1. グッドモーニングボイス
  2. 愛されるためには何も要らない..
2023-09-26 49:52

愛されるためには何も要らない【GMV851】

愛することも愛されることも本来は少しも難しくない。

サマリー

グッドモーニングボイスが始まります。時間がちょうど合っており、草木を出すために必要な時間がぴったりと合っています。また、ロッテの試合結果や100日チャレンジの告知もありました。 彼は比較をしていることについて考えるエピソードを紹介しています。彼自身は比較に向かない性格であり、他人との比較に悩んできた経験を持っています。また、大谷翔平選手のような成功者と自分を比較することも無理だと感じています。 彼はタスク管理の話とは関係なく、人間は手をパタパタとやっても飛べないと述べています。自分がやりたいことを無理にやることで、望ましくない方向に自分を借り立ててしまうと認識しています。比較をすることによって、その人のようになることはできないと言っています。脳を使って考えるという実感は持っていないが、それを信じていると述べています。 彼は比較と嫉妬の病を持つことが自分らしさに繋がっていることを語りながら、無理をせずに自分らしく生きることの重要性を強調しています。 私にとって娘を愛するのはとても簡単なことで、愛されるためにはハキハキ教室に行く必要があるという話をしています。

グッドモーニングボイスの始まり
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
9月26日火曜日の7時44分です。
非常にいい感じで時間がふさわっているなという。
半ではないですけどね、ちょっと15分ぐらい遅くいいのは、
今日はあれなんですね、可燃ゴミなので、ヘマ取ると。
ついでに、この草木とかも出せて、ちょっと15分ぐらいは必要だったり。
ぴったり合ってるんですよ。
これを出す時間が、この時間ぐらいがリミットなので、
ここより、これが終わってから出すってことはできないので、ぴったりなんですね。
これは半にこれを収録するということと、それが重なるとこの時間に絶対なる。
よっぽど早くやれば、あと3分ぐらいは縮められるかもしれないですけど、
そんなもんなんで、それに意味はあまりないですね。
半にはできないんですよね、この日は。
たまに娘を送り出すのが早かったというか、あんまりないですけどね、
ギリギリになるじゃないですか、どっちかというと。
この時間に絶対に間に合う電車にギリギリ乗るみたいなのが毎日続く。
うちの子は僕なんかに比べると偉いもんで、歩いて間に合う時間に起きられてますけど、
僕なんかもう毎朝、あの時よく死ななかったなっていうぐらい、
自転車とかでアホみたいに飛ばしてましたからね。
絶対死んでてもおかしくないようなことありましたね、何回か。
大怪我したこと一回あるんですよね。
本当にこう、やばい人生を。
でも多分僕より上の人はさらに無茶なことをやってたんで、
人間は結構やばい人生を送って生きてきてるもんだと思うんですけどね。
今も後遺症もなくてすごい幸いなんですけど、
今思い出したんですけど、左の膝をね、やっちゃったことがあるんですよ。
そのもう無茶な自転車走行で、アホみたいに飛ばしてですね。
人体をこう、なんていうんですかね、伸びちゃうんですよね。
そういうことをやって、なんていうのかな、
しばらく左と右の違和感がずっとあったという時代が中学生にあってですね。
アホだったな、思いますね。
他にこれといった感想もなく、
29日ですね、じわじわとお申し込みいただけて、
この最終週に近づくとじわじわとお申し込みいただけつつあるという。
あとそうだな、でもやっぱりもういいですけど、本当に。
でもできればもうちょっとね、お申し込みご参加いただけると。
29日の神倒してもう一方っていうのが僕の理想ですね、リアルでね。
オンラインではあと5人ぐらい。
これはちょっと僕の勝手な願望なんですけど、
でもお申し込みいただいた方ありがとうございます。
当日はですね、なんかうまいこと面白い回になると、
すごい超いい加減で漠然としてるんですけど、
東京ライフ発見9回の北さんも無事帰国されましたし、
これでまぁいけそうだという感じを僕はもう思っちゃったんで。
あとは当日、僕は当日ね、話したいことも聞きたいことも結構あるんで、
前回はあまりにもありすぎて、いまいち何かをやったということがなく過ぎすぎていってしまったんですけど、
そういうことよくあるんですが、今回はですね、前回のそのある程度、
ガス抜きっていうのはおかしい。
満を抜いたわけじゃない。満足を抜いてしまったガス抜きなんですけど、
意味不明だな。こういうことをやってあるんで、
29日は結構まとまりができつつありますんでね。
よろしければご参加いただけるとありがたいです。
後ほどノートとかにもあげようかなと。
いま漠然と思ってるんですけど、何しろ漠然と思ってる。
あとですね、これはもう告知でもなんでもないですけど、
ぜひ、あ、告知も後でしよう。
ぜひお伝えしたかったことが2つありまして、
1つはですね、やっとピクミンが終わったんですよ、4がね。
あのー、えーと、何したっけ、
ヤタの隠れ犬っていうのはもうだいぶ前に倒してたんだけど、
僕その後、すいませんわかんない人、本当申し訳ないですけど、
1分以内に切り上げるんで。
オリマは遭難期っていうのを僕後に残してたんで、そっち長引いて、
しかもその後にランドリーチャレンジという、
僕あんまり好きじゃないんですけどね、これをやってたんですよね。
昨日ようやくこれを全部終わらせて、
久しぶりに長丁場のゲームを1から全部クリアしたという、
ほんと久しぶりで、たぶん30年ぶりぐらいなんですよ。
よくよく考えてみる。
最後に終わらせたゲーム何だったかな、
たぶんアドベンチャーのメゾン一国の、えっと、
X68000版か、あるいはサバッシュってゲームのどっちかだったと思うんですけど、
どっちもね、たぶん終わらせたの浪人時代だったと思うんですよね。
だからそれ以降、真面目に1から最後までゲーム終わらせたという経験がないんですよ。
もしかするとシューティングで、
シューティングってほら、1日以内にクリアするものじゃないですか。
グラディウス2をファミコンでラストまでいった、
もしかするとあれはスマホ版だったかもしれないんですけど、
それを含めたら、えっと、
そうだな、スマホ版ではないな、携帯版だな、
だから結局なんだかんだそういうのを含めても、
やっぱり25年ぶりぐらいにはなっちゃうんですよね。
いや本当に長かったです。
そして現代のITのテクノロジーの進化ぶりを、
まざまざと堪能できて良かったなと思いますね。
たぶん僕のやったゲームを最後に全部ドット絵だったんで、
どこにドット絵感が残ってて、
あんな3Dの写実感みたいなのは全然ないんですよ。
最大3Dだった試しないですからね。
今回も初めてです。3Dのゲームを最後までやったというのは。
おかげで昨日はぐっすり寝られました。
よくわかんないけど。
ロッテの試合結果
あともう一つぐっすり寝られない要素に、
ロッテが貯金あった最大、
貯金って内容するの知らない方にはお話しますと、
13勝ち越してたんですよね。
一堂で借金1という。
だから14分負けてるわけですよ。
特に9月に入ってからひどいんですよね。
なんかもう絶対あれはクラスターだったなと思うんですけど、
次々に発熱者が出て、
あんまり有名な選手いませんからあれなんですけど、
ロッテファンにしてはほぼ2軍で試合やってるような、
この一番大事な時にほぼ2軍で、
3位以内に入ると日本シリーズに出られる可能性を残すんですけど、
昨日で4位転落という、
170日ぶりの4位以下なんですよね。
もうちょっと相変わらず毎年毎年、
どこかに希望を出せるけど最後は大体失望して終わるという、
ロッテ的なのがあるわけですよ、毎年ね。
残り11試合なんとかならねえかなと思って見てるわけですが、
2つ勝ち越せれば多分出られると思うんですよね、
今のパリーグの感じから言って。
今のロッテが2つこうから勝ち越せるかなっていう、
2つ勝ち越すってことは結局今借金位置だから、
3つ勝ち越すことを狙わなきゃならないんですよね。
7勝4敗くらいか残り。難しいなーって感じがするんですよね。
何しろ9月に入ってほとんど勝ててないって感じですから。
昨日で6連敗か。厳しいですね。
残り11試合7勝4敗って、
まずみんなが熱から戻ってきてくれないとっていうのがすごいありますね。
特例2023って言って、
今年は熱で出た人はその時だけ休むって、
本来こういうことできないんですよ。
一旦怪我なり病気なりしたら、
2軍に行って1週間ぐらいは戻ってこれなくなるんだけど、
特例2023は熱だけの時は、
その時だけ1軍から外れて、
いつでも戻ってこれる、熱差だったらね。
そういう特例措置出てる人が8人くらいいるのかな。
なんかもう本当に半分はいなくなりましたみたいな感じになっちゃってるんですよね。
1軍の中でもよく活躍してた。
活躍はそんなにしてなくてもですね、
よく頑張ってた人がいなくなってしまった感じがありまして、
もう超弱い。
昨日とかもすごい大事な試合で、
2同士の決戦だったんだけど、
10対1とかで負けてましたからね。
途中で見るのが嫌になって、
ピクミンに熱中してたら解けたんですよ、ピクミンが。
そういうどうでもいい話が10分ぐらい続いたんで、
100日チャレンジの告知
もう1つ告知させてください。
100日チャレンジ現在第5期進行中ですけど、
第6期を間もなく募集開始するかなと思います。
これも募集開始すると多分すぐ埋まっちゃうんで、
特に今回はまたタスクシューとクラウドライトの話が絡むんで、
多分早いんじゃないかと思いますので、
私もライト今使ってるんですけど、
ライトいいです。これはいいですね。
早くiPhone 15 Pro来ないかなと思ってます。
結局こういうのって慣れてきたらですね、
即座に広くして即座に使い終わるといいわけじゃないですか。
待たされるとかは避けたいわけですよね。
一番キビキビ動くアプリに現状になってるんで、これがですね。
これ1本にしたいなみたいなのは、
今一応タスクシューとクラウドも併用で使ってるんですよ。
データ移行が面倒くさくてね。
もう本当にこういうの面倒がる人になっちゃったなみたいなところあるんですけど、
パソコンに向かったらタスクシューとクラウド、
Jさんが作ってくれたあれを使ってるんだけど、
正直もうライトの方1本にしたいなっていうのが、
僕の本音なんですけどね。
なかなかこう1本になってないと。
ただ単にデータの書き写すのが面倒くせえとか思ってやってないというだけなんですけどね。
そんなところもありますが、
ロッキー募集かけますので、
よろしければぜひ。
早めにね、
ウェイティングリストに乗っかっている方は、
聞き始めたら即ぐらいな感じで、
ウェイティングリスト自体が100超えてますから、
多分ですね、すぐ埋まっちゃう可能性があると思うんですよ。
だからといってウェイティングリストの方だけで埋まるってことは面白いことにないんですけどね。
ほらよく病院とかレストランとか埋まるじゃないですか。
リスト書いてるけどどっか行っちゃって、
なんとかさんとか佐々木さんとか言ってるんだけど、
その場にいねえから飛ばされるみたいな。
あります?ありますけど。
そうは言っても、そうじゃない方も見ているわけなので、
リストにいない方も入ってきますから。
100埋まりますので、
よろしければぜひですね、早めにチェックしておいてください。
やるというスターですね。
ようやくこれで告知終わってですね、
ピクミンも終わって本題に入るんですが、
そもそもその本題がまたなんでかよくわかんない。
これ先日ちょっと思ったことなんですけど、
比べちゃうという難しさを抱えていらっしゃる方が、
割といらっしゃるなっていうのを、
特にやっぱりタスク管理系で考えたんですね。
タスク管理楽にできる方と、
状況なんですけどね、
それは人じゃないんですけど、
タスク管理、タスクシュートでいいですけど、
私がここでしゃべってるんで、
でもタスク管理でいいんだけど、
ライフワークなりタスク管理なり簡単だっていう方は、
比較を避ける性格
原則的に人との比較ってしてないんですよ、
あんまりほとんど全然。
ここにほとんど絶えずですね、
比較を持ち込む方は大変になっていくんですよ。
この話も割とGood Vibesなどでも、
よく出てくる話でもあるんだけど、
ちょっと久しぶりに、
というのは僕あんまりこのテーマ取り上げないんですよね。
自分自身はピンときてない部分もいっぱい今ではあるんで、
これも年取ったってこともあるんですよ。
何かと人と比較をされる若い頃は、
どうしても比較というものから逃れにくいんだけど、
僕は多分機質的にあんまりそういう方向には、
自動的に頭を向かわないんですよ。
家がそういうのと、
すごく無縁っぽい家だったんで、
これ寺だからじゃないんですよ。
寺もすっごく人との比較にこだわる、
あんまりいい感じしないけど、
そういう坊さんもいるんですよ。
やっぱりあの祭は結構うまく経営してるけど、
うちはちょっと厳しいみたいなのを、
やたら気にする方もいるんですよ。
うちの父はその辺があまりにもひどくて、
つまり逆で、
あまりにも人との比較みたいなことを一切できないんだと。
多分技術的に。
そのために何が起きたかというと、
クビになったというか、
これだとそういうのを気にしなければいけないことになっちゃうか。
でもうちの父みたいな人は僕あんまり見たことないんで、
これはちょっとひどいだろうみたいな。
社会人としてどうなんだろうぐらいな。
そこら辺が坊さんって難しいんですよね。
いわゆる社会人的な価値観が、
進んでいればいるほどいいかっていうことじゃないじゃないですか。
どっちかというと進んでいないほうがいいと見なされやすい職業だけど、
多少はできるね。
ミニマムには気にしろぐらいな。
そのミニマムもできませんみたいな人は、
ある意味坊さん向きなんだけど、
ちょっと向きすぎていた感じはしますね、あの人は。
うちの母は結構そういうのは普通にできる人なんだけど、
やっぱ母ができてもダメですよね、寺って。
ある意味めちゃくちゃ男尊女卑なんで。
昭和どころじゃないんであれは。
鎌倉なんでね、本当にね。
時代がもう、時代作語の塊みたいな世界でもありますから。
女性はもう坊主にいませんからね、坊主にね。
うちの宗教はね。
天さんいるところはもちろんありますけど、
あれは違う宗派なんでね。
自己評価と他者評価の違い
何の話をしてるかというと、
つまり比較の話なんですよ。
比較をタスク管理等に持ち込むのはやめた方がいいと。
これは単純にやめた方がいいんですよ。
これを持ち込むとすごい大変になります。
なぜかというと記録に残るからだと思うんですね。
僕らは人と比較するときに、
これはどんなものでもそうかもしれないんですけど、
とっても雑なんだけど、
それがすごいリアルで精密だという勘違いをしてるんですね。
この、なんか不思議なんですよ。
昨日、それこそピクミンやってて思ったんですけど、
あの3D実写にも遠く及ばない自分の中の脳内イメージをですね、
すげえ精密なものだと思い込むという、
これは何て言うんですかね。
グッドワイブスなどでも時々指摘されはするんだけど、
ことはグッドワイブスの問題というよりは、
人間の脳のこの変な信じ込ませ機能みたいなやつが悪いんですよ。
なんかね、自分のイメージはリアリティがあると思ってるところがあるんですね。
超雑なの。超雑なんですよ、これは本当に。
例えば私はJさんのことよく知ってる気でいるんですよ。
Jさんのことはよく知ってるみたいな感覚を脳は持たせてくるんですよ。
でも例えばよく知ってるとは何を知ってるのかというと、
例えば彼の家に僕は行ったことがあるかというとないわけですよ。
お父さんお母さんがどんな人か見たこともないわけです。
見たこともないですよ。
見たことがない人のことを知ってるはずがないわけですよね。
で、例えば僕がお父さんお母さんのことも知っていて、
その人の家に行ったこともあり、その人の生活もよく知っていたことがあるっていう人がいるわけですよ。
小学校時代の親友にそういう人がいるんですよ。
こうの君って人がいてね。めちゃくちゃ仲が良かったんですよね。
その子の家に入り浸ってて一緒にご飯食べてたこともしょっちゅうあるような家なんですよ。
彼のことを知ってるという比較で言うと、Jさんのことは何も全く知らない。
全く知らないと言っていいレベル。
ちなみにJさんは共同代表で、J松崎株式会社にもう一人代表いらっしゃいますけど、
あの人とは親友なんですよ。
だから彼らのお互いの知ってるぶりというのは多分なかなか知ってると思うんですよ。
僕とこうの君レベルに入ってるんですよね。
でも僕がJのこと知ってるっていうのは、もうそれに比べると全くかすみほども知らないはずなんですよ。
Jの本当に断片しか僕は知らない。
なのに知ってるような気がしているんですよ。
これは僕の脳の雑さ加減によるんですよ。
で、彼と私を比較するということは、どれほどいい加減なことかというのはここから明らかだと思うんですよね。
何も知らない人と自分比較してもしょうがないじゃないですか。
そういうことになると思うんですよ。
例えば僕が留学時代に知り合いにジェイコブってやつがいたんですけど、
僕はジェイコブのことは顔しか知らない。
名前も知ってね、ジェイコブね。
ジェイコブと自分を比較するか、できないんですよね。
できるものがあるとすると体重と身長ぐらい。
やつは太ってたって、体重はあっちの方が重い。
僕の方が背は向こうの方がでかいな。
これはできますよね。
でもこれしかできないんですよ。
ジェイコブは一体どういう人なのか全く全く知らないんですよね。
あいつの方が英語は喋れる。
それは当然ですよね。
これぐらいですよね。
これと私はJさんと私を比較するということはですね、
あまり変わらないレベルだろうなと思うんですよ。
なのに僕らはこれをやるんですよね。
本気でやるんですよ。
これは実に変なもんだと思うんですよね。
先日出たのが大谷翔平と自分を比較する。
これは無理でしょ。
なぜならば、まずそれは無謀だって話もあるのかもしれないけど、
無謀以前に僕はやっぱり無理だと思うんですよね。
なぜなら僕は彼らのこと、僕は大谷さんのこと、
実は全く知らないと思うんですよ。
テレビでしか見たことがないって。
テレビでしか見たことがないというのは、
僕がJさんを知らないよりも知らない。
知ってる気になるにも程があるじゃないですか。
Jさんのことって何も知らないんですよ。
僕今思うと河野君のことだって知ってるとは言い難い気がするんですよ。
でも彼は、彼のご両親を知ってるし、
食事も一緒にしたことがあるし、
どういう家に住んでて、朝から晩まで何やってるかも
共有できていた時代があったわけです。
それに比べるとJさんと何かを共有できている時間は、
全部合わせても河野君1日分に匹敵しないレベルだと。
何をどうやってこれで比較できるだろうかって思うと、
僕は無理だと思うんですよ。
ここをでもできると僕らは思いたいのかどうかは知りませんが、
思うんですよね。
そして自分はそれと比べて何かができてないとか
タスク管理と比較
っていう風に思い始めるんですよ。
これをマスク管理なりに持ち込むとどういうことになってしまうかというと、
例えば彼のようにハキハキと喋るわけですよ。
これは何で僕が今この言葉が出てくるかというと、
うちの奥さんがすごいハキハキと喋るよねっていうのを先日言ったからなんですよ。
これはハキハキ度が僕には足りないと思うわけですよ。
比較するとね。
でもハキハキと喋るっていうのはですね、
まずハキハキと喋った方がいいっていう前提が、
大前提が必要なわけじゃないですか。
いいんじゃなければ比較して自分がコンプレックスを持ったりする理由ないわけですよ。
日本ハキハキ教室に通おうとかって、
こういうことをタスク管理するわけですよね。
ここに大変さが出てくるわけですよ。
読書とかタスクの中に入っている方で、
そこに一定のノルマを見ている方はですね、
間違いなくここにこういう感覚があるんだろうと思うんですよね。
日本ハキハキ協会に行くっていうやつですね。
で、これのやっぱりですね、
もともと自分は誰と何の比較をして、
読書っていうタスクが、
睡眠時間を削らないとできないんですっていうことで悩み始めたのか、
っていうことについてですね、
やっぱり一定の手間をかけてでも検討してみた方がいいと思うんですよ。
多分これ、この種のことを時々直接尋ねてみるんだけど、
答えていただいたことがないんですね。
なぜ読書っていうタスクがいるのか、
本を読んだ方がいいと思いますみたいな、
それは読書っていうタスクがあるってことからわかるんですよ。
そうじゃなくて、なんでそこに睡眠時間を削ってまで読書というタスクを入れているのか、
ということを聞いているのであって、
本を読んだ方がいいと思いますではないんですよね。
本を読んだ方がいいと思うからそこにタスクがあるのはわかるんですよ。
どうして本を読んだ方がいいと思うのかっていう話ですよね。
そしてどんな本を自分が読まなきゃいけないと思っているのかって話でもあるわけですね。
私は本を読まなきゃいけないとはどうしても思えないので、
そのようなタスクは一つも入っていないわけです。
この種のことっていくつか間違いなくあるわけですよ。
僕がその日本カギハキ教室に通い始めるとタスクは一つ増えるわけですね。
で、睡眠時間というものをもしかすると削らなければいけないほど、
今でもどんな人でもタスクって並べれば24時間パツンパツンになるに決まってるんですよ。
24時間使ってますから1日に。
毎日、これはですね、生まれてから1日も欠かすことなく24時間ピッチリ使ってるはずなんですよ。
無意味なこと喋ってますよ。
これに何の意味もないですからね、これは。
だけれども間違いなくそうはなってるから、ここに別のことを入れれば何かができなくなるわけですね。
これを諦めと何故か呼ばれるらしいです。
これは僕は何らどこにも諦め感は必要ないと思うんですよね。
これはただの当然のことであり、これ以外のことができる人は誰もいない。
あれですよ。
瞬間移動ができる人は、もしいればそういうことを無視できるのかもしれないけど、
普通の人は無理だから、3次元的に生きる限りこうなるんですよね。
しょうがない。
これはもうしょうがないとか諦めるとかそういう話ではなくて、
それ以外はあり得ないという話なんですよ。
地球の自転速度を変えられるとかね、そういうことでない限りは、
こうならなきゃならないわけですね。
手をパタパタとやっても飛べない
これを諦めとか残念だとか言うならば、
私は手をパタパタやって空が飛べないのが残念だっていう話になってしまって、
タスク管理の話とは関係ないんですよね。
人間は手をパタパタとやっても飛べないんですよね。
しょうがないわけですよ。
しょうがないってことすらこの場合意味ないと思うんですよ。
これパタパタやって飛べるようになったら、それをするとすごい困るんですよ。
好きとか言えばできるんだけど、多分困るじゃないですか。
病気になったりするんですよね、ああいう空間にずっといたりすると。
そうはできてないんで。
24時間はパッツンパッツンになっていて、
何か違うことをすればその分だけしないことが発生するわけですよ。
表現上はね。
日本、ハキハキ教室に行って、Jさんのようにハキハキになろうとしてもですね、
なんかでしないことが、例えばこのポッドゲストを辞めるとか、
ここにおかしさがあるでしょう。
少しはね、少しあると思うんですよ。
そもそもどうしてそれを始めたのかというと、
例えばこういう活動をよりJさん的にやった方がいいという考えのもとに始めたんですよね。
大橋翔平さんを憧れるとか、そういう話じゃないですか。
あるいはそうだな、何でもいいんですけどね、
娘をもっと有名な私立中に入れたかったんだけどできなかったとか、
そういうことで悩む場合、分かりませんけど、
なんとかママの教育法と自分の教育法を比較したりするわけですよ。
でもこのなんとかママのことは知らないと思うんですよね。
ましてそのなんとかママのお子さんのことって、
たぶん字で読んだことがあるとか、そういうレベルを息を出してないと思うんですね。
このような人と比較するというのは、
実は何もしてないのと同じで、
自分がやりたいと思っていることができなかったということに、
比較を持ち込んだだけの話でしかないと思うんですね。
これはもう、やっちゃうんだというのであればやっちゃうしかないと思いますけど、
もしやるんだとしてもですね、
タスクとかに持ち込むのはやめましょうという話です。
タスクシュート的に言うとですね、
これの記録取るのやめましょうと。
人と比較をするというその比較の結果を記録に残すというのだけは、
やめたほうがいいと思うんですよ。
ほとんど100回しかないですよ、これは。
一理もないと思いますね。
比較するということによって、
その人のようになることはできないじゃないですか。
僕はJさんにはなれないって話ですね。
プラス、なったほうがいいっていう前提も怪しげなんですよ。
ここに僕ら最初に言った通り、
僕らの脳がリアリティを持たせる機能を持っちゃってるから、
いや、比較はリアリティありますと。
ハキハキしてないこの喋り方は残念で、
日本にいる1億人が全員残念だとJの方がいいと言います。
これを割と真面目に信じていらっしゃる方がいるんですよ。
今僕が喋ってるのは全部冗談なんだけど、
全然これが冗談になってないって方も結構いらっしゃるんですよ、聞いてるとね。
それは冗談にしかならないからやめたほうがいいと思うんですよね。
現に私がそれをやると残念だって方出てくるんですよ。
一定以上僕がJっぽくハキハキ喋りだすと、
気色悪く聞こえるって人絶対いるんですよ。
だから元に戻してくださいみたいなことになるんです。
そうすると何のためにタスクに入れたんだかわけわかんなくなっちゃうじゃないですか。
でも僕はそれが読書によっても、筋トレによっても、
ウォーキングによっても起きていると思うんです。
現に起きている事象だから。
やめたほうがいいことをやることによって、
何か望ましくない方向に無理やり自分を借り立てるってことが起きてるんですよ。
これは明日からウォーキングやめましょうって話ではないんですよ。
そうではなくて、無理をしてやらなければならないならやめておきましょうと。
この場合無理をしてってどういうことかというと、
タスクリストに乗っかってないならば、
自然とやらなくなるんだったら、自然とやらなくなったほうがベターだってことです。
ここを逆だっていうふうにものすごく多くの方がおっしゃるから、
僕は絶対そうじゃないと思うっていう話をしているだけですよ。
このタスクに乗せたらいいかどうかを判定する基準というのも聞かれたことがあるので、
というか最近聞かれたので、
ついでにお答えするとこれは実に今のように簡単にできる話なんですよ。
外しておいてやらなくなることは外したほうがいいってことです。
が、この基準でもわかりにくいのであればですね、
そこはもうGood Vibesを使いましょう。
僕だったら人が依頼してきていないことはとりあえず外しておいていいと思うんですね。
つまりある種のことで悩んだら、迷ったらですね、
これどうしても毎日できないよっていう、
例えばそれが読書だったりした場合ですよ。
この読書誰かから依頼されたのかと、
それを人名を出して言えるかどうかで決めたらいいんです。
自分を借り立てる
人名を出してあなた本読みなさい、読んでください、この本読んでください、
これだいたい書評記事を書いて本を売るの手伝ってくれっていう依頼しかないと思うんですよね。
僕はこれは依頼として受けることがあって、
少なくともその場合読みはするんですよ。
読みたくはなくてもね、はっきり言って読みはするんですよ、言われれば。
だからといって送ってこないでくださいね。
なんつーんだろうな、その本いただくのは大変ありがたいんですけれども、
読むから、僕別に速読できるわけじゃないし、書評書くのも早いわけじゃないんで、
限りがありますからね。
あるじゃないですか、オノズと。
私前に話が脱線した面白い話聞いたんですよね。
割と有名な書評家の方に送るというので、
どこかの出版社さんが毎月毎月、結構大手なんですよ。
出してる本を箱詰めで送ってくる。
本当に無理ですよ、そんなもん。
ある種超人ですよね、その書評が全部書けた。
絶対僕は無理だと思うんですよね、そんなこと。
だからこういうものはですね、流れでやるもんだと思って、
本当にオートメーションの機械みたいになっちゃうんじゃないですか。
本を読んでは書評を書くみたいなね。
無理なんですよ、そんなことは人間には。
しかもそれは良いことでもなんでもないと思いますしね。
そういうわけで、依頼。
これは依頼なのかな。
依頼だったらちょっと検討の余地があると思うんですけど、
もしローキングする依頼を受けてないならば、
別にしなくてもいいんですよ、私が思うにね。
したいという上に別にそれをしても何も困ることがなく、
すると気分がいってんだったらすればいいと思うんです。
そこをやめる理由って一つないと思うんですよ。
脳を使って考えるという盲信
ポイントは毎日毎日やろうとしてるんだけど、
時間が取れなくて、夜になってしまってこれができませんっていうのは、
できない方がいいぐらいなんじゃないかなと思うんですね。
ここに比較が入ってるんですよ、多くの場合、問題になってくると。
例えば佐々木さんは毎日やってるからこんなに撮ってないのにとか言われるんだけど、
僕は毎日歩いてないんですよ。
ところに大谷翔平さんなり何でもいいんですけれども、
知らないってことが出てきてるわけですね。
やってると勝手に思ってる。テレビでしか見たことない人なんだ。
しかも野球だって毎日やってるところ見てるわけじゃないのに見てないですよね。
練習とか全部見ることはできないはずだから。
見てもいない。知りもしない。
ただ勝手に脳内でその人はやってることにして、
この人はすごい人だからこういうことをやってるに違いないが、
いつかやってるという事実を知っているってことに脳がどこかで変えるんです。
こういうことを平気で僕らはする。
しかもそこにリアリティがあると信じるんですね。
ないのに。見たこともないのに。
見たことないってのは本当にすごくいろいろありましてですね。
私たちはビジネスショーでよく頭が良い人がやっている何とかの習慣とかってあるじゃないですか。
だいたい脳トレとかやってたりすることになってるんだけど、
まず頭が良い人が脳を使ってるっていう事実を僕らは知ってるのかっていう。
これもまた脱線してるんだけど。
これ知らないんですよね。
自分が頭使ってるところって見たことないでしょうね。
私たちないですよ。
私自分が脳を使って計算とかしてるの見たこと一回もないです。
FMRIとか使って計算してるところを見るのは無理ですからね自分では。
他の人のならできますけど、他の人だって見たことない人の方が普通だと思いますよ。
なんで僕らは、例えばですけど、自分の鼻を使って考えてるんじゃなくて脳を使って考えてるって信じてるんですかね。
信じてるだけなんですよ。
事実として知ってるかどうかっていうのは大いに疑わしいと思うんですよね。
多分みんながですね、小学校の頃からずっと、
我々は鼻を使って考えてるんだってことをずっと言われてれば半数以上の人は信じると思います。
実感と合わない部分があるから、今の脳を使ってるってほどは信じられないかもしれないけど、
半数の人は信じると思うか思うんですよ。
僕らは知ってるわけじゃないことにリアリティを抱くもんなんですよ。
今の話、鼻を使って考えるにはリアリティ感じないと思うんですね。
脳を使って考えるだとリアリティ感じると思うんですよ。
でも僕らは脳っていうものを実感としては持ってないはずなんですよ。
脳っていうのは、よく言われてる通り痛感とか、いわゆる何とか感覚がないんで、
脳を直接刺激すると何か思い出しちゃったりするっていうことは脳自体の感覚はないんですね。
脳ってものは触ったからといって触られた感じは持たないはずなんですよ。
クオリアが生まれちゃうってやつで、何かが見えますとか聞こえますとか匂いがしますってことになっちゃうんで、
脳自体の感覚はないんです。痛いとか痒いとかはないじゃないですか。
脳が痒いってことはないですよね。頭が痒いことはあっても。
だから僕らは脳を使って考えてますっていうのをさらっとリアリティ持ってますけど、
これは多分作り出されたいい加減な感覚であって、脳を使って考えてるかどうかっていうのは、
実感として持ったことも、もちろん見たことも、聞いたこともないんですよ、誰も。
だけど僕らはそれを信じてる。
同じように太谷翔平は何かをしているからすごいってことを信じてる。
リアリティを持って。
そしてそれに比べて私はウォーキングできないからダメだって信じてるんですよ。
こういうすっごい怪しげな信仰みたいな、信仰っていうのはこういう時に使うべきじゃないんだけど、
なんか盲信みたいなもんですよね。妄想の盲に信じるんですよ。
ほんとこの盲信みたいなものを使って、人と自分を比較して、しかもそれは比較になってない比較をして、
比較と嫉妬の病
で、何かを自分がしていくと、太谷翔平にはなれなくても近づけるだろうみたいに思うと信じる。
そして助くなりに入れて、しかしそれができない。
でも悲しい。残念だ。ということで自分に残念感を持つ。
そこにまたリアリティを持つっていうのをやるんですよね。
で、僕なりが、いやそれは別にこれ、今の現状のこのリストからすると無理ですからっていうと、
なんかこう妥協を強いられということになっちゃうんですよ。
僕はすっごくこの筋がぐちゃぐちゃしてるなっていつも思うんで、
もうちょっとですね、単純にいけるんじゃないかと。
つまりですね、自分らしさっていうのがそこにやっぱりいると思うんですよね。
なんで僕がさっきJさんと自分を比較する話にしたかというと、
あれっぽく僕がしたら僕っぽくなくなるからなんですよ。
彼と僕はそのぐらい雰囲気が違うし、やることも違うし、考え方がやや似てるのが不思議なくらい違う。
大事なのはこういうところで、僕が彼のように喋ればいいってもんじゃないわけです。
なんでかっていうとそれは僕っぽくないからですよ。
ここになんかですね、あんまり信用をおけないというのも無理はない気はするんです。
自分に残念感をリアリティを持っちゃったっていう感じがあるので、
自分らしいって言われるのは悲しいみたいなね。
先日ツイッターでも見たんですよ。
無理をしなくていいっていうのはあくまでも慰めであって、
真に受けると人生積むみたいな。
僕あれはね、その人にしてみればこれ切実な問題だと思うので、
安易なことは言いたくないなと最近思うんですけれども、
別に安易なことを言ってるわけではないと思うんですよね。
無理をしないというのは。
本当に無理をしないと本当に回らないものなんだろうか。
やっぱり一番無理したのは中学受験だったんだけど、
あれはいらなかったよなと。
ただ、なかった人生を送ったことがあるわけじゃないですから。
いや、行ってよかった面ももちろんあるんですよ。
行ってよかった面はただ、
偏差値の高さとあんま関係なかったんだけどね。
でもまぁ、あるんですよ。行ってよかった面は。
でもあれは無理をしたんですよね。僕からすると。
あの無理、何か意味あったかっていうと、
なかった気がするんですよね。
鶴亀さんすげー早く解けるようになったけど、
それはそんなに、なんなら全然。
あと僕がもう一つめちゃくちゃ無理をさせられたのが泳ぎなんですけど、
これもね、先日言いましたよね、ポッドキャストで、
泳げるようになっても溺れなくはならないんですよ。
残念ながらならないんですよ、本当に。
目つぶって100m泳げるけれども、
溺れなくはならないんですよ。
だって水温一つとってもそうですよ。
プールとは違うんでね。
川とかは本当、流れはあるわ。
冷たいわ。服着てるわ。で、
溺れちゃうんですよね、人は。
水陸療養にはできてないんですよね。
肺呼吸しちゃうんで。
エラ呼吸できなきゃダメですよ、水の中では。
エラ呼吸なんかできないですからね。
エラないから。
こういうわけで、
無理ってのはですね、
しないことですね。
よほどの事情がない限り、
しないで済む無理は、
しないことだと思うんですよね。
しないで済まないこともあるわけじゃないですか。
なのにそこに追加して、
吹きかきするためにJさんのように喋る無理とかをするというのは、
あまりにも無茶だと思います。
だからこれはやっぱり慰めて言ってるわけではないと、
僕は思うんですよね。
無理しないというのは。
結構、
ありきたりな言葉で、
ありふれた言葉ではありますが、
意味あるんじゃないかと思うんですよ、無理しない。
僕はやっぱり、
どういうふうにGoodVibes使ってるかみたいなのを、
このポッドキャストでは、
おいおい喋っておりますが、
朝ですね、
GoodVibesファクトリーというところで、
今日のGoodVibesと言って、
クラザの平蔵さんが、
短記事を一つ上げてくださるんですよ。
こういうのってやっぱり、
誰かが生きてるからできるものなんですよね。
教問になっちゃうんですよね。
今日ここ、
日曜日の教会に行って、
この説を今日読みましょうみたいなのをやるんですよ。
英語の勉強のつもりでやってたんですよね。
聞いててもほとんどわからなかったんですけど、
あれを、
生でできるっていうのが、
ファクトリーの一つの面白いところなんですけど、
僕、朝起きて必ずあれを読まず読むんですよ。
大概いいねつけておくんだけど、
いいねをつけ忘れると、
眠いんで、
まだ。
だから、
この中で僕がもう一つ必ず思うことが、
無理をしないってことなんですよ。
無理しないってのは結局、
なんだかんだ、
比較しないって意味なんですよね。
多くの場合。
現代社会では特に。
自分らしく生きるっていう感じなんですよ。
自分らしく過ごすかな、
一日をですね。
自分らしく過ごす。
無理をしないこと
自分らしく過ごす。
自分らしく過ごす。
自分らしく過ごす。
自分らしく過ごす。
自分らしく過ごす。
だから、
ハキハキ教室に行かないみたいな、
そういう話なんですけどね。
本当にこれがですね、
僕はこれはそんなに
無理なく
僕に入ってくるんだけど、
入ってこないという方は、
一定数以上いらっしゃるんですね。
100日チャレンジの冒頭で
告知もしましたけど、
100日チャレンジでも、
見えてないなみたいなのを、
僕はここを抜くっていうのが
今一番やってることなんです。
ここを抜いてもタスクシュートで
全然差し障りなく回るんで、
むしろここを抜いた方が
はるかに上手く回るんで、
全然この100日チャレンジの趣旨に
反しないんですよ。
反すると思われるケースが
あるのが不思議なくらい
反さないんですよ。
全くJさんなりオハシさんなり
言ってることと
ここで無理したいというのは、
なんでかっていうと、
ここはちょっとこんなに時間
喋っていた後で、
さらにこの話題を追加するのも
どうかと思うんだけど、
精神分析的なんですよね。
これは比較というものに
こだわってしまうというのは、
初期で言えば本当に
フロイトの古典で言うと
ヒステリーの症状を生み出した。
どうしてか。
あれはもう明らかですよね。
ローラさんといい、
お父さんに愛されたかったからですね。
比較という
嫉妬の病と
ヒステリーはよく言いますが、
ここがヒステリーでは強調されすぎて
いるんですけど、
女の人がキーってなるみたいな
話ってあれ、
嫉妬の話をしている。
嫉妬って何かっていうと、
自分が愛されてないという話をしている。
この場合フロイトが見抜いたっていうのは、
発見したと言っていいと思うんですけど、
お父さんに愛されてないっていう
意識の苦しさなんですよ。
やっぱり
子供は親に愛されたいと
自然に思うもん。
お父さんに愛されなきゃならない。
そのために私には、
例えば美しさが足りないとか、
あるいは頭の良さが足りないとか、
気立ての良さが足りないとか、
足りないんですよ。
足りない病なんですよ結局。
一番スタートはそこに出てくる。
それが比較に繋がってきて、
筋肉が足りないとか、
収入が足りないとか、
全て実は
嫉妬の病だと思うんですよね。
だから筋トレをしたり、
ファイナンシャル教室に通ったり、
現代的ですよね。
お父様に愛されるためにもっと美しく
なろうっていうのは古典的だけれども、
今の時代はそうではないから、
誰に愛されたいのか分からないんだけど、
心の中の
親に愛されるためにも、
もっと収入を高めようみたいな、
そういう意識ないですよ。
だからすっごく無意識的にこれが進行すると
僕は思ってるんですけれどもね。
そういうことが
起こってるはずだと思う。
笑ってしまえば、
だいぶそれだけでも
話がすっきりするし、
時間にも余裕はできるはずだし、
何よりも自分らしく、
結局ドーラさんと言い、
アンナ王さんと言い、
自分らしいんじゃダメだって思ったわけですよね。
自分らしいからいけないんだ。
だからお父さんに嫌われるんだっていう、
そういう話なんですよ、あれは。
突き詰めていくとですね。
だから、
愛されてないかっていうものを
持っちゃってるんだろうなっていう風に、
筋トレの
何を、つまり
人が依頼してるわけでもないものを
追加したくなった時には、
ここをチェックすると
いいかなって思うんですよね。
誰かに、誰かにというのは多分親対象だと思う。
親対象ですよ。
親じゃない。
実の親とちょっと違う。
自分が親だと思っている
理想化した何か。
心の中にある存在に
愛されてない感じがする。
それに愛されるためにも、
やっぱりもっと健康的になろうというわけで
愛されるために必要なこと
ウォーキングをしようみたいな、
そういう話にきっとなっている。
これを
昔はヒステリーという症状として
現れていて、今は多分
ちょっと違う形で現れてるんだけど、
結果として
自分らしくあったらダメだ。
だって自分が自分らしくあったらダメだっていうのは
辛いですよね。
これがその
心的にややこしい事態を引き起こすのは
当然だと思うんですよ。
やっぱり。
私もすごい昔は嫌でした。
自分の声だの、顔だのって。
一番自分らしいさが出ちゃうじゃないですか。
これがね、
親に愛されてないなどということと
親に愛されてるなどはないんだけどね。
ないという思い込みと
もう言いましたけど、
この猛進みたいなものって強烈ですから。
やたらリアリティがあるんですよ。
親に愛されてないというよりは
これで人に愛されるはずがないみたいな。
で、
ここのところでも
もう本当に長くなっちゃってるんだけど、
昔、倉園さんに教わった通りなんですよ。
人に愛されてないと思う
必要、理由って
全然ないんですよ。なぜならば、
愛するってことは
難しいことじゃないからなんですよ。
人にとって。
これが昔、倉園さんに
僕が教わった大事なポイントなんですね。
愛することの簡単さ
グッドバイブスでも大事なポイントなんですよ。
私にとって
娘を愛するっていうのは
非常に簡単で、テレビのリモコン
切り替えるより簡単。
ピクミンを最後までできるなら
人を愛せないわけがない。
これが難しいと思うから
思ってしまうと、人に愛されるってことの
ハードルが上がってくるわけですよ。
愛するって難しいでしょう。
みたいな感じで。
例えばあなた、ものすごく嫌な感じの
人がやってきて
めちゃくちゃ自分の目の前で罵ってるの
愛せますか?みたいな
キリスト教の一番難しい
もっと難しいんだけどあれは
そういう話にすると
難しいから
そういう
愛するには
それなりのものでなければならないということで
ハードルが上がっていくんですよね。
愛されるための条件
愛されるに値するものでなければならない
ということで筋トレ始めるわけです。
筋肉流々なら
愛されるかどうかと思うんですけど
だからハキハキ教室に行かなきゃ
ならないわけですよ。
ゴニョゴニョってしゃべってるようで
人に愛されるはずないじゃないか
ってことになっちゃうから
そうではないんですよね。
私の親が私をもし愛していなかったとするなら
それの問題は
私には全然ないんですよ。
なぜなら愛するのはとても簡単なこと
それを知ってから
私は親に愛されてないと
親に愛されてないというようなことで
悩んだことはないんですけれども
あんまり
愛されてないみたいなことを
愛されるために必要なもの
考える必要を全然認められなくなったんですよ。
娘を愛することの
容易さを考えると
リモコンのチャンネルを切り替えるより
簡単なことになって呼吸するより簡単になって
こんなことが親に
できなかったとするならば
親にはよっぽど問題があったと
いうことになるんですよ。
私次第で決まるほど
難しいことじゃないんですね。
よっぽど愛するのがやだとか
じゃない限りはですね
愛するなんて
次にしちゃうものなんですよ。
だからこの感覚を得るってことが
やっぱ大事なんだなっていう話を
よく倉園さんはされてるんだな
っていうことを思ったんですよね。
すっごく楽にできる。
これをするのに
何ら本来躊躇がいらない
誰かを愛せないとか何かを
愛せないんだったらそこに
よっぽどの警戒心とか
本当にそれによって
自分が
嫌な思いをするという
やっぱり信念なんですね。
猛進みたいなものがない限りは
人を愛することは容易だ。
なので自分が
何かをまとってたり
持ってたり身につけていたり
お金いっぱい持ってたり
しないと愛されないっていうほど
難しいことではない。
難しいと思ってる人にとっては難しいんですけど
そういう人に愛されようと思ったら
お金をいっぱい持ってるぐらいじゃ
ダメなんですよ。
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