2022-12-15 37:42

【718】100チャレ編 空想を止めて仕事を進める

イリュージョンにまみれていては仕事は進まなくなる

00:04
おはようございます。みんなのセラピー心理学、今日は百チャレ編ですね。
718、全体では718回目になると思います。
今日はですね、12月15日木曜日の8時58分、間もなく9時なんですが、
もう今日はですね、取って出ししようと思っています。
これを、月水金と今まで言ってたんですけど、
金が百チャレの日かな、ぐらいに思ってたんですが、
これを取っておいて、明日になるとまた、もしかすると明日喋って、
前のやつは没にして、金曜の朝に取って出しをしようという、
無駄なことを僕は考えるんだなということを最近認識したので、
木曜の朝とかに取ったら、もう木曜の朝なら木曜の朝に出しちゃおうと思いました。
やってることがバカバカしいなと思ってきたのでね。
結局これって、その日の朝になってみないと、ここでも寝たくなるのか、
先に軽食でも食べたくなるのか、わからないんですよね、結局。
その日の予定次第ってこともあれば、その日の体調次第ってこともあり、
その日の天候次第ってことすらあるんですよ。
もちろん、私の気分で決めているというよりは、
お約束で決めているので、週3回は出せるんですけれども、
週3回出したいとすれば、結構ブレブレなんですよね。
ブレるのはいいと思うんだけど、週3回出すというのに対して、
とっている回数が週5回も6回もなるっていうのはやっぱりつまらないので、
これをやめるために平日週3回というふうに切り替えました。
もうダッシュボードのほうに書き換えちゃって、
平日週3回程度出しますと言ったことにしました。
これでようやく、もしかすると月下水みたいになっちゃうかもしれないんですが、
それはそれでいいかなというふうに思うわけですね。
土日取りためるっていうのも、毎週毎週できるならそうするんだけど、
毎週毎週土日できるわけじゃないんですよ。
特に今週の土日は、タスク習得協会で一番最初の大仕事が待っていて、
ほとんど10時間くらいは東京で拘束状態で、
この日にポッドキャスト収録が私の場合できるとは到底思えないんですね。
たぶん全くやる気がしなくなると思うので、
来週は取って出しばっかりになると思うんですよね。
そういう意味でも、週3回平日に出せばよしとしようと。
月はなるべく絶対出したいなとは思っているんですけれども、
03:03
あとはもう何曜日に出るかわかんないということになります。
月水金とかがいいとは思うんですけどね。
とりあえずはそんな風に進めていこうと思っております。
毎日同じようなので恐縮なんですけれども、
枠ですね。2枠は少なくともまだありますので、
よろしければ、年末に入りますからね。
そんなにいつもと違う状態だと思うんですが、
私今来年だいたい決めたんですよ。
この個人セッションは先送りセラピーという名前にしようと思いました。
それで今日100チャレの方に向けているということもありまして、
この話しますけれども、2023年から名称は先送りセラピーにします。
対話でもありますから、全然今までのように使っていただきたいと思うんですが、
先送りって結局普通に考えるとですね、
対面カウンセリングを必要とするほどのものでない場合が多いと思うんですね。
そういうレベルであれば、
認知療法的に、治療じゃないんで別に、
あるいは行動科学的にやっていけば何とかなると思うんですよ。
前に報酬っぽいものを置いてタスク管理して、
学習習慣をつけて毎日やるようにすると。
これでおおむねいけると思うんですよね。
タイマー切るとかでも。
ただ、ある種の先送りの繰り返しはですね、
それでは多分やっぱりどうしようもない面があって、
この辺から先送りっていうのはですね、
これはグズの人には訳がある、リンダ・サパティさんかな。
彼らの功績大だと思ってるんですけども、
プロクラスティネートって言うんですよね、英語ではね。
これは心理に道を開くなって思うんですよ。
つまり先送りから心理につながっていくアプローチというのがあって、
僕はその一番奥に精神分析があったんだなっていう風に思うんですよね。
今はそうほぼ確信するようになって、
最近サパティン博士の論文とか、
それこそグズの人には訳があるを久しぶりに読み直してみて、
やっぱりこれは精神分析的アプローチはいっぱい取られているわということがよくわかったんですよ。
これもグッドバイブスのおかげなんですよね、結局。
この辺がね、説明し始めるとキリがなくて、
どこまでも行けちゃうような話になっちゃうんですけど、
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要は僕は精神分析の扉の前みたいなところ、そこまでは行ったわけですよ。
行動科学とか、認知行動とか、認知心理学とか、脳科学とかね、
それこそ認知神経科学と言わないとダメみたいな話もあるんですけどね。
生理心理学とか、一通り社会心理学ももちろん、
カウンセリング心理学もやったんですよね、結局。
適用してきているわけです。自分の本の中にも書いてきたんですよ。
だけど精神分析だけはガンとして避けてきたんですよ。
避けてきたというか、自分自身は避けてないんだけど、
絶対これを外に出さないぞっていう強い意志が働いてたんですね。
要するに恐怖心でいっぱいだったわけです。
あれに言及することは何の得にもならないのに、
すごいひどい目に遭うと思い込んでたんですよ。
この恐れは大変でかくて、そして僕を分裂させてたんですよ。
だってこんなに喋ってるじゃないですか。
つまりこんなに喋りたいことをそんなにカタクネに封印してたら、
調子悪くもなりますよね。
案の定、これを開封した途端、僕は本の原稿を書くのがストップするっていうね。
フリーランスで本を書き始めて以来、一度もなかった事態を招いてるんだけど、
でも収益状態はベターになるという非常に面白い現象なんですよ、これは。
これはもうおかげと言っておけばおかげだし、
グッドバイブスのおかげなんだけど、
まるでこれだとグッドバイブスのせいみたいになりかねないから、
つまり本の原稿の仕事なくなりましたからね。
そういう意味では全くないんですけれども、
そういう流れに切り替わったんですよね。
2017年ですね、私の中では。
この年号が正確じゃないかもわからないんだけど、
僕の中では2017年にこの一連の変化が起きる景気が訪れたというふうに思っているわけですね。
先送りの話に戻すと、私の仕事を今までずっとトータルで考えてみると、
私も非常に先送りマンだったし、
それがマネジメントできるようになったのはタスクシュートのおかげであって、
そこから先送りというものを足掛かりにして心理学につなげていくっていうのが、
私の仕事のストリームになっているんですよ、ずっと。
この流れはそのままにしてですね、
グッドバイブスで、いわば勇気づけられてというのかな、
世の中を信頼するというのとか、人を信頼するという観点をすごく評価するようになってですね、
つまり、人に与えるということになるんだろうね。
自分が精神分析から吸収するのはよかったんだけど、読むのはいいんですよ。
09:03
だけど、これを出さないっていうのが僕の中であったんだけど、
これを出すようになったと。
それが大きいんですよね。
精神分析でもよく抱え込みっていうんだけど、
私は結局グッドバイブスに抱え込まれる中で、
今までそれまでよりは遥かに圧倒的に自由に活動するようになったんですよ。
自由に割と物を言うようになったのはその一端でしかなくて、
自由に活動するようになったんですよね。
その自由に活動するようになった中で、
かなり大きい部分が精神分析というものについて言及するようになったということです。
これを仕事にしているわけじゃないですから。
言及するようになった途端、仕事自体は減ったんだけど、
収入は減らなかったみたいな、そういうことなんですよね、ここまでまとめると。
なので来年からは先送りセラピーという名前を使って、
先送りというのを通じて心理学というものを知っていくと、
気がつくと先送りという心理に手当てすることができるのではないかと、
そういう方向性で来年からやっていきたいと思うんですよ。
私には精神分析はできないので、
精神分析まで必要になる、そういうところまで行き着いたらですね、
多分その問題もはや先送りではないんですね。
そうなったらまた、それこそセカンドオピニオンだかサードオピニオンだか、
そういう位置づけで、そういうのを模索していくのを手伝うこともできるかなとぐらいには思っています。
ただ精神分析科の知り合いとかがいるわけじゃないし、
あれは相性もあるし、お金もすごくかかるんですよね。
お金を節約してやることも不可能ではないんだけど、
そうすると本当は時間がものすごいかかるか、あんまり意味がなくなっちゃうかの、
どっちかという事態を招くんじゃないかなという気はするんです。
そのうち自分が受けてみようとは思うんですけど、やっぱりお金はいりますよね、どうしても。
なので、多分そこまでってことはあんまりないと思うんです。
先送りが困ってるよっていうのが主層って言うんですけど、
主な悩みである方が精神分析しないとどうにもならないっていう程のところまではまだ行ってないんじゃないかとは思うんですよね。
その前の段階で何とかいろいろできるんじゃないかと、
それこそグッドバイブスでもいいんじゃないかと思うんですが、
その辺も含めてそれはもうやってみないとわからないところもあるかなという風に思います。
先送りなんですけど、
昨日もお伝えした長寿画の話に行ってもいいと思うんですが、
今朝ね、ちょうど今朝、ずっと予約してあってずっと来なかったコミックが電子書で届いてですね、
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一気に読んじゃったんですけど、
高階良子先生の独特ペンなんですけど、
要するに高階良子さんという漫画家さんの半生、ほとんど一生、電気みたいになっているんですけど、
70年目の告白だから70歳になられたのを契機に、
お母様が亡くなられたのもあって書けるようになったと。
そういう風に言えば、ご理解いただける通りお母さんというのは大変な方で、
そうなんだろうなと漫画を読んでた時も思ってましたけど、
いわゆる独親というやつなんでしょうね。
だから独特ペンというタイトルで、
独特ペンというのがまさにそうなんだなって感じがするぐらいぴったりくるタイトルなんですよ。
いいタイトルかというと微妙な感じがするんだけど、
本人としてはこう書かざるを得なかったんだなっていうのはよくわかるんですね。
第3巻で最終巻なんですけど、
もう第3巻で打ち切るのやめてくれよっていうぐらいですね。
この話、もっともっと細かく引っ張れば、
高階凌子先生こういうところが多分にあるんですけど、
1コマで5年ぐらい経ってないかっていう感じがする。
2コマぐらいで。そんな気がするんですけどね。
2コマで5年は言い過ぎかもしれないけど、
1ページで1年ぐらいは言うに立ってるようなっていうのばっかりなんですよ。
3巻で70年がかけるのはおかしいですよね。どう考えても。
だからできれば大変なのはわかるんだけど、
せめて20巻は出してほしいコミックが3巻で終わっちゃうんですけどね。
分かんない。今後、何らかの形で、違う形で出るかもしれないんですけども、
私この柄の作品大好きなんですよ。
私は全然家庭環境違うんだけど、
子供の時からずっと読んでたんですよね。
妹が好きだったというのが主な理由ではありますけれども、
ほぼ全巻知ってるんじゃないかなと、
この告白を読んでみると思うんですね。
これと百茶礼と一体何の関係があるのかと、
いぶか叱られると思うのですが、
イリュージョンなんですよ、これは。
このお母さん確かに大変な方で、
オーダーかなと思うんですけどね。
適当に素人診断してもしょうがないんで。
つまりこのお母様がいろんなことを高階先生にしてきたのは間違いないんだけど、
その少なくとも10倍ぐらいは、
10倍じゃ本当は聞かないんだけど、
10倍に積もっても10倍ぐらいのイリュージョンが高階先生の脳内に渦巻いていたわけですね。
これを読めば、大概の人はこれはほとんどイリュージョンだなというのがわかるんですよ。
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外からだとイリュージョンって本当わかりやすいんですよね。
これをやってると仕事が手につかなくなるっていう風に思ってほしいんですよね。
先送りの重要な原因は私は長寿画だと思うんですけれども、
何をすれば先送りから解放されるかというと、結局はこのイリュージョンを払ってしまえばいいんですね。
イリュージョンを止めればいいんですよ。
頭の中でイリュージョンをこしらえなければ、黙々とやらなければいいわけですね。
ところがイリュージョンを見ている人はそれをイリュージョンだとは絶対思ってないんですよ。
特に作り出しの時は思わないと、それをイリュージョンだと認めたくもないんですね。
この心理が説明すると込み入ってるんだけど、とにかくこれは現実だと思いたいというところがあって、
これを現実だと思っている限りは現実の問題には一向に対応できないわけです。
散々持ち出してますが、マッチ売りの少女はマッチを吸ってごちそうを見ている間は、
自分は雪の降りしきる窓の外にいて、死にそうに凍えているという現実に対応できないんですよ。
こんなに良いイリュージョンじゃなくても、人はイリュージョンというものに、自分の作ったイリュージョンに大変こだわるんですね。
その様がですね、この高階先生の70年目の告白を読むとよくよくわかるんですよね。
これを見るとこれはイリュージョンだと。全部じゃないですよ。
何か現実に起きたことはあるんだけど、それにまつわる解釈が、
時々もう一つの出来事に対して延々3ページぐらいイリュージョンが続くんだけど、イリュージョンなんですよ。
いや、わかりますよ。こういう風に思うのはよくわかります。
お気持ちはよくわかるんだけど、ひどいなとは思いますけども、
イリュージョンであるということに違いはないってことなんですよ。
こう思ってはいけない、こう思うのは愚かだとか言ってるわけでは全然なくて、
こう私でも思うだろうなと思うんですが、
これは事実だったわけじゃないっていうのが大事なんです。
事実はその中にあるんだけど、ここが厄介なんですけどね。
事実はあるんですよ。事実はあるんだけど、
事実だけでは構成されていないんですが、
何かその事実みたいに高階先生は書いちゃうんですよね。
ってことは、今はそう思ってなくても、
かつてはこれを事実だと思い込んでいた時期が長くあったんですよ。
で、こうなってしまうと心がすくんで仕事が全然前に進まなくて大変困ると。
だからお母さんと離れなきゃって思っているんだけど、
またこれが面白いことに離れられないんですよね。
18:02
これもイリュージョンのせいなんだけれども、
とにかく離れられないんですよ。
離れることが基地だって誰が呼んでも思うはずなんだけど、
離れられないんですよ、これが。
で、僕が問題にしたいのは、離れる離れないは、
もうちょっと親子関係の話なので、
仕事の部分にフォーカスを当ててみると、
これを母のことを意識している間は、
心がすくんで仕事が進まないと。
それにしてはこの先生は非常にたくさん仕事をして、
実に偉いなと思ったんだけど、
私たちも全くこの点は同じなんですよ。
仕事が進まない時は、
このイリュージョンと格闘しちゃってるから仕事が進まないわけですよ。
先送りっていうのは、
基本これだけなんだと思うんですよね。
イリュージョンやめればいいんですよ。
ところが何度も言う通り、
現実だと思ってますからね。
だからやめるっていう発想が思い浮かばないんですね。
現実はやめられませんから。
イリュージョンを現実だと思っている限りは、
イリュージョンやめろって言われても、
どれをやめればいいんだかが分からんわけですよね。
だから現実を見ましょうねっていう話をしてるわけです。
それは本当に起きていることなのか、
そうでないのかをよくよく考えれば分かるんですよ。
でもこれをよくよく考えるのも、
イリュージョンやめるのもどちらも、
なぜか人間というものは本人にとっては
すこぶる難しいことなんですよね。
なので私は、
今日であればね、
この70年目の告白の3巻を読んでみてくださいと言いたくなるわけです。
これイリュージョンなんですよ。
人もなら分かるんですよ。
こうやってイリュージョンと現実の見分け方がありますと、
これは昔々、
昔でもそんな大昔じゃないけど、
だいぶ以前に倉津野圭三さんが
Good Vibesで
割とよく用いられていたワークなんですね。
現実とイリュージョンを分けるというワークとして、
人のなら指摘しやすいというお話ですね。
まさに人のなら指摘しやすい。
なぜならば、
人のイリュージョンは大変おかしく見えるから。
これは自分だけが納得できる世界の話なんで、
他人は納得できないんですよ、これを言われても。
だから他人のイリュージョンは簡単に指摘できて、
これを下手に指摘すると喧嘩になるわけですよ。
相手は信じたいわけですから、これを事実だと。
なぜこんな苦しいものを事実だと信じたいのかの説明は
今日省きますけれども、
信じたいことは確実にあるんですね。
で、信じちゃっていると。
だからお母さんにされたことは事実としてあるんだけど、
例えばその時にお母さんが心の中で
腹黒く考えていたこと、
これが真実ではないんですね。
というか現実ではないんですね。
でもお母さんもそう思ってたんですよって
高階先生はおっしゃるかもしれないですよ。
21:01
それはその通りです。
そう思ってたかもしれません。
でもそう思っていても思っていなくても
それは現実ではないんですよ。
ここがですね、一番たぶん引っかかるところだと思うんですね。
いやいや私の上司は本当にひどい人で、
本当に私を落とし入れようと考えているんですと。
でもそれはわからないじゃないですか。
上司が怒鳴りましたとか、
私の大事な企画案を却下しました。
これは現実なんですよ。
でもその時本当は素晴らしい企画なのに
私のことを潰すために
ドス黒い気持ちで却下したら
さぞこいつはへこたれて
ダメになるから俺は生成するって思っているっていうのは
そう相手が言わない限りは現実ではないんですよ。
真実そう思っているのかもしれないですけれども
現実じゃないんですよ。
この現実か現実じゃないかという観点を
つまり自分でそれはわかっている、
自覚した事実なのか
それとも空想した何かなのかっていうのを
分けようねという話をしているわけです。
こういうふうに
この70年目の告白を読むとですね
ほとんどが空想で作り上げられたものだっていうのが
すぐわかると思います。
事実として存在している部分っていうのは
本当に少ないんです。
ここがすっごい大事です。
これは高階先生を批判しているとかでは全然ないんですよ。
絶対こう思うんです。
よくわかりますよね。
それが面白くて僕は読んでるんだし
大変今日も1時間ぐらいじっくり読み込んじゃったんで
すっごい面白かったんですよ。
でも事実と空想という意味では
空想9割以上なんですよ。
多分高階先生の頭の中ではもっともっとだと思います。
空想99.99%ぐらい。
この空想はゼロにできるんですよ。
ここがすごい大事です。
我々だったらもっともっと簡単にできます。
だってあんなに大変な目に多分合ってませんからね。
合ってるって方はすいません。ご容赦ください。
私は合ってないんですよ。
だから私は自分のイリュージョンを
この高階さんの状況から比較してみれば
これを振り払うのは実に簡単だなって思うんですよ。
自分のイリュージョンについて言えば。
こんなものを信じてた理由は全くないですから。
高階さんの千分の一も一億分の一もないな。
だから簡単に振り落とせるんですよ。
でも私だってやるんですよ。
別に親に虐待されてたわけではないし
こんなに理不尽な目に遭ったことも一回もないし
こんなにわけわかんないことを考え出すっていう
親のイメージも全くわかないんですよ。
でもじゃあイリュージョンとは無縁でいられたかっていうと
そんなことはないんですよ。
やっぱり1対99ぐらいで
24:00
私は知覚しているものとイリュージョンの
こねくり合わせた世界で
しかもほとんどイリュージョンで生きているわけです。
これをゼロにできるんですよ。
ゼロにすれば時間がないとか
先送っちゃうなんていう問題で
ないことは全くないんです。
この70年目の告白の大変いいところは
高階先生絶頂だった時代っていうのが書かれていて
その時はもうノリノリで漫画を書いてるんですよ。
つまりこのノリノリで漫画を書いていたら
いくらでも書けちゃうみたいに書いていて
全然疲れないし
徹夜して書いていてもいくらでも書けるんですよ。
でもお母さんが何かわけわかんないことを言ってきて
例えば私に新しいマンション買えとか
あんたの家は全部私のものだとか言い始めて
金も全部取り上げてしまうみたいなことをやった後で
やられた後で
それでも高階さんはすごい売れっ子だったから
もうお金に困んないんだけど
やった後でやられた後で
そのお母さんに関する
まつわるイリュージョンをいっぱい作ると
あんなに何でも書けてた人が
何にも書けなくなるんですよ。
これが怖いんですよ。
と思うんですよね。
私がJさんとやっている
百日チャレンジの方にお伝えしたいのは
手が止まった時にやっていることは
それだっていうことなんですよ。
手が止まって先送っちゃってる時に
私たちがやることっていうのは
それしかないんですよね。
イリュージョンにかまけ続けてるんですよ。
ただそれを人に指摘されると
腹立つと思いますよ。
これは事実だからって
言いたくなると思う。
絶対これがイリュージョンで
自在に消せるなんてことは
ありえないからって
言いたくなると思うんですよ。
でもそういうふうに思っている間は
手は止まり続けてしまうんですよ。
なぜならば
手を動かすという現実は
全く現実感を書いているからなんです。
よくあるんですよこういうことって
原稿書こうとしても
なんか気が乗らないって私たちは言うんだけど
実際にそこにリアリティが感じられないんですね。
原稿というものが
リアルなものだとは思えず
これを書いてリアルな本になる
というふうにも思えない。
ちょうど昨日ですね
立花武さんという方と
私なんかは
めったに行かない
ロボンギールズ
私はあそこですね
すみませんね脱線して
日本に戻ってきたときに
初めて大橋哲夫さんと
打ち合わせたのが
私にとっては非常に
重要な意味を持つ
場所だったわけですけど
ものすごい迷ってたわけですよ。
私は六本木ヒルズなどというところに
普段行くことは全然ない人間なんで
昨日もですね
盛大に迷ってたんですよ。
27:00
どこに何があるのかさっぱりわからないですよね。
あそこの作りが
高級すぎるかつ迷宮すぎて
どっちを自分が向いているのかさえも
よくわからなくなってくるんですよ。
なんてことない場所で僕は迷うんで
あんな難しいところは
絶対わかる気がしないんだけど
そこで立花武さんという方と
ジェーン松崎さんを中心に
6,7人で会食して
久しぶりにそんなことをしたんですけどね
なんでこの話をしているかというとですね
なんでこの話
立花さんの新しい新刊が
出たという時
という話も
そのお祝いで
ありまして
立花さんがこの本が
リアルなものになってくるのが
嬉しいみたいな話をされたとき
つまりこれがリアルってことじゃないですか
手に触れるとかね
それも感覚なんだけど
そういうややこしい話をするのは
やめましょう
400ページ超の非常に分厚くて
大きい本だから
そのリアル感があったんですよ
でもあれができるというリアル感を
原稿を書いている段階で持つのは
結構難しいですよ
原稿というのはものじゃないですしね
今は特にね
テキストをデジタルに
入力しているだけなんで
リアル感はないんですよ
こんな仕事をしようという時にですね
お母さんにまつわる
空想であるいは
自分がダメ出しをされたことに
まつわる空想で
頭をいっぱいにしていて
マッチュリの少女をやっていたのでは
全然
何にも現実感が湧かなくなって
当然じゃないですか
これやって何になるんだろう
って感じになってしまうんですよ
すっごくこう
それこそ
蜃気楼の中で何かを書いているような
気持ちになってしまうんですね
それでは
先へは進まないですよね
これが先送り
先送っている時の
仕事を先送っている時に
私たちがたぶん
心の中で抱いている
イリュージョンという
心理現象なんだと思いますね
そのことが
この今朝私が
読みふけていた漫画に
バッチリ書いてあります
これを読んでですね
気が向けばね
これを読んで
こういうイリュージョンを自分も
持っているんだと
いくらそれが真実だと思えても
真実かもしれないですよ
何度も言う通り
私たちの当て推量が外れているか当たっているか
って話をしているわけじゃないので
問題にしているのは当て推量をしている
ってことなんだ
例えば誰かがツイッターで
私の本の悪口を言っていたと
これは事実ですよ
その後に
私が脳内でこしらえるものは
一つも事実じゃないわけですよ
というのは何々とか
30:00
こうなるとあれこれとか
こういう噂が広まるとどうなるとか
全部私が頭の中で推量して
推定しているものじゃないか
空想しているものじゃないですか
この空想は道理に
なるとかならないとかならないんだけど
絶対なることはないんだけど
なるとかならないとか言うことはどうでもいいんですよ
これがどうでもよくないと思うんですよね
皆さんは
これを信じるという状態における
心理状態ではですね
私もそうですが
皆さんとか関係ないんですよ
誰でも同じになる
この空想を抱いていたいと思っているときは
みんな同じになっちゃうんですよ
当たるかもしれないじゃないか
っていう方が
大事な議論に思えるんですね
当たるかもしれないから
手を打ちましょうっていう話になりかねないわけですよ
全然仕事じゃない方向に
わりと真剣なリソースを
投入しようとしちゃうじゃないですか
丸口をツイッターで言われるようなことを
しないための
仕事というものを
作り出してしまうんですよ
完全にもともとのある仕事
つまり原稿で本を書くという
大事な本の仕事まで
どっか消えるでしょう
これをやらないようにしましょうね
って話なんですよ
人に本を依頼される
っていうのは
空想じゃないですよね
現実ですよね
それが売れるかもしれないというのは
空想だし
売れないかもしれないというのは空想ですよ
だから空想をもとに何かを
仕出すというのは結構まずい
事態を招くんですよ
でもそれでも本を出すというのは
多分現実ですよ
本を出した後いくらか売れるというのも現実ですよね
空想するまでもない現実ですよね
だからそれを売れるように
もうちょっと売れるようにしようというのは
空想だとしても
それなりに意味を持つと思うんだけど
もともと誰かが自分の悪口を
言いましたと
たったこれだけの現実を
もとにして空想し始めると
そこから何にも生まれては
来ないと思うんですよ
これに血道を上げまくることが
有意義だと
思うという
心理状態もあるわけですね
高階良子さんは周りの方も
漫画家さん
という方もそれなりに言った話も書かれていて
やっぱりそこも
イリュージョンにまみれているわけです
イリュージョンにまみれまくっている
人の行動というのはやっぱり
いわばおかしな行動なわけですね
例えばそれこそ
これもイリュージョンっぽいんだけれども
高階さんを
陥れるためにいろんな噂を
振りまく作家さんというのが
出てくるわけですよ
振りまいたのは事実だと思いますよ
問題なのは問題じゃないんだけど
その人の心の中を
空想している時は空想なんですよ
でもそういうことをやる人っていうのは
すでにイリュージョンにまみれている
わけじゃないですか
いろんなことをするんですよ
でも原稿は書かないんですよ
ここが大事ですよね
結局漫画家やっていて
そこそこ売れていたのに
33:00
漫画業界から去っていったみたいな話になるんだけど
めっちゃ怖いと僕は思うんですよね
その人一体何をやってるつもり
なのかというと
それで何かが
自分の置かれている状況が
改善されるとか
有利なポジションにつけると
思うんでしょうけれども
そういうことをやらずに
原稿を書けば済む話じゃないですか
だって漫画家になりたいと思っている人
いっぱいいるわけだから
仲良しで連載を持っているってところまで
言っておきながら
イリュージョン対策を
ずっと講じていなくても
いいわけですよ
もちろん
噂を流されるとか
いいポジションに立てないとかいうことは
何より不利みたいなのが
左右するのかもしれないけど
それも完全にイリュージョンだと思いますけど
左右するのかもしれないけど
原稿書く方が
遥かに意味があって簡単じゃないですか
この遥かに意味があって
簡単なことを
私たちは遥かに
誘引
できるんですよ
本が書けている時というのはね
その時はつまり
イリュージョンに付き合ってないというのは
たったそれだけのことなんですね
たったそれだけのことが
付き合いだすとなぜか
できなくなる
僕はやっぱり
嫌だなと思うんですね
どう考えてだって
仕事している方が圧倒的に
いいと思うんですよ
あとは
イリュージョンに対応
対策をケアをしていれば
自分が守れるという
さっき省くと言いましたけど
その話ししちゃってますけど
短く切り抜けますが
イリュージョンを持っておいて
例えばお母さん対策を
こういうふうにお母さんが
持っているならこういうふうに手を
打てば
お母さんもおとなしくなるから
自分が守れる
こういうイリュージョンの使い方に意味があると
思っている限り
イリュージョンを手放せないので
これもやめるということですよね
これをやめるということと
イリュージョンを止めるということが
多分同じことになると思います
これももう漫画を
読んでみてくださいとできれば言いたいです
この漫画じゃなくても
どの漫画でもありますよ
いくらでもあります
特にこの人の真理を読んでいるかのような漫画ってのは
こういうものが大量にあります
イリュージョンにまみれている人が
最後には
全然自分を守れていないという
事実を知っておけばいいだけだと思うんですよ
途中経過で
どんなイリュージョンを
どういうふうにその人に作用したかということは
ほぼどうでもいいことで
大事なのは
イリュージョンにまみれている人ほど
不幸になっているっていう
それだけで十分だと思うんですね
だから私は
ということをやっていたら
という悪いことが
起きるかもしれないという話には
付き合わないように今はしているんですね
36:00
自分の頭が作ったものだろうと
人が作ったものだろうと
これに付き合っていて
幸せになっている人というのは
見たことがないんですよ
しかも
の割に幸せになるってことは
決してそんなに難しいことじゃないんですよ
これに付き合って
幸せになるっていう方法は
多分ないと思うし
しかもこのイリュージョン対策って
すっごい大変なんですよ
なんで大変かというと
事実じゃないからなんですよ
あれですよね
三国志の諸葛孝明みたいにならなきゃいけないんですよ
他人の考えが手に取るように分かって
自分の推定が
100%絶対常に当たり続ける
っていう
漫画みたいな
漫画みたいにならないといけないんですよ
なぜか僕らは
これを目指そうとするんですよね
でもこれがうまくいくことは
絶対ないと思うんですよね
だってあれじゃないですか
そういうことができるんだったら
例えば将棋指しにでもなれば
いいわけですよ
100%当たるんだら絶対勝てますからね
でも実際には
絶対勝てる人というのは
藤井壮太さんレベルになってもいないわけで
つまりどういうことかというと
僕らのイリュージョンは頻繁に外す
っていう
頻繁に外している限り
それを元に対策を立てたとしても
それが有効に作用しないですよね
これよりは
仕事をして原稿を書いておいた方が
よっぽど
先行き明るいはずなんですよね
結局
イリュージョンに対策を打ちたくなるのは
自分の先行きを明るくしたいってことなので
だと思うんですよ
37:42

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