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おはようございます。後ほどStandFMにあげるので、タイトルを公表しておきますけど、
佐々木正悟の精神分析的ラジオですね。そして、タイトルを今まだこっち側につけてないんですけど、
昨日つけてみて、しゃべり終わった後じゃないとタイトルがわからないということがあるので、つけてなかったです。
あともう一つ気になるのが、音声がどういう状態になっているのかの表示がないんですよね。
だから、聞こえているのかどうなのかわからないという、でも多分大丈夫なんだろうなということで、
あんまり考えずにやっちゃっています。
すいません、今ミュートを押しちゃったんですけど、これを自分の背景と顔を出したいとかはさらさらないんですよ。
そうじゃなくてですね、背景と顔を出したくはないんですけど、今世の中的にこれを出した方がまだ聞かれるっていう説があって、
今のところ実態がない上にそうなってないから嘘っぽくないなと思っていて、
嘘っぽくは本当じゃないことがわかったらこれやめようかなと思うんですけど、
もう一つはこれを撮っておくだけで、一応YouTubeにもPodcastにも自動でやろうと思えば配信されていくんですよね。
だからゆくゆくはもう少し、絵的にはマシなものを用意したいと思ってるんですけど、
でもこれは僕が感じることであって、多分その絵的にどうこうとかはあまり関係ないのかもしれないなと。
でもスライドとかを用意するとかもいいんですけど、多分それをやるとやらなくなるでしょうから、
ちょっと今まだ考え中っていう感じですね。
とりあえずこれでやってみて、ワンストップでいけるところはやる側としては楽なんですよね。
YouTubeにも出るわけなので、だから終了せばYouTubeにも上がっていくっていうのはいいんですけど、
それによって全体視聴者数は減ったみたいなのって、いまいちあってないなって感じもするんですよね。
わかんないんですけど、やるだけやっておこうぐらいな感じです。
スタンダードFMは結局同じように上げてるわけですから、アイコンも同じに統一すれば済む話なんで、
そんなふうに思いつつやってます。
だからこの絵が出したいわけではないということですね。
あともう一つは、ゆくゆくはこういうものは全てAIが作ってくれるようになるから、
03:00
最近ちょっと見たやつ確認したんですけど、なるほどなと思ったんですよね。
そうすると比較的ダメそうな絵のほうがリアリティがあって信用されるという、またよくわからない、
あなたがAIで描いてるのは知ってるんですクレームが来るわけですよ。
なぜか私のところにも。
そうすると誤字脱条があったほうがいいとか変な話になっていくわけですよね。
基本スルーすればいいんですけれども。
どうしてそれを言いたくなるのか、あるいは単なる嫌がらせなのかはちょっとよくわからないんですけれども、
AI使うことはありますよ。
つまりどういうことかというと、メール返信は有名ですよね。
結局は見なきゃならないからあんまりなっていう感じもあるんだけど、
音声入力もAI入ってきてるわけじゃないですか。
だから音声入力はすごい今試して使いまくってるんですが、
それはAI使ってないとは言えないですよね。
だってAIが文字起こししてくれてるらしいんで。
だからあんなに精度上がったわけですよね。
あとは誤字脱字のチェックのために、
これをやらなければAIじゃないことになるんだろうけど意味ないなって感じがするので、
誤字脱字のチェックしてくださいプロンプトは頻繁になんで、
僕ものすごい多いですからね。あれだけでもすごい助かるんで。
使ってはいるんですよ、そういう言い方をするならば。
だけど書いたものを私が読んでそれをアップするっていうのは、
私別に文章を書くことそれ自体が収益につながってないので、
なんていうのかな、そこまでして、
それだって結局手間ゼロなんじゃないじゃないですか。
ストの数が増えれば増えるほどいいって言うんだったら、
話はまだわかるんだけど、私結局1日1ポストで、
あれはストレス解消とまでは言わないけれども、
でもそういう側面がないわけじゃないんですよね。
言いたいことを言ってある程度、
うさばらしはしてないつもりですけれども、
でもスッキリしたいっていうのはあるんで、
AIに書いてもらってもいかなるものもスッキリしないんで、
そういう排泄的な意味って文章を書く上ではないわけじゃないんですよ。
なるべく排泄じゃないようにはしてるつもりなんだけど、
排泄的な意味はありますからね。
ゼロにできないですから。
AIに書いてもらうとはっきり言ってゼロになっちゃうんで、
僕は修正係みたいになっちゃうんですよね。
あの感じは嫌なんで。
これはあると思いますよね。
物を書いてる人の場合は必ずしも、
物を書いて食べてる、いわゆる倍分化じゃなくてもですね。
僕は自分倍分化だと思ってるんで。
そんなにみんながこれを読んで、
すごいと思ってくれるだろうと思ってるわけではないんですよ。
06:00
排泄の面があり、かつそれで売って食えるということと、
告知にはプラスになるということ。
プラスアルファがあったらいいかなぐらいな感じなんですよね。
なので、もちろんAIが私が考えてる通りのことを書いてくれるならそうします。
私は別に、だけどな、そういうことにはなってない気がするんですよね。
なぜならば、耳を読んでもすっきりはしないんですよ、何一つ。
だから僕のリビドから出ていった感じっていうのが、
書いてもらうと一切しなくなるので、
下書きを本の原稿とかは長丁場になるんで、
長丁場になると何も出てこなくなっちゃうときって確かにあるんですよ。
情報に近い部分があるから機械的に書くことができるんですけれども、
それだったらAIにちょっとやってほしいじゃないですか。
そういうときにここまで来て完全に行き詰まったが、
下書きをAIに書いてもらったってことは、
今回の一番最新の黄色い本では随所にあるんですよ。
あとポンチ絵を書いてもらいました。
私絵を書くのすごい嫌いなんで、もはや自分より下手でも書いてほしいんで。
僕より下手ってことは絶対AIの場合ないから、
ポンチ絵は書いてもらいましたね。
こんな話をしているだけでも時間が無駄に過ぎていくので、
何が本題か分かりませんが、本題に入っていきますと、
今日は久しぶりに基礎中の基礎な気もするんですけど、
対照関係論というじゃないですか、言うんですよ。
フロイトの第一世代のデジではなくて第二世代の、
ここから拡大していくと思うんですけど、
とはいえ亡命先の話ですよね。
ウィーン学派みたいな言い方があるんですけど、
ウィーンこそフロイトがいたところだから、
いわゆるメッカなんですけれども、
実際にはナチズムが勃興したから、
結局は最初フロイトはフランスに逃げて、
その後イギリスに逃げるわけですけど、そこでもう亡くなっちゃうんですけど、
イギリス学派とアメリカ学派とに、
アメリカ学派とは言わないんだろうけど、分かれるわけですよね。
アメリカのほうが絶対的に大きくなるわけですよ。
何だったって戦後一番でかくなったのはアメリカだから。
もう一方のジーンはソ連だけど、
ソ連で精神分析全然流行ってないと思うんで、
基本的にアメリカなんですが旧ソ連ですよね。
アメリカは自我心理学でアナフロイトじゃないですか、
でもこれ自我心理学って言うんですよね。
学なんですよ。学は論より偉いんで。
自我心理学のどこにも対照関係論の対照出てこない。
対照は出てくるんですけどね、自我心理学にも。
でもとにかく対照を中心に見ていくのは対照関係論で、
これは論だから学よりは下なんですが、
イギリス学派と、こっちは学派って言うんだよね。
イギリス論者とかって言わないんですけど、
こっちのイギリスのほうが対照関係論なんですよ。
メラニー・クラインが率いた。
09:00
メラニー・クラインも別に全然イギリス人とかじゃないんですけどね、
そのイギリス人で頑張っていった人たちが
独立学派の中にも結構いたりするわけですよね。
エアバーンとかウェニコットとかああいう人たちですよね。
で、それはいいんですが、
こういう歴史の話をしたいわけではないので、
対照関係論の対照って何なんてか、
オブジェクト思考みたいなのを言いますけど、
コンピューターの世界でも言ってましたけど、
似ているようで似ていない、対照っていう言葉も
ひどく幅が広いですよね。
で、私は対照という言葉はですね、
でもすごく自分が昔悩んでいた事柄と
マッチしていていいっていうか、
僕にとっては大変多産的だったんですよ。
対照関係論の対照を考える上では、
私自分のことずっと考えておけば大体こと足りてたんですよね。
私、家が寺だった上にそういう哲学的な議論を
父がふっかけてくるせいだったと思うんですが、
やっぱり小学校上がる前ぐらいからあったんですよね。
自分は今現実を見ているんだろうか、
夢を見ているんだろうか問題みたいな。
また幼稚園では結構僕は、
幼稚園って結局なんだかんだ幼少期に
いい目を見るのは勉強ができる子ってことによるところだったんですね。
大人の言うことを聞いていい子ってのはあったんだけど、
それって結局いつもいつも男の子だし、
聞きまくってるわけじゃないわけじゃないですか。
聞きまくるのもちょっとあれなんですが。
だから、いい子悪い子問題は結構微妙だったんですよ。
いい子ではあるが、みたいな感じなんですよ。
でも頭に関しては人クラスあれば
上位の方には常にいるみたいな感じだったから、
小学校の方は全然幼稚園よりは居心地よかったわけですよね。
幼稚園は居心地よくなかったんですよ。
嫌な幼稚園だったってこともあるんですけどね。
その嫌な幼稚園では嫌な目に結構あってるわけで、
だいたい喧嘩が強い子と顔が可愛い子とかを
あからさまにしかもあの当時、
今思えばなんですけど、
それは僕すごい当時もう、
これはむしろ面白がってたところなんですけどね。
僕はなんかこう可愛げのない子だったから、
当然先生の思いはめでたくないわけで、
あの時代は幼稚園の先生って全部女性なんですよ。
しかも全部縁の幼稚園はなのかもしれないけど、
短大卒で揃ってたんですよね。
で、何のためなのか知らんけど、
出身短大とかについてこう明記されてる
みたいなところがあったんですよ。
で、その幼稚園の短大卒の幼稚園の
あのほぼさんと言ってしまいますけどは、
可愛い男の子が大好きなんですよ。
それもうまうまくやる人や
あからさまにしない人の方が全然多かったですけど、
めっちゃあからさまな人もいたんですよね。
で、僕はさっきも言ったように
全く可愛げがなかったから、
もちろん好かれてなかったわけですよ。
12:00
だから特に年長の時はそうだったんですよ。
でもまあ年中の時も全然好かれてなかったことが
十分わかる話がいくらもあるんですけどね。
いくらもあるんですけど、
あの先生は僕は、
いわゆる優しくて可愛くてピアノ弾く
女の先生ですごい好きだったんですけど、
向こうは多分僕のことかなり嫌いだったと思うんですよね。
それは後からしかわからないことなんだけど、
ここに対象関係という課題や課題っていうのかな、
テーマが僕の中ではすごい当時からすごくあったんですね。
あの早熟だったとは全く思わないんですけど、
必ずしもセックスってんじゃないんだけど、
その幼稚園の年中の先生と性的にイチャイチャしている
空想をずっとしてたんですよ。
もう当時からずっとしてたんですね。
で、それはまあいいんだけど、
これは何を自分はしてるんだろうっていうのは
すごい悩んだんですよ。
具体的にそれがバレるのはかなりまずいみたいに
当時はすごい思ってたんですね。
まあ多分まずかったと思うんだけど、
だけどまあバレることって絶対ないんだ
ということは確信してたんですよ。
でも考えてみると、
他人の目に私の空想が映らないということは
当時明快に知ってたからそういうことをやってたわけですが、
でもいわゆる思考ダッシュとか
思考を読まれるっていう言い方しますけど、
現実見当がつかなくなってくると、
結局自分の思考を他人は見られるんだっていう
妄想を抱き始めるわけですよね。
この場合の思考とは何なのかってことなんですよね。
当時の漫画とかではすごい流行ってたから
もうあると思うんですけど、
思考を文字で読むわけですよね。
漫画だから吹き出しが
てんてんてんの吹き出しにしといて
なんか思考を読んでるって
それは漫画読むように読むんだけど、
私は幼稚園の時代から変だと思ってたんですよ。
そんなはずないと。
だって幼稚園の友達見てるとよくわかる
一緒に遊んでるとよくわかるんだけど、
こいつらはまだ文字で物を考えてないと。
私はもう当時文字で物を考えてたから
そのことが明快にわかる気がしたんですけど、
この子たちは絶対文字では物を考えてないということが
わかったんですよね。
なんて言えばいいのかな。
やっぱり可愛い子っているわけじゃないですか。
その子が好きになるとか
僕当時全くなかったんですけど、
可愛い子とか男の子でも女の子でもいますけど、
なんか尻滅裂なんですよね。
例えば僕が
これもすごい嫌な
嫌な言葉が多かったんですよ。
とにかく幼稚園はお漏らしするとかね。
この嫌なことが起きた時に
いつもこの人たちは
なんでこんなに尻滅裂なんだろうって
思ってたんだけど、
例えば
なんだっけな。
何のきっかけだかわからないんだけど、
丸狩りに近い
今で言うところのスポーツ狩りだと思うんですけど、
かなり勝ったんですよね。
あれなんでだったんだろうな。
とにかくそうしたら
めっちゃ、今思えばなんですけど
ウケたんですよ。
で、私は
家が寺だったからってことがあるのかもだけど
15:00
年中ですからね。
とにかく
ものすごいウケたんですよ。
でも私はそれが
がきらかにバカにされたと思ってたんだけど、
とにかくそれはいいんだけど、
そしたらその日、行動が変わるんですよね。
幼稚園の友達の。
なんかやたら
お弁当のおかずをくれるとかね。
そういうことが起きるんですよ。
なんかえらい得しているような
気もするんだが、
なんかおいしくないものもいっぱい食べなきゃならないし、
よくわからないことが起きるもんだと思ってたんですね。
とにかくゲラゲラ現れたのと、
お弁当を急にもらうようになったと。
で、僕はいつも決まってるんですよね。
その幼稚園でのことなんだけど、
人気のある子は
お弁当をみんながくれるんですね。
人気のない子は
誰からももらえないわけですよ。
なんなら取られるわけですね。
僕が取られる一方だったんで、
こんなにくれるってすごいなと。
スポーツ狩りにしただけでね。
だけど、なんかね、不思議とこう
頭がチクチクするなと思ってたんだけど、
それは意地の悪い女の子が
僕の髪を引っ張ってるんですって。
で、どっかにパッと逃げるんで、
わかんないわけですよ。
でもこれ絶対やってる奴は誰だか
今でも名前も覚えてるとは
彼女は思ってないだろうね。
名前もフルネームで言えるんです。
僕はクラスでおそらく唯一
全ての子の
名前をフルネームで言える子だったし、
今でも大半は言えるんですけど、
そんな話をしても、
今じゃあ個人情報に引っかかるだけだからどうしようもないんですけど、
とにかく良いことはあんまないんですよ。
だって髪
頻繁に引っ張られるって超鬱陶しいんで、
あいつは本当にそういう奴だったんですよね。
と思われてるとは思ってないでしょうけど、
つまり、
それぐらい幼稚園の子のやること
っていうのは無茶、適当で、
その場しのぎが
全てみたいな
人たちなので、
あれが絶対文字一行である
などというのは考えられないのに、
漫画家は人の思考を
全部文字で読むんですよね。
っていうことにしちゃってるわけですよね。
絶対に
あの人たちはほとんどがイメージでできてるはずなんですよ。
だから、
髪が
切られるとか、
そういうことにしか反応しないわけですよね。
僕が何を日ごろ喋ってるかとかには
ほぼ全く興味が
持たれてなかったわけで、もちろん
あだまない子はいましたから、
当時から文字情報的やりとりってのはあったんだけど、
ほぼこいつらの
頭の中はビジュアルでできてるなって、
ビジュアルと音響でできてるなって。
だから、AVの世界なんですよね。
オーディオビジュアルの世界なんですよ。
本当にもう
しょうもねーなーって当時は思ってたわけですよね。
だから、リンゴが
うさぎの形してるとか、そういうことだけが
全てを占めてる感じだったんで、
話したいと思う子が
すごい少なかったんですよね。
で、
この問題なのはその時に
イメージしている
イメージというのが
すでに対照化していることは
明々白々なんですよ。どんなに
思考が
象徴的には進んでなかったとしても、
18:00
だって僕は幼稚園の先生とイチャイチャしてたのは
もちろん服脱いだりするわけ
じゃないですか。でもそれは
見られてないってのは知ってる上に、
自分一人になったとしても
その女の先生と一緒にいられるっていう
この感じをはっきりと認識
していたっていうか、
意識的にそういう時間を作り出していましたし、
だからなんなら幼稚園に行って
一人っきりになってどっか蜘蛛漏れするんですよ。
そうすると、さっきもいなくなった問題に
またそれは後でめちゃくちゃ
怒られますよね。やっぱりね。
いい思いもしたことがないんで、
すぐ逃避する環境を作り出しては
どっか行っちゃって、
そこで静的空想に浸るという
結構今思えば
危ないことやってたわけですよね。
今思えばですけど、
当時はもうこれをやることが
幼稚園に行くことぐらいだったんで、
だって遊戯とかさせられては
怒られて、
ボール回しとかさせられては
怒られて、だいたい歌歌うか
工作するか、ダンス踊るか、
よくわからない
作家もどきするかじゃないですか。
得意なものは何もないんで、
工作すれば基本的には
変なところ聞いて怒られるし、
いいことないわけですよ。図画工作と体育と
出てきてるわけですね。あと音楽ですよね。
僕、
ハーモニカ吹くのは上手かったんですよ。
あ、そうそう。それでその
年中さんの優しそうな女の先生に
僕は嫌われてることがだいたい
わかったわけですよ。ハーモニカを吹くのが
僕が上手いと、その先生は
気分がおかしいしてたんですよ。
その先生はピアノを伴奏してくれるんだけど、
上手い子だと
2ピッカーやろうねみたいな感じで
ヒッキするんですよ。
幼稚園の先生って平気で。
あの幼稚園ではそうだったんですよね。
僕、明らかにあのクラスで
1番か2番に上手かったんだけど、
あ、よく弾きたねってことで
もうあっさり追い払われたわけですよ。
2度は弾かせなかったわけですね。
そういうのって
明快に思えてるんで
いいんですけど全然。
とてもいい経験だったと思うんですけどね。
あとあの先生は
劇の配役を決めてたんですけど、
やっぱり可愛い子を桃太郎にするわけですね。
で、僕は鬼の子分だったわけですよ。
鬼ですらないですから。
鬼の子分ですからね。
じゃあ鈴木君はここでみたいな感じで
あっさり決められていて
この先生に僕は明らかに好かれてないな
ということがよくわかったんですよ。
で、この先生は
僕は対象にしていて
恵比堂を向けてたわけじゃないですか。
それは性欲も混ざってるわけですけど
当然こう
母親というよりは
母親も当時は若かったわけで
私は母親は母親で全然
恋愛対象にしてましたから
とはいえ母は
非常にあの頃すでに怖かったですからね。
あのすでに相当
嫌な気持ちになってた部分もあったんですが
父の方が好きだと思ってたぐらいですからね。
母を恋愛対象にしていた
割にはね。
で、たぶん
いいお姉さん的な
世界なんですよね。
このいいお姉さん的な世界って
何なんだろうなって今すごく
21:00
思ってるんですが
恵比堂を向ける対象って
僕はすごい不思議だったんですよ。
特に性欲ってものを
はっきり意識してきたのが
小学校2、3年の頃だったんだけれども
あの
要するに際どい
絵っていうものを使うじゃないですか。
我々は性欲の対象として
対象として
だけど際どい絵って
あの
ビデオ見るとか当時でもビデオ見る
ってことはほぼ全く
当時ビデオなかったよね。
で、なかったんですよ。
私が小学校2年の時とかは
存在が一部
超大型販店の
50万とか出せばあったのかもしれないけど
VHSってでも出たのが
僕小学校5年ぐらいの時だった気がするんで
とにかくなかったわけ。
写真しかないんですよね。
で、際どい漫画を買うというのは
すごく怒られるやつだから
それを密かにどうゲットするかっていうのは
小学校の最大の
僕にとってのテーマだったわけですけど
その
なんていうのかな
空想するわけじゃないですか。しかも僕
空想力弱いから
音響とかテキストとかになってたわけです。
当時から。
で、まあその
小学校
4、5年の時に見つけた
乱校生ですね。主に僕の中で。
要するにフランス書院文庫ですよ。
すごい衝撃を受けたんだけど
それを立ち読みしてると
なんと本屋のおじさんが説教してくる
というすごい実にうざい
時代だったんで。まあいい時代なのかもしれないけど
僕からするとなんで
っていう感じの時代だったんで
しゃあないんですけど
本屋に入り浸るみたいな。買うことできないんで
で、その
だから本屋に入り浸ってる人が知的
っていうのは僕はよっぽどどうかしてると
思うんですけどね。
早稲田にもいっぱいいましたよ。そういう
本屋に入り浸ってエロ小説しか
読んでないようなやつ。早稲田中学で
これだとなんか抽象してるみたいになるな
これはすごい大事なことだと
僕は思うんですよね。つまり僕は
よく思ったんですよ。脳内でテキストを
作るということは自分の脳の一部が
テキスト化しているということだと
思ったんですね。で結局
これは自分で自分とイチャイチャしてる
ということになってしまうと
この場合の
際どい絵になっている
私の脳内で作り出されている何かとは
何なんだっていう
例、例えばそのマトリックスみたいなの
あるじゃないですか。でもマトリックスみたいな
映画で僕はいつもああいう映画を
ああいう映画ばっかり見てたし
ああいうアニメもいっぱい見てたからなんですが
明石無みたいな話ですよね
この夢が私
私が作り出している夢
なんですけれども、だとすると
夢というのは私なのか私じゃないのか
っていうのは、昔も
小学校低学年の時からすごい
考えてたんで、そういうのを
毎日のように図にしては
研究してたわけですよ
概ねエロなんだけど
エロが一番正確にするやる気になるんで
エロ以外での
そういう対象を保持して
そこにリミットをはっきり向けられるって
すごい難しいことで
24:01
私それができたのがですね
大学の頃なんですよ
正確にできるようになったのは
努力をしていたせいもあるんですが
何かの自慢じゃないですよ
これは別に。やや病理に入っている
気もするし
僕はシューベルトの公共局
8番の第一学章を
第2かな
第1だと思うな
第1の未完成ですよ
未完成はですね
1学章頭から最後までできた
1学章だけね
あれ2学章しかないじゃないですか
1学章正確に
それがやれるようになったんですよ
だからまるで
それをやって意味があるのかっていうのは
また別としてね
ステレオの再生しているみたいに耳の
耳のじゃないんですよね
脳内で完全再生させることができて
あれ何分くらいだっけ
4分はいきますよね
もっといくか
10何分とかいくか
だから時計でも測ることができてたんですよ
僕はカラーヤンよりは遅いってことを
知ったんですよ
カラーヤンよりは自分が再生する
速度は速くない
カラーヤンは速いって感じがするんですよね
フルトベングラーが好きだったんだけど
フルトベングラーよりは速くなっちゃうのかな
なんかそういう気がしたんですよね
フルトベングラーはロマン派の
指揮者なんで
それはいいんですけど
とにかくそういうことをできるようになるまでに
何年かかってる結局
結局なんだかんだやろうと思ってから
できるようになるまでに15年ぐらいは
かかってるわけですよね
ずっとやってたわけじゃないからね
当時中学受験とか大学受験とか
鬱陶しいものも途中
特に中学受験の時とか
よくそんなんで受かったなと思うんですけど
それ相当やってたわけだからね
もちろんそっちはエロ系ですよ
当時はシューベルトとか
そういう高尚なマネはできないんで
あと
なぜか我輩は猫であるを
なんて言えばいいのかな
小説を読んでいるように
再生するってことやってたんですよ
文字を
オーディブル聞いているように
ではなくて
あくまでも文字を追っている
って感じで再生するっていう
あれは大体失敗しましたね
名前はまだないの先の
まるでヤカンダぐらいまでしか
いけてなかったんです
暗記とは違うんですよこれは
これをやると受験に役立つんじゃないかと思って
やったことがあるんだけど
人数上労力の無駄でしかないということが
わかったんで
全部覚えておくっていうのはやっぱり
非常に邪魔なんですよね
効率的ではないわけです
まあまあ
それはいいとしてですね
この対象つまり
夏目漱石の文章でもいいし
シブレットの公共曲でもいいし
エロでもいいんですけど
自分がそれになってしまってる
一部になってしまってる
つまり音楽になっちゃってるから
脳内にあるはずなわけで
つまりそれは
音楽になってるって言っても
音楽はものじゃないから
ベータ要素ではなくて完全にアルファ要素なんだけど
アルファ要素にはなってるんだけど
これは何なんだっていうのが
27:01
当時アルファ要素とかベータ要素って言葉を
知らなかったわけですから
対象化されている私と
それを楽しんでいる私に
この場合分裂してなければいけない
だからなんでさっき
マトリックスを言いかけて
かつ批判的に言ってるかというと
マトリックスの中で人は
こういう名責も見たり空想したりしてないんですよね
なぜならあの世界が空想世界になってるから
あの中でどういう
空想を人々がしているのかっていうのが
まるで問われてない
気がするんですよ
物理世界の中で物理世界と
共に生きてしまってるわけですよ
なんか言ってることが分かりにくいかもしれませんけど
あの中にあるとされているものは
ないわけじゃないですか
彼らは空想してるわけですよね
しかし我々は空想してるじゃないですか
だからこの世界が空想の産物だとすると
じゃあ我々が空想だと思っている
要するにアルファ要素は
何なんだってことになるわけですよ
これは通ってない気がするんですよね
ああいうマトリックスみたいなものは
私たちは
この世界が
知覚内容が空想だとするならば
じゃあ我々の空想内容は何なんだ
っていう
空想のコンテンツは何でできていて
知覚のコンテンツは何でできているのか
っていう問題があるはずなんですよね
現象学では問うんですが
そういうことが
問われてない気がするんですね
多くの
そういう面積
インセクションでもいいんですけど
なんかおかしいって思うんですよね
あれはね
ああいう言い方をするのはどこかが
我々はみんな脳内で空想
僕ほど知っている人は
僕ほど知っているとジドイドっぽくなりすぎるから
よくないし
ジドイド傾向が強いからこんなことやってるのは
あると思うんですけど
してないってことはないと思うんですよ
やっぱりオルタミティの秘められている生活ですけど
ジェームズサーバーの
ああいうことは
やってる人はいっぱいいると思うんですよね
なのに
マトリックスとかでは全然出てこないじゃないですか
ちょっとは出てきてるかもしれないけど
ちょっとすぎると思うんですよね
僕はほとんどの人の生活は
私ごとじゃないにせよ
空想生活に近いと思うんで
この空想の対象というのが
対象関係論の対象に
表彰を取り除く必要があるのかもしれないけど
でも間違いなく私は
単に見てるわけじゃないですよね
ひちゃひちゃしてたんだから
リビド対象なわけですよ
リビドが向かうとか
その対象のせいで私が不安になるとか
恐怖するとか
実際不安になりましたから
私は当時は
今ではなんてことはなかったとしか言いようがないけど
当時は
幼稚園の先生に嫌われるとか嫌だったんで
年長の先生は
スタッキ君のことは好きじゃないから
みたいなことを平気で言う先生で
あの先生の方が面白かったけど
後から考えてみるとね
嫌な先生だったんですけど面白かったんですよね
あの先生は
あの子はいい子だから
いい子はみんな未経の男の子なんですよ
非常に分かりやすいんですね
そういう時代だったんで
あれはあれ
面白かったと思うんですよね
30:00
子供が傷つくっていうのは
分かるし
今じゃ問題になっちゃうのも分かるんだけど
なんかね
あんなもんだろうと思う
僕は別に
嫌だったけど
嫌だったのは怒ったり
殴ったりするから嫌なので
殴ってたんですよね
私は幼稚園が一番大罰食らった気がします
小学校に入ってからは
あの頭が抜群に
それは関係ありなんですけど
いい子ということで
まず罰されること自体がほぼ
なくなっていくんですよね
だけど小学校は幼稚園と違って
あからさまに引きしてると問題視されるから
あからさまには引きしないんですよ
先生は結構
頑張ってんなーって感じがするぐらい頑張るんですけど
気の毒な感じはするんですよね
だって先生に好き嫌いはしょうがないような気がするんで
幼稚園の時代には
私はどっちの先生にも好かれなかったから
まあしょうがないよな
これは
みんなのみんなそうは思わないって言われれば
もちろんしょうがない
では済まされないんでしょうから
難しいんですけど
その結局これも対象であって
だからやっぱり僕からするとですね
引ききすんなとまで言うんだったら
対象関係論は
なんらかの形で勉強しないと
あんなにたくさんの
当時私はベッドタウンにいたから
7クラス350人から
400人っていう小学校時代に
いたわけですよ
幼稚園もすごく多かったんですね
あれだけいればそれはっきり好きになれない子が
せめてに出ちゃいますよね
それはだから対象関係論なんですよ
要するに
悪い対象を投影しちゃうから
その子が好きになれなくなるわけですよね
この構造さえ分かってれば
この子のことが嫌いなわけでは
決してないというふうに
難しいかな
でも私はそれは
昔塾の先生やったときに
学んだんですよね
私はこの人に何かの
わけのわからんイメージを
当時投影という概念も対象という概念も
持ってなかったんで
わけのわからんイメージを追っかぶせてるだけで
この子が嫌いとかではないっていうのを
意識するようにしたら
単純接触頻度っていう
概念が心理学にありますけど
単純接触回数が多い人を
人は嫌わなくなっていく
っていう概念なんですけど
これはあるんですよ
なぜなら単純接触頻度が高い人を
わざわざ嫌うというのは
もちろんこれは精神的に
ほぼその関係の中で問題が
起きないことを前提にしています
起きればこの
法則はほぼ成り立たなくなっちゃうんですけど
でも単純接触頻度が
多い人と争うのは
生物としては損臭いのが一つと
単純接触頻度が
多いのにその人が死んでない
ということはお互いに死んでないということは
生物ですからやっぱり
良しとする
関係というふうに捉えるんですよね
脳的には
だからあえてそこを嫌う
力度ですよね
を持っている場合は別なんだけど
そいつをあんまり発動させなければ
33:02
単純接触頻度が高い
人は基本嫌わないんですよ
私これをさっさと知っておけば
大学時代のひもて問題で
あそこまでこじれずに済んだんで
毎日学校に行っておけばいいわけですよ
とりあえず
それは大きな方法なんですよね
毎日学校に行っておいて
普通に接触していて
お互いが死んでなければ
基本脳は行為を持つエネルギーを
発するんですよ自然と
もちろんそれが邪魔になってくる
つまりそいつがメーター要素になって
かえって嫌いになるってことは起こるんだけど
それはいわゆる相性が良くないんですよ
そういうことが起こるってこと
だからそういう人とうまくいかなくなる
というのはそれはそれで悪いことではないんですよね
ただ先生だと
そういうわけにいかないじゃないですか
だから先生って大変なんですよそういう意味では
仕事にはどうせ大変さつきものなんで
そこもしょうがないかなとは思うんですけど
知っておくべきことだと
思うんですよねこの辺のことは
やっぱり先生にしてみれば
私のようにかわいげのない子は特にそうだと
思うんだけど毎日毎日
クラスに来るわけだから
嫌いだからといって当時はそんなことが
できたんだけど嫌いだからといって殴るとか
嫌いだからといって激で
ダメな役を
配役するとかそういう
嫌がらせはするにしてもですね
それにつればその先生にとって何かは解決しないじゃないですか
ある意味リスク取ってるような
ところがあるんで
思うんですよね
だからやっぱり対象関係論は
大事ですと思いますね
そういう
自分が接触する人間を
選ぶことができずしかもその人間の数が
変に多いっていうことになった場合には
自分がどういう
対象を確実に
やりますから我々は
特に毎日顔を合わせるような人間には
絶対に
良い対象を投影するのか悪い対象を
投影するのか要するにその人に
良いおっぱいを見ちゃうのか悪いおっぱいを見ちゃうのか
天と地ほどの開きがありますから
まさに
このポッドキャストでは何回か話題にした
高階良子さんですよね
高階良子さんのコミックで
高階良子さんは
長女の
お母さんがなかなか
すごい人で
棒出す一瞬だと思うんですけど
お母さんが要するに長女をやだらかわいがり
下の子である
高階さんを
めちゃくちゃ虐待するわけですよ
ほぼ何の意味もなく殴り続けるみたいな
そういうもう半端ないわけですよ
あれ戦中ぐらいの話だ
と思うんで
高階さんはお母さんしか
眼中に無くなっちゃうじゃないですか
そんなことされてるから
そうするとお父さんが現実化のない人になってるわけですよ
単なる美形の良い青年で
この人は一緒に住んですらいないんじゃないか
って思う不思議な描かれ方してるんですけど
それはだから
お母さんの言うことが強すぎて
父親がかなり不在になってるんですよね
もうこれ高階さんの空想なんじゃないかな
って僕読んでて思ったぐらい
現実感がない男性なんですよね
変に若いしね
36:00
お母さんの顔
すごいリアリティあるなと
描かれてるのにですね
あれはもう小人木圭子さんが
よく描かれることですけど
調子の女の子
長女には要するに良い対象
自分の中の良い部分
要するに人の中には全部
こういう人が良い人だってのはありますから
理想化してる良い部分を全部投影して
高階さんには
なぜそうするのか分からないけど
自分の悪い部分を
悪い半分を全部そっちに投影するから
高階さんを見るたびに腹が立つわけですよね
これ完全に
さっきのマトリックスの話の
心の中の対象関係を
ただ現実に当てはめている
に過ぎないわけですよ
こういうことって
あれほど無自覚にある人っていうのも
いるんだなぐらいの話ではありますけれども
こういうことっていうのは
いくらもあることであって
多分我々だってみんなマイルドには
絶対やっているはずなの
というかやってますよね
じゃないと好き嫌いって発生しないと思うんですね
結局人は好き嫌いについて
説明できてないじゃないですか
顔が良いとか相性が良いとか
最近ではケミカルとかまで
言い出すじゃないですか
だけどここの関係に化学反応が起きてるはずない
起きてるかもしれないけど
そんなこと関係あるはずないんで
化学反応に好きも嫌いもないんで
リトマスシーで
酸性の方が好きだから赤になりますとか
そういうことじゃないんで
だから好き嫌いがあるということは
対象関係があるということだと
少なくとも対象関係論的には思うし
私はそれは
どう考えてもそうだとしか思えない
わけですね
ことさら投影とか言わなくたって
だって私なんか不思議ですもん
自分で見てても
例えばアジサイは好きだがチューリップは
サポデンでもないんですよ
こういうところにすら僕は
対象関係しか考えられないなって思うんですよ
だってアジサイの方が
私にとって利毒があるとかはないですから
別にこの色の方が
私見ているときに
脳内ドーパミンがより
そうなのかもしれないけど
それは利毒じゃないですからね別にね
アジサイ食えるとかいうわけじゃないし
そういうことじゃないんですよね
見た感じここに良いものを
より良いものを投影できてるか
チューリップが嫌いなわけじゃないんで
チューリップに悪いものを投影してるわけじゃないから
嫌いじゃないですけど
アジサイの方が好きなんですよ
理由はないですよはっきり言って
逆だって人がいても全然不思議だと思いませんもん
ただ僕の目には
こっちがよく見えちゃうみたいな
そういう話であって
それにはやっぱり良いおっぱいを
アジサイに投影してるんですよ
今言ってみて思ったんですけど
すごいつくづくそうしてるわっていうのが
要するに私はアジサイに母親の
理想化した部分を見てるわけですよ
なぜなのかわかんないですよ
でもだから好きなんですよ
じゃなきゃ同じになっちゃいますよね
同じかハチさんみたいに
いやミツがあるからチューリップに
行くでしょっていうこれ合理的でしょ
利得があるわけじゃないですか
好きだからとかじゃない
好きでしょうけど
好き嫌いってそんなもんだと思うんですよね
なんかそこに人が
39:00
大げさな理由をくっつけたのなんですよ
あの人は
人柄がすごい良いとか
そうなんだと思うんですよ確かに
人に人気がある人ってのは
でも多分対象関係の方が
よっぽど
影響力としては
圧倒的に出ると思うんですね
大事なのは好きな方も
とても大事だと思うし
良いと思うんですけどやっぱり好きになれない
人なんですよ
つくづく僕はそう思います
好きになれない対象というものこそ
私たちが
見るべきポイントだと思うんですよね
この内的対象と
同士が
どうやって対話できるかってことが
私にとってやっぱり
私は全部自分のことで
これは考えてる
自分のことでものすごくこと足りるんで
4歳から間違いなくやり続けてきて
悩み続けてきて
ことなんで
私はいつも物を見た時に
なぜこの物が見えるんだろうっていうのを
小学校時代から悶々としていた
悶々としてますよね答え出ないんで
悶々としていたほうなんで
やっぱりどうしても
木の前で立ち止まっちゃうんですよね
この木がこう見えるというのは
どういうことなのかということと
今見ているのが夢じゃなくて現実
つまり僕は自撮りのなんですよね
ものすごく
だから対象関係っていうのは
私はその言葉を知っていれば
対象関係が
うようよしているのが
内的空想世界である
それが心なのであるっていう
対象関係論はすごく僕には
しっくりくる発想で
その
対象関係の中の
対象の中で
やっぱりこう
全然
他の対象と仲良くなれない
なんだっけあれは
ポルギャリコ
かなんかの小説にありますよね
七つの人形の恋物語かな
とにかくそういう
身長から出てるんで
あれはまさにそうなんですね
あれは私はもう肉白したって思ったとき
あれを読んだときなんですよね
とにかくあの中でも
その人形たちの対話によって
一人の人ってのが出てくる
人形使いの男と
なんていうのかな
非常にこう
性的に搾取されている女の子の話なんですよ
性的にも搾取されてるし
でも恋愛関係にあるわけですよ
すごい面白い話なのは
その女の子と男の人は
そういう一方的で暴力的な
関係なんだけれども
男が一方的に悪いんだけど
この男が人形使いであって
この男が操ってる人形との
会話はもうめちゃくちゃ
幸せなんですよ
これってすごい変な話じゃないですか
この人形とその女の子の
対話は
それがその子の生き甲斐みたいなもんだんだけど
その男の人形使いである
男の人自体との
会話というか関係は
最悪のものなんですよ
すごいいい話だなぁ
と思うんですよね
対象関係というのは
そういうものなんですよ
42:01
その対象の一つ一つは
良い対象群なのかもしれないが
全体としては何かが
おかしくなっていく
っていう人っていっぱいいると思うんですね
中も
どんな対象が特に他の対象と
関係が
その中で僕はすごい
衝撃的なシーンがあるんだけど
女の子が出て行く
っていう話になるんですね
で
みんな人形が出て行かないでくれって言うんですね
男の人は出てこないわけですよ
出て行くって言った時に
出て行くこと
この子が出て行くんなら
もうみんな死んじゃおう
その男が自殺するってことになりますよね
死んじゃおうみたいな会議が
対象
人形の会議があって
それに対して
一体だけが
その意見に賛成しないんですね
そしたらその子は
その対象
人形ですね賛成しない人形は
みんなから追い出されて
ある意味殺されちゃうわけですよね
対象がだから
滅ぼされるわけですよね
これすごい話だなと
その後
人形使いと主人公は
よく作った話なんですけど
ということなんですよ
僕がよく思うのは
だから対象関係が
対話できるっていう表現を
実際対象関係で
富山直樹さんとかも取りますけど
このクライアントさんは
対象関係が対話を始めたなと
いう
動きがあるみたいな書き方をするんですけど
だからといって
始まったっていう話をするわけじゃないし
始まったということを
知っていることが本質的だけれども
何かの進展に
直接役に立つかどうかはまた別なんだが
みたいな書き方をするんだけど
僕なんかはやっぱり
対象関係の対話っていうものまで
漕ぎつけることが
水面下に近いですよ
首相とかがあるから
そういう参加動機でもいいんですけど
それさえ達成すればいいって話じゃないし
そこにゴールがあるってわけじゃないけど
やっぱりこの対話ができるようになる
というか始まるということが
一つの
目標だよなって感じがする
僕はだから
自分でそれを思ったわけですよね
例えば私は
自分のアトピーの肌と対話ができるようになった
時からアトピーは
消えていくんですよね
それは割と早かったけど
消え始めてからは
この対話になってないわけですよ
要するに関連に
よくあるじゃないですか
会議のミーティングでも
この人全く発言しないなみたいな
そういう人というか対象が
心の中にもあるわけですよね
他の対象といい関係が
気づけない対象みたいな
それは人とは限らないですよね
半分物だったりするんですよね
内的部分対象
だからいいおっぱいってそうじゃないですか
このおっぱいはこの会議で黙ってんなみたいな
そういう感じなんですよ
対象関係論で
45:00
ちょっとこれは疑惑しすぎですけど
だから
対象関係が良くなると
その時に
政治分析とかは
同一空間で長い時間
何年も何年もやってるから
いろんな対象が
分析家と話をするわけじゃないですか
という言い方をするんです
多重認識とは違いますよこれは
さまざまな対象が出てくる
多くの場合
対象を
何がなのか分かんないけど
そんなにチェンジしたからと言って
それこそ乖離とか多重人格みたいに
ならないようにしてしまうんで
人は
そういうのが
専門の分析家なら
分かるんでしょうけど
一般的には分かんないですよねそんなこと
この人は
少しさっきと違うなみたいなことを
感じることはあっても
異なる対象が出てきたみたいな言い方しないじゃないですか
異なる対象が
出てくるというのとは違うんですよ
どっちかというと人間というのは
多分対象関係の
対話がありその結論を
何か
人が告げてくるって感じなんですよね
それが
ポール・ギャリコンではよく描かれてる感じがしたんですよ
いずれにしても
あれはどうしても人形だから
対象が直接女の子と
喋っちゃうんだけど
実際にはほとんどそんなことは
そんなことは起きないと思うんですよね
あくまでも対象と対象の
要するにある意味会議みたいなものなんですよね
本当にね
これが結論ですから私としての
みたいな私ってのは常に
議長みたいなもんで
議長は何て言うのかな
長寿屋とは違って
対象を支配して
一方的に対象を
対してその人が
言うぐらいだったら対象関係なんかいらないじゃないですか
ある種民主的なんですよね
きっとこれは
民主的は変なんだけど
だから良い対象悪い対象
っていう言い方するけれども
悪い子って話とはちょっと
違うんですよ
幼い対象と成熟した対象みたいなのはあると思うんだけど
必ずしもどっちが
良いとか偉いとか上とか優秀
という意味ではないと思うんですよね
そういう
感じがしてます
だから対象
ってのは私の中では
すごくしっくりくる概念
でしてうまく説明するのは
困難な概念でもあるんですけれども
これ通して
ものってか特に
人間関係ですね私の場合奥さんとの関係とか
仕事ももちろん
参加者さんとの関係とか
もちろん私の中でも対象は
いろいろ分化しているので
どの対象がこの場合は優先
この人とこの時にはこういう対象が
優先になるみたいなこれを意識して
おかないと本当に
手ずるが何もなくなってしまうんで
この感じ
ですよね
だからこの対象の意見を
聞きたいみたいな
そういう感じですよね
この感じが私は
その
48:00
私の場合はビジネスコンサル個人コンサルですけれども
でやろうとしている
その人との
対象関係を
理解していき
今この意見
この件については
このあの対象の意見を
聞いてみたいみたいな
ただそれはあの対象を出してきてくださいみたいな
そういう感じじゃないんで
なんか22のビリミリガンでそういうような
シーンがありましたけどあれは変なんで
私が思うにそうはならんだろう
って思うんですよやっぱり
だって私ってできないですもん
幼い頃の
4歳だった時の対象を出してきました
みたいな
そうはいかないんですよね
そうやって対象を出してきて
こう板子みたいになるみたいな
そこはできないんですよ
あの本当に
それをやろうとするとただ演技することになってしまう
それはそれであるのありなのかもしれないけど
ある意味では
ある種のその流派では
そういうやり方をするのかもしれないんですけど
私はそうではないと思う
それは不自然すぎると思うんですよね
そんな感じです