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おはようございます。キクセラピー第736回です。
今、2月11日土曜日、建国記念日というやつですね。
17時23分です。
これを配信する予定はですね、13日の月曜日の朝になるはずです。
はい、えーと、ようやくですね、秋田県総道で、
えー、多分なんですけれども、お腹を壊しまして、
えー、そこのお腹の壊したのから回復しつつあって、
久しぶりにお腹が壊れたということだけで医者に行き、
しかもお医者さんって前からそういえばすごいなと思ってたのが、
ちょうど薬が飲み終わる頃に病気治ってんですよね。
なんか、とりあえず3日分出しておきましょうかねとかって言うじゃないですか、
お医者さんって。にもかかわらず、
いっつも思うんだけど、そろそろ薬なくなるなって思った頃に、
そろそろもう治ってきたなって、ぴったり重なってるんですよね。
あれは、プラシーボ効果なのか無意識なのか、
なんなのか知りませんけれども、
ひとつのやっぱりプロだなって思う瞬間ですよね。
専門的な才能っていうのがしか、
能力だとしか思えない何かを感じます。
適当に言ってるようなのに、
治るだけに必要な薬。
なんて、言ったって成長剤とかですから、
ラックビーとかですからね、
そんなにそれでピタリ治るっていうようなものとも違うと思うんだけど、
気がつくと、
なくなってる頃には治ってるというね、
すごいなって思います。
お知らせをしたいんですけれども、
2月のですね、
そうはいってもお知らせすることが、
あ、そうだ。
23日、天皇誕生日ですね。
今日は健康記念日。
2月23日は天皇誕生日。
3時からクラゾノさんと、
久しぶりにですね、リアルトークをクラゾノさんとやると、
ぜひですね、来てほしいなと思うんですね。
ぜひ来てほしいと言ってるやつほど、
なんか、
割と寒酸としてたりしてですね、
寒酸としてたらもう、
いいと最近思えるようになってきたんだけど、
やっぱり寒酸としてないほうがいいですね。
いろんな意味で。
こう、やっただけのことがあったみたいに思えるっていうのが、
やっぱりこう、大事なんですよ。
2人行って、聞く人も2人でしたとかね。
一方的に言うとスタッフ合わせで3人で聞く人は2人でしたみたいなのよりは、
そうですね。
数名いらっしゃると、
用意して喋った甲斐があったと。
相当この甲斐というものが、
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いい加減に扱われてる気もするんだけど、
どうしても人間ってのはやっぱり、
さまざまなコンテクストを利用した、
感情的な生き物っていう部分はあると思うんですよ。
もう私もグッドバイブスを教わって長いですし、
そこで少ないから良くないみたいな、
少ないから残念だみたいなふうには、
さらさら思わないんですよ。
トータルよ。
どんな良いことがあるか分かったもんじゃないし、
多ければ多いほど素晴らしいことばかりが起こるかっていうと、
そういうもんでもないんですよ。
ですが、やっぱりとりあえず多い、とりあえずいいっていう、
子供っぽい感覚なんですけどね。
この子供っぽい感覚も当然ありますからね。
いろんな人に来ていただけるととても嬉しい。
ついでにそこでちょうど終わるの5時ですから、
お食事できたりするとなお嬉しいというような感じがします。
だから普段あんまりこういうのには参加されないという方でも、
今回のはこれがお持ち帰りいただけると、
すごい効果は絶大だと思うんですよ。
なぜかというと、
苦手な人、怖い人が職場や家庭にいるときに、
グッドバイブス的にどうできるかと。
私も倉園さんともそれなりの年月になってきましたから、
どうできるかとか、何をすべきかとか、
どういうことを考えるのがいいかみたいなのは分かる気がするんですけど、
でもできないときがあるっていうのを私が投げて、
倉園さんにお答えいただくといったたてつけにしております。
で、一つ思うことがありまして、
ついでになんですけれどもね。
たった一つのことでも、
それさえ手に入ればいいことってあるじゃないですか。
ある意味グッドバイブスというのは、
もう私はそれを手に入れてしまっているなと思っているんですね。
昔こういう話があったんですよ。
どっかで読んだんですけど、
大きな辞書、広辞苑みたいなやつ。
一冊買ったとしても、
それで一つでも単語を調べることがあったら、
もうその本は捨ててしまっても損はないんだ。
どういう意味かというと、
それだけのものは手に入れられているんですよっていう意味なんですよ。
私はこれはトータルで見ると正しいなと思う。
広辞苑買って一回引いて捨てることは絶対ないですけど、
それだけのものなんですよ、やっぱり。
全く同じような定義をする人、
つまりそれは専門家ってことですよね。
そういう割とさらっと書いてあるような辞書の定義であったとしても、
そこにかかっている人力というのは、
歴史的に見るとっていう意味だと思うんですけどね、
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非常に壮絶なものがありまして、
4980円とかで手に入るようなものではないんですよね。
同じく、私の場合は家庭内不和ってことを一つだけで、
Good Vibesはもう絶対損はないって実は思うんですよ。
だって家庭内不和で事件が起きるじゃないですか、世の中。
あれは家庭内不和だけで起きるじゃないですか。
相手の奥さんの資産があったとかなかったとか言うけれど、
あんま関係なかったりしますよ、はっきり言って。
はっきり言ってわかりませんけれども、
電子レンジに魚を入れてチンしたとき、
ラップしてなかったのがカチンときて頭ぶん殴ったら、
打ち所悪くて死んじゃったってことはあるんだと思うんですよ、世の中。
だから家庭内不和が円満に収められるようなことを話しようですね。
1万円で2時間で聞けたのなら、
もうめちゃくちゃお得だというふうに思わなくはないんですよ。
ある意味ではこの種の話を聞いたときっていうのは、
私はこういう商売をしているとき、
これを私、主催者が言っちゃいけないんだと思うんですけど、
でも思うところあってですね、
なかなか人間って欲張りだなって思うんですよ。
もうやっと家庭内ではことは収まったんですけど、
職場でうまくいかなくて、
ここでクラゾの3人とかって追加注文が入るじゃないですか。
絶対これは追加注文が入った方がいいんですが、
それ1個だけでもう十分じゃないですかっていうふうに思うことは、
僕は結構あります。
タスクシフトとかでも同じで、
ようやくルーチンは回るようになったんですけど、
いいじゃないですかって思うんですよね。
でも一歩間違うと、
仕事のルーチンはタスクシフトで回るようになってきたんですけど、
どうしても土日がとかって、
人間って欲深いなって思うんですよね。
そういうものもぜひタスクシフトの協会とか
100日チャレンジにお寄せいただきたいと思うので、
これ言ってることが矛盾してるようなんですけど、
でもそうそう簡単に解決されないですよ。
時間の悩みなどというのは、
職場のルーチンタスクが回るようになった。
もうそこで万歳三昇だろうがいいな、
今日健康記念日なんでね。
思うんですよ、私なんかは。
そんなにそこまで求めなくてもいいんじゃないんだろうかみたいな。
私だからタスクシフトでは、
大橋さんから得られるものは全部得ちゃったなっていうふうに、
僕自身の話ですね。
タスクで、
週刊でやるべき、
例えば昔、今やってませんが、
週刊連載で書いてることがあり、
日経ビジネスウーマンとかね、
あと本の原稿もほぼ毎日書いて、
それができるようになったんですけどって
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言いそうになる自分がいたら、
いやいやいいじゃんもうって思うんですよ。
タスクシフトなかった時代には、
そういうこと全然できていなかったくせにですね、
週刊連載とかをたぶん落としまくって、
本の原稿とかも全然締め切りに間に合わなくて、
なんなら今日締め切り日ですかって来た時に、
今書いてますみたいなことを、
そば屋の出前みたいなことをですね、
お皿さんが出前で、
電話でいつになるんですかみたいなことを言ったら、
今出ましたみたいな言うじゃないですか。
まさにああやって僕生きていたくせにですね、
きっちり守れるようになって、
なおそれ以上を望むっていうのはどうなの?
っていうふうに思うこともあるわけです。
でもどんどん追加注文があったら、
お寄せいただければいいかなとは思います。
ということで、23日に投稿をやりますので、
こちらよろしければ、
まだご参加いただけますということで、
ご参加ください。
もう今日は喋るべきことは全部喋っちゃったような気になっておりますが、
たぶんなんかあったんだと思うんですよね。
まだ10分しか経ってませんからね。
喋るべきことを忘れてしまうという、
よくあるよね、この番組では。
今日話したいと思っていたのは、
一人になる能力と言ったやつなんですよ。
あれはミニコットの言葉なんですね。
一人でいられる能力。
どうしてもこの言葉が誤解を招くと思うんですね。
これは一人で孤独に生きられる能力とか、
独立できる能力とか、
メンタルの強さを言ってるように聞こえちゃうと思うんですけど、
そうではないんですよ、これは。
これは人と一緒にいながらも一人でいられる能力って、
彼はたぶん言ってるんだと思うって話を、
ここでもしたことがあるし、書いたこともあるんだけど、
ここをもう一回強調したいなという話が、
先日あたりから何回かいろんな話を聞いているうちに思ったんですね。
これがないと私たちは、
はっきり言って仕事にならないと思うんです。
だからこの話は仕事に直結していると思う。
もう一つこれにさらに輪をかけて、
誤解されそうなミニコットの用語に、
この話、孤立って言葉も、
彼はいい意味でこれを使っちゃってるから、
アイソレーションなのかな、わかんないんですけど、
利用って言葉があるんですよね。
利用ってこれはね、日本語のニュアンスがいけないと思うんですよ。
利用するって言うと、
あいつは人を利用しやがって、
みたいなこの文脈が入っちゃうんですよね。
人の利用だから、しかもこの話。
ただネガティブな意味は全くないんですよね。
ミニコットが言う人を利用して、
2人以上の場面でも、
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1人になる能力を発揮するって言った時は、
いい意味なんですよ。100%多分。
これ本当に僕は大事だなと、
最近思うようになったんだけど、
ミニコットの言うことって、
本当にある意味伝えにくい。
なんで僕が最初に読んだ時、
意味が全然わかんないと思ったのかが、
最初読んでてよくわかんなかったんですけど、
最近よくわかるようにな気がしてきました。
多分気がしてるだけかもしれないんですけどね。
ちなみに私はミニコット学者とかじゃないですからね、
知ってると思いますけども。
これは全部デタラメかもしれないと思って聞いてください。
この辺はちょっとエクスキューズしておきますね。
利用っていうのは、
遠畑さんが使ってたから、
例えば高校野球の中継とかにしておきましょう。
テレビ番組。
ここに、
変なってことはないんだけど、
あんまり行きつけてない広間みたいな部屋があったとするじゃないですか。
その広間にいて、
他にもいろんな人がいてくつろいでるんだけど、
自分が行ったの初めてだとすると、
居心地悪いなって思いますよね。
みんななんとなくそこにいるんだけど、
そして自分がそこに行っても全然いいんだけど、
なんか自分としては居心地よくないな。
例えば、
今回私は、
葬式で秋田に行ったんだけど、
秋田の義塾下に行った時、
自分ちょっと居心地よくないなってどうしても思っちゃうんですよね。
そこにいる人たちは家族とか親戚だけど、
僕はそうなんだけど、義塾のという意味では。
でも血のつながりとかはないから、
後から親戚になった人たちだから、
知ってる人はいないわけですよ、ほぼ。
どうも居心地よくないなっていう風にそういう時になるんですけど、
これがですね、一人になれないってことなんですよ。
一人になれた時はどういう風になるかっていうと、
例えばそこでたまたま甲子園辞めよう、
ロッテ戦がやってたとしましょう。
柴ロッテがマジック転倒して、
今日勝てば優勝ですみたいな試合があったとしましょう。
これを利用するんですね。
これを利用してその野球中継にのめり込むと。
ついでに言うと、みんなも一緒にのめり込んでくれるとなおいいんですよ。
そしてみんなの目線が野球に向かう。
そうして初めて私は一人になれるんですよ。
私も野球に向かう。
そうするとそこにいる人たちの人がいて、
その人たちはちょっと親類なんだけど知らない人たちで、
私をどう受け入れてくれるんだろうかみたいなのを一切考えなくてすぐ、
そういう心理状態に入れた時に私は一人になれる。
一人になれると同時に、
ウィニコットに言うと孤立できるんですよね。
そうして、
彼の言う幼児万能感というものを取り戻すことができるんです。
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これが取り戻せない時には何が起きるか。
野球をやっていない時に私は引きこもるしかなくなる。
つまりウィニコットの言葉で言うと、
孤立と引きこもりというのは反対の意味なんですよ。
引きこもりが良くないんです、多分。
孤立はいいんですよ、多分ね。
日本語では孤立と引きこもりって全然反対でも何でもないですよね。
似たような言葉になってしまう。
だけども、多分彼の言っている話では、
引きこもりというのはこういう心理なんですよね。
人がいる。その人たちの輪の中に入っていけずにいる自分がここにいる。
ここにいてすみませんみたいな。
この心理状態が引きこもりなんですよ。
こうなってしまうと私は防衛的にならざるを得なくて、
心の中に突いた手を置き始めて、
私のことは気にしないでくださいみたいな。
ここに私いるんだけれども文句言わないでねみたいな、
そういう心理になってしまう。
つまり多分イリュージョンなんですけど、
プレッシャーを受けちゃうんですよね。
そういうのってあるじゃないですか。
なんかこう居心地、転校生として入っていった最初の教室みたいな。
そういうのかな。
で、そういうのを感じていないんだけど、
人と一緒にいられる人っていうのは、
人をうまく利用しているみたいな言い方をするんですよ。
この利用って言葉は私はすごい大事だというふうに最近思うんですね。
この利用ってのは例の、
あいつ人を利用しやがるっていう利用ではないんですよ。
例えば、うまい例っていうか、
いくらでもあるんですけどね。
例えば、昔子供の頃によく鉄棒の枠をゴールポストとして使ってた時期が、
使ってたことがあったんですね。
この鉄棒ってちょうどいいじゃないですか、枠になってるから。
この枠に入ったらゴールと見出すみたいな。
うまいところに鉄棒があると、それをゴール代わりにできるわけですよ。
で、そのゴールポストとして鉄棒を利用するみたいなニュアンスの利用なんですよ。
それに見立てるみたいな感じで。
だから、リニコットってそういうことをよく言う人なんですよ。
ほら、毛布をお母さん代わりにするって。
これも利用なんですよ、多分。
毛布をお母さんと見立てるわけですよね、あれは。
昔、この番組で私よくママごとって言ってたんだけど、
ママごとってまさにそうじゃないですか。
かけたご飯とかを本当のご飯茶碗と見出すみたいな。
これが利用なんですよ。
こういうふうに意味付けをうまく使うことによって、
引きこもらずに済むような人間関係を確立することを、
彼は利用とか使用っていう表現を確か使ってたと思うんですね。
これは私は超大事だと思います。
こういうことができる時に、私たちは機能するんですよ、人間として。
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全く同じシチュエーションなのに、これができないばっかりに、
人のプレッシャーをビシビシ感じてしまって、
引きこもるんですよ。
私はよく、最近ちょっとそこまでじゃなくなってきたんだけど、
一時ものすごく沸騰していたHSPという繊細酸問題というのは、
この引きこもり問題と多分ほぼイコールなんじゃないかなって感じがします。
対人プレッシャーというものを受けちゃう。
だけどその対人プレッシャーは本当にプレッシャーなのか、
その人が心の中で言うならば真相を作ってるだけなのかは、
何とも言えない、分からないんですよね、どっちが本当なのかは。
だけれども、とにかくそういうプレッシャーを受けるから、
やむを得ず防衛のためのついた手の内側に引きこもる。
つまり心の中に壁を築き、その内側に引きこもることを
彼はミニコットはwithドローアルを引きこもりと表現したんです。
だから引きこもりというのは、この文脈で使う限り
お家の中に閉じこもってるとか、部屋の中にいるっていう意味ではない。
人といるっていう意味なんですよ。
同時に彼が人々を利用して孤立しているって言った時には、
人といるんですよ。しかも結構仲良くいい感じで。
日本語のニュアンスだと訳分かんなくなっちゃいますよね、本当に。
僕も最初これをどういう意味で言ってるのか、
全然分かんないと正直思ってたんですけれども、
分かってくるとですね、なるほどなという気がしてるんですね。
なんで孤立とか一人でいるっていうのかっていうと、
うまくそういう野球なり、野球番組なりを使って
人とうまくやってる時って、その人ある意味一人になってるじゃないですか。
それが行き過ぎると、本当に人といるのに
あいつ一人でいるつもりでいる、
みんなで一緒にいて楽しくしているように見えるけども、
ずっとカラオケでその人がマイク持っちゃってるみたいな、
そういう一人なんですよ、これはある意味。
行き過ぎると。
そういうことってあるじゃないですか。
僕も大学時代何回か経験してるんだけど、
マイク握って話さないっていう。
それはみんなでいてみんなと楽しんでるんだけど、
その人一人が楽しんじゃっているみたいな。
でも私たちが人と楽しむ時にはそういう面があるんですよ。
なぜならば人というのが世界に意味をつけながら生きていくからなんですね。
野球場に行くと本当にそれを感じます。
あのポールはファールのポールみたいな、
あそこから先がホームだって、
それ全部意味を勝手につけてますよね。
こっちがホームグラウンド、そっち側が敵のベンチとか、
そういうの全部意味をつけてるんですよ。
ベースに足を触れていたらアウトにならないとかね。
それは勝手に作ってる自然法則でもなんでもないものですよね。
人間がそこに意味をつけてる。
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しかも集団でその意味を共有できている。
それってある意味では、
みんな一人一人が独自の夢を見ているようなものですよね。
ここちょっとわかります?通りますかね?
みんなが明々自分だけの世界にいるじゃないですか。
その世界は共有されてるんだけれども、
それってある意味目に見えないものをみんなで共有しているわけですよね。
他の人には本当の意味では見えない。
だからルールのことを知らない人は、
ポールのこっち側を通ったから点が入らないんだけど、
こっちを通るといきなりみんなが喜ぶ。
その意味がわからないんだけど、
わかる人にはわかりますよね。
それってみんなが、
吉本隆さんですよね。
集団原始っていうのかな。
みんなで幻想を見ているようなものですよね。
だから人間の生き方っていうのは、
みんなと一緒にいながらも、
みんなと一緒にいるためには、
自分一人だけの世界にある程度いられないとダメなんですよ。
ダメっていうのもおかしいけども、
そういうことができないと、
みんなと一緒にいるってことはできなくなっちゃうんだと思うんですよね。
物理的にみんなと一緒にいるんだけれども、
本当にみんなと一緒にいちゃうと、
夢を見ることができないと、
その人は引きこもってしまうしかなくなるっていう、
そういう側面があるんですよね。
これは話としてわかりにくいかなと思います。
でも先へ進めちゃうんですけども、
ここで他人を利用するっていう彼の言葉っていうのは、
私はすごくですね、
あの顔蓄を感じたんですよね。
人と喋ってるんだけど、
このカウンセリングとかでもよく起こります。
人と喋ってる、相手も私と喋ってるんだけど、
相手は私の応答を利用して、
自分の世界をこう、
自分が中心で自分が主人公になれる世界を作り出す。
私は私で相手の応答を利用して、
やっぱり自分中心でいられて、
気持ちよく喋れる世界を作り出す。
今私が実はできているんですよ。
これポッドキャストを始めたての時、
できなかったんですね。
この時私は、
今本当は聴取ゼロなんですけど、
これ後で、今土曜日だって言いましたよね。
月曜日に上げるやつだから、
聴取ゼロなんだけれども、
あたかもなんとなくそういうニュアンス伝わります。
私あたかも、
人に向かって目の前に誰かが本当に聞いてる人がいるかのような
調子で喋れているじゃないですか。
これが利用なんですね。
こういう心象を利用して、
私はミニコットの言うところの
孤立が成立しているんで、
だからこそ、
人々の、
人々とか、
寂しさとか、
夜の暗さみたいなものからのプレッシャーを
跳ねのけるための
突いたてみたいなのを心の中に作ることなく、
やり取りができている感じがあるんですよ。
こういうことができないと、
私は心の中に引きこもってしまうんですね。
これが引きこもりと、
孤立が、
正反対の意味を持つという意味なんです。
私がこうやって喋れるというのは、
これある意味、演劇に例えられるのは
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そういう意味なんだと思います。
たぶん、劇の練習をする人って
こういうようなことをするんじゃないかと思うんですね。
あたかもその世界にいるかのように、
時代劇とかまさにそうじゃないですか。
切れもしない刀を振り回して、
ちゃんぽんを振り回して、
あれ、やっている人たちは本当に
殺し合いをやっているような気持ちに
かなりの部分入れないと、
演劇としては成り立たないと思うんですよね。
でも、だからといって、
本当に相手が死んじゃうと思っているようでは、
やっぱりできないと思うんですよ。
人間ってこういうことがやれるんですよね。
これはおままごとですということが
100%わかっている。
子供だって間違いなくわかっていますよ。
だっておままごとって、
おままごとって、
おままごとって、
子供だって間違いなくわかっていますよ。
だって泥水とか飲まないですもんね。
でも、あれをやっているときは、
あなたお父さん、
私お母さんみたいなのが、
はっきりとそれはそれでやれている。
このオーバーラップする二重の状態というものを、
成立させるような
心の使い方ができるんですよ。
そのときに、
相手を利用するんですよね。
こういうことをするからこそ、
私たちはテニスとかでもそうですけれども、
相手に感謝しなさいねって
言うじゃないですか。
なぜならば、その人がいてくれないと
ゲームができないから。
でもテニスってやってて
つくづく思うんですけど、
結構孤独なスポーツなんですよ。
あれはミニコットの言うところの
孤立の状態というものを
強烈に作り出すんですよ。
自分自身の世界にはまり込んでしまう。
でもそれは、相手が自分との実力が
きっこうしていればきっこうしているほど、
自分自身の世界というものに
はまり込むということができるんですよね。
この辺のことがですね、
例えばオフィスなり、
例えば職場なり、
自宅でもいいんですけど、
仕事中に今私がちょうど
なったようにですね、
まさに孤立できるという状態を
作り出す。
それができることによって、
多分すごく仕事ってできるんです。
だからこそ、
むしろその利用できる
相手というものに感謝しないと
いけないんだろうと。
なんとなくまたグッドバイブスに
通じるものがありますよね。
そんなことを私最近よく考えています。