00:04
おはようございます。
グッドモーニングボイスです。
テイク2になりました。
すっかり忘れていたことがあってですね、
今日から音楽を復活させて、
多分これを聴かれている方はすでに音楽を聴いているんじゃないかと思うんですけど、
これ私にとっては未来にやることなんて確実じゃないんですよ。
で、その音楽をやるとなると、
声をなるべく大きくするか、
iPhoneを近くにするか、
そういうことをするべきだというようなことになってきたので、
そうすることをさっきすっかり忘れていたので、
もう一回撮り直しております。
こういうことが起こるんですよね、どうしてもね。
私、仕事の農橋さんと仕事を一緒にやっているので、
非常に良い副産物としてきっちりした人間だと思ってもらえるんですよ。
きっちりしているのは大橋さんなんですよ。
私じゃないんですよ。
私は直感とひらめきに多分に頼って生きていて、
すごく雑なんですね。
そういうことをここでばらすことはないんですけど、
きっちりしているという評判が立っていて、
損することのない世の中じゃないですか。
だから、そしらぬ顔でそれに乗っかって生きてきていたわけですけどね。
こういうことがまま起こっているわけです。
昔はこれをことごとく隠すべく、
あらゆるライフハックを駆使してやってきたわけですけど、
すごいめんどくさくなってきてですね、
グッドバイブスを知って以来それが本当にめんどくさくなって、
やらなくなってきているからボロが出るという流れがあるわけですね。
これだとグッドバイブスがすごいダメなものみたいに聞こえちゃうんであれなんですが、
つまりですね、
今日のお話はこれと絡むようで絡まないんですけどね、
グッドバイブスをやってよかったのはですね、
私が、つまり世の中では評価されにくいと勝手に私が思い込んできた私のかなり自然な運で、
物事をまかない始めたということなんですよ、きっと。
そういうふうにするうちに、
肌よくなるとか、悪夢見なくなるとか、奥さんと仲良くなれるとか、
様々なことが起きてくるわけですね。
これと世の中でこういうふうにしておいた方が評判悪くならないだろうという手当てで生きるより、
こっちの方が価値が高いと僕は思うんですね。
だから少々ボロが出るのはもうこれはしょうがないと。
03:02
それが出ることによってですね、評判がものすごいガタ落ちになるとか、
なったら考えようっていう感じなんですね。
年齢は上がったんで、
気を付けないわけじゃないけれど、
以前の半分も気を付けないっていうのはあります。
今日はその評判の話をちょっと絡めて、
あんまりグッドバイブスに、今のぐらいにグッドバイブスと関係あるんだけど、
直接グッドバイブス的かっていうと別にそういうわけじゃない話をしようと思うんですけど、
ただグッドバイブスを知ることで発想が変わったという影響ははっきりある話なんで、
無関係じゃないです。
昨日ですね、この話もしたいんですけど、
昨日第3期の書き上げ塾という、
倉園平蔵さんと一緒にやっているグッドバイブスじゃない方、
グッドバイブス的ですけど多分に、
でも文章作成講座であり、
本を出すというための講座でもあるやつに行ってきて、
行き帰りの道中が長いんですよ。
行きだけで1時間半ぐらいかかるんですね。
たまたまなんですが、
ブログでもちょっと触れたんですけどね、
倉下忠則さんという人と北信也さんという人の
YouTube番組をずっと聞きひいて過ごしてたんです。
めったにこういうことはできないですね。
長いんですよ、あの番組も。
ちょうど1時間半の工程で全部聞けるぐらいな感じに長いんですね。
でも聞いてみて、
このお二方というのは、
これを聞いている方は知っていると思っておりますけど、
ライフハックという、
これも知っていると思うんですけど、
東京の旗振り役が北さんであって、
大阪の旗振り役とかいうわけじゃないんですけど、
倉下さんは知的生産というのかな、
側でライフハックにも深く関わる人みたいな感じの人なんですね。
言ってみれば、子さんのライフハックコミュニティの住人みたいな感じ。
住人という言い方が大げさなくらい、
ライフハックコミュニティというものがあまり大きい、
巨大とかいうものじゃないんで、
あれなんですよ。
でも、子さんの重要メンバーなわけですね。
多分私もライフハック界隈とかいうところに入っていることになっていると思うんですけど、
この言い方が一つのポイントになっているんですよ。
聞いている限りね。
この界隈って果たしてそんなものあるのかってこともあるわけです。
ただね、東京ライフハック研究会というものを
06:00
北信也さんが東京で立ち上げて、東京ですから、
初回、僕も行ったんですけどね、
懇親会だけで60名くらいいたんですよ。
僕の記憶なんで、さっき言った通り、
直感と閃きと雑差で生きている私の記憶だから、
完璧じゃないですが、でも相当いたのは間違いないですよ。
多分今やったらですね、一歩間違うと5人とかになっちゃいますね。
あんな、しかも立派な会場じゃやらないですね。
もうそのくらい流行した時代もあったと。
夢をもう一度ではありませんが、
そういうふうにどうしたらもう一回盛り上がるんだろうかみたいな、
主にこのどうしたら盛り上がるんだろうかで、
本当に深刻に考えていたのは、
北さんの方に、僕が話を聞いている限りでは、
浦下さんはそこまでそれに乗っている感じには聞こえなかったんですけど、
これはニュアンスなんで、本心は分かりませんけどね。
私が思ったこととしてですね、
果たして本当にコミュニティがもう一回同じように盛り上がる方がいいのかっていうこともあると思うんですけど、
そこも含めて、聞いていてつくづく思ったことは、
これはですね、物の考え方だと思うんですけど、
私たちに、つまりライフハックコミュニティというものがあるとして、
そして私がそこの中にいたとして、足りていなかったものは二つあってですね、
一つはお金なんですよね。
一体全体、このライフハックコミュニティというものは何をくれたんだろうかっていうか、
何をもたらすことができたんだろうかと考えたんですよ。
コミュニティが盛り上がるということは、
パッと考えると多くの人がそこに集って活気があるってこういうことだと思うんですけど、
つまりそれが実現するためには、
突き詰めて言うと、そこに来るだけの意味があるってことになると思うんですよね。
足しげくかゆい、リアルでやらないにしてもですね、足しげくアクセスする。
足しげくアクセスする理由がないと、
人はそこに足しげくはアクセスしなくなると思うんですよ。
何でも何かがあると思うんですね、足しげく行くには。
お金がないってのは結構問題なんですよ、やっぱり。
この資本主義の世の中において、一定の大きさを持ったコミュニティにお金が全然ありませんっていう、
お金が儲かることもなければ、そこに行ってることによってお金が儲けられる人になるわけでもなく、
09:02
しかも最近流行りの言葉で言うと、一橋の人とかになれるわけでもないと、何者かになれると、
そういうことも言わないってことになってくると、毎月日曜日ごとに何のためにここに行くんだろうってことになりかねないわけですよ。
ていうかなりかねなかったんだと思うんですね。
よくライフハックというのは、これはブログでも書いたことですけど、
エクセルで素早く行と列を入れ替えるとか、そういう技じゃないですか。
一個一個を見ていけば。
それは行効率が少しは良くなると思うんです。時とによっては多大に良くなると思うんですけど、
それはエクセルの本を買って読めば実現しなくもない話で、
それをやることによって、人生が多大に好転するとか、
脱サラしても生きていけるようになるということが一切言われないのならば、
わざわざそこに行くことはないよなと思われてしまうと思うんですね。
そこでなんでコミュニティにお金がいるかというと、
コミュニティで活動する人がせめてこれを仕事か仕事に近い状態にできるというのでないならば、
多分そのコミュニティから積極的に何かが提供されることは実現しないなって気がするんです。
これはですね、シビアすぎるように思われるかもしれないんですけれども、
北さん自身会社員になったわけですね。
なんでもそうなんですけれども、
いろんなことを知っていて、いろんなものを持っていて、いろんなことを試していて、
それについていろんなことを喋ってくれるという人は、
現在この国においては何らかの形でお金があるんですよ。
例外はありますが、でも全くお金がない人はそこに来られないと僕は思うんですね。
特にライフハックですから、
iPadの初代とかを買える人ははっきり言ってお金に恵まれていますよ。
一体初代iPadは何になったのかと。
私の机の奥の方でもベトベトになったのが眠っておりますが、
あれ何になっただろうって思うと何にもならなかったんですよ。初代ですからね。
あれに手を出せていた当時の私はお金回りが悪かったとは言えないですよね。
じゃあ、そのお金を使ってiPadについての知識をふんだんに仕入れて、
12:01
一生懸命喋るという、そういう余裕をどうやって作ったらいいんだろうかと。
それは、私はライフハックで生きるしかないと思うんですね。
もしそうでないというならば、
おじいちゃんから駅前の土地をたくさん相続して、
そのマンションの家賃・収入が毎月うんぜん万あります。
ってんならやれますよね。
つまり、コミュニティのメンバーのお金回りが良くないと、
難しいと思うんですよ。ライフハックコミュニティみたいなところで、
聞いたこともないような、見たこともないような、
新しい情報がどんどんそこから投入されるということは。
ところが、ライフハックをやっていた人は、なぜなのかは難しいんですけど、
これはたまたまなのかもしれないんですけど、
北さんも含めて、お金にきれいな人が多かったんですよ。
私の記憶している限りではですね。
悪いことではないですよ。むしろ良いことだと思います。
ですが、とにかくそういうことなので、
そこで活動したからといって、お金にはならないんですね。
当時50人も集まったとしても、確か参加費用2000円とか、
しかも学割ができて1500円とか、そういう数字だったから、
総額を集めてみても、会場費が賄えるのが精一杯みたいな感じじゃないですか。
それで活動することによって、何かしらの収益が入るというような数字じゃないんですね。
これはどこまで行っても割とそうでして、
ブログを書くにせよ、コミュニティのFacebookで投稿するにせよ、
全部一言で言うとボランティアなんですよ。
好きでやっているから、大好きだからこれをやっているから、
というやり方なんですよね。
いいと思うんですよ。いいと思うんですけど、
そうすると投稿がゼロになって活動する人もいなくなっても、
そう不思議な話じゃないと僕は思うんですね。
私はそれでも何度か言ってたんですよ。
投稿は全然しませんでしたけど。
投稿するっていうのはエネルギーがいるんですよ。
片手間にできるようなことではないと思うんですよね。
私はライフハック系の、こうやって記事書いたり仕事したりしておりますから、
片手間にもやれそうに思われると思うんですけど、
片手間にやるっていうのは結構、
この話が次に繋がるんですけど、
嫌なものなんですね。
何かこう思いついたと。
エヴァノートの今度ホームをこうしてみよう。
これを何の整理もせず雑にパッと投げられるかというと投げられないですよね。
15:02
一歩間違うとね。
だからこういろんな話が出たんですよ。
ツイッターみたいなのもそうですし、
2チャンネルで盛り上がったって話がちらっと出たんですけど、
分かる気がするんですね。
2チャンネルの創始者であったひろゆきさんが以前こういうことを書いてたことがあるんですよ。
申し訳ございませんが、エヴァノートのこの使い方が分かりません。
どなたか分かる方がいらっしゃったらご教授いただけないでしょうか。
それはですね、エヴァノートはこうこうこうこうこういうことで、このやりとりが無駄だと。
ひろゆきさんらしい言い方だなと思ったんですけど、
エヴァノートホームの便利な使い方教え入れ、ここにあるだろうみたいに、
こういうやりとりだから情報はスムーズに流れる。
だから2チャンはこういうやりとりをするべきなんだみたいなことを言われていて、
これはすごく正しいなとある意味。
ある意味、正しいなと。
私は今真逆に向かっちゃっておりますが、
それはグッドバイブス的な、結局ですね、
グッドバイブスってのは、もう全ての人がとは言いませんけれども、
下地って多少あるなと思うんですね。
私の感覚の中では、今まである程度封印してきたものへの回帰って感じがあるんです。
グッドバイブスの本を読んで、今までずっと封印してきたものに戻ってきているって感じが、
あるんですよ。
私はその、ひろゆきさんのおっしゃった2チャンネルの前振りとか、
礼儀正しさみたいなものはすっ飛ばそうというのは、
現代のこういう社会では一理あると思うんですよ。
だからそっちへなるべく向かってたけど、
私のやることは彼みたいに振り切らない、振り切れないので、
やっぱり中途半端なんですよ。
佐々木です、何とか何とかよろしくお願いします、ぐらいは言おうというふうになるんですよね。
思いっきり2チャンぽくはなれないんですよ。
なぜならばやっぱりそこに抵抗があって、
グッドバイブス的な話を読むと戻ってくるわけですね。
エバーノートというのはですね、みたいな話になるわけですよ。
だんだん私の書くブログが長くなっている気がするんですね。
それはそうなるんです、機質的に。
そういうふうに育てられたから。
もともとそうなんですよ。
一方で、例えばタスクシュートとかそういうのをやるようになって、
自分のボロを出さないようにする、それも無理してたわけですね。
現代社会に合わせてたんですよ。
ここもグッドバイブスで回帰してるんですよ、もともとの自分に。
だからすごく下地っていうことが絡むなとは思ってるんです。
あれを受け入れやすいかどうかみたいな。
やっぱり私は2チャンで1行URLを貼っておしまいにパッとするっていうような
コミュニケーションやり取りは苦手なんですよね、きっと。
それには理由がはっきりあるんですけれども、
18:04
その話をする余裕はさすがに今日はないので、また今度したいんですが、
要は丁寧にやり取りをした方がいいと思うんですね。
ただ丁寧にやり取りをする、コミュニティで活動していても収益には決してならない。
収益が全てじゃないから、完全にコミュニティからいなくなったりはしなかったんですけれども、
せめて何かが必要なわけですよね。
特にライフハック系となってくると、何か実利が必要なわけですよ。
ところがそれが何にもないような感じになっていたんですよね。
ライフハックをいっぱいやったからといって人生が劇的に好転するわけではないとか、
お金が儲けられるようになるわけではないとか、
有名人になれるようになるわけでもないとか、それでいい人はいいんですよ。
でも、じゃあ何でそれでいいのかっていう部分が、
私はライフハック界隈になるところに一応向けて、
Good Vibesと喋っているのは、何でそれがいいの、何でそれでいいのかということを
伝えられるようにするためなんですけどね。
何でそれでいいのかは欠けていたと思うんですよね。
それがお金が儲かったり有名になれたりするコミュニティの方に
人が行ってしまった理由なんじゃないかと思っています。
もう一つあるんですよ。
今までが一つ。
長くなる予感は正しい気がするんだけど、もう一つあるんですよね。
ライフハックコミュニティになるものが、
小さくなっていけないと私は本当は思わないんですけど、
大きさを維持していなかった理由、していけなかった理由があるとすれば、
距離を置こうとしたからだと思うんだよね、他のコミュニティと。
これはお二方の会話の中でチラッと出るというレベルなんですけど、
ああいうところには近づかないようにしようみたいな、
ああいうところとはどういうところかっていうのが具体的でないし、
具体的であると怖いから具体的でないほうがいいと思うんですけど、
この感覚ってすごくあるんですよ、私の中に。
私、時々この番組の中でも分裂消失って言ってるんですけど、
分裂消失の人間は人と距離を取りたくなっちゃうんですね。
なぜならば分裂消失っていうのは、自分の中の感情的な部分、
つまり幼い部分ですね、そこを守ってるんですよ。
いろんな分裂消失ありますから、全部このパターンで説明できないけど、
私を含め多くの人によく見られるパターンの一つとして、
21:04
脳科学的に言うと、変動体とか会話とか大脳変異園系と言われる場所ですね。
感情とかもっと原始的な部分、ここを守るんですよ。
ここを刺激しないようにしたい。
なるべく大脳心秘室の方だけで生きていたい。
特に人と関わるときはそうしていたい。
情緒を動かされると自分の未熟な面がさらけ出ちゃうので、
そういう事態に陥りたくない。
これが多分ですね、怒られたくないとか、怒りたくもないとか、
感情的なエリトリーが苦手だとか、表情に現れにくいとか、
そういった性質、そういう性格だと自分のことを思っている人の
生きてきた戦略なんだと思うんです。
これでほとんどのことは不都合起きないんですよ。
だって社会の中で必要なのは心秘室の方です。
コミュニケーションを取って複雑なやりとりができれば、
しかもそれを立地的にやればいいわけですよ。
そこで情緒のやりとりを必要としないと、
だけれどもある種のところで困ったことになるわけです。
例えば飲み会の時とかに、立地的なところばっかりでやっていて
面白いはずないですからね。
例えばそこでモノマネの踊りしろとか言われると困るわけですよ。
とても嫌なわけです。
だからそういうことを無駄と称して、そういうところには近づかないわけです。
こうしてですね、近づかない場所が増えていく。
これもなんとなくグッドバイブスの話と関係してくるじゃないですか。
来伯コミュニティが近づかないと言っている宛先は、
必ずしもこういうことではないです。
来伯コミュニティというのかな、界隈というのか、
私たちああいうところに近づくのやめようねと言っている宛先は、
宛先というのか対象は、
オンラインサロンというようなもので仕事も設けているとされているようなところです。
ようなところで伝わるかどうか分からないんですよね。
こういう仮想的みたいなものって、私は聞いていて思ったんですよ。
そのコミュニティを縮小させる大きな要因になり得ると思うんです。
距離を取っちゃいますからね。
分かるんですよ、何を言わんとされているのかは。
そうですね、でもやっぱり多少の例はいりますよね。難しい。
何が難しいって。
これは、距離を取るのは自由じゃないですか。
価値観と言ってもいいですよね。
これについて良いだ悪いだを言う話じゃないと思うんですよ。
君子危うきに近寄らずじゃないですか。
近寄らないようにしましょうと。
24:00
それはですね、最もだと思うんですよ。
私が感じたのは、ただコミュニティが盛り上がらなくなることと、
他のコミュニティ、それはどんなコミュニティであれ、
近づかないという意思表示をする。
なぜならばYouTube番組ですからね。
というぐらい割と強い意識があるということとは、
無関係じゃないような気がする。
ですね。
で、近づかないようにするというのは、その人の自由じゃないですか。
ただコミュニティの意思として近づかないような価値観が表明されて、
しかもそれに多くの人はおそらく同意するだろうと。
つまりその近づかないというコンセンサスが取れるだろうという
コミュニティが大きくなっていくのは、
結構難しいことなんじゃないだろうかという発想が、
私にはグッドバイブス的に流れてきた。
そういう感じですね。
これをなぜそうなるのかをつまびらかに、
分かりやすく説明するということは、私には難しいので、
ちょっと具体的にですね。
しかも具体的なのに実名を伏せつつ具体的にやるという。
実名を伏せたいかというとですね。
何かを非難しているようにどうしてもなっちゃうからですね。
すでにそうなりつつあるじゃないですか。
そういう意図はないんですよ。
つまりこういうことなんですよ。
途中で言いましたが、
コミュニティが盛り上がるというのは、
あるところに多くの人が足しげく通い、
わきあいあいと活発にやっているという感じだと思います。
僕は分からないんですよ。厳密には。
盛り上がるとしか北さんがおっしゃらなかったから。
彼の頭と私の頭は同じじゃないので、
一言これを言えば同じものがイメージされるということって、
やっぱり無理なんですよ。
あくまでもこれは私の推理であって、
当然間違っている可能性があるんですね。
私はその直感とひらめきに頼って生きている雑な人間なんで、
なんとなくこうだろうぐらいの感じ以上のことは分からないんですよ。
コミュニティが活発になる、盛り上がるというのは、
突き詰めて言うと、人と仲良くするということだと思うんですね。
一方で人と仲良くする、
言ってしまえばそういうことだと思うんですよ。
子供っぽいかもしれませんが、
でもやっぱり詰めていくとそういうことだと思うんですね。
私が言ったんですよ、分裂消失である私は、
人と仲良くするのが苦手であるというのと同じことですよね、これは。
理知的なコミュニケートのやり取りはできても、
情緒的な交換というものに相互の楽しみを見出すのが難しいと。
27:04
この表現が既に理屈っぽいじゃないですか。
でも人と仲良くするのはあんまり得意じゃないですよということになるわけです。
人と仲良くしなかったらコミュニティ盛り上がらないと思うんですね。
なのに、ああいうところには近づかないようにしようという取り決めが
コンセンサスを得るということは、
人と仲良くするにしても仲良くする人を厳密に選んでいこうねということになると思うんです。
僕はこれがですね、線をどんどん引いていって、
最終的にはその線は自分一人を除いてみんなと線を引くという流れを、
実際にはそうは、例えば北さんが肩を振っている限りはならないと思うんですよ。
彼は人好きする人で、僕とかとは違うんですよ。
僕はこういうふうになりやすい。
線を引いているうちに自分一人以外の周りには全部線を引いちゃうということをやりやすい。
何のために線を引くのかというとですね、
彼らと混同されては困るという意味だと思うんですよ、線を引くというのは。
線を引くってからには近いってことだと思うんですね。
一歩間違うと同じだと見なされる。
それは嫌だから線を引くってことだと思うんですね。
あいつらと私は違うと。
だけどこれは畳から見るとものすごく気難しいコミュニティを作り出すんですね。
もう散々私たちはこれをやってきていると思うんです、歴史的に。
これも名前は伏せます。
なぜならば父が名前は伏せるようにって言うんで私にね。
私の小さい頃から生きてきたお寺の集団はどんどんどんどんコミュニティを小さくしていったんです。
半分に割ってそれを半分に割ってさらにそれをまた半分に割ると。
その度にね、私子供の時に思ったんですよ。
正しいって字をつけるんですよ、そのセクトは。
宗教ってのはそういうもんなんですよね。
正、正っていう字をつけたがる。
なんとか正解とか、なんとか正、真正とかね、真実正とかね、そういうのをつける。
そういうのをつくたびにそのコミュニティが小さくなっていくんですよ。
ラディカルにもなりますけどね。
これを私はつぶさに見てきて、線を引くってことをやって
コミュニティが盛り上がるっていう方向に向かうことは決してないんだなっていうのを知ったんです。
ついでに言うと、もともと仲違いした原因がある人の指導者にあったとするじゃないですか。
その人が死んだからといって仲直りしたケースは僕は一つも知りません。
必ず分裂した後は大喧嘩になって
ほとんど修復不可能なレベルまでずっと、一本しか殺し合いを始めかねないレベルに。
30:03
そして遠くから見るとその2つはそっくり同じに見えて、
現にいろんなマスメディアとかにも報道されるんですけど、
常にいつも言われることは犬も食わないなんとかと同じだっていう風に書かれるわけですよ。
これが私はライファックコミュニティというごくごく小さいコミュニティでも類似のことが発生した気がするんです。
分かりやすい例で言うと、例えばタスクシュートとGTDとかですよね。
線を引きたがるというのは畳には良いことじゃないんだなと。
中にいる人間からすると、なんかそれが絶対この2つは相入れないみたいに思うんですけれどもね。
皆さんご存知ですか?
橘隆さんが本を書きましたね。
中核対核丸という。
どっちがどっちだか分かる人ってすごい少ないと思うんですよ。
審査翼の要するに内下馬って呼ばれてましたけども、
セクショナリズムで本当に殺し合うんですよ。
殺し合うのかな?少なくとも金属バットで殴り合うんですよね。
でも多分遠くから見るとそっくりなんですよ。
当事者には申し訳ないかもしれませんけどね。
この話の中核対核丸以外は全て伏せてますけども、実名は。
最近で言うと、何者かになりたいで、私もこの番組でお話したお話があったじゃないですか。
例えばそういうサロンと距離を置くべきだという考え方が一方であると思うんですね。
それはまあまあそういう考え方はあるだろうなと思うんだけど、
なんでなんだろうっていうのも一方であるわけです。
つまりこれが最初の問題であったところのですね、
お金って問題に絡むと思うんですけど、
例えばお金を儲けているからなんだろうかと。
一体全体オンラインサロンとかそういうところで距離を置くべしって言われてる対象ってのは実際そんなに悪いんだろうか。
悪いってのはどういう意味なんでしょうね。
それはそれで私は考えさせられるんですよ。
コンセンサスがさっと取れるということはみんながあれは悪だって思うってことだと思うんですけど、
どうして悪なんだろうと。
この種の悪ってのはすごい頭のいい人や十分ものが考えられる人が何か検証してそう言ってるように聞こえるから、
ついついそうだと思うじゃないですか。
あれは悪いんだろうなとそういうふうに思うというのも最もなんですが、
私はどちらかというと言われてきた側の当事者としてそこで成長してきた人間なので、
33:03
この種の話は言うほどすごく検証されてもいなければきっちり考えられてもいないようにも思うんですね。
わからないんですけどね、私には。
オンラインサロンの実体調査とかをしたわけじゃないから。
だけれども、私は信者ビジネスってよく言うじゃないですか。
信者ビジネス、あれは信者ビジネスだから近づくべきではない。
でも私は信者ビジネスだと言われてきた側の人間だったんですよ、ずっとね。
1980年代というのは一番最後の知識人は基本左翼だっていう考え方の時代ですよね。
知識人が基本左翼である世界において宗教というのはもう本当に真っ黒ですよ。
うちは寺だったわけですね。
で、私は学校の先生によく言われたんですよ。
お前のところの親父は信者ビジネスをやってんだろうと。
本当にこの通りですよ。この通りに言われるんですよ。
幼稚園の先生にだって言われましたもん。
私幼稚園児だった時ですよ。
で、信者ビジネスだと。
信者ビジネスなわけですよ。
信者ビジネスに決まってますよね。
うちに来てるお客さん全員信者なんですからね。
で、なぜなのか。
なぜこれが、これは日教祖というところからの流れなんだけど、
もうちょっと言うとなぜあれはそんなにみんなの目にはいかがわしく映るのかというと、
信者ってそもそもどうやって増えていくのかと。
これ結局全ての人がそうなわけじゃないんですけど、
先祖代々信者さんという人もいっぱいいますからね。
ただ増えていくために必要なのはやっぱり他のコミュニティからあぶれてくる人なわけですね。
うち川の前に家がありましたから川には橋がありますね。
当時橋の下で暮らすって言葉は文字通りで橋の下に人暮らしてるんですよ。
子供ながらにしてなんとなく怖いしなんとなく面白いしで、
時々遊んだり時々遠くから眺めたりしてました。
お酒の瓶とかいっぱい置くんですよ橋の下に。
そうすると橋の下通れなくなっちゃいますよね。お家みたいになってるから。
でもみんな橋の下通らないわけにはいかないから怖いじゃないですか。
そこに人住んでるわけですよ。
ここに住んでる人がしばしばうちに来るんですよ。
うち寺ですからね。
うちの物置とかに寝てそこでうんち漏らしたりするわけですよ。
で、それを片付けるのがうちの父じゃないですか。
これが信者ビジネスですよ。
その人にお金とかあげて、
なんかこれで食べなさいねみたいな感じで接するわけです。
それはそれっきりですよ。
それはそれっきりですけれども、そういうところから信者さんっていうのは増えるんですよ。
36:01
その人が信者さんになるとは限らないですけどね。
でもそうやって増えるんですよ。
これどういうことか。
何がこれでいけないのかというと、
それは当時はバブルに近い時代でしたから、
ああいう人たちは働けば働けるのにああしてるっていう風にみんなみなしてるわけですよ。
ところがそれを寺が取り込んでいく。
そういう風に見えますからね。
言うじゃないですか。
今だって皆さんよく信者ビジネスで取り込まれていく。
つまりあるコミュニティからあぶれたアウトサイダーを他のコミュニティが吸収していく様というのは、
もともとちゃんとした、ちゃんとしたというのかな。
ここをちゃんとしたと言うんですよね。
コミュニティにいる人からすると大変うさぐさく見えるものなんですね。
私はその家の側の人間ですから、
物置で時々おじさんが寝ている家の側の人間ですから、
非常に考えさせられるものがある。
あらざるを得ないですよ、これは。
一方ではこれを、つまりそういう人を信者ビジネスだという人たちが、
じゃあうちのコミュニティで面倒見てあげましょうというわけじゃないんですから。
それらの人たちは結局放置されるべきだというニュアンスがそこにどうしても出ちゃうわけですよね。
でもそれを吸収するコミュニティは確かにあるんですよ。
別にうちの寺だけではないですよね。
それが神左翼だったり、あるいは神右翼だったり、
当時ではするわけじゃないですか。
どこを見ても信者ビジネスだって言われるわけですよ。
これが信者ビジネスだと私が言いたいわけじゃないですよ。
オンラインサロンは全てこうであるとか言いたいわけじゃないです。
悪であるというのはどうしてなんだろうってことなんですよ。
コミュニティを新たに作るからなんだろうか。
あるいはあぶれた人たちをコミュニティに誘い込むからなんだろうか。
だけどもあぶれた人たちはどうしてその元々のコミュニティからあぶれたんだろうかって考える必要はないかもしれませんが、
これに悪であると言うならば、
では全のコミュニティにいられなくなる人たちというのはどうしたらいいんだろうっていうことはあるんじゃないかと思うんですね。
ここまで深刻な話では元々はないですよ。
ライフハックコミュニティは私は途中行ったんですけど、
何をもたらすんだろう、何をくれるんだろう、そこにいたらどんないいことがあるんだろうと。
他に吸収されるということは、吸収という言い方をするけどね、それはこっちから見るからでしょう。
吸収されるということは何か吸収された先のコミュニティのほうがいいものがあるからなんじゃないんですかね。
それはみんな騙されてるってことになるんだろうかってことなんですよ。
39:01
もちろん出すよって言ってるものをくれるとは限らないですよね、コミュニティは。
しかしそれをもって悪だと言えるのかどうかはかなりはなはだ無理があると思うんですよね。
これからいくつか僕が頭に思い浮かんだことをしゃべっちゃいますけれども、
健全なものもあればそうでないとされているものもありますけれどもね、
それはオンラインサロンというところで提供されているものと非常にしばしば似ているし近いもの、遠いものもあると思うんですけど、
例えばこういうことをゴニョゴニョ先に言いたくなるのが神筆的なんですよ。
情緒でさっさとしゃべればいいんですけどね。
例えばテニススクールがありますね。
極めて健全な例を今考えてたんですよ。
うちの母は死んでもいいからもう一生テニスやってたいって言うんですよ。
そんなにテニスが好きだったかなって思うんですけどね。
あれは安くないですよ。
オンラインサロンの信者ビジネスレベルぐらいには払いますよ、あれ。
まあしょうがないぐらい言ってますけどね。
足しげくかゆっているわけですよ。
わきあいあいとしたコミュニティでね。
で、スクールに行って何がもたらされてるんでしょうね。
私の母は私ずっと一緒にテニスやってた時期があるんですけど、日に日に下手になってますよね。
しょうがないですけどね。
70歳超えてるから走れる速度も下がってるし、全然上手くなってないことだけは間違いないですね。
テニス一応上手くなるとかコーチが教えてくれるっていうのがそこで言われてることじゃないですか。
あれは詐欺なんですかね。どうなんだろう。
誰も詐欺だとは言わないし、信者ビジネスに吸収されてるとは言わないし、
コーチは詐欺師だとは言わないんですけどね。
でも上手くはなってないです。
で、で、ですね。
健康をもたらしてるでしょうっていう人もいるんですけど、私そうは思わないんですよ、実は。
ここ1年コロナの影響もありまして私テニス辞めてるんですけど、健康になりました。
あのテニスってスポーツ、結構不健康ですよ。
真夏にやると老人は熱中症でしばしば死にますし、肌も結構紫外線にやられて荒れますし、
いろんな意味でそんなに健康じゃないですよ。
肘とか膝とか絶対痛めますしね。
何をあれをもたらしてるんですかね。
でも行きたいと言ってるんですよ。
あれを母から取り上げたら死期早めるんじゃないかぐらいに行きたいんですよ。
こういうのありますよね、コミュニティというところには。
楽しいっていうことですよね。
オンラインサロンが楽しさだけを提供していてはダメな理由って何なんですかね。
金額はテニススクールより僕は安いところはいっぱいあると思います。
42:03
テニススクールは決して安くないです。
月3万ずつぐらいは払えますよね。
結局これは払えるかどうかの問題じゃないですか。
今の段階の世代より上の人たちはお金持ってる人いっぱいいます。
彼らは騙されていると言うべきなんだろうか。
多分そういう人いないと思うんですよね、私。
同じぐらい今同時に思いついたもっとずっと不健全な例でパチスロってあるじゃないですか。
あれはコミュニティとは言い難いですけど、
あれに金をどんどんつぎ込んで借金までする人っているじゃないですか。
あれはどうしてじゃあ、あれはバッシングする人いるかもしれませんけれども、
あれもオンラインサロンみたいに口汚く言われているのはあんまり僕は見ないんですよね。
自分の身近な人が借金までしてパチスロに投入し始めたら言い出すかもしれませんけど、
つまりそれは身近な人が被害者なのかどうかみたいな話ですよね。
そしてその人は被害者なんだろうかってことなんですよね。
この番組でも何度も何度も登場しているドコンジョウガエルの娘の話ありますけど、
あのお父さんたぶん1000万円以上パチスロにつぎ込んだ上に借金してますよね。
あれはさすがにちょっとあれだなとは思うんですけど、
別にパチスロが違法業務ってわけじゃないですよね。
これはどうして、あれが人生で最悪の出来事だとまでは言われないのに、
あるいはああいう人っていうのは現実に存在し、
それなりにみんながそのことを知っているにもかかわらず、
なぜオンラインサロンに騙される方は許しがたいんだろうか。
そっちに近づくべきではないんだろうか。
パチスロに近づくのはいいんだろうか。
僕はこれも結構整合性が取れない気がするんですよ。
よく思いで表現していることと、
例えばオンラインサロンで歌われている理念と、
実際にやっていることが裏腹じゃないかって話もよく出るんですけど、
私これもさっきのテニスで考えてみると、
テニスのオーナーはだいたい地主さんなんですけど、
彼らが何かの思いでやっているとは思わないんですよ。
でもだから悪いことだっていうのも何とも言えない気がするんですよね。
来ている老人はみんなめちゃくちゃ楽しそうですからね。
でもまあそれはあれですよね。
あれが信者ビジネスだというならば、
そして地主の懐には養分としてお金が入っているわけじゃないですか。
これとオンラインサロンというのは本当にそんなに
善悪の問題について違うっていう話になるんですかね。
例えばそれが心の健康のようなものをもたらしているだけだとした場合、
それは非難の対象になり得るんだろうかって思います。
もう一つ一番これがですね、
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どっちにも批判的になっちゃいそうな気がするんで、
だから実名を出したくないんですけど、
女の人がお酒をついてくれるところあるじゃないですか。
私あれが結局ある意味では心の養分的な話になってくると、
だんだんだんだん近づいてくると思うんですけどね。
あれは悪なんですかね。
あれにお金を見つぐっていうのはいけないことなんだろうか。
目的が達成されないとか、
自己投資になっていないというのは私は理由になってないと思うんですよ。
自己投資になってないじゃないですか。
テニスだって別に赤上手くなってないですからね。
パチスロだってなる人もいるかもしれませんよ。
それでお金すっげー儲かって家建てるとかね。
それは自己投資なのかもしれません。
だけど自己投資だったらいいんだろうかっていうことになるんですよね。
自己投資だったら借金してもよくて、
自己投資じゃないとダメなのかと。
でも私最近のオンラインサロン騒動を見ていると、
そうは見えないんですよね。
パチスロは自己投資ではない感じがみんなしてるじゃないですか。
オンラインサロンの方は自己投資だと言ってる人は思ってますよね。
こっちの方もしかも叩かれてる。
なぜなら投資になってないからだって言うんでしょうけれども、
なぜそれがわかるんだろうかって思うんですよね。
ひるがえってみて、
例えばライフハックをたったの3000円、2000円、1500円で提供する。
とても立派な心掛けだと。
私もそう思いますけど価値観が近いから。
でもそれは価値観近いだけじゃないですかね。
だってライフハックやっても人生は特別好転はしない。
お金も儲からない。
有名にもなれない。
確かに取っているお金は多額ではないかもしれないけど、
これは自己投資である。
理念通り歌っているものを提供している。
しかし多額にお金を取っているオンラインサロンは
信者ビジネスで邪悪だって。
なんでそうなるんだろう。
僕もその感覚にはのっかりやすいんですよ。
価値観が似てるから。
エクセルの行列をひっくり返すのは実用だけれども、
それっぽい人に近づいてそこで勘断するというのは
無駄な気がするっていうのは分からないですよ。
でも事実そうなんだろうかってことになるのは
すっごい疑わしいなっていうふうに思うんですよ。