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おはようございます、グッドモーニングボイスです。
ただいま10月5日水曜日の19時17分ですね。
これを取って出ししようかどうかを今悩んでいるところです。
しかも、テイク2ということになっています。
暗園さんほどではないと思うんですが、
遠く及ばないというか、別に及ぶ必要もありませんが、
恐迫的なところがありまして、
つまり、テイク1のやつでもいいじゃんと思うわけですが、
先ほどピンポンが鳴ってですね、
つまり、Amazonさんから荷物が届いたために、
テイク2になってしまったという、そういう状況なんですね。
でも、あれだって良かったんじゃないかと思わなくもないわけですよ。
だから、あれをそのまま出しておけばいいんだろうけど、
なんとなくテイク2に入ってしまうあたりが、
自分こういうところが強いというほどじゃないけど、
はっきりあるよなとは思います。
多分ですね、出す側が気にしすぎるケースのほうがほとんどだと思いますね。
という感じで、今これをやっております。
だいたいさっきのに繋げばいいんですけどね。
それで、
あさってじゃなくてしあさってかな、
8土曜日に橘隆さんという方と、
逆境の乗り越え方という、
最近わりとお話しするテーマの、
いわゆる中年の危機的な話をしまして、
ただ最近すごく自我心理学の方を、
急速にカバーしているうちに、
いろいろと説明しやすくなったんですね。
司会が開けたというのとは違って、
司会はグッドバイブスとイギリスの対照関係論の人の本で開けた、
特にオグデンという人の本が僕にはすごくよかったんですけれども、
オグデン役している、
この世界ではスターみたいな人なんですよね。
藤山直樹さんの本なんかも読んでいて、
とても直接同行という話よりは、
だいぶマニアックな臨床の本で、
なぜこれで僕がというのは、ずいぶんこの番組でも話したけれども、
そういう司会が開けたのはそっちなんですよ。
こういう説明の仕方をすると確かに世の中には伝わりやすくなるよねというのが、
自我心理学の方で私が今、
わりと急ぎ勉強中の方なんですね。
それを読んでいるうちに、河合駿さんの本というのがすごく読みやすくなって、
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これもすごい新しく発見がどんどんあるぜっていうのはおかしいんですよ。
河合駿さんの本は一番最初に僕、繰り返し読んでいたわけですから、
やっぱりこう、自我心理学的にこういう含みがあるんだな、
っていうのが面白いと、
そういう感じで今読み直している最中なんですよ。
その辺を話の中に盛り込みながら、
ミドルクライシス的なのを、
フリーランスの場合はね、田島奈さんもそうですけど、
フリーランスって結局、ファイナンシャルの危機がそのまま生存の危機に直結しちゃうんで、
これは今の時代はどんどんそういう風になってきている、
そういう意味では経済的に厳しい時代なんですけど、
私が学生だった頃に比べると日本も、
そういうフリーランスならではの
食いっパグれると死んじゃうぞみたいな、というのがあると、
会社だってもちろん同じなんだけど、会社と違ってですね、
来月の給料から自動的に消滅するっていうような、
来月の給料なんてないわけですからね、そういうことがあるわけですよ。
で、それと全く関係のない
いろいろとおぞましいっていうのかな、
おぞましいってことでもないんだけれども、
非常に、それこそクラゾの三流に言うと包装帰宅が連発してしまうという、
収集がつかなくなっていくということもあるわけですよね。
そこに持ってきて、包装帰宅って受け止め方はないわけで、
当時の私には、もうなんでだよっていうのが連発することになってしまうのが、
大変困ったことを引き起こしたと。
それを精神分析的に説明して、
当時どうすればよかったかって話をしてもしょうがないんですけれども、
対応の仕方っていうのはあるよねと、
フリーランスであろうとなかろうとですね、
そういう話ができればいいかなと思っておりますので、
まだ全然間に合うんでですね、全然間に合うっていうのも別に嬉しいことはじゃないんだけど、
よろしければ確認してみてください。
8日の8日の8日土曜日にオンラインでやります。
田島菜さんも僕の段階でははるかに、
彼の場合は全ての規模が大きいんで、ビジネスの規模も大きければ、
収益の規模も大きく、失い方も私とはまた違って、
花々しい感じなんですよ。花々しいっちゃ失礼かもしれませんけれども、
とにかく私のよりは劇的な感じがする。
私のは結局なんだかんだ言っていないプライベートな話ばっかりだし、
ダイレクトに私に関わってくるけれども、
私の仕事にどうこうっていうのとはまた違う感じなんですよね。
そういう意味ではすごいプライベートな話になりますが、
田島菜さんの方はもうどっちかしら彼自身がそうしてますけど、
パブリックなところがあってですね、公的にもインパクトがある。
そういう聞いているだけでも考えさせられるというか、
06:02
そういう話も面白いと思いますし、
それをどう乗り切るかっていうのも、もっともっと大概の人の希望は
地味にはなるかもしれませんけど、参考になるかなと思います。
よろしければということですね。
これからお話しするのは、それとは必ずしも直結はしないんですけれども、
先日ね、今日これなぜ朝落としたかというと、
一つには久しぶりに急に冷えたせいなのか、
腰痛が再発して、これがあるからな、冬はっていうのがあるんですけどね。
久しぶりなんですよ、とにかく。
グッドワイブスでだいぶ楽になってはいるんだけれども、
なくなったわけじゃないんで。
もう一つが、前回のグッドモーニングボイスで喋って、
ちょっと力尽きたというか、すべてを吐き出してしまって、
力尽きた感がちょっと出ちゃったんですね。
今ちょうど私そういう時期なんだろうと思っているんですけれども、
一つはタスクシュートが昔ながらあって、
でもその前から実は私には、
すごく真相心理、精神分析的なものの考え方がやっぱり好きだってことがあって、
ユングなんかは読んでたのは、コリン・ウィルソンっていう人の影響が非常に大で、
僕もほとんど大学時代は、半分ちょっと気が、頭おかしかったんじゃないかなっていうくらい、
コリン・ウィルソンっていう人の本ばっかり読んでた時期があるんですよ、実はね。
オカルトで有名な人ですよね。
アウトサイダーとかそういう本もあるんだけど、
僕は彼に会いに行ってるんですよ、イギリスまで。
わざわざ向こうは迷惑だったんじゃないかと思うんですけれども、
写真もあるんですよ、どっか行っちゃったかもしれないけど。
そういう人間だったんで、
本当真相心理以外には興味ないっていうところがあったんですね。
オカルトとかユングとか、
そういう可愛い方ですよね、日本で言えば。
コリン・ウィルソンと。
そういう人間だったので、
実は全然ですね、実務能力とかが、
その割にはあったかもしれないけど、ないも同然なんですね。
たまたま思い出したんですけれども、
卒論書いてる時、私、
実は大学4年の時って卒論しか書いてなかったんですよ、本当に。
卒論しか書いてなかったっていうのの意味はですね、
就職活動ってことをしたことが僕はないんですよ。
エントリーシートも1枚もついに書かなかったし、
会社に勤めるというのを考えただけで、書きそうだったんですよね。
書いてたかもしれないです。
あの頃よく書いてましたからね。
多分ね、僕はいろんな意味で誤解を振りまいてしまってる人間なんだけど、
本当、大学3年の頃はほぼうつで、
昼間から酒飲んでね、
そういうユングみたいな本読んで、
寝っ転がっていて吐くみたいな、
そういうことをずっとしてたんですよ。
就職活動とか本当、まともにする気は一切なかったし、
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牛野大学って卒業論文は選択なんですね。
必修では全くない。選択必修ですらない。
選択なんですよ。
普通の人間は書かないです。
まして頭が目端の利く人は書かないです。
僕は大学4年の時卒論を書く以外のことは何もしてなかったんですよ。
それもD.H.ロレンスね。
チャタレイ夫人の恋人で悪名の高い、
悪名高いって言っちゃ怒られるんですけどね。
D.H.ロレンスをコリン・ウィルソン的に書くという、
しょうもないというかむちゃくちゃなことをやってたよね、当時はね。
牛野大学の先生はすごい僕によくしてくれたんですよ。
フロイトの本も全部くれたし、
僕が買っ払っていった感もちょっと無くはないんですけどね。
いろいろとむちゃくちゃな人間だったんですよ。
大学特に2年、3年、4年の頃は本当にね、
大学の授業もまともに出てたのはほぼないですね。
常にしかも酔っ払ってましたからね、出ててもね。
半分はね。
特に2年の頃はひどかったですね。
だからね、半分ちょっとね、
正気だったとは僕は思ってないんですよね、あの頃はね。
でもそういう人間に偉くよく付き合ってくださった先生がいたわけですよね。
その先生の家で飲んだくれて泊まってたことが何回かありましたね。
思い出すのも嫌な話なんだけど。
そういうところが強くあったから、
ずっと心相心理っていうのがすごい大好きで、
アメリカに行ったのは特別そういう理由じゃなかったんだけど、
結局ほとんど勉強してきたのは自我心理学。
当時としては精神分析をやってるつもりで、
なぜか帰ってきたらタスクシュートですよ。
全然全然何なのそれっていう、
この接続性の無さはびっくりじゃないですか。
だから私からするとグッダバイブスっていうのは、
倉園さんが別に心理学っていうことをベースにしていてもいなくても、
私には親和性はタスクシュートよりははるかに強いわけですね。
僕は大学時代及び高校時代に、
いわゆる実務的な能力を高めたいとか、
いわゆる実用的な仕事がしたいと思ったことはなかったんですよね。
やるならば作家に小説家になるか、
あるいはもう本当にヒッピーみたいになるか、
そういうイメージしか自分は持ったことがないです。
最もよくやってカウンセラーかなみたいな、
だから今はその真似事みたいなことやってるなみたいに思われるかもしれないですけど、
それは当然なんですよね、ある意味では。
そういうふうになろうとすら、なる努力すらしなかったのが私なんですよ。
できなかったっていうのがでも正しいんですよね。
まるでなる努力をしなかったなんていうと、
そういう努力をすればできたみたいじゃないですか。
でも私大学時代の自分のことを思うと、
そんな努力はできなかったなっていうのが本音ですね、正直言って。
12:01
そんな努力はすればできたかのような顔を今からならできますけど、
当時の心理状態では無理だっただろうなと。
だって本当にアパートの一人暮らしてゲロの中で寝てるんですからね。
そういう努力と愛に入れそうな人間ではなかったんですよね、当時は特に。
だからアメリカの大学時代はそれに比べてずいぶん真面目にやってたなとは思いますけれども、
それって結局やってる勉強がフロイトとかシェイクスピアとかだから可能だったわけですよ。
ある意味ではね、やっぱりVMブレイクとかね。
あるいはヘルマンヘッセとか。
で、ヒッピーみたいな話ばっかり追って追っかけてるわけですよね。
そういう人間なんですよね、ベースとしては。
でも私がヒッピーやってたかっていうと、ヒッピーやってたことはないんで、
本当にそういう人かっていうと、そこもまだ非常に難しくはあります。
とにかくそういう心理状態の上にタスクシュートも受けていて、
そしてタスクシュートに乗っかってると思いのほかこんな人間のままやれちゃうんですよ。
ここを割と僕はね、裏事情なんだけどお伝えしたいんですよ。
だからその実務的に会社に勤められていて、
バリバリやっていこうみたいな方がタスクシュートができないっていうのは僕には信じられないんですよ。
僕ができるっていうのはよっぽどなんですよね、ある意味。
僕は本当にこう、何て言えばいいんですかね。
これはヘッセの、ヘルマンヘッセっていう人の小説に、
地と愛と日本とは訳する、なんで日本人はああいう訳し方をするのかな。
ナルシスとゴルドムートって言うんですけどね。
とにかくこう、冬の中に、
荒野の狼ってタイトルもそうですけどロマン派なんですよね。
死をえいじながら出かけていって、
そういう雪の中をね、お城とか行って、
いろんな女の子にモテてっていう、
もう本当ね、何の現実味もないような、
いわゆるドイツロマンの夢の中をさまよってるようなですね、
そういう小説なんですよ。
僕はあれをたぶん50回は読んでる。
そういう人生って、こういうもんだったらいいのになって、
ずっとただただ酒を飲んでは夢を見るというね。
それ以外のことは僕はまともにできなかったんですよね、
あの時代は特に。
本当にそういう人間が、
ただタスクシュートに開始時刻を入れます、
終了時刻を入れますと、
ただそうやってたんですよ。
オアシスS.Oさんと組んでたから、
絶対彼の仕事だけは落とせないとしてたけれども、
当時は彼の仕事以外に何もしてなかったんですよ、僕は本当に。
やっぱり似たようなもので、
スタート読書、終了読書みたいな、
スタートファンザミル、終了ファンザミルみたいなね、
これをただただやってただけなんですよね。
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そしたら生活が整ったんですよ。
これを伝えたいんですよね、本当は。
ただこういうと、誰も信じてくれないというか、
訳のわからん話をこいつ始めたというふうに、
つまりそれで納得してくれる人はすでにタスクシュートを使えるし、
使えないって言ってる人はこれでは納得できないでしょ。
だからどうしてもこれをどういう理屈では成り立ってるのかというのを
一生懸命説明しようとしてはとちって、
今は自我心理学で説明していて、
僕の中で一番これがみんなにも理解できて、
私としても嘘のない説明なんですよね。
なんだけれども、先日も言いましたけれども、
そういう説明がいるかっていう。
でもこういう説明をしないとするじゃないですか。
そうした時にいつも記録をするっていうのはどうしても挫折する。
先日もその100日チャレンジでね、
なぜこんなことができるのかと。
その人にしてみれば当然なんでしょうね、このご質問は。
なぜこんなことがやれるのかと。
こんなことなんですよね。
なぜなのかを説明するのはものすごい難しいんですよね、僕からすると。
なぜかできちゃいましたというのが本音なんですよ。
そんな飲んだくれみたいな人間でもできちゃいました。
なぜかね。
その理由が今ではだいぶ説明できつつあるんですけれども、
なお、皆さんに通りのいいというか、
通りが良くなれば良くなるほど嘘っぽくなるし、
私の正直なところに近づけば近づくほど通りは悪くなるし、
っていうようなイリュージョンなんだと思うんだけど、
ジレンマが僕の中に若干あって、
グッドワイブスをフレームみたいにしてるんですよね、今私はね。
当時もそうだったんだけどね、大橋さんと組んでるからその仕事はやるっていう、
私のそういう心理があったわけだから。
当時も、すでに当時からそういう方がみたいなものがあったんだけれども、
それをですね、もっとグッドワイブスが抽象化できているんですよ。
自我心理学はSと超自我とエゴという3人の登場人物が結局現れるわけですね。
で、Sはほとんど無意識の中で動く。
これはもう場所なんですね、無意識っていうのは。
意識できないところでSは頑張ってる。
これがとっても良くないっちゃ良くないんですよね、僕の感じではすでに。
結局私とは何かっていうふうに、私とはこういう人間であると。
今説明したようなコリン・ウィルソンが大好きで、ユングが大好きで、
かわいいハヨが大好きで、フロイトも大好きですっていう人間であるという人間にしてみると、
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例えば株式市場の操作とか株で儲けるとか全然好きじゃないわけですね。
で、こういうのは私じゃないと思ってるわけですよ。
でも僕株って実はやったことが結構あるんですね。
で、こういうのは私じゃないと思っているっていう部分って無意識になってしまうんですよね。
意識したいわけじゃないから、どうしても少し自分から切り離されていく。
ここにSが入っていくんですよね。
だけど私ってもともとSじゃないですか。
どんな赤ちゃんだってそうですよね。
最初から時間があったらすごい不気味ですよ。
どんな子供でも最初はSなんですね。
ここ捉え方なんだけれども、私赤ちゃんを見た時にですね、
性悪説が考えられる人ってちょっと理解に苦しいんですよね。
赤ちゃんっていうのはそれくらい善良な存在なんですよ。
これ何が言いたいかというとですね、いやもう簡単ですよね。
Sとは善良だってことですよね、私が言いたいのは。
Sとは善良な存在なんですよ。
最初はSなんです。最初は赤ちゃんなんです。
私は赤ちゃんいろいろ、いろいろは見てませんよね。
でも小児会のミニコットとかフェアバーンとかの話を聞いていてもですね、
Sが悪質だというふうに言っている。
あの人たちは精神分析家であり同時に小児会でもありますから、
Sが悪質だって言っているように見えないんですよ。
で、Sは善良だと思うんですよね、非常に。
子供っていうのはいろんな育てられ方があると思うんですけど、
本当に2歳児とかの頃にはですね、
何とか何やってとか言うと喜んで行動しますよ。
そこに見返りを求めるとか、
削除されているとか一切考えずに、
大したスキルがあるわけでもなく、
効率的に動けるわけでもないのに、
親が言ってやってほしいっていうことは何でもやろうとしますね。
あれが悪質に見えるっていうのは、
Sってのはつまり制御してやらないとダメだみたいに思うっていうのは、
つまり罪悪的なことばっかりするっていうのはですね、
よっぽど物の見方に極端なところがあるなと、
私なんかは思ってしまうんですよ。
いやーとってもいい存在だよねと。
あれが長寿がまだあやふやで、
親の顔が長寿かぐらいに思っている存在で、
ベースはSとようやく形を成してきた、
でもなんでもないね、極めてあやふやな字が、
つまり形を成してない存在ですよね。
こういう三相に全くなっていない存在が、
あんなに善良なものなのに、
ここに悪を見るっていうのは、
私には到底理解できないんですね。
手間がかかるなとは、そりゃ思うでしょうよね。
でもあれが手間なのっていうのは、
要は人間の文化というものが、
例えばそれはトイレでしなさいとか、
21:01
食べ物を窓に擦り付けちゃいけませんとか、
そういう人間が作り出すんですよ、
そういう衛生観念とか。
便利ですよ、そうしておいたほうがね、
病気も流行らないでしょうし。
でも窓ガラスに食べ物を擦り付けるのを見ると、
うわーもう耐えがたい、こいつはほんとダメな、
衛生観念全くなってないって思う人っていうのは、
僕はやっぱり行き過ぎてると思うんですよね。
別にいいじゃないですか、そんなもん。
悪気は全くないわけですよ、そこに悪気はね。
そこに悪気はあると思うのは、
多分そこに悪気を見るんですよね、やっぱりね。
全然ないと思いますね。
だからSというのは、根本的に善良なもので、
だから私は無意識に示し出したいとは思わないんですよね。
で、このSを自我から締め出してしまう。
そうするとまず何が起きるか。
Sが止まるはずはないですから、Sを自我から締め出す。
しかもそれが良いことだと思う。
反動形成の話を先日しましたよね。
おむつは汚れてないおむつが一番良いおむつって思う。
つまり文化の方に善を置いて、
悪くもなんともなかったSを言ってみれば、
文化が善だとしたところのお漏らしをするのは悪いとかね。
そういうSが悪いものであるかのようにして締め出すときに、
僕らの不安というものが始まるわけですよ。
スタートするわけです。
Sは止まらないから、
Sが止まらないことに不安を覚えるわけですね。
私という存在が発生したときに、
私はつまりトイレというものは、
そりゃトイレに行ってしまいますよね。
これが善だってことになったから、
Sが悪だってことにされちゃったわけですよね。
そしてそれがしかも無意識の世界に、
おおむね無意識のところに押しやられると。
無意識のところでSがうごめいている。
やばい。
でもこのやばいっていうのは、
実は当人にとってめちゃくちゃやばいはそうなわけですよね。
やる気が出るたびに恐怖を感じなければならないってことになるじゃないですか。
やる気はSが持っているに決まっているわけですね。
自我がやる気になるっていうのは、
根本的に私はやっぱりおかしいんじゃないかなって思います。
自我に自律機能があるっていうのも分からないではないけど、
やる気を出すのはSですよ。
生きているのはSなんで、根本的には。
だからSが出てくるとやる気が出てくる。
で、やる気が出てくると不安になる。
これで僕らは仕事が進まないと、ある意味これは
自分の元なんじゃないかって思うんですよね。
仕事が進まないに決まってるじゃないですか、こんなことをやれば。
やる気になっているのはSだけなんで。
で、やる気が出るたびに不安になるわけですよ。
先日申し上げた、
Sと一緒に不安が出てくるんではなく、
Sが何かをしたくなるたびに自我が勝手に不安になっているんだと、
そういうシシのホットキャストの収録を前日にアップしたわけですけれども、
24:00
そうだろうと思います。
で、私たちはいつもこのSがやる気になるのに対して
一時不安になっていて、
そこのところの良い部分、
つまり長寿画と文化にとって都合の良い部分ばっかり抽出しては、
細々としたやる気で仕事をしようとしているから
いつも辛いわけですよ。
これを解消しようと思ったら、
Sを信頼するよりは、しょうがないじゃないですか。
Sを信頼しようと思ったら、
現実を信頼するということと全くイコールだとも、
少なくとも生物の現実というのはSですから。
あらゆる生物はSですからね、ベースは。
自我っぽいのを持っているのはいますよ。
チンパンジーとかね。
人間が賢いって言っているだけのことはあって、
猿にも感じられますよね。
猫にも感じられる。感じられるけど、
じゃああれは自我かというとそれは無理だ。
言葉がないわけですからね。
三層構造なんてとんでもないわけですよ。
三層構造あるはずないですよね。
超自我というものはないですよね。
文化に善があるはずがないですよ。
だからSなんですよね。
Sを信じるということは、
言ってみればですね、
私たちが、
リビドという言い方をしましたよね。
愛欲と言いました。
愛を信じるみたいな話になるわけですよ。
性を信じるではないと思う。
ここは男女の性愛とあまり関係ないですからね。
もちろんあれですよ。
エリフスと無関係では絶対ないです。
家族が愛情の対象になっている以上、
家族を作りたいという欲求と性欲が無関係ということはないけれど、
根本的にこれは、
生きていくことは良いことだぐらいな感じですよ。
リビドというのは結局、
最終的にそういうことになっていくと思うんですね。
身分化なわけですから。
性欲だけ分化して取り出すのは、
成人でやることじゃないですか。
赤ちゃんはそんなものを分けられるわけがないので、
おそらく魚とかもそんなのを分けていちいち意識しないので、
身分化だから、
生きていくのは良いことだという感覚になると思うんですよね。
残念ながら、
これが極めて生のまま、
生きていくのは良いことだからエクセル頑張ろうとは思わないんですよ。
我々は。
だからここがすごく細くなっているというのかな。
僕の感覚ですよ。
イメージとして細くなっているというか、滴り落ちるような、
あれが良くないとは思うんですけれども、
この辺でタスクシュートに回っていくんですよね。
ここで一旦停止して、
30分に近いから停止しなければならないです。
前回と言えば長いですね。
27:00
今ですね、中断が入っているわけですよ。
なんでかというと、
下で呼ばれたからそっちに行って中断を入れているんだけど、
ここがですね、
グッドバイブス以来僕が意識的に変えているわけですね。
何があろうと呼ばれたら、
すぐ反応するというか対応するので、
行動が変わっていくわけですよね。
今までならば、
ここは踏みとどまってこの収録を続けていましたね。
仕事だからといって、
何とでも言えるんですよ。
それがうちで絶対通らないというわけではなかったんですよ。
だけど今はそこを、
何があっても止めると。
これを昔の私は恐れていたわけですよね。
恐れているのは今の仕方の話でもそうなんだけど、
自我なんですよ。
Sじゃないんですよね。
前に言いたかったのはこのことだったわけです。
これを今はずっと言っているんですけど、
流れが悪くなると先ほど言ったと思うんですが、
タスクを実行しようとするときに、
要は言ってみれば、
エネルギーが足りなくなるとか、
やる気が少なくなるとか、
気力が続かなくなるとか、MPがどうしたとかいう話は全部同じで、
そうじゃないんですよ。
Sは足りてるんですよ。足りてるんだけれども、
エネルギーは十分あるんだけれども、
今の仕方は言ったように、
Sというのは生き物の動きですから、欲動ですから、
欲動は十分あるんだけど、
それを仕事に転用するにあたって、
ひどく細くなってしまう。
したたるようにしか出てこなくなってしまう。
その上、警戒して、
Sを外に出さないようにしているわけですよね、私たちは。
文化的な意味もあって、
でも文化的な意味だけではなくて、
あるいはこういう新しい文化なのかもしれないんだけれども、
生きていきたい。
生きていくのは良いことだから生きていきたいという欲動の流れが
極めて強くあったとしても、
これを使ってExcelに入力していくというのは、
エネルギーとして全然使い勝手が良くないので、
ちょっぴりしか出てこない。
そこに加えて、
これを機器としてやったのでは、
どうせ機器としてはなかなかできないかもしれませんが、
機器としてやったのでは会社に搾取される。
という一文が長時間に加わるんですよね。
良いようにこき使われる。
温存しながら朝から晩まで機器として仕事に
30:00
エネルギーを投入するんじゃなくて、
Sのエネルギーを上手く使わないと
困ったことになるよという
そういう正しさの一文が書き換わる、
追加されることによって長時間の正しさとして、
ものすごくやりにくくなります。
このものすごくやりにくくなった状態で
何かをするというのは、
ずっとその状態にいると
わからなくなってくるんだけど、
えらく耐えがたいことで、
この警戒を解くべく頑張ってるわけですね。
まだ解ききれてるわけじゃないから、
これを解くために
呼ばれればすぐ行くんですよ。
耐えのないことのようなんだけれども、
このような話を結局
ビジネス書とかに書いても
受けないんだなということが
最近少しわかったんだけれども、
自分でやってみないと
警戒している自分という状態から
変化がないんですね。
途中言ったとおり、
私とはこういう人間だという
セルフイメージと言ってもいいし、
自己のアイデンティティと言ってもいいんだけど、
そういうものがあるとして、
そこから締め出されたものは
警戒せずに活動したいという
自我は存在しない以上、
Sは決して警戒せずに
エネルギーを出してきますからね。
それが出たときに、
私とはそういう人間じゃないから、
会社にいいように操られる人には
なりたくないから、
ただの人よしとは違うからという
不安になってしまう。
これが何度か言ったとおり、
先日もお話したような話なわけですよ。
やっていかないと、
行動として活動していかないと、
この種の不安が
うまく抜けるというわけにはいかないと思うんですよね。
だからこういう不安を抱えたまま、
つまりこれは警戒なんだけど、
Sから使い勝手のいいエネルギーだけを
取り出そうとしても、
その場合やる気はいつもとても乏しいと
言った状態から
変化は訪れない気がするんですね。
数億円くらい自分のお金があるんだけど、
うち99%は使えません。
というような話なんですよ。
絶対に徹底的に
うまく抽出しようと。
だからすごく乏しい量でしか
33:01
ありえないんですよね。
最初からそういう状態を維持して
動いているので、
私のこれが実感なんですね。
今私がタスクシュートユーザーとして
皆さんに言ってみれば変更を迫ろうとしているのは
この点なんですね。
もちろんこれは価値観に近いところがあるので、
あからさまにこういう風な価値観に切り替えて
グッドバイブス的にやりましょうねという
つもりはないんですよ。
ただ重めのタスクを前にするとやる気が出ませんと
言われた時には、あるいは
長くずっとこれをやろうとしているんだけど
なぜか手がつけることもできませんみたいな話が
基本Sというのは全量で
エネルギーは無限に近くあって、しかもそれは
あなたの無意識なんだけど
あなたそのものを
接点に近いところに位置しています
という話をこういう言い方じゃなく
伝えようとしているわけです。
これが通れば、
これは事実だと思われれば
そんなに警戒する必要がなくなる。
逆に言うと、警戒しているという
ただそれだけで、このエネルギーは
ほぼ使えなくなってしまう。
この状態が得だというのは
同様意味、違うな
この状態でなければ損をすると
言った時の損って
その人その人によって
そんな損があるんでしょうけれども
得をした時に
その人に怒ると
怒ることってのは
得ができるアイデンティティというものが
維持できるというのに留まるんですよ
っていう話だね。
長自画が多分デザインを描くんでしょうね。
あるいは自画が長自画を書き換えて
デザインを作るのかな、その方がもっと現実的な感じがします。
そうやって
私という人間から
9割以上のエネルギーを占め出すと
いった結果として
得ができる私というアイデンティティが手に入る。
多分これが大事なんだろうなと思います。
それを大事にするから
タスクシュートなりで何でもいいんですけれども
ものすごく巧みな
プランといったものを
描き出さなければならない。
2度同じことをやらないとか
36:01
2度でも避けるとか
ましてミスによる手戻りは絶対に認めない。
全部
エネルギーが今の1億倍くらいあった場合には
いらない節約なんですが
そんなことは信じられないでしょうから
1億倍くらいあるような気がするんですけど
全然使えてないですよ、私自身。
でも10倍くらいは言うに手に入る。
10倍手に入ったら多分言うことなしじゃないですか。
でも多分
そのやり方には大変強い不安が
この不安とアイデンティティが同じなんですけど
事故イメージとか
そんなにないから
ない前提で
動かなければならないんですよね。
ない前提で動く限りはないわけですから
無駄は徹底的に
省かなければならないと
こういうところでタスクシュートと
セルフイメージとが合致するんだと思うんですよ。
私の言ってることは
分かるけどぐらいなんだと思うんですよね。
最もよく捉えられたときでも分かるけど
でもそうはいかないでしょうと
つまり現実とはそうじゃないっていう話に戻るわけですね。
もう一つ大事なのは
Sが善良だといったとき
エネルギーに満ちあふれてるっていうのが今の話なんだけど
僕はそれ赤ちゃん見てそう思ったことなんですけど
いずれも
善良だってことは他者を疑わないってことなわけですね。
もう一つ
他者を疑わないというのは
他者に
警戒する理由を投影しないということなんです。
自我心理学的に言うと。
これもイリュージョンって言ってしまった方が早いんですけどね。
同じことなんだよほぼ。
完全に同じかな。
他者に
警戒するべき理由を投影すると。
例えば作手っていうのが一番典型的ですよね。
最近の言葉で言えば。
Sからのエネルギーを無駄に使わない。
今私が少し
後半タドタドしくなってるじゃないですか。
根幹に迫ってるからタドタドしくなってることもあれば
さっき一回に呼ばれて途中中断したから
タドタドしくなってるんだけど
こういう無駄をやめておきたいと。
ここを余計なエネルギーで私が支えていると
捉えられてると思うんですよ。
だけれども私の中では全然違うんですけどね。
さっきのここで行かなければですね。
あと多分26分だったから
あと2分以内に打ち切ってた可能性が大いにあります。
39:02
この話出てきてないんですよ。
こういうことが起こるんですよね。
節約を徹底的にすると。
節約できると考えるということは
私のプランで行く限り間違いはないという風な考え方に
懲り固まるんですね。
それはつまりどういうことかというと
いつも裏相さんが言うのと真逆ですよ。
これ私ものすごくおかしいと思うんですよ。
かの2チャン作った方ですら
一寸先すら本当は読めてないって絶対思います。
一寸先が手に取るように分かるっていうのは
デマですよ。
だけど一寸先が確実に読めるのでなければ
3分先が読めるはずないですよね。
さっき26分だったから3分先まで読めているから
途中に余計な邪魔さえ入らなければ
完璧な内容が話せるっていう言い方をしてるわけですよ。
あるいは自分としてベストの内容が話せると。
だけど私は今思うんですよね。
12分かかってる。
この内容まで言い切らずにあそこで3分後に止めてて
ベストだったはずはないんですよ。
こういうことが起こっちゃうんですよね。
こういうのも全部お話を聞かれている方の
多くの方は
こういう話に何度も何度も聞いたかもしれませんけど
それでもなおなんとなく
うさんくさく聞かれてると思います。
この場合は例外だったんじゃないんだろうかと。
事前にやっぱり絶対準備しておいたほうがいいんじゃないかと。
私は準備を否定するわけではないですけれども
準備しきれるという考え方は否定できると思ってます。
準備しきれっこないです。
たぶんこの話も
もうだいぶかかるような気がするんだけれども
他者に
結局この考え方っていうのは
自分のプランがベストだっていうところがあるんで
少なくとも自分のプランよりはるかに超えたものが
なんら想定もできないままに
出てくるということに対して
不安を覚えちゃうので
だからS任せにできないので
Sは生物の現実ですから
現実というものは信用できないので下で呼ばれたりするでしょう。
だから現実というものは何を引き起こすか分からなくて
不安でいっぱいだから
作り込んでおくしかないわけですよね。
作り込んでいった先に
私たちがどうしてもしなければならないことは
他者からの介入、邪魔、
搾取、その他様々なものを
持ち込んでくる他者というものを
そのまま良いものだと
みなすわけにはいかないんですよ。
でも他者の行動を完全に読み切るのは
本当にかの一部の一つすらできてないので
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あとできることは、我々にできることはですね
他者を完全にコントロール下に置くか
これもできないので多くの場合
コントロールできる他者のみと付き合うか
これすらも難しいケースにおいては
他者に搾取の
可能性がある
良くてフィフティフィフティの存在という
布をかぶせるしかないんですよね。
これが投影だと思うんです。
多くの人が苦しむケースの投影です。
人をよく見ると。
それはでも迂闊で騙されてる人ってことになるので
僕みたいなね。
賢明な人は他者に良くてフィフティフィフティの
下心を持った存在という投影の布をかぶせるんですよ。
これは他者が
フィフティフィフティの下心を持った人ではないと
言いたいのではなくて
勝手にこっちがかぶせてる以上
それは投影だと言ってるに過ぎないです。
でもこの投影をすることで我々は
本来他者が
もともと善悪の混ぜこぜのものでしかない
という現実とは違って
私がデザインした通りの存在という
スクリーンを見ることになっちゃうんですよ。
投影の欠点はそれなんですね。
投影ってのは高度な心律放さだけれども
十分能力がなければ到底できない心律放さですけれども
でも我々はそれを日常
しょっちゅう無意識に普通にやってます。
赤信号は止まれだというのは投影です。
投影以外の何物でもないですから。
そんなものを猪が見て信じるはずがないですからね。
我々はあれを自我言語というものを
使わなければできませんけれども
でもやります。
そして人々にもやるんですよ。
こういう存在として布をかぶせる。
そういうスクリーンを通してみると
エスが無防備にいたのでは必ず搾取するだろう
という存在に人々はしてしまうので
我々の警戒は最大限になるしかないんですね。
この段階で我々はやる気を完全に失うんですよ。
完全にというのは語弊がありますね。
やる気が0.1%くらいに
とどめをかれるんですよ。
この状態で仕事をしてタスクシュートを
実行していかなければならないんですよ。
だから僕は粛々となんてできるはずないと思うんですよね。
細々としかできないですよね。
この状態であれば。
私が最初に2007、8年の頃にタスクシュートを
大橋立夫さんに使わせていただいた頃からですね。
私は結局まともに仕事できた内容は
ただ大橋さんに向かって出すものだけだったんですよ。
これがSの善良さってことなんですよね。
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自分で自分のSを善良だっていうのも照れますが。
Sってのは自画とか超自画に比べるとやっぱり
際立って善良で際立ってエネルギッシュだなって思います。
それはもう
生まれてきた子を見るとつくづく思います。
大人というのは
今言ったような事情がある
にせよ
セルフイメージにこだわりすぎていて
全然計算の意味がないような計算を
ずっと繰り返しています。
なんて言うんですかね。
上手く言えないんですけどね。
収入が1億なんだけど1円の支出を
徹夜でやっているような感じ。
それぐらい計算が間違っているとか
計算高くないとは言わないんだけどずれているんですよ。
その計算のやり方それ自体が。
今のだとさすがに
信じてもらえないでしょうからこういう言い方にしましょう。
年収が800万から1000万ぐらいなんだけど
1円何十千の世界に
いつまでもこだわっているような計算高さ。
それは全く無意味だとは思わないんだけど
無意味一歩手前ぐらいのところにいる感じがします。
よく言っても。
全然私は
疲れるはずもなければ
実際疲れてもいないのに
疲れたと言って起きたくなるっていうシーンが
社交上すごく多いんですね。
ライフハック系の人との付き合いが多いから
ここで疲れたって言っておいた方が
通り本当に良くなるなって思っちゃうんですよね。
本当に
ひどい目に遭ったって言っておくと
何か会話が弾みやすいなって思うんですよ。
いまだに思います。対話の最中にも思いますよ。
分かってもらえないんだよねとか
最近つらいんだよねって言うと
なんでこんなに世の中では通りがいいんだろうって思います。
分かるんですよ。
私も含めてみんな
あらゆるSが絞られて抑圧されて
締め付けられているので
疲れてしまうんですよ。
疲れてしまっているような気がしてしまう。
この状態を維持するために
計算高い私というセリフイメージを作って
人の社会貢献もするんですよ。
例えば計算通りに仕事をするなら
みんな仕事がしたいんですよ。
みんなが悪質なわけじゃないんですね。
ただ非常に温存型の善良なんですよ。
善良なんだけど温存型。
ここまでなら出すという
自己の自分で作ったグラインドデザインに応じて善良でありたく
応じて行動的でありたいんですよね。
だからこのセリフイメージに
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マッチするような
他の人のイメージというものを被せて
人々にもそう振る舞ってほしいって感じなんですよ。
だからこそ
そういう話をしていると
S暴走気味の人の話とかを
ちょっとからかってみたくなったり
あんな風にはやれないよねっていう自分たちで
安心していたくなるものなんですよね。
僕もそういうのはよくわかります。
自分が悪気になっているというところは示せないから
示せなきゃないんだけど
全然楽勝だなっていうのは言いにくいんですよね。
いろんな、これは文化ですけれども
空気読むという意味では長寿がていいですよ。
こういういろんなものが相まって
自分をますます
元気を失わせていく。
ますます仕事をつまらなくしていく。
つまらないという事実にあっている方が
つまらないと言っているとき
自分が嘘をついている気がしなくていいじゃないですか。
介護が大変とか老後が心配とか
言っていたいわけですよ。
ここが意外と僕は
さっきの下で呼ばれてすぐ対応するっていうのと
こうして
何かグッドバイブスが
あるようなコミュニティでもいいんだけど
申し訳なくなってくるんですよね。
老後も全然心配じゃないし
介護も全然OKだしっていうのって
ある種の状態ではなんだか悪い気がしちゃうんですよ。
これは通りにくいかな。
愛情の問題とかではないと言いたいんですよ。
なんていうのか
被害者になって
被害観ってものをここに投入するのは容易なことなので
被害者になっていないと
申し訳ないような気がしてくるっていうようなね。
つまり
相手も自分も資産が1000万あるんだけど
相手はできるだけ
1円でも少なくしようとしているのに
こっちがお金バンバン使っている様子を示すのは
なんだか恥ずかしくて申し訳ないみたいなね。
そんな感じがあるんですね。
このフットバイブスというものの
実践中の難しさの一つ。
これはいかにも余計な感じもしますけれども
具体的にそういう状況に入ってみると
意外に気になるものなんですよね。
これら全部のことを
踏まえて考えてみてほしいんですよ。
すぐに対応するとか
エネルギー満載でいくとか
他者というものに対して
警戒心を抱かないほど善良な自分であるということは
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実に楽でリラックスしていられて
それこそ最強で価値マックスなんだけれども
それを押し留める不思議な要素が
実はこういう
意外と
ものすごく初歩的でしょうもない
些細なことの中に含まれている感じが
最近は深くするんですね。
これが
タスクシュートというものを実行するにあたっても
気が付くと
これを
それこそ無意識に
すっかり固まってしまって
僕はこれを3時ぐらいに
気付くんですよね。
やりにくくなってきたという感じを抱くんですよ。
これがみんなが言う
午前中のNP云々問題なんだろうし
重いタスクってやつなんだなと。
イリュージョンというものが確立していくんですよね。
イリュージョンに濃さはないんですよ。
ただ時間が、起きている時間が長くなってくると
少しずつ少しずつイリュージョンが固まっていくんですね。
今言ったようなんですよ。
あからさまなイリュージョンならすぐ気付くんだけど
少しずつ少しずつなんですよ。
いろんな文化に付き合っていくうちに
こういうイリュージョンを共有しておいたほうが
角が立ちにくいよねと。
ここでグッドバイブスというのは
これそれでも
グッドバイブスでいけばいいんだけれども
あからさまにグッドバイブスでいくには
別の言い方をするならば
あからさまでに悪気のないSで行動してしまうと
なんかちょっと
みんなにとって面白くなさが出てくる。
みんなもSだったらいいんでしょうけど
みんなはこれを警戒しているわけだから
と感じてしまうので
時間が残っているからとも言ってもいいですけど
結局ここは時短なんですよね。
めんどくさいしみたいなのもあります。
ここはみんなに合わせておこうということなんですよ。
それを4時間5時間もやっていると
すっかりそっちに
なんていうんですかね
そういう自画とSと超自画の
体制が整ってしまうんですね。
Sはもうちょっとしか出さない。
半分寝ちゃうんですよね。
超自画は搾取されないように
でも良心的に寝っていうような
一言を残して去っていって
自画はその中でなんとなくスムーズに動いているうちに
どんどん疲れが溜まっていく。
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そしてその状態でも
残り3時とか2時ですからね。
残り5、60、そんなんじゃないか。
残り3、40のタスクがあり
これに圧倒されるのねと。
Sを叩き起こせば話早いんですけどね。