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おはようございます、グッドモーニングボイスです。
この番組は、私が好き勝手喋る番組で、最初はそういうつもりはなかったんですよね。
最初はグッドバイブスの実践過程を口頭でお伝えしていくと、それに違いはないんですけれども、
やがて、ボイスにしてからは特に、Shogo Sasakiが言いたいことを言うという番組になっていて、
聞いてくださる方が少なくとも100前後はトータルでいらっしゃるということが分かってきたので、
何か役に立つことがあれば、そういう話をしようと。
ただ、仕事術はまだしも、ライフハックは音声向きだとは思わないので、
ここに飛んでこれを買ってくださいと言う時に、どう考えてもクリックした方が早いじゃないですか。
音声でそれを伝えるというのは、無縁な感じがするんですね。
だから、ライフハック的なテーマはほぼ出てこない。
ですけれども、仕事術的なのは言ってみれば出てくるかもしれないですね。
今日はですね、なぜ私が、本当はですね、私が言っていることを勝手に引用していただくと一番手取り早いんですけど、
この番組はそうですが、なぜメモを取ったりアウトラインを作ったり、
プランですね、ノープランで行くというのをお勧めするかというと、
これは誰でもできると思っているからなんですね。
仕事がつらいということの一つには、やっぱり不安があるということだと思うんですよ。
自分の仕事のやり方なり、成果物なりに自信がないといった場合、
そもそも自信がない成果物を作る全プロセスはかなり強い不安に満ちているじゃないですか。
そういった不安を乗り越えるために、メモなりレビューなりをするんだろうと思うんですけど、
私がこの番組で繰り返し言っているのが、そういう気持ちでしているメモなりレビューなりには絶えず不安がつきまとうはずだから、
いくらそれを使ったとしても、安心に至っているとは思えないんですね。
メモなり何々を取るというのも結構なんですけど、
私の長いライフハック経験で、私のライフハック人生というのは4,5歳から始まっているので、
長らくこれをやってきて、40何年やってきて、これで不安が払拭できるというよりは、
ますます不安を自分に張り付けていくようなところがあるので、
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仕事がつらいということがあったらですね、ちょっと劇薬的になってしまうように感じられるかもしれませんが、
これをやめてみるというのは手なんですよ。
ミスって保証できないので、ミスっても大丈夫ですとか言えないので、
このままやっていただければいいとは思わないんですけれども、
それでもですね、メモを取るといったことには、
それなりの副作用が実は常につきまとっているということを忘れちゃいけないと思うんですね。
忘れちゃいけなくはないけれど、
仕事がつらいということはどういうことなのかということと、
関係があると思っておいた方がいいと思います。
実際私このセミナーもそうなんですけれども、このポッドキャストもそうで、
局省にしているんですよ。
後から段取りが悪かったねとか、最近言われないんですけどね、面白いことに。
そういうことを全く言われたことがないなんてことはないんですよ。
グダグダだったとか、私はそれを聞いたときすら反発するという気持ちのほかにですね、
グダグダだったとなぜわかるって思ったんですよね。
こういうところ私にはそもそもあるんだけど、今はですね、
グダグダだったとか段取りが悪かったというのは一つも認めないことにしているんです。
非常にその理由は単純で、グダグダじゃないセミナー、私がやった場合のですよ。
こういうのが理想的だという、理想的なセミナーというものをその人の頭の中にやるんだけど、
その人の頭の中にやるセミナーとピタッと同じことができたとしても、
他の人が必ずしもそっちの方がいいとは感じないだろうと思うんですよ。
これはほぼ間違いなくそうだろうって私は言えると思っているんですよ。
ということはですね、改善って本当の意味ではできないんですよね。
あくまでも改善というのは、悪かったというところを良くしたと思えたというだけであって、
機弁っぽく聞こえるかもしれないんですけれども、実際はそういうことになっちゃうと思うんですね。
でも私が本当に一番言いたいことはそういうことではなくて、
メモを取るなり、プランを立てるなり、
そういったことが果たして何かを改善することにつながっていない場合って、
どうなるんでしょうって話を本当は考えているんです。
よく読書メモって取るじゃないですか。
あれは一体何をしているつもりでいるのかと。
本を読んでそもそもある箇所をメモにたいと思ったときって、
何をしようとその人はしているのかと。
もうちょっと言うとですね、
私もあれはメモを取りたくなる人のお気持ちはよくよく分かるんですよ。
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次回にこの知識を生かそうとするんですよね。
でも文章を書くときってのは、多分そのメモを参照することはありえないんですよ。
したとしても、それで参考にできるところがどれほどあるかは分からないんですよ。
だから、そのメモを取りたくなる人のお気持ちはよくよく分かるんですよ。
したとしても、それで参考にできるところがどれほどあるかは分からないんですよ。
倉園さんのお話っていうのは、文章を書く人間には、
なるほど実に役に立ちそうというか役に立つ知見にあふれているために、
メモを死ぬほど取りたくなる気持ちはよく分かるんだよな。
メモを取るっていうのは一つの遠回りな行為だと思うんですね。
そして一歩間違うと二度と生かすことのできない行為になりかねないと、
そう思うんですよね。
例えば、一番よく最初に出てくるので、
微行数に相当するのでやからは全部封印すると。
これは封印できて初めて意味のある行為であって、
封印するとメモを書いたからといって封印できるとは限らないんですね。
私、最初の第一期のときからこの話は繰り返し、
私も全く賛成なので、微行数に相当するのでからは、
よっぽど使いたくなっても書き上げ軸にいる間はやめたほうがいいと思うんだけど、
面白いくらいみんなこれを無視して使うんですよ。
メモっている人いっぱいいますけれども、使うんですよね。
いくらメモっても。
それが私たちのメモというものの正体だと思うんですよね。
何でメモするのかというと、得をしたいからなんですよね。
でもメモをすることで得ができるのかというと、疑わしいんですよ。非常に。
何か小切れにまとまっているものを見ると、私たちは得した気がするんですね。
参考書とかがそうなんですよ。受験に必須の何かみたいなのがまとまっていると、
そういう気がする。だから、スクラップボックスとかオブシリアンとかにまとめたくなるし、
その気持ちを満たすという意味では、それはいいと思うんですね。
でも私はその気持ちを満たすということと、それを知識として手に入れられるということは、
何の関係もないか、関係があっても数パーセントぐらいの関係しかないような気がするんです。
私は今、フロイトとかの本は特にそうなんですが、電子書籍がないんですよ。
一切メモらないんですね。写真に撮ったりもしないし、記憶しておこうとも思わないんですよ。
だからここで喋れるんですよ。これが逆説的に聞こえるという人は、
じゃあメモるということはどういうことなのかってよくよく考えてみてほしいんですよね。
メモるというのは記憶できないからでしょう。逆じゃないですよね。
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メモりさえすれば記憶できるんだったら、メモっていたことはすでに全部記憶されているはずですよね。
忘れるのが不安だからメモるんですよね。少なくともそういう真理は働いているからなんですね。
忘れるから、忘れると思うから、忘れてもいいようにメモるんですよね。
だから忘れるんですよ。こういう話をする人は、僕が最初だったら絶対思わないですよね。
いっぱいいると思うんです。メモんなきゃ忘れないかって言うとそんなことはないですよ。
ただメモった方が忘れうるという可能性はあると思います。
メモを見ながらポッドキャストはできないんですよ。
少なくとも私が今やっているようには無理だと思いますね。
メモを読みながらこういう話をすることは僕は絶対無理だと思います。
正しくフロイトが言ったことを引用するのはできますよ。
だからフロイト全集引用ポッドキャストならばそうすればいいんですよ。
ただし私が今やっているようなこのポッドキャストは
フロイトの文章をメモってそれを読みながらではできないと思いますね。
どうやってもできないと思います。
つまりそれがメモるってことの意味なんですよ。
メモったということは不安だということなんですよ。
そして多くの場合きっとこうなると思います。
いっぱいああいうものをメモってスクラップボックスなりに入れると。
さあそして精神分析論的なポッドキャストをやろうとしたら
いとも簡単にできそうじゃないですか。
原点はある。気になっているところのメモもある。
それについて喋ればいいっていう状態じゃないですか。
それについて喋ろうと思ったとき不安になると思いませんか。
世の中にはもっとフロイトのことをきちんと引用して
何なら英語で人によってはドイツ語で引用している人がいて
ドイツ語で読める人もいて
その人たちの方がこういうポッドキャストやったら
さぞ素晴らしいものができるっていうイリュージョンを作り出すような日が来ません。
その上でそういう人が聞くことは絶対ないんですけど
万が一聞いていたらこのポッドキャストあざ笑われるっていう恐怖で
いっぱいになると思いません。
私この真理とメモる真理は全く共通のところから出てくるという気がするんですよ。
私はそういうことが少しも怖くはないと思ってメモんないです。
この私の真理はメモらないという真理状態と
フロイトをドイツ語で読める人に和解されるということが怖くない真理とは
全く一致すると思うんですね。
この真理を持ってないとこのポッドキャストできないような気がします。
だからメモっちゃダメなんですよっていう話にすると
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なんかちょっと違うんですよね。
メモったっていいんですよ。
大事なのはこのポッドキャストをするにあたって
恐ろしいと思わないという真理状態を手に入れるってことですよね。
メモろうとメモるまいとそんなことはどうでもいいんですよ。
メモった方ができると思うのはナンセンスだと思います。
僕はメモった方ができないとは思いますけれども
メモってもできるくらいじゃないとダメかなとは思います。
だからメモったっていいんですよ。
メモったらできなくなるっていう真理状態ってつまり
怖いってことなんですけれども
そこにあるのは全部イリュージョンだっていうことを忘れちゃいけないんですよね。
ドイツ語で読める人はいるでしょうよ。
でもそのドイツ語で読める人を脳内で作り出したその人はイリュージョンですよね。
そういう顔はしていないですよね。
そういう笑い方もしない。
あざ笑う人はいるかもしれませんよ。
でも笑い方が違う。
大事なのは現実じゃないってことなんですよね。
このことを忘れちゃいけないんですよ。
忘れちゃいけないんですよ。
このポッドキャストを足止めするなり
ブレーキをかけるなり
良識に合わせて控えておくなりは
全部結構なんですよ。
ただそれは他人が止めたものではないっていうことですよね。
自分が止めてるものなんです。
私何度も聞いていてその通りだと思いながら
まだできないことがあるんですが
ラドノさんがよくですね
よくでもないか。
でもしょっちゅう幸せは時給自足なんですとおっしゃるんですよ。
本当に幸せになりたければ
誰でもその場で瞬間的になれる。
私はこれに対して1ミリも不動意ではないんですよ。
それがですね
歯医者で治療されているど真ん中でもそうだと
思うんだけどできないんですよね。
残念ながらまだ。
ただ幸せが時給自足であるというのは
私はこの反対側から
不幸も時給自足であるということから
確実だとは思ってるんですよ。
今の話
メモるそして
あざ笑われるのが恐ろしいから
ポッドキャストはやめにしちゃうということを
私はすぐにでもできると思います。
そんなことはいかにも起こりそうなことですよね。
それはとても不幸なことだと思うんですよ。
いろんな方とお互いに
これをだって聞いてくださっている
おそらくは
毎週ではないんですよ。
少なくとも週に2回ぐらいは聞きたいと思っている方は
たとえ十何人でもいらっしゃるんですよね。
その人たちにしてみれば
私が意味のわからない幻想に恐怖を覚えて
二度とこれを配信しなくなるというのは
決して幸せなことじゃないんですよね。
でもこれは時給自足なんですよ。
僕の。
すぐに作り出せるんです。
二度とやれなくてもできますよ。
たちまちのうちに。
フロイト全種を全部スクラップボックスに
入れてからにしようとかって
平気で考えられるんですよ。
それは実現しないですよね。
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しかも多分スクラップボックスに
フロイト全種を全部書いたら
二度とこのポッドキャストは
しないと思いますね。
よくよくこのことについて
検討してみてほしいんですよね。
なぜ社内プレゼンが怖いのか。
どうして上司のダメ出しは嫌なのか。
私は全部時給自足だと思うんですよね。
私が今言った通りの
通りのに近い
イリュージョンを
脳内で作り出せば
自分を最大限に苦しめることは
必ず実現できます。
幸せが時給自足だというよりは
つまり今の逆の話をしているので
確実なはずなんですよね。
私はそういうことを
可能にしたことが何度もあります。
何かを辞めてしまう。
二度とこういう目に
会いたくないから
何かを辞めてしまうというのは
とても簡単にできます。
で、振り返ってみると
一つとして他人が本当の意味で
書く手を止めるとか
私の手を持って
ガチッと掴んで
お前書くなと言ったことは
一回もないんですよ。
お前喋るなと言われたことも
一回もないんですよ。
ダメ出しをされることはありますよ。
でもダメ出しされたって
喋れるじゃないですか。
物理的にはね。
段取りが悪いとか
アウトラインがなってないとか
このポッドキャストに言うことは
いくらでもできると思うし
会いたい人はいません。
いないんですよ。
喋ることはできるんですよ。
フロイトのヒステリー研究で
冠目になる方
いっぱいいらっしゃいますよね。
二度と喋りたくなくなってしまうんですよね。
そうすると言葉が
口から出てこなくなる。
そういう病気は
ヒステリーの極めて
典型的な現象ですけど
ちなみにヒステリーって
キーってなる女性みたいな
ところから
使われなくなってるんですけど
そもそもキーってなるって
どういうことかというと
本人はキーとなろうと
してるわけじゃないですよね。
キーとなっちゃうわけですよね。
同じなんですよ。
人格がコントロールを失えば
キーとなるのと逆に
全く口を聞けなくなるってことも起こる。
立ち上がれなくなるとか
物が食べられなくなるとか
コップから水が飲めないとか
ことごとくですよね。
それはいくらでも起こるんですよ。
時給自足で。
自分がやってることなんですから。
だからフロイトとブロイヤーは
一生懸命になって
水飲めなくなった人に
スプーンで水を少しずつ
飲ませてあげるとか
私はああいうことをやったから
治ったんじゃないかなと思うんですよね。
治ったというか改善したんじゃないかなと
精神分析をしたからというよりも
それが精神分析の
一つの側面でもありますけど
つまりそんなことはできるんですよ。
外からも頑張って水飲ませようとしても
本人は飲めなく自分をしちゃうんですね。
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ということを
私たちがやれるとするならば
幸せが時給自足だというのは
事実だと思うんですね。
で、社内プレゼンが恐ろしくて
二度と会社に行って
やる気がしなくなるというのは
もちろん自由自在にやれると思うんですよ。
だから
ノープランで行ったら
一番いいと思うんですよね。
こうできるようになれば
楽なもんじゃないですか。
初めてしゃべればいいんです。
私今回もそうです。
初めてしゃべればいいんですよ。
前回
グッドバイブス勉強会の最終回で
これを買って
聴いていただいたという方のほか
直接聴いていただいたという方から
すごい良かったとか
神回だとか
言われているんですけども
僕はどんな風にやったか
ほぼ思い出せないんですね。
これが大事なんだと
僕は思っているんですよ。
良かろうと悪かろうと
レビューなんてしないんですよ。
これはグッドバイブスと
少しずれるんですけど
禅の九道にあるんですよね。
的に当たったとか
この木に弓を打ったのは
良かったとか良くなかったとか
右往左往する
二度としないようにしろと
これを最初の段階で
口すっぱく言われるんですよね。
私たちはそうじゃないじゃないですか。
上手くいったのを繰り返すようにして
失敗したのを避けるようにすれば
上手くいく。
それも事実なんでしょうけれども
快と不快の間を
行ったり来たりしちゃダメなんだ
という気がやっぱり今するんですよね。
すごく。
だからプレゼンも上手くいったとか
いかないというのは
上手くいったと思うんですよ。
ある意味では。
でも私たちはそれをしちゃうんで
せめて僕が今しないようにしていることは
二度とそれについて思い出すことはしない。
あれをもう一回やろうとか
こういう点を改善しようという
心理は働くんですけれども
極小にとどめる。
できれば無しにする。
二度とやりませんからね。
同じゼミなのは。
全く同じテーマで全く同じ人と
全く同じように喋ったとしても
同じにはなりませんからね。
だから改善ってのはおかしいと思うんですよ。
全く同じにできないのに
善も悪もないと思うんですよ。
本当は。
善と悪って言っている限り
それと全く同じコピーが作り出せる
という意味になるはずなんだけど
そんなことはできないので
やっぱり善も悪もないと思うんですよ。
これに同意できないという人は
善を目指し続けて
全然OKなんですよね。
だってその二つに
僕の中では違いはないわけですから
本当のところ。
こう思えれば
ただある種の苦しみで
喘いでいる人にしてみれば
楽なものだと思うんですね。
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そしてきっと
即座に次回からとは
いかないまでも
ダメ出しが全く怖くなくなったら
はるかに上手くできるようになると思うんです。
実力が全く変わらなくても
知識にいかない変化もなくても
これも実際には変化が起こるので
何かを保証するわけにはいかないんですけれども
この番組もそうです。
毎回毎回良くなっているとか
一切起こっていないはずですが
でも喋るのは
やればやるほど楽にはなっています。
テーマが同じなどとは
しょっちゅうですけど
100%同じことを
喋ったことは一度もありません。
無理ですよね。
そういうことをすると。
こういう考え方というのは
グッドバイブスの影響でも
もちろんあるんですけれども
意外なところから
意外な発見がありまして
私は全然詳しくないんですけど
笑っていいと思ってあるじゃないですか。
あれやっていた田森さんが
一度も自分の番組を振り返ったことも
見たこともないって
どこかで書かれていたんですよね。
私には
どちらかというとそれは
参考程度の話でしかなくて
なぜなら私いいと思って
頭から最後まで見たことは
一度もないんですよ。
いつもラーメン屋さんで見たり
家にテレビなかったんで
ラーメン屋さんで見たり
しかし不思議だったんですよ。
子供の頃、小学生の頃だったと思います。
ラーメン屋さんで見たのに
全く同じ番組を
ドコモサービスの
派遣社員時代に見たんですよ。
一体この番組って
どうなっているんだろうと思いました。
何が楽しくて
何が面白くて
こんなに繰り返し繰り返し
この番組が永遠に永続して
永遠ってことはないにせよ
こんなに長いことが続いているのかと
思ったんだけど
その間
本人は一度も見返したり
良くしようとしたことはないと。
私これも
つくつく考えるべきだと思うんですよね。
こういうのって
もし改善派の人がいるならば
改善って何なんだろうって思いません?
あれに比べ
それが本当だとするならば
あれじゃない番組でですね
改善に次ぐ改善をして
あれよりはるかに早く
打ち切られている番組って
ほとんど全てだと思うんですよね。
よっぽど天才だってことは
考えてもいいとは思いますよ。
よっぽど天才だから
何もしなくても
常に改善されていたと
でも私はどうしても
そうは思えないんですよ。
改善っていうのは
よっぽどまずい行為なんじゃないかな
って思うんですよね。
世の中で幅広く用いられている
よっぽどまずい行為って
いっぱいありますからね。
常に良くしていき
無断せず
24:00
悪い状態を潰していけば
事態は良くなる
っていうのは本当なんです。
今日は選挙の日で
先日すごい事件がありましたよね。
いつもあの週の話を
見ていると思うんですけど
最悪の事態を想定しろって
なんとも不思議な言葉に
聞こえるんですよね。
最悪の事態って何を指すんですかね。
私はあれが
何かの失敗だったとか
そういう風には見えないんですよ。
そういう想定が
全くなされていなかった
というのも信じられないんですよ。
専門家がいるわけですからね。
どうなるんだろうか
想定というものをしていれば
あれほど鮮明な
想定というものが
この世の中にあって
あれほどですね
徹底した
それこそ組織だった
対策があって
なお
イメージされていた
最悪というものも
この世の中にあって
でも何かそういう
イメージではないことが
こういう現実に対して
PDCAというのは
何とも言えないもの
僕はもうすっかり
今後もずっと
こう言われ続けるんだと思うんですよ。
危機意識を持って
想定して
改善していこうと
基本的にそれが
適用されている範囲が
こんなにも広いんだけど
上手くいっている範囲が
どこにも見当たらないような日が
私の確証バイアスかもしれませんけれども
するんですよね
だから
一度やってみたらいいと思うんですよ
メモを取らない
プランを作らない
レビューをしない
全部ぶっつけ本番でやる
倉園さんは
これが実は
相当ハードルの高い試みだということを
意識されていたので
買い物でやろうという話を
書かれていますよね
私、グッドバイブスを
それなりに知っている人でも
買い物ですらこれができない
という人は
結構大勢いらっしゃる気が
依然としてするんです
僕らが人生で損したくないと思っているのは
もうほとんど病気ですよね
それはいいんですよ
買い物を
徹底的に緻密に
調べ上げてから買うというのも
全然いいと思うんですよ
楽しい
楽しい限りは
特に
これによって失うものはないですからね
それほど
けれども
失うものがでもやっぱり実際には
なるんですよね
27:01
不安が自分から払拭されないという
大きな問題が
私、自分の人生で
歯医者さんとか含めてですね
恐怖や不安がなくなったわけではないんですよ
不安や恐れってやつね
けれども
こんなに減っているということは
昔は一体何だったんだ
というぐらい思っていた
わけじゃないですか
読書メモも
つけましょうって本も書きましたしね
つまりそれは
そうしておけば安心だという
意味でしかないんですけれども
途中に盛んに話したように
取った以上はできなくなることって
あるんですよ
だから取った場合には
損は一切発生せずに
得だけが手に入るということは
できないんですね
メモ一つで
取った以上はできなくなることって
あるんですよ
そういうことが最近ようやく分かってきたんですね
メモを取った以上は
取らないのと同じ結果は得られないんですよ
これは
単なる試行実験の話じゃないんですね
読書メモなりを取るとか
Kindleでマーカーなりを引くということを
やった以上
取った以上は
できなくなることがあるんですよ
そういうことが
仕事の上で
いろいろと発生すると
いろんなオプションが実は
最初から選択できない状態になっているんですね
そういうことの結果として
仕事がつらいというのを
何とかする一つの提案として
メモを取らないということによって
得られるオプションを得ていくと
損したくないっていうのは
何点ですかね
途中
一つの病だというふうに
言ったんですけど
私は小さな非正義なんじゃないか
って思っているんですよ