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悩みはみんな違う【1406】
2026-10-14 52:20

悩みはみんな違う【1406】

いっせいに伝えられる客観的に「良いこと」はありえない。
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サマリー

佐々木正悟は、心理カウンセリングと仕事術・ライフハックの接点について、短期のコンサルや一般化された方法だけでは一人ひとりの悩みを扱いきれないと語る。梅棹忠夫や手帳術、IT活用、習慣化、自己分析の流れを振り返り、ライフハックが金銭的成功や「なりたい自分」を目指すものへ変化したことで、挫折や自己否定が持ち込まれたと説明する。計画した理想の習慣を現実の自分に押しつけると心が弱るとして、タスクシュートによる記録を通じて、計画よりも現実を否認しないことの重要性を述べる。最後に、同じ「お金がない」「借金がある」といった状況でも心的現実は人によって異なり、客観的に一斉に伝えられる唯一の正解はないと結論づける。

心理カウンセリングと仕事術の接点
おはようございます。 佐々木正悟の自由連想第1406回をお送りします。
10月14日水曜日7時49分です。 なんか久しぶりになってしまったんですけど、先週ですね、奈良に家族旅行行ったりしてたんですよ。
それで久しぶりになっちゃったっていうのが主な理由で、 平日、日間ならいいかなと思っておりますんで、休日は基本的にお休みさせていただくことにして、
しかも平日たまたま学校休みだったんで、家族旅行行ったって感じだったんで、
結局それで1週間まるまる休むに近い形になったんですね。 だからまあしょうがないかなみたいな感じで、今週になりました。
引き続き3ヶ月コンサルですね、第16期の募集中です。
1回だけ7000円でやっていただいて様子を見るというのが一番いいかなと思うんで、最近はもうそういう応募の仕方にしていこうかなというふうに思いました。
1回を4回にしていただいたり5回にしていただいたりして、5回で気に入っていただいたら3ヶ月みたいな感じにしていただくといいかなという感じですね。
でこの3ヶ月だの5回なのははっきり言っちゃうとめちゃ短いんですよ。
週1回ずつ5回とか3ヶ月ってどんだけ短いのかってことを最近ものすごく理解するようになったんですけど、
まあでもそれは僕の感覚が半ば麻痺してきてるんで、世の中的には多分今は各週でしかも1ヶ月ぐらいで終わるんで、
各週で1ヶ月って2回じゃんって感じなんだけど、ブリーフセラピーっていうものが世の中にあるんですよね。
ブリーフセラピーってすごくて、この3ヶ月コンサルより短いんですよ。考えてみると。10回以下、未満じゃないとダメなのかな。
だからそれはもうすごいんですよ。それで成果が出るんなら精神分析は絶滅するだろうなって思うぐらいすごいと思うんですよね。
ということは、うまくいくことはきっとあると思うんですけど、うまくいくというものの定義をやっぱり変えていくことになるんだろうなって感じがします。
で、今16期の募集中で、これもよく思うことなんですけど、世の中では正規非正規論争みたいなのが割と世の中じゃない、インターネットではよく起きるんですよね。
でもあれは、私が思うに、ネットの世界ではなぜかああいうものが露骨に出がちなんだけど、別に実はそういう論争に、ネット上では興味持つんですよ。
これもまた不思議なんですけど、ネット上でああいうのを読むんですね。
読むって言っても、くまなく読んでるわけじゃなくて、流し読みしてるだけですけどね、ネットで。僕まだインスタペーパーとかって使って読んでるんですよ。
で、もうサンアイツコンサルやる上で、それを考えたこと一回もないなって感じがする。
私は心理カウンセリングとか名乗る必要性を今や全く感じていないので、なぜならば、それって結局ビジネスでは名前に意味があるからですよね。
名称独占とかって言ってるけど、まだできてないんだけど、心理カウンセリングって言ったことって一回もないけど、言えば人が増えるって感じすら全く持ってないんですよ。
僕がって意味ですよ、これは。
僕が全く知られていない人間で、本も書いてなかったら心理カウンセラーっていうのと言わないのとでは多分違うと思うんですよ。
ここに名称の意味があるんでしょうけど、私の場合はないんですよ。
多分私が心理カウンセリングもやってますとかいうような詐称だけど、言ってみたところで、お客様が一人増えるか増えないかぐらいな感じだろうなと。
それ意味全くないなって感じがするんですよね。
それだったら別に言う必要ってないんですよね。
そうなってくると、ああいう記事を読む面白さっていうのは単に面白いから読んでるだけなんだろうなって感じもするんですよ。
こういうと怒られるのかもしれないけど、別にそんなことはないと思うんですよね。
どっちでもいいことだと僕は思ってるだけなんで、原理どっちでもいいことなんで、名称独占になろうがなるまいが私には関係ないことになっちゃってるし、
こういうとなんかね、正規に対して何か物申したいみたいな感じに聞こえるかもしれないけど、物申したいって気持ちはありますが、それはノラカウンセラーやってるからではないんですよ。
物申したいのは、いやいや、やってくれないと困ることをやってくれてない気がするからなのであって、
例えば私の家族問題とかね、ここに心理カウンセリングが絡んでさえ来てないのは何なのって感じは、そういう意味では物申したいんだけど、それは名称独占とは何の関係もないんですよね。
現に行こうと思えば行けるはずだし、通おうと思えば通えるんだけど、ただ向こうからは絶対来てくれないこの姿勢は困るよなっていう、だからなんていうのかな、
3ヶ月コンサルと心理カウンセリングはどっかでぶつかってるのかもしれないけど、それはまだまだ取り切れてないパイをお互い取り切れてない状態だから、無労者なんだと僕は思うんですね。
ところがレッドオーシャンに本来なるべき、向こうから行けばいいのにな、ところに心理臨床は入れてないんですよ。
そこにはPWSだったっけ、PSWだっけ、わかんなくなっちゃってるけど、そういう福祉士の人たちはごっそり入ってきてるんですよ。
今度入り込みすぎていて機能が薄れている感じがして仕方がない、これをたらい回しって言うんでしょうけどね。
そこに入ってこないんですよね。でも一番足りてないのは僕の感じでは受ける印象としてはそっちなんです。
だから僕はユーザーとしては言いたいことがあるけど、別にサービス提供者側として同業他社的な世界としては別に言うことは何もないんですよね、何も全くないですって感じなんですよね。
むしろ心理臨床という名称をなんとかして、心理カウンセリングっていう言葉をもっと強く出して、もっとビジネスに、僕がすごく推してるとか大好きというわけでは別にないんですが、
中島美鈴さんみたいな活動をする人がもっと本格的な意味で増えてほしいという、あれはある種のタレントだから、本人の何かのビジネスセンスみたいなものにかかっちゃっていて、
ああいう人が自動的に増えてくることは期待できないんですよね。戸瀬海人さんもそうですよね。ああいう人っていうのは彼でしかできないことをやってるんですよ、ある意味。そうじゃないように見えるんだけどそうなんですよね。キャラクターも含めてだと思うんですよ。
昔でいうと茅山梨花さんがまさにそれの大物感があったんですけど、今はなくなってるわけじゃないんですけどね。
だけどあれもやっぱり精神界茅山梨花ってもうアイコンがそうなっちゃってるじゃないですか。精神界が同じようなことをしようとしてもそうはいかないはずなんですよね。
あれはある種の世界、どの世界でも可能なことなんですよ。一人か二人なら。異常に将棋が強い人とか、我々結局将棋のこと何も知らなくても藤井壮太は知ってるみたいな、そういう話ですよね。
でもそれは秘不民とかね。秘不民とかはめっちゃ強いんだけど、将棋強いことにみんな興味持ってないじゃないですか。彼より強い人はいっぱいいるけど、彼の名前を知ってる人の方が多いぐらいですもんね。
なんだけどそういうのって難しいんですけれども、でもやっぱり、だからそういうのは難しいからそっちじゃダメだと思うんですよ。
ビジネスのこの世界は、僕は心理カウンセリングは同業他社になるはずだと思うんで、これはやっぱりなってほしいよなっていう話を今後もしばらくはしていって、多分無駄なんだっていうことを、それこそあれですね。
もう4回やらせて、4回は最低やってるな。もっとやってるかな。山崎孝明さんとのイベントで喋る度に無駄なんだな、俺のこの考え方はということはわかるんだけど、模索はしていこうと。
だから無駄なやり方は避けなければいけないけど、模索はしていかないとなっていう感じが、もっと本格的な、一時的にそういうの出てくるんですけど、何かね、いずれそうではなくなっていくんですよね。この辺が難しいなと思うんですよ。
だから僕は逆側からやってるんだけど、逆側からやると何かね、何ていうのかな、要するに野良みたいな言われ方になるんですよ。
これはこれで僕はいいんだけど、これは嫌だって人はもちろんいっぱいいると思うんですよね。そういう言われ方はしたくないと。
そうすると、ビジネスの、ビジネス書の世界と、そう言っておきますけど、ビジネス書の世界と心理カウンセリングの世界が離れていき、やがてはビジネススキルと心理臨床になって、何の関係もないように見えてしまうという。
ここが被ってくれば来るほど良いとは言いませんが、被ってきた方が健全というか有益なことが起こり得ると。有害なことも起こり得ると思うんだけど、しょうがないだろそれはと、ご自由になった僕は思うんですね。
ライフハック史と学者ごっこ
先日あのあれなんですが本題に入りかけてますけども、あの先日まさに昨日おとといとかか、あのアーカイブで精子分析は楽しいの座談会を見たんですね。
ちょっと名前忘れて申し訳ないんですけど山崎孝明さんが司会やってて、歴史学、元歴史学者の人。これを元って何で今強調したかっていうのは見てください。
あのまだ見られるのか?見られると思うんだけどね。あと藤山直樹さんですね。これ山崎さんの指導教官で精神分析、本格的な精神分析かということで来てました。
あと松本俊彦さんっていう、あれは依存症の治療にあたっている、それこそアイコンになっている、あのすごい人です。
なんか200万再生とかyoutubeで言っちゃうみたいなこと言ってたんで、200万再生って別に精神科医やらなくても良くないって感じがするぐらいの数ですよね。
依存症で有名な人、依存症治すの有名な人ね。これは面白かったです。すごく。僕が考えていることが精神科と特に依存症関係と精神分析の世界でもうオーバーラップしてるんですけどね。
そういうことの僕はまた違う、ある種マイルドなところに仕事術と心理カウンセリングっていうのがあるはずだって思ってるわけですよ。
あるはずなんですよ。絶対。岡謙一郎さんかなと言った、岡田?いやちょっと正確な名前じゃないのを引用するのはあれなんですけど、繰り返し出されている本とか中島美鈴さんですよね。
もうまさにこの世界なんですよね。この世界に禁止してきているんだけど、いかんで数が少なくて、みんなタレントアイコンみたいになっている。
戸畑海人さんもそうなんですけど、どうしてもそうなるしかないんですよね。最初はね。これが何かこうある意味ではそこまで有名でなくてもできるって形になってくると、
まあ良くも悪くもあるんでしょうけど、僕はなってほしいと思う。良くも悪くもなっていいからなってほしいと思うんですよね。
今度そういうイベントで行けばいいのかな。でもなんかこれって結論がね面白くないんですよね。
そうなってほしいとかそうなってほしくないとかいう結論でしかなくないような気がして、しかもそうなるかどうかはまた別の問題みたいな話になっちゃうんですよ。
でもここにはですね、僕が長らくやっぱり意識してきたものがありまして、だから今日はその話をしようと頭が向かっちゃってるんで、
そういう話じゃない話を聞きたいという人には悪いんだけど、こういうこと考えなきゃいいんだけどね。
要するにライフハックヒストリーみたいになっていくわけですよ。
ライフハックヒストリーっていうのは僕はやっぱり梅澤忠夫さんを起点とするべきだと思ってるんですよ。
あの人は本当に先見の目というか先を言ってる人でまさにライフハッカーだった学者さんなんですよね。
ローマ字とか若字書きとかも明らかに時代の先取りをしていて、AI時代になってあのローマ字若字書きっていうのは完全に戻ってきてるなって感じがするんだけど、
ちなみに私やりませんけどAIにあのローマ字若字書きで詞地出すって言うのはいいですよあれは。
ただし自分の後から読むのがすげーめんどくさくなるということを除けばいいと思います。
それも和訳してもらえばいいんですよAIにね。
まあでもな音声入力が今あるからなぁ。
梅澤忠夫さんの時代音声入力は見るべきものが全くなかったからね。
でも確か言及はされてますけどね。
でもテープレコーダーとかになっちゃうんでそれ最悪じゃないですか。
テープレコーダーって絶対検索も効かないし、文字起こしも当時はもう人権費とかかってバカみたいだったし、
学者さんならいいかもしれないけど、
でライハッカーは学者さんごっこだったわけですよ。
それに鮮明につけたのが野口優強さんなんですよね。
調整理法ですよね。
あの人調整理手帳とかのデザインコーディネートとかしてるのでまさにその先駆けの人ですよね。
梅澤忠夫さんよりはだいぶ世代も後ですからね。
2000年とか今でもご存命でまだ活躍中で、あの人体強いなっての。
体強いっていうのがね意外とね侮れないんですよね。
でその結局学者ごっこなわけですよ。
僕とかそう言われると腹を立てる人もいるんでしょうけど僕はよくわかんない。
あのノートとか論文とか学者に慣れてもいないのになんかね客注とか偉そうにつけたくなっていて、
あの客注とかつけちゃうわけですよ。
あのハテナブログにも客注とかつけてたじゃないですか。
かっこ一位とか言ってね。
あれは論文の書き方を要するに別に形式真似るのを厳密にやれる人なら学者よりも厳密にやりそうな人なんて世の中にいっぱいいるわけですよ。
ある種脅迫的なものを感じますけどそういう風にすれば学者っぽい論文をフィールドワークっぽいメモを集めて
なんならこう茶読なんてねリアルにされたら絶対だと思うんだけど
なんかこうごっこ遊びしてる時はやってもらいたくなっちゃうぐらいな勢いがあると思うんですよね。
完全にそれはライフハックの世界と被ると思うんですよね。
ただ大きな違いなんですよ。
学者はそれでまあたとえ発球であろうとなんであろうと食えるけどでも実際はそういうほど発球じゃないしね。
でもノートジュースで遊んでる人たちはそれはただの商品になってるから他で金稼いでくるかそもそも資産家の息子とかでないとダメなわけですよ。
で両方いますよね。
あの親すっげー金稼いでるから子供はライフハックで学者ごっこしているけれども実は大学院に入れない学力だけどokみたいなそういう生き方ができる人と
あとは結構本格的にバリバリ会社で働いて稼いでるんだけどでも私はそういう人たちはすごい健全に見えるんだけど要するに手帳オタクなわけですね。
手帳ガジェットオタクみたいなこれは僕はすごい良い生き方だなと思うんですけどね。
いや別に僕はそんな良いんですっていう感じで仕事バリバリ大真面目にやって仕事にはちょっと生かしてるだけのライフハックだけど
特にこういうライフハックのこういう方々がど真ん中に入ってくるようなライフハック会だとある意味一番健全なんだろうなって感じがするんですよ。
残念ながらそうはならないんですけど結果としてはね。
そうすると地味な活動になる。僕はそれで全然いいと思うし一番いいんじゃないかと思うんだけどそうはならないんですよね。
なぜならこれは儲からないから絶対にこのやり方だとでどうしてもこれが不健全だと思う人もいるわけですよ二通りの可能性があります。
一つはこれ仕事に行きないんだったらダメでしょっていうでもこれは僕はね世の中には押し勝つもあれば仕留めもあるんですよ。
なんなら始終が楽しいって人もいて始終は別にあの家の子の生徒は作れるからお金の差しになるのよってしなくていいと思うんですよ。
それでもそうするのがいいって人はそうすればいいんだろうけれども別にそうしなくたっていいはずなんですよね。
でまあとりあえずそうはならないからえっと手帳オタクの会みたいなのは世の中にいっぱいあるんですけれども
僕もそういうのにバリバリ顔を出してたわけですけれどもやがてそれはあの一つには仕事に本当に活かそうとこれがIT革命になるものが2000年頃に言われたIT革命になるものが起きたために実際可能になったわけですよね。
システム手帳を書くというよりも実際にパソコンをどう使うかっていう話が仕事術に直結するようになったんでこれで一つのビジネスの型ができたら僕がそこに乗っかったわけですよ。
仕事も別に会社で勤めてるわけでも仕事がサポートできるわけでもないにもかかわらずこれを言ったら本が書けちゃうっていう人になるっていう不思議な現象が起きるわけでまあこういうことはいくらでも起きるんですけどね。
でもう一つがいやもうそういうこと自体じゃなくてここで金を儲ける方法をつかもうという考え方これが最初期の勝野和夫さんがこれに彼女がそう考えてたかどうかは知りませんよ。
彼女がそう考えてからどうかは別としてこれに火をつけることができたんですね。これで金儲けを実際にやろうと例えば投資をするとかあの一発当たりそうな実業家になるとかいうだからこの企業アイディアを出すとかフィールドワークつまり
梅澤忠夫さんが兄弟式ノートに100枚とか1万枚とか買っちゃうわけですよ。そんなことしなくったってポメラとかだったら何枚も何枚もパソコンでも何枚も何枚もテキスト出してそれを検索もかけられるからもう分かち書きとかも全然いらないわけですよね。
でも梅澤忠夫さんの考え方がいまだにそれをメモにしてオブシディアンにしてAIに読ませてみたいなことやってんで、彼は相当先行ってますよね。1960年代になったことを考えるともうなんだかんだ5、60年先を行ってるって感じなんですよ。
まあでもフロイト100年先行ってるみたいなこと言われるんでやっぱりものすごく頭の良い人がマニアックにそればっかり考えてると先行けるんだなって感じもします。普通そんなこと考えないで生きてますからね。
あの無意識とはみたいなことばっかりあの人考えてたわけじゃないですか。四六時中ずーっと考えてたわけですよね。何年も何年も。それ先行きますよね。
普通の人はご飯食べてる最中に無意識のことを考えないですからね。梅澤忠夫さんはそれをフィールドワークとかについて考えてたわけだから、まあKJ法の人もそうですけどね。
でこのKJ法とかそういう書きつけたものを企業アイディアにするとかそのアイディアの中で良さそうなものを自分の習慣として取り、そういうことをやればヒットする人は絶対出てくるわけですよね。
これで金が儲けられると年収が10倍にアップするとなんならもしかすると100倍ぐらいになるかもしれないっていうことでワッとなったんですよ。
それは絶対にあの来年買うシステム手帳何がいいっていう話よりもこっちの方があのギラギラしていきますよね。
でギラギラした世界になったわけですよ。水の歌詞みたいに。でこのギラギラした世界になったあたりから文化が分裂ね。やっぱり起きてくるわけですよ。
いやそんなにギラギラしている世界に来たつもりないんだけどって僕もまさにそうなわけですよね。
いやこれで金儲けしようと思ってなかったわっていう。仕事が早くなればいいと思ってたわと。でも仕事が早くなることで収入増えるっていう考え方もあるわけじゃないですか。
仕事が早くなれることによって僕なんかが言った怒られないっていうのが出てきた。
ここが面白いことにですね。またしてもこのかつまさんだけでは決してないんですけど、すいませんちょっと水飲みます。
かつまさんだけでは決してないんだけど、やっぱりかつまさんが再登場してくるわけですね。
お金の話じゃなかったのって感じなんだけど、彼女の本っていろいろ追ってみると、かつまかやま論争みたいなのもありましたけど、
彼女の考え方ってよく読んでいくと、この僕らの考え方に近づいてくるんですよ。
つまり仕事がうまくできるようになる、早くできる、効率アップって彼女はいまだにYouTubeでも言ってますけど、
してどうするんだっていうのに対する答えを用意するんですよね。
してどうするんだが一つの答えがお金儲けだったんですけれども、別にしてどうするもこうするもなかったわけですよ、出だしは。
学者さんごっこやってるだけだから、別にそもそも効率アップですらなかったわけですよ。
何か書きつけて格好良く論文とかができたらそれでよかったわけですよね。
で、当然学者さんになるので苦労されていたり、論文書くので苦労されている方もここに入っていらっしゃいますから人によっては。
堀正竹さんが知的生産のための学者のためのに書き換えるぐらいな勢いで、彼は本質的に学者なんで、だからごっこじゃないわけですよ。
ごっこじゃないそういう方向の人も、堀正竹さんも学者ですし、堀正竹さんも学者ですからね。
だからあったわけですよ、もともとそういう素地は。
習慣化・自己分析・挫折の登場
これらが合流した中に一つ新しくできてきたのが、さっき言った要するに精神科医の人とかが入ってくるっていう世界。
つまりメンタルをどうするかっていう問題にここで一つの分岐点が生まれたわけですね。
だから何のためにこれをやるのかってまず問わない派と問わない派が出てきて、問わない派は最初お金を設けるんだっていうのと会社で出世するんだってそれはだいたい近いと思うんだけど、
もう一つが会社で怒られないため、僕なんかがこの路線を取ってたわけです。
なんでかっていうと結局そこから自己分析みたいなのが始まる。
ウェルスダイナミクスとか、かずまさんがそれこそストレンスファインダー、自分の強みを才能に目覚めようの才能に自分てルビフールやつですよね。
あの本もベストセラーですけど、まさにここにライフハックが噛んでくるというか噛み合ってくるわけですよ。噛み合わせがいいわけです。
っていうのは習慣化と効率化を両方持ってますから。
で、これはもう一つが悪癖からの離脱っていうのがあるわけですね。
で、この悪癖から離脱することによって私に目覚めるっていう、つまり悪癖の私は私ではないっていう含みがここにあるわけだけど、
この悪癖の私では消費ばっかりしている、お金は儲からないダラダラスマホばっかりだと、最近の話ですけどね。
それに対して新しい自分として才能に目覚めると全く違って朝4時に起きてうんどん噛んだんだわけですよ。
筋トレもして健康にいい食べ物を食べてみたいな、そういう全く新しい自分になるんだと。
で、その結果としてお金が儲かったり出世したりするっていうのがセットになったあたりでライフハックブームが広がっていくわけです。
このぐらい言わないと広がらないよねって話ですよね。
で、挫折っていう昔ライフハックには全然なかったような不思議な言葉がここに導入されることになるわけですよ。
いやでも朝4時に起きられないなとか、結局ダラダラスマホ見てるばっかりだなとか、何なら会社にも行けないなみたいな、この辺ちょっと後に回るんですけど、挫折っていう。
もともとは手帳ごたくに挫折もヘッタクレもないじゃないですか。
それはただ手帳好きなだけで、好きじゃなくなったら辞めればいいだけで、野球毎日観戦してるけど、ここ今日見なかったから野球観戦挫折したわって言わないようにですね。
もともとライフハックに挫折って概念はなかったんだけど、入ってきたわけですよ。挫折したと。
今日はメモが付けられなかったとかね、本当にそういう話をされる方がいて、私なんかびっくりしたわけです。
メモなんか付けなきゃいいじゃんぐらいな感じだったんで、趣味だから。
でも趣味じゃなくなったわけだよね。お金儲けとか企業とかいう話になってくると、趣味では済まされなくなってくる。
そういう意味で挫折ってことが出てくるようになったんですね。
私はタスクシュートだったけど、タスクシュートにしてみてもですね、これは役に立ってしまうから挫折って概念が出てくるんだけど、
ここは挫折挫折に聞いてても謎だって思ってたんですけど、ここでなりたい自分になるっていう新しいのが出てくる。
お金を単に儲ける、10倍儲かる人になることがなりたい自分とは限りないじゃないですか。
じゃあなりたい自分って何なんだろうってなったときに、自己分析っていうのが始まったわけですね。
ストレンスファインダー、強みの分析なんだし、ウェルスダイナミクスも儲けるパーソナリティをどう使うかみたいな。
つまりコツコツやって儲けるのか、それともスター性を持って儲けるのか、アイデアで儲けるのかっていうのを正確類型してるわけですけど、
どう見てもあの下地にあるのがですね、ここでこういうことを言うと気が臭くなるんだけど、でも私は絶対そうだと思うんですよ。
グズの人には訳があるっていう、リンダ・サバティンって人が書いている本あるんですけど、あれ先送りの本なんですけど、
あそこの下地には完全に人格障害があるんですよ。
だから脅迫性を完璧主義者と言い換えて、不安神経症はそのまんまですよ。不安症、不安型グズ人間、心配症型かな。
だから不安症は心配症って言い換えるし、脅迫性は完璧主義って言い換えるし。
反社会性、反社会性って書いてますからね。6類型に分けてるけど、当時は少なかったし、類型がですね。
だからそういう感じで、ちょっとスキゾイドとかはないんですけれども、でもあの空想型、無双型っていうのはありますから。
あれ万能空想のことを指してる感じなんで、非常に、だって心理臨床の人が書いてる本ですから。
先送りを何とかしようの本ですから。こういうようなものが流行り始めるんですね。
単にお金を儲けるためにライファックするんではなくて、要するに自分のネガティブな部分、自分のネガティブな習慣とかパーソナリティを分析して、
結局そういうことをやると性育歴とかそういうものは洗い出すことになるんだけど、だからすごいスキーマっぽくなっていくんですけれども、
そういうのを見定めることによって、これまでの行動の習慣というものの良くないところ、要するに反復ですよね。
良くないところを悪い習慣を、ちょっとマザーテレサみたいですけど、悪い習慣を作り出しているパーソナリティを見極めることによって、
そのパーソナリティを克服するべく、どういう自分になりたいかを、つまりそういう自分でしかないパーソナリティなり習慣、だから習慣と性格がぐるぐる巡っているところから抜け出した自分というものをイメージしなさいと。
そうなるためにはどうしなければいけませんかということから、逆算による新しい習慣化というものをプログラムして、それを毎日できているかどうかをチェックというか、ほとんど行動療法ですよね。認知行動療法かな。
とにかくそういうものになったわけですよ。これはもう絶大に支持を集めました。
単に金儲けのためにライフハックをやるというのではなくて、新しい自分になるための新しい習慣形成のためのライフハック、そのためにガジェットの利用とかガジェットを活用する、うまく活用するみたいな感じで。
だから毎日最新式のオムロンの体重計に乗ることで食事の習慣を改めるとか、家計簿つけること、しかもマネフォードみたいなやつでお金の習慣、消費の習慣を改めるとか、そういう感じですよ。
なんかね、火の打ち所がなさすぎて反論の意思がなくなったわけですよね。これにタスクシューターを利用するって考え方が一般化していくというか、タスクシューターの間でも主流となっていくわけです。
毎日どういうことをとっているか、あれによって粒差に記録できるし、新しい習慣というものをルーティンタスクとして入れていくと自動的に体重計に乗るとか、散歩するとか筋トレするとかいうのが習慣化として出てきますから。あるいは誰々に感謝するとかそういうのでもいいんですけど、出てきますから。
これに乗っかれねえなと思ったのが僕なんですよ。こうやって話がなっていくわけですね。これが僕には到底そうは思えないっていうふうに、普通はそう思うんだと思うんですね。でも私は絶対そういうふうには考えられないと。
「なりたい自分」と別人問題
まずそう書いてみたところでそうはなんないだろうっていうのがありました。私はパーソナリティ障害というのがそれはもうよく読むとそうでもないんですけどね。でもパーソナリティ障害は言ってみれば一応神経症水準なんですよね。精神病水準と違ってそれは選択の結果であるかのように松木さんの本とかを読んでいても書いてあるわけですよ。
だからつまりだから習慣は変えられるし行動も変えられるって言うんでしょうけれどもそうはいかないんですよね。だってダラダラスマホって変えられないでしょ多分。で、ダラダラスマホぐらいなら変えられるのかもしれないけど僕は自分がアトピー持ってたからそうでは絶対ないはずだと思ってたんですね。
書くのは選択かもしれないが書かないと心の底から思えば書かなくなるかというと書いてることはわかってますよ。無意識で書いてるわけではないです。しかし書くのはやめられないんですよ。僕はだからあの書き方はですね暴力的と言ってもいいかなと最近は思うんですよね。
排泄は排出はでもいいですけど選択なんだみたいな。しかし精神病水準では排泄は選択ではなくそれは無意識水準だからだから現実検討の有無みたいな意味では現実検討的で精神病水準で精神病部分が圧倒してるんだけれども人格障害とか神経症水準ではやめられるんだ。やめられねえよっていう感じなんですよ。
それは現実検討はついてる。意識的に書いてる。それは確かだけどじゃあ選択としてやめようと思えばできるのかそうはいかない。
本人がそうと気づかず昨日夜寝る前にスマホ読んで見てたよね。いやいや全然見てないしっていうのは現実検討ついてないかもしれない。でも寝床にスマホ持ち込んでなんかファン座とか見ちゃってます。やめられませんみたいな。いやそれは選択だからやめられるでしょ。無理ですっていう感じなんですよ。
そんなことはそれは現実検討がついてるかついてないかの違いはあるからそこは大事だと思うんだけど選択かっていうと選択のような選択ではないと私は思うんですね。だからそんなルーティンタスクにより良い習慣行動行動習慣を書いてみてそれを100日仮に続けられて。
いやもう習慣にすっかりなりました。筋トレ毎日やってます。散歩やってます。早起きもしてます。ってなってもその人は苦しんでると僕は思うんですね。思ったんですよ。非常に強く。その理由を探ってるうちに精神分析に行き着くんだが当時はその理由はわからなかった。ただただ感覚的にそういうことをやれば人はただただ苦しむことになるから。
いずれそれはその新しくできた100日できるようになった習慣は崩壊していくに違いないって私は思ったんですね。当時私はそれをかなりスマートでない説明として別人問題という言葉を使ってたわけです。
2010おそらく3、4年の頃正確ではないもっと前かもしれないけどわからない。コロナよりは前。で精神分析とかはフロイトは読むことは何回かありましたけどだからそういうのが案に影響して影響してると思うんですけど僕はもっと遥かにこなれてなかった。
精神分析の方がここら辺はちょっと精緻な説明を特に美音とか使えば僕のなんかよりはずっときちっとした説明できるんだけど当時の私はきちっとした説明は全然できずにただ自分の言葉としてできる説明は別人問題だったわけです。
夜寝るときはもっと早く起きていたいよって言うじゃないですか。子供ももっと遊んでたいよって言うじゃないですか。寝たくない全く眠くないんだと。夜の10時ぐらい11時ぐらいでも。
でも朝の5、6時になってくるともっと寝てたいよって言うでしょ。だから全く別人として振る舞うじゃないですか。つまりどの時間帯の自分によってより良いとする習慣であったり目標であったりかは大きく違って感じられるわけですよ。
それは朝の5時にも起きた方がいいと思っている自分もいるかもしれないけどそれは相当弱くなってて、いや絶対ここは寝てるしかないだろう。この時間起きるの頭おかしいでしょって思う自分が圧倒し始めるわけですよ。
で、どっちの自分の方を採用しなければいけないかという必然的な根拠は何もないと思うんですね。ただ現在の習慣を脱却したいという自分が主体性を発揮するぐらい持っていれば一時的には早起きする自分になるかもしれないけど。
現に私なんか5、6年もっと長く4時半とかに起きてましたけど今では正気とはとても思えませんから全然いつまでも寝てて良い日はほとんど11時ぐらいまでは起きませんからね。起きる、もうちょい早く起きるにしても10時ぐらいですよはっきり言って。全然それでいいと思ってんで何のために4時に起きてたんだろうあの時俺はって思って。
まあそういうのってあるんですけど若気のイタリアみたいなやつでね。関係ないなって感じがするんですよ。それと私の人生を豊かにすることの間には。あると思う人あるでいいんですよ別に。だからそんなのは人によるし時にもよるし時期にもよるし色々よるわけですよ。
色々よるってのを精密に説明し出してるのができてるのが多分対象関係論だと思うんですけど私は当時はそういう概念を全然持ってなかったからそうは言ってもタスクシュートで一つ一つのタスクは一つ一つの行動を細かく指してるわけですよね。気象みたいな窓開けるとかトイレ行くみたいなのも全部書くのがタスクシュートですからやる以上はね。やった以上は。
だから全部書いてる。でも書くときになる。書くたびに自分の目標とか目標行動とかその時の価値観とかその時やりたいこととかやっていいと思うこと事ごとく変わる。細かく見ていけば相当違う。それが分単位で変わってると思うんですね。思ったんですよ私は。
だから良い習慣になるものをあるタイミングで頭で設計した良い習慣になるものは翌日になれば絶対違うものになってるのにも関わらず前の日の方がいいっていう風に妄信して突進してルーティンをしていけば1年経ったら私は必ず病むということになる。
その病みに気づかないかもしれないけれどもてか気づかないんですけど人間を往々にして絶対自分を確実に弱らせていくからそういうことはしたくないし人に言いたくもないし広めたくもなければ求められても言いたくないんだけど求められれば言わなきゃならない時もあったわけですよ。ビジネス書書いたりしている時はそういうことになるわけですね。
こういうところに自分が分裂を感じていたのでだからこういう分裂を感じるということはすでに何かが言われている通りでは全くない。だからいわゆる自分に目覚める自分なるものは私が考えるに存在しないと思うんですよね。
だからここでは他の人と価値観は完全に勝ち合うと思うんです。今後私は自分に目覚めるみたいな自分というものあるいは実現するべき自分みたいなものは絶対に認められないっていう派に生きていくことにしばらくは少なくともなると思うんだけどわからないですよ。
30年ぐらい経つと全然違うこと言ってる可能性は十分あると思う。この一時取っただけでも一貫した自分に最終的に目覚めるんだというものは信用ならないことはなかだしいと思うんだけどだって僕はあのだからまあいいかつてそういうことを書いていたのは大体ほとんど方便だったわけですよ。
まあ良くて方便。悪く言えば出版社から求められるままに書かないと本が出せないような気がしていたから無理やり書いていたに過ぎないわけですよ。でここのところに僕は自分の病理を見るわけですよね。正直には生きられないんだという正直ってのは結局その時々によって変わるしだからその時々によって変わるっていう正直さっていうのは他人は正直だとは認めてくれない。
まあ認めてくれる人もいるんだけれども認めてくれない人も当然いるでしょう。最終的にこれは何を言われることになるかというとあなたは私の求めに応じたことを喋ってくれるのかってことになってるなと長い間生きていくとつくづくそう思うんですよね。結局のところ人が私が言うことが小難しいっていうのは私の言うことは受け入れがたいって言ってるんですよ。難しいんじゃなくて言ってることは別に難しくはないんですよ。
私の言うことは信じられない、気に入らないってことなんですよ。つまりそのようなのを排出したいってことなんですよ。精神微動的に言えばね。だから排出されてしまうからお互いの排出合戦になって口喧嘩してるようなものなんですよね。言うならば。しょうがないんですよ。受け入れがたいのは。だって価値観は違うしその人その人によって今望んでることがそもそも違うんだから。
別の時間帯になって酒でも飲めばあっさり息統合できるかもしれない。その時に僕が言ってることは少しも小難しくも難しくもなんともないわけですよ。黙って聞いてれば全部その通りだなと思ってもらえるんですよ。価値観が合ってる時ならば。言ってることが本当に難しいことだって言うんならこれがなんか特殊相対性理論ですみたいな話だったらばどんな時でも難しいのかもしれないけど。
心的現実と一人ひとり違う悩み
僕の言ってることはそういう話じゃないんで。難しく聞こえる時と偉い簡単に聞こえる時とかあるはずなんですよ。あるいはそういう人とがいるはずなんですよね。で、いずれにしてもこの分析事故分析とか生育歴とかそういうものを掘りたくて掘ってるわけだ。
ちなみに私はアセスメントは基本的にまだしていないんだけど将来的には少しするかもしれませんが家族構成とかは心理臨床では絶対冒頭で聞くんだけど僕はもう今では話の流れなんですよ。これはですね難しいところもあるんですよ3ヶ月しかないからね。
でもどこの構成からその人が語っていくかっていうのはやっぱりその人の心的現実にすごい関係があることなんだなって思わざるを得なくなったんですね。父親の話から始めるか弟の話から始めるか全然違うんですよ。
でも弟の話はどうでもいいことだから最初に喋ってるって人もいますしもちろん逆の人はいますしこの構成のなんていうのかなストーリーの構成ってあるじゃないですか物語構成どう構成していくかっていうのはすごく無意識は実は精密に検討した上で話を始めて何でもないかのように言うんだけどそんなことはないんですよね。
だから私はもう構成とかも極力聞きたくないなとある意味嘘ってことはないんですよ。いや弟がいましてって実はいないとかねそれはかなりあれなんだけどそんなことはないけどでも弟がいましてっていうのは心的現実なんですよ。事実ですよそれはいるに決まってんだけど事実なんだけど事実を喋ってるわけじゃないんですよね。
こういうことを理解するようになってくるとつくづくそんな良い自分になるみたいなものをポッとね過去の自分がこういうので苦しんだから嫌だったから例えば貧乏だったから金持ちの自分になるってわかりやすいじゃないですか。貧乏な境遇ってこういうものなんだ。
その段階ですでにカウンセリングっぽくなってるからやっぱりこの世界は心理カウンセリングだと思うんだけど貧乏なんてわかんないから自分は大金持ちになる自分になりたいんだと。だからそのためにはこれはわかりやすいんですけどでも貧乏ってのはいかにも境遇的なんですけどやっぱり貧乏ってのは心的現実でもあるんですよ。事実ですよお金がないのは。
だけど心的現実でもあるんですよ。その人がまず貧乏から語り出したっていうのに意味がある。私ちなみにグッドバイブスで倉園圭三さんにお金払って自分の話をするのに一番最初に出てきたのが実はお金がないんですって話で倉園さんが驚かれて金がない話を最初に始めたのは佐々木さんだけだって言ったんですよ。
その時すでに彼はそれなりに個人的なお話聞く人だったんですけどそうなんだって僕は思った。でも僕も最初に金の話から始めるとは思ってなかったんですよ。だから心的現実っていうのは単なる事実という話だけではなくてもちろん僕はその時金に困ってたからフリーランスでコロナにぶつかると彼に困るわけですよ。彼にはすごい困ってたから。
それによって奥様との戦いもずっと長引いていたわけですからそれはそうなんだけどでも心的現実なんですよやっぱりお金があるとかないとかいうのもだから時間があるとかないとかも結局心的現実だってことになっていくんですけどね。
なので旗立てて逆算すると現在の習慣と生活環境が気に食わないからそれを一変させるような習慣とその習慣によって生じるはずの実現するはずのゴールに向かうんだというのは一見非常にわかりやすい物語でそこにライフハックをかませるんだっていうのはますます素晴らしいんだけど私はそれをやると人は弱っていくと思うんですよね。
特に心が弱っていくと思うんですよ。だから私はそれには乗っかれないから当時はですね非常に苦肉の策だったんだけどプラン立てるのやめてひたすら記録をしていこうとそしてこのプランを立てた自分というものが記録をした結果の自分よりもマシなものだと思うのをとにかくやめていきましょうっていう当時はラディカルにそっちを言ってたわけですよ。
現実は記録している自分どんなにこっちの方が残念でダメダメでズブズブにグダグダに見えてもこっちの方がいいんだって思えるようにならないと人はやっぱり弱っていきますっていうことを当時はもうこれしか言えることがなかったんですよ。これだけをとことん言うみたいな感じだったわけですね。
今で考えるとここまで言っちゃうとやっぱりどうしても歪むんで偏るしそれはどうしても受け入れられないっていう方が挫折することになるんで言わなくなったし今ならもう少しマシなやり方ができるんだけどでもマシなやり方ができるようになった代わりに一体他での伝達はこういうやり方しかできなくなったんですよね。
もうなんか体型立てて何かを伝えると全部必ず嘘になるので1対1にした時にその人ならではの何かだと貧乏だから辛いと言っていてもその人金持ちだったりするんですよ。そういうことがあり得るからやっぱりこう心的現実と事実っていうものがこう両方セットで両方セットになった瞬間に会話すでに変わっていく会があったとしてもですけれども一体他の時はそういうわけにいかないじゃないですか。
ここに30人の人がセミナーに来てます。30人の人の事情を聞いていったら1人3分ずつでももう90分が埋まりますからね。しかも3分じゃ語れないことばっかりなんでそれに対してつまり本当にお金がなくてお金がないことに困ってる人の悩みと本当はお金があってお金がないと思ってて困ってる人の悩みは全く違うんですよ。
で一人一人がいかに違うかこれがだいたい同じだっていう前提に実はライフハックとか仕事術って立つんですがそれがそもそもめちゃくちゃ無理なんですよね。だからあの逆算したゴールからその習慣を編み出していくっていうのも精密にやっていくためにはその人の生育歴を掘るってことをやらないといけないんだけどこの掘るのにかける時間の問題もあるんですよね。
ほとんどのセミナーそういうの1日長くてすごい長く撮りました。1日6時間です。長丁場です。掘り切りましょうみたいな無理なんですよそんなことは。
先ほど精神分析が楽しいの中に14年かかったって話があるんですけど精神分析ですけどね。単なる深掘りとか生育歴掘ってるだけじゃない。でも14年ですからね。週1回かもしれないけど14年かけるとようやく見えてくる何しや解決していくものを6時間とかでやりきれると思うのがそもそも無理で。
これはそういう風実例出すまでもなく自分がこの3ヶ月コンサルを4年近くやってみて無理だっていうことがよくよくわかったんですよ。そういうわけにはいかないんですよね。やっぱり4年だよね。16期だから。16期が終われば4年になるはずなんですよね。
4期で1年だから。そうですね。16割る4だから4年になる。3年と今9ヶ月目に入ってるわけですけど。次で4年になるわけです。
で、無理だっていうのはよくわかるんですよ。そんな複数人の人の全ての事情を1ヶ月やそこらで洗い出して解決まで持っていくなんてとんでもないなって思うんですよ。でもまあやろうとするんですけれども。
部分的にはできるかもしれない。だから私はCBTって実は正しいのかもなって思うように最近なってきたんですよね。私はそういうやり方ではできないけど何も。何もってことはないんだけど。でもまあせいでタスクシュートやりましょうぐらいなことしか。だから僕は結局タスクシュートについてはいつもそうなんですけど。タスクシュートちゃんとやりましょうしか言ってないんですよね。本当のところ。
僕はCBTというやり方はすごく難しいと思うのでむしろタスクシュートやりましょうの方がまだマシなんじゃないかぐらいに思ってるところがあるんで。あれは結局なんて言えばいいのかな。記録をした自分というものが現れたときこれがしょぼいって絶対人は思うらしいんですよね。
で、プランを記録とかけ離れたものにしていく。この乖離が万能感の乖離なんですけど、この乖離をどうやって現実に沿わせていくかっていう話になっていく。で、これを言うと必ず理想をどうするんだみたいな話。理想じゃないんですよね。それは万能感なんですよ。
その違いを認識できるようになるっていうのがしかもそれを時間に限定した上で時間だけについての万能感を手放して、なんて言えばいいんですかね。現実っていう言い方をするんだけど否認しないってことなんですよね。やっぱり精神分析なんですよね。
だって他の言い方をしようとするとたちまちこうなんかね自己肯定感とかそういう話になってしまうんで、否認しないってことなんですよね。すごく否認してるんですよ私たちは。あれ時間に限っての話をしてますから。他にお金のことがあったり人間関係のことがあったり愛情のことがあったり性欲のことがあったり本当はするんですよ。
だけどひたすら時間と行動についてだけ言ったとしてもすごい否認してるんですよ。この行動はダメその行動もダメって感じなんですよ。こうして自分自身をどんどんどんどん削った上でものすごく痩せて痩せた理想というものを打ち立てようとしてもそいつはすげー痩せてるんで土台無理なんですよ。でも最初からそもそも痩せてなくても無理なんですよ。
だからそれは理想じゃないんですよね。理想っていうのは少なくとも現実的なものだと思うんですよ。現実からかけ離れてたりひたすらドラえもん的であるような理想っていうのはやっぱり空想であってだから万能空想ってしか言いようがない。万能空想っていうのはもっとネガティブなもんだとは思いますけど、でもここには強烈な否認が入ってるからやっぱりネガティブだと思うんですよね。
だってよく私はタスク管理系で言うんですけどトイレって書かないじゃないですか。行くに決まっているし行くことが理想的だともなんとも思われてないから。でも行かなきゃ死んじゃうじゃないですか。そういうことばっかりなんですよ。あそこに書いてあることは。
という風に言っていてもダメだから。これだけを言っていても不十分だから。少なくとも。だからやっぱりおひとかたおひとかた。これが本当にですね。これは私の側の。
でもそれだけでもないんだよな。グループセッションってすごい僕はやってて意味があるんだよなぁと思うようになってるんですけど。通常参加者さんはそう多くはないんですが。
他の人と自分の悩みはとにかく違うんだと。これがですね。やっぱり他の人と自分の悩みはとにかく違うんだと。同じようなことを同じように解決してるわけでは決してないんだと。
つまり理想の客観的現実なるものはないんだっていう。これがですね。本当になんかこう私たちは理解できていない。確かにお金がないというのは真的現実でも事実でもある。これはもう全く問題ないんです。
例えばすごく借金がある。とても苦しい。それは本当です。だけど真的現実としてしかそのことを私たちは認識できないんです。だから借金絶対嫌だっていう人が借金すごいしているみたいなことが実際起きるわけじゃないですか。
それはしょうがないことなんだけれども、でもそこに真的現実が関与してないなんてことは絶対ないっていうか、真的現実が関与してこその出来事だと。だけどそれを自己責任とか言っても無駄なんですよ。無駄っていうか事実。それこそ事実じゃないんです。
私が肌を描いているのは私が肌を意識して選択して意識的に描いてるんだけど自己責任じゃないんですよ。だからお前この肌になってみろってあるじゃないですか。必ず描くから。でも自己責任だって言われてしまうんですよ。無有病で描いてるわけじゃないって言われればその通りなんで。寝てる最中も描くんだけど。
で私は驚くべきことに描かなくなったんですよ。意識的には昼にはね。夜には描いちゃう。これを精神病って言うんですよ。だから松木邦夫さんの本に身体精神病って書いてあった時つくづくそうだって思ったんですよ。体の上に精神病があるんだっていう。これもねなってみないと分かんないかもしれないって思うんですよね。分かってほしいとは全く思いませんけどね。
だから身体の上には神的現実があるんです。肌はありますよ肌は。あるに決まってます。しかしこの肌があると思ってる私の肌って私の心の中にあるんですよ。しかもそれが狂うことがあるんですよ。
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