00:06
おはようございます。福百日セラピー第1047回をお送りします。
9月4日、水曜日の朝7時28分です。
昨日ね、落とす予定は全くなく、実は収録を始めようとしていたちょうどこの辺ですね、20秒ぐらいのところで、電話がかかってきまして。
これ収録してますからね、電話なんてまあかかってこないんですけど、基本無視するんですけど、
昨日は心当たりはあったんで、電話出たら、やっぱ案の定ね、洗濯機がほどけられるということになっている電話だったわけですね。
先日の台風の日に実は来る予定だったんですけれども、台風だったから、昨日に延期してもらっていたんですが、
まさかこの時間に電話がかかってくるとは思わず、もう本当に、
すいません、今から行きますんで、みたいなノリだったわけですけど、今からって、今7時半なんですけどって感じで、
まあ9時前にも来ていらっしゃって、洗濯機なんで、もう搬入搬出その他諸々で、
こっちの準備も4,50分はかかるところなので、やっぱりこうね、まさかこの収録していて、長時間が扱えていてピンポーンとかになるのはよろしくないので、
諦めました、昨日は。というわけで落としました。
うん、まあ壊れちゃったわけですね。しょうがないですね。もう、うちの娘より昔からいる洗濯機なんで、
そろそろ寿命が来るわけですわな。毎日毎日モーター回ってますし、うちの奥さん洗濯大好きなんで、
1日多い時は結構するんで、まあ、しゃあないですね。これだけ使えば壊れるよねという感じでした。
というわけで、昨日は取れずに、落とす予定は全くなかったんで、まさにこんな感じのタイミングで電話がかかってきて、
もうその後は成り行きの中でですね、気がついたら10時みたいな。そうなりますよね、多分ね。
そうならざるを得なかったという感じですね。
はい、気を取り直しまして、今日はですね、皆さんご存じないかと思うんですけど、
坂田マリンさんという方が、こう読むんだと思うんですけどね、昭和にハマっている令和の女の子っていう、
そういうノリでやってる方で、面白いなと思って、何が面白いって、
昭和の語りが、私は知ってる世界の話をされているんだけど、
彼女は基本知らない世界のこととして話してるんで、そういう語り方しない、
まあ今珍しくはないんですけど、それが非常にこううまくまとまっている上に、
03:02
またまさに私がよく知ってる系の話をされているんで、面白いなと思って聞いていて、
その中で第1回でですね、自己紹介していて、そういえば私はあまりにも自己紹介というものをしてないということに気がつきまして、
そういう気がつき方なわけですよ。
だから坂田マリンさんをここで出してくる理由は何にもないんですけど、
レコードというものを初めて見たといって衝撃を受けてみたりですね、
レコードに衝撃を受けて昭和にハマったって方なんですけど、
読み方がいいなって思ったんですね。
小泉きょんきょんさんとかっていうわけですよ。
そういう言い方って昭和で彼女を知ってる人は言わないじゃないですか、そういう言い方はしない。
私は知らない方だけど、そうは言っても全く聞いたことも見たこともありませんってことはないわけだから、
そういう言い方をするっていうのが新鮮だなと思いまして、
ちょっと聞いたり見たりしているわけですけど、基本聞いてるんですけどね。
この語りがまた勉強になるんですよね。
まるでラジオのパーソナリティみたいだなとは、この話ちょっとしようと思ってるんですけど、
私は全然そうじゃないと言いたいわけですが、
つまりですね、ちょっと自己紹介がてらCMもかね、
かつラジオのパーソナリティみたいだというのはどういうことかっていうような話をしていければいいかなと、
相変わらず何の青蛇心もなく漠然と喋っております。
あと、これからじゃあ行きましょうね。
最近3waysでも言ってるんですけど、
自己紹介っていうのは私は実は好きじゃなくてですね、
何のためにするんだぐらいに思っているんですね。
というのは結局、話聞いていれば紹介しなくたって大体のところ分かるじゃないっていう感じがあるんですよ。
私ここで思うのが、やっぱり私は野球人間なんで、野球大好き人間なんで、
プロ野球の解説者って大体大物が多いんですけど、知らない人も結構いますよね。
最近特に私はめちゃくちゃローカルなのを見てるから、
私ぐらいいろんな人を一応まんべんなく見てきたつもりでも知らない人出てくるんですよ。
解説で知らない人が出てくるってやっぱすごいことなんですよ。
それなりにレジェンドしか解説できないんで、
あからさまに聞いたことも見たこともないっていう人が解説するってことはほぼないので、
だから聞いたことないなっていう解説者ってまず出てこないんですけど、
最近はさすがにたまーに出てくるんですよ。
YouTubeとかならわかるんですけどね。
で、その時に思うのが、自己紹介いらんだろって感じなわけですね。
ここで、いや昔ドコドコファイターズでセカンドをやっていましたとかって言わないし、
言う必要もない、言いますよ、実況の人が。
軽くね、だけど軽く触れるだけなんですよ。
別に私たちは解説のパーソナリティを知りたいわけじゃないんで。
だから、やっぱね、ローカルでやってると面白いなと思うんだけど、
野球の解説そっちのけにして、自分の伝説を語り出す人いっぱいいるんですよ。
06:00
これ割とキー局の人でも時々そういう人いますけど、
面白い人だなと思っちゃうんですけど、
居酒屋で飲んで自慢話してるんじゃないんだからってやっぱ思うんですけどね。
でもまあ面白いなとは思うんですよ。
まあ僕みたいに面白がるやつがいるから、
そういう野球の試合そっちのけで昔話が始まっちゃったりもするのかなと思うんですけど、
まあそれはそれとして、
だからつまり自己紹介っていうのは僕は基本的にはいらないだろうと思ってるわけですね。
だけれども、それはそれで不親切なのかなと時々は思うんで、
100回に1回ぐらいはしようというののうちの1回が今日というわけですね。
で、私の自己紹介困るのがまず職業がないんですね。
3waysでしばしば作家のとかビジネス書作家のと言ってたんだけど、
言う度にね、でも私の収入のもはや1割前後になってしまってるビジネス書を書いてるって事実は、
果たして職業紹介としてありなのかっていう。
だけど今で言うと3ヶ月チャレンジ主催者乗ってても多分よく意味がわからないと思いますし、
次回からちょっと一時少なくとも1回は解消しようと100日セラピーセラピストのとか言っても、
セラピストなの何なのっていう感じしかしないと思うし、
もうない。あとはJ松崎さんをお手伝いしているとか言っても、そうするとJ松崎って何者って話になるじゃないですか。
これはこれで困るし、タスクシュート協会理事はいいと思うんですよ。
肩書きとしては素晴らしいと思うんだけど、タスクシュートの説明しなきゃならない気がして、
しかもこの番組でタスクシュートの説明をクダクダとするのって何か少しズレがあるじゃないですか。
だから結局はよくわからなくなってですね、フリーランス乗になっちゃうわけですね結局ね。
でフリーランス乗って言うともはや何も言ってないのと同じな気がするんですよ。
あれって自由行乗ってことになりますもんね。自由行乗って言わないじゃないですか。
自己紹介するとき自由行乗の佐々木ですって言っても何も言ってないのと変わらないですよね。
ほとんど日本人の佐々木ですって言ってるのと同じなんで、本当困るなと。困るがお前だって感じなんですけどね。
まさに私が困ったやつなんですよね。
これが私のでも特質として皆さんに一つお伝えしておきたいところでもあるんです。
私は何者でもないと。そして何の技能も何の能力特殊能力も持ってないと。
ここを皆様にお伝えしたいんですよ。
だから二つのメッセージがここにあるんですね。
一つはそういう人間でもこの日本という社会は人を50歳まで生かし得る割といい国ですよっていうね。
僕は別にナショナリズムは全然なくて、政権交代も3回に1回以上は起こった方がいいと。
09:02
立民でなくていいとは思うんですけれども。
3回に1回か4回に1回ぐらい起きてもいいんじゃないかと思うんですけれどもね。不安定になりますけどね。
でもそういう人間なんですが、別に僕の政治心情ではこれはないんです。
何となく漠然と思っているだけで、投票行動にそれが直接反映されているわけでもないんですけど。
でもまあまあ今のままガッチガチでいきましょうみたいな感じに思うほど、
私はこの国で何かいい思いばかりしてきたとは言い難いんで。
うちの父の職業からしてもややアウトローですからね。宗教などというのはね。
国からある意味相手にされてないという側面があるから、宗教法人税はかかってこないわけですし、
あれかかったところでね、なんか宗教法人は丸儲けしてるから取るとすごい潤うみたいな誤解があるんですけど、誤解もいいところで、
かかったところで、経費もすごい抜群にかかるんで宗教って。だって建物すごいじゃないですか。
そういうものは全部、ああいうものだけである意味成立している世界なんでですね。
あと坊さんにかかってる人権費っていうのも結構バカにならないんですよ。経費というならばですよ。
給料は当然払われていますしね、辻ごとに。
20人体制ぐらいの大規模なお寺もいっぱいありますから、
それらのお寺では、お坊さんって四六時中働いてますから、はっきり言って周波にもよるかもしれませんけど、やることはいっぱいあるんですよ。
だから四六時中働いてるんで、あれに残業代とか全部付けたら大変な金額に、あと三食月ですからね、しばしばね。
大変な金額になるんで、そんなに国に納める金がいっぱいあるとは信じられないなっていう感じが。
もちろん個人がそれをもらうんだったら大きな金額になりますけど、国がそれを収集するという意味で、そんなにデカいかっていう感じがするんですよね。
まあいいや、そんな話をいくらしててもしょうがないんで。
というわけでですね、何の話をしてたんだ。
つまり何者でなくても50年生きられるって大したことだと思うんです。
何であってもですね、少々その人が恵まれていたとしても、うちでも資産家ってことじゃないんで、さっきも言ったように宗教ってアウトローなんでですね、
なんかこう莫大な資産が手に入りますみたいな世界には生きてないんですよ。
欲も悪くもね。
もちろん物凄い大きなお寺なら別かもしれませんけれども、都心にある新宿にあるお寺とかだったら別かもしれませんけど、
そういうのでないうちのようにですね、一人養うのがいっぱいいっぱいなお寺って、要するに冷裁企業に限りなく近いんですよ。
かなりうまく経営して、まあまあの社長さんみたいな、そういう人は生活には困らないっていうある種の気楽さはありますけれどもね。
12:03
で、そういう人間でも50年やっていられる。
もう一つはですね、だから何者かである人は自信持ちましょうってことなんですね。
余裕、余裕ですよ。大学教員とか、大変だと思いますよ。
何でもいいんですけれどもね。
それこそ臨床心理師の方とか聞いてないと思うんですけど、この番組なんて、本当余裕でいけます。
何しろ何者かであるわけですから。
僕なんか何者でもないわけですからね。
この差はでかいんですよ。
なってみるとわかります。
何者でもないっていう存在になってみるとね。
全然国はバックアップしてくん、国の役に立ってないですから。
もうそれは100も承知ですけど、お前本当にいても何の役にも立たないねっていう、そういう国の態度なのか、向き合い方はよくわかります。
でもそれはいいんですよ、別に。
死ぬわけじゃないからね、それで。
ここで国と戦うみたいな気に絶対ならないですよ。
だってそういうのは鈍器放て感しか僕には感じられないんで。
別にそういう運動があるっていうのはわかるんですよ。
フリーランスの方が一時運動を起こしてたのもあるし、僕も国民健康保険みたいな話だったらわからなくもないんですよね。
でもあんまりわかりませんけどね。
守られてはいない、あんまり。
例えば出版社さんが私たち、これは出版業界の独特の契約形態がいけないんだけど、出版社さんが契約を交わす直前でね、
うち金ないからあなた本書いてくれたけどちょっと今回はお支払い勘弁してねって言われると1円も取れません。
僕の経験では1円も取れないですね。
これを国に訴え入れても国を相手にしてくれないです。
僕は簡易裁判所に訴えたことがありますからね。
全くそれによる何の効果も得られませんでしたから。
納得しました。
納得はしないんだけど、理解しました。
理解ですね。
理解しました。
このようなことを僕社名は絶対出さないんですけれども、社名を出してこういうことがあってひどいねってことをSNSでやると、相手からは名誉毀損で訴えられる可能性があります。
それ不思議な感じがしますけれども、こういう1社間、2社間の関係を外に出してバッシングしていいっていうことにはなってないんですよ。
やり方はあるんですけどね。
それを一生やってても何もならないと思うので、どうせ言ってしまえば著作料というのは、書釣りは個人の生活には大きいですよ。
大きいけど柱金なんで、こんなことを真剣にやってても誰も真面目には取り上げてくれないんでですね。
泣き寝入りするのが一番いいなっていう、ここなんですよね。
今日お伝えしたい。
泣き寝入りって今の時代非常に嫌われているんですよ。
いろんな理由があってね。
15:01
ある種、新自由主義的なものだと僕は思うんですけど、個人主義と言っておけばいいのかな。
個人主義が発達してきて泣き寝入りってもうね、なんかね、急にどんなに寛容な人でもそれは絶対なんかこう、単に寛容とか忍耐強いでは済まされないですよ。
もうなんか悪に加担したぐらいに言われるんですよ。
だから泣き寝入りするってやつは、被害者なんだけど攻撃もされるんですよね。
私はですね、ここで抑鬱的にならないというのが非常に大事なんだと思ってるんですよね。
戦闘的にならずに抑鬱的にならないというのが僕が現在目指している思考なんですよ。
別にこれを例えば3ヶ月チャレンジの参加者さんにゴールとして共有しましょうという働きかけはしてないんだけど、
僕の定流にはこの価値観があって、どっちを選ぶべきですかっていうのを突きつけられた時には、
私なら抑鬱ポジションを選択し抑鬱的にならないっていう方を選ぶっていうのが、
僕の中で唯一一貫しているかなというのはこの辺なんですね。
だから3ヶ月チャレンジっていうのを私はやってますと。
今日は佐々木翔吾を紹介する回ですけど、まず僕は何よりも3ヶ月チャレンジやってます。
これも収益の5割を超えてますとかじゃないし、実は一番でもないんで、
ここはだから3ヶ月チャレンジ主催者ですっていうのも変な気がするっていうところなんだけど。
とにかくまずは私は3ヶ月チャレンジをやる人で、ここでやってることはどういうことか。
専門用語をあえて外して言うならば、難しいですね。
これは一応自分の価値観というものとして、生き立つを大事にしましょうと。
でも人間関係っていうのはトラブルが起こるもんなんですよ。
やっぱり疎後というものは発生しますよね。
それは戦くるものなんで、戦にいちいち問い合わせをしているとだいたい自分が悪いっていう部分が見つかってしまうものなんですね。
だってその人と関係を結んだんだから。離婚が一番分かりやすい。
結婚した人と離婚するというのは100%相手が悪いとは言い切れないじゃないですか。
ただこれは離婚しちゃいけないって話ではないですよ。
ただどんな人と結婚したのであれ、自分が完全に脅されて結婚したっていうのでない場合は、
やっぱり相手のことを知らなかったにせよ、何にせよ、どこかに責任が発生するんだけど、つまり戦があるんだけど、
だからその分自分に責任があると考えるから自責の念が生まれますよね。
でもその自責の念で凹まなくていいっていうのを目指します。
相手が悪いから相手を攻撃するというのは私の価値観としては目指さない。相手が悪くても。
18:06
自分が悪いから自分を攻撃するというのも私の価値観としては目指さないです。
だから自分で責任を取るというのはいいけど、それによって落ち込まないというのを目指します。
落ち込まなければそれでいいと思います。
だから戦を踏まえることができて全く落ち込まないというところを目指します。
これが抑鬱ポジションに選択できて抑鬱的にならないってことの意味ですね。
だから私が例えば本を書く、そしてお金はもらえませんでしたということになる。
泣き寝入りするけど泣かないってことですね。泣き寝入りはしますが泣きはしませんということです。
そしてそれはダメだよって言われても基本スルーする。
基本スルーするというか、僕はここでありがたく頂戴するっていうのはそこまで自分を下げる気はしないので、
相手の言い分は理解することはできるけれども、理解することはできるに留めるということですね。
まあまあそういうことはありますからねっていう感じ。
ここで困らないってことですよね。
腹も立たないっていう状態をできれば目指す。腹も立たず泣かないってことですね。
だからといって、ここがやっぱりあるんですよね。
3ヶ月チャレンジでもそうなんですけど、情緒を大切にしましょうと。
腹が立たなくて泣かないというところを目指すんだけど、腹も立つし泣きたくなるんですよ。
ここがすごく大事だと思います。
感情をスプリットしちゃいけないと思うんですよね。
これをやってるっていうのが僕のそれまでのやり方で、感情をスプリットしてしまう。
しばしば感情を身体に覆わせてしまう。
身体の方で何とかしてくれみたいな感じになる。
その時に快楽を使うってケースもすごく多いんですよ。
まさか麻薬はしませんけれども、ファンザワはみますわね。
甘いものを食べるとか、お腹をいっぱい食べるとか、ご飯かっこむとか、やたら寝るとか、
全て身体に咳を覆わせている。
身体は悪くないんですよ、別に。
僕が物を嗅いだっていうのは、私の身体が勝手にやったことじゃないんで、
そういう物の責任を身体に取らせてはいけないとは思うんですよね。
もちろん人に取らせるっていうこともないんで、
そして自分がそれを取るんだけど、取るだけでいいんですよ。
泣きたくなったりするのはいいんだけど、泣きたくなったら泣きたくなればいいんだけど、泣かない。
泣かないっていうのは別に涙を出さないって意味じゃないんですよ。
とにかく欲打つ的にならないということですね。
なぜならば、それは罪ではないっていうのはこういうところに出てくるんですよね、グッドファイブスの。
グッドファイブスというのは倉園慶三さんという方が、
なぜか9年前とかでは考えられなかったんだけど、
21:02
彼の活動と主軸としてほとんど彼はそれだけを、倉園慶三さんはグッドファイブスを広める人にだけ今なっていらっしゃるんだけど、
それは多分東北の震災が影響してるんですね。
私は彼のその思想に一時的には大いに共鳴し、ほとんど一緒に仕事してた時期があるんですよ。
これ聞いてる人には分かりきった話だと思うんだけど。
その時に何を私は期待していたというか、当時の私が一番期待していたのは私の困りごとを何とかしてほしかったということなんですね。
具体的に言うと家庭内不安と貧乏とアトピーと心身傷全体ですね。
過剰な腰痛みたいなものも含まれます。
この3つは全部解消したんですよ、彼との活動の中で。
また彼の話を聞く中で。
だから倉野の慶三さんのグッドバイオスを聞いているうちに、私はアトピー治ってるし腰痛も消えているし、
家庭内不安も何とかなったし貧乏も脱したんですよ。
こう聞くと何か凄まじいことが起きてるんじゃないって感じがするじゃないですか。
凄まじいことが起きてるんですよ。
ただこの点だけは同時に押さえておいてほしいんですが、
これは全て偶然だった可能性も、それを否定する根拠は何もありません。
私の中ではそうではないけど、あくまでもそれは私の中での話です。
宗教というものや自己啓発というものとの付き合い方は、私はこれしかないと思うんですね。
それは作種か真実かという問いは、僕は成り立たないと思っています。
作種でもあり真実でもあります。
真実なら作種ではないという考え方は、僕はおかしいと思うんですよ。
客観的には何かを実証する術はないんですよ。
ここを僕らは何とかしたがっちゃうんですよ。客観的にはどうだったのとか。
客観的真実はどこにあるのという問いを立てたがるんですよ。
どこかにありますよねきっと。ただ僕はそれは知覚できないと思っています。
認識できないと思うんですよ。
つまり、例えば私のアトピーは治るべくしてたまたま治ったのかもしれないし、
倉園さんのお言葉で治ったのかもしれない。究極的にそこはわからないと思うんですね。
僕はここは現象学的に行くべきだと思っているんですよ。
すべて現実は夢かもしれないという可能性を100%却下する根拠ってないと思うんですね。
だけれども、私の中ではどっちを取ってるかってことですね。
僕はたまたま偶然のことだとは思ってない。
でも他の人にとって同じことが起きるという保証はできない。
できないと僕は思う。やっぱり。
それはやっぱりこの現実が私たちが100%正確に認識することができないから、
90%も僕はできないと思っているんで、できないものはできないんですよ。
24:02
僕が夢の中で夢だと気づけない夢がたくさんあるようにですね。
その時は夢を現実だと信じているというのが実態なんですよね。
気がついた時には夢だと気がつきますよ。そういうことは起こります。
だけれども、常時そういう状態で生きていることはできないので。
だからグッドバイブスというのは私にとっては真実だし、客観的にはわからないということになりますね。
今起きたことは私の内部では、内部って言っても私にとっては内部が全部ですから、
結局のところ私にとっては真実で、私にとっては現実ですが、
他の人にとってどうかは私の関与できないということですね。
という前提は永遠に動かないまま付き合うべきだっていうのが私の思うところですね。
3ヶ月チャレンジも同じです。これは僕は自己啓発だと思っているわけではありませんけれども、
あくまでも自分の仕事および仕事に深く関わる生活状況の改善を目指すサービスに留まりますけれども、
同じです。これが有効かどうかは参加者当人に決めていただくより他全くありません。
これが有効であることを極力僕がアピールするべきだと思っています。
僕このスタンスも変わらないです。
私はタスクシュートは有効だということは、
タスクシュートはしかも唯一有効だということを極力アピールしようと思います。
しばしば私に対してタスクシュートを使っていない人だって仕事うまくいってる人はいるんですよっていうEDMが送られてきて、
僕はこれは扇望だと思うんだけども、
そして何を言いたいかよく分かりますけれども、それは私の知ったことではありません。
私が信じるところをただ述べるっていうのと、
私のポジションから考えてもタスクシュートの有効性のみを訴えていくのが私にとっては当然で、
何もそうでなくたって有効なものがありますなどというのを私がPRする理由が何もないです。
私は世の中に対して公正な視点で生きてるわけじゃないので、
私の視点を取らざるを得ない、今私の目の前にはオムカイさんの家がありますが、
これを見てるのは今の時点で僕だけで、これが僕の視点ですからね。
他の視点だって取れたら嬉しいじゃないですか。
今で言えば同時にパリのオリンピックを眼前で見られる、YouTubeで見るとかじゃなくてね。
そのほうが嬉しいけど、そういうことできないんだから、
私は私の視点に縛りつけられている以上、私の狭い視野からものを語るんですよという人間です。
だいたいこういう感じのスクシュートを広める人ですよと、
グッドバイブスを信じている人ですよと、精神分析ですね。
なんで精神分析の話をやたらとしているのかというと、
さっきの3カ月チャレンジという、
仕事の改善と仕事に深く関わる生活、一般の状況の改善を目指すサービスをしています。
27:05
そのプロセスの中に抑鬱ポジションを踏まえて抑鬱的にならないというのがあります。
僕の考えでは妄想分裂ポジションというのが一つの対比、対なんですけど、一つの対ですねあれはね。
妄想分裂ポジションだけじゃないですよね。
抑鬱ポジションと妄想分裂ポジションは一対一じゃないんですよ、たぶん。
抑鬱ポジションというのは一つの精神分析というカウンセリングサービスです、あれは。
カウンセリングサービスで最終目標と、たぶん対象関係論だけかもしれないけど、
グループがあるんです。
メラニー・クラインという人が創始した。
この話ずっとしてると僕の紹介でも何でもなくなるんで、適当に切り上げますけど、
とにかくその抑鬱ポジションを確立すると。
抑鬱ポジションというのは何かというと、
生き殺を無視しちゃダメですってことです。
なんで精神分析というカウンセリングではよくお父さんとお母さんを奪い合いますの話をするか。
それは特に男の子は、女の子もですが、お母さん大好きだからです。
お母さんは私のものです。
でも違うんですよ。
お母さんがあなたのものだったらそもそもあなたは生まれてないんですってこと。
これは一殺じゃないですか。
一番最初に人間が全ての人が出会わさなければならない一殺は、
つまりこの世の中というものはあなたのものではありませんってことですね。
この世の中にあなたは生まれたのであって、
だからこの世の中があなたのものだったら、
あなたはこの世の中には今生まれてないんですよっていうこれが一殺ですよね。
原初の存在は全てこの一殺を通らないと生き物はね、ならないわけですよ。
だからお父さんを差し置いてお母さんを独占しちゃいけないっていうことにどっかで気づかなきゃいけないってことですね。
それをエリプスコンプレックスって言うんだと思うんですけど、
ここでとにかく何が言いたいかというと、
この一殺はあの人をがっかりさせかねないってことですよね。
残念ながらこの世はあなたが独占していいものではなかったんです。
それまでの独占欲まっしぐらで生きていた赤ちゃんはここでショックを受けますと。
このショックは並々ならぬショックなんですよ。
後から振り返ればなんてことはないかもしれないけど、
ここを受け入れるのは大変だったんですね。
三歳児にとっては大変だってことですよね。
ここを受け入れるようになるために、
ていうかここを受け入れることが倫理なんですよ、きっと。
とにかくその一番原始的な倫理ですよね。
あなた全てを自分のものにしちゃダメですってよく言われるやつです。
お菓子とかね、お金とか何でもいいんですけどね。
女の子とか男の子。
とにかく全部を自分のものだと思っちゃいけませんっていうことです。
で、その時に残念でがっかりするんですけれども、
そのがっかりで生きていくのやっちゃったりしないようにしましょうっていうのが
30:01
抑鬱ポジションを踏まえて、
いきさつを踏まえつつ、
抑鬱的にはならない。
それでも十分元気にやっていける。
でもいっぱい食べるものあるじゃないですかとかそういう話ですね。
これが難しくなるんですよ。
ある種の観点を取ると。
ダイエットとかを一生懸命やってるということになってくると、
今食べてしまわないと、
二度と食べられなくなるかもしれない恐怖みたいなものに襲われるんですね。
食べるものならいっぱいあるじゃないとかいうことが、
成り立たなくなる世界観が出てくるってことですね。
だから抑鬱ポジションを踏まえながら、
抑鬱的にならないっていうのは結構難しいことなわけです。
それをうまくやれれば多分仕事はうまくいくっていうのが、
僕が3ヶ月チャレンジで一生懸命伝えようとしていることで、
しばしばこれを僕自身もそうですけど踏み外すので、
そしたら抑鬱ポジションに戻ってきましょうと。
その時必ず抑鬱的な気持ちが一緒に襲いかかってきますけれども、
そこで抑鬱的にならないようにしましょうと。
話だけ聞くとなんてことはないと思うんですね。
自分はそういう活動をするようになったんですが、
なんでかというとさっきのタスクシュートが関係ありますね。
タスクシュートでなくてもいいんだけど、
仕事術ってみんなそうです。
仕事しましょうっていう術です。
一時はそれも個人主義の変と、
ちょっと日本の経済が傾いたせいもあるんだけど、
より短い時間でもっと多くの仕事をしましょうっていうのが流行りました。
これとビジネスショーが流行ったのは関係があるから、
私自身の生活環境にも影響を与えたんですよ。
早い話、ホリエーモンさんみたいな方が一番強く言ってたの。
そうしてシンプルに言ってたんだけど、
最短の時間で無駄を省き最大の成果を出そうっていう話をされてたわけですね。
これが一番ウケる。
多分これがウケるってことはみんなに余裕がなくなったってことですよね。
少々無駄なことをやってても、
終電まで飲んで、あとはタクシーで帰るみたいなことをやってても、
大丈夫だった時代はあったんで、
あれも本当はどうだったのかなと思うんだけど、
あったことになってるんで、
あの時代だったらよかったんでしょうけど、
そうじゃなくなってみんながなんとなくお金も悪くなってきたんで、
早いところいっぱい、あんまり疲れずたくさんの成果を出さないと、
戻らなくなってきたって感じがしたんですよね。
その時にライフハッカーとか言っていることがよかったわけですよ。
よかったんだけど、
私はそういう副反応がそんなに強く出るって言うほど、
このことを深刻には受け止めなかったんですけれども、
だって物には限度はあるし、
5分で50冊の本を書きましょうとか言うのは正気の差でないはずだったんだけど、
33:03
なんとなくAIを駆使するとか、
いろんな異常な手を使うと可能なような話になっていったんですね。
要するに裏技でゲームを一瞬で攻略するみたいな話になっていったわけですよ。
やっぱりエスカレートするってことですね。
それとして冗談みたいな話に近いんですが、
つまり、
なんていうのかな、
抑鬱的に人はなってしまうんですね。
このような状態で、
例えば5分で50冊の本を書ける人間が、
凡庸であるとかいうわけにいかないじゃないですか。
特殊な才能を持っていると言わざるを得なくなりますよね。
つまり何者かであるわけですよね。
超能力者とか、
例能力者とか、
スーパーなんとかとか、
いろいろあるわけですけれども、
なんでもいいんですが、
とにかくそういうものでありたくなったわけですね。
ただの佐々木翔吾とかはまずいわけですよ。
なんかね、こう、
和室の三畳間にいて、
ただぼんやりして、
転がって、
えーと、なんかこう、
なんでもいいんですけどね、
三谷サイダーかなんか飲んで、
ソース焼きそばかなんか食べながら、
ぼんやりしている、
ただのここにいる、
えーと、
人間のオスみたいなの、
ではダメなわけですよ。
欲物的になっちゃうわけね。
だから、
何者かになるというのは、
つまりお父さんになる、
ですね。
お父さんは特別な人だ、
っていうことになってしまったわけです。
で、
なんでもその人が取っていいってことになっていくわけですよ。
ある意味で、
非常に極端な話をすればですね、
えーと、
すべて、稼いだものがすべてを取るっていうわけですよ。
その異性も、
食べ物も。
最初の話に戻ってるわけです。
要するに、
あなたがこの世に生まれたのは、
えーと、
この世に生まれたのであって、
この世の所有者として存在しているわけではありません、
っていうのに定食しつつあるわけですよ。
もちろん一部ですよ。
その人たちは一部を取ってるだけだっていうわけですけれども、
この話は、
えーと、
突き詰めて言えばですね、
人のものを自分のものだと思ってはいけませんって話に、
当然、
えーと、
流れていくわけですよ。
どういう言い方をしても別にいいと思うんですけどね。
あのー、
いい、
なんていうのかな、
倫理の話だけをしているわけではないんですね。
いきさつの話をしてもいるということです。
でも、
いきさつ突っ払って考えてみれば、
全部私のものですって、
一瞬間的に要求、
あのー、
なんていうのか、
主張することは可能じゃないですか。
だって私は今、
なんか、
1000億円持ってますから、
全部私のものですと。
かつてはそうではなかったかもしれないけど、
そんなことは知りませんっていう、
このいきさつを無視すればですよね。
例えば、
私が大橋哲夫さんという方と、
36:00
2006年ぐらいから仕事を、
6年ぐらいからね、
ずーっとしていますと。
ここにいきさつというものがあります。
でも無視すれば、
あのー、
いきさつというものしかない、
じゃないんで、
特別契約を、
ね、
あの100ページからなる契約書を相互に交わして、
えー、
なんとかという仕事を今やっていて、
これ以外の仕事はしませんとか、
そういうことを、
相互に契約してるわけじゃないんで、
いきさつを頭から無視すれば、
あのー、
いや明日から大橋さんとやってる仕事は全部やめますとか、
今ならばそれほどそれは、
衝撃を与えないか。
Jさんとだったら、
衝撃与えますよね。
百日チャレンジとか、
マスクシュート協会理事とかやってんだけど、
いやなんか、
昨日宝くじに当たったんで、
もう全部やめますみたいな。
これがいきさつを無視するってことなんですよ。
可能になりますよね。
いきさつを無視すれば、
どんなことでも。
いきさつを無視すれば、
つまりお父さんのものだったお母さんを、
明日から私のものにしますと。
昔の古代エジプトとかインドとかでは、
現にそういうことが、
しょっちゅう行われてたわけですよ。
お父さんは殺しましたみたいな。
だってそれは、
今はもう自分が王様なんだからいいじゃないですか。
っていう話にしてしまうと、
当時は、
私が思うに当時の、
えー、
王子様とかだから、
教養もあっただろうし、
つまり倫理のない、
っていうことは、
そういうことなんですよね。
あったんですよ。
普通に。
よく書いてありますもん。
仏典とか。
まあ、うち寺だったから。
あ、双子は寺に生まれました。
仏典とか、
しょうがなく、
漫画とかで読むわけですよ。
そうすると変な数字が出てくるんです。
7の倍数なんですよ。
なんか、
昔からですね、
王子様が、
なんか言うんですよ。
あの、
手塚治虫の仏陀にも出てきた、
慈和家っていう人が、
あれはお医者さんってことになってますけれども、
あの神科になっていて、
慈和家さんが言うわけですよ。
王子様に対して。
王様になった王子様に対して。
あの王様ね。
昔から、
この国では、
王子が王を殺して王位につくという例は、
無数にあった。
1万4千何百何十何件あったと。
そういうね、
わけわかんない数字が出てくる。
7の倍数なんですね。
インド人7が好きなんで。
でも、
あなたみたいに、
お母さんを殺してしまうっていう話は、
聞いたことがない。
あなたのやってることは、
王族がおよそやることじゃなくて、
一番この国で、
ヤバいとされている人たちのやることだ、
っていうふうに悟した、
っていう話が出てくるんですね。
いや、王子は王様を、
普通に殺してたんだなっていう。
だって、
正確な数字のはずがないんで、
いくら慈和家さんだって、
1万4千何百何十何件、
データつけてましたっていうのは、
うそっぱしに決まってるじゃないですか。
でも、
そこら中で見聞きするっていう意味だと、
これは思うんですね。
これはだから、
常識だったわけですよ。
王様が王子様を殺して、
そのお母さんを自分の奥さんにする、
というようなケースは、
枚挙に挑まがありません、
って言ってるわけですよね。
そうなってしまうんですよ、
私たちは。
そういう戦を無視しても、
39:00
いいことにしてしまうと。
だから、戦は無視しないほうがいいです。
どうしてもってケースはありますよ、
そりゃあね。
恋優しかった旦那と結婚してみたんだけど、
翌日から何か殴るけるの暴行してきました、
みたいなケースはあるんで、
そういう場合は、
戦のことは一旦置いといて、
実家に帰るとかはあると思うんですよ、
全然普通に。
だから、でも戦を無視するのと、
考慮に入れるのはずいぶん違うんで、
ただ、だからと言って、
実家に帰っちゃったけど、
私は自分で結婚相手を選んだのに、
見る目がなかったと言って、
しょんぼりすることは、
しょんぼりしたくなるかもしれませんけど、
別にしょんぼりそんなにしなくてもいいじゃない、
っていう話。
その、
この時しょんぼりさせる要素として、
自分が選択をした選択は、
絶対守らなければいけません、
とかいう、
お父さんの教えなり、
先生の教えなり、
これを超自我と呼ぶんですが、
しばしば、
意識上位に置くっていうことをやってると、
しょんぼり度が、
抜けなくなってしまいますから、
そういうしょんぼりというものを、
えーと、
なんていうのかな、
いろんなやり方があると思いますが、
軽視で遠ざけるって言い方でもいいと思うんだけれども、
いずれにしても、
超自我に圧倒されて、
ひたすら抑鬱的になり、
いずれ大鬱的になるっていうのは、
避けなければならない、
だろうなと、
そういう話をするってわけではないですよ。
ただそういう価値観を、
心に持ったまま、
話をします。
3ヶ月チャレンジとかではね。
ということです。
だから宝くじにあたっても、
明日から大橋哲夫さんとやってる仕事を、
全部解消するとかはしないってことですね。
それは結局、
あの自由和歌先生が言ってるのと同じなんですよ。
やっぱね、
お父さんがいないのに、
自分が生まれてきたっていうことはありえないので、
そのことを過度に思い悩むことはないと思うんですね。
自分王様になったんだったら。
この王様になるっていうのが、
つまりお父さんになるってことだと思うんですよね。
究極的には。
いろんな言い方があるんですよ。
自分子供に後で殺されるの嫌でしょう、
みたいな言い方もあると思うんですよ。
自分だって人に裏切られるの嫌でしょう、
みたいな言い方もあると思うんです。
その言い方は、言い方なんですよ。
語り方って、
ナラティブってやつですよね。
それはどう語ってもいいと思うんですが、
大事なのは、
そういう気持ちを、
どの程度自分の中に宿させるかってことかな、
って感じがします。
あとは、
よく素敵にならない。
ここはよっぽど気をつけるところだと思うんですよね。
なぜならば、
普通になっちゃうからですよ。
これはもう本当に単純な話で、
いずれは毎日、
42:00
断歩するみたいな話でもいいんですよ。
毎日散歩しようと。
ダスクシュートに書きましたと。
今日も寝坊しましたと。
よく素敵になる。
こういうことなんですね。
こういうことにも、
この話が関係してくると、
僕は思うんですよ。
自分が過去に、
どういうものを自分に貸したか。
散歩を貸すとか、筋トレを貸すとか、
なんでもいいんですが、
それは戦ですよ。
だから、戦を踏まえるという必要はあると思うんだけど、
1分着手しますとか、
最近はプレ着手というのが流行っているので、
プレ着手しますと。
でもしませんでしたと。
それは戦なんですよ。
しますと自分が言ったのに、
自分がしなかった。
だからしょんぼりしました。
という欲愛感。
これはいらないはずだって思うんですよね。
戦はいりますよ。
だからしょんぼりしたくなるっていうのは、
いいんだと思うんだけど、
そこでしょんぼりすることは、
ないと思うんですよね。
ないという価値観を、
やっぱり持つ必要がある。
そのためには、
今ここなんですよ。
で、今ここはしょんぼりするんですよ。
だって今ここって、
つまりあるがままの自分ってことじゃないですか。
何者でもない
佐々木正吾ってことですよね。
かつては、
売れっ子だったとかいう時代はあったかもしれないけど、
今はそれはないですよね、別に。
で、何よりも、
どっちにしても、
自分が今この場にただ
こうあるだけ、
この時僕の脳裏によくよぎるのは
浦沢直樹さんのモンスターで、
ヴァイエルンの吸血鬼って言われている、
なんか手段を選ばず
金をガンガン儲けていって
人を没落させていく恐ろしいじいさんがいるんだけど、
彼がしみじみと
言うんですよ。
ヴァイエルンの吸血鬼と言われている自分は、
名前はずいぶんこんなに大層だけど、
私はこんなにちっぽけだ
っていうセリフが、これが
よく打つポジションなんですね。
今ここの私はこんなに
小さな単なるじいさんだ
っていう話ですよね。
そんなに恐れられているかもしれないけど、
そんなものと自分は全然関係なくて、
実体はこんなもんだ
っていう話。
安彦さん、ガンダムの
漫画家した人。
名前は忘れた。
最近ではですね、
日本のシベリア漢書の
漫画を描いている人がいるんです。
イヌイとタツミだったかな。
そういうタイトル。
虹色のトロツキーとか、いろいろ
戦前だ、
明治維新以後の
日本の様々な
苦悩を漫画化している
ガンダム描いた人なんだけど、
彼が
アレクサンダー大王ですね。
アレクサンダー大王の電気みたいなのを
描いてた時にもやっぱり
この話を描くんですよね。
45:00
ペルシャ帝国かなんかを
攻め滅ぼして、
宮殿に座った時に、
自分のなんとなく
大王感の無さに
絶望して
ちょっと側近とか殺しまくっちゃう
というシーンがあるんだけど、
ああいう感じですね。
自分ってものは
ちっちゃいっていう感じ。
それは
等身大ってことなんだと
思うんですけれども、
この等身大に
残念感を抱かない。
つまり、
家に帰ってきて、
あれとこれとするぞっていう風になるんですよ。
壮的になるっていう言い方もしますけれども、
なるんですよ。
そういうことはある。
そういう風に思ってしまう。
これは結局さっき言った
王子様が
お父さん殺して、お母さんゲットして、
この国ゲットしてみたいな、
そういう壮大な計画を立ててしまう。
王子様が立てる計画で
こういうもんじゃないですか。
武田信玄とかも
ある意味やってたじゃないですか。
まんまじゃないですけど、
そういうことって別にリアルに普通に
みんな考えるわけですよ。
私は元しょぼいから、
家に片付けて、
タスクシュートクラウド2の
新しいタブとかタグをきっちりセットして、
エヴァノートも整理してみたいな
壮大な計画を立てるんだけど、
何もやんないわけですよ。
家に帰ってきて。
で、いいんですよ。
何にもやんないほうがいいぐらいなんですよ。
壮大なことをやって、
ペルシャ帝国とかを
打破したほうがいいってことに、
歴史上なりやすいんだけど、
結構旗迷惑な面もあるじゃないですか。
だから、何にもしないってのは
すごいいいことなんだけれども、
僕らは、
アレクサンダ大王もそうだったみたいに、
等身大の自分に気づくと、
なぜかそれをすごく残念だと思うんですね。
それはやっぱり、
エリプスコンプレックスだと思うんですよ、
僕は。
このままではお父さんにやられてしまう
っていうこの感じが
残念なんだと思うんですよね。
いろんな意味で、お母さんがゲットできないとか、
お母さんがいないとか、
もともとそうだっただけなのに、
お母さんが例えば、
僕の相手ばかりをしてくれずに
愛人のところに行っちゃうとか、
愛人のところじゃないけど、
テニスとかに行っちゃうとかでもいいんですよ。
それは小さな子にとっては残念ですよね。
でも等身大の自分はそうだったんですよ。
急に始まったことじゃないんですよね。
もともとそうだったわけです。
つまり戦はそうだったわけですよ。
今私がここにいる戦は、
今ここの戦は、
ここに至るまでの戦ですね。
残念がるというのは
おかしな話なんですよ。
今ここを作り出したのは
自分ではないわけだから、
今ここに自分は
落とされたものなので、
それを残念がる、
残念がってるということができるのは、
落とされたからであって、
落とされたから残念がることができるの。
48:00
だから別に残念がらなければいけない理由は
何もないんですよ。
という話だと思うんです。
これが、
僕らのリアルに
一番引きつけて言うならば、
さっき言ったようなエバーノートが云々とか、
今目の前にある庭は雑草だらけなんだけど、
台風一下でね。
これをきっちり今日雑草除去するぞって
思うじゃないですか。
思うんですよ、そんなことは。
でもしないんですよね。
そこに欲打つ感を一切抱かないってことです。
別に雑草が生えてるのは、
昨日今日始まったことじゃないし、
今日枯らなかったからではないし、
そもそも残念がるということが
起きてるのは、
私が今ここにいるせいなんですよ。
今ここにいるっていうことを
残念がったって、
しょうがないじゃないですか。
それほど不毛なことはないとも言えるんだけど、
ここを僕らは受け入れられないんですね。
この受け入れられなさというのは、
お母さんを独占できないことを
受け入れられないのと、
気を逸にしているって言うのが、
僕が精神分析の中で
言うと、
僕が精神分析を
信じている理由なんですね。
これはグッドバイブスによって
解放された考え方。
私はもともとこの考え方に魅力を感じていましたが、
グッドバイブスという
クラスの系統さんに触れるまでは、
これが僕が
語ってはならないことのように感じていて、
これもだからいきさつなんだけど、
語ってはならないっていう、
いきさつ上の、
行きがかり上の必然性があるかって
問い始めたらない。
もちろんこれを語ることによって、
多分、どっかで
苦々しい思いをしている人が
ディスってくるかもしれませんけれども、
それを今私が恐れる理由、
結局それも
非常にエリプス的な理由でしかない。
もともとそういう世界に
私は生まれ落ちたのであって、
その人がそういう行為を
しないように僕がコントロールする
言われはないんですよね。
それは私がその人を
支配できる理由はないから
なんですよ。
こういうふうにいろんなところに
このいきさつを重視すると
抑圧的になりかねない
っていう課題は絡んでくる。
それを
ならないように
ならないように毎日生きている
っていうのが私です。
で、ならないようにならないように
生きるっていうだけで、
多分なんですけど、
僕が思うに仕事術としては
十分有効成分に
なり得るんではないかなと思っているのも
私です。
それをタスクシュート
というものに適応すると
別に書いてあることは
何であってもいいと僕は思うんですよね。
タスクリストとして書いてあっていることは
本当に何でもいいと思うんですよ。
壮大すぎる計画でもいいと思うんですよ。
でもそれができないというのが
あるがままの自分であるならば、
できない自分として生まれついたのが
いきさつなんですよ。
その等身大の自分を
責めたり憎んだり
怒ったり欲打ちしたりしない。
51:00
そしてそのいきさつを
頭から無視するというような
万能的な結末を得ようとしない。
そうですよね。
明日にでも株が上昇して
莫大な富を手に入れたら
今やっている仕事なんか
全部辞めても別に構わなくなるわけですよ。
金銭的なものだけが理由であるならばですね。
ただそういうことは
自分の身に降りかかってきたとしても
それを別に
こっちとして残念がある理由もないわけです。
私がJさんに
明日からクビですって言われたら
困るけど
なんとかなるはずなんですよ。
そういうことが起きたとしても。
この辺の話かなぁ
という風に思います。
この辺の話って
全部同じ話なんだろうなとも思います。
長くなったんで
まあこれぐらいにしますけど
これが自己紹介かな
と思っています。