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2021-01-26 35:06

【GMV305】擬似的な価値に毒されること

擬似的な価値は、信じようとしている間だけ、信じられる
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おはようございます。グッドモーニングバイブスです。
えーと、2つお知らせがありまして、1つがですね、ここでしか喋れないというわけじゃないけど、ここだと喋りやすい、全然、全然グッドバイブスと関係ないんですが、
タスクマのね、最近挙動が重いというお話がありまして、これを軽くする裏技があります。
ただ、万人に効くかはわかんないです。ある種の人には効果的面ですね。僕にも効果あります。
位置情報を取得するのかな、許可するというのがあるんですよ。
タスクマって、現在のタスクを実行している場所をGoogleマップ上でいちいち判定してくれて、そこにピンを打っておいてくれるというすごいシステムがあって、
それをEvernoteでもいつでも確認できるというですね、すごいシステムがあるんですが、例えばコロナでほとんど1日中家で作業している私には、あのマップは常に家を支持していて何の意味もない。
ですから削除してしまえばいいんですよ。それはタスクマにですね、位置取りを許可しなければいいんです。
そうすると、我が家はですね、少しこう、SIMの場所でGPSの情報を取るのに手間がかかっているみたいなんですね、iPhoneから。
ここをやろうとすると、一瞬必ずモタつく。朝急いでいるときにですね、GoodVibes的には急がない方がいいんだけど、
まあ急いでいるときにですね、持ち物リストの開始ボタンとかを押してから数秒待たされるのってなかなかストレスなんですよ。
これは位置情報の削除によって、位置情報許可しないということによって解決されます。
私は位置情報一切いらないなと思ったので、最近はもう一切許可してないんですよ。だいぶ早いです。
機種にもよりますし、そのGPSを取れるか取れないかですごく大きな違いがあるんですよ。
先日、私、かき揚げ塾という倉園さんと一緒にやっているやつで、人望庁行ったんですけど、人望庁行くと早いんですよね、GPSを確実に捕まえられるから。
でも二宮町とかに来ちゃうと遅くなるんですよ、これが。
という事態に巻き込まれている人は、位置情報を許可しないにしてしまえば早くなります。
正確な位置情報をオフにしても大して変わらないです、はっきり言って。
だから許可しないにしてしまった方が多分、速度でイライラしている人にはいいんじゃないかと。
ただ、その作業を行った場所がどこであったかという事を自動で全部取得してくれるという事は出来なくなりますので、
そういう情報が大事だという人には、これはお勧めできないです。
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あとこれはどう考えても裏技なので、本来のアプリの使い方からは、結構逸脱している感じがあるので、ブログとかには書きたくないわけですね。
そんなのが一つ。
あともう一つがですね、今月30日にオンラインで、倉津の慶三さんと私とでやります、
Good Vibes勉強会、シーズン2の1回目です。
前回通して聞いて頂くと、色んな事がGood Vibes的に分かって、
その効果は何なのかというと、一種の下毒作用だと思って頂きたいんですよ。
私、以前と今で何が変わったかというと、特に何も変わってはいないんだけど、
慢性的に続く二日酔いから冷めた感じになるんですね。
これってすごい、二日酔いを経験した事がある人にしか分かりませんが、すごくいいじゃないですか。
だけども、二日酔いから冷めたことによってですね、人間が立派になるとか、
なんかこう、そうですね、お金が儲かるとかはないじゃないですか。
仕事はできるようになると思いますよ。
二日酔いの状態で仕事をするという状態に比べると、そんなに違うのかと言われるかもしれませんけど、
今日その話をしたいんですが、下毒作用みたいなものなんですよね、これは。
毒が回っちゃっている感じ、普段は。
その毒っていうのは何かっていうと、疑似的な価値観だと僕は思うんですけど、
それを下毒していくことが大きなポイントです。
その辺が仏教的だって言うわけですよ、これはきっと。
仏教はもっとストイックなところがあるとは思うんですね。
始まったのが紀元前なんで、紀元前時代がストイックだったんで、
すぐ人死んじゃってましたからね、きっと。
そういう事情があったと思うんですけど、
あれですからね、仏陀が教えを広めたちょっと後に、
アレキサンダー大王が世界を征服していた時代ですからね。
過酷ですよ、ああいう時代は。
で、それは良いんですが、1月30日にオンラインで勉強会やりますと。
で、もう一つが、この番組でも時々喋っているファクトリーというオンラインコミュニティがあります。
Facebook中心でやりとりしていて、質問を出せます。
私か倉園さんが答えるんだけど、倉園さんの答えはすごいです。
私が読むのも大変なぐらいな回答がガーッときます。
で、それとさらにですね、月に1回ファクトリーの人だけで参加できるオンラインセミナーがあって、
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毎週1回TVですね、Good Vibes TVという私と倉園さんで動画を出しています。
これ全部で月2000円なので、まあ安いですね。
非常に安いなと思います。
私これだったらですね、例えば自分だったら、今はやらないですけど、テニスのなんとかとかだったとしても安いと思いますね。
これ全部見たり聞いたり読んだり質問したりするのに答えてもらえれば、テニス上手くなるよなっていう気がします。
なぜテニスで例えたのかはよく自分でもわかりませんが、そういうものなのでよろしかったらですね。
なんか悩みがある時だけ入っていただくとかでも全然いいと思うんですよね、これは。
すごい買いとつきますんで。私もつけますけど、私のは普通の範囲内に収まります。分量的にはどうしてもね。
そこまで書くことはないんですよ、私の中には。
だからこれは買いがつきますんで。
しかも大体私が見た漢字、ここ1年見てきた漢字、どんな悩みでもつきます。
つくのに3日かかるということもなく、大概何かいつ書いてるのか不思議なくらい早いんですよ。
そういうことなので、よろしければ悩みがあったらみたいな、悩みがあるというのは難しいんですけどね。
私たち2日酔いの苦しみで悩まないじゃないですか。
解けたらいいのにとつくづく思いますけど悩まないですよね。
悩むというのとは違うところが、実は悩んでるんですよ。そういうことってあるんです。
今日したいのはその話なんですが、擬似的な価値っていうものが私たちの中にはですね、食い込んでると思うんですね。
食い込んでるというよりは回ってるんですよね。なんか血液の中に入ってないんですけどそんなものは。
なんかそうやって体内をぐるぐる回ってるような感じがあるんですよ。
昨日お話しした信者ビジネスみたいな、それで先週お話しした何者かになりたいのような話って、
私はいずれも実はどうでもいいことだと思ってるんですよ。
なぜどうでもいいかというとですね、それは擬似的な価値なんですよ結局。
映画が、そもそも絵本が映画化されようがされまいが、その映画が何万人に見られようといくら生み出そうと、
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基本はゲームだと思うんですね。というかゲームなんですよ、あれは。
このゲーム、私たちはゲームなのか深刻に捉えるべきなのかっていう風になりやすいんですけど、ゲームって私たちは深刻に捉える生物なんですね。
一番わかりやすいのが見ていない人にはわかんないかもしれませんが、甲子園とかで9回2アウトで1点差で勝ってて満塁になってる時って、
応援している学校の特に女子生徒さんとかいたら泣いてたりするじゃないですか。
あれがまさにゲームに深刻になるという図ですよね。
なんかそこに何か、あらゆるものがかかってるような気がするわけですよ。
でもあれこそゲームじゃないですか。あれで逆転されようと何されようとなんということはないわけですよ。
特に応援している女子生徒さんにとって実はそれが生死を分ける一大事であるはずがないですよね。
でも泣いてるわけですよ。そこに真剣になっているということは間違いないわけですよね。
これが両立するんですよ。何の意味もないんだけど生き死によりも大事であるということが人間ってのは両立するんですよね。
その辺のことがフロイトが転移性恋愛といったやつなんですよ。
患者と精神分析家が恋愛に陥るんですよ。しかもそれは同性であるとかは関係ないんですよね。
同性であろうと異性であろうと同性愛者だろうと異性愛者だろうと恋愛に陥ると。
その時の恋愛は本当の恋愛と何も変わらないんですよ。フロイトに言わせれば全ての恋愛は転移性恋愛でしかないんですよ。
そう言われて納得する人は多分いないんですけれども、でもそういうことは起こるんですよね。
その時フロイトならフロイトに恋をして相手が答えてくれないともうフロイトを殺すか自分が死ぬかみたいになるんですよ。
だから精神分析というのは危険だっていう話が出たりするわけですよね。
こういうことってでもおかしいじゃないですか。だってそれが疑似的な恋愛であることは誰の目にも明らかなわけですよね。
でもそういう状態に陥ることを人はやめることができないと。
なんでもそうで、先日お話しした信者ビジネスでもそうでですね、みんな真剣になってしまうんですよね。
この信者ビジネスでそういう人はいないでしょうけど、月100万人を獲得したっていうことになるとその人はもう偉人になるわけですよ。
偉人として扱うようになるし、偉人として扱われなければいけないように思うようになるし、
一方でそういうことをやっている人を叩かなければいけないと思う人にとっては真剣そのものであって、この人を叩かなければ世界がヒットラーに乗っ取られるぐらいな恐怖感がそこに発生するわけですよ。
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僕はそれは全部ですね、疑似的な価値観に毒されているという感じがするんですね。
というか、おそらくそういう状態なんですね。
この下毒作用がグッドファイブスだという気がします。
で、毒されているという言い方は強すぎるんだけど非常によくできている気がします。
あのですね、それはラインポイントを貯めていく感じとものすごくよく似てると思うんです。
あそこで言われている承認欲求を満たすための人に信頼されるだとかいうのってポイント性とすごく似て見えるんですね。
ラインポイントとはいえ2ポイントとかじゃ全然ダメですから、200万ポイントとかになってくるとすごい感じがするじゃないですか。
200万ポイントを貯めたのがライン側のバグでみたいな、これ全部架空の話ですからね。
なんでもいいんですよ。SNSのそういうののやつでなんとかポイントがバグで200万ポイントがゼロになりました。激怒するじゃないですか人は。
でも考えてみるとそれってポイントがただなくなっただけで、何ら激怒するには値しない話だと思うんですよね。
でも多分ものすごく腹が立つと思うんです。
最近うちにスイッチが買って、集まれ動物の森に熱心に娘と妻とやってるんですけど、だんだんベルとマイルって言うんですけどね、このマイルをどう使うかみたいなのって喧嘩になったりしますから。
これが甲子園で泣いている女子生徒さんの図と同じ感覚であり、私が思うに映画が何万本見られてるとか、その映画本当に良いんだ悪いんだみたいな話とか、その人たちを叩かないといけないんだっていう話と全部同じだと思うんですね。
元はマイルを貯める話から始まってると思うんです。だってそもそもお金ってそういうものですもん。
お金って海外旅行、海外活動だな。3、4年アメリカ行ったりイギリス行ったりドイツ行ったりハンガリー行ったり日本に時々帰ってきたりしていると、通貨の価値っていうのは私たちが今感じているような価値観と全く違うものに感じられてきます。
あれはポイントに過ぎないんですよ。私アメリカでずっとドルで生活してた時、円って無意味なものに感じられ始めてた時があります。
で、ドルってどこ行っても通じるんですよ。ものすごくいいんですね、あれね。円は決してそうはならないけど、ドルはやっぱどこ行っても通じるんですよ。通貨価値下がっちゃいますけどね。
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でもヨーロッパ行くとダメなんですよ。イギリスとか行くとドルじゃ何にも買えないんですよ。ドルの価値って全然感じられなくなって、ポンド持ってなきゃ何にもできないなっていうイギリスなんかは特に、私が行った時は。
で、そういうことをやってるとですね、いろんなお金をまぜこぜに持つじゃないですか。財布の中とかカバンの中とか。本当ポイントでしかないっていう感じがしてきます。
で、問題なのはそれをどういうふうにあがめ立てまつるかなと思うんですね。
価値ってのはそういう人間にとってはそういうところがあって、あがめ立てまつってるものは価値があるように自分で感じるようになってくるんですよね。
なんとかのフォロワーさんとか、それはなんか私から見ると信頼とか評判とかと、まあ評判なんですね。信頼といったものとは何の関係もないと思うんですが、評判とか評価とかそういったものなんですよ。
で、それはまあ言ってみれば全く100%どうでもいいとまでは言えないですけれども、言ってみれば擬似的な価値ですよね。
だから基本的にはマイルだと思います。
これに固執したい人がいっぱいいるのはもう誰もが知っての通りですよね。
私たまたま去年PTAなんとか会みたいなの出てたんで、あれだったんですけど、その中でですね、あるお母さんがですね、ずっと一緒に働いてたんですけど、
唐突に会の最後になって、唐突にですね、自分の過去の学歴について幕立て始めたんですよ。
みんなびっくりしまして、私も当然びっくりしたんですけど、経歴高いんですよ。なんかこうフェリスだったり慶応だったりって言葉がバンバン出てくるんですね。
全然関係ないですけどみたいな前振りがありながら、とうとうと幕立てて、こういうもんなんですよね。
擬似的な価値というものがその人を捉えるということは、多分なんですけど、あくまでもこれはわからないことですけど、多分その方にしてみれば、これ現実にあったことですから。
この人に目の前で見たんで、こういうお話ですって話ではないんですよ。現実に目の前でそれが行われたんですけど、
つまり、その人は自分が本来こう扱われるべき価値があるのに、そう扱われてないっていう
不快感が猛烈だったと思うんですよ。なぜならば、そういう学校出たからですよね。
そういう学校出たってことは万人が高く評価するべきことなんですよ。その方からしてみれば。だけど知らないじゃないですか。
それは言われないと知らないんで、そういうからくりになってますよね、ある意味。私の例えばアメリカの大学での卒業の単位、取った単位数とか、
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私にとっては大事ですけど、これを誰も知らないじゃないですか。知る必要がないからね。これが擬似的な価値の、私はからくりだと思うんですよ。
褒めたたえるという、それを褒めたたえることが、なんていうのかな、それを褒めたたえるという約束事ですよね。
が、成り立つ世界では価値があります。 だからそれを褒めたたえられるという
快感と、それによって得られる、その世界で通用する特権と、お金とよく似てると思うんですけど、
が、あるフィールドの中では意味を持つんですよ。黙ってても。けれどもそれがあるフィールドじゃないところに行くと、それは擬似的な価値なので
ないんですよ。だからそこで不意調してもらわなきゃならない。そして不意調してもらっても、ああすごいんですねってとりあえずみんなが言っておくけど、内心は少しもすごいと思ってないっていうことが起こるわけですよ。
実際には、慶応台出たっていうのはすごいって本当に思う人もいると思うんですけど、あの感じでいくとですね、その場にいた私も含めてそうですが、彼女が最高学歴だったのは間違いないんですけども、
でもすごいと思ったのはたぶん1割いたかいないかなんですよね。残念ながら。だってそれはどうでもいいことなんですよ。
これがどうでもよくないと思えるのは、それが通じる場においての話なんですよね。
だから通貨と本当によく似てると思うんですよ。
えーと、何の話でもいいんですけれども、この擬似的な価値から解放されるということはですね、
えー、何て言えばいいんだろう。
畑目にはですね、つまり擬似的な価値そのものに価値を認めたいという感覚が人間には発生して、それがですね、畑目に大変不思議な現象を引き起こすんだなっていうのがあります。
つまり、各々の信じている擬似的な価値というのは、その都度その都度その人が関わっているフィールドにおける価値なんですね。
だけど、これこそが価値だという感じになってくると、擬似的な価値が何でもいいから擬似的な価値が認められないということが耐えられないっていうか、耐え難いっていう抵抗感が出てくる。
私はこれがGood Vibesにおけるいろんな抵抗感の中でも、かなり大きいものなんじゃないかなと思います。
何でもいいんですよ、本当に。ブログのPVでも、YouTubeの視聴者数でも、何でもいいんですけど、全部そういうものですよね。
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そういう、どういうものでもいいからそういうものが欲しいっていう不思議な感じがあるじゃないですか。本当はそうじゃないはずじゃないですか。
例えば、あつ森だったらマイルが大事なんですよ。どういうものでもいいからそういうものが欲しいっていうのは大変おかしなことなんですけれども、
つまりそれが普遍性を持つっていう誤解なんですけど、僕はこれが毒が回ったマックスかなって思います。
これは限定された領域だっていうことをみんな知ってるわけじゃないですか。知らないはずがないんですよ。
だって野球に興味がない人って、野球のどんな記録を見ても心動かないじゃないですか。
ところが、その野球の世界で言えば野球の世界の記録、サッカーの世界で言えばサッカーの世界の記録、
ブログで言えばブログのPV、お金で言えばお金持ちみたいな、そういうですね、どういうフィールドであってもその世界での価値をしこたま集められた人は本当の意味で偉いんだって考え方があるんですよ、世の中には。
だから野球に興味はないけども一郎は偉大だと思うみたいなそういう話になっていくんです。
ある程度そういうことは言えるのかもしれないんですけども、きっと私はですね、世の中の人はそんなことはさすがに信じている気がしないんですよ。
なぜならば、それを持ち上げてくれる人がいて初めてですね、一郎とかだからみんなすごいと思うわけじゃないですか。
私は超本陰謀って人は、異語の世界の人ですけど実にすごいと思うんですけど、多分ほとんどの人には全く名前も知らないと思うんですね。
で、そういうもんだと思うんですよ、やっぱり。
例えば西岡剛という選手がいるんですよ、元千葉ロッテにですね。
あの人は200本打ってるんで、100本打ってるっていうことはもう万人が知っててもいいレベルなんですよ。
1シーズン200本ヒットを打つってのは、超人的なんですよ。
でも多分これを聞いている人の中でも1割いるかいないかなんじゃないかと思うんですよ。
今彼が栃木BCリーグってところで野球やってるなんて話を知ってるのは、よっぽどロッテが好きな人間。
あの、頭が少しいっちゃってるぐらい野球に興味がある僕みたいな人間しかいないと思うんですよね。
で、この話を聞くとですね、栃木BCリーグにいるって話を聞くと、多分西岡はすごい落ちぶれたって思うのが普通なんですよね。
ところが僕が知ってる限り彼は今一番幸せそうなんですよ。
この辺が大変グッドバイブス的であって、えーと、世俗的じゃないことなんですよね。
ここを残念だって感じちゃうんですよ。
ここを残念だって感じちゃうということは、えー、あつ森がバグがあってマイルが失われました。
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すっごく残念です。死んだ方がマシです。っていうのと似てると思うんですよね。
あの、ここは、えー、どうしてもその、いきなりこれを納得して受け入れるってことはないと僕は思います。
ないと思うんですけれども、私から、私がこういうものから解放されてみるとですね、
あの、これにこだわることは一つ目に、えーと、はなはな無茶だっていうのがあります。
えーと、西岡選手もそうだったんですけど、えーと、これにこだわらなきゃああいうことはやってられないんですよ。
ただこれにこだわる生き方って本当にすっごく無理があります。
なぜならばこれは、えー、本当に、あのー、擬似的なので、えーと、それによって何かを本当の意味ではきっと獲得できないんですよ。
さっきの撒くしたてた、えー、慶応台を出られた、慶応台だったと思うんだ。もうこのレベルですからね。
目の前で聞いてショックを受けたのに忘れてますからね。その人の顔も思い出せません。
その人にとってはもっともっともっともっと僕が尊敬しなきゃいけないんですよ。これに無理があるんです。
そういう、えーと、そういう努力を要するんですよ。ある種のことは。その価値を手に入れる人にとっては。
そして、そういうものが約束されているように思うんですよ。
万人が、えーと、褒めたたえてくれて、天にも昇る気持ちが永続する感じにならなきゃいけないんですよ。
ところがなんないんですよ、絶対に。多分200本アンダー打ってもなんないんですよね。
だって200本アンダー打って、そう天にも昇る気持ちになって一生が保証されるほどであれば、今あれ多分栃木BCリーグで野球やってないんですよ、絶対に。
給料出ませんもん、あそこじゃ。それに誰も注目してくれないですからね。
まあ誰もってことはないんですけど、地元の商店街のおじさんの野球の好きな人とか、注目してくれるんですけど。
つまり、そういう約束された土地みたいなところに行き着けることは、私の思うに絶対ないんですよ。
なぜならば、実はそれはなんて言うんですかね、やっぱりから国だからだと思うんですよね。
褒めたたえることになってるんで褒めたたえるという、そのことの本当の価値というものは分からないんですよね、他人には。
分からないですもん。私、野球で200本アンダー打つことの本当の大変さとか価値は分かってないような気がします。
でも、野球知らない人に比べれば僕の方がずっと分かってるじゃないですか。
大体の人は僕ほどじゃないんですよ、こういうものにのめり込んで見てないと思うんですよね。
ということは、ほとんどの人は、拍手をしてくれる人のほとんどの人は、実はどうでもいいと思って拍手してるわけじゃないですか。
ここが大事だと思うんですよね。本人ののめり込み度は、そのレベルでは達成できないことを達成しなきゃならないのに、
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周りの人にその価値が分かるかって言ったら、分かんないんですよ。
多分もう、とってもとっても大変なことなんだけど、そしてだから本当に本当に素晴らしいことが起きるんですよってことになってるんですけど、
それほどのことは起きないと思うんですよね。
だからこれから解放されると非常に楽になるわけですよ。これはつまり花人なわけですよ。
絶対食べられないニンジンにずっと振り回されてるような感じになっちゃうんで、だから大変なんですよ。
それでも特定のフィールドにすごく意識を限定して、その中でそれを手に入れるという流れにしておけばまだしもだと思うんですよね。
現に手に入れられる人っていますし、疑似的にとはいえそこで賞賛してくれる人はいるわけじゃないですか。
内心では多分、一歩間違うと死ねとか思われてる可能性もありますが、それでも賞賛はしてくれるじゃないですか。
そういう価値なんですよ。手に入れられなくはないと思うんですね。
また名前が出てこないんですけどね、北朝鮮で君一党みたいなのがあるわけですよ。
名前忘れましたけど、労働者向けのですね。全国民が拍手してくれることになってるわけじゃないですか。
撮る人はいつも同じ人だったりもしますけどね。でもあれを撮った人は間違いなく偉人でしょ。
アクセス数とか賞賛している人の数とか、そこで生きていくのに有利さといったら、日本で100万部の本出すのも非じゃないじゃないですか。
でも僕らはその人の名前とかを一切興味持ってないじゃないですか。
北朝鮮ウォッチャーとかなら別だと思うんですけど、まあ知ってる人いないですよね。
キムなんとかさんいたんだけど、キムなんとかさんばっかりですからね。とにかく興味持ってないじゃないですか。
一歩外にあの国から出てしまうとその価値って全くないですよね。でも僕はこれみんな同じだと思うんですよ。
みんなこういうもんだと思うんです。これの評判が落ちるとか落ちぶれるとか誤解されるとかナンセンスだとしか思えない。
だってもともとみんなそういうもんだと思っているわけじゃないですか。もし多くの人が賞賛するっていうことに価値が本当にあるならば、
そしてそれをある社会で認めている、それがマイルであろうとベルであろうと何とかポイントであろうと価値が本当にあると思っているなら、
その北朝鮮での労働君一等賞を取った人の名前とかもテストに出たりして私たちも褒めたたえるべきでしょう。
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あるからくりでトップを取っている人に価値があるというならば、サッカーで言えばキングカズさんですか。
どんなフィールドでもいいんですけれども、何とかでノーベル賞を取った人とか価値があると本当に言うならば、それが北朝鮮であってはいけないということにはならないと思うんですよ。
でも興味ないですよね、ほとんどの人は現実的には。それどころか多分ソ連の一番価値がある賞を取った人とかにも何の興味も持ってないと思うんですよ。
そういうのってテストにすら出ません。ソ連でノーベル賞を取った人の名前とか知ってる人ほとんどいないですよね。
ガガーリンさんとかギリギリ知ってるかどうかのレベルですよね。ゴロバチョフとか。こういうものであるにもかかわらず、
この価値は万人が認めるべきだって急になるのってやっぱ無理があると思うんですよね。
その人気投票みたいなもので言って、例えば日本に限定したとしてもですね、やっぱり皆さんそのカラクリの中のものしか興味持たないはずなんですよ。
例えば日本全国、日本人であれば一応耳には必ずするであろう人気投票として、
内閣の支持率ってあるじゃないですか。あれだって大抵の人はですね、真剣に興味を持っているとは思えないんですよね。
誤解があるとか本当に称賛されるべきだとかって、意見はいろいろ大体2つに分かれるんですけれども、例えば今、
オリンピックで会長をやられている森さんの首相だった時代の内閣支持率って悲惨なほど落ちたんですけど、
一体何パーセントまで落ちたか覚えている人って少ないと思うんですよね。9%なんですけれども、
たぶんすごいそういうことに興味を持っている人ですら即忘れていく数字だと思うんですよ。
9%でも総理やってられるんですけれどもね。この9%なのか、それとも細川内閣が自民党から政権奪還した時の71%なのかってすごい数字的に違うじゃないですか。
ものすごく価値があったり低くなったりするように思っているし、現に9%だった時は日本中結構大騒ぎになってたんですよ。
このままでは絶対持たないとかいろんなことが言われてたんだけど、みんなもうそっくり、まっちり忘れてるじゃないですか。
実はどうでもいいと思ってると僕は思うんですよ。 どうでもいいんですよ、この数字。そんなに大事だったらもうちょっと皆さん覚えていてもいいと思うんですよね。
でも多分即忘れる。多分1年経ったらほとんどの人が完璧に忘れる。そのレベルのものなのにそれがそんなに大事だっていうことに一時的にもなるとすれば、それはやっぱり毒が回ってる感じが僕なんかはするんですよね。
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だからましてや私のこの
これの評判だとか、ノートのアクセス数だとか、それってのはもう本当に娘とか妻のマイルダーのベルダーで喧嘩できるレベルの
要するに本当にそれに価値は全くないのだけれども、価値があるともう猛毒のようになってしまっているものに頭に注入されてですね。
つまりそれは二日酔いだと思うんですよね。
で、二日酔いは冷めるわけですよ。どんなことであろうともですね。
だってあれはまるで人が分解されるまでの話ですから。
で、多分それに相当する心の中の脳内のでしょうね。
物質が一定のところに収まれば
いつか厚盛りというゲームをやったということも半ば忘れ去るようにですね、それの価値というのが消えていくんですよね。
これをある種の考え方を持って、
クラゾンさんの言う言葉を借りるならば人工物と人が作ったものと人が作ってないもので分けてみるとか、そういうことでもってですね。
あれですよ。ユンケル高低気味で飲んだみたいに消えていくっていう体験をしていただければ
楽になる、という話なんですよね。
これが残念だと、ベルを失ってしまったら自殺するぐらいの気持ちを抱えている方が良い。
なぜ良いかというと、それを貯めることに価値があるように思えるからなんですけど。
っていう責め合いがここにはあるんだと思うんですね。
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