タスクシュートとトレーナーの役割
おはようございます。人生相談のための精神分析的ラジオ、第1186回をお送りします。
5月21日、水曜日、7時43分です。
すいません。まさにぴったり。久しぶりって感じがします。
時間のこと、昨日お話しましたけど、タスクシュート協会の認定トレーナーさんが、現在第3期の募集中で、同日と2日間で基本的な要請講座というものなんですけどね。
これも短いとも言えるし、偉い内容にしては、本格的だなとも言えると思うんですよ。
だからこういうぐらいかなというふうにも思うんですけど。
我らがですね、理事の前松崎さんが、1日半日かけて、結構ですね、聞いていると驚くんですが、
半日、割と元気よく講座をされているにもかかわらず、後半になっても全然バテた感じがして見えてこないんですよね。
あれはやっぱり私にはなかなか真似のできない芸当で、大したもんだなぁと思いながら、いつも僕は横でサポート役に従事しているわけですけどね。
はい、まあそういうわけでまだ間に合いますので。でも結構埋まってきたんですよ。まだ間に合いますんで。
もし、まだなお、水曜日ですけど今、悩んでいらっしゃる方がいればですね。
昨日お話ししましたけども、そういったことをお伝えしていくサポートをしていただければと思います。
その気になってやれば、全然使う金額大きいと思われるかもしれませんが、元は割と1年のうちに取れます。
やっぱり今、これも我らが前松崎さんの開発してくれたツールのおかげですけど、ユーザー数は相当数なんですよ。
認定さんの数に比較すると、何しろ認定さんまだ第3期ですから。しかも1期あたり100人とか募集しないんで、そんなに急速に増えないんですよ。
そうすると、今もう公式にはですけど、タスクシュートについてお伝えできる人って認定トレーナーさんしかいないわけですから、理事はほとんどその種の活動をしておりませんからね。
だから、セミナーをやる、オンラインセミナーをやる、何でもいいんですけど講座をする、全て認定トレーナーさんのみが行っているんで、本当にですね、一定の金額を収益すると、得ていくということであればですね、活動してね、もちろん。
その対価として収益を、もちろんビジネスに完全になるかって言ったら、そうはいかないと思うんですけど。
それで会社を起こすとか、そういうわけにはいかないと思うんですけどね。
でも、トレーナーさんが使った金額のもとを取るっていうことであれば、それは割と1年のうちにほぼ確実にやろうと思えばできると僕は思うんですよね。
だから、そんなにただ取っただけの肩書きで終わってしまいますなんてことはまず絶対ないはずです。
何にもしないとあれですけどね、公式ユーザーさんの数もそうですけど、手帳ユーザーさんっていうのが現在はいらっしゃいますから、これは今まで存在しなかったユーザーさんなんで、明らかに以前とは違う様相になってきているわけですよ。
ですから、たまたまそういうタイミングだということもあるかもしれませんけれども、今はコロナ明けでオンラインでの活動にもすごく参加していただく方が増えていますから、これを取っておいて少なくともやる気さえあれば損には絶対ならないと思いますので、よろしければぜひご参加いただければと思っております。
はい、でも今日はその募集の話ではないです。
100日チャレンジの概要
今日はですね、もう一つ告知があります。
100日チャレンジが始まります。
今正確な日程をどう忘れちゃったんですけど、6月の上旬に開催いたしますので、そこから100日チャレンジ、これはですね、あっという間に埋まるんで、興味ある方は是非、まだ100人ぐらい募集かかってるじゃんって思うかもしれません。
本当に僕が驚くぐらいのスピードで埋まるんで、実際今期もですね、プレミアムってあるんですよね、あのコースが。
こちらはもう限定10名プラスアルファぐらいしか、あの、申し込みいただけないですけど、あの発表して2日で埋まっちゃいましたから、それなりの金額なんですよ、プレミアムなんでね。
だからですね、スタンダードとかも100人ぐらいいると思っていてもですね、あっという間に埋まりますんで、あの特に5、60名の方は既に多分、近日中には申し込みされるっていう感覚でいらっしゃると思うんですよ。
なぜならそれに近い感じの方がリピーターなんでですね、毎期そうなんですよ。
だから埋まるんですよ、ある意味。
非常に急速に。なのでですね、これもとっても僕は面白い現象だなって、毎回この種のものを催してて思うんですけど、なぜか皆さん同じようなタイミングでお申し込みになるんですね。
多分今度の金曜日とか今度の何曜日とか、ごく普通にルーティンで回っている人の感覚で、同じような判断の時期ってあるんですよね。
だから何か埋まる日が、やけにある日に殺到するっていう現象が起きますんで、まだ余裕だろうというのを数字だけで追わない方が、こういうのは良いんだなということを、僕チケット取ったりあんまりしない人間なんですけど、野球のチケットとか取るじゃないですか、どういうことになってるのかっていうのがですね、主催する側になってよくわかるようになりました。
こういうことなのね、もちろん病で埋まるみたいな、それは別ですよ、そういうのはもう躊躇もヘッダクレもなくて、基本的に電話の前で待っていてみたいなああいう世界なんですけど、ああでない場合、任天堂スイッチ2とか本当そうですよね今ね、どうやったら買えるんだよっていう感じがするぐらいな感じになってますけど、
アイラベスとしても、この埋まりはするけど病ではないみたいなやつはどういうタイミングで埋まっているのかなっていうのがですね、主催する側になってわかりましたっていうのはもう完全に余談ですけどね、まあそういうわけで100日チャレンジはぜひ、これもですね、私3ヶ月チャレンジの経験の蓄積があってからですね、
人にどのように伴奏して介入するというのがいいのかというのがテキスト上でのやり取りだとしても、ある程度の勘どころは少なくとも100日チャレンジ1期やってた頃よりはもうずっと自分でも意味はわかるようになってきたんですよね、なぜこういうタイミングでどういうことが起きるのかといったことが、もちろんこちらはJ松崎さんの主導ですから全部を私が主導しているわけじゃないんで全部が見えるわけじゃないんですけど、
でもやっぱりこのタイミングでこういう書き込みがあるということは、大体こういうことがやっぱり進行するんだろうなみたいなことは前よりはですね、わかるようになってきたんですよ。だからそういった場合にはやっぱりどういう伴奏の仕方が懸命なのかみたいなのは前よりはだいぶ感じるものが増えてきたので、
それなりのことがこの100日という限定された中でですね、それなりのことがお手伝いできるかなというふうに思うようになりましたので、こちらも金額から考えれば決して損はないと思うんですよね。大体1万円前後なんですね。スタンダードは100日なんでね。つまり3ヶ月プラスアルファですよね。
専門性の議論
月々に直すと3000円ぐらいっていうことのサービスとしては、これは結構イベントも割と多い目ですし、今回から私たちを含めると6人でサポート体制作ってますから、そんなに悪いサービスじゃないというか、かなり格安なんじゃないかなっていう感じがするんですよ。
いわゆるサブスクのオンラインコミュニティとはだいぶ違いますんで、サブスクのオンラインコミュニティっていうのは期間を限定しないじゃないですか、基本的に。別にそれが良いとか悪いってことではなくて、私もマッサージとかだったら絶対その方がある意味慢性的に腰が痛いとかね、そういう場合はそういう方がいいと思うんですよ。余計なイベントとかしてほしくないじゃないですか。
言ってとにかく揉んでほしいっていう、これをルーティンのようにやってほしいけど、100日チャレンジみたいなものっていうのは、やっぱり一定の変容を目指してるわけですから、変化とか、気づきとかそういったものを目指してるわけですから、ずっとレギュラリーに続けばいいってものではないと思うんですよね。だからこういうサービスはこれでいいと思うんですよ。
3ヶ月チャレンジはね、非常にそこが私のむしろ悩みというか、決まらないんですよね。曖昧なものが進行してる。切ってあるのにはわけがあるけど、本当はレギュラリーに進んでいくべきものでもあるみたいな、そういう感じなんですよね。
1回1回払うマッサージってよくできてるんだなって感じもするんですけど、やっぱりあれ1回1回払うっていうのもなんかちょっと煩わしい感じがする。だから回数券とか用意してるところもありますよね。そういう感じで私は考えてはありますが、これからその3ヶ月チャレンジの久しぶりに、構造的な話をしたいと思うんですよね。正規非正規、野良カウンセリングみたいな話ですよね。
私はどんどんどんどんそうなってはいるんですけど、これも気を覆うごとに、正規非正規区別って、まあ私が考えなくていいことだよねって考えるようになりました。もうあんまり僕は考えないようになってます。それでもこれだけ喋ることがあるんですけどね。
つまり、よくよく考えてみると、そもそもが無理な話なんだなっていうふうに、これは多分正規の人にはナンセンスな意見に超えると思うんで、そこはもうちょっと申し訳ないという気持ちはあります。別に僕は正規の人に何かを言いたいわけでは全くないんだということがだんだんわかってきたんですよ。
本当ね、それを言うなって言われたら、はいやめますって全部言えちゃうなって感じがするんですよ。カウンセリングって名乗るだって名乗ってないけど、セラピスと言うな、心理療法と言うなって全然OKなんですよ。だって心理療法じゃないしカウンセリングじゃないから。っていうふうにあったり言って問題は何もないということは、私はそれらの名称に魅力を感じてないんですよね。
自分が名乗るという側に立った場合ですね。これは事実を認識し誤っているのかもしれない。事実誤認なのかもしれないんだけど、僕の感触の中ではやっぱそうなんですよね。3ヶ月チャレンジは3ヶ月チャレンジって言っておけばいいんですよ。看板としては3ヶ月何かにチャレンジするんだなっていいんですよっていう感じですよ。
だけどその中に精神分析とか精神力動とか心理療法的なものが入ってきてしまっているっていうのは、これはですね、現状の立て付けというか現状の世の中の成り立ちからするとしょうがないんだと思うんですよ。
正規ってものが本当にっていうのも変ですけど、客観的にあるいは市民的に意味をはっきり持つようになるためには2つの条件があると思うんですよね。
1つは専門家とそうでない人の差があまりにもあからさまに結果の差として現れる場合。私がここで念頭に置いているのは、髪を切る人が結構あるなって思うんですけど、歯医者さんですね。
虫歯は素人には手に負えないです。しかも歯医者さんはバッチリ施術してくれますよね。痛いけど。少なくとも痛くなくても嫌だけど。僕は嫌ですけど。
でも隣のおじさんに虫歯治してもらいたいとは思わないし、シャーマンの出番でもないと思う。ヒーラーとか。仮にヒーラーにヒーリングしてもらっても虫歯治んないじゃないですか。
いや、なんか癒されたわみたいな。痛みも消えた気がするとかになるかもしれないけど、虫歯そのものはバッチリでたぶん残ってると思うんですよね。
相当超常的な力を持ってても、歯ってなんか頑固ですよね。歯はかなり物質的ですからね、肉体の中でもね。物質的って変ですけどね。肉体は物質ですからね。
でもそれにしてもカルシウムでできてるものってやっぱりちょっと固形感が強いですよね。それがなくなっていくとか穴が開くってのはやっぱりね、なかなか超自然ってことは、つまり物質じゃないってことなんで。
霊的なものがこの世にないとは私は言いませんけれども、歯はあんまり霊的でないことだけは感じられるわけですよ。なのであんまちょっとシャーマニズムなものが有効そうに思えない世界ですよね、ここはね。
だから非正規と正規の区別が非常に明らかであって、その結果の差が明快なんですよね。これがやっぱり専門性というものを非常に担保する世界だなって思いますね。
一つがそれですよね。正規と非正規の間の手に負えなさの差がとても大きく、しかもはっきりしている。
で、この次がですね、我々はみんなそうだと知っているんだけど、割と逆に言いたがるっていう面白い現象が、これを言われる専門家はあんまりいい気はしないだろうなっていうことに、しかしその専門家にはかなり多くの人が普通になれるんです。
でもこれはとてもいいことなんですよ。つまり数が多いってことですね。専門家の人っていうのは、自分の専門性は高いと思いたいわけですから、普通にね。
まあそうなんですけど、高いんですけど、でも専門性が高いということは、一部限られた人間だけがなれるということと必ずしも一致しなくていいんですよ。
一致したいって思うかもしれないんだけど、僕はそれはね、多分基本間違ってるんだと思うんですよね。
プロ野球の専門性の再考
これはね、あれなんですよ。野球とか見に行って、特に野球場の練習風景見に行くといいんですよ。背番号がないような人とか、背番号が3桁な人、だから大谷翔平とかとは全然違うとされている人たちの神業級に上手いわけですよ。
なんかもう目つぶっててもフライ取るなんて。なんで試合中落とすのか不思議なぐらいなんですけどね。
東京ドームのでかいところでコーンって言ったら、さっきまで雑談していたような人がふわふわっと歩いていって取っちゃうんですよ。めちゃくちゃ上手いんですよね、ある意味。
でもその人は多分一軍の試合とか出てこないんですよ。なんか普通にジャージ着てて、コーチのサポートしてますみたいな。
だからプロ野球ってすごいなーって思っちゃうかもしれないけど、僕はあれ逆だと思うんですよ。
その気になって一定の年月を積めばかなりの人が普通になれる世界だから、あれだけの人が実はやっていて、大谷翔平さんとか我々がみんな名前知ってるような人はあまりにも特殊なんですよ。
だからプロというのはあそこを意味しないんですよ。プロ野球の選手というのは。到落戦場の人をさせばいいわけですよ。
で、しかしプロ野球というのは病院と違って我々の生活に必須じゃないんで、別に到落戦場を低くする理由は何もないんですよ。高くしてあるわけです。
だから、医者とか歯医者さんはあれよりも到落戦場を下げることができるわけですよ。だって必須だからね。
奮い落としにかけてるわけじゃないんで。別に世界一の敗者は誰かとかってそういう選手権やらないじゃないですか。そういう競争の中にいないんで。
もちろん腕の良い悪いは当然あるわけだけど、悪くても最低の水準を超えていればいいっていうことにしておかないと、数が足りなくなっちゃうんで。
だからここに専門家の割と誰でもなれる性ってものが大事なんですよ。専門家ってのは多分この2つが必要なんですよね。
素人ではできないことができる人だが、一部と限られた人間だけができるというのであってはいけない。
この2つが心理職にはなぜかどちらも担保されてないような話になってしまってるのが、現在の正規非正規のら系の話の大混乱ぶりなんだろうと。
大混乱と言ってはいけなくて、中混乱か小混乱かもしれないですけど、まあということになってるんだなって思うんですね。
まず、専門家と非専門家の差はあるんだけど、その差が常に歯医者さんほどは決して明快には出ないんですよね。
心理ビジネスの複雑さ
どんなに腕がいいって言ったって、ああいうこと通ってんだけどあんまり良くならないよね。しょうがないですよ。
ある意味クライアントさんの責任ってあるんで、だけどクライアントさんの責任って言ってしまうことが歯医者はない。
歯医者さんだってありますよね、実際ね。だって通わない人っているし、歯磨かない人と歯磨く人の差は歴然としてますからね。
甘いもの食べる食べないの差もありますから、本当はあるんだけどね。あるんだけどでも歯医者さんそこでも強引に治せるから、ガーって削って詰めるみたいな感じで別にできちゃうんで。
そういう意味では専門家と非専門家の差というものが歴然としてあるけど、自己愛性パーソナリティの人が本当僕はなんかこうみんなにひどい目に合わされているんですよっていう話になったときに、
その人が腕のいい精神分析療法科のところに1年中通っても相変わらず何も良くならないですねみたいなことになり得るはず。
それがですよ、それがなんか明らかに心理師としてはやっちゃいけないことをバリバリやる、僕みたいな人間ではないと思うんですけど、
もっとこうね、もっとある意味自信満々、東方さんのところによく出てくるような、劇的に治るよみたいな感じで、
そんなんじゃ危ないよみたいなことをガンガン言って、なんかいやこれ大丈夫なのかなみたいな、本を読んでてもハラハラドキドキみたいな、
そういうですね、もうなんかこうひたすら説教するおじさんとか、場合によっては手が出るんじゃないかぐらいの迫力を持った人のところに行ったら、
なんか良くなりました、私目覚めましたみたいなことは、私こういう例を知ってるんですけど、あるんですよ、実際に。
でもそうなるとは限りないですけどね、たまたまそうなる、でも専門家の人にしてみればいやそれはたまたまじゃんっていうことになるんですけど、
実際そうなんですけど、でもこのたまたまが起きるんですよ、歯医者は絶対起きないと思うんですよ、僕は。
いやもうC4だか5だかわかんないような歯が、あそこのヒーラーのところに行ったらバッチリ治って歯元に戻ってるよみたいな、
僕もそういうところに行きたい、だってもういいじゃないですか、そういうことが本当に起こるんだったら。
この辺が遠畑さんのノリなんですよ、いいじゃないですかそれだったらみたいなノリがあるんですけどね、まあそうはなんないですよ、歯は。
心はなり得る、しかも思った以上にそういう話に遭遇してしまうのが心の難しさなんですよ。
でもこれは原理的にそうだと僕は思うんで、これをなしにするなんてことはできないと思うんで、
で、なしにすることがいいことだとも思えない。歯だって素人が治せるんだったらそれに勝ちっこしたことはないと思うんですよ。
なんかね、なんとか特殊歯ブラシみたいなの磨いてたら虫歯治っちゃいましたみたいなことが起こせるんだったらそれはそれでいいと思う。
起こせないから多分ああなってるんですよね。
で、これが一つですよね、非専門家と専門家が結果としての差をはっきりさせられない。
実は野球もそうなんだよってオチアイという有名な参加を3回取って、
駐日を初めて何かの優勝させたような、駐日が優勝したのは1回とかじゃないですよ。
でも駐日って確か、なんだっけな、とにかく日本シリーズですごい勝ててなかったんですよね。
名監督ですよね、オチアイさんは。
彼が書いてたんですよね。
野球やってゾロの世界でヒットを打つってそんなにすごいことかみたいなことを書いてたんですよね。
実は普通そこら辺のサラリーマンがすっげー苦労していて、
その部分を全部野球にすぎ込んだ方が簡単なんじゃないかっていう、そうは思われてないみたいだけどって、
ああいう人って冷静だなって思うんですよね。
投落戦場のことを常に考えてるから、ああいう観点が出てくるんだろうな。
多分普通の頑張ってるサラリーマンとかビジネスパーソンの人が大谷翔平になるっていうのは絶対無理だと思うんですよ。
でも投落戦場の野球選手になるんだったら、実はそっちの方が簡単かもよ。
幸せじゃないかもしれないけどわかんないですけどね。
そういうことを彼は言ってたんですよね。
あれは私はすごい正しいと思うんですよ。
正義非正義の差っていうのは、ついつい我々は一番レベルが高いところを見ちゃうから、
いやもう涅槃だって思うんだけど、そうではない。
私、それは精神分析で松木邦平さんを見ればですね、
あの人だけを見るんだったら、いや素人にはとても真似できないねって感じがするんですよ、あんなもん。
非正規と専門性の必要性
だけどみんながみんなああなわけではないんですよね、当然。
で、ギリギリで正義ですっていう人の臨床を我々を真横でずっと見てるなんてことは絶対ないんで、
そのことをよくよく考えて想像してみると、果たしてどうかなっていうのはありますよね。
これがまず一つですよね。もう一つが、じゃあ誰でもなれるのかっていう話ですよね。
で、私はこれは当然誰でもなれる方がいいんだけど、今は全く逆のことが盛んに言われてるわけですよ。
で、これが面白いと思うんですけど、割とこの人ってすごいなっていう人が、
いや誰でもある程度できるんじゃないみたいなことをサラッと言っちゃっていて、
誰でもできるわけじゃないって一生懸命言ってるっていう人の話っていうのは、
そこまでは聞かれてないっていうですね、ことが起きちゃうんですよね。
これはあらゆるプロ的な話で起こりうることかもしれないなと思うんですけどね、
いずれにしても誰でもできるに越したことはないんですよ。足りないんだから。
つまり学校の先生とかお医者さんとか、何でもいいんです、髪を切る人もそうですが、
はっきり言って絶対いりますよね。命に関わろうと関わるまいといりますよね。
例えば日本には大量に温泉と大浴場がありますけど、
そんなに風呂いるかって言ったらいらないかもしれないけど、みんなが風呂に行きたいんだからやっぱり足りなくなるじゃないですか。
ギューギューの風呂に入るのが好きな人いないでしょ。
何かおじさんのお尻と背中がくっつくようなところに。
僕なんかアトピーだったから、当時の有名で人気があるところに行くと、
僕も含めてそうだけど、皮膚をくっつけたくないような皮膚の持ち主の皮膚がくっつけ合うということになっちゃうんですよ。
砂掛けとかも決して衛生的にすごく素晴らしい感じがするものではないんだけど、
しかしそこへ行くと治るみたいなことが起こるんですよね。これが困ったほどに。
何が言いたいかというと、数が足りないんですよ。
数が足りないというのは、例えば公認審議士さんがいっぱいいるとかいうことでは測れないということなんですよ。
その人が何人受け持つことができるか。これは逆に、例えば4人なら4人とかが理想的かもしれないけど、
4人が1000円ずつ払いますでは成り立たないじゃないですか。
だからそこにどのぐらいのお金が出ることになっていて、何人抱えられるかというのはとてもやっぱり大事な、
大事というか厄介な話になっていくわけですよ。
ここまではたてつけの話ばっかりしていて、たぶん退屈な人には今日は偉い退屈だなと思われていると思うので、
いい加減やめますけれども、僕はここから先の話がまあまあしたいわけですよね。
3ヶ月チャレンジっていうのは何なんですかっていう話をされたときにですね、
何でもいいんですけど、非正規なんだっていう話を僕は割と強調してきたつもりなんですけど、
これはまあ一応言っておきますけど、昔はエクスキューズで言ってたんですけど、今は別にエクスキューズで言ってるわけじゃないんですけど、
非正規というのはですね、ある意味では何でもできるってことなんですよ。
やっぱり松木さんはまあここでよく言ってますけど、武道者、求道している感じで道を求めてる人みたいに見えるんですよ。
精神分析道の人みたいな。なんかもう滝に打たれてるんじゃないかぐらいにストイックなわけですよ、彼は。別に滝には打たれてないと思うんだけど。
で、この人のものを読んでいると何もできない気がしてくるんですよ。
だから武道者なんですよね。何にもできないっていう感じはすごい大事だなと思うんですよね。
だからこれを僕は持ってやっていきたいとは思うんだけど、でも何にもしないんではダメなんですよ。何にもできなくてもなんかしなきゃいけないんですよ。
なぜなら私は割と生臭い感じのビジネスをやってる人間だから、やっぱり生臭くいかないと野菜ばっかり食って滝に打たれてばいいってもんではないんですよ。
これはですね、何が言いたいかというと、例えば転移とか、例えばアクティングアウトとかアクティングインとか言いますね。
で、扱えもしないくせに言うんじゃねえよってことはわかるんだけど、扱えないからと言って言わなくていいってことにはならないんですよね、現在のこの状況で。
なぜならばさっき言った通りです。これは誰もが慣れたほうがいいんです。
やっぱり変身分析しか直せないんだっていう考え方はわかるんですよ、このようなことをずっとやってると。
何かと中身を分けたがるというのはやっぱりはっきりしないからなんですよ、効果が。
歯医者さん言わないじゃないですか。私は前歯歯だとか奥歯歯だとか言わないじゃないですか。
なぜ言わないのか、例えば歯科はやっぱり衛生が大事で、とにかく洗うべきなんだよみたいなことを抜くべきなんだとか。
そういう派閥があるかもしれないけど出てこないですよ、見えてこないですよね。
本にそんなの書かれても見たことないじゃないですか。認知行動的歯医者とかそういうこと言わないじゃないですか。
結果は常に出るからですよね。ところが心理系はそうじゃない。
結果がどう出てるのかすら微妙に見えにくいし、それはたまたまだとか、たまたまだという権利はなくて、そんなのは権威主義だとかそういう話だけはすぐ沸騰する世界なんですよね。
で、違いがあるのはわかるんだけど、違いがあるという理由によって違いを強調していると何が起きるかというと数が減るんですよ。
ニーズは圧倒的に多くなっているし、大いいし、もともと高止まりだし、どんどん増えているという話もあるぐらいなんだけど、しかし提供者は減ってい、増えていかないんですよなかなか。
日本の心理ビジネスの現状
なぜならば、きっきりした差を出せるのはここだけだっていうのにどうしてもこだわってしまう世界だから。週4回なのか週1回なのか。
本だけで見ると、このタイトルだけ見ると、何を言ってるんだお前ら、どっちでもいいだろっていう。金がある奴は4にしてない奴は1にすればいいだろってことになるのかもしれないんだけど、ある種の人に寄せると4じゃなきゃ効果が出ないんだよって話になるんですよね。
1だったらやんないほうがマシなんだと。しかし、そうは言ってられないわけですよ。効果が出なくていいわけじゃないけど、薄くてもいいから出してほしいというニーズがいっぱいある中で、
週4がやれる人は日本に30人もいませんみたいなのは困るわけですよね。実際そうなんで100人は絶対いない、50人もいないんじゃないかなって感じがするんですよ。
だってそれはそうですよね。もともと大学で精神分析学などというものは教えられてなくて、なのに大学院卒業相当の人が必要で、
しかもその人は週4回ものセッションを受けて、訓練分析だかなんだか知りませんけれども受けて、しかもそれを5年だ10年だやれみたいな話になってて、
金も1000万円とかかかる必要があって、しかも10年経たないと1人前になれなくて、ならないですよそんなものに普通の人は。
だから日本ではものすごい少ないってことになるわけじゃないですか。でもこれらの人でなければ心理系の問題は直せないんだってことに本当になってしまったら、
ほとんどの人はただ放置されるしなくなるってことが現実なんですよね。だから週1回になりますよね自然と。週4回もやってられないんで。
週1回だと精神分析言っちゃダメだっていうから精神分析的心理療法って言って分けるわけ。ここで線を引くわけですよね。
区別するわけですよ。だから世の中には正規非正規だけの区別があるわけじゃないんですよ。正規の中にもいっぱい区別がある。
人によっては心理臨床とカウンセリングが違うっていうし、その正規の中の人によってはですよ。
だからカウンセリングを自分は受けに来たのか心理臨床を受けに来たのかっていうことを市民は考えなきゃいけないはずなんですよ本当はですよ。
それが本当にするべき区別であるならば当然そういうことになりますよね。
奥歯派なのか前歯派なのかを気にしながら歯医者に通わなかったらダメなはずなんです。だって奥歯派の人は奥歯じゃないと歯なんて良くなんないからって言ってるわけですから。
前歯派のあの人にいくらかかってるのに虫歯永遠に続くよって言うんだったらそっち嫌じゃないですか。
前歯の人はほぼ逆のこと絶対言うんですよ。だから自分どっちの歯抜の人にかかってるのかを決めなきゃならないはずじゃないですか。
よくカウンセリングの人はそういう歯のことをきりと意識されているにも関わらず僕は絶対してると思ってるんですよ。
CBTと第三世代のCBTと低心分析心理療法どっちが優れているっていうのは絶対どっちかになってると思うんですよ。
両方良いとこがあるんだっていう人が最近増えているとはいえいざとなったらこっちは選ぶっていう感じの人が多いはずなんですよ。
なのに市民は何も知らなくてもカウンセリングっていうものに丸ごと自分を預けてくださる。
まずそもそもそれがすごい難しいことなのに平気でそれを言うんです。
でもその人にかかってみなければその人がどっち派なのかわかんないわけです。
今言った数だけじゃないですからね。もっといっぱいありますから。
ロジェリアンだって今もいらっしゃる。ブリーフセラピーだって今も存在する。
でそれこそトラウマにむしろ特化していてPTSDとかタッピングとかそういうものもあるわけです。
その他に診療内科と精神科これは全く別の方向性ですからね。あるわけです。
我々はどれを選ぶのかを本当は知ってなかったらおかしいだろうって思うんですよ。やり方全く逆なんだ。
ブリーフセラピーだったらあれは精子じゃないのかもしれないけど10回以内に収むようなんですから。
精神分析だったら最低でも1年はかける。発想が真逆じゃないですか。
でも市民は知らなくていいんです。好きな方、いい方が我々が選びますからっていうのって。
しかもその人はどっちかがいいって本音では信じてるって。明らかにどっかおかしいじゃないですか。
でそういうことがあってもしかし我々は正義ってものがある以上正義の方がいいよねっていうぼったくられないし多分安心だよねっていう
そういうぐらいのスタンスでいるっていうことだからある意味それだけとも言えるんだけれどもとりあえずそういうことにしておいて
でも結局のところこのめちゃくちゃ曖昧な世界。何がいいかは最終的な決着がまだついていないから正義の間でもってことですよ。
ついていないから正義は非正義よりいいとか正義は野良よりいいっていう時だけはひどく鮮明な意見が出てくるんだけど
実際にでは正義の何がいいのかってことになってくると多分コンセンサスは決して今のところ取れそうにはないというこの状況の中では
とりあえずですねやっぱり放っておかれるわけには、お互い放っておくわけにはいかないというか思うんですよ。
目の前の人がいやもうなんか会社に行く気全くしないわみたいな。でも明日も行かなきゃだわっていう感じになって
胃がお、なんか鉄のように重くなりましたみたいな感じで。で、なんだかの理由でですね。
正義に通うということにはもうなんかあまり期待が抱けないみたいにあるいはその人はそもそも正義に行きたくないとか
水は飲みたくないとか様々なことがありますよね。そしてどこに行けばいいのかのコンセンサスが必ずしも取られていない状況の中で
今みたいにそれでも心理カウンセリングに相当マッチングいいなと思えるような例であれば
そこを無理をして正義を進めるとかでも全然私がそういうことをするということだってないわけじゃないし
最近減りましたけどほとんどなくなりましたけど、つまりそれ自体がもうすでに私の心理臨床の始まりだと思うんですよね。
行けるかどうかは心理臨床だすごく思うように最近なったんですよ。正義であれ非正義であれ。
だから歯医者だってある意味そうだと思うんですよね。歯医者さんに通えるかどうかでその人の歯の健康度って相当変わってくると思うんで
非正規と正規の心理サポート
定期的にあれ通わなきゃならないじゃないですか。だから定期的に通えるという段階ですでに問題はだいぶ解決するってことになるんですよね。
心理臨床はまた別の理由で通えるかどうかっていうのが大きな意味を持ってしまうんですよ。
これはたとえ僕は野良にだって通えるんだったらもうだいぶいけてるっていうか通えないっていう段階が非常に重大な問題としてありますからね。
それでそういうふうに考えてみるとですね、そもそも心理カウンセリングっていうものに自分が行くはずがないだろうっていう悩みって世の中にはまだまだいっぱいあるんですよ。
で、この時例えば家族が親身になって相談に乗るとか会社の上司が親身になって相談に乗るとか先輩が親身になって相談に乗るとか絶対これはOKじゃないですか。
何がどういけないのかというと非正規でいけないってされてもそこでお金を取るってのがいけないってされてるわけじゃないですか。
僕はそういうことだとしか思えないんですよね。家族が相談について何が悪いんだって感じがする。
っていうか家族の相談は野良だから危険ですから心理禁止を受けてくださいっていう人がいるとすると正気を疑うんですよね。家族OKだ。
家族がOKなら先生がOKだし会社の上司だってOKだし要するにお金、対価が払われなければ全部OKなんですよね。
別にお坊さんでもOKでしょうし。っていうか今もやってますし。
で、宗教と心理カウンセリングは分けるべきなんだって分ける必要はなくて分かれてると思うんだけれども。しかも基本的にお坊さんお金取んないと思うし。
全然あそこも定食しない世界なんですよ。定食するのはただただ親身になって相談に乗るお金を取る人たちだけなんですよ。
こういうふうに考えた時に私はその親身になってお金を取る人たちが違法だとされていない以上はですね。
ここでものすごく例のあれですよ。
ハップにハップに向かう必要があるんだ。
正義がハップに向かっちゃダメなのかもしれないけど我々はハップに向かうべきなんだって思うんですよね。平成のありふれた心理療法ですよね。
我々はってのは誰なのかさっぱりわかんない。少なくとも私はハップに向かう必要があるんだって思うんですよ。
僕はすごく力度に寄っちゃうからロジェリアンとかユングフレーバーあふれないですけれども。
時々ユングってのは参照しますけどね。
でも基本的にはあふれないですし認知行動療法メーターなんとかかんとかにはならないですけれども。
でも介入というか喋りますからね。
山崎さんがyoutubeの中で、
あれです。小西西野山崎さんがyoutubeの中で、
カウンセリングになったら私は喋らない。すごく口数が減るって言ってたのは心理臨床か。
心理臨床になったら減るって言ってたのはそうなんだと思うんですよね。すごく。わかるんですよ。それは。
だけど僕が口数を減らしたところでいい結果が出てくるとはとても思えないので、やっぱり私は結構喋る。
ものすごく頑張って聞こうとしてるけど、つまり、
心理臨床をリファーしてあんまり喋んない方がいいんだなとか、
アドバイスは介入になりすぎるとか新春なりうるとか、そういうことを知っておく。
なるべくそっちに層をとするってのはいいと思うんですよ。
でも基本的には愛情深くなのか情熱を持ってなのかわかるんですけど、
基本的にはそういう割と単純な姿勢で単純に相談員というか、
話聞く人間として頑張って、普通に何かを言いたくなったらいうことにしておいて、
でもひたすらリファーする先は心理臨床と、僕の場合では精神分析ということにしておくと。
そうすることで何にもできなくなるんですよね。手足を縛られる感じになるんですよ。
でもいざとなったらその手足の縛りは全部解いて、なんか手足自由に動かしちゃう。
当然その中であれですよ、介入は起きるし進出も起きるでしょうし、
転移は絶対あるのに無視してることもあり得るでしょうし、逆転移も絶対起きてるでしょうし、
それと自分の市場が区別できなくなってるでしょうし、
いわゆる支援者としての万能的自己愛も当然あるでしょうし、万能感もあるでしょうし、
自分がここは頑張らなきゃみたいな、そういう万能感は出ちゃうでしょうし、
その他様々ですよね。投影もするでしょうし、されるでしょうし、
妊娠治療反応も起きますよね。対抗のさせすぎも起きるし、
依存をさせるってのは悪いことだとは思いませんけど、依存させすぎるってことも起こるでしょうし、
逆に突き放しちゃうようなことにもなっちゃうでしょうし、全部出ますよね、絶対に。
出てるんだということを本読んで知っておくっていう感じなんですよね。
後で本読んで反省するってのは同じことですけど。
でも出るんですよ、それら。出るんだけどしょうがないんですよ。
それらが出ない人、出ない人、出ない人へと向かうと日本で30人の世界になるんですよ。
そこに並べないじゃないですか。日本には1億人いるんだから、
30人しかいないところに行列の一番後ろに並んじゃったら、
じゃあ治療は3年後に開始とかって話になるじゃないですか。
それじゃないんだったら一切受けるなっていう。
それじゃないんだったら単なるヒーラーだからやめとけみたいな、
そういう話にするってことが原理上知り滅裂だと思うんですよね。
弊社だったら絶対無理ですよね。
世の中に50人しか会社いなくて、あなたの歯のむしばの治療はC4だけど、
10年後ねみたいな。おかしいじゃねえ。
そういうことになってしまったら、もう隣のおじさんの腕の器用な人が歯削り出しますよ、絶対に。
今起きてるのはそういうことだと思うんですよ。
もちろん30人だ50人ではないですよね。
でも30人だ50人じゃない代わりにすごく増えたけれども、
それらの人たちは正義の中に分け入っていってお話を聞くと、
いやあれはもう秘石と何も変わらないからってことになってるんですよ、実際には。
ある種の正義に対して、ある種の正義の人はそういうことを実際に、
恐らく言わなくても思ってるとは僕は100%に近いくらい確信を持って思うんですよね。
これまで読んできたものの総合的に判断すればそうなるはずだと。
まあ別にそれはそれで僕は全然いいと思うんですよ。
だって真逆のことを言っているのに、いやあれもいいしこれもいいしそれもいいしっていうのって、
非正規の心理ビジネスの試行
結局のところは、それだったら非正義がダメだっていう理由って相当頑張らないと出てこないと思うんですよね。
10回でいいのと3年かかるのと話が全く違うのに、
10回でいい人から見てあれは正義だからもったくりではない3年かかるが、
我々は10回以内でなければいけないと思ってる。
どう考えてもどこか相当機弁がましいとは思うんですよ。
でもいいと思うんですよ私は結局。
だってこれは体の治療とは違うからですよね。
何が本当にいいのかは結局のところ分からないからだと思うんですよ。
代わりにだったら非正義でもいいってことになるしかないと思うんですよ。
ただし非正義は非正義なんですよ。
おかげでできることがあるんですよ。
例えば行動家が行動家と分かりつつやれるみたいな。
それは実験みたいな話になりかねないけれども、
これはビジネスサポートなんだから実験はありだと思うんですよ。
これが心理療法なら許されないかもしれない。倫理上。
でも我々はビジネスで実験ですからね。
たてつけ上ビジネスサポートである以上は心理療法でない以上はやっぱりいろいろあれこれ試してみる。
ただしそれを試した時の危険性について書いてある本もあるんだからそれは参照する。
参照をするっていうのはそういう意味だと思いますし、
もちろん危険を排斥するっていう意味だけじゃないですけど、
これのやっている意味は何なんだろうということを理解するために参照している部分の方が圧倒的に多いんですけど、
でも参照する。参照して結局自分がやっていることの危険性とか意味とかを
一応その異なる文脈ですけどを持って理解しつつ、
でもどうしてもこれは試してみた方がいいような気がするようなことは試す。
その時に種の仕掛けも明かすんですよ。
この本にはこういうことが書いてあって、こういう問題があるのかもしれないけど試したいと思うんだけど試しますみたいなそういう感じでやっているのが
僕は参加月チャレンジかなと今は思っています。