3ヶ月チャレンジの導入
おはようございます。 佐々木正悟のライフハックからの精神分析第1308回をお送りします。
1月19日月曜日8時46分です。
CMから。 3ヶ月チャレンジの第13期が来月2月1日からスタートして4月30日まで、2月3月4月ですね。
4月30日までの3ヶ月、やります。
で、ちょっとですね、間に合えばなんですけど、第13期からは視聴コースというものも設けようかなと思うようになりました。
やろうと思えば、このフォトキャストを今後そっちに合流させていこうと思っているんですけれども、
やろうと思えば、毎日セミナーできるなって最近、昨日思ったんですよね、不意に。
別にやろうと思えば、いや全くできないぐらいセッションが埋まってるという日も全くないわけではないんですけど、
結局は、まあ11、2名の方、あ、3ヶ月チャレンジだと3枠ぐらい空きがございますので、
ぜひ、お試し、1回目無料っていうのを意外にお試しいただいてないのが、ちょっと殺到したら大変かもとか思ったんだけど、殺到も何も全然起きてなくて、
まあね、1回しゃべってしまうと、勧誘されて断りにくいんじゃないか感っていうのはお持ちなんだと思うんですけど、
勧誘しませんから、1回お試しいただければいいかなと思います。
45分ぐらいを考えておりまして、お互いこの3ヶ月チャレンジで3ヶ月間お互い喋ってられるのかの感覚的なすり合わせみたいなところもありまして、
私の方もですね、その辺のことを考えるようになったんですよ。
心理カウンセリングの現実
誰でも彼でも3チャレンジに入れば自体がベターになるかっていうと、相対限らないんだなやっぱりっていうのをね、考えさせられるようになりました。
これはもう治療的万能感とかは、多分ね、セッション最初に始めた人はみんな持つんです。治療してなくても。
自分ならやれるような気がするんだけど、やっぱり世の中は広く、ニーズもものすごく多様で、
本当に多様で、お参加いただいてる方はみんな同じようなニーズぐらいに思ってらっしゃる可能性は十分あるんですけど、
やってる私の側からすると、10人いれば全く違う10色みたいになるんですね、これは。
そして、そういうことってあるんだと。考えてみればあるんですけど、あれですね、やっぱり推理小説を読んだ時の感じと全然違うんだよ似てるんですよね。
あ、そっか、それはそう考えればそうだよねっていう、でも推理小説って、だからこそ推理小説は面白いわけですけど、
最初に読んだ時はなんじゃそりゃって思うようなことが起きるわけじゃないですか。だけど、言われてみればそうだよねって感じなんですよね。
あれとすごい感覚は似てます。普通にそういうことはそうだ、起きるに決まってるよなと。でもそんなことが起きるんだっていうのが両方同時にやってくる感じなんですよ。
そして、自分が想像している想像の幅の異常な狭さをですね、感じさせられます。
本の紹介で、昔ブロガーとして非常に名を生かせたダン・コガイさんっていう方がですね、昆虫の図鑑を見てみろと、そして君の想像の幅の狭さを考えなさいみたいな、
そういうどんなに想像力をたくましくしても、現実にいる昆虫のこの凄さは想像ができきれんだろうっていう、そうなんですよね。僕も思えばですね、子供時代、昆虫大好き人間で、なんか世界の昆虫図鑑とかを持ってて、分厚い、めちゃくちゃ分厚いやつね。
考えてみればそうですよね。で、あれ昆虫しか載ってないんですからね。世界の昆虫図鑑ですもんね。
あれに世界の魚図鑑とかを足すともう、あと海の生き物とかね。海の生き物も本当に宇宙人かよみたいなのばっかりですよね。あれ全部想像するのは無理ですよね。あれを見た後で似たようなものを宇宙人とか言っちゃうわけで、あの知りませんけど、宇宙の生き物図鑑とかがあったらますます尻滅裂なものができるんでしょうね。
というぐらいさっぱりわからないものが世の中にはあるものなので、それに比べれば人の営みなので想像できそうなものなんですけど、やっぱりその人ご自身が意識されてなかったことまで含めて3ヶ月経つとですね、全てが明らかになってきますみたいなことが起きて、そしてその全てが明らかになってみると、
いや全く最初に聞いたときの、確かに最初に聞いた話そのものなんだけど、最初に聞いたときの印象とは全く違いますね、そのお話は。っていうことばっかりなんですよ。で、そこに何かのラベルを貼ったところで、例えば超序章航群とか、要するにその正式な表面じゃないですよね、超序章航群だって。HSPだって正式かどうかは知らないんですけど、あのDSMに載ってるかどうかって話ですよ。
そういったラベルってやっぱ、それは確かに超序章航群、でもその人は地なんですけどね、みたいなそういうのってありますが、あんまり意味ないかなっていう。ものすごくざっくりとならそれでいいかもしれないけど、結局はそんな名称に大した意味はないなっていう。とりあえずそう言っとけば社交的には話が通じるっていうだけであって、ことの真相は全然それじゃわかんないですよね。
というのが、参加された人数通りいらっしゃいます。一度も、いやそれは十分予測できました、などという話はなかったと言われます。で、ということから考えてみてもですね、そのやっぱ3ヶ月ぐらい必要だということと、プライバシー、プライベートですね、プライベート空間というものが必要だということと、
その、あとは話していけるかどうかっていうのはとても大事だということですね。で、他の、やっぱこれもね、我々の想像力が狭いんですよ。心理カウンセリング一つとっても、正規って言っても、だって正規の人5万人とかいるわけじゃないですか。私はやっぱ5万通りあると思った方がいいと思うんです、最近は。
なんかCBDと精神分析とユング派と人間中心主義党みたいな、なんか7つぐらいしかないように思うってしまうんですけど、そうじゃないですよね。5万通りぐらいあると思った方がいいんですよ。
普通の相談で戸畑海人さんが書いてる通りで、夢のリファーシステムは無理なんだと。要するにあれですよね、精神分析が合わないんだったら、じゃあ私の知り合いにいいCBDの先生がいるから紹介します、みたいなことを言おうとしても、そこは有名でいい先生なら枠が埋まってたりするし、そもそもそんなに知り合い多くないし、夢のリファーシステムは現実的ではないんです。
でも何よりも現実的でないのは、世の中の悩みの総数は、提供できるサービスの総数の遥か上をいっている。これは絶対そうだなと思うんですよね。精神分析なら何でもカバーできますみたいな雰囲気を持ちますけど、雰囲気というかその構えを持ってますけど、コンテーナーとかって言って、コンテーナーって結局はコンテインっていうのは、どんな人が来ても抱えるよっていう意味なんで、それはとても大事なことだし、
これも戸畑さんが書いてるんですよね。まずとりあえずは引き受けることなんだと。相性がマッチしようとしないと。ここが話がややこしくなるところなんですよ。とりあえずは引き受けろと言って、でも相性はあるよねって話を他方でするから、こういうことになるわけです。
ですが、やっぱりしょうがないんですよね。それはね。その案件、実は税理士案件ですよねっていうことすら、メンタル案件っぽい顔なんだけど、実はそれ税理士案件ですよねっていうことはあるんですよ。まず税理士に相談しましょうみたいな、そういう話。あるいはその案件はメンタルっぽいけど、実は弁護士案件ですねって、これも結構あると僕は思います。
サービス供給の限界
だからと言って、じゃあちょっと私これから弁護士やりますからってわけにいく。これが要するに自分で全部やろうとする人の態度なんですよね。こう言うととても変だから、そんなことはないだろうって思われるんですけど、最近X拝見していますと私ちょっと、うんうんって思うんですよ。
なんかこう心理職の方々が、これがやっぱりなんていうのかな、人間の差がなのかなと思うんですけども、いろんなことに答えられなきゃならないからっていうことで、なんかファイナンシャルブランナーの勉強とかを始めちゃうんですよね。わかるんですよ、その感じって。なんかお金に困っていることがメンタルに答えるってことは多々あるから。
でもやっぱり、なんかこう、なんていうのかな、そして心理職は専門職だからっていう、これはつい最近専門化したから、というか専門化が公認化したのが最近だからっていうことがあるんでしょうけど、いやそこを人々はカウンセラーに求めないよねって感じもするんですよね。
だんだんだんだん万能的福祉職になってっちゃうんですよね。でも私はあれも非常に考えものだと思うんですよ。これもなんかわかる気がするんですよ。なぜなら例えば引きこもっている人って経済力なかったりするじゃないですか。少なくとも1回1万3千円を週に1回ずつ払えますっていう人ではない可能性が高い。
私もそんなの払えないしな。私もなんかこうかなりこもりがちな生活だし、大体やっぱバリバリと打って出ないとダメなわけですよ。そんな毎週毎週1万3千円で、月には直すと5万円で、3ヶ月で15万円ぐらいを払えるとなってくると、やっぱりその何とかかんとかバイトでやってますって状況でそんなことできないじゃないですか。
でもだからといって経済力をつけるためのアドバイスも心理師の人に期待するかというとそれもなんか違うような気がするんですよね。だんだんだんだんそういう万能的福祉職みたいなものが求められているような気がしてくるんですよね。お互いになんかやっぱり高いじゃんみたいな話になりやすいんですけど。
でも安くしてしまうということは何を意味するかというと当然その一人の心理師さんなりカウンセラーさんなりが心理カウンセラーとは限らないけど抱える人数が増えるってことを意味するじゃないですか。単純にそれがどういう事態を引き起こすかは大体想像がつくわけですよ。
例えば私の行ってる地元のこの地元はお年寄りがとても多い人口そのものは少ない。二宮町ですからね。そうすると美容院に行った時にですね。やっぱりその美容師さんが足りないわけですよ。はっきり言えば。
だってずっと同じお年寄りさんを同じ美容師さんが見てくるっていう形に近い形をとってきているわけだから。そして髪は伸びるわけですから。でその枠の中に入っていこうとする人が腕が良い人のところには当然そういうことが起きますよね。
1回1万円私なんかの場合はしないですから。しかもそれ週1回なんて必要ないじゃないですか。月1回で済むから。まあいわゆる心理カウンセラーとかに比べると実は美容院って安いわけですよ。1回1時間で済まないのにも関わらずですね。そうすると腕が良ければ殺到しますよね。小さな町の場合そもそも美容院少ないんですから。
何が起きるかというと特に12月末ぐらいになってくるといやーいやーとか言われてなんかこう次の予約は1月ですね。いやいや年末に髪切りたいんですけどっていう話なわけですよね。これは新入職でも絶対起きるはずなんですよ。そんなこう万能的に福祉的に何でもできる人が格安のお値段で相談に乗ってたらですね。
だってそこに行ったらお金の心配もなくなるし、税法の心配もなくなるし、法的な心配もなくなるし、そしてメンタルも安定してさせてもらって1回3000円ですってなったらそんなもの。なんかもうじゃあ今日の予約は朝から晩まで全部で50人ですってことになっちゃうじゃないですか。絶対そういうことになっちゃうじゃないですか。
タスクの重さと主観
実際ここの地元のさっきの話の続きみたいな話ですけど、皮膚科の先生腕がいいもんだから午前中だけでも50人が予約。それも8時に開始したら8時5分の段階で埋まるみたいなそういう馬鹿げたことが起きるわけですよ。馬鹿げてはいないんだけど午後も同じですよ。
なんかあんなにどっかの師匠じゃないけど働いて働いて働いて働いてやってて大丈夫なのかなって思うんだけど、すごい働いてます。女の先生なんですけどね。
このことを一つとってもですね、万能的副試食ってめちゃくちゃ危険だなって思うんですよね。やっぱりね。だって1回について30分は絶対必要で、弁護士のお試しってよく30分5000円ぐらいでやってらっしゃるんですけど、私も2回ほど利用したことがあったんですよね。出版したんだけど本のお金取れなくて。
あっという間ですよ。30分なんてあっという間。話を早口でお互い頑張ってまふしたてで市役所行ってですね。あっという間に30分経って聞きたいことの3分の1も聞けなかったなみたいな話で終わっちゃうんですよね。それでもね、いい申し立てとかをしてみたんだけど意味なかったですけどね。別にね。会員裁判所とか行ってね。
いい経験ってやつですが、とりあえずそういうわけで3カ月チャレンジはギリギリのお値段を常に探り探り頑張っていくしかないなという。これはでも治療じゃないですね。ただとにかく世の中には悩みの総数に対応できるサービスの総数というのはありえないということですね。
このこととさらに合わせて松木君博さんが書いていらっしゃった現在でも不治の病というのは実に多いことに医者を目指された松木さんは衝撃を受けて、そして精神分析家になってからも自分にできていることが実に少ないなと感じると。
実にあの方がやってる方は多いなと思うんですけれども、そういうもんなんだっていうことはやっぱりどっか頭に置いておくしかないなと。何でもかんでも解決できるっていうサービスなんてありえないということなんだろうなと思いつつ、なるべく何かをいっぱい提供できるといいなと思ってやってます。
ということで本題に入りますと、昨日これは100日チャレンジ、こっちもよろしくお願いしたいんですけど、100日チャレンジのハーフタイムイベントというところでつまり50日経ちましたよというイベントで話したことなんですけど、話す直前に考えついたんですよ。
前々から考えてはいたんだけど、話がまとまり始めたなということで、この話を今日は力度に絡めてしたいんですけど、こういう流れにできると一番いいんでしょうけどね。先送りがテーマなわけですね、100日チャレンジは。
先送ってしまう理由というものは、私はですね、もともとずっと最近そう思ってるんですけど、タスクが重たいとかっていう言葉があるんですけど、タスクが重たいかどうかはほぼ主観で決まるというか100%に近いぐらいに主観で決まる。
100%主観かどうかは、でも例えばですけど、私なんかは毎日毎日1日可能なら3回ずつぐらいお風呂入りたいぐらいお風呂好きだけど、お風呂キャンセルするって人もいるわけじゃないですか。これ完全にこれを一つのタスクとみなすなら主観じゃないですか。
いやーお風呂ってタスクが重くて毎日キャンセルしたいですよねって言われても全然一瞬たりでもそんなこと思ったことないから、毎日3回ずつぐらいは入りたいですっていう人間も世の中にはいてですね。
当然重さは全く違うわけですよ。僕にとっては風呂に入るというタスクは超軽量級なわけですよ。いや重さないですよはっきり言って。入っていいならいつでも入りますよっていうぐらいそういう人間もいるし、一方であった風呂というタスクがそもそも重いとかいう方もいる。
主観ですよね完全にね客観性はどこにもないと言えると思うんですね。だって私お風呂入っちゃダメだと言われて風邪をひくとかなんとかでねいう風に言われた日を除いては前日入ってる気がしますもん。もう入るもんだぐらいに寝るのと私徹夜としたことがないんですよね。だから寝るのとお風呂入るのは私にとってはもう毎日タスクでありしかも欠かしたことがないぐらいのタスクなわけですよ。
確定申告の心理的負担
タスクじゃないけど。で、一方で何かと先送ってるものとして確定申告の準備っていうのがあるんだけど、確定申告の準備は風呂より大変かっていうとそれはすごく無理があるんですよね。
だって風呂より早く終わるのは間違いない。1日3分やればいいし、着替える必要もないし、暑い思いも寒い思いもしないし、特に何かを計算するわけですらない。確定申告の準備が大変だと思ってるこの大変さとはつまり心理的なもんですよね。しかもそれだけじゃないんですよ。
これは良いことと嫌なことを比較してみたんだけど、そして良いことの方がエネルギーは間違いなく使うよねって話を今したんですが、嫌なことと嫌なことと比較した場合でも確定申告って無がなぜか悪いんですよ。
例えば私はこの街はカラス除けのネットをゴミにかけなきゃならないんですよ。それを片付ける当番というものが町内会の当番制になってて、当番札っていうのが来ると1週間やらなきゃならないんですよ。実に嫌なんですよ。
雨が降ってるとものすごく嫌なんですよ。でも僕あれをやらなかったってことはないんですよね。当番の日。しかも週に2回した3回。週に3回嫌なことをやるってすごい難しいんですよ。毎日やる方がマシなぐらい、週に3回嫌なことをやる。しかもうち2回雨でしたみたいな。
本当に嫌な週になるんですけど、しかしやらなかった日は多分ない。当番札が来て。やらないってのは結構勇気が要りますからね。あの雨が出っ放しになってて他の誰かに片付けてもらうだけだけど、それは避けたいわ。
このモチベーションだけでできちゃうんですよ。一方で全部の確定申告はなるべく先をくるんですよね。やらなかった日がいっぱいありますよね。なんならやらないで済ませそうになる年すらあった。今はないけど。
だけどよく考えてみると、じゃあ確定申告をすっぽかして嫌な思いをする嫌な思いと町内の網の片付け図において誰かに片付けさせてしまうその罪悪感とどっちが嫌な思いかっていうとかなり難しいですよこれは。
税の方が総合的に見ると明らかに嫌な思いはでかいと思うんですよね。しかしなぜか例は先をくる。そして税の準備の方が絶対雨の日の網ネット1回分に相当するぐらいの疲労感で済む。
だけども、少なくとも年に5回はやる。絶対に5回かける3なら15回ぐらいはやる。この網の片付けはしなかった日はない。ここ5年でない。だから100回ぐらい先をくった日は1回もない。先をくるってことはないですけど先をくる間にここはキレイ好きのご老人がいっぱいいらっしゃるんで誰かが必ず片付けてしまいますけど。
だからそういうことを知ってもらったこともないわけですよ。不思議だなと思ったんですよね。昨日話す直前に。なんというかこういうことはよく言われてはいるけど何をどうとっても不思議だなって思ったんですよ。
よく布団から出られない問題ってあるじゃないですか。布団に入れない問題の人もいるんだけど同じだと思うんですけどね。あとシンクの溜まった皿を片付けられない問題あるじゃないですか。
私はこれは基本的には移行対象の問題だと思うんですね。今は。つまり布団から出るときに安心毛布を持ってライナス君が出るのと安心毛布なしでライナス君が出るのだと安心毛布付きの方が圧倒的に布団から出られる早く出られる効算が高いなと。これはもう確実だなと思うんですよね。
非常にあれは大事なんですよ。つまり母親ですよね。母親を思い出させてくれる対象。つまり移行対象ですけど可能性空間に空間を変えてくれる対象。移行空間ですけど。つまりここはゴミを片付ける時空なんだっていう風にその人が思えばいいんですよ。
思えばですね、うちのちっちゃい子が網片付けるのパパ手伝うよみたいな感じでやってくれていた時代が今はもう女子高生なんでそんなことやってくれるはずもないんですがあったんですよ。つまり大変さというものは主観で決まるものであり、しかも網を一人で片付けることはあの子は絶対しない。私となら片付ける。これが移行空間っていうものなんですよね。
そういう微笑ましい光景の話をしたいんじゃなくて、私たちは大人になるとですね、これを自分でこの空間をセットしなければならないんですよ。セットというかこうなんていうのかなぁ。アラジンと魔法のランプみたいなんですよね。そこに魔法のランプを擦って精が出てくると、精霊出てくるとその空間が変わるみたいなそういう感じなんですよね。
もちろんこれは心理的なものですね。心理的なものに決まってますね。ランプ擦ったって何も出てきやせんのですからね。このランプは心の中にあるわけですよ。で、いやいや、うちは親がそんなに良い親じゃなかったってそういう話ではないんですよ、これは。
これはいつもそう思うんだけど、仲良しだからやるというのは微笑ましい光景の話をしてるんですけども、例えば私は別に網を片付けるときにお母ちゃんが横にいてくれる感情を持ってるから片付けられるとかそういうことを言ってるわけではないんですよ。網を片付ける空間に僕がいるってことなんですよ。
移行対象と空間の作成
その時に例えば網を片付けるとそんな大変なことができるんだから帰ってきてすぐ確定申告の準備できるでしょ。できないんですよ。なぜならそこはキッチンで確定申告の準備をする空間だという認識をキッチンで確定申告の準備する人はいっぱいいるでしょ、世の中に。私の中でそうなってないっていうだけですよね。
だから可能性空間というものは任意に作り出せるものでありながら、任意に作り出すことは決してできないものなんですね。
ユニコットが言ってる通りです。心の中にあるものであり、現実の心の外にあるものでもある。つまり何も言ってないのと同じなんですが、でもそういうものなんですよ。
2人で作るものなんですよ。これも非常に大事なんですよね。誰とでもいいんだけど誰かと作りましょうと。そこに母子関係というものができる。それが原始的なその母子が仲がいいとか言ってないんですよ。
母子関係というもの、つまり1人だけで空間は作れないとユニコットは言ってるんですよね。たぶん1人だけの赤ん坊などというものはいないっていうあの言葉がここに生きてくるわけです。
1人だけでは赤ん坊は生まれてこないんですよ。たったそれだけのことなんです。基本的には三者必要。なぜ三者か。三角を置くためには空間がいるからなんですよ。三角形が置かれるためには空間がいるから。三角形があれば空間ができるんですね。
でも人間2人でどうして三角形って言われるかもしれないけど、1人母親、1人息子、2人目ですね。息子でも娘でも子供。だから1人母親、2人目が子供。そして第3の点というところに意向対象が置かれる。あるいは言葉というものが置かれる。
この意向対象というものはつまり母親から見ても子供から見てもおそらくほぼ同じ意味を持っている。そういう対象です。だから言葉ってそうじゃないですか。お母さんからはいつレインとか言って子供は雨だって言ってお互いの意味がわかってなきゃダメですよね。それは三角形にならないですよね。
三角形になるためには1、2、3のこの3が第1車から見ても第2車から見ても同じ意味を持ってないとダメなんですよ。だから私はいつも交差点、交差点言うんですよ。交差点に行って、あ、赤だ。で、向こう側の人も赤だって思ってくれないと困るんですよ。向こう側の人からは青に見えてるとかいうことになるとたちまち事故るわけですね。
で、信号が大好きかどうかとか、この止まった運転手のことを愛してるかどうかとか、仲のいい母子関係かどうかとかはこの場合問題にならない。大事なのは共通理解ができるということと、第1車、第2車、そして3点目が存在し、で、交差点は空間じゃないですか。
しかし交差点というのは、道路交通法では厳密な定義があるかもしれないけど、どこからどこまでを交差点というかなんて、そのドライバーさんたちが勝手に決めてるところがあるじゃないですか。やっぱり。
信号から、停止線から5メートルとか言うけど、はっきり言って誰もそんなことを厳密に信じてるわけじゃないですよね。なんとなくこの辺まで交差点だろうみたいな感じじゃないですか。
そして、ということはつまり交差点という空間はドライバーさんなり歩行者さんたちの心の中にあるものでありながら、確かに彼らが誰もいなくても交差点は交差点ですよね。つまり心の中にあるものでありながら心の外にあるものでもありますよね。
で、これは人間にとってだけ成立することですよね。だから猫とかは交差点で下んな目にあったりするわけです。猫にとって交差点などというものはないから。で、こういうことを僕はやっぱりどの空間で何をすることに自分がしてるかというのはとても大事だなと思うんですよね。
行為の実行と空間
お風呂場で株先申告の準備しないでしょ。絶対に。おそらく絶対にしないと思うんですね。やることの計帳とか使うエネルギーとかかかる時間ってものは別に意味ないんですよ。私たちが先送るというときにやってるのはただただその行為をやるための空間がここにないって言ってるだけなんですよね。
だからその行為をやるための空間というものが作り出せれば直ちにその行為は行われるんですよね。私はお風呂が非常に簡単なのはお風呂場に行けばもう自動的に全てが始まってしまうからと思ってるわけです。
トーマス・オグデンが非常に良い事例を出していて、ある子供がお風呂恐怖症になってるんですね。多分お湯恐怖か水恐怖なんだと思うんですけどね。心のマトリックスに出てくる話なんですけど。
そこで子供がお風呂場に入ると固まっちゃうわけですよ、恐怖で。ありますよね、固まってしまってカチンコチンになってしまって、誰だーみたいになってしまって、顔面蒼白で言葉も出ないみたいな感じなんですけど、よほど怖いわけですよね。
で、お母さんが一見を案じてお茶ごっこをするわけですね。またこれも微笑ましい光景が大事だように思うんだけど、そうじゃないですよ。お風呂場で固まってる子供にしてみると、お母さんが優しいとか仲がいいとかそんなことで恐怖は取れないですよ。
何をやってるかというとお茶ごっこをしてるんですよ。お茶飲みましょうねとか言って、ふーふーしましょうっていうのに子供が乗っていくわけですよ。じゃあ僕もお母さんにお茶を入れてあげるって言って、お風呂場に近づけることができるという話なんですよ。
ここで意向対象は言うまでもなくそのお茶ですよ。そして共通理解として母親から見てもこれはお茶であり、今はね、お子さんから見ればもちろんこれはお茶であり、母がいて子がいてお茶がある3点があり、その3点のある空間はお風呂場ではないんですよ。だから子供は急にリラックスすることができたっていうのはこの話なんですよ。
この話は間違いなく心理臨床であり精神分析ルームのことを言ってるわけですけれども、つまりそれこそがまさに精神分析であるって言ってるわけですけども、これが意向対象と可能性空間と象徴機能というものの持つ、つまり我々は象徴機能を介した三者関係を作らない限りリラックスすることができない生き物なんだっていうことを案に言ってるわけで、案にではないな、もうあからさまに言ってますよね。
これを一番言ったのがウィニコットですよね。
ちなみにトーマス・オグデンはアメリカの人ですから、当然ベースは自我心理学だと思うんですね。
ウィニコットという人はイギリスの対象関係論の独立学派の人だからすごく遠いんですよね。
だから私はオグデンの書くものっていうのは非常に好きなんですよね。
こういう遠くにあるものをわざわざ取り込んでいって、アメリカの自我心理学では対応しきれていないなと思うところを補おうという、これもまさに第3点ってことだと思うんですけど、非常に大きな三角形が描ける感じがしますよね。
アメリカ・イギリス・オグデンみたいな、あるいは自我心理学・対象関係論・オグデンみたいな、そういう三角形がコンテーンされてる感じっていうのがありまして、
私は彼の本って非常に好きなんですよね。
ある意味、クラインとかウィニコットの本を読む時よりも、非常に考えさせられるところが多々あるんですよ。
ちなみにドイ・タケオさんという人が、やっぱりカンザスシティに行ったのかな、私も一応カンザスシティに行ったんだけど、それはいいんですが、
彼はカンザスシティに行った人だから、しかも戦後間もなく行った人だから、やっぱり自我心理学を最初にやったんですよね。
で、自我心理学でスーパーバイスつけて精神分析学ぶじゃないですか、先生について。
かなりメンタル的にはダメージ食らったみたいな感じの話を藤山直樹さんの本で読んだことがあって、
実際、ドイ・タケオさんの甘えの構造をはじめとして、甘えというのはまさに二者関係のことを言ってて、非常に対象関係論的な話なんですよ。
でも彼が最初に学んだのは自我心理学だから違うんですよね。
三者心理学、一者心理学の話をしているところで勉強し、でも彼は独自にああいう甘えみたいな、
どっちかっていうと完全にウィニコットの世界みたいなところに、あるいはマイケル・バリントとかああいう人たちの世界の方に非常に近しい、
実際ドイ・タケオさんのところについたのが藤山直樹さんで、彼は完全に、完全にではないかもしれないが、
ウィニコット相当ベースに置いているなっていう感じが、ウィニコットの話がやっぱり、
僕はウィニコットっていう人に関しては藤山直樹さんの解説をほぼ下地にして考えてますから、
松木さんはどっちかというとやっぱりクライン・ビヨンっていうところの線がすごい濃いんで、
どっちかっていうと私はその話だけでまとめられた方が話としては理解しやすいんですけど、
でも現実にはこのウィニコットっていう人の発想ってすごく特にこのポッドキャストのタイトルの通りなんですよ。
このタイトルをつけた時は私はウィニコットの方を意識してた気がするんですね。
ライフ博からの精神分析。
そのニードとニーズとか移行対象と移行空間といった話はすごくこう、仕事を実行するっていう時に役に立つ概念なんですよね。
ここに良いおっぱい悪いおっぱい、排出っていうことはやっぱり人間関係の話としてすごくあって、
もちろんメールを読んだ時の、でもメールって人間関係じゃないですか、他人から来るものですよね。
メールを読んだ時にすごい嫌な思いがしてきて、万能空想的に排出してっていう、そういう発想でだからメールが出せないとかいうのが理解しやすいっていう意味ではクラインってすごいいいんですけど、
自分一人で朝のリューチンから現在やってるようなポッドキャストまでの流れを作るっていう時に考えるのは、
どっちかっていうとその可能性空間、移行対象っていうもの、あるいはニード、ニーズに変えるみたいな発想を取っていった方が、
二人で一人とか一人で二人とか、そういう発想を取っていった方が流れとしては理解しやすいなっていうのがあるんです。
やっぱりタスク管理なんてまさに象徴機能そのものなんで、あそこに書いてあるのは象徴ですよね。
あそこに書いておいたって仕事が進むわけじゃありませんし、これはよく言うことですけど、
実際ここに今日のポッドキャストをやるみたいなタスクが一期を書いてあるんですけど、それが書いてあるからなんだって感じなわけですよ。
別に、なんてことない。ここにいわゆる息吹を吹き込むって言うんですかね。
ここに命を吹き込むのは自分の心なわけですよね。
ここで、例えば私なりとこれを聞いてくださっている皆さんと、そしてこのポッドキャストのタイトルという意向対象、あるいは第三極というものがあって、
お互いがこのポッドキャストのライフハックからの精神分析というものが少なくともなんとなくは了解があると。
ライフハックからの精神力度でこの人はライフハックの話をしたいのねというようなことがわかるじゃないですか。
共通理解じゃないですか。共通理解があるからおそらくお互い好意的だと私は信じたいですけど、
でもこれをたまたまなんとなく聞いているだけの人にとって、私との関係がものすごく有効かどうか、お互いが非常に良好な母子関係かというところまでいかなくたって、
3点は結べるわけですし、だからビジネスライフに結びましょうねって話ではないんですよ。
そうではなくて、人間の営みというものをある程度くつろいで遊ぶって言い方するんですが、
くつろいでやるためにはこういう形が必須だってことですよね。
そしてやっぱこれが収まっている空間があるわけじゃないですか。
非常にデジタライズされていてわかりにくい空間になってはいますけど、空間の中で行われていることは確実ですよね。
私がしゃべり聞く人がいて、それを仲介してくれるスタンドFMみたいなものがあると。
こういう三角形を収めるのは決まって空間なんですよ。
そしてこの空間がものすごく広かろうと、非常に狭かろうと、自分の部屋だろうと、バスルームだろうと、交差点だろうと、いわゆるサイバー空間であろうと、空間なんですよ。
その空間の意味がその空間を可能性空間というものにして、その可能性空間の中で意味がわかる人たちはその中で営むことを安心して行うことができるわけ。
逆に言うとそういう空間が成立していないところでは安心できないんですよ。
ここに確定申告の準備が非常にめんどくさいものになっている大きな理由があるんです。
だってあれってよく税務署の人が突っ込んでくるものじゃないですか。
これでいいんだよねっていう、これでいいんだよねが普通に信号機のようなものとちょっと違うんですよ。
ことさら強調されているところがありますけども、よく税理士さんがね、
税務署っていうところは人を正アクセスで見てますから、この正アクセスで人を見るというのは、つまり不審に満ちているってことですよね。
象徴が成立しにくいんですよ。これは経費ですよね。それは経費じゃないです。
これはさっきのお茶夫婦と真逆なんですよ。これお茶だよねって言ったら、それはお茶じゃないからみたいな。
そういうことをやられると可能性空間でぶっ壊れるわけですよね。
この可能性空間がぶっ壊れるところの活動こそやりにくい活動なんていうか、事実上できないんですよね。そんなことでは。
実際私、結局はこれは経費だろう、経費のはずだ、経費であることにしようみたいな、そういうふうにして、結局は第3点をこっちで決めていくみたいな、つまりそれは相手を信用しているって部分が出てきますから。
全部無理だって言うんだったらしませんから、そんなことはそもそもね。
だからこの象徴がお互いにとって共有されると、だからこれを逆へ逆へとやる方というのはですね、つまり人間関係を非常に難しくするわけです。
可能性空間の重要性
これはあれですよね。いやそうではないです。これはそれですよね。いやそうではないです。これを言ってる人っていらっしゃるわけですよ。
それは非常にこう、ある意味では力度を難しくしている心理状態にあるはずなんですけど、好んでPSポジションに入るみたいな話でもあるんですけれども、要は可能性空間が壊れやすいわけですよね。
やっぱり可能性空間を壊しやすいというところにこそ精神分析の価値みたいなのがあるわけですから。
いやいや可能性空間壊さないからっていう、何度でも作り直すからみたいな、そういうところってあるわけですよね。
あのルームにはね。そこに結局信頼できるんだなって、そうならないかもしれないけど、できるんだなっていうふうに思えるようになれれば、一つ分析っていうのは進むし、進展が成立して集結が近づく。
どうなのかどうなのかわかりませんけれども、一応そういうことになってるんだと思いますね。