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2022-10-31 40:49

【697-2GMV】先送りしないためには「ミワク」に乗らない

現実より価値があるものも、現実より価値がないものも、現実ではない

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おはようございます、グッドモーニングボイスです。
今ですね、10月30日日曜日の19時42分で、日本シリーズのただの第7戦ですね。
そこをちょっと振り切って、上で収録中なんですけれども、
めちゃくちゃ気になるけれども、多分これは夜の9時45分ぐらいにピークが来るんじゃないかと思って、
とりあえずまだ8時前なので、ここは見なくてもよかろうというような判断じゃないですけどね。
これは勝手な憶測でしかないんですけど、そんなような感じで今収録に臨んでいるところです。
で、直近11月3日でついにですね、100日チャレンジの第1期、卒業時期ということでですね、
ここで喋ってどのくらい意味があるのかわかんないですけど、
ぜひ100チャレンジにご参加いただいている方はこの卒業式、無料ですからね、ご参加いただけると。
最後に僕ちょっともう1回ぐらいは、今日喋るようなことなんだと思うんだけど、喋ろうと思っておりまして、
基本的に私ですね、ここ最近ついにというのか予約というのかね、
自分の中ではだいたいこういう感覚だっていうのを掴めてたんだけど、
ようやくこれが伝わるかどうかは別として、人に向かって先送りしないメンタル技法みたいなものをとりあえずお伝えできるようになったと思うんですね。
納得されるかどうかはまた別ですよ。
だけども多分これに嘘はなかろうというところまでようやく来れたんで、この話をせっかく卒業式なのでですね、
第2期、第3期も12月早々にももう始めちゃう予定なので、そこでまた話しますけれどもね、
とりあえず卒業式の時にこれを聞いていただくと多分納得がいかないはずで、
なんかご質問出るんじゃないかと期待しているんですよ。
聞かれないとわからないんですよね。
その何を答えるべきなのかというのか。
ということで11月3日文化の日ね、4時から100日チャレンジ卒業式。
もうこれね、そろそろ98日目ということで、100日ちゃんと全部投稿していただいた方も結構いらっしゃいましたからね。
非常に私はそんな方はもう本当数えるほどしかいないんじゃないかぐらいに思ってたんですけど、
結局最後の最後までお付き合いいただきまして大変感銘を受けました。ありがとうございます。
それでですね、今日お話ししたいのはつまりそのことなんですが、
書き上げ塾のCMも先日〇〇1番組使ってお話ししましたけど、それにもすごく絡む話ではありまして、
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ただ今回の話は100書くことだけではなくて、タスクですよね。
主にタスクといってもトイレとか食事とかは先送り続けることは不可能ですからね、必ずやります。
これが実はすごく関係があるんですけれども、
例えばタスクにですね、誰それに連絡するとかっていうのを先送ってるとするじゃないですか、
それってつらいからとか面倒だからって人は言うんだけど、それは真実じゃないと僕は思うんですよ。
人に連絡するっていうのはやっぱり、よほどそれに対するハードルとか衝撃みたいなものを感じてない限り、
そんなに大変だから先送るものではないと思うんですね。
連絡したくてしたくてたまらない人っているじゃないですか。
例えば恋人とかね、でもなかなかできないってことあるじゃないですか。
それはする気持ちが足りないとかではないですよね。
するのが怖いからじゃないですか。
僕は実はですね、いろんな理由があって、
繰り返し先送っている対象は怖いから以外の理由は本当はないんだろうなと思うんですよ。
ただ怖いと言っても先送る対象それ自体が今みたいに恋人への連絡が怖いっていうのと、
例えばですけれども、部屋の片付けが怖いっていうのは話が全く違うとは思うんですね。
怖さ自体が問題なケースもあるし、怖さじゃないものが問題になっちゃうケースもあるんだけど、
どっちにしても怖いっていうことが深くから食い込んできているというか、
その恐怖感があって、その恐怖感があって、
その恐怖感があって、その恐怖感があって、
結論から言っちゃうというか、結論がそもそも奇妙に聞こえると思うんですけど、
手元にですね、フェアバーンという人の人格の精神分析学という、また異様にお堅いですね、これでも文庫なんですよ。
高段者学術文庫で、このですね、2004年に発表された文庫が、
フェアバーンという人の人格の精神分析学という、また異様にお堅いですね、
これでも文庫なんですよ。高段者学術文庫で、このですね、201ページ目に大変重要な図が、
なんでこういうのをですね、不意に見失っていたのかが不思議なんですけど、
ここにですね、あるんですよ。僕がずっとお伝えしたかった内容が図示されているという、
多分そういうふうには誰も考えてくださらないでほしい、精神分析の専門家の人が聞いても、
はぁーって感じだと思うんですけど、僕の中ではこれでいいんですよ。
僕にとってですね、精神分析というのはこういうふうに使うためのものなんですね。
体系だった理解はしたいと思っているんだけど、僕はやっぱりこう、精神分析受けたこともないし、
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多分精神分析家になれるということもないので、結局こう断片的に扱うことになるんですよね。
こういうのはダメなのかもしれないんだけど、もういいことにしちゃってるんですよ。
僕の中で勝手にですね。ここがですね、アレなんですよ。
オーソリティというものでない、つまり何者でもないものは持つメリットだと思うんですよね。
先日ね、戸畑海斗さんの、彼は私塾ってよくおっしゃってるんですけどね。
よくは言ってないから時々言ってるんですけど、そのオンラインの授業を受けてるんですよ。
お金払ってるんですよ。で、これ、彼は大学を辞めたからこういうことが言えるんだって言ってたんですけど、そういうことなんですよね。
あるポジションにいて、そこでサラリーもらってる限り、それは何か仮にその発言をしてもポジショントークになっちゃうことってあるんですよ。
あるいはポジショントークだというつもりは本人なくても、人がそういうふうにみなしてしまうというのを避けようがないポジションってあるんだと。
そういうのを辞めて、そこからサラリーもらってなければ、もうへっちゃらなんですよ。
そういうのに近いことかなというふうに思ってますね。
で、この図の中のど真ん中にセントラル英語。
僕、この言葉がダメだというか、この言葉が無理があるって思うんですよ。
中心自我って書いてあるんですけど、中心自我は何を意挙して中心自我なんだよって思うんですよね。
自我に中心があるのかどうかすら怪しいものなのに、さらにその自我の中心はこれですって言っちゃうっていうその根拠は何なんだろうっていうのはあるんだけど、
でもこの図の中心自我っていうのはやっぱり非常に重要で、この中心自我はですね、最近よく僕が話題にしてるんですけど、
良い対象と悪い対象っていうか、好きな対象と嫌いな対象というものに切り裂かれるというか引き裂かれるという感じがあるんですよね。
で、その好きな対象っていうのは何でもいいんですけど、例えば甘いものとか、ひどいケースになってくるとギャンブルとかになってくるんだけど、とにかく魅了されちゃうんですよね、その対象に。
これが悪いんですよ。つまりこの魅了される結果として必ず現実のですね、センターから外れて、このセンターってなんでそれがセンターなの?モラルなの?って言われると困っちゃうんだけど、
つまりですね、ここで北山オサムさんという人がマッチューリの処女を出してくるんだけど、つまりこの魅了的な対象の魅了というものはイリュージョンだからなんですよ。
センターじゃないところにあるものはイリュージョンだからセンターじゃないんですよ。このセンター、セントラルなエゴっていうのは現実に唯一存在できる私みたいなイメージで、これはですね、面白くもなんともないんですね。
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面白くもなんともないっていうのも非常に語弊があるんですけど、ババ・レイコさんが、自我心理学で私が教科書というふうに言ってるんですけど、自我心理学の教科書みたいな本を書いているババ・レイコさんが言う言い方を使うとですね、じんわりとした幸せみたいな言い方になっちゃうんですよね。
これが大切なんですよ。北山さんはわりとはっきり書かれてるんですけど、このセントラルエゴっていうのは対象じゃなくて、現実に存在している私なんですね。
それってつまり、よく字が丸っていうふうに何でも書いちゃうんですよね。図で二次元の世界で図でグラフィックっぽく書くとそうなるんですよね。丸って書いて私とかね。
私って別に丸くないし、境界線もないんですよ。ふわっとしてるわけですよね。このふわっとしている私っていうものがセントラルエゴだと思うんですよ。
フェアバーンが考えるところ。フェアバーンの良い対象、悪い対象はこの番組でもおなじみの良いおっぱい、悪いおっぱいみたいなそういうやつなんだけど、要するに同一のものを分割って言うんですけどね、これが分裂じゃなくて分割なんですよね。
二つに分けるんですよね。分けるとずわっと切れて、同じものを二つに分けるって本来無理なんで、同じものを二つに分けられないんですよね。これあくまでも概念的な話なんで、同じものを二つに分けて、例えばですよ。
例えば良いスイーツ、悪いスイーツっていうのは、スイーツの良い側面と悪い側面について言ってるんだけれども、これが思考が分化しやすい時っていうんですかね。
これは多分僕の思うに、間違ってるかもしれませんが、精神分析で言う精神病部分とか精神病的な状態ってきっとこういう状態なんだろうなっていう風に思っているんです。
そういうのはギャンブルに狂うとかって言うじゃないですか。でもその時その人にとってのギャンブルって良いものなんですよ。ギャンブルの良い部分っていうものがギャンブルの全ての部分を代表してしまっていて、だから抑えが効かないんですよね。
その部分についてフェアバーンは無意識の領域でやっぱりそこは動いてるからそういうことが起こるんだというのをやっぱり図の中で書いてくれてるんですね。この図があるというのはとても助かるんですよ。図はまあ嘘なんだけど、図があれば少なくともフェアバーンがどう考えてたのかは頭の中身の一部にせよはっきり分かるわけじゃないですか。
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精神分析っていうのはこの辺がややこしくて同じ言葉を人が違う意味で使っちゃうから結局どういうつもりでこの人これを書いたんだろうっていうのは分かりにくくってそれですごく困るんだけどそんなのは臨床しないで本当は分かんないんですって平気で書いてあるからもう分かんないものを読まされてるんだけど分かりっこないんですよみたいなそういうちょっとずるい感じがするわけですよ、こっちからしてみれば。
でもこっちは訳あって分かりたいわけですからね。分かることは目的じゃないんだけど分からないと困ることがあるから分かろうとしてるわけです。
例えば今この番組でなぜこの図が私にとって重要かというとこれで私は先送り問題というのが必ず、まあこういうことも僕くさかんに言うからね、どうせまた来年違うこと言ってそうですけど、それでもこれで先送りっていうのはしなくなるなと思っているんですよ。
これはリスケしないって話ではないですからね。やろうと思ったことに向かった瞬間に嫌になってできないとかそういう話ですよ。
私の知っている中でこの問題に一番食い下がってくださるのがえふたさんなんですね。とはいえめんどくさいとかですね、とはいえやるのが怖いんですとかそういう話をギリギリのところまで突き詰められるんですよね。
これはよっぽどやっぱりご本人の中に問題意識がここにあるんだなと聞いてるとやっぱり思わされますよね。なんとなくできちゃうみたいなことがなかなか起きないからこういう話をされるんだと思うんですよ。
で、そのセントラルエゴにいればですね、私の考えではいればその程度のことを大変すぎて先送りするはずがないと思うんですよね。
なんかね、ここに何かを持ち込む必要はないと思うんですよ。セントラルエゴっていうのはそのババ・レイコさん流に言うじんわりとした自己の感じとかふんわりとした自分の感じってもので、これでやれるんですよね。
ことさら、だから僕はよく思うんですよ。別に構わないと思うんだけど、ことさらワクワク感とかやる気に満ちているとか、やる人の喜ぶ姿が見たくてとかって思わなくても、このセンターにいる限りは実行できると思うし、
このセンターにいる限り人をあんまり待たせたくないとか、約束を守りたいと思うのはごく自然の流れでできると思うんですよね。娘がですね、5歳とか4歳の頃はちょっとお皿持ってきてくれるって言うとすっとんでいってくれるんですよ。
あの感じなんですよね。あれはすごくやる気に満ちているように見えるかもしれないんですけどね。私の感じではセンターにエゴがあるときってのの人はあんなにすっとんではいかないけど大人になると、ああいうふうにごく当然のようにできるはずのことがですね、もしできなくなるとすれば、やっぱりそこにはハードルの変な高さがあって、
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そのハードルの変な高さって作り出されているものだというふうに思うわけですね。で、この僕の考えですよこれも。間違ってるかもこれもわかんないですけど、このセンターにいられるというのがグッドバイブス流に言う心の平安なんですよ。
そして大事なのはこの状態は黙ってて永続するようなものではないんですよ。これはいつでもしょっちゅう踏み外すんですね。
この点においてグッドバイブスっていう話と精神分析の特にイギリスの方の対照関係論で言っている精神病部分と非精神病部分っていうのが人にはあるんだよっていうような考え方とか、妄想分裂ポジションと欲打つポジションって、欲打つポジションっていうのが結局正常なポジションなんだけどがあるんだよっていう考え方とか近いと思うんですよね。
いつも僕らはこの2ポジションがあって行ったり来たりをしないわけにはいかない。行ったり来たりが例えばクラドンさんのような人だと少なくて済むかもしれないけどなくなりはしないっていう話なんです。
どっちかのポジションに永遠にいられるようなメソッドとかではないと思うんですよ。
あるいはメソッドでそもそもどっちかのポジションに永久にいられるってわけにはいかないと、もし仏教で中庸っていうじゃないですか、セントラルっていう言葉と中庸っていうのは近いなと思うし、多分ですね、永遠に中庸にいられるって言うんだったらその人は悟ってるんだろうなって感じがします。
北山治虫さんはやっぱり面白いことを言っていて、ウサギとカメの話を持ち出すんですよね。
ウサギとカメのあの話は結局ウサギが圧倒的に強いんだけど最後はカメが勝つじゃないですか。
あのカメにでも自分がずっとセンターとしているっていう状態がいいんだけれども、ウサギが本当の意味で負けてしまうというのは現代社会ではありえないんだっていうことを書くんですよ。
つまり永遠に競争してなきゃいけないわけですよ。
呪いだけど、グズのように言われるんだけど、実は賢明なカメが最後は勝つんだと思ってカメであり続ける、勇気をくれる物語みたいにして読みましょうねみたいな感じで書いていて、そういう話なんですよね、これはね。
ウサギポジションに行かなきゃならないことってあってピョンピョン跳ねるんですよ、そういう時は。
でもカメポジションに戻れるというのが大事で、なぜかというとウサギポジションっていうのは要するにイリュージョンだから。
このイリュージョンに永久にいようねっていう発想が世の中にはあるんだけれども、そのポジションはイリュージョンなんで永遠にはいられないんですよね。
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いられるっていう話もあるんだけど、それは多分本当じゃないんだと思うんですよ。
だから寝ちゃうんですよね、あれはお話ですけど。
で、さっきから散々言っているセンターにいたいんだけれども、このセンターにいる私を絶えず誘惑してくるのが魅惑的な、この場合誘惑するっていう風に書いてるからフェアバーンはまさにそういう感じなんですけど、
つまり良い対象とかいうやつは良くないわけですね。
人を引っ掛けるんですよ、良い雰囲気で。
良い感じでいたいとかって言うじゃないですか。
私あれ昔からダメだなと思ってたんですね。
良い感じの私でいられればいいって言うんだけど、良い感じでいられればいいって話をタスク管理に持ち込むと何が起こるかというと、良い感じでないときは仕事しなくなるんですよね。
私あれは絶対おかしいと思うんですよ。
大体私の腰痛って慢性的なところがあるし、目がシュパシュパするとかもほぼ慢性的な反応がするんですよ。
しかも私はアトピー持ちでしたから、肌どっかしょっちゅうほぼ絶え間なく痒いわけですよね。
良い感じを待ってたら仕事永遠にしないんですよ、私のような人間は。
でもタスクシュートっていうのは非常に大事なことを教えてくれて、でもあんた物食べるよねっていうことなんですよ。
腰が痛くて目がシュパシュパして肌痒くても物は喜んで食べるよねと。
同じようにタスクはできないのかねっていう感じがね、タスクシュートにはあるんですよね。
だから僕はことさらにこのタスクは赤とかこのタスクは青とかも好かないんですよ。
一応今タスクシュートクラウドはモードっていうので色変えられるところまであるんで、
趣味で色変えたりはするんだけれども、原則同一色でやるべきだってずっと思ってるんですね。
それは全てのタスクの色が同じに見えるからではなくて、
全てのタスクに対して一番セントラル英語で向かっていくのが理想的な感じが僕はやっぱりするんですね。
ここで理想とか言っちゃってますけどね。
つい先をくる時に私たちがやることって多分いい何かをイメージしてそっちに走ってしまうんだと思うんですね。
今日ははっきり言ってしまうんだけど、私はこういう時決まってファンザなイメージになっちゃうんですよ。
これがよく感じちゃうんですよね。
問題なのはですね、それが悪いってことじゃないんですよ。
なぜそこに行っちゃいけないのがモラルなのって言われると困るんだけれども、そうではなくて、
このEはクセモノだってことなんですよ。
このEに、僕の場合平均で時間を測ってるんで、これまで27,8分なんだけど、27,8分そっちに行くじゃないですか。
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だいたいこれを脱線と言ってもいいか、センターだから脱線したと言ってしまいますけれども、
そうやって最初に行く時はこれを悪いとは思ってないんですよ、それほど。
むしろいいんですよ。
お酒やめられない日とか、でもこれ今日だけだからって言って飲む時とか、
どうしても甘いものが食べたのを抑えられないとか言う時に、よく見えるじゃないですか、絶対に。
抑えられないぐらいなわけですからね。
あるいはギャンブルでもいいですよ。
お金がワーッと入ってきたEイメージって悪くないじゃないですか、絶対に。
で、27,8分脱線した後にすっかりその対象は何かですね、恐ろしく悪くなってるんですよね。
色褪せるというのかな。
自分は今まで、やっぱりですね、多くの昔話が書いてた通り、
起きてみたら周りには枯れ葉だったみたいな、あの感じがすごいするんですよね。
その間、時間の無駄をしたと言うんではなくて、
その間僕は現実の中にいたはずなのに、現実じゃないところにいたって感じがするんですよね。
フェアワンはすごくこの辺のところがはっきり描写されていて、
セントラルエゴっていうのは唯一、この名前は私はいいと思わないんだけど、
セントラルエゴっていうのは唯一現実に関わってるんですよ。
で、この良いだ悪いだをやりだした時に僕らは間違いなく幻想の世界にいるんですよね。
浦島太郎なんですよ。竜宮城に入っちゃうわけですよね。
だから3日が3年だったりするわけじゃないですか。あるいは3日が30年だったりするわけですよ。
もう一旦夢の世界に入っちゃったら、あなたはもう夢から覚めちゃダメなのよっていう、
あれは感じがしますよね。タワデバコは。
夢から覚めると自分が現実にどういうことになってるのかというのに直面しなければならなくなるから、
でもめちゃくちゃそれはとんでもない話なような気もするわけですよ。
まさにマッチ売りの少女で、もう覚めないんだったら天国行くしかありませんよっていうね。
それはやっぱりこうまずいでしょうと。
で、この天国っていうのもまたよくそういう表現で言われるじゃないですか。
天国に行かせてやるみたいなね。ドラッグと何かの世界ですよね。あれはね。
天国に行っちゃやっぱりまずいわけですよ。
そこでもう価値観みたいなの出てきちゃいますけどね。
アンデルセンはそのことにすごくこだわってたんだと思うんですよ。
貧困で生きるくらいなら天国に行くしかないんじゃないのかみたいな。
そこにはちょっと社会的なレジストみたいな気持ちも非常にありましたけども。
彼の多分、周りは。
でも我々は多分そうじゃないと思うんですよね。
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良いものにふと行きたくなった時、よくよくここでやっぱり、
よくよく自分について考える必要を思うわけです。
つまりセンターであるエゴは現実に直面していて、面白くもなんともないんだと仮にしましょう。
そうすると、それってつまりイリュージョンでいいから夢の中にいたいってことなんですよ。
無駄なことを、無駄な時間を過ごすというよりは、現実の価値はどうなったんだろうってことなんですね。
夢を見ていたいっていうのはつまり現実を無視したいって意味です。
だから現実が価値ゼロになったっていう表明なんですよ。
魅惑的な夢を見ていたいというのは。
その夢はでも永遠に夢見ていたら死んじゃうんで、いずれ必ず現実に帰ってくるんですよ。
その時明らかに夢で自分を目を眩ませているわけだから、
だから良くもないものがよく見えているということは、
その落差の分だけ悪い現実に置き去りに後でされるはずなんですよね。
ここまで踏まえた上でも、なお夢を見たいんだというのであればしょうがないと思うんですよ。
それはもう夢を見るしかないと思いますね。
僕はでも幸いにもなんですよね。
ここまで考えると冷めるんですよ、その瞬間に。
で、現実に戻っていけるんですね。
この対比をしない限り現実が辛くはならないんだって話なんですよ。
この対比をして夢をすっかり味わうから、現実の脱く価値観ってやつなんですけどね。
一段とすさまじくなって、突き落とされるっていうのまではいかないにしても、
狸に一夜をもたなされた後の現実が起こるわけですよ。
寝てるところ上は葉っぱでしたって話ですね。
お団子は虫でしたみたいな、そういう話ですよ。
それでもいいっていうのがある種の依存症なんだと思うんですけどね。
それでもいいっていう状態で夢に入っていくならば、それはそれでいいんだろうと思うんです。
で、なんですよ。
僕は先送りを、このフェアバーンのこの図を見てですね。
まずこういうことだろうと。
アンコンシャスネスのレベルに良い悪いの両方置いてあるということからしてもですね。
良いものに行くとき、僕ら無意識じゃないですよね。
ここをよくよく考えたんですよ。
ここに無意識とか全意識って書いてあるだろうかと思って、この図を探したんですよ。
最初僕フェアバーンだと思ってなくて、これクラインだと思ってたの。
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クラインの方ずっと探してたんですよ。
全然見つからなくて困ってたんだけど、北山さんの本たまたま読んでたらフェアバーンの本に書いてあるっていう風に書いてあったんですよ。
で、フェアバーンの本を読んだはずだなと思ってずっと探していたら、何のことはないページに折り目がついてあって、超従業みたいな顔をしていたんですよ。
そこにレシートまで挟まっててね。
そこでなんですよ。
なんでこういう失格が起こるんだろうっていうのも面白いんだけど、
良いものに行っちゃうのは無意識じゃないんですよね。
良いギャンブルに行くためにパチンコ屋に並ぶとか、良いアルコールに浸るためにお酒買ってくるとか、無意識でやってないじゃないですか。
ポイントは良さをそこに見ている、その良さを見させる力が無意識に働くわけです。
だからここは気をつけないといけないんですよ。
だから私はワクワク感とか言った時に、うーんって思うんですよ。
人事だからね、究極的には。
お客様だとしても、僕自身のことじゃないから、ワクワク感に向かって言って悪いわけじゃないって思うじゃないですか。
悪いわけじゃないんだけど、ワクワク感かって思うんですよ。
ワクワク感に向かうということは、多分何かを先送ることになるんですよ。
何かをやろうとした時ってワクワクしないんですよね、私の実感では。
全くしないんですよ。
これがワクワク感に向かっていって悪いわけじゃないんですよ。
ワクワク感に向かっていって悪いわけじゃないんですよ。
これがクラゾノさんの言う平安とか中央と完全に一致するのかわかんないんだけど、
僕の漢字ではもっと穏やかなんですよね。
これはパパレイコさんがよく書くことなんだけど、
境界連人格構造というものを心に持っている人にとっては、
この穏やかな漢字というものは、
ある意味ではそういう心理状態って確かにあって、
二日酔いの時の何に向かってもいけない時の漢字ってあるじゃないですか。
舌はザラザラするし、水飲んでもすっきりしないしみたいな、
ああいう感覚の人にとっては、
この穏やかな漢字というものは、
で、嫌なタスクに向かおうとした時ってこういう感じになるんだろうなって思うんですよ。
でも、二日酔いならどうにもなんないんだけど、
このニュートラルな漢字というものは、
完全にイリュージョンだと僕は思うんですね。
これは、悪いという意味なら、
悪いという意味ならどんどん気になっていくかっていうんじゃないかということなんだけど、
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そういうふうに考えあって、
かと思うんですねこれは悪い対象の方に今度は悪い悪い対象に対象を見させるというか現実を見させる無意識の力が機能しちゃっているんですよ
ギャンブルに引っ掛けるときはこれが魅惑する つまりものを良い対象化するワクワクさせるそういう無意識の力のせいで
変に僕の場合はファン座とかがね変にキラキラしちゃうんですよ ここに行けばもう一つあるこの魅惑する対象は僕に万能感を与えてくれるんですよね
これ変な話なんですよ多分でも僕あると思う 多分お酒がやめられない人は酒を飲むと自分が万能になったような気に浸れるっていうその予感が
あるからやめられないんだと思うんですよ ギャンブルは僕ちょっとわかんないんですけどね
ギャンブルをすると自分は万能だとか善能だとかいう感じを抱ける何かがあるん じゃないかなというふうに思います
これがですねうっすらとあるときにそれに引っかかるんだけどこの魔力ってつまり 無能感じゃないですか完全な
この無能感につまりこの センターから外れた時はどっちかに行かなきゃなんですね
だから白黒思考になるんです完璧主義だったり 完璧にできるか何もできないかみたいになるのって変じゃないですか
そのどっちでもないことしか我々はできないはずなんだけれども そのどっちかしかできないことになっちゃうんですよ
完璧でなければ無能なんですねえっとこれが 一番軽く出た時に起こるのが多分僕が思うにヒステリーと脅迫なんだと思うんですね
脅迫というのは部屋が綺麗に片付いているかどこかにゴミが落ちている残念な状態 かのどっちかしかないっていう話じゃないですか
だから完璧をどうしても思考してしまうんですよ でもこれはまあかなり緩やかな感じなんですね
これが非常に酷くなると完璧の世界に行って つまりマッチを吸って天国に行くか
そうなければもう雪の中靴もない状態で取り残されるかのどっちかを選べ感になるわけですよ これであれば日時でもいいか夢見るしかないって思うのは当然だとも思うんですよね
でも繰り返しになりますが私たちはそこの状況には置かれてないと思うんで えっと酷いって言っても
せいぜい自分は無能だくらいだと思うんですよ これ辛いのはわかりますこれから仕事しようというのに自分無能だと言うんでは仕事に
圧倒されるこれがハードルの高さを飲んでるんだけど これは間違いなくイリュージョンなんですよ
僕らはセントラルエゴになっている時が最強だから えっとこの話はいつか別のところでもうちょっと詳しくする必要があるんですけどね
で加えて今日は簡易に言いますけれども これフェアバーンの図にない問題としてこれをウィニコットが補ってくれていると僕の頭の中では勝手に補ってるんですよね
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これもまた専門家に怒られるかもしれないけど僕はこういう飛躍をしてもいいんですよ 素人だから
でフェアバーンの言うセントラルエゴを包んでいるのが環境としての母親なんですよ 環境としての母親とセントラルエゴはセットじゃないといけないですね
これで僕らはこのニュートラルな現実にいるのですけれども あえて今日はそう言いますがにもかかわらず万能なんですよ
この感覚のまま入れば万全なんだけど ここに良い対象のイリュージョンに入って自分を完全にしようって考えた瞬間に
転落した後に完全に丸裸で無能な自分がそこに置き去りにされる これは悪い自分のイリュージョンなんですよ
決してこれがニュートラルではないんですね ニュートラルな私というのは支援者がいるんですよ
環境としての母親という 私の本当のお母さんを助けてくれませんでしたというのはこの際無しにしてそういうことではないんですよ
例えば空気があるでしょうって話なんですよ 空気ないと死んじゃうじゃないですか
宇宙で空気あるところってごく限られてますからね 地球の表層だけですからね空気があるでしょうってことなんです
あえて言うならね あと水もありますよね多分日本に暮らしていれば
飲める水があると これらとセットで僕ら最強なんですよ
少なくともその目の前にあるタスクが片付けられないほど弱いってことは絶対ない そういうふうに思える時はすでにイリュージョンどっぷりだってことです
だからいらないんですよその自分を万能にする魅惑の薬の何かとか 映像とかそういうのいらないんですよ
なくても大丈夫だから これから現実に向かおうという時にその現実の価値をゼロにしたりしなければ
悪いイリュージョン使うとこれ簡単にゼロになるんで すごい簡単になるんですよ
そういうイリュージョンにまた浸りながら sns とか見ればすぐわかります このどれほど多くのなんていうんですかね意味付けとイリュージョンを使って
脱価値化が図られているかとそれは現実そのものじゃないかっていう 脱価値化なんですよ現実の価値というものをグッと切り下げておくと
あの木製の表面とかでは僕ら本当に絶対生きられませんからね 現実の価値っていうのは今生きている現実の価値が大変高いと思うんですよね
でその大変高いというのがなんていうんですかねこの大変高い その現実という
セントラルエゴと一緒に環境としての母親に包まれているこの大変価値の高い現実と
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現実を良いと悪いに分けたその 分割したものの見方っていうのは両立しないんですね
どっちかのポジション8行ってしまう だから精神病部分と非精神病部分なんですよ
両立しないじゃないですかこの2つの状態は あの
僕が思うところの返答タイムもですねこの返答タイムモードと返答体が活性化 していないモードっていうのは両立しないんですよ
これが両立するんだったらその人は相当の人です 発狂してるんじゃないかって感じもしなくはないです
だからこのことは後からしかわからないんです 返答タイムモードのど真ん中にいていやもう絶対にドラッグ入れないとダメだとか
絶対にギャンブル行かないと今日は無理だとか えっと絶対にこのあの妻に言いたいことを全部言い切って
えっとバッチリ凹ませてやらないとダメだとか思うんですけどね 思うんだけど8それこそ僕の場合ファン座をここで見ておかないとこの仕事は無理だ
とか思うんだけど 8そういう
時にはもう僕は 非精神病部分に入ったしまってるんでセンターからエゴが
センターからずれてしまったんで その時にはわからないんですよ
だけれども後になるとわかるんです 何であんな風に考えたんだろうって思うほどわかるんですよ
だから8だからレビューが必要ってわけじゃないですよ レビューをするってなそういうことなんだけれども
えっとしなくてもいいんだけどもえっといずれにしてもこれを行ったり来たりはする ってことですそして8
この踏み外した状態で少なくとも仕事はやれないってことですね だからこれが少なくなればなるほど仕事がはかどるのは当たり前なんです
つまりセンターから踏み外さなければ外さないほどセンターから踏み外している時間が 短ければ短いほどいいんですよ
でこのセンターにいられるときは僕ら必ず今ここにいるんですよ 面白いことにですね
8完全にセンターから外れた時というのは完全に現実を無視しているってことなので 8絶対今ここにはいないはずなんですよね
で多くはそのわざわざセンターを外した時に僕らは8 好き好んで外すわけだから好きだって現実にいるのは容易じゃないですか
現実目の前にある現実を見るとか 8目の前で言われていることを聞くとか非常に簡単じゃないですか
何の能力もいらないじゃないですかこれをわざわざやめるということはですね なんかとってもいいことがそこにあるぞと思うしか思ってるから決まっていますよね
これがマッチュリの少女の話ですよ素晴らしい家族といういない家族のところに行きたく なるのは
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よっぽどそれがいいところだからか 無理やりものすごく嫌な夢を見せられているかのいずれかですよ
それが多分いい状態と8なんていうかね 魅惑された状態か悪夢を見させられた状態なんですよね
でこの2つは8この2つこそが同じものなので 8どっちかを見たら必ず両方を見る羽目になって
しばらく現実にはまあ現実に帰ってきたくないからそもそもこれをやったんです もんね
っていう話なんです これがだからフェアバーンの本201ページの図を見ると
これが構造として描かれていると この構造を私は見ることによってですね
いやこれは絶対センターにいなきゃダメだろうと少なくともこのセンターにいない時に 仕事が進むはずがないよねとだって
センターじゃないところ無意識の領域に置かれているわけですからね 無意識に仕事進めてたら変ですよね
無意識に仕事が進められるって言うんだったら8 寝てればその間勝手に仕事を進めるってことになってしまいますからね
私はそれは信じられないので8起きてるしかないなってやっぱ思うんですよ 仕事を進めるんだったらそしてこれはあのこの図を見ればわかるんですけど
決してそんなに辛いはずはないこれが辛い時は繰り返しになっちゃいますけれども 悪夢を見ているせいなんですよねもうすでにその段階で仕事をしていないに等しいんですよ
万が一無理やりその状態で仕事をしていたとしてもですね 多分それは仕事にはなってないんだろうと思いますね
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