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おはようございます、グッドモーニングバイブスです。
現在ですね、クラザノケイゾウさんとブログの何か、なんて言うんですかね、ブログ塾じゃないんですけど、
ブログというようなものを通じて小さく文章をブラッシュアップしていくのスキルを身につけるみたいなのを学作中です。
これは書き上げ塾とかとは違うので、本一冊書くとかそういうものではありませんので、そんなにお値段もですね、決意を要するような金額にはならないと。
普通の2000円のセミナーみたいなわけにはいかないですけど、そういうところになると思うので、よろしければ気に留めておいてください。
ただ、まだカッチリと決まったわけじゃないので、やるかやらないかもまだわからない段階に、いや多分やるぐらいの段階なので、
もしかするとしばらく出てこないかもしれませんが、記憶の奥底の方にでも置いておいていただければ幸いです。
今日どうやってこれをやろうかと。
この長くなるという予測はですね、今私の目の前では1分20秒ぐらいなんですけど、すでに分かっているわけですよね、聞いている方は。
だから非常にこれを言うたびにタイムパラドックスではないけど変な気持ちになります。
その話ドキドキしますが、いろいろあるんですよ、今日はテーマが。
そんなの分けて明日明後日に回せよっていうことになると思うんですけど、
このグッドモーニングバイオウズはですね、翌日になったら気分が全く変わり、そのために寝たとこみたいなのがあるっていう発想もあるんですけど、私それできないんですね。
言いたいことを言うっていうことに言いたいことっていうか、言わなきゃっていうか、とにかくその時になってみないと分からないものを喋らないとこれにならないんで、
前々から用意していたものを喋るのでは何にもならないんですよ。
それでも今日はちょっとあるんですよ、そういうものがたまっちゃったから、今日喋ろうみたいな感じになるわけですね。
これ多分明日に回したら喋んなくなるんじゃないかと思いますんで、今日なるべくやっちゃおうと思います。
これもですね、聞いてない人もいると思うんで、一層ややこしいんですけれども、私と北信也さんでYouTube番組をしたんですね。
これがですね、また非常に私の中ではですね、うまくいったところもあればうまくいかなかったところもありなんですけれども、
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Good Vibes的にはですね、反省しないっていうのがあるんですよ。別に皆さんにお勧めしようってわけじゃないんですけど。
もう一つ私がこの番組でかな、紹介したことが、たぶん4,5弾のでも書いたことがありますね。
反省させると犯罪者になります。あれは大変、私はいい本だと思っておりまして、別に読みましょうって言ってるわけじゃないんですよ。
要するにただ私はあれを読んだから、反省はやめようって思ってるんですよ。
だから、反省しないんで。そうするとね、かえって難しくなるような、というか頑張らなければいけないことっていっぱい出てくるんですよね。
反省しないから頑張るっていうのとちょっとニュアンス違うんですけど、とにかく自分を弱くしないと。
今日はそういう話になるはずなんですが、自分を弱くしないように。
まあ僕はすぐ自分を弱くする癖を今まで持ってましたから、ほんとよくあんなんでね、仕事とか留学とかやれたなと思いますけれどもね。
そうじゃないところがあったんでしょうね、きっと。
で、北深夜さんとやったYouTube番組が意外に評判良くて、大変これは北さんに感謝なんですが、反省じゃなくて感謝なんですが、
どうしてもね、ディスカッションとも違えば、カウンセリングとは絶対違うんですよね。
だけどカウンセリングっぽく聞こえる方もいらっしゃったと思うんですけど、私はカウンセリングはできないんですよ。
ましてですね、お金を取らないカウンセリングってのは僕の中ではありえないものなんです。
それはもう明治矛盾みたいなもので、長くて短くて物腰竿のような鉛筆みたいな勢いで、そんなものは無理だって感じなんです。
お金取らなきゃカウンセリングにならないと私は信じているので、あれは決してカウンセリングじゃないんですよね、お金いただいてないから。
あと事後にいただいたんではもう事後にっていうのかな、事前にいくらって決まってないとダメだと僕は思ってるんですよ。
というわけなので、あれはカウンセリングじゃないんですよ。
で、そうするとあれは何なのかと言われると、あれはYouTubeなんですよ。
で、その中で多分私の考えではですね、いろんなことをあの番組では反応がコメントといただいてしまったので、
ベックさんの中でですね、私が言ったことと私じゃない人が言ったことがいい感じでミックスされてしまったんだと思うんですね。
その辺の反論じゃないつもりなんですよ、これは。
反論って攻撃だと僕は思うんで、攻撃は少なくとも私はですね、封印しなきゃいけないと思ってるんで。
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なぜなら私のためにね、攻撃するとですね、犯罪者にはなりませんけど病気になると最近は思うんですよね。
この話も今日出来れはしたいんですけど、こういうことを全部入れると1時間超えるんじゃないかなという懸念が強くあります。
で、まずですね、まずどこからいこうか。
ゲームからいきたいと思うんですけど。
これですね、ゲームって僕が表現したのは、
キタさんイリュージョンって言い直されていたんですけど、
グッドファイブスでイリュージョンってもちろん言うんですが、ゲームということもあるんですね。
で、私はゲームって言いたいんですよ、この件について。
イリュージョンは色々なイリュージョンがありますよね。
僕は、現世はすべて基本イリュージョンだと思っているので、
イリュージョンと言ってしまうと、あの時言った文脈では広すぎるんですね。
やっぱゲームと限定したいわけです。
ゲームとは何かというとですね、
ゲームとは他人に評価される、他人の評価によって評価が決まるもの、価値が決まるものです。
それがゲームだと僕は思います。
ゲームはいくらしてもいいというか、
ゲームしないで私たちは生きていけないんですね、今のところ。
人間社会はゲームをするということになっております。
つまり他人が評価する側面というのはどうしても出てくるということです。
ただしそれは必ず枠組みとルールというものがあって、
一時的かつ限定的なものなんですよ。
今、うちの娘がゲームをやってます。
中学受験というゲームです。
ゲームというのはそこでルールがあるんです。
例えばテストをします。
テストをして点が高いほうがいい子です。
点が低いほうがダメです。
これがゲームのルールであり、自分で勝手に価値を決定できないんですよ。
私は点はみんなより低くて一番ダメだったけど最高だというのは、
これはゲームとしてはルール違反なわけですよ。
野球とかサッカーでも全部だいたい同じで、
多く点を取ったほうが勝つということに、
ちゃんとルールブックに書いてあるんですよ、そういうことが。
多く点を取ったほうが勝つんだと。
そういうことを決めておかないと、
今日は少なかったがうちの勝ちだとかって言われるとダメじゃないですか。
それはルールとしてあるわけですね。
これがまず最大のポイントだと思うんです。
ゲームで負けたからといって、
負けた人の価値は、現実における価値は下がらないんですよ。
これが非常に大事なところで、
このことを先に意識してさえおけば、
何のゲームをやろうと構わないというか、
構わないというか、やらなきゃならないわけだから、
09:00
何かのゲームをやる必要があるんですよね。
だからこうだ。
ゲームをする前に自分の価値を決めるのは、
自分しかいないと決めておくということが大事なんだと思うんですね。
私がただ言いたかったのはそういうことだったと思うんですよ。
あの番組中で。
私はそのゲームは何だから気にしなくていいということは、
僕は言ってないつもりなんですね。
間違って聞こえたらごめんなさいとは言わないんですよ。
これを言うと弱くなるんでね。
病気になるんじゃないかと僕ちょっと今思ってるんですよ。
だからこれを間違って聞こえていても、
それはそれということにしますが、
私があの時言っているのは、
後でちょっと聞き直してみたんだけど、
やっぱりゲームだから、
ゲームによって人は命を落とすんだから、
ゲームをするということには、
もっと気をつける必要が私たちはあるんだってことなんですよ。
だって受験落ちて自殺しちゃったことって、
最近あんま聞かないですけど、
私の中学受験してた頃は聞きましたよ。
そういう話。
今からもう40年弱前ですが、
あれあったんですよ。
大昔のようですよね。
40年前とかって言ってみると。
でもそんな感じしないんですよね。
私が中学受験した時の感じって、
戦時中とかじゃないですからね。
明治時代とかいうわけでもないんで。
やっぱり今と全然世の中は実は違いますが、
ぱっと見そんな違いはないんですよ。
テレビもあったし、冷蔵庫もあったし。
その中で受験に失敗して自殺しちゃう、
中学生じゃない、小学生ですよね。
いたんですよ。
いた記憶があります。
だからゲームは気をつけてやりましょうってことなんですよ。
やらないわけにいかないんで。
ゲームで負けたから気にすんなと言ったつもりはないし、
たぶんそんなことは僕は言わないと思うんですよね。
ゲームで負けたことはたいそう気になるんですよ、私たちって。
だから北さんとの番組の中で、
これは僕事実確認を取れない理由言いましたけれども、
ワールドカップだかオリンピックだかで、
オウンゴールの選手が焼き殺されたって事件が、
南米だかアフリカのほうに僕はあったようなことを
大学時代に記憶してるんですよ。
あり得ると思うんですよね。
ゲームであることは間違いないじゃないですか。
サッカーですもん。
サッカー、ゲームって言いますもんね、プレイゲームって。
でもつまりあれは遊んでるわけじゃないですか、プレイですからね。
でも焼き殺すっていう発想になっちゃうわけですよね。
ゲームってのは私たちを狂わせると僕は思うんですね。
ゲームしてなきゃ人はここまではいかないんですよ。
12:00
人を焼き殺してやりたいとか思う人ってそういないんですよ。
だからゲームは、
ゲームの結果を気にしないってことはできないので、
十分気をつけて遊びましょうということなんですよ。
中学受験も同じです。
完全にゲームなんだけど、
気楽にやっちゃダメだというか、気楽にやらないとダメなんですが、
いつしか気楽じゃなくなっていくというところがあります。
だからゲームをやるときは最新の注意を払ってやろうねと、
私だったらそういうことが言いたいわけですよね。
私がゲームに参加するときはすごく慎重になるんです。
なぜならこういうことが嫌だから、どちらかというと嫌なんですよ私は。
なるべく限定的なものだけにしておきたいと。
最大のものがマネーゲームだと思うんですね。
その前にこの評価の話なんですけど、
つまりゲームとは他人が評価するんですよ。
自分の価値をある限定された枠組みの中で他人が評価する、決めるんです。
それだからみんな心穏やかではいられなくなってくるわけじゃないですか。
我が国の名誉を怪我したというわけで人が殺されたりするわけですよ。
それは他人がその人たちの価値を決める、
日本人というものはこういう価値だって決めちゃうということができると思ってしまう、
そういう大きな幻想を作り出せるからそうなんですよ。
それで、この中でゲームに負けた時に
それはイリュージョンだから気にしなくていいというのは乱暴ではないかという話があるんですけれども、
もしそう言ったならば乱暴かなという感じがしますね。
私は真逆だと思うんですよ。
私の言ったことも真逆だと思うんですね。
ゲームというのは非常に人の心を掴んでしまうから、
気にしましょうと言いたいんですね。
問題になってくるのは、僕は負けた時だけだとでも思っているんですよ。
厳密にはそうじゃないかもしれないけど当面の間、
特に番組中で問題になっていたのは、
そのゲームでボロボロになってしまったらメンタルハックで心を癒す必要があるのではないかと。
寄り添ってメンタルハックで少しは寄り添って心の回復を目指すべきではないかと。
私、これには同意できないんですね。
ここがちょっと大事な点だと僕は本件では思うんですね。
ゲームは負けた時の心の痛でが大きいからこそ、
そこで寄り添ってはいけないというのはちょっと奇妙な言い方になるんですけど、
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そこで共感しちゃダメだって僕は思ってるんです。
これはね、ベックさんとYouTubeで喋ってた時に念頭にあったのは娘のことなんですけど、
例えば娘に関してだったらどうだろうと思ったんですよ。
テストでひどい点を取ったとか、受験で失敗して落ちたとかいうことになった時、
寄り添って慰めるっていうオプションはありえないって僕は思ったんですよ。
いつも僕は割とそうしてるんですよ、既に。
既にだって1年経ってますからね、受験勉強を始めて。
点が悪かった時はゲームだからって必ず僕はそう言ってないですけどね、
妻の手前もあるから。
要するに一切気にしないっていうことにしてる。
気にしないというか、これはどうでもいいものだから。
満点を取ったりいい点を取った時は盛大に祝うんですよ。
これでいいと僕は思ってる。
僕はいつもこうしてるんですよ、娘に対しては。
対してはっていうのも変ですけど、要するに学校のテストでもそうですよ。
満点取った時は盛大に祝うんですよ。
満点取れない時は娘は落ち込むんですけれども、
いや、これはゲームだから、どうでもいいものだからと。
なんならシュレッダーにかけて捨てちゃえばいいじゃんっていう、
これはやっぱり奥さんが喜ばないから言いませんけれども、
私だったら本当はそうしたいわけですね。
つまり、そこに一貫性を決して僕は認めないんですね。
ダメだった時はどうでもいいものにしてしまう。
良かった時だけ大事なものだと言い続ける。
これで私が言いたいことは、これはすなわちどうでもいいものなんだって言いたいんですよ。
ただ一貫させてしまうとですね、
今回は残念だったけど次頑張ろうねって話になると、
良い時も悪い時もそれには一定の価値があるってことになるじゃないですか。
僕はそれが認められないんですね。
そして認めない方がいいと思っているんですよ。
だから寄り添いたくもあんまりないわけですね。
慰めるとかならしてもいいかもと思うんですけど、
ただですね、これは例えば点が悪かったですと、
その時にメンタルハックを使う。
そうですね、メンタルハックを使うか。
グッドバイブスの倉園圭三さんは、
私はこの例え話が秀逸だと思っているんで時々言いますが、
お化けが怖い子供と同じだと思うんですね。
ゲームは結局イリュージョンなので、お化けも結局イリュージョンなので、
お化けが怖いんだと言っている子供に対して、
いやお化けが怖くて怖くて、もうどうしようもないと言っている時に、
寄り添ってメンタルハックを発揮するということはね、
例えば、お化け、このおまじないを唱えると、
お化けが逃げていくからとかっていうおまじないを唱えてあげるという方法が考えられますよね。
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これがメンタルハックだと思うんですね。
幼児ならいいかもしれないと思うんですけど、
僕は幼児でもこれをしたくはないんですよね。
これをするとお化けがいることになっちゃうんですよ。
私娘にこの種のことは絶対に慎んできたんですね。
絶対この種のことはやらなかったんです。
一つはやっぱり、たとえ相手が子供だからといって、
そこまで子供扱いしてはいけないんじゃないかって思ってたんですよ。
で、もう一つがですね。
もう一つがじゃないよ。
全く同じ文脈で、もっと遥かにですよね。
キタさんに向かって僕がね、これをやるのはできないですよ。
そんなに子供扱いしていい相手じゃないじゃないですか。
というか、キタさんと僕って基本的には対等なんだと思うんですけど、
僕は彼の方が人としては偉いと思うんですね。
これ上下がないっていう話をしながらこんな話をするのはナンセンスですけど、
感覚的にはそういうところがあって、
だって向こうの方が多分僕よりお金稼いでいるわけですよきっと。
で、向こうの方は多分人脈とかもあるわけですよきっと。
で、僕と彼といるとですね、
東京ライフ研究会とかに行くとですね、
彼の方がね、人とこう接する能力も高いし、
人に好かれますよね。
で、しかも10近く年下ですよね。
僕10年下だったら、
僕が10若い時だったら、もっとさらにこれよりダメですもん。
だからね、僕彼に対してメンタルハックで寄り添ってあげるとかってないんですよね。
そういうことをしていい人じゃないと思うんですよ。
だからやっぱりどうしても、
物の言い方はあるとは思うんだけれども、
寄り添ってメンタルハックで、
お化けはこの呪文を唱えればいなくなるからねみたいな感じで、
今はインド人の上司にビシビシやられていても、
あなたはここでもっと上手くやる能力があるからみたいなことを言うのは、
すごく子供騙しだなって思うんですよ。
やっぱりね、私娘にもそれはしたくなかったから、
したことがないんですよね。
たまーにですけどテスト、学校のテストですね、
90とかジャストみたいな点だと、
ほんと落ち込むんですよね。
慰めたくなっちゃいますよね、ちっちゃいから。
でもね、嫌なんですよね。慰めたくはないんですよ。
そうするとこの評価には意味があるってことになってしまうと思うんですね。
90点、100点の子より下っていうことに意味がついてしまう。
はっきりとそこに価値の上下があり、
しかもそれは現実的に有効なんだよっていう意味になるじゃないですか。
この次頑張ろうねっていうような話をしちゃうと。
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今回は残念だったねとか寄り添ってしまうと。
だからやりたくないんですよ。
こんなのはゲームなんだから捨てろっていう感じにしたいんですよ。
100点取った時だけすき焼きとかでお祝いすればいいんですよ。
所詮ゲームなんだからって僕は思うし、
こうしていればですね、100点取った時は喜べるじゃないですか。
ここを逆にすることはナンセンスだと思うんですよね。
例えば東大入科って動画でとか、
やったことも見たこともないんだけど本当はテレビで動画とかするじゃないですか。
あそこのところにわざわざ行って、
いやこれゲームだからっていうのはものすごくあれじゃないですか。
感じ悪いだけですよね。
だからあれはゲームだろうとイリュージョンだろうと大いに盛り上がるべきだと思うんですよ。
でも落ちたらゲームだからってことにすればいいと思うんですよね。
落ちたらそこで深刻になるべきではないと思うんですよ。
さっさとそのゲームから降りればいいと思うんですよね。
結局ゲームってのは枠組みが絶対にあるわけですから、
枠組みがないゲームってのは成立しませんからね。
そもそもサッカーとか野球とか全部そうですね、枠の中でやらなければいけない。
そしてその評価の仕方もルールに則って定められている。
だから価値の上下が発生するんですよ。
それは暫定的な価値ですよね。
この価値の上下に実に驚くほど私たちは乗っかれるんですよね。
ここが多分最新の注意を払うべきところなのかなと思うんです。
マネーゲームが最大の問題で、
なぜか私この話は正直それほど重要なことだと思っていなかったんですけど、
やっぱり僕の感覚がずれてるんだな。
他人が評価することの中にさらにお金をくれるってことが挟まってくるんですよね。
しかもこのお金はゼロになると死にかねないというですね、
つまり本来枠組みの中だけのゲームだったはずのものがですね、
その外にまで影響を強く汚し始めるものがお金なんだと思うんですね。
だからこの楽して儲けるとか働かないって話になってきて、
既に長いので分けるべきなんですけどね、
分けると多分僕この話に興味を失うんですよ。
だからこのままいきますが、
働かないとかおじさんの問題か。
これはですね、ゲームなんですよ。
私は処罰感情って、
あの表現使わなければ後悔はしませんが、
自罰感情なんです、問題なの。
自罰だけが問題です。
処罰かどうかは二の次だと思ってください。
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自罰しなければ基本はいいんですよ。
自罰を絶対にしないって決めれば処罰って絶対しなくなるはずなので、
理屈の上では。
自罰するわけじゃないですか。
なぜならば評価されなかったからってこういうことですよね。
でもその評価は枠組みとルールがあってこそのものであり、
その枠組みもルールもないところで自分を評価するのは他人であってはならないんですよ。
ゲームをする前にこのことさえ確認しておけばですね、
自罰するはずないと思うんですよね。
受験に落ちた、落ちようと。
テストの点が悪かろうと。
仕事ができなかろうと。
大きなミスをしようと。
評価するのは自分なんですよ。
この際に決定しておくべきだと思うんですよね。
これがグッドバイブスなんですよ。
自分は価値マックスで生まれてきて、その価値が損なわれることは金輪際ありえない。
おしまいなんですよ。
枠組みの外に出てしまえばここに戻ってこれるので、
つまりゲームをやめればいつでも自分の価値はマックスなので、
他人の評価が下がっても自分の評価が下がらないんですよね。
ここに自己肯定感云々ってことが出てくるわけじゃないですか。
それが信じられませんって話ですよね。
でもそれが信じられないということはですよ。
生まれてきた時の価値がマックスであるということは、
信じられないということをどう考えても意味しますよね。
だって生まれてきたばっかりの子はいかなるゲームにも参加していませんからね。
そうすると生まれてきた子の価値はゼロですかっていう問いが立つはずなんですよ。
絶対に。
そういうふうに思っている人っていないように見えるんですよね。
いなくはないかも分からないけれども、
とてもとても少数派だと僕の目には映ります。
だってぐるぐる巻いてすごく大事にするじゃないですか。
あれ価値ゼロなのにそういう扱いするはずないですよね。
ここでですね、いろんな条件とか留保条件をつけるならば、
それはもう何て言うんですかね。
成り立たない話なんですよ。
例えば生まれた子の価値は、
これから人類に貢献するからマックスなんだとか言っちゃダメだと思うんですよ。
だってそういう条件をつけるならばですよ。
働かないおじさんだってこれからものすごく人類に貢献するかも分からないじゃないですか。
そうするともう全てがめちゃくちゃになっていくわけですよ。
いちいちゲームの外でまで様々な条件で理屈づけをしていくことが許されるのであれば、
むしろ価値の肯定で悩む人はいなくなると思うんですよね。
だってこれは枠組みが決まっていないのに価値が決まるってことは不可能。
価値を決めるってことは不可能ですよね。
テストをするからこそ100と90と80と70と現れるから上下が発生するんだけど、
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このテストにしてもみんなが一斉に同時にやります。
かけるべき時間も50分と切ります。
こうやって条件を整えて絵をするに行くわけですよ。
これは常識ですよね。
何もここで僕が時間を無駄に使ってぐじゃぐじゃ喋る必要がないですよね。
ある人は教科書を見ても構いません。ある人は1日かけてもいいですって言ったら、
もはやそれは価値判断にならないじゃないですか。
つまり枠をきちっと設定するからこそ他人が評価できるものになるわけです。
この枠を取ってしまったら他人には評価できないものになるわけです。
そうすると生まれてきた子供の価値はどうなるんですか。
MAXじゃないですか。
もしこれがMAXでないならば、この子には今、今、今ですよ。
何ができるんですかってことになるわけですよね。
立つこともできないんですから。立つこともできない。
これをその未来においてとか、かわいいからお父さんに力を与えるとか、
そういうものを無理やり持ち出しちゃダメなんですよ。
それを持ち出していいんだったら何だって言えますよ。
今僕が全く働かなくたって、将来アインシュタイン級の発明をするかもしれないとか、
ただ私がにっこり笑っているだけで、
妻がものすごくやる気になるかもしれない。
何度だって言えてしまうじゃないですか。
だから枠組みを取った時はもう枠がないんですから、基準はないわけですよね。
そうするといかなる基準も適用しない中での評価は、
他人が決めることは不可能になるはずなんです。
あとはもう自分で自分の価値がマックスであると決めておけばいいと思うんですね。
で、マネーゲームの話に入るわけじゃないですか。
楽して儲ける。
僕はこの話は楽してかどうかって話ではなく、
役に立つかどうかで決まるんだって話になってましたよね。
そういうお話がポトキャストであったんですけれども、
つまり楽して儲けてもいいんだけれども、
楽していたって役に立ってるから儲けられるんだって、
それはいいんだけれども、
だから役に立たない、仕事をしないおじさんじゃないのかな。
役に立たないおじさんなのかな。
こういう話にだんだんなってきてるんですけど、
これをあれこれ定義したり定義し直したりする必要はないのかなと思うんですね。
ゲームというのは他人が評価することを枠組みの中で可能にしたものすべてを指すわけです。
で、そのゲームの中では役に立たない人は当然発生します。
発生し得る。
ハロー人生ゲームですらそうですよね。
このゲームで最も貢献度の低い人とかって割り出すのは簡単です。
30:03
中学受験にもそういう側面あります。
日農圏のCMに役立つこと、役立たないこといます。
役立つ子の方に手厚くやります。
これは民間企業なんだから当然なんですよ。
こうして子供はすでに序列化されているわけです。
フェリスに受かる小田原校からフェリス何名って言いたいわけですよ。
フェリスに受かった子の貢献度が最大であり、
フェリスじゃなくてどこもかしこも受かんなかった子の価値は最低だということにされてしまうんですよ。
それはそれでしょうがないんです。
そういう枠組みなんだから。
だけれどもどこもかしこも落ちた子の価値が現実的に下落することはないんですよ。
この話にお金が当然絡みます。
だって現在の段階でもそうです。
よくわからないんですけど最上級コースと最上級じゃないコースと4コースあります。
値段が違うんですよそれぞれ。
教える時間も違いますけど値段が違うんです。
相当な金額ですよあれは。
しかも人数も相当いるわけですからね。
それだけのお金が絡んでいて壮大なゲームをみんなでやっているわけですから、
そこで上下がついちゃうのは当然のことですよね。
これが私が思うに自己肯定感に強く影響を及ぼすんだとは思います。
やむを得ないですよね。そこはそうだと思いますね。
だからこそなんですよ。
失敗したときその枠組みの中で無価値だってされたときに
その枠組みに囚われるということをいつでも撤退っていうのかな。
ゲームから降りられるようになっておくことが大事だろうと。
そのために役に立っているかどうかという話もまたですね、
この枠の中の話なのか外の話なのかをはっきり最初に決めておく必要があると思うんです。
枠の中では役に立たないという枠はいっぱいあるわけというか、
むしろですね、なんで私たちがそこでこんなに悩まされているのかが
おかしいと思うレベルなんですよね。
枠の中で役に立てるケースのほうが稀ですね。
稀なはずですよ。
例えば私テニスやったってそこそこ腕の立つ人たちと
ダブルスだと4人やるんですけど、
完全に足でまといてしかないですよ。
そんなことで悩んでたらたまったもんじゃないじゃないですか。
私が野球やったって9人の中でたぶんある種のチームに入れば
すぐ一番役に立たない存在に、いないほうがいい存在になっちゃいますよね。
33:01
大概の枠はそうできているはず。
例えば私カーリングだったらできませんもんね。
大概の枠はそうなっているはずなんですよ。
どこかの会社にポンと入ればたぶん一番役に立ちませんよね、それは。
これでいろんなところで役に立つスーパーマンになりたいという
考え方っていうのはどうしてもあれなんですよね。
いつでもどこでも他人に、自分の評価を他人に決めてほしいということを
意味しているわけです。
だってこの枠の目的は、唯一の目的は
他人が評価できるようにすることなのであって
自分で自分の価値を評価するのであればですね、
枠に入らなきゃいいわけですからね。
現実には私たちは両方に同時にいるわけですけれども
評価されてなんぼっていうのは
子どもの場合はテストの得点で済みますけれども
大人の場合はこれが、ほとんどの場合金銭になります。
昨日も言ったと思いますが、田中マー君は9億。
私が応援している千葉ロッテマリンズの予番は2200万。
これが他人が評価する数字ですよね。
この考え方をやっぱりですね、
仕事をしているど真ん中で適応しないっていうのは非常に
ただですね、これ大事だとも思うのよりも自然だとも思うんですよね。
例えばマー君が9億だから、彼の投げる球は絶対2200万の自分で打てないとか
思って野球をやってほしくないじゃないですか、ファンとしては。
かつてどういう評価をされたかということと
その時どうやるかは何の関係もない方が
僕はいいと思うんですよ。
枠の中であったとしてもですね、枠の外に出れば
人の価値はマックスだと私たちは思っていると思うんですけれども
赤ちゃんのあの扱い方から考えてみても
なくてあったとしてもですね、仕事をやっているど真ん中で
他人がどう自分を評価しているかということに
とらわれない方がいいだろうなと。
つまり結局、ゲームの中であったとしてもですね
評価について、自分の価値について、枠組みの中における
相対的な価値についてでも評価された時だけ
考えておけばいいことなんじゃないかと思うんですよ。
これはGood Vibesで仕事をするようになってから
盛んに思うようになったことでもあるんですけど
結構ですね、自分の中ではタスクシュートだけだった時から
36:03
ありとこれはあったような気がするんですね。
まあでもやっぱりGood Vibesの後の方が
はるかにはっきりそうなりました。
例えばこれがそうですね、Good Morning Vibesがそうです。
結局は楽して儲けるのであれ、
儲けないのであれ、苦しんで儲けるのであれ、なんであれですね。
役に立ってるかどうかが分かるとは思えないんですよ。
だからこそですよね、ここ逆だと思うんですよね。
だからこそ数字で他人を評価しやすい形にして
金銭という形で評価するようにしているんじゃないですか。
役に立ってるかどうかが金銭と数字で分からない時に
全部役に立ってないとするならば
明らかにGood Morning Vibesは即座にやめるべきだと思うんですよ。
だってこれ1円にもなってないわけですよ。
しかも今はここからが大事だと僕は時々思うんですけど
今はそこそこ聞かれています。
今は反応を見ている限り
役に立ってはいるんだろうなという気配は感じます。
そこでなんだけど、一番最初の頃私はこれをやってた時には
ひどい日には1日たって7人とかだったんですよ。
役に立ってないですよ。
その枠組みの基準。
ですが私はこういう、これは相対的な評価だから
例えばポッドキャストを他にやっている人たちの視聴者数とかを見れば
いかに自分が役に立ってないかは一目瞭然ですよね。
だって1.6ミリオンとか書いてあるのもあるのに
7とかですからね。
その比較する意味を感じないレベルで役に立ってないですね。
多分その1.6ミリオンの人たちはお金も稼いでいるわけじゃないですか。
楽しているのか大変なのか知りませんが稼いでいますよね。
じゃあ同じくらい大変な思いをすれば私がそうなれるかというと
なれるわけがないですよね。
ここでどうして私がですね、そうじゃない。
ここで落ち込んで自分は全く何の役にも立っていない
働かないおじさんだというふうに確信することが
十分できるだけの材料は揃っていると思うんですよ。
明らかにおかしいですよ、やっていることが。
ここで30分、ひどい日は50分近く
目の前に誰もいないんですから
39:01
目の前には洗面台があるだけで
一人で日によってはエポケとかスタールとか
喋っているわけですよ。
正気じゃないですよ、これは考えようによっては。
畳で見る人にして誰かが見ていれば
一体全体何をしているんだというふうに言われると思うんですよ。
つまり他人の評価を軸とするならば
直ちにやめるべき行為なわけですよ。
発狂していると言われても
あんまり文句は言えないことも多いんですよ。
おかしいかもしれませんけれども
多分妻が見れば
どちらかというとやめさせたいことの一つなんじゃないかという気がしますね。
妻は寝てるから多分気にならないだけでしょう。
今も寝てますけどね。
ゼロ円なんですよ、これは。
でも聞いてくださっている方は7人だった頃に比べると
50倍ぐらいには増え、50倍はない。
それは言い過ぎ。30倍ぐらいには増えていることもあります。
でも聞きたいという方はいらっしゃるじゃないですか。
その聞きたいという人にしてみればですね
少なからず他の聞いている人がその人の役になっているんですよ。
これどういうことかというと
他の人がずっと一桁だったら私は続けるのが困難だっただろうということなんですね。
そうすると聞くだけで役に立つわけじゃないですか。
他の人の、私のじゃないですよ。
他の人の役に立ち寄るわけじゃないですか。
こういう間接的なものが大量にあるわけですよ、私たちの生活の中には。
私昔ロッテ好き、今も好きでしたが
好きなんですが野球中継とか一切ないわけですよ。
ラジオですらないですよ。
そこで僕は2限中継やっている裏のところを強引に周波数を合わせて
ロッテの中継とかガガガって聞いてたんですよ。小学校の時。
これすら聞けなくなるんですが
聞くためには他の人が聞いてくれるということが必要なんですよ。
それと同じ構図です。
なぜジャイアンツの試合ならみんな見られるかというと
見てる人は働いていようといまいと、お金を持っていようといまいと、聞きたい人の役には立ってるじゃないですか。
こういうことを査定できないわけですよね、私たちって。
完全な形では。
いくら枠組みをきっちりして、相対的な価値の評価付けをいくら頑張ってしたところで、
結局のところ役に立つ立たないというのは、究極的な数字は絶対に割り出せないんですよ。
私は巨人の試合なんて見たくもなかったんで、常にのっての試合だけ見ていたかったんで、
そういう人間がいる限りは、視聴者数は全てを物語るわけではないわけですね。
42:04
という話はたぶん、かなり今までの話の中でも響かないとは思うんですけれども、
でも私たちはこういうものに踊らされやすいんですよ。
だからやっぱり最初に言った通り、ゲームする前に気をつけなきゃいけないと思うんですね。
ゲームについては。
全部ゲームなので、この種のことって、視聴者数ももろんゲームだと思うんですね。
数字を比較するという意味においては、意味が全くないですから。
外国のよく知らないポートキャストが1.6ミリオンで、私のが7だと比較をする。
意味が全くないんで、でもですね、役に立つ立たないで言うと、
いろんなところでいろんな形で役にはじわじわと立っていくわけじゃないですか。
この役に立つということは、私は行動の決定的な指標にはしませんが、
やっぱり多少はしちゃうわけですよね。
何しろ鏡に向かってこうやって喋ってるわけですから、40分間。
それを支えていただくためには、やっぱり聞き手っていうのはゼロであっては困るわけです。
っていうかゼロであったら喋んないです。きっと。
だからこれを査定できないと思うんですね。評価することはできないと思うんですよ。
仕事する上でもこのことはとても大事なことでしてね。
評価だけに軸を置くと仕事は全部嫌になると僕は思うんですよ、結局。
いつしか。よほどの人でないと。
よほどの人というのはつまり、このゲームにおいては大学は常に東大に入れるし、
何をやっても常にエースとして評価されると。
プレゼンしても一番だし、何をしても評価され続けるっていう人を除くと、
多分そういう人はごくごく一握りの一握りの一握りぐらいしかいないと思うんですけど、
以外の人はみんな嫌になっちゃうと思うんですよ、仕事していて。
で、そうならないために平安っていうGood Vibesのこれは意外と全然…
意外と全然っていうのかな?
言われているよりはるかに意義深いなって自分は思っているわけです。
昨日もそうなんですけど仕事をしていて、落ち込んだら全然仕事って進まなくなります。
自発しますからね。
記者さんの番組でもお話あったようにですね、
あれをカウンセリングだとみなしたり、僕があれについて反省したりすると、
多分原稿書けなくなってしまう。
そういうことが起こるわけです。
役に立ってない感じがそもそもするじゃないですか。
お金にもなってないのに。
なんかこう矛盾をついて、記者さんをやり込める。
最悪じゃないですか。
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落ち込んでるっていう話をしている人に向かって矛盾をついてやり込める。
なんかもう人としても最悪じゃないですか。
という自分を自発するんですよね私たちって。自然と。
そう思ってしまったら仕事ができるはずないですよね。
だって結局これもそうですが、仕事というのは結局は誰かに評価されるものなので、
常にバッシングを受け続け、お金にもならず、
常にバッシングを受け続けですよ。
お金にも一円にもならず、
みんながこれをやめればいいのにと思っているものをやり続ける人はやっぱおかしいですよね。
というかそんな人はいませんよね。
だから仕事ができるということは大変ありがたいことであって、
その状態を維持するっていうのとも違うんですけど、
常に仕事をし続けるためには自発してはいけなくて、
自発しないためには攻撃してはいけなくて、
そして評価にのみ寄っちゃいけないと思うんですよね、従って。
評価にのみ寄るとどうしたって攻撃したくなるし、あるいは自発したくなります。
だってもう明らかにそうなると思うんですよね。
9億のピッチャーが投げてる球は2200万の俺では打てないってなったら、
自発するかその仕組みを恨むかどっちかになるじゃないですか。
これはギャグになっちゃってるんですけど、
僕らが原稿書けないときはこれと全く同じことをやってます。
メンタリストさんとか多くの女性が聞くだけで癒されると言っているイケメンの人が
YouTubeやって後ろに大きな図書館をバッグに
本当にあるのかわからないことが最近Zoomで明らかになってきましたが
図書館をバッグに分かりやすく心理学を述べてきて
ミリオンに近い視聴者をとってお金にも全然困らない
っていう人と自分を比較して
これやる気になる人いないと思うんですよ。
この比較が全てであるならば絶対無理ですよね。
彼と顔を比べて全然イケてないと。
数字を比べると9億対2200万というよりは9億対200円ぐらいになっちゃってると。
聞いてるだけで癒されるというレベルでもないし
矛盾をついてやり込められるみたいな話になると。
絶対無理ですよね。
直ちにすいませんやめさせていただきます。申し訳ございませんって言いますよね。
ポッドキャスト。
常識があればよ。
だから僕はダメだと思うんですよ。
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ゲームで自分の価値を決めちゃダメだと思うし
ゲームで決めるときでも
査定されていない価値ってものを絶えず意識してないとダメだと思うんですね。
それは同時に査定されている価値というものについて
深く悩まないってことを意味すると思います。
逆に攻撃的になるでしょ。
いやあいつはイケメンだけど実は成形してるのかもしれないとかって思いたくなるじゃないですか。
成形がいけないって話じゃないんですけど
いや別にイケメンだからなんだって言うんだって思いたくなるじゃないですか。
攻撃的になりますよね、ものすごく。
もしこれで落ち込むのを避けるとなると
装的防衛なんですけれども
攻撃的になるはずなんですよ。
あんなインチキな心理学ばっかりしゃべりやがってって。
これは必ず後でものすごく自分に戻ってくるんで
絶対やっちゃダメなんですよね。
これをやるんですよ。
私の仕事を始めていた頃はやっちゃってたんですよ。
やっちゃうと
儲けることがそもそもできなくなりますよね。
儲けてる奴は悪人だって結局言ってるわけですから。
悪人になるかやめるかになっちゃうじゃないですか。
どっちも嫌じゃないかと思うんですよ。
他人が評価するゲームにおいても
高く評価されているということについて
真剣に受け取らないってことが大事だと思うんです。
これを結局以上すべてを考え合わせると
私は100点取った時だけすき焼きパーティーをして
すき焼きばっかり食べてる方じゃないですけど
すき焼きパーティーして
点数が自分の納得いかない点だったら
直ちにシュレッダーにかければいいと。
というふうに考えているわけですね。
この教育法がいいとかいう話じゃないです。
人に真似してほしいわけでもないです。