1. 働くメンタルをとり戻す精神分析的ポッドキャスト
  2. 私たちの中には言葉の通じない..
2024-07-17 41:24

私たちの中には言葉の通じない部分がある【1020】

誰もが「それなりに狂って幼く」いきている。
00:05
おはようございます。働く人に送る精神分析チャット、第1020回をお送りします。
気がつけば、あっさり1000回を突破してから20回も、いつ喋ってるんだろうな、ぐらいの数なんですよね。
僕の頭の中では、まだなんか、昨日1000回を突破しました、みたいな状態が続いておりまして、タイトルも依頼変えてから、毎度言い淀むんですよ。
未だに定着しない。すぐグッドモーニングボイスですとか、サラッと言っていて、30秒ぐらいして止めてからまたやり直すんですけど、
それがここ20回は続いてる気がするんですが、そういう無駄なことをやってますね。
今日は7月の17日、水曜日、朝7時44分。さっきまで43分でしたね。
取りやすい、とっても取りやすいです。気候がね、おそらく今日は最後なのではないかと。
明日からは酷暑が来るんではないかと。遅くとも明後日には来ちゃいそうだなという感じでね。
こういうすっきりした状態では取れないだろうって気がしばらくしますね。
はい、お知らせがありまして、今週末、日曜日、私のto-doリストは捨てていいの出版記念セミナーを開催します。
おかげさまで既にそこそこ集まってくださってるんですけど、
もうちょっとね、もうひと押しっていうのはおかしいんで、
押すわけじゃないんでね、もうちょっと聞いていただく方がいらっしゃると、
多分アーカイブ配信することにしましたんで、
お申込みさえしていただいておけばですね、後ほどお送りできると思います。
今回はですね、出版記念なので、本を買ってくださった方には無料といった感じにさせていただきますので、
ぜひ、本だけはね、本買ってません、でも有料で聞きますっていうのでもいいですけど、
なんかこう、もったいない感じがしなくはないので、できれば本買っていただいた方が話早いんじゃないかなというふうに思います。
そういうことでよろしくお願いします。
はい、えーとですね、今日は、
昨日、久しぶりに、久しぶりでもないか、でも人と会うのはなんか久しぶり感があって、
会ってお話ししてですね、つらつらと考えたことを、
3ヶ月チャレンジにまつわるだけではないんだけど、3ヶ月チャレンジにまつわるお話をしていきたいなと思うんですけれども、
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つまり自分はここでやってることって別に精神分析では全くないんですね。
一言で言えば3ヶ月かけて、てか3ヶ月ぐらいの間、
普通に働けるようになるといった体験をしていただくための、職種によらずですね。
職種によらず普通に働いていただければ、痛い出品になるとは思いますよ、ケースによっては。
でも1月2万ぐらいのお金って多分出せるわけですよ、普通に働いていれば。
だからこの普通に働くっていうのは実は侮れないってことなんです。
お金にならない仕事ってのもあるんだけど、特にフリーランスに多いんですけど、
でもですね、やっぱりなんだかんだ2万ぐらいの居室は少々無理すればいける。
3ヶ月普通に働けるという感覚を手に入れればですね、結構なことはやれます。
問題なのは普通に働くのは楽なことじゃないねってことなんですよ。
長らくビジネスショップ、今でもずっと変わりませんけどね、
だんだんだんだんスーパーサラリーマンになるところから、
これだってなかなか、今言ったように普通に働くのって楽じゃないのに、
スーパーサラリーマンになるって全然楽じゃないんですけど、
しかしそこではやっぱり困らないですよね。
やっぱりその先に行きます。お金2.0みたいな世界に入っていきます。
つまり何を言ってるかというと、昨日も言いましたけど、
我々はですね、普通にいつまでも働いていたとはないんです。大変だからね。
でも私はこの二次過程を駆使して一次過程に入るっていうのが、
なんて本末転倒なんだと思うんですよ。
それだったら水木ひげるさんの言う方が妥当だと思うんですよね。
彼が人間は文明社会でいくら悪性化働いていても、
永遠に幸せにはなれないってあっさり書くわけですよ。
南方の方の島の人は鍋一つで幸せになってるんだけど、
我々の世界は物が多すぎるけど物なんていくら溜め込んでも、
幸せには全くなれないんだって書くわけですよ。
だからあっちの方が妥当だと思うんですよね。
僕らは間違ってるんですよ。多分このやり方は。
二次過程ですよ。現実原則を徹底して薬作ってミサイル作って車作って空中を作って、
で何がやりたいかというと一次過程を楽しみたいんですよ。
だったら一次過程を即座に楽しむ方がまだマシなんですよ。
この過程を徹底して詰めたところで、
僕はハワードヒューズがサイタルレイだと思うんですけどね。
世界一の富豪になった方ですね。
全然彼は幸せじゃなかった。
あれが大きな教訓を残していると思うんですよ。
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だから二次過程から出ないっていうか文明社会から出ないんだったら、
この二次過程の中で一定の幸福を得るっていうのが僕の考えた行き着けるところの一つでして、
ここを爪に詰めて自分だけの王国を築いてそこの中で幸せを享受するっていうのは、
僕は全然妥当なやり方には見えないんですね。
家から一歩も出ない。それはまさにハワードヒューズです。
これは自分の高級ホテルの最上階の自分で作ったスイートルームから一歩も出ない生活を送ったけど、万年ですね。
あれは悲惨なものでしたね。脅迫症ですよね。あれは要するにね。
お仏恐怖症でもあるけれど。ハワードヒューズじゃなかったっけ。
でもハワードヒューズだった気がするな。
いずれにしてもそういうケースは少なくないんですけれども、
これは誰が考えても僕らが望む世界じゃないと私は思うんですよね。
デイトレードをして人と会わずに金の心配全くいらない生活が幸せだっていうのは多分そうじゃないんですね。
だってこれだったら一時家庭を楽しめばいいだけなんで、
一番いいのは子宮の中にいる赤ちゃんだって話になってしまうんですけど、
僕らそこから出たわけですからね。自分の意思ではなかったにせよ。
出てしまったんで、出たなりの生き方をしないとならないだろうなって感じがしますね。
それは良いんですよ。どっちでもいいっちゃどっちでもいいんですよ。
これは僕の勝手な発想ですから。
ただここから先がですね、私が3ヶ月チャレンジで目指すのを従ってお金の教科書では全然ない。
お金を設けることによって人との接触をミニマムにできるというのは、
一切3ヶ月チャレンジではお勧めも目指しもしません。
3ヶ月チャレンジで基本的に最終的に行き着けるのは、
普通に働いていて過剰に辛くならないということだけです。
普通に働いていて過剰に辛くならないという程度の適合ができるようになったら、
また後はそこから考えましょうといった感じですね。
だからこれは精神分析ではないんですよ。
精神分析ではそんなことは目指さないと思うんですよね、別に。
でもなぜ精神分析的な手法になるかというと、
ここが一言で説明、一言二言で説明できればいいんだけど、全然できないんですよ。
一つには精神分析というのがそもそも一言二言では説明できないものだから分かりにくいんですよ。
やってることはそう複雑じゃないケースも多々あるんですけどね。
もう一つは我々の世の中がその文明社会がそうであるように、
全然違う発想を軸にしているために、
私が3ヶ月チャレンジでやっている程度の発想の転換すら
09:04
キーなものに見えてしまう。
ここに難しさというものがあるんですね。
簡単に言いますと、私たちのビジネスの世界でも、
心理カウンセリングの世界では半々ぐらいだと僕は思っているんだけど、
でも心理カウンセリングの世界の一部でも、
そしてその他、いわゆるノラカウンセラーとされている世界、
のの医者の世界等々でも何が推奨されているかというと、
自己分析が推奨されているんですね。
もう別の言い方をするとCBTですよね。認知行動療法なんですよ。
これが推奨される。
常識で考えれば、そっちなんですよ。
特に私のように、普通に働くことができればいいんだったら、
CBT的な方向で適応を目指せばいいんじゃないかって思われると思うんですよ。
それは間違っちゃいないと思うんですね。
間違っちゃいないと思うんですよ。
それがうまくいけばそれでいいんじゃないかと僕も思うんだけど、
どうも僕の感じでは、そうはいかないんですよ、不思議と。
その鍵となるポイントに、例のあれですね。
妄想分裂ポジションと抑鬱ポジションというこの、
ポジションという表現に現れていると思うんですよ。
なんだかんだ行動分析、特に行動分析ですね。
行動を分析し、例えばそれを記録したり、言語化したりして、
行動を改善しましょうというこの考え方には、
抑鬱ポジションから先のポジションしか念頭に置かれてないんですよ。
精神分析的な表現を使うならば。
二次過程から先なんですよ、この話は。すべてが。
この話何回もしてますけれどもね。
言葉で分析ができる領域しか扱ってないんですね。
だから何度も言いますが、それでもうまくいくときはそれでいいんですよ。
でも私はあまりにそれでうまくいかないケースのほうしか、
ほうばっかり見てきたんです。タスクカフェというね、
大橋哲夫さんと100回もやった、あれ以来100ヶ月ですよね。
100回ってことは、月に1回だから。
100ヶ月以上やって、痛感したんですよ。
言葉で行動が改善できるケースは、ごく少なく見える。
結局、僕らは妄想分裂ポジションと言いますか、
精神病部分というものに訴えかけずにはいられない、私の感覚ではですね。
その人は精神病でもなんでもないんだけど、
神経症水準としても軽かったりするんだけど、
それでも言語的なところでなんとかできる話は、
でも狭い。ほとんど何にもないように僕の目には見えるので、
それでどんなに事態を改善できたように思えても、
だから本が売れるとかね、虚しい感じがする、僕はですね。
これは誠実だとか良心的だとかいう話じゃなくて、
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ある意味私が単に欲張りなのかもしれないんですよ。
欲深いのかもしれない。
欲深いって自分の本に最近書いたばっかりなんですけど。
本当に、それでは納得がいかない。
この点ではグッドワイブスのプラゾンの刑事さんと私は、
とってもよく似てるんですね。
彼は幸せフェチって呼んで、つまり妥協ができないってことだけど、
僕もそういうところがあるんですね。
どうしても解決できてる気が全くしない手法に、
本気で取り組む気がしないんですよ。
これは認知コード療法の批判ではないんですよ、ちなみに。
認知コード療法はきっと今もう妄想分裂ポジションに
踏み込んできていると思うんですよね。
僕はちゃんと勉強してないからよく分かんない。
最初はそうじゃなかったと思うんですよ、最初はね。
でも今はそうなんだろうなって思ってるんですよ。
いろんなちょいちょい断片的に聞いていくと。
でもそれだったら私は、ただ知識を断片的に、
何ならこうつまみ食いするだけならば、
対象関係論をつまみ食いする方が、
私には実りがでかいって思っているから、
こっちをやってるわけですね。
本当に三ヶ月チャレンジでもそうですけど、
それよりも、例えば今1on1の90分、
おおむね90分の1回対話を9900円で引き受けしている。
ただし今日起点として6日後まで、
次回予約は引き受けられないという。
それ以降の日にはどういうスケジュールになるか、
全然分かんないんで。
とりあえず今週は明らかになってるから、
さらにそこで空いてるところは提供できますという、
これはサービスなんですけれども。
やっぱりですね、一人一人の話を伺っていると、
行動分析ではどうにもならないなって感じがするんですよ。
行動の改善を言語化できるラインでやれることなんて、
馬鹿ましれてる感じが、やっぱりこれはね、
言い方に気をつけなきゃいけないと思うんですけど、
無理だっていうのが、でも僕の結局結論なんですよね、
現段階では。
今後分かりません、変わるかもしれませんけど、
今は変えられないですね。
いくら記録を丹念に辿ってみても、
原因がつかめてこない。
例えば朝起きられないって話、
これがたまたま昨日ですね、
お話していた方とテーマになったからあったんですけど、
朝起きられない。
この理由はですね、言葉には直せないと僕は思うんです。
行動分析の考え方をとるならば、
朝起きられないのは夜寝るのが遅いからだって言うんでしょう、多分。
だから夜早く寝なければ始まらないよね。
私は夜早く寝るはずがないと思うんですよね、
そういう人が本当のところ。
夜早く寝るっていうことが明らかになれば、
その人は夜早く寝るだろうかと。
日本に入ったところで眠れるだろうか。
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そんなことが分析しないと分からないなってことが
あるわけないと思うんですよ。
人間はやっぱりそこまで単純でも愚かでもないんですよね。
そう思うんですよ、私は。
その行動を分析し、目に見える部分に焦点を当てて、
毎日毎日丹念に記録をとっているだけじゃダメだと思うんですね。
多分その人が寝床に入らない理由は、
リベンジ夜更かしなんてもんではないと。
もっとずっと違う理由があるはずだもん。
それは記録には残せないと思うんですよ。
僕は自分が何か困ったことがあったときに、
分析なんてしないんですよね。
あえて言うなら、まどろむんですよ。
このまどろむっていうのはただ自分でやってると寝ちゃうんでね。
だからやっぱりカウンセリング受けるっていうのは大した好意なんですよ。
まどろむっていうのは、もう記憶の深いところに行って思い出すっていう行為。
結局これは思い出すって行為なんだよ。
その思い出すことを記録すればいいじゃんって言うんですけど、
記録できるような心理状態にはもうないんですよ。
思い出せないことを思い出そうとしてるんでね。
3歳児とか2歳児の、覚えてないですよ。
思い込みなのかもしれない。
思い込みも含めて思い出さないと、思い出したことにならないじゃないですか。
その時、子供の2歳の私は何を思い込んだのかっていうの、
そんなの覚えてるわけないじゃないですか。
それを記録に取ろうとしたんでは目が冴えてしまうんで、
記録に残せるような心理状態は維持できないんです。
記録に取ろうとしたんではもう、
深いところの記憶を探るっていうモードじゃなくなるし、
深いところに記憶を持ってってるっていうか、
フォーカスを持っていこうとすると、
本当にぼんやりしちゃって、ほとんど半分、
睡眠状態に陥るんですよ。
だから、寝息夢に近いんですね。
寝ていてこれが夢だと気づくのが寝息夢だけど、
起きていて夢見心地に入っていくのが、
この白昼夢って言うんですかね。
この精神分析の分析用語で言うと、
これを物思いって言うんでしょうけど、物思いにふけるってやつ。
だから物思いにふけりながら、目も取れないんです。
目も取れるような心理状態は物思いではないと僕は思うんですね。
だからやっぱりお話を伺ってても、
大事なのここと思ったら目も取るんですけど、
それはあんまり役に立たないんですよ。
大事なんだけど、それはあくまでも覚醒所依順における大事さであって、
話を伺っていて本当に、
その、領域歴とかお父さんとの関係とかが上がってると、
僕はもう夢見始める。話聞いてるんですよ。
18:00
急に聞いてるんだけど、遠隔なんですよ、だからあれ。
病気なのかもしれない、こういうのは。
話をずっと同じ方から同じような話をずっと伺ってると、
見えてきてしまうんですよ。
目に見えるのとは違うんだけど、声は聞こえる。
僕は幻聴みたいなものは再現しやすい人間なんですね。
昔、これはなんか変な話なんですけど、
繰り返し聞いてると、
例えばシューベルトの8番って有名な未完成あるじゃないですか。
全楽章が流れ出すんですよ。
なんていうのかな、鼻歌のようにではなくて、
完全に頭に残ってるものが再現される。
ああいう感じで人との会話のやり取りが、だから夢なんですよね。
夢見てるようにやり取りが始まる。
例えばセッションされている目の前の方のお母さんとかお父さんと、
やり取りが始まるんですよ、心の中で。
それが圧倒的に現実感を帯びてきて、
どっちが夢だかよく分かんなくなってくるんですよ。
この感じに入らないとつかめないものっていうのが色々ありまして、
この感じに入りながらメモを取るなんてナンセンスで、
メモを取り始めたらその声全部消えてしまうし、
メモを取ろうという気持ちにそもそもならない。
完全に僕は別の人になっちゃっていて、
だからもう病気なんだと、これ僕は思うんですよ。
ある意味精神病水準だなって思うんですよね。
これを変異と言うんじゃないかなって、逆転移かもしれないけど思うんですよ。
で、こうなってくるとですね、
こうなってこないと、その人はなぜお仕事に行きたくなって、
なぜ夜寝たくないのかっていうのが分からないんですよ。
ここまできてようやくなんとなく分かってくることがあるんですね。
それでもそれを言葉に直すと相手の人に、
いやそれは違うみたいな感じでバッサリ跳ねつけられるんで。
で、その違うのも当たってるから違うと言いたい心理もあるじゃないですか。
だから分からないんですよ、お互い。
そういうことを繰り返して、ようやく普通に働くってことのヒントの糸口が得られるんですね。
いやみんながそうじゃないでしょって言われるかもしれないけど、
僕は大抵そうだと思ってます、今は。
むしろ早く寝ればいい。
だから例えば夜の11時にはどこに入りたいけど入れないのならば、
タスクの行動記録を残し、それによって、
ここに余計な時間があるからこれを削ればいいんだってことで削って夜の11時に寝て、
朝6時に目が覚められるようになりましたなってことは起きないと思うんですよ。
全然。
そこに、いや11時に寝られないのはゲームするからで、
ゲームがやめられないのはゲームをやめるとちょっと毎日が辛すぎてって言うんでも、
全然不十分だと思うんですね。
21:00
それは言葉で表現できている世界における話であって、
そんなことではないと僕は思う。
で、ゲームをやめられないというのも、もっと深い理由があるんですよ。
人によって全然理由が違う。
同じようなものだと僕らは思うからいけないんですよ。
例えば僕がファン座を見ちゃう理由と、他の誰かさんがファン座を見ちゃう理由、全然違う。
全く違うんですよ。
なぜなら見てるジャンル、全然多分違うから。
私のそれは、私の母との関係。
しかも私の母との関係だと、私が思い込んでいる母との関係。
で、私が母との関係だと思い込んでいる関係は、
言葉に直せるようなものではないんです。
いやそれはドライすぎるとか、
母が冷たかったとか、そんなことではないんですよ。
母は別に冷たくない。
ドライでもなかった。
そういうことでは全くないんです。
だから私は母との関係というのも、一般のように直すことはできますよ。
中心倉を見せる。
でもこれだってね、そんなに簡単に見出せたわけではない。
母は確かに私に中心倉のレクチャーをしてたんですよ。
見ながらね、タイガドラを。
それだって思い出すのに随分時間がかかった。
でも、そういうことではないんですよ。
確かに、えっと、キラ・コウズゲノスケの首を落とすような、
男であってほしいという無意識の願望が、
あの時私に植え付けられていて、
それが私の非常に性的な独特の詩壁、
サディズムなんですけど、に繋がってるんですが、
それは、ただそれだけのことでは。
これだって言語の説明としてはほぼ破綻してるじゃないですか。
なぜキラ・コウズゲノスケの首を切りたくなるような男であってほしいと思うと、
そいつは精神的なサディズムになるのか、
全然説明になってないですよ。
もっともっとあるんです。
それは、もう、まどろむ世界に入っていかないと。
母は、母の父、私から見ると祖父のおじいちゃんに虐待されていたも同然だった。
あの時代、虐待とは言わないんですけどね。
戦後間もなく。
そのおじいちゃんは戦中派ですから。
しかも日本じゃないし、そこは。
今ではね。
カラフトですよ。
こういうの、まどろむんですよ。
まどろみの中で、しかも私が性的な、かなりサディスティックな、
それもサディスティックってのは物理的って意味じゃないですよ。
かなり精神的にサディスティックなものをまどろみながら、
よくわからなくなっちゃっていて、
自分がもう何歳なのかわからなくなっちゃっていて、
これが大船のカウンセリングルームで再生されてくるんですよ。
これを僕は目もとるわけないじゃないですか。
わかんないですもん。
こういう感覚が、いつ、どこで、どういう風に展開したのかみたいなことがね。
わかってくるんですよ、でも。
思い出せてくるってことなんですね。
その記憶の変遷をたどると、
昼日中にかなりの時間を患者に費やすんです。
24:00
これをやめれば早く寝られるって話でしょ。
不毛な話ですよ、そんな話をするなんて。
そんなのわかりきってるじゃないですか。やめればいいなんてこと。
でも、どうしてサハリンで、今サハリンと呼ばれている島で、
父親に殴られているちっちゃな女の子が、
将来、自分の息子に向かってキラポー付けの話をすると、
中心くらいの話をすると、その男の子は精神的にサディスティックになり、
その精神的にサディスティックになった白昼夢を、
自分の一時ナルシズムを使わずに、
むしろ、安易に、安楽に、安逸にだな。
患者を見ることで済まそうとすると、
時間をたくさん費やしてしまうのか。
ここは繋がらないですよ。
いくら言語分析をしたり、マップを書いても、
こうは繋がらないって私は知ってるんです。何度もやったんです。
前のマップ書いたことがあります。この種の。
すっごいサディスティックなものができました。
できたことがあるんですよ。もう捨てちゃったけど。
あれは不毛ですよ。あれをいくらやっててもダメです。
分かることが足りない。
あんなことは全部私が意識的に知ってることなんですよ。
意識では知らないことがあるんです。
そしてその意識では知らないことを知るためには、
一人で自分の心の中を言語で見え、意識で分かり、
全意識の領域に入っていることを素材にしているだけではできないんです。
再現できないというか、構成できない。
もっと、もっと、全然足りない。
こう、なんていうのかな。この構造の差はですね。
美話庫とプールぐらい違うんですよ。
私に分かっていることはプールぐらいなんですよ。
実際には美話庫ぐらい広いんですよ。
全部はつかめないです。どっちにしたって。
全部はつかめないけど、その広さが分かるってことによって、
分析とかマッピングしている場合ではない。
日記を書いたり、言語化したり、行動療法をやっていても。
なんて言えばいいんですかね、これはね。
次元が違うことをやっているって感じが分かるんですよ。
次元が優れてるっていうんじゃないですよ。むしろ逆ですね。
次元としてはちょっと低次元感がある意味では。
だけども、その低次元の世界は広いんですよ。
だから不十分だと思うんですね。
私はもう今は全部そうだと思っているんです。
組織論であろうと、なんであろうと。
だって組織で働いていらっしゃるから、
その人にこういう風にしましょうっていうのではダメだと思うんです。
その人は何を無意識に抱えているんだろうっていうのを
共有しないといけない。
極論その方が無意識にあるものをたまたま上手いこと、
27:00
言語で探れてもそれでも不十分だと僕は思うんですよね。
これを共有してくれる人が必要だって思うんです。
言葉では説明できない。第一言葉で説明できたって
したくないんですよ、これを。
これを共有できる人のその存在には限りがある。
初対面ではとてもやる気にならないし、
だから時間がかかるんですよ、やっぱり。
初対面でこれやったら、その人はすでに正気ではないですよ。
やっぱり私だって初対面の人にこういうことはできないですよね。
だって母が中心ぐらいの話をしましたって話は、
どのくらい親しくなればできるか。
私は10年以来の付き合いである大橋英三さんにだって
この話をつぶさにしたことはないですもんね。
相手が聞きたいかどうかも相当疑わしいじゃないですか。
だからファンセリングの簡潔な特殊であり、
一者ではありえない。
自分の心の中をただ内省でまさぐれる、
そういう領域ではないと思うんです。
だけどこれは名人芸みたいなものと違うんですよ。
僕らは普段にやってることです。
ある意味白昼夢を見るってそういうことだと思うんですね。
おそらく早々期の01、02、つまりSが無意識にしか。
だって赤ちゃんって絶対空想してるじゃないですか。
赤ちゃんは多分ミルクが飲めたらいいなじゃないと思うんですよ。
もっともっともっと全然違う破綻した空想を持ってる。
その空想って僕らが持ったことのある空想なんですよ。
例えばですけど、牛の形をした巨大な彗星みたいなものから、
自分がヤマトが昔、宇宙戦艦ヤマトで波動砲を撃つとき
エネルギーチャージしてたじゃないですか。
あいう風に充填しているようなエネルギーが
牛のような彗星から入ってくる。
僕はこういう夢を見たことがあるんですけどね。
これがアンパンを飲むってことでしょ。
絶対あの哺乳瓶をウグウグ飲んでる可愛い
そんな自分を想像するようなリアリティはないと僕は思うんですよね。
もっともっと破綻してるんですよ。
だから今のはいいイメージを使ったけど、
これのグロテスクな方って物凄いなもんですよね。
最近ずっと松木さんの本読んでるけど、
パーソナリティ障害の精神分析的アプローチっていうタイトルだったら、
似たような本はそれしかないんで、
改訂版の本が今ありますからそっちを気になる方は買わなくていいですけど、
買ってみるとトモグルイというね、
僕が何度も読むところがあるんですよ。
そこに出てくるのは20代の女性なんですけど、
もうなんつーのかな、精神分析なのこれはっていうか、
これを精神分析と言うのかっていうか、
30:00
トモグルイだから二人とも狂っちゃったみたいな、
変異と逆転異で狂っちゃったみたいな話なんだけど、
要するにその女の人は多分独特の誘育歴持ってるんですよね。
でも誘育歴を探ってもしょうがないんですよ。
これパーソナリティ障害なんだろうかって思うんですけど、
もっともっと水準がレベルが深いなって感じがしちゃうんですけど、
要は面接してずーっと漏らしするんですね。
ずーっとなんですよ。多分何年もって感じなんじゃないですかね。
あの描写を見てると。
で、分析家っていうのかカウンセラーの人がやってるのは、
とにかく部屋を拭いて、
ビニールジッパーみたいなので、
それ、お漏らしのやつの処理をしてもらって、
看護師さんとかにも頼んでですね。
で、後始末をする。
これを繰り返すんですよ。何年も。
これは、これは幼児の世話でしょ、完全に。
そればっかり出てくるんですよ、このシーンって。
で、なんかすごい独特なんですよね。
逆流って言うんですけど、
しっこがしたくなるとそれを逆流させて、
脳の方まで、頭の方までずーっと突き上げると、
ものすごく快感が。
これを秘密のマスターベーションと呼んでるんだと、
その女の人は言うんですね。
で、カウンセラーの人は、
やってみようと自分も思ったけどできもしなかったし、
全く理解ができなかった。
まあ、そうだろうって感じなんですよ。
普通の人ですよね、それってね。
でもそのカウンセラーのことを、
密かにその女の人は大好きなお母さんと呼ぶようになっている。
お母さんですよね。
男なんだけどね、カウンセラーは。
関係ないですよね、性別なんてこの際。
で、お母さんにさせてることはとにかく
おしっこのおもらしの世話なの。
何年もさせる。
これが治療なの?って感じですよね。
でも精神分析って結局やってることはそういうことですよ。
で、この途中で出てくるんだけど、
ここがやっぱ大事なんだろうなと思うな。
このおしっこは不思議と全然汚い気がしなかった。
完全にお母さんになっちゃってますよね。
完全に逆転医ですよね。
これを言葉による分析で理解する。
ナンセンス極まりないじゃないですか。
何がしたいかさっぱりわかんないですよね。
まあ寂しいんですよ、この女の人。
ものすごくね。
でもこのものすごい寂しさで、
ギャンギャン泣くじゃないですか、赤ちゃんは。
我々はみんなこの寂しさを実は通過してきてるんですよ。
20代で言葉を使って寂しいって言うから、
ものすごいことになってしまうんですよ。
地鳴りのような声で泣いたっていうシーンがあるんですけど、
これが私は涙なしでは読めないなっていうシーンなんですけれども、
ずっとつぶさにこのトモグルイの部分を読んでるのにね。
感動的です。感動的だけど、
この仕事はなんかちょっと不思議な仕事だなって感じはしますね。
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感動的だけど、これは青春物説ってこういうもんだのかなって感じがしちゃうわけですね。
本当に行動家ですよね。
つまり心ではこの寂しさはとても心の中に置いておけない。
だから赤ちゃんは泣くわけ。泣くという行動家をとるんですよね。
泣くのは行動じゃないですか。
つらさがあまりにもひどいと心ではつらさを食い止めておけないので、
涙になるし叫ぶし、手足をばらつかせ。
僕らこの体験はすでにしてるんですよ。
ものすごい寂しさ。だってものすごい寂しいじゃないですか。
すでに一人で置かれて、そこはもうなんか無謀の地とかかもしれないんですよ。
一人寂しく置き去りにされて。
赤ちゃんは分かんないわけだから何が起きてるかなんて。
ものすごい大変で切実なんですよ。
この切迫感を僕らすでに知ってるんですよ。
これをどっちの人が言葉に出して声に出して、
その大きくなった腕と手足をばらつかせるから、
カウンセラーは身の危険を感じたり命の危険を感じたりしなきゃならないんですよ。
大変なことになったって思うわけですよ。
手のひらに収まるようなサイズですからね、本当であれば。
この時の情緒にふさわしい体の大きさであれば。
しかも言葉にシャーすると、てめえぶっ殺すとかになっちゃうわけですよ。
赤ちゃんはそういう調子で喋ってるんですよ。
だけども言葉にならないから可愛らしく泣いてるように見えるので済むのであって、
これを言葉に直してしまったら、てめえぶっ殺すになっちゃうんですよ。
別に殺したようじゃないんですよ。寂しいってことなんですよ、これは。
この大好きなお母さんであるカウンセラーは、そのままものすごい大変な思いをして、
おしっこの背を押しながら頑張っていくという逆転意としてこの話はテーマとしてはまとめられている。
だってお母さんじゃないからね。
逆手、お母さんだと自分が心の底から思い込んでしまうから、
相手のおしっこももはや汚いとすら感じなくなり、何であっても世話をするみたいになっていき、
これ以上行動化をしたらこの治療は停止しますという契約を書いているにもかかわらず、
気がつくとむしろ接触の回数は週に2回と増えていくんですよ。
やってることと言ってることがマッチしなくなるんですね。
でもお母さんってそうじゃないですか。
あんたもこれ以上したら家から追い出すからねって言うけど追い出さないじゃないですか。
まあ普通はね。
つまりそういうことなんですよこれ。
これも逆転意って言うんだと思うんですね。
これはおよそ行動分析の対象じゃないんで、こういう女の人は特殊だって僕ら思っちゃうじゃないですか。
36:00
そこが間違ってると思うんですね。
僕もここだって思うんですよむしろ。
ここまで見えないけどね、目には。
持ってる情緒は変わらないと思うんですよ。
だからポジションなんですよ。
私たちが持ってるのは精神病部分なんです。
僕らみんなああいう部分を持っていて、表に出ないようにあれこれ拡散してますけど内面で。
持ってるものの質は変わらないと思うんですね。
だからこの精神病部分を何とかしようと頑張っているっていう点においては、
そしてここに言葉は通じない。
言葉が通じるくらいならおもらしなんかしないじゃないですか。
めめめぶっ殺してやるんだとしてもこの人は喋れるわけで。
最初に来た時からそうなわけじゃないんですよ。
最初は抑えてるから。
抑えなきゃなと思ってるから。
これを対抗というのかもしれないんだけど僕は対抗じゃない。
やっぱりないような気がするんですよね。
同居してるんだと僕らは思うんですよ。
もちろんそれがどうしたって治療が必要な時代になっている人もいれば、
極めてよく社会に適合して見える人もいますよ。
我々のよう。
でもこれはそう見えるように僕らがえなくとしてる。
だからこれを演技って言うと別に演技してるってわけじゃないんだけど、
でもえなくとしてるんですよ。
人と人との間でこうやれば通じるであろうという上演ですよね。
上演開始ですの上演ですよ。
これをしているに過ぎないと思うんですよ。
背景にあるものはああいう情緒だという点で、
目漏らししている人と僕ら何ら変わらないと思うんですよ。
だからこの分析に言語を使って届かないだろうと思う。
その上演をするために毎日会社に電車に乗っていくっていうのが
どんなに大変なことかというのを僕らは分かってないと思うんですよ。
あの2歳児の子があの満員電車に乗って毎日行って、
好きでもない上司の子事を聞いてやれないですよ。
でも僕らする。やっちゃう。やらせてしまう。
自分の2歳児、それをやらせてしまう。
毎日毎日それをやらせてしまう。
もうすっかり疲弊してるっていうことも起き得るわけじゃないですか。
で、そういうものを僕は3ヶ月維持するためには
ここに入らずに何もできない。
それで人と人との関係が組織の中であれ、どういう組織であれ、
どれほど適合的で、どれほど適合がよく見えている人との関係であっても変わらない。
ここをやっていかない限りは良好にもスムーズにもなっていかないと思うんですよね。
分かっている部分のことを分かっている言葉で、
つまり自分たちの20歳以上の部分とのやりとりだけを通じていても
微調整は効くと思うんですよ、行動の改善が。
だからそのレベルで済むときはそれでいいでしょうし、実際それしかしようがないですけれども、
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すぐそうではなくなっていくと、僕は誰でも例外はないと思うんです。
で、僕は例外がないと思って見てるんですよ、自分のことも他の人のことも。
みんな2歳以上抱えているはずだって思って見ているんですよ。
本音のところで言えば、やりたくないことはギャン泣きで駆逐したいし、
寂しくなったらギャン泣きで母親にしがみつきたいし、それが本音だろう。
本音というのもおかしいな。本音は両方なんですよ。
20歳でありたい自分も本音だし、別に嘘ついているわけではないと。
2歳児の自分も本音なんです。本音が2つ以上は絶対あると思うんですよね。
2つなんてもんじゃないと思うんですよ。
2歳児も3歳児も4歳児も別々にあるんじゃないかぐらいに思うんですよ。
でもとびきり重要なポジションは妄想分裂と抑鬱だと思う。
どっちだって大変なんですよ。
で、抑鬱だけのところと理にかなった話だけをしていても、そういうところから始まりますけどね。
たとえ精神分析であっても、こういう20歳の20代の女性とであっても、
初回面接設定は言語的にやりますけれども、だから最初は言うわけじゃないですか。
過剰な行動化が起こったらこの治療は継続できなくなりますって、これは契約ですからね。
まさに抑鬱ポジションでなければ成立しない話なんですよ。
現に成立しなくなってしまうんですよね。
そこで打ち切るっていう世界もあると思うんですよ。
で、こういう話であったとしても、分析と応約で行くっていう話もあると思う。
僕はそれじゃ無理だろうっていう感じが、なんつうんだろう。
それによって本当はずっと数年もお漏らしをしてしまうような人が、
あたかもZoom社会人のようにして、毎日電車に乗ってパソコンに何かデータ入力して帰っていくっていう日々を送れるのかもしれないけど、
送るように作り上げてしまうことはできるのかもしれないけど、
それはむしろ逆に何かどうかしてるんじゃないかなって気もしますよね。
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