で、今、3ヶ月コンサル、11月からの第16期を募集中なわけですけれども、
この仕事をやるにあたって、私が考えなきゃならないなと思っているのが、今こう、精神分析というものを、
ビジネスの困難ですかね、ビジネスのトラブルなのかな、に応用すると。
そういえば、それでもどうしてそういう風に考えるようになったのかと、先日のイベントで山崎隆明さんと対談したときのイベントで、
彼が飛躍があるっていう風に、先日じゃなくて前々回のですね、時があったんですよね。
いや、僕もちろん飛躍があるなと思ったんだけど、思い出したんですよ。
間にタスクシュートとかいうか、時間管理仕事術から、私は精神分析に行き着いているのは、
この考え方を取り込まない、取り入れないことには、少なくとも私にはビジネス上の困難は、
その解決というのか、解決へ向けるアプローチが一つも考えつかないと思ったからなんですよ。
タスクシュートを使うっていうのが一つの僕にとって解決案なんですけど、
これはどうしてタスクシュートが有効かの説明もなかなかうまくできてなくて、過去にしていたことに思い至ったんですね。
それは依存症という問題と近いっていうことに思い至ったんですよ。
で、トラウマと依存症なんですよ。ただし、いずれもプチ依存とか言われているものですね。
これに対する対応として、私はこれからタスクシュート協会でやっていこうと、非常にそうしなければいけなかったんだなということに思い至ったわけですが、
タスクシュートを使うことによって、時間に関わる、時間と行動ですね。
ビジネス、特にビジネス上の生活上の時間と行動について、ビジネス上でいいね。
ビジネス上の時間と行動、端的に言って約束を守るとか、約束の時刻を守るって話でしかないんですけど、
この件についての非常に一つ一つはかなりやんわりとした、やんわりとしたと言っても結構厳しいんですけど、
学校とかで受ける心的外傷、非常にマイルドと言っておきますが、マイルドな心的外傷が無数に起こった時に、タスクシュートはそれの一助となるってことなんですよ。
ただその前に、おそらく依存という問題が発生していることが多い。だからこれにも対応しなきゃいけないんだというのをですね、
最近、松本俊彦さんの、これも山崎貴昭さんと松本俊彦さんという依存症の研究というか対応に当たっている精神科医の人がいらっしゃるんですけど、超有名な人ですね。
と、藤山直樹さんが対談しているのを聞いて、もう一方いるんですけど、対談しているのを聞いて、
ああ、そっか、というのを思い出したんですよ。
そうだ、これはタスクシュートで対応しようとしているのは、時間に関するトラウマって今言っておきますが、
なんですが、それに付随して発生しているある種のプチ依存みたいなもの、これに対応することも考えていかなきゃならないと。
この2つにまとめて対応しようと思ったら、精神分析というものが非常に力を持つ。
精神科に行ってもいいのかもしれないけど、はっきり言って誰もこれで精神科に行こうって思う段階にはまだないわけですよ。
だってタスクシュートを使おうとしているわけですからね。
やっぱり精神科に行くっていうのは治療なんですよ。
ここで必要とするのが治療だとは思われてないんですよ。
治療でもいいんだけど、おそらく治療だとは思われないんですよね。
この辺のことを3ヶ月コンサルは対応するべきなんだっていうことを改めて思いに立ったわけですよね。
治療に入るのかどうなのかを、治療に入るという必要があるならば、
それへの説得するということではないんだけど、ある種の説得を含むものであると。
だから治療してもいいのかもなと思ってもらえるところまで来たら、ある意味役割は果たしたと考えてもいいのかもしれないってことですね。
もちろん治療なんかしないよっていうこと。
治療するようなことではないですよっていうことであるならば、
プチ依存的なもの、心的外傷的なものっていうのが、
どういう事態を引き起こしがちなのかというところを確認して、
それへの対策を、この世にはそれへのどういう対策がこれまであったのかと。
松本さんの本訳本なんですけど、
しかもアメリカの漫画、アメリカの漫画って不思議なんですよね。
絵にナレーションが付いてるだけなんですよ、ほとんどの部分。
あれのいっぱいあるんですけど、あれは漫画になってないだろうって言うするに、
なんか登場人物が無言なんですよね。
非常に有名な実験で、
私もすごいアメリカで留学中に勉強して感銘を受けたんですけど、
ネズミの楽園っていう話がありまして、
要するにラットをモルヒネ中毒にするのは、
ゲージに入れて、つまりゲージって毒棒なんですよね。
狭いところに入れてひたすらモルヒネに飲まされていれば、
モルヒネ中毒になっちゃうよねっていう、
そういうやり方おかしいでしょっていうことで、
なるべく自然環境に、しかもかなり好ましい環境に近いところでも、
ネズミにモルヒネ中毒っていうものが依存症のようになるのかというと、
ならないという、この実験は思った以上に知られてないんですけれども、
私は非常に重要な実験だと思うんですよ。
この話がタスクシュートに非常に関係が深いし、
直接そのことを検討に含みつつ、この話をすれば、
多分はるかに有効だろうと。
これでもまだなお難しいっていう方には、
3ヶ月コンサルのようなサービスもあると。
いうならば、そこから先に心理臨床なり精神分析もある、
っていう風に考えていけば、おそらくいいんだろうと思うんですね。
これは今のところまだ全部、
急いで本を読みながら考えているだけのことなんですけれども、
3ヶ月コンサル、要するに精神分析的ビジネスコンサルの位置づけというのは、
精神分析というものの考え方が、
ビジネスにおける心的なトラブルにも対応し得るものであり、
治療という問題、入り口に治療ではないものがある。
つまり、治療だから正規と非正規っていう名称に意味があるわけですよね。
心理臨床だからこそ、正規の心理臨床があるわけです。
だけども、単に相談とかカウンセリングだけであれば、
正規も非正規もないわけですよ。
だってお金の相談するのに、あるいは税の相談するのに、
心理カウンセラーのところに行かないじゃないですか。
つまり相談をするためには、別に正規も非正規もないわけですよね。
相談だったら上司や親や先生にすればいいっていうケースはいっぱいあるわけです。
ただ、このケースにおいては心のメンタル、
心の治療をする必要があるのかどうかを検討するっていうときに、
その前段階というのか、それとは異なる入り口として、
精神分析的ビジネスコンサルというものが位置づけとしてあっていいのかな。
だから入り口が2つあるわけですよね。
最終的にどこに行くかはまだその後決めればいいんだけど、
とりあえず入り口が2つあって、
ビジネスの困りごととして考えるのか、
それとも心理臨床として考えるのかっていう話ですね。
そこは入ってみてからまた改めて考えてもいいと。
体の病気だったら、
でも体の病気でもさっき言ったようにそんなに簡単じゃないんだけど、
体だったら生活習慣を整えるためにフィットネスジムに行くのか、
それともまずはお医者さんに行くのか、
それって判断つきやすいけれども、
でもそれはお医者さんがそこら中にいるから判断しやすいっていう面もあるわけで、
心理臨床の場合はお医者さんがそこら中にはいない感じがするし、
結構今いるんだけど、そこら中にいる感じはしないじゃないですか。
上にあまり多くの人が行っている姿も見なければ、
自分もしょっちゅう行ったとか子供の頃しょっちゅう行ってたということもほとんどないので、
分かんないわけですよね。
だからこれは入り口としてビジネスコンサルとして始める精神分析、
でも心理臨床として始める精神分析でも、
藤山直樹さんなんかは精神分析は果たして心理臨床なのかってしつこく言っているぐらいなので、
必ずしも心理臨床という、
精神分析だからといって治療だとは限らないわけですよね、定義上。
だからここのところで悩むためにというのかな、
ここのところで検討をかけるためにあるものであるというふうに一つ考えているわけです。
で、その時に私はさっきの話に戻るんですけれども、
ここまでが伏線みたいなもんですが、
猛力から逃れるための十五章という、
私はあちらこちらでこの本の紹介をしているんだけど、
この本って、言うならセコムに応用した精神分析なんですよ。
っていうか違うな、精神分析を応用しているセコムの話をしてるんですよ。
あの、このギャビン・ニベッカーという人は非常に面白い人で、
あの時代のアメリカではわりと当たり前だったのかもしれないけど、
ある種の考え、そういう考え方って、
フロイトを相当引用してくるんですよね。
で、暴力の予測という問題について、あれ読むとですね、
暴力に恐れているいろいろな依頼人って言うんですけど、
まあアメリカの話なんでね、重社会ですから。
しかもストーカーめちゃくちゃ多いんで、
日本の日じゃないんで、日本の夕に10倍とか、
インポは100倍とか普通に起こるんで、
みんなが暴力予測をしたいのは当然なんだけど、
その暴力予測と言ってみれば、危害から身を守るために、
精神分析の考え方を大いに引用してるんですよ。
私はあの本読んでたから、今のような発想が出たんだなっていうことを、
最近読み直してみて気がついたんですね。
暴力から逃れるための15章か。
あの本を読んでなければ、たぶん3ヶ月チャレンジを発足するのは、
まだだいぶ遅れていたに違いないと思えるぐらい、
あれはやっぱり、全然直接応挙しようはないんですけど、
例えばデートレープに合わないためにどうすればいいかみたいなことを、
精神分析の考え方から引用してるけど、
それ自体は別に私の仕事に直接何の関係もないようなんですが、
心理臨床でないところに精神分析を用いることができるという、
たぶん彼のやってることに嘘はないと思うんですよね。
今やってるのか知りませんが、大統領の敬語みたいなのも、
受け負ってるような会社の、要するにCEOみたいな人なんですよ。
それにあれほど精神分析の発想を生かしてるということは、
ビジネスに精神分析の発想を生かすということがあっても、
少しもおかしくはないでしょうと。
対照関係論的ではないけれども、
フロイトであることは確実だし、
フロイトをめちゃくちゃ引用してる、
まあめちゃくちゃ引用してないか、
随所にフロイトを引用してるし、
ギャビニ・ベッカーさんの依頼人とのやり取りっていうのも、
非常に精神分析的なんですよ。
少なくとも心理認証的なんですよね。
例えば、最近付き合ってる男の人がいるんだけど、
男の…あ、違う違う。
ある依頼人がですね、
男の人が危険な行動を取るようになるのを予測する方法ってありますか?
っていう質問をされた時、
そのベッカーが、
どうしてそういう質問をしたくなったんですか?
って聞くんですよ。
これは非常にカウンセリング的だし、
普通の相談でもそういう聞き方するのかもしれないですけども、
その後の展開もかなり精神分析的なんですよね。
実は最近付き合い始めた男がいてっていう話が始まって、
その男の話をしていると、
この男が危険であるかの予兆は全部揃ってるっていう言い方になるわけですよ。
この発想ってのはやっぱり、
しかもそこにあるのは非常に生育歴的なものもあれば、
なんていうんですかね、直感的な話をしているんですね。
この直感ってのがミソで、
みんな言うんだって言うんですよね。
襲われてみて、被害に遭ってみると、
後から振り返ってみると、いろいろ予兆はあったと言うんだと。
でもその時には気づけないんだと。
これ事後性の話してますよね。
だけどベッカーはそれに強く意を唱えるわけですよ。
後で気づけるんだったら、その時に気づいていたんだと。
で、それはしかも気づけないような無意識ではなくて、
かなりあからさまな兆候として出てるんだと。
でも私ね、そうは思えないんですよね。
読めば読むほど。
これをその場で気づくのは難しいって思うんです。
でもベッカーは暴力予測をお仕事にしてるからなんですけど、
その場で気づくのが難しくしている構成要素みたいなものがあり、
その構成要素をほとんど取り除いてみれば、
やっぱりあからさまな予兆はある。
つまり彼はよく書くのはですね、
無意識じゃないんだっていうわけですよ。
気づいてるんだと。
だけどこれが難しいところですよね。
抑圧しているとは彼は書かないですけれども、さすがに。
でも否認に近い話、というかほぼ否認ですね。
否認や抑圧はしょっちゅう出てくる。
で、否認や抑圧をしているうちに、
撃たれて殺されちゃったり、レイプされちゃったりするっていう話をしてるわけですね。
で、それを見抜くために必要なのが直感力なんだっていうのが、
彼が盛んにこう書いてることで、
ものすごく精神分析的ではないと思う方もいらっしゃる。
まあ流派によるから。
でも私にあれはやっぱり非常に精神分析的だなっていう感じがします。
で、さっきも言いましたけど、僕はセコムに働くじゃないんで。
精神分析をセコムに生かす方法を読むことが直接の役には立たないのですが、
間接的にはすごく役に立って、
精神分析を何か、精神分析外のものに応用するっていうのは、
そもそもあまり分析家は好みもしないし、
そのことがいいことだよとは書かないんですけど、
先生松木邦路さんがね、
奥様の言ってることを精神分析的に自分は読んでるよって言ってる。
読んでるけど解釈はしないし、何も言わないけど読んではいるんだ。
私はこれは応用だと思うんですよね。
やっぱりね、夫婦関係に精神分析を応用するっていうのは、
非常にありだと私は思っています。
少なくともうちの夫婦関係は、
それで私はすこぶる良くなった気がするんですよ。
別にそれこそ解釈するはずはないし、何も言いませんけど、
話聞いていて、
これは私のことじゃないな、
私にどんなに怒っているようでも、
私に言ってないなっていう風になれば、
少なくとも対応は相当落ち着いてやってられると。
前は私に言われてたと、
それは極めて理にかなってますけど、
私に言っているから。
でも私に言われているからと思っていると、
予通になったりするわけですよ。
それが、だから、
久しぶりに私のかかりつけの先生に見てもらった時、
佐々木さんがここまで本格的になったのは、
6年ぶりですね、みたいなことを言われて、
やっぱりこの人はそういうことを知っているんだなと思ったんですけど、
6年ぶり。
6年前といえば、2020年。
コロナね、っていう。
まだあそこに通うことができたコロナの頃だったわけですね。
さもありなんて感じがするんですよね。
コロナになって家から出られなくなると、
夫婦関係が絶望的なことになったりしたわけですよね。
一時的にだけど。
そのことと、やっぱり私の予通は関係があるんだなと。
今私が言っていることは、
なぜ予通なのかってことなんですが、
ベッカーは予兆が必ずあるんだっていう風に言っているわけですよ。
で、私が精神分析で、
これはもう古典ですけど、
理解するようになったのは、
心の問題にすれば、
対応は可能になっていくっていうことなんですよね。
難しいかもしれないけど。
心の外にあるものには、我々は手が出せない。
特に私のような仕事は、
誰かを直接支援ってできないんで、
例えば一番わかりやすいところで貧乏ですっていう人に、
じゃあお金を融通しましょう。
これは金融ですよね。
これはできないわけですよ。
だから現実には手を出せない。
で、現実ともう一つ手が出せないものがありまして、
それが無意識なんですよ。
なぜなら、無意識というのは意識されてないことだから、
言葉を厳密に扱うならば、
見えないこと、見えないことは存在しないことですから、
存在しないことに対しては手は出せない。
この無意識と現実という二つの問題、
この問題たちがβ要素なんですよ。
こいつを心に無理やりでも何とかしてでも、
引っ張り込むことができれば、
我々はおそらく対処できる。
なぜならば、心にあるものというものは、
意識されている上に、
だからこれをユングは意識化と呼ぶんですよね。
意識されているし、
自分の心にある以上は、
自分の心の中で意識できていることであれば、
それは現実ではないのだから、
私たちの外にあるわけじゃないの。
他者性という言葉は、
つまり私たちの手が出せないことなわけですよね。
例えば、どんなにそれが悪いことだというふうに思っていても、
どんなにそれは何とかするべきだと信じていたとしても、
例えばプーチン大統領に戦争やめさせるってできないじゃないですか。
これが現実なんですよね。
現実は外にあるので、
その他者性なので、
他者というのは自分じゃないってことなので、
私のコントロールが決して及ばない部分があるのが、
他者なんですよ。
よく言うところの、他人の考えを変えられないとか、
他人の行動は変えられないといったのも同じ話なんですよ。
でも、他人の行動は変えられず、
他人の考え方は変えられなくとも、
そこからこむる害のうちの、
特に自分の心で対応できる問題は、
対応しようと思えばできるのではないだろうか、
って考えているのが心理臨床ですよね。
ここでベッカーがもう一回出てくるんですけど、
ベッカーはそのことをすごく言うんですよ。
例えば脅迫を受けたとして、
脅迫のどの部分が怖いのかと。
で、その怖さっていうものには対応できるはずだと。
まず、どうしてかっていうと、
怖さっていうのは自分の心にあるものであって、
怖さそのものがあなたに危害を加えるわけではないでしょうと。
この辺の展開もすごく精神分析的だというか、
心理臨床的だというか、
ある意味よくできた認知良法的ですよね。
認知行動良法ではなくて。
非常に物の考え方に沿っていくっていう考え方をまず取るんですよね。
だって、銃撃されるかもしれないって話をしているのに、
まずあなたの恐怖というものに対応しましょうと。
しかもその恐怖が起きている病院について考えましょうと。
で、リアルにあった依頼だったんですけども、
ある人が、家で女の人が一人暮らししていて、
アメリカですからね。
脅迫電話がかかってきて怖いと。
それは怖いですよね。
お前ん家は人里離れたところに住んでいるけど、
そんなところに女が一人で住んでいると、
気をつけろって言って電話切れると。
まあ怖いですよね。しかも夜中にかかってくると。
で、さっさと引っ越した方がいいぜとか言ってくると。
毎日のように。
で、考えてみると一週間くらい前に、
なんだか家の周りをうらうらしている車があったと。
なんか最近のあのね、
強盗の話もそういう話あるんだけど、
とんでもねえなと思うんですけどね。
まあ車がつけていたと。
で、その車の中が見えないように窓ガラスが黒く塗ってあるようなやつですよね。
っていう車がいて、
まあそういうのもあって怖いと。
けどベッカーが言うんですよね。
その話の中で、
何が一番怖いのかと。
いや、そりゃ見ず知らずの人間が
危害を加えてくるかもしれないというのが怖いと。
でも犯人は、
あなたに引っ越せと言ったと。
本当にあなたに危害を加えたいならば、
用心しろだの、引っ越せだのと言う必要はないはずだと。
危害を加えたいんだったら、
引っ越してしまったら、
むしろ危害を加える上では、
面倒なことになると。
犯人が本当にしたいことは何だと思う?
っていうふうに聞くんですよ。
これは認知療法的だなとも思う。
まあ認知療法じゃないですけどね、もちろんね。
セコムですけど。
でもこれは非常にやっぱり認証的なところを感じるわけですよ。
だから認証の応用だと思うんですよ。
で、
引っ越せということは、
つまり私の家が欲しいのかと。
そういえば、
2、3日前にリチャードさんという人が、
すごく親切でいい人なんで、
その人に私は家を売ることにしたんだ、
っていう話になってくるわけですよね。
こんなにあからさまな話でも、
やっぱり依頼に来るんだなっていう、
セコムみたいなところにって思うんですけど、
要するにリチャード・バンザーというふうに、
この中ではなってる名前の人が、
その家欲しかったから、
昼はその家褒めるいいおじさんとして登場して、
夜は脅迫電話かけて引っ越せと言って、
家をまんまと安く手に入れたって話なんでしょうけれども、
こういうことって結局、
何が一番問題になるかというとですね、
その人の心の中に肥大する恐怖心が、
その人の思考能力をうんと下げるわけですよね。
フロイト的に言うと対抗ですよね。
十分ものを考えられる大人の発想ですよね。
家が欲しいから脅迫して家を手に入れようという、
幼稚な発想だと思うが、
それにしてもとにかく大人の発想ですね。
子供の発想ではないですよね。
子供は脅されて、ただびっくりして恐れて逃げていく。
つまり引っ越すってことになっちゃったわけですけれども、
その話をしているわけですよ。
で、この問題は現実というものに対応できずとも、
無意識というものにはまして対応できずとも、
恐怖心というものを心の中に引っ張り込んで、
心の中において恐怖と対峙していれば、
恐怖には非常につらいかもしれないし、
恐ろしいかもしれないけど、
恐怖には対応できるはずだと。
ここをメッカは繰り返しまず言うわけですよ。
その恐怖を過剰に肥大化させちゃいけないと。
だからこの恐怖が本来あるべきサイズに収まれば、
頭と直感力が働き始める。
そうすると何が起こっているのかが、
もっと遥かに見えやすくなるというお話をしているわけですね。
で、必ずこれも繰り返し言うんだけど、
あなたに危害を加えることが相手の目的なのか、
そうじゃなくて危害を加えるぞと脅すことによって、
何か違うことを目指しているのかをはっきりさせようと。
で、直接危害を加えることそのものを目的にしている人は、
例えば危害を加えることについて条件をつけたりはしないものだって、
これは非常に私は心理臨床で繰り返し出てくる話だなと思うんですよね。
私は別にせこむに興味ないんで。
例えばだから一番私の頭に残っているのは、
首にしたら殺すからなっていうセリフなんですよ。
これは首になりたくないと言ってるんだって、
殺したいとは全く言ってないんだ。
首にしたら殺すからなって言われるとギョッとして、
それはギョッとしますよね。
だからといって人事の人がそこまで言うんだら解雇はやめますとか、
そういうわけにいかないじゃないですか。
だけれども、首にしたら殺すからなっていう人はとんでもないけれども、
しかしその人に対してやるべきことは、
解雇を云々することよりもまず、
自分が恐れなくなることってことなんですよね。
別に殺したいわけじゃないんだから、
そこまで怖いですけど当然。
でもそれを心の中に置けば、
無意識の恐怖とかにせずに、
あるいはその人の考えを改めさせようと。
首にしたら殺すからななんて言わない人になりなさいみたいに。
割と我々はでもそうなっちゃうんですよ。
相手の人格を変えようとするみたいなことを目指してしまう。
でもそういうことをまずする前に、
相手が何を言わんとしているのかを、
これは簡単ではないんですけど、
この時にですね、
首にしたら殺すからなと言っている人が我々は恐ろしくもなるし、
腹立たしくもなるし、憎らしくもなるじゃないですか。
つまり問題を現実の側に置いてしまいますよね。
そいつが問題なんだが、
でもそいつを問題にしている間は、
かなり対応が難しいわけですよ。
そんな人の言動を改めさせるとか、
かなり困難じゃないですか。
だけどその人に対する浮き通りとか恐怖心、
特に中核にあるのは恐怖心なんですが、
恐怖心というものを本来やるべきサイズに戻すことができれば、
ここはできるわけですよね。
やろうと思えば。
ここが簡単にやろうと思ってできないんですけれども、
でも一旦切り離して少なくとも、
現実の側で言われていることは、
要は首に鎧骨打ちされた人が、
あるいは鎧骨打ちされそうな人が、
首になりたくないと言っている。
で、自分はそれを、
特殊な、ある歪んだ言い方をされたから恐ろしくなってる。
で、この恐ろしさのことを、ところを意識化して、
心の中に置いて、
恐ろしいというのは心の中にあるものですから、
全部を相手の人格の上に投影しちゃって、
恐ろしいというのを変換して、
腹立たしい人っていうところに変換した上で、
首にしたら殺すからなって言ってる相手の、
人格の問題にしてしまうと、
その人の人格を変えることが、
問題解決になってしまうわけですよ。