんですよね。
これは未来計画とか、
マインドマップとか、
長官とか、そういう話してるんじゃないんだと。
要はこれ、やらかすのは怖いですっていうのを
ライフハック的に解決しようとすると
どうなるかを見せてるんだと思うと
とってもわかりやすい気がするんです。
こういう対局に立って、
なんだかんだ言って
プロジェクトノートみたいなのをつくって
その中にチェック項目を入れて、
これを漏らさずやれば
やらかさずに済みますよっていうのが
響くんですよね。
一見したところこれは、
ものすごく表現としては、
未来計画とか、
人生設計みたいに見えるんだけど、
そういうもんではないんですよね。
お金がなくなって恥ずかしいとか、
あるいはお金がなくなったら大変でしょうとか、
会社クビにならないようにとか、
ラテに感謝もそうでしたよね。
結局重役になったってどうなるか
わかんないわけですからね。
そういうふうに恥ずかしい思いをしたり、
プレゼンで真っ白になったりしないようにするために、
このプロジェクト全体の意味しているものとか、
人と人との、
人と人とのって言うんじゃないんだよね。
仕事の細部と対局の関係性とか、
ネットワーク的な表現で見せて、
その中にある、
自分自身がやっておかないと
まずい立場になるものを
チェック項目として持っていて、
それをいつでもカレンダーと付き合わせて
チェックしていけるようになれば、
そういうみっともない目に合わずに
済みますよっていう、
あれはメッセージが込められているように
見えるんですよ。
あれだったらですね、
私がずっとマニアナの法則とかで言ってきたことと
何にも変わらんので、
やらかしそうになる項目をピックアップしておいて、
やらかさない順に全部チェック入れていけば
安泰です。
というイリュージョンがあったわけですね。
私はそれがちっとも安泰じゃなかったから、
いつも恐ろしい目にあっていたわけですよ。
妻は怒りだすし、
皿は割るし、
本は売れないことがあるし、
レビューで1はつけられるし、
全然最大漏らさずチェックするってわけにはいかないんですよね。
その都度、皿は割らないとか、
星1はつけられないとかいうチェックリストを
追加していかなかったですよ、私はもう。
そういうやり方はあまりにも馬鹿げていると思ったんで、
そんなこといくらやったって無駄じゃないですか。
どう考えてもそれは、
いつか、
強迫神経症に陥るだけですよね。
例えば、
この時期だから、
18:00
不正電気が来たというのを防ぐために、
水いっぱい飲んで、
保湿剤つけていってやっていったら、
もうキリがないだけでなくて、
キリがないですよね。
そして、そんなリストを事前に何かをするたびに、
全部見てられないじゃないですか。
1000項目ぐらいの項目に全部チェックしてから、
車のドアを開けるとか、
そんなわけにはいかないんですよ。
だから、これをプレゼントか、
本を書くときに、
本気でやろうと思ったら、
大変ですよね。
そこで、結局、
このことを突き進めていってしまうと、
単純作業以外、
何もできなくなってしまうし、
しかも、そこまでやっても、
恐怖感は取れないんですよね。
私、このことは、
一番、
最後まで意識せざるを得なかったはずですね。
恐怖心そのものは取れてない。
ライフハックの界隈にいようと、
仕事室の人たちと出会おうと、
みんな、この恐怖について語っているってことは、
間違いないんですよ。
みんなが、恐怖心というものをまだ持っている。
うまくやっている人もいるけれども、
全くそこまでうまくやっていない、
僕みたいなのもいるけれども、
恐怖を持っていることに変わりはないって、
ここは、
このやり方では解消しきれないなっていうのを、
通過にしたんですね。
だから、
グッドバイブスがその時、
うまいタイミングで入ってきてくれたっていうことと、
もともと僕がすごく、
罪の意識っていうことが、
テーマとしてあったので、
それはつまり、
親に対する態度なんですけれども、
てか、親との関係なんだな。
しかも僕は、
ここが分かりやすかったんですよ。
つまり、というのは、
親に対して含むところはなかったから、
僕は親子独親だなんて思ったことは、
一瞬もなかったから、
子供の時からないんですよ。
だけに、
なぜこれなのに、
親との、
情緒的圧力があるんだろうと、
むしろ。
なくたっていいようなものなのに、
別にあるわけですよ。
このあるってことが、
つまり、罪の意識なんですよね。
やらかしてしまって、
誰が悪いんだという問いになってしまう。
まさにですね、
昨日話したお話なんですよ。
役立たずと言われると、
それは本人にしか響かない言葉なんですね。
僕は聞いていて、
そのように言われたからといって、
僕が苦しいと思うことは、
きっとないだろうなと思う。
つまり、人のイリュージョンはイリュージョンなんですよ。
この時、問題になるのは誰?
この時、問題にしちゃう考え方として、
誰が悪いんだと。
ライフハックって結局、
何のためにするのかというと、
自分が悪いって言われるのを、
避けたいからですよ。
ある意味では。
そういう立場に立ちたくない。
この恐怖心が根底にあるからこそ、
あれだけ面倒くさいというのかな。
あれだけ未来計画だ、
人生設計だ、QOL。
21:00
QOLというのはですね、
つまりクオリティーがハイクオリティーなのは、
人に責められない人生にしたいんですよね。
先日、ツイッターで
不労所得が生活費を上回れば、
人生の風景が一変するっていうのを
読んだことを読んだんですね。
非常に多くのいいねが、
いわゆる1.6万いいねみたいなやつで、
私はこれを見た時に、
グッドバイブスではこれを、
つまり、
罪の意識を一切持たず、
恐れと不安を持たないということを
やることで、
同じ風景を見るんだなと思ったんですが、
私は果たして不労所得が生活費を超えた瞬間に、
風景が変わるでしょうけど、
同じ風景が見えるかなというのは、
ちょっと疑問に思ったんですが、
それでもですね、
この言葉が何を意味しているのかと、
なぜ1.6万もいいねが付くのかというと、
みんなこの恐怖心から逃れたい一心が
強烈にあるわけですよね。
生活費が労働所得を
おすら上回っていれば、
いずれ自分をひどい目に
あうという恐怖が一つと、
そうならないために、
この恐怖感でもって、
一生こういう努力をして
いかなければならないのかという
見通しの暗さによる、
そういう見通しの暗さによる
不安がもう一つ。
この恐怖感の二つが
とっても強いから、
私たちはマインドマップとかで、
この方針でいけば、
いずれこの恐怖から逃れられる、
っていう、
ここが一番やっぱり
訴求しているんだと思うんですよ。
訴求しているんですけれども、
私はこれは、
嘘があると思わざるを得ないんですよね。
ずっとやっぱりかなり徹底的に
やってきた口だから、
ここをどこんなに徹底しても、
恐怖心そのものが
なくなってはくれない。
やらかさなくなっても
恐怖は残る。
この方がはるかにある意味
馬鹿げている。
それだったらやらかした方が
マシだってむしろ、
僕なんかは思ってしまうんですね。
この辺は原理的に考える
癖があるんですけれども、
つまり、
怖さが取りたいわけですよ。
怖さが取りたいんであって、
やらかしているぐらいだったら、
今言った通り、
やらかした方がマシなぐらいだって
思うところがあるわけです。
問題なのは怖いことであって、
やらかさないことではないと思うんです。
で、
責められると、
このただ責められるというのは、
本当のところ、
責められること自体は問題なんじゃなくて、
責められた時に、
私が悪だと思いたくないというのが
人の本音なんですね。
モラルがあるじゃないですか。
そういうモラルはありますよね。
自分が悪いと思いなさいと。
悪いのは自分だと引き受けなさいと。
こういうモラルってよく聞くんですよ。
僕はこれを本当の意味では
喋っている人自身、
できていないんだと思うんですね。
自分が悪いとは思いたくないんですよ。
なもんだから、
24:01
何が悪いのか、
本当に自分は悪いのか、
グッドファイブスでよく、
それは本当なのかという
問いがあるんだけど、
これを本当に自分は悪いのかに
振り返っているというか、
僕らの思考の癖としては、
今あったことは本当なのかとか、
役立たずと言われたけど
役に立っていないというのは
本当なのかと問えばいいんだけど、
そうは問わない。
僕らは本当に私が悪いのかと
問うてしまうんですね。
つまり、役に立たないとして
本当に私は悪いのかとか、
そういう問いになってしまうんですよ。
悪いかどうかという問いを
立てた時に、
自分が悪いというのを
引き受けましょうという
モラルがあったり、
引き受けられる人もいるんですよ
というモラルにしちゃうんですけど、
そうじゃないんですよ、
僕が思うに。
悪いというのは引き受けられないんですよ。
だから、ただ悪いことに
したくなるんですよね。
こういう思考がですね、
何度も言うけども、
親との関係の中で進みやすいんです。
なぜなら、悪いとか悪くないとか
いう話、親はしょっちゅうしたもんだから、
僕らは誰が悪いのか、
誰が悪いのかという問いに
慣れ親しんでるんですよね。
ライフハックはここを
スキルで乗り切ろうと
しているわけです。
一定程度の効果はあると思うんですよ。
徹底すればですね、
やらかすことは減るし、
やらかさなくなれば、
やらかさないという自信がつくんですよ。
これをライフハックではまた
自己肯定観などと呼んで、
ここで心理学を呼び出してくるんだけど、
これは自己肯定観とは
何の関係もないと思うんですよね。
肯定の自信であって、
しかもやっぱり究極的には
怖い目に遭いたくないという気持ちを
どれくらい自分で満たせるか
という話しかしていないと思うんです。
僕、例えば役に立たないと言われる
というのが問題である
というケースもあれば、
私のようにハワハラの人がいるのに
顔色をうかがわないなんて
甘えであるというのを
気にする人もいるし、
また他のを気にする人も
いるわけですよ。
つまり気にするというのは
私が悪いんだろうか
という問い合わせをしているわけですね。
このように星1をつけられて
私は悪いんだろうかと
そういう自問を例えして、
モラルの問題として
あなたが悪いと思いなさいと
今度からもっと優しい本を書きなさい
と思おうとしても、
心に重いものは残る。
できれば、そうは思いたくない。
ので、
この本を読んだ奴が悪いんだと
思いたくなるわけです。
こういうふうにして、
モグラは罪と罰なんだけども、
罰を自分に与え続けていると
極めて厳しいので、
原因となった人に
罪を着せて、
そいつを罰するという手で
乗り切っていくんですよね。
27:01
そのように身をきれいにしておくというか、
自分が罪だと
見なされないようにするために
アイハックを
押し進めていくという
使い方になっちゃうんですよ。
二度と
このようなレビューを
書かれないようにするために
本を書くときには
こういうことに気をつけておきましょう
というエヴァノートを
作り出すんですね。
役に立たないと
身内に言われないようにするために
言われた時刻と言われた原因を
エヴァノートにつけておいて
それを二度と
身をきれいにしておく
というのは
全然グッドバイブスなわけではないんですよ。
これはライフハックなんですが
ライフハックなのかどうかも
微妙なんですよ。
つまりこれは
罪と罰なんですよね。
在籍官の問題になっているわけです。
在籍官の問題というのは
僕らがさっきも言った通り
慣れ親しんだ考え方だから
この思考に入るのが
非常に無意識で
不可逆で
不可避であるような
感じがしちゃうんですよね。
どうしてもこれを
この思考以外の思考が
自然に進んでいかない。
自然に進むくらいなら
グッドバイブスを聞かなくても
大丈夫なくらいなんですけど
実際にはこういう思考が
誰が悪いのか思考に
自然と進んでいくんです。
そしてこれを
幼少期に繰り返された人ほど
この思考に入るのが
絶やすいんですね。
その次にその人が
行動として起こすのが
倉園さんがよく言う通り
おかしな行動なんですよ。
なぜおかしな行動かというと
おかしな思考がその前に
あるからなんですね。
おかしな思考というのは
どういうことかというと
現実的じゃない思考ですよね。
現実的じゃない思考というのは
私が悪かったのだろうかと
考えた時に
次にする思考
私が悪かったのだろうかが
すでに現実的じゃないけれども
なぜなら現実に悪はないから
ここがグッドバイブスで
最大の一つの論点になるところなんですよね。
本当に現実に悪はないのか
という議論はあり得ると思うんです。
ただ
世の大半の事象として
この辺は倉園さんの
現実主義なんだけど
世の大半の事象として
これが罪悪というほどのことか
というと
ほぼ全部違うんですよ。
ほぼ全部違うんだけど
僕らはこの思考に慣れてるもんだから
相当しょうもないことを
それこそアマゾンの星1なんて
相当しょうもないことですが
罪悪かどうかという観点で
見ようとするんです。
ここから現実から
かけ離れていってしまう。
誰もあれを罪悪だとは言ってない。
星1をつけられた著者は
金庫1年とかいう話は
30:01
ないんですよ。
つまり罪悪でも何でもないんだけど
ちょっとしたことにも
いちいち
これは罪悪なんだろうか
って考え始めて
そこからおかしな思考を
作り出していくんですね。
つまり現実にはない
空想を始めてしまうんですね。
この空想がイリュージョンなんですけれども
要するに
その空想に基づいて
思考を膨らませて
善悪について
考え始めたら
もうめちゃめちゃ現実からは
離れていってしまうのは
避けようがない。
これ全体が
いらんことなわけですね。
いらないことなんですよ。
だからそれについて
いちいち予防策をチェックリスト
作るというのは
わざわざ自分の
いらないことに付き合いすぎている
っていう意味で余計なことなんですよ。
やっぱりね。
そこまででも分かっていても
できちゃうんですよね。
ここを何とか
したいと。
茶碗を
なんていうんですかね。
例えば私が
先日も実家に帰るって話を
したんですけれども
この株の中で
実家に帰るっていうのは
どういうことかというふうに
奥さんに言われるわけですよね。
で、
その間もなく娘も受験だというのに
一頭二犬をまたがって
そういう発想を取るということ自体が
考えが浅いというか
非常に不注意で
無神経で
っていう話をしているうちに
だんだん
この罪悪であるということが
膨らんでいくんですよね。
そう考えるが本当に
悪いことではないのか
みたいな議論になっているわけですよ。
こういうことをみんなやるんですよ。
星一だの
役に立たないなの
この小さな小さなことを
大きくしていくんですね。
悪か。
悪でないとすれば誰が悪か
みたいなね。
これをやるんですよね。
で、腹が立つわけです。
言われた本も言っている本も
腹が立つと。
だけれども
この腹が立ったときに
例えばグッドバイブスのように
それはイリュージョンなんですと
多分これは
時間が空いて
翌日になって別のところで
倉園さんに相談するときは
もうどうでもいいことになっているんですよ。
が、そのまったら中で
不可能ですけど
そのまったら中で
そのまま怒っている真っ最中に
倉園さんがパッと現れて
それはイリュージョンだから
双方ともにと言われると
両者とも腹を立てるんですよね。
この腹立ちをどうすりゃいいのかというときに
もともと
イリュージョンだったという
観点があるわけです。
33:01
もともとそれは
イリュージョンだったんだからと
つまりそれはもともと
現実じゃなかったんだからと
そもそもその考え方自体が
この世に存在していないものだし
その人の頭の中にしかない
ものですから
実際にその人の頭の中にすら
本当はないんですけどね。
で、その怒りの根拠になったというか
その人が怒りの
現実だと思っている現実が
私はまだ一都二県
またがってないですからね。
マミキロン株の中を進んでいくと
必ずウイルスに
引っかかるという現実も
ないわけですから。
そういうのはその人が
頭の中で作ったものですから
それを持ち込んで帰ってくると
娘が受験を受けられなくなり
失敗するという現実も
ないわけですから。
ないものを前提に
怒りというものを作り出したんですね。
これもないものなので
最初から立ち返れば
多分
どこに悪があるかという
論争そのものが
いらないわけですよね。
ということは
この悪を予防するための
エヴァノトのチェックリストというものも
ないままでいいわけです。
今はないわけですからね。
そういうふうに考えると
タスクシュートの上に
妻を怒らせないための
12項目みたいなチェックリストも
なくていいわけですよ。
いらなければいけないというふうに
思おうとする
なんていうんですかね
現実にしてしまおうという
現実にしてしまおうという
不安ですね。
欲望みたいなものなんだけど
不安と
根前一体になっている
欲望みたいなもの
それがなくなれば
多分そんなことは
しなくなるんですよ。
僕が言いたいのはね
異常を持ちまして
タスクシュートをしましょう
ということなんですね。
異常のないまま
タスクシュートをしちゃうから
未来計画になっちゃうんですよ。
異常を踏まえて
タスクシュートをするのであれば
今まで僕逆の話をしてたんですよ。
タスクシュートをして
不足の部分をグッドバイブスで補いましょう
みたいな話だったんですけど
今日した話は
グッドバイブスを全部踏まえて
タスクシュートでダメを押しましょう
と倉殿さんに言われれば
それはそうですが
する人はこうやってやりましょうと
私はこうやってやるから
つまり
グッドバイブスをなるべく踏まえた上で
不安と恐れ
不安や恐れを
動機づけにせずに
タスクシュートを使うんであれば
手に来ないはずの項目が
あるはずなんですよ。今は
そいつをなくしましょう
という話ですね。
36:00
そいつをなくさないと
というかそいつをなくせるようには
なるためには
怒りと
それを作り出した
膨らませた現実は
いずれも存在しない
っていう
実態を見抜かないといけないんです
実態がないんですよ
実態がないんです。実態がないのに
実態があるかのような絵を
描き出しちゃダメなんですよ
ここにこれはあるものとして絵を描いたと
そしたら
その見えなかったはずのものが
見え始めちゃうんですよ
それを防ごうっていうのが
精神分析だったわけですから
ある意味では
だから僕の中では合流してるんですけど
精神分析と言った場合ですが
見えないものを見るわけじゃないですか
一番重い世界
統合失調の世界では
見えないものが本当に見えちゃうわけです
聞こえないはずの声が聞こえるわけですよ
そこまでいったら本当に
幻覚が近くとなってるわけですから
現実化したんですよ
そこまでいったら
本当に大変なんですよ
だいたいその種の声や
人は恐ろしいものですから
他の人には見えない
素晴らしいものではまずないんですよ
恐ろしいものですから
だいたいは恐ろしいものですけどね
そういう風になる
遥か手前に僕らいるんですが
それでもチェックリストを作り出すことによって
少し
その余計なものを見ようとしちゃうんですよ
見ようとする意味は全くない
はずなんですけれども
でも僕らはやるわけじゃないですか
脳内シミュレーションだとか言って
ワックスさんがこういったら
怒るだろうなと
その怒る可能性は極めて高いんだから
幻想とは言えないよなと
実家に今日帰るといったら
さぞ怒るだろうと
まぁ怒るでしょうけどね
で、怒るだろうなという絵を作り出すんですよ
で、こう怒ってきたら
こう言おう
こう言ってもダメなら
ああ言おうっていうのをやっておいた方がいい
って言うんですよ
少なからぬ人がこれを言うんですよ
タスク管理の話をしても
時間管理の話を書いても
編集さんにはそう言われます
その部分がないってのはおかしいんじゃないかと
現に私は先日そういう風に
メールで突っ返されたばっかりなんですよ
企画案をね
そうなんですよ
言われるんですよ
これをやるべきだと
みんなやってるし
有効だし
幻想かもしれないけれども
確率高いじゃないかと
あれですよ南海トラフは
80%の確率で来るんだったら
それを幻想だとして片付けちゃダメでしょうと
むしろそっちの方がおかしいんじゃないですか
っていう話になっているわけですよ
でも
非常に大事であるならば
私はそれには同意できないけれども
でも非常に大事であるならば
しょうがないっていう
これが非常に粗末なことでまでやるっていうのは
しょうがないでは
あたずかないなって
やっぱり思うんですよね
ツイッターなど
39:00
アマゾンなどのレビューにまで
そういう南海トラフみたいな感覚を持ち込んで
そういうものを全部
事前にシミュレーションして
パージしておけば
QOLが上がるなどというのは
ナンセンスだとしか思えないじゃないですか