またまさに私がよく知ってる系の話をされているんで、面白いなと思って聞いていて、
その中で第1回でですね、自己紹介していて、そういえば私はあまりにも自己紹介というものをしてないということに気がつきまして、
そういう気がつき方なわけですよ。
だから坂田マリンさんをここで出してくる理由は何にもないんですけど、
レコードというものを初めて見たといって衝撃を受けてみたりですね、
レコードに衝撃を受けて昭和にハマったって方なんですけど、
読み方がいいなって思ったんですね。
小泉きょんきょんさんとかっていうわけですよ。
そういう言い方って昭和で彼女を知ってる人は言わないじゃないですか、そういう言い方はしない。
私は知らない方だけど、そうは言っても全く聞いたことも見たこともありませんってことはないわけだから、
そういう言い方をするっていうのが新鮮だなと思いまして、
ちょっと聞いたり見たりしているわけですけど、基本聞いてるんですけどね。
この語りがまた勉強になるんですよね。
まるでラジオのパーソナリティみたいだなとは、この話ちょっとしようと思ってるんですけど、
私は全然そうじゃないと言いたいわけですが、
つまりですね、ちょっと自己紹介がてらCMもかね、
かつラジオのパーソナリティみたいだというのはどういうことかっていうような話をしていければいいかなと、
相変わらず何の青蛇心もなく漠然と喋っております。
あと、これからじゃあ行きましょうね。
最近3waysでも言ってるんですけど、
自己紹介っていうのは私は実は好きじゃなくてですね、
何のためにするんだぐらいに思っているんですね。
というのは結局、話聞いていれば紹介しなくたって大体のところ分かるじゃないっていう感じがあるんですよ。
私ここで思うのが、やっぱり私は野球人間なんで、野球大好き人間なんで、
プロ野球の解説者って大体大物が多いんですけど、知らない人も結構いますよね。
最近特に私はめちゃくちゃローカルなのを見てるから、
私ぐらいいろんな人を一応まんべんなく見てきたつもりでも知らない人出てくるんですよ。
解説で知らない人が出てくるってやっぱすごいことなんですよ。
それなりにレジェンドしか解説できないんで、
あからさまに聞いたことも見たこともないっていう人が解説するってことはほぼないので、
だから聞いたことないなっていう解説者ってまず出てこないんですけど、
最近はさすがにたまーに出てくるんですよ。
YouTubeとかならわかるんですけどね。
で、その時に思うのが、自己紹介いらんだろって感じなわけですね。
ここで、いや昔ドコドコファイターズでセカンドをやっていましたとかって言わないし、
言う必要もない、言いますよ、実況の人が。
軽くね、だけど軽く触れるだけなんですよ。
別に私たちは解説のパーソナリティを知りたいわけじゃないんで。
だから、やっぱね、ローカルでやってると面白いなと思うんだけど、
野球の解説そっちのけにして、自分の伝説を語り出す人いっぱいいるんですよ。
これ割とキー局の人でも時々そういう人いますけど、
面白い人だなと思っちゃうんですけど、
居酒屋で飲んで自慢話してるんじゃないんだからってやっぱ思うんですけどね。
でもまあ面白いなとは思うんですよ。
まあ僕みたいに面白がるやつがいるから、
そういう野球の試合そっちのけで昔話が始まっちゃったりもするのかなと思うんですけど、
まあそれはそれとして、
だからつまり自己紹介っていうのは僕は基本的にはいらないだろうと思ってるわけですね。
だけれども、それはそれで不親切なのかなと時々は思うんで、
100回に1回ぐらいはしようというののうちの1回が今日というわけですね。
で、私の自己紹介困るのがまず職業がないんですね。
3waysでしばしば作家のとかビジネス書作家のと言ってたんだけど、
言う度にね、でも私の収入のもはや1割前後になってしまってるビジネス書を書いてるって事実は、
果たして職業紹介としてありなのかっていう。
だけど今で言うと3ヶ月チャレンジ主催者乗ってても多分よく意味がわからないと思いますし、
次回からちょっと一時少なくとも1回は解消しようと100日セラピーセラピストのとか言っても、
セラピストなの何なのっていう感じしかしないと思うし、
もうない。あとはJ松崎さんをお手伝いしているとか言っても、そうするとJ松崎って何者って話になるじゃないですか。
これはこれで困るし、タスクシュート協会理事はいいと思うんですよ。
肩書きとしては素晴らしいと思うんだけど、タスクシュートの説明しなきゃならない気がして、
しかもこの番組でタスクシュートの説明をクダクダとするのって何か少しズレがあるじゃないですか。
だから結局はよくわからなくなってですね、フリーランス乗になっちゃうわけですね結局ね。
でフリーランス乗って言うともはや何も言ってないのと同じな気がするんですよ。
あれって自由行乗ってことになりますもんね。自由行乗って言わないじゃないですか。
自己紹介するとき自由行乗の佐々木ですって言っても何も言ってないのと変わらないですよね。
ほとんど日本人の佐々木ですって言ってるのと同じなんで、本当困るなと。困るがお前だって感じなんですけどね。
まさに私が困ったやつなんですよね。
これが私のでも特質として皆さんに一つお伝えしておきたいところでもあるんです。
私は何者でもないと。そして何の技能も何の能力特殊能力も持ってないと。
ここを皆様にお伝えしたいんですよ。
だから二つのメッセージがここにあるんですね。
一つはそういう人間でもこの日本という社会は人を50歳まで生かし得る割といい国ですよっていうね。
僕は別にナショナリズムは全然なくて、政権交代も3回に1回以上は起こった方がいいと。
立民でなくていいとは思うんですけれども。
3回に1回か4回に1回ぐらい起きてもいいんじゃないかと思うんですけれどもね。不安定になりますけどね。
でもそういう人間なんですが、別に僕の政治心情ではこれはないんです。
何となく漠然と思っているだけで、投票行動にそれが直接反映されているわけでもないんですけど。
でもまあまあ今のままガッチガチでいきましょうみたいな感じに思うほど、
私はこの国で何かいい思いばかりしてきたとは言い難いんで。
うちの父の職業からしてもややアウトローですからね。宗教などというのはね。
国からある意味相手にされてないという側面があるから、宗教法人税はかかってこないわけですし、
あれかかったところでね、なんか宗教法人は丸儲けしてるから取るとすごい潤うみたいな誤解があるんですけど、誤解もいいところで、
かかったところで、経費もすごい抜群にかかるんで宗教って。だって建物すごいじゃないですか。
そういうものは全部、ああいうものだけである意味成立している世界なんでですね。
あと坊さんにかかってる人権費っていうのも結構バカにならないんですよ。経費というならばですよ。
給料は当然払われていますしね、辻ごとに。
20人体制ぐらいの大規模なお寺もいっぱいありますから、
それらのお寺では、お坊さんって四六時中働いてますから、はっきり言って周波にもよるかもしれませんけど、やることはいっぱいあるんですよ。
だから四六時中働いてるんで、あれに残業代とか全部付けたら大変な金額に、あと三食月ですからね、しばしばね。
大変な金額になるんで、そんなに国に納める金がいっぱいあるとは信じられないなっていう感じが。
もちろん個人がそれをもらうんだったら大きな金額になりますけど、国がそれを収集するという意味で、そんなにデカいかっていう感じがするんですよね。
まあいいや、そんな話をいくらしててもしょうがないんで。
というわけでですね、何の話をしてたんだ。
つまり何者でなくても50年生きられるって大したことだと思うんです。
何であってもですね、少々その人が恵まれていたとしても、うちでも資産家ってことじゃないんで、さっきも言ったように宗教ってアウトローなんでですね、
なんかこう莫大な資産が手に入りますみたいな世界には生きてないんですよ。
欲も悪くもね。
もちろん物凄い大きなお寺なら別かもしれませんけれども、都心にある新宿にあるお寺とかだったら別かもしれませんけど、
そういうのでないうちのようにですね、一人養うのがいっぱいいっぱいなお寺って、要するに冷裁企業に限りなく近いんですよ。
かなりうまく経営して、まあまあの社長さんみたいな、そういう人は生活には困らないっていうある種の気楽さはありますけれどもね。
ある種、新自由主義的なものだと僕は思うんですけど、個人主義と言っておけばいいのかな。
個人主義が発達してきて泣き寝入りってもうね、なんかね、急にどんなに寛容な人でもそれは絶対なんかこう、単に寛容とか忍耐強いでは済まされないですよ。
もうなんか悪に加担したぐらいに言われるんですよ。
だから泣き寝入りするってやつは、被害者なんだけど攻撃もされるんですよね。
私はですね、ここで抑鬱的にならないというのが非常に大事なんだと思ってるんですよね。
戦闘的にならずに抑鬱的にならないというのが僕が現在目指している思考なんですよ。
別にこれを例えば3ヶ月チャレンジの参加者さんにゴールとして共有しましょうという働きかけはしてないんだけど、
僕の定流にはこの価値観があって、どっちを選ぶべきですかっていうのを突きつけられた時には、
私なら抑鬱ポジションを選択し抑鬱的にならないっていう方を選ぶっていうのが、
僕の中で唯一一貫しているかなというのはこの辺なんですね。
だから3ヶ月チャレンジっていうのを私はやってますと。
今日は佐々木翔吾を紹介する回ですけど、まず僕は何よりも3ヶ月チャレンジやってます。
これも収益の5割を超えてますとかじゃないし、実は一番でもないんで、
ここはだから3ヶ月チャレンジ主催者ですっていうのも変な気がするっていうところなんだけど。
とにかくまずは私は3ヶ月チャレンジをやる人で、ここでやってることはどういうことか。
専門用語をあえて外して言うならば、難しいですね。
これは一応自分の価値観というものとして、生き立つを大事にしましょうと。
でも人間関係っていうのはトラブルが起こるもんなんですよ。
やっぱり疎後というものは発生しますよね。
それは戦くるものなんで、戦にいちいち問い合わせをしているとだいたい自分が悪いっていう部分が見つかってしまうものなんですね。
だってその人と関係を結んだんだから。離婚が一番分かりやすい。
結婚した人と離婚するというのは100%相手が悪いとは言い切れないじゃないですか。
ただこれは離婚しちゃいけないって話ではないですよ。
ただどんな人と結婚したのであれ、自分が完全に脅されて結婚したっていうのでない場合は、
やっぱり相手のことを知らなかったにせよ、何にせよ、どこかに責任が発生するんだけど、つまり戦があるんだけど、
だからその分自分に責任があると考えるから自責の念が生まれますよね。
でもその自責の念で凹まなくていいっていうのを目指します。
相手が悪いから相手を攻撃するというのは私の価値観としては目指さない。相手が悪くても。
自分が悪いから自分を攻撃するというのも私の価値観としては目指さないです。
だから自分で責任を取るというのはいいけど、それによって落ち込まないというのを目指します。
落ち込まなければそれでいいと思います。
だから戦を踏まえることができて全く落ち込まないというところを目指します。
これが抑鬱ポジションに選択できて抑鬱的にならないってことの意味ですね。
だから私が例えば本を書く、そしてお金はもらえませんでしたということになる。
泣き寝入りするけど泣かないってことですね。泣き寝入りはしますが泣きはしませんということです。
そしてそれはダメだよって言われても基本スルーする。
基本スルーするというか、僕はここでありがたく頂戴するっていうのはそこまで自分を下げる気はしないので、
相手の言い分は理解することはできるけれども、理解することはできるに留めるということですね。
まあまあそういうことはありますからねっていう感じ。
ここで困らないってことですよね。
腹も立たないっていう状態をできれば目指す。腹も立たず泣かないってことですね。
だからといって、ここがやっぱりあるんですよね。
3ヶ月チャレンジでもそうなんですけど、情緒を大切にしましょうと。
腹が立たなくて泣かないというところを目指すんだけど、腹も立つし泣きたくなるんですよ。
ここがすごく大事だと思います。
感情をスプリットしちゃいけないと思うんですよね。
これをやってるっていうのが僕のそれまでのやり方で、感情をスプリットしてしまう。
しばしば感情を身体に覆わせてしまう。
身体の方で何とかしてくれみたいな感じになる。
その時に快楽を使うってケースもすごく多いんですよ。
まさか麻薬はしませんけれども、ファンザワはみますわね。
甘いものを食べるとか、お腹をいっぱい食べるとか、ご飯かっこむとか、やたら寝るとか、
全て身体に咳を覆わせている。
身体は悪くないんですよ、別に。
僕が物を嗅いだっていうのは、私の身体が勝手にやったことじゃないんで、
そういう物の責任を身体に取らせてはいけないとは思うんですよね。
もちろん人に取らせるっていうこともないんで、
そして自分がそれを取るんだけど、取るだけでいいんですよ。
泣きたくなったりするのはいいんだけど、泣きたくなったら泣きたくなればいいんだけど、泣かない。
泣かないっていうのは別に涙を出さないって意味じゃないんですよ。
とにかく欲打つ的にならないということですね。
なぜならば、それは罪ではないっていうのはこういうところに出てくるんですよね、グッドファイブスの。
グッドファイブスというのは倉園慶三さんという方が、
なぜか9年前とかでは考えられなかったんだけど、
彼の活動と主軸としてほとんど彼はそれだけを、倉園慶三さんはグッドファイブスを広める人にだけ今なっていらっしゃるんだけど、
それは多分東北の震災が影響してるんですね。
私は彼のその思想に一時的には大いに共鳴し、ほとんど一緒に仕事してた時期があるんですよ。
これ聞いてる人には分かりきった話だと思うんだけど。
その時に何を私は期待していたというか、当時の私が一番期待していたのは私の困りごとを何とかしてほしかったということなんですね。
具体的に言うと家庭内不安と貧乏とアトピーと心身傷全体ですね。
過剰な腰痛みたいなものも含まれます。
この3つは全部解消したんですよ、彼との活動の中で。
また彼の話を聞く中で。
だから倉野の慶三さんのグッドバイオスを聞いているうちに、私はアトピー治ってるし腰痛も消えているし、
家庭内不安も何とかなったし貧乏も脱したんですよ。
こう聞くと何か凄まじいことが起きてるんじゃないって感じがするじゃないですか。
凄まじいことが起きてるんですよ。
ただこの点だけは同時に押さえておいてほしいんですが、
これは全て偶然だった可能性も、それを否定する根拠は何もありません。
私の中ではそうではないけど、あくまでもそれは私の中での話です。
宗教というものや自己啓発というものとの付き合い方は、私はこれしかないと思うんですね。
それは作種か真実かという問いは、僕は成り立たないと思っています。
作種でもあり真実でもあります。
真実なら作種ではないという考え方は、僕はおかしいと思うんですよ。
客観的には何かを実証する術はないんですよ。
ここを僕らは何とかしたがっちゃうんですよ。客観的にはどうだったのとか。
客観的真実はどこにあるのという問いを立てたがるんですよ。
どこかにありますよねきっと。ただ僕はそれは知覚できないと思っています。
認識できないと思うんですよ。
つまり、例えば私のアトピーは治るべくしてたまたま治ったのかもしれないし、
倉園さんのお言葉で治ったのかもしれない。究極的にそこはわからないと思うんですね。
僕はここは現象学的に行くべきだと思っているんですよ。
すべて現実は夢かもしれないという可能性を100%却下する根拠ってないと思うんですね。
だけれども、私の中ではどっちを取ってるかってことですね。
僕はたまたま偶然のことだとは思ってない。
でも他の人にとって同じことが起きるという保証はできない。
できないと僕は思う。やっぱり。
それはやっぱりこの現実が私たちが100%正確に認識することができないから、
90%も僕はできないと思っているんで、できないものはできないんですよ。
僕が夢の中で夢だと気づけない夢がたくさんあるようにですね。
その時は夢を現実だと信じているというのが実態なんですよね。
気がついた時には夢だと気がつきますよ。そういうことは起こります。
だけれども、常時そういう状態で生きていることはできないので。
だからグッドバイブスというのは私にとっては真実だし、客観的にはわからないということになりますね。
今起きたことは私の内部では、内部って言っても私にとっては内部が全部ですから、
結局のところ私にとっては真実で、私にとっては現実ですが、
他の人にとってどうかは私の関与できないということですね。
という前提は永遠に動かないまま付き合うべきだっていうのが私の思うところですね。
3ヶ月チャレンジも同じです。これは僕は自己啓発だと思っているわけではありませんけれども、
あくまでも自分の仕事および仕事に深く関わる生活状況の改善を目指すサービスに留まりますけれども、
同じです。これが有効かどうかは参加者当人に決めていただくより他全くありません。
これが有効であることを極力僕がアピールするべきだと思っています。
僕このスタンスも変わらないです。
私はタスクシュートは有効だということは、
タスクシュートはしかも唯一有効だということを極力アピールしようと思います。
しばしば私に対してタスクシュートを使っていない人だって仕事うまくいってる人はいるんですよっていうEDMが送られてきて、
僕はこれは扇望だと思うんだけども、
そして何を言いたいかよく分かりますけれども、それは私の知ったことではありません。
私が信じるところをただ述べるっていうのと、
私のポジションから考えてもタスクシュートの有効性のみを訴えていくのが私にとっては当然で、
何もそうでなくたって有効なものがありますなどというのを私がPRする理由が何もないです。
私は世の中に対して公正な視点で生きてるわけじゃないので、
私の視点を取らざるを得ない、今私の目の前にはオムカイさんの家がありますが、
これを見てるのは今の時点で僕だけで、これが僕の視点ですからね。
他の視点だって取れたら嬉しいじゃないですか。
今で言えば同時にパリのオリンピックを眼前で見られる、YouTubeで見るとかじゃなくてね。
そのほうが嬉しいけど、そういうことできないんだから、
私は私の視点に縛りつけられている以上、私の狭い視野からものを語るんですよという人間です。
だいたいこういう感じのスクシュートを広める人ですよと、
グッドバイブスを信じている人ですよと、精神分析ですね。
なんで精神分析の話をやたらとしているのかというと、
さっきの3カ月チャレンジという、
仕事の改善と仕事に深く関わる生活、一般の状況の改善を目指すサービスをしています。
そのプロセスの中に抑鬱ポジションを踏まえて抑鬱的にならないというのがあります。
僕の考えでは妄想分裂ポジションというのが一つの対比、対なんですけど、一つの対ですねあれはね。
妄想分裂ポジションだけじゃないですよね。
抑鬱ポジションと妄想分裂ポジションは一対一じゃないんですよ、たぶん。
抑鬱ポジションというのは一つの精神分析というカウンセリングサービスです、あれは。
カウンセリングサービスで最終目標と、たぶん対象関係論だけかもしれないけど、
グループがあるんです。
メラニー・クラインという人が創始した。
この話ずっとしてると僕の紹介でも何でもなくなるんで、適当に切り上げますけど、
とにかくその抑鬱ポジションを確立すると。
抑鬱ポジションというのは何かというと、
生き殺を無視しちゃダメですってことです。
なんで精神分析というカウンセリングではよくお父さんとお母さんを奪い合いますの話をするか。
それは特に男の子は、女の子もですが、お母さん大好きだからです。
お母さんは私のものです。
でも違うんですよ。
お母さんがあなたのものだったらそもそもあなたは生まれてないんですってこと。
これは一殺じゃないですか。
一番最初に人間が全ての人が出会わさなければならない一殺は、
つまりこの世の中というものはあなたのものではありませんってことですね。
この世の中にあなたは生まれたのであって、
だからこの世の中があなたのものだったら、
あなたはこの世の中には今生まれてないんですよっていうこれが一殺ですよね。
原初の存在は全てこの一殺を通らないと生き物はね、ならないわけですよ。
だからお父さんを差し置いてお母さんを独占しちゃいけないっていうことにどっかで気づかなきゃいけないってことですね。
それをエリプスコンプレックスって言うんだと思うんですけど、
ここでとにかく何が言いたいかというと、
この一殺はあの人をがっかりさせかねないってことですよね。
残念ながらこの世はあなたが独占していいものではなかったんです。
それまでの独占欲まっしぐらで生きていた赤ちゃんはここでショックを受けますと。
このショックは並々ならぬショックなんですよ。
後から振り返ればなんてことはないかもしれないけど、
ここを受け入れるのは大変だったんですね。
三歳児にとっては大変だってことですよね。
ここを受け入れるようになるために、
ていうかここを受け入れることが倫理なんですよ、きっと。
とにかくその一番原始的な倫理ですよね。
あなた全てを自分のものにしちゃダメですってよく言われるやつです。
お菓子とかね、お金とか何でもいいんですけどね。
女の子とか男の子。
とにかく全部を自分のものだと思っちゃいけませんっていうことです。
で、その時に残念でがっかりするんですけれども、
そのがっかりで生きていくのやっちゃったりしないようにしましょうっていうのが