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2021-01-04 30:12

【GMV289】ライフハックの意味

自然にやってるとミスするのは悪いことという考え方
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おはようございます。グッドモーニングバイブスです。と言いますかですね、 間もなく日が沈もうとしております。
これもリテイクリテイクで3度目になりまして、どうしても気に入らないんですよね。 たぶん気に入らないことが
面白くなかったとかいうわけじゃないのかもわかんないんですけど、自分では気に入らないってことが、 最近やっぱりこれを出せなくなってきたなと思います。
不思議なことです。 これを出せないことがグッドバイブス的なのかどうなのかわかんないんですけど、
これを出せなくなってきたのは確かですね。 恐れといえば恐れなんでしょうけど、なんかとにかく釈然としないんですよ。
で、しょうがないので取り直しております。 今回うまくいくという保証は別にないんですけどね。
新年早々に倉園圭三さんと
グッドバイブスのぶっちゃけ相談のですね、新春特番ということで、 まあマイルドな異論を集めてそれへのお答えをしているというものがあります。
こっちは間違いなく面白いと思うので、ちょっと長いんですけど、ところどころ気になるところがあったら聞いてみていただけると嬉しいなと思います。
あとその質問とかお悩み相談も随時募集中ですので、 なんとしてもですね2021年中はこれを続けて、まあ私はそう思っております。
やっていきたいのでこちらもぜひ 随時お寄せいただければと思います。
で、 ずっと悩んでるんですけど、つまり今日はこのグッドモーニングバイブスをどう
いうふうに出すかで悩んでおるわけですが、 一つにですね
脅迫症というのがこの世の中にはあるわけですね。 これも結構話題にしてきたんですけど、
これが結構ですね、ライフハックとか タスクシュートというものと、本当はタスク管理でこれが管理しきれるはずはない面もありますが、
多少これと関係がある考え方にライフハックがあるんだろうなと思ってます。 つまり例えばストーブを消すって書いてあったら、ストーブを消すわけですね。
そうすると家を出て勝手に火が燃え移って火事になっていないかという心配をする可能性が下がる。
そういうところも一面あるわけじゃないですか。 チェックリストみたいなものにはね。
で、この原理と言いますか、じゃあどうして私たちはその何度も何度も 施錠を確認したりガスコンロの火を止めたかどうか、
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こたつの電気を落としたかどうかなどなどを確認しに戻ったりしなければならないのかというと、 自分が信じられないからだと思うんですが、
自分が信じられないということは自分のリビドなんですよ。 最近私がよく使っている用語で言うと自分のリビドがダラッと機能してしまうということに対する懸念がある。
これをもっと言ってしまうと自分のリビドは悪いものだと思っているってことがあると思うんですよ。
さかのぼってみれば私たちは本当に幼い頃からこの教育はされ続けます。
リビドをダラッと出してちゃいけないよと。 トイレットトレーニングというのはそういうことですよね。
だって犬は、昔私犬飼ってましたが、実家では。
入浴中におしっこしちゃいますよね。 しちゃうときは。
それは人間がやったら到底許されることではないです。 つまりリビドを文化的にちゃんとやれと。
しかもそうすれば気持ちいいぞっていうことまでついてくるじゃないですか。 リビドを文化的におしっこは止めて
したいところでするんじゃなくて、 するべきところですすると。
これコントロールですよね。 また余談になっちゃいますが、フロイトが
肛門器とかいうのはこれですよ。 なぜ肛門器にこだわる人間がやたらと気難しくて
家計簿とかつけまくって、私たちタスクシュートユーザーでも言われるんですけど、
フロイトに寄せればアナルキですよ。 ここにこだわりすぎていると言われてしまいますね。
そこの筋肉をコントロールしてきっちりするということに過度にこだわっている人は、
何が気持ちよくてそんなことをしているのかがよくわかってないと。 それはトイレットトレーニングのところまで
遡っちゃうんですよ。そこに何かトラウマがあったんではないかと。 これはあまりにも短絡すぎますけど、そこで何かあったんじゃないかと。
そこに過剰な喜びを見出したんじゃないかと。 そんなような話になっていくわけですね。
それはそれとしてですね。 このリビドを丸いっていう感覚を私はですね、
これをどういうふうにお伝えしようかと考えているんだけど、 iHackの人はiHackを習得する中でですね、早々に手放していった方がいいと思ってるんです。
グッドバイブスの話を盛んにしているようになったのも、こういう気持ちが強くあったからですね。
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要するにリビドが悪いっていう感情って、
多少はしょうがないと思うんだけれども、文化的な理由もありますから。 でも、
極力控えめにしておいた方がいいと思うんですね。 リビドが悪いということでいくと、どうしたってやっぱり脅迫的なところが出てきますよね。
ちゃんと自分はやったんだろうかっていうことが やたらと気になるわけじゃないですか。
たまなる失敗も許せなくなってくると。 ADDとか発達障害とか言われている話も全部そこからあってですね。
要するに怒られたくないとかHSPという話もやっぱりここと関係があって、 とにかくこのリビドは悪いと。
なんでだかよくわかんないけど自然ときちんとできませんと。 でもですね、今の世の中で自然ときちんとやるのはかなり難しいと思うんですよ。
時間の使い方も年々せせこましくなってきていますし、
持ち物とかものも年々複雑になってきているんですよ。 私たち小さい頃はUSBケーブルだの、
その形状だの、あんなに細かいものをあらゆる人が当然使い分けられるというような時代では全くなかったんですけど、
いつしかそうなってしまいましたね。 どんな失敗でもなし得る。
しかもマニュアルがそこにきっちりついてくるわけでも必ずしも統一のツールでさえですね、
ちゃんとつながるかどうかわかんないと。 これは失敗し得ることがすごい増えてますよね。
みんなが脅迫的にならざるを得ないところがあると思うんですよ。 こういうところでですね、
自分のだらっと自然にしたいところでするのはダメですっていうことになってしまうと、自然に振る舞えば振る舞うほどダメな人間みたいになってくる。
これ人間社会にはもともとあった問題なんですけど、今は一層ひどくなっていると思うんですね。
それでライフハックというものが多分もてはやされるようになるんですよ。 ここまではしょうがないと思うんです。
ただここから先がおかしいと思うんですね。 もともとこれは何かに対する予防措置みたいなもんじゃないですか。
トイレットトレーニングがきっちりできるということはですね、
それを人生の目標に置くようなものじゃないと思うんですよ。 トイレは朝7時に必ずするとか、その1秒もずれないほど素晴らしいとか、そんなことはないわけじゃないですか。
ところがライフハックって変なもんで、仕事術でも何でもそういうところあるんですけれども、いつしかですね、
このリビドをきちんとコントロールした先には、素晴らしい人生が待っているみたいな、
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物言いが出てくるんですよね。僕これが不思議だと思うんですよ。 そうじゃないはずなんですよ、もともと。
もともとリビドは悪いものですらないはずなんですよ。 いつしかですね、リビドが悪いというのはもう常識みたいになってしまっていて、
自分のリビド、人のリビドもどれもこれもコントロールするということを目指し出すんですよね。
まあ子供のリビドをコントロールするっていうのはライフハック界隈じゃもう、なんか常識みたいに語られるじゃないですか。
ゲームの時間をどうやって制限してるんですかっていう、この制限する方法論になってきてますよね。
制限するというのは常識であって、それをどうやって子供が嫌がらないように制限するのかみたいな。
子供がゲームしたいのはリビドそのものですよね。 私は制限してないんですけれども、
そういうだけでもですね、ここで一つ討論したくならないほど、 何が善で何が悪なのかはみんな常識になっちゃったわけですよ、気がついたら。
制限はすると。例えばそれがiPhoneが1時間経ったら知らせてくれるとか、なんとかかんとか言うわけですよ。
すっごいつまらないと思うんですよね。 みんななんかこう、
なんて言うんですかね、 きちっとこういうふうに育ててさえいればうまくいくというのは嘘だという割にはですね、
やたらとそういうことを細かく細かく操作的にやっていくっていうことが望ましいような雰囲気を持つようになったんですよね。
で、私は出だしのところはやっぱり、 強迫神経症みたいな話だったと思うんですよ。
つまり、リビルをお任せにしていてはダメだよねと。 で、それがですねトイレトレーニングとか
なんだろうなぁ、 ご飯を手で掴んでそれをパンツに突っ込んじゃダメとか、そういうところでは全然許されなくなってきて、
だんだんですね、その
家を出たらすぐにアップルウォッチの運動のやつをスタートさせるとか、 そういうことになってきたと思うんですよ。でもこれをやっていて楽しいのは多分
強迫神経症的な気味のある人だけなんじゃないかなと思うんですね。 これをいくらやっていてもその先に
理想的な人生が待っているってことにはならないと思うんですよ。 これはただ
最初は予防的な措置として、 リビルの赴くままに行くと困ったことになるから、そこへのストップをかけましょうと。
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しかもその時に不愉快な思いをすることが多いから。 多いですよね。
お風呂でトイレしちゃいました。怒られると。 という不愉快な思いを全部避けるっていうことを
かなりのレベルで実行していくというのが多分ライフハックだったし、ライフハック的なツールだったと思うんですね。
私の手元に今ですね、スキャンスナップというのがあるんですけど、これに家に来る神が来れば
野別幕なしにこれに吸わせております。 そうすることによって完全に神を失うということ、
紛失するということ、それによる不愉快な事象に遭遇せずに済むわけですね。 でもこれは予防的な措置であって、
スキャンスナップを使っていれば素晴らしい人生が待っていますということにはならないわけですよね。
もともとそういうために発明されたものでも開発されたものでもないと思うんですよ。
ただ、よく発達障害の本に出てくるんですけど、これも気がついたらですね、
あの住民税の申し込みというのか、住民税の払い込み処理を
なぜか最短期にかけてしまいました。しかもその時はショックを受けたのに結局何の措置も講じず、そのうち忘れていて追徴金を取られましたと。
不愉快ですよね。 リビドウというのはそれ任せにしていると、人間社会の文化的な生活を
つつがなく送るのは難しいので、 そこに何かしらの自然な歯止めがかかるようになっていて、
その自然な歯止めに沿ってある程度生きていけば万全ではないけど大体のシーンでうまくいくというのが
多分基本だったと思うんですね。 多分そこのケアをしてくれてサポートしてくれるのがライフハックだった気がするんだけど、
なんかですね、いつしかライフハック自体に目的が発生してしまって、これをバッチリやることで人生の勝利者になれるみたいな
話がまかり通りだしたんだと思うんですね。 それがナンセンスだとしか思えない。
そういうもんではないだろうという気がするんです。 それよりもリビドウを
罪悪視しないことだと思うんですね。 リビドウが罪悪視されないとですね、当然何らかの形で自然なミスは発生するんですが、
気にしなければいいと思うんですね、これは。 これを気にしなければいいというのは無責任なように聞こえるかもしれないんですけど、
これ多分ですね、気にしても気にしなくてもミス発生率がそんなに変わるとは思えないんですよ、一人の人の中で。
なんならチェックリストとかを使うのはタスクシュートだっていいと思うんですけれども、ありだと思うんです。
ミスを未然に防ぎたいという理由で、ただリビドウが罪悪視をされるとですね、多分
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それで何かがうまくいくこともなければ、 気持ちよく生きることもできないだろうなという感じがどうしてもするんですね。
なぜかというとリビドウが流れることが、つまり生きるってことの楽しさそのものですからね。
言うならば、これは倉園さんのお話でしたけど、
ひたすらサプリを飲むということが、全然こう食べてて楽しいということと絡まないという話ですね。
で、ここのところで
リビドウがですね、 罪悪視されたまま、つまりなるべくリビドウが動かない。
動いてもちょっと動いてすぐ止まるみたいな、そういう使い方、この過度に統制されたというのかな、
そういうリビドウの使われ方だと、一番うまくいかなくなるのはやっぱり人間関係だと思うんですよ。
昨日、今日、一昨日と立て続けにいくつか見たんですけど、
最近あれですね、また緊急事態宣言が云々という話があるので、特にお正月とかその割に結構、
イメージジングマイとか人出てましたけど、まあ家庭で過ごされた方が多いと。
家庭で過ごしていると、全く外にいつもと違って行かないと、
揉め事が増えるという話を聞くんですけれども、このリビドウという奴がですね、
やらかすというのかな、やらかすということを罪悪視してみたところで、
家庭はたぶんですね、円満とかにはならないというのが、私がGood Vibesによって学んだことなんですね。
やらかさないようにする方法論は、私はタスクシュートでいっぱい持ってたわけですけれども、
やらかさないようにすることはできるんですが、極力、たかだか正月3日ぐらいであれば、ダメなんですよ。
なぜならばですね、たぶん最大の理由は、リビドウを罪悪視するということはですね、
これはですね、ちょっと簡単に説明できない。ここのところでさっきからリテイクのハメになっているんだな。
お互いのリビドウを監視し合うような真似をしだすんですよ。
えーとですね、なんかこう、料理とか皿洗い、食器洗いの話とか全部そうなんですけれども、
全部そう思うんですが、リビドウが楽しめる部分はもともとあったんですよ、これ。
子供に楽しみますもんね、料理とか。今でもうちではそれなりに。
これがつまらないものでないといけないと考えるんですよ。
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なぜならばリビドウが働くことが悪いことだから。どんなことでもそうなんですよ。
仕事であっても、でもまあ仕事よりは料理の方がわかりやすいです。
なぜなら料理ってのは火とか水使いますでしょうか。あれがあるから非常にリビドウ的なんですよ。
もともとリビドウって原始的なものなんで、水触ったりして気持ちいいとか思ったりするのは全部リビドウなんで。
だから抑止するということが快感から自分を遠ざけることになるんですけど、
これ、リビドウを抑止することが善だという話にだんだんなってくるとですね、
得をしている人は悪人なんですよ。
楽をしている人とか得をしている人とか、なんだろうな、
よくちょっと前に私もグッドモーニングマイブスで随分話題にしましたが、
ギバーって話が出たじゃないですか。
与える人が与えられるっていう本が出てた時に。
ところがギバーの話が出ると必ず出てくるのがやりがい搾取みたいな話なんですよ。
で、やりがい搾取みたいな話がなぜ出るかというと、それはリビドウが悪だからなんだと思うんですよ。
リビドウというものはつまり、徹底管理されたところでのみ完全に満たされるようなやり方が現代社会では正しいという、
なんか独特の観念があって、あれですよね、
たった一人でバケーションで大金はたいてホテルのスイーツ泊まったら、
そこでリビドウを満喫しましょうみたいな話ですよね。
なんかですね、そんなことをしなくてもリビドウって満たせるんですが、
それは全部悪いことだということになってしまうと、
どうしてもですね、やりがいを発揮して、やりがいを感じながら何かをしているということは、
何かしら悪いことだというか、それは無駄なことをさせられている、
価値の低い人間のやることみたいな、そういうところがあって、
これがですね、料理とかに響くんですよね。
あれは楽しいんで。
だから楽しいということは、楽しんでしまっているということは損をしている、
愚かな人間なんだという感じというものがつきまとうために、
料理をする人は腹が立つし、
料理をしてもらっている人は腹を立てている料理人を恐れなきゃならないっていう、
こういう構図がですね、ずっと起こるんだと思うんですね。
何をしていても、特にリビドーが絡む話になってくると。
割とセックスってそうじゃないですか。
何か罪悪と絡んでいるみたいなところがあるじゃないですか。
どうして絡んでいるのかを人は説明できないのに、
何かそれが罪悪と絡んでいるみたいなところがあるじゃないですか。
私、大学時代に非常に不思議な話を聞いたんですけど、
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友達がですね、昔寝ているとお兄ちゃんに殴られたと言うんですね。
まあ、勝てない暴力ですよね、言ってみれば。
で、言い方が古っていて、
なぜお前は気持ちよさそうに寝てやがるんだと言ってやだら殴ってくるらしいんですよ。
すげえな話と思ったんですけど、
こういう話になるんですよね。
このリビドーは悪であるっていうか、
リビドーが流れているということは全部悪であるっていう。
私はその、これかなって思うように最近になってきました。
何だかよく分かんないんだけど、
何だかよく分かんなくはないですね。
要するに、リビドーをうまくコントロールしている。
あるいは、流せるのは何かの権利を持っている人であるっていうような、
そういう価値観があって、
で、ダスクシュートみたいなもの、
ダスク管理みたいなこと、
スケジュール管理みたいなのは全部そうなんですけれども、
きちんと流している流し方を知っている時にのみ流すことが許されるみたいな。
そうしないとひどい悪いことが起こるっていう、
そういう観念みたいなのがあって、
ベースはトイレとトレーニングだと思うんですけれども、
そういうことなのかなと、
ここのところよくそんな話をもらっては思うわけです。
で、これはどんなものにでも実は通用するんですよね。
トイレなんかにも通用するとは思います。
流石にトイレ行ってて文句言われるってことは、
全くないわけじゃないけど、あんまりないと思うんですけど、
とにかくですね、これをでも振り払うのは比較的簡単で、
認めなきゃいいんですよ。
自分のリミッドが流れていることが悪いことだなんて。
人に対しても一切その種の指摘をしなければですね、
やがてその上でのコンフリクトみたいなものは収まるんですよね。
あの、なんか、何だろうな、
鍵入れっぱなしにしたまま鍵かけてしまって、
開かなくなったみたいなトラブルに巻き込まれると、
喧嘩になるんですよね、よく。
私、アメリカでそういう夫婦喧嘩を目の当たりにしたことがある。
アメリカの夫婦喧嘩ってすごいですよ。
銃で殺し合いかねないレベルに発展します。
ことはたったトランクに入れたまま鍵かけちゃったというだけなんですけどね。
すごいですよ。
これもそうなんですよね。
ミスというのはリミッドの気ままな流れによるものだっていうところがあって、
だから、もっと気をつけなきゃいけないって言うじゃないですか。
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その時に止めるんだと思うんですけどね。
これがとことん行くと、つまりガスコンロの火になるんだと思うんですが、
それってつまり自分の中に悪いものがあるって感じだと思うんですね。
自分の中の悪いものが飛び出してしまうと、そういうことが起きるから、
自分の中の悪いものをちゃんとコントロールしておきなさいと。
で、人にもそれを求めると。
これをお互いに求め合うということをやっていくうちに、
くつろいでいる人を見ると許せなくなるんだと思うんですよ。
だから、くつろいでいる、非常に心配性な人は、
人にくつろいでいる様を見せまいとするじゃないですか。
私はこれがHSPなんじゃないかなと、ずっと思うところがあるんですよ。
人の顔色をうかがうというか、
人がウォッチしてきているのが気になるというのは、そういうことなんじゃないかと。
だから苦しんでいる様を見せればいいって感じを持つじゃないですか。
そういうブログは読んだことがあるんですけど、
いつも苦しそうにしていればいい。
そういうことをやっていると、本当に苦しくなっちゃうんですけれども、
いつも苦しそうにしていると。つまりリミドを流れてませんと。
流れていてもお腹が痛いんですみたいな、そういう顔をしていれば、
人は責めないというわけですよね。
昼寝をしているとお兄ちゃんが殴るならば、
要するにいつも不眠の顔をしていればいいわけですよね。
だんだんそういう何か狂ったことになっていくので、
やめた方がいいと思うんですよ。
そうすると単純にリミドが流れると、そうするとミスは起こるんですけれども、
これを許容するというだけで事足りるならばですね、
そんなめんどくさいことをせずに済むと思うんですよね。
リミドを敵対視するというか、罪悪視するというような。
この話の、だいたいよく言われるのは、
私がタスクシュートを使っているときに言われるのとよく似ていまして、
それではダメなんじゃないか。
つまり、それでは結局お風呂の中でトイレしちゃうんじゃないか、
という話をする人がいらっしゃるんですが、
それはないだろうって私は思うんですね。
私リミドが流れるということに対する罪悪視を日に日に減らしているんですが、
風呂場でトイレしたいとは思わないんですよね。
それはないんじゃないかと私は思うんですけど、
これは実験中といえば実験中です。
例えばお腹壊すまで物を食べるとかしないと思うんですよね。
裸のまま外に出ちゃうとか、この季節は絶対しないですけどね。
しないと思うんですよね、そういうことは。
で、何がこのいちいちリミドにブレーキかけないと怖いのかというと、
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非常に非常に疑わしい話だなと思います。
これはタスクシュートをやっている時にはちょっと違う方面から責められるんですけど、
そうやって依頼中心とか他人のことを優先してやっていると搾取されるんじゃないかと、
やりがい搾取的な話ですよね。
これも気をつけて言いなければいけないという、
ちょっとリミド流れるって話と違うんですけれども、
でも根本的には似ているんですよね。
人と仲良くやって気持ちよく仕事をするっていう話それ自体は、
批判する余地はさほどないじゃないですか。
ただこれを言うと必ず問題になってくるのは、
いやいや君は気持ちよく仕事をしている気になっているかもしれないけど、
それは相手からすればあなたから時間をいっぱい仕事させて、
しかもお金を与えないで済む便利屋だと思われているんだよっていう話なんですけど、
たとえそうであったとしてもですね、
私はそういう感じを認める気にはなれないんですけど、
たとえそうであったとしても、
果たして私がそれで損をしていることになるのかどうかは、
かなり疑わしい気がします。
これは私がどう考えるかによって多分変わってくるような気がするんですよ。
そのことの意味それ自体が。
しかも、それで私が不幸だと感じず、かつ食えていた場合にはですね、
それでもなおそうではない方がいいかどうか、
ギリギリまで時間も温存して、
要求度を上げていった方が私は幸福になれるのかどうか、
ここのところの保障がないのに、
さっきの話と同じようにリビルドを止めるみたいなことをすることには、
そんなに意味がというのかな、
そうすることによる私の取り分みたいなものはそんなに増えるのかなって思います。
今まで私は実際そうやってずっとやってきたわけですからね。
で、悪夢見て病気になってたわけです。
その部分はどう説明されるんだろうっていうのが興味深いところでありますね。
つまり、だらっとリビルドが流れちゃう、
そのことに対するいろんな意味での警戒感があるんだけれども、
多分それはそのこと自体によって得られる、
つまりリビルドが流れること自体によって得られる幸福感みたいなものを
全く度外視して、違う数字だけを用意して
損得というものを計算している気がするんですね。
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料理楽しいっていう人が料理を楽しんでいたら、
どういう損があるのかっていうことでもあります。
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