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おはようございます、グッドモーニングボイスです。
着せずして2日空きまして、いろいろあったんですよ。
別に特にこれといったことがあっていうわけでもないんですけれども、なかなか時間が取れなくてですね。
午前中に一つは、こういう一軒家って建ててもらってから何年か経つと、
1年点検とか3年点検とかがあるんですけど、ちょうどそれに入って9時とかに来ちゃうんで、
いろいろその準備にわらわらしているうちに午前中が終わるという感じでした。
午後でもよかったんですけど、僕は午後で人とミーディングするみたいに。
だから午前中に家の点検していて、その流れの中で気がつくと夜になっているという状態が2日続いてできなかったわけですね。
今ですね、きのうだ大橋雅夫さんと対談形式でポドキャストを撮って、
それを週に何回か流すという企画を立てまして、たぶんきのう収録したのでそれが流れると思います。
よろしかったらそっちも聞いてみていただくといいかなと思います。
私はこれは一人で喋っているし、何も考えずにいきなり収録を始めてしまうんですけど、
特に最近はその流れが非常に顕著になってきて、本当にボタンを押してから喋ることは考えるみたいになってきているんですが、
そっちはまだ始まったばかりですし、対談なので少なくとも話を聞いているうちに考えることはいろいろ出てきますので、
これができるのが対談のメリットですよね。
私は自分が喋らない限り、ここは沈黙が支配するので何も思い浮かばないんですけれども、
自分が喋っているのを聞きながら喋っていくしかないんですけど、
それを言えば対談でもある意味同じことはやっているんですけどね。
よろしければ始まったら聞いていただければと。
お前何したっけな、しごたのキャストとかいう名前でさらっとつけたような気がします。
その名前でいいかどうかまだ分からないですけど、たぶんそんな感じになると思います。
詳しくはしごたのをチェックしていただいていたり、私たちのツイッターをフォローしていただいていれば、
たぶん配信されてくると思います。
ここ2日であったバタバタの中ではいろいろ起こるわけですけど、
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久しぶりに厳しい、これは厳しいというのにぶち当たったんですね。
いわば揉め事ですね、コンフリクトがあったわけですね、夫婦間、家族間で。
駆使するわけじゃないですか、散々喋っていることもあるからですね。
甘えさせるだの、一つ意識だの、いろいろあるわけですよ。
ギリギリまで来ると、当然自分の弱い部分が出てくるんですね。
弱い部分というのは私の場合は非常に分かりやすくて、層的防衛なんですよ。
必ずこれが出てくるんですよね。
そういう意味では読みにくすぎるんですけど、
ローゼンバーグが一番実は僕のことを扱ってくれているはずなんだけど、
あまりにも彼の書いてることってわけわかんないというか、
あまりにも精神分析の、しかもかなり古典的な方の、
割と早い目の人だったと思うんですよね。
古典的なんですよ、書いてることが。
もう少し時代が進んでくれば、もっとわかりやすい表現になってるんだけど、
多分ああいうところに書いてあることに何かあるんでしょうね。
陰性治療反応と層的防衛について、彼はほぼそのことを書いてるんですが、
非常に夢分析も多いし、それも古典的に解釈していて、
要するに抗愛とか抗悶期とかそういう表現で説明するから、
ものすごく理解に苦しむわけですね。
未だに理解に苦しみます。
ずっと読んでると、わけのわからない世界に引きずり込まれたような、
これがフロイトから受ける最悪の印象なんだろうなと。
あれを最初に読んだ人は、フロイトって頭おかしいんだなと思うのは当然だと思うんですよね。
非常にわかりにくい話の仕方をしますが、
あれが私の弱点なんですよね。
私の性格は遺伝と養育歴と相まって、完全にスキゾイド系なんですが、
僕の対人関係の戦略はワンパターンで、
全部層的防衛なんですよ、いざとなると。
だからこれが上がってくると、
関係破壊に突っ走る人格を抑えるので精一杯になっていくんですね。
一つ意識どころではないみたいな、そういう感じになっていくんですよ。
イリュージョンなんですけど、
イリュージョンで頭がいっぱいになっていくっていうのかな。
そしてこれを関係を破壊すれば楽になれるぞっていうメッセージが
全身から発される感じになってくるんですよ。
それでよく関係を壊して生きてきたんですけどね。
この感じがまず来ると。
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自分は肉体ではあるとかないとかいう話を考えていても、
ほぼこのレベルになってくるとダメで、
肉体かどうかはほぼ問題ではなくなってくるんですね。
関係破壊が唯一の解であるっていうメッセージが突き上げてくるんですよ。
どうしてここまで来るんだろうっていうぐらいなんですよね。
多分、今チェンジ図で僕が一生懸命、
ある割と一生懸命描いてるんですね。
一生懸命描かないとすぐああいうの嫌になっちゃうんだなということが分かってきたんですが、
これも相的防衛なんですけどね。
成功体験があったんでしょうね。
多分、母との関係の中で一方的にやられていた時代が続いていたわけですね。
うちの母は家ではすごい強権的なところがあったんで、
これを逆転させるのに12、13歳の頃に使った手として相的防衛があったんだと思うんですよ。
家を出るという。
これに訴えると母には対抗できるんだということを多分私が味を占めて、
以来親しい関係者には必ずこの関係を切るという、
しかも私はこれも養育歴と相まって、
関係を切っても絶対いけるんだという見通しをはっきりさせてから切りにかかるんですよね。
切った時には自分が切って実質困ることはないみたいな。
家を12歳で出たら困るじゃないですか。
私は多分その時そういうことを通設に考えたんだと思うんですよ。
だから家を出ても困らないようにいつでもしておこうという戦略にだんだん取って変わるようになったんですよね。
これがすごく自分のライフハック的なところとリンクしている気がします。
とにかく家をいつでも出れるようにするみたいな。
だからすぐに持ち出す大事なものは置き場所をきちっと決めておくとか、
部屋は常に整理整頓しておく。
この整理整頓というのは普通に整理整頓の意味しかないじゃないですか。
ただ一方では身辺を整理するって言うじゃないですか。
いつ死んでもいいようにみたいな。
このいつでも自分は関係を分離できるんだという含みが整理というものにはあるんだと思うんですよね。
今思うと会社の私は会社にいてた時派遣者員ですけどね。
まさにそうだった気がするんですよ。
絶対自分らしくは使わないみたいな。
ここは漫画にしてるんだっていう。
派遣だったからたまたまそういうのがすごくフィットしたっていうのもあるんですけど。
例えば私は事務机でも極力いらない書類は自分の手元には置かないみたいなのを徹底してたから
引き出し大体空っぽだったんですよね。
こういうことをやるんですよ。
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その辺がまたすごくジゾイド感ともよく似てるんですね。
ジゾイドの人ってよく言うんですよね。
引っ越した後のその人らしさがなかなか現れてこないという部屋の特徴がある。
統合室長の人は完全にそうで。
不思議なんですよあれ。
引っ越したまんまの状態で生活を始めていくんですね。
そういうのを私何回か見て、あんまり綺麗って感じはしないんですけど
お部屋みたいにはなっていかないっていうところがあるんですよ。
これは余談ですけれどもね。
この状態になった時にいろいろ攻撃を封印するとかやっていると
私がいざという時に今使っているのは何なんだろうと思ったんですね。
いざという時に今使っているのは私は総敵防衛が上がってくるに対する警戒があるわけです。
この総敵防衛というのは私の中のもう一つの強い人格で
これにやられるとですね、乗っ取られるんですよ事実上。
もう別人格ならずね。
僕らしさは残っているから頭にはわかんないんですけれども
総敵防衛に私が完全に主導権を渡してしまうと
多分関係をいろんなところで断ち切った後でまた自分に戻ってくるという困った事態を引き起こすんで
これに完全に主導権を取られないようにはするっていうのがまずあります。
こういう時にちょっと蔵殿さんのグッドバイオスというところと私が言うところと
なんかアプローチの違いが出るんですけれども
実際に言っていることは違いはないんじゃないかと思うんですけどね。
脳にはセンターがないという言い方を私はよくするんですよ。
これは人格にセンターがないというのと
突き詰めると同じ意味になると思うし
フロイトが局所論の中心はないみたいな表現を取った後
もうそういう言い方は彼はしてないですけれども
でも彼の局所論にセンターはないんですよね。
自我が1位でも超自我が1位でも色が1位でも無意識が1位でもないんですよ。
これはすごく非常に大事なことだと自分はよく思うんですよ。
だからこそ超自我に主導権を取られてしまったような感じになったりするし
しかもその人はずっと超自我で生きていけば困らないんだけど
不意に自我に中心が戻ってきたりするから困るわけじゃないですか。
つまり本質的な中心はないんですよ。
これがアンダフロイトの方の自我心理学は文字通り自我に中心を置いちゃうんで
そこで論争が起きたんですよね。
私も自我に中心を置いちゃうのはダメなんじゃないかなと
自我にずっと中心があるぐらいだったらある意味精神病とかって説明できなくなっちゃうし
人格の乖離みたいなのも説明が著しく困難になりますよね。
そんなことを考えるぐらいならば
センターがないということにしておいたほうが簡単だと思うんですよ。
これは脳の話になっちゃいますけど
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変動体モードって言ったのがあるじゃないですか。
変動体モードっていうのは変動体だけが動いてるって話ではないんですよね。
変動体を中心に他の機能が従属させられている感じなんです。
私のイメージでは。
だから大脳は当たり前なんですけど働いてるわけですよ。
我々爬虫類脳が中心にいったからって爬虫類になっちゃうわけじゃなくて
言葉は使うし多分カシコセンの色も7色以上じゃないですか。
爬虫類のいくつかになっては白黒の世界ですからね。
大脳が機能してるのはもう間違いないんですけど
大脳の機能があたかも変動体が一番偉くて
大脳は重大なサブキャラみたいになっちゃうんですよ。
非常にこれはいびつな上下関係で
大脳が変動体のために働くということは
間違いなくイリュージョンでいっぱいにするしかないんです。
大脳ができることとしては。
いかに変動体の怒りが正当であるかを正当化するために
勝手に世界を作っていくみたいな
我々そういうことはしゅっちゅうやりますけどね。
どんどん妄想を膨らませていくんですよ。
だからこの変動体が中核に入って
変動体が一番偉くなっちゃって
周りがそれに従属するような状態を
妄想分裂ポジションという状態と同じなんじゃないかなと
あるいは近いんじゃないかなという感じがするんです。
この状態になった時に
言ってみれば超攻撃的になるわけですよ。
非常に不愉快なんで
ここがポイントなんですよね。
不愉快なんですよね。この変動体モードっていうのは。
でもやっぱり逃げるか戦うかなんで
そこのまま愉快であっては困りますよね。
愉快であるならば逃げたり戦ったりしませんもんね。
だから逃げるか戦うかという状態になった時には
当然不愉快なんですよね。
その不快感というのが多分脳内で作り出されているわけです。
さらにその不快感をサポートするために大脳が一生懸命働くと
この記号は全くおかしいんですけど
言ってみれば不愉快であるために理性が努力するみたいな感じなんですよ。
だから私は理性主義ってダメだと思うんですよ。
この時脳は理性的なつもりでいますからね。もはや。
戦うか逃げるかするんだけど自分は冷静に戦っているとでも思ってるんで
その冷静の中心にあるのが冷静じゃないんで
そこに嘘があるんですけれども
冷静に戦う、冷静に進めるとか言うじゃないですか。
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なかなかそうはいかないんですよ。
本当に大脳が冷静だったら戦わないんでね。
ここに必ずしも肉食動物でない人間の特徴があると思うんですよね。
どう考えても人間というのは肉食的ではないんですよ。
いきなり馬とかにかぶりつかないじゃないですか。
そういうふうに歯もできてないし、そういう脳でもないと思うんですよね。
ピューマとか猫科のすごいのはすごいですもんね。
脳の作りからして、筋肉の作りからして。
とっさに闘争的になるように全然違います。
ちなみに鳥も全然違うんですよ。話がまたあちこち飛んでるんですけど。
鳥も全然人間とは違うんですよ。
左右のバランスを取る脳が大脳並みに比率の問題ですけどね。
大脳並みに発達していて、飛ぶために生きているみたいなところがあって。
だから人間がやだら闘争的になるのはちょっとも合理的な感じはしないんですよね。
要石の比率的に闘争的な部分がえらく小さいんですよね。
だから戦う向きにはなってないし、まして生肉を食べるようにはできてないなという感じがすごくします。
それはまた余談なんですけど。
だから私たちは不愉快になった時に、言ってみれば社会性を発揮しがちですぐ不愉快になると罪と罰モードに向かっていくんですよね。
扁桃体を中核にして、それだけだと逃げるか戦うしかないんですけど、逃げるのも戦うのも罪と罰で捉えるんですよね。
だから悔しくなったりするんだと思うんですよ。悔しくなったり、妬んだり、恨んだりという、
要するに堂井武夫さんが甘えの歪んだ表現って言うんだけれども、そういうことになっていくんだろうと思うんですね。
甘えるというのはこういう文脈で考えると、要は不愉快になったその不愉快さを抱えておけないので、抱えておけるところに預けたいというそういう文だと思うんですね。
これはあくまでもネガティブな側から甘えを捉えた場合なんですが、私は不愉快になってますと。
しかも自分ではこの不愉快さを抱えておけませんから、誰かがこれを抱えておける人が処理してくださいというのが甘えなんだと。
これは完全に甘えていますよね。実はそれは自分で処理できるんですが、そのことを忘れるんですね。
さっきの脳的な言い方をすると、不愉快になっているというのは間違いなく扁桃体が頑張っちゃってるんですが、
これを抑えきれなくなったので、他の人の脳でこれを何とかしてくださいというのが甘えなんですが、
本人の脳で何とかできるだろうという話なんですよ。
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本人の脳は何をやっているかというと、イリュージョンを作っちゃってるんですね。
グッドワイブスで蔵園さんの言葉を借りるならば、脳はシングルタスクだという話になるんですよ。
ただ、これをもう少し違う言い方をするというか、違う観点から見ると、脳というのはいくつかの局所に分解されているので、
どこかが何かで忙しくなっても、他の仕事は他のところでやっているんですね。
例えば、どんなに扁桃体モードになっちゃって、頭が妄想の中に叩き込まれても、ちゃんと呼吸をやっているんですよ。
この辺大事だと僕は思うんですよね。呼吸をちゃんとやっているというのは、
呼吸の仕方が荒っぽくなったり、いろいろあるにせよやっているということは、
実は100%妄想モードはないけれど、100%妄想の中に叩き込まれちゃいないんですよね。
だって、空気を吸ったり吐いたりするというのは、現実にしかできないことだし、
多分その現実の中の酸素濃度が下がってきたら、他の場所に移動したいとか、脳はちゃんと考えるわけですよ。
そういう意味では、バックグラウンドで動いている部分は確かにあるんですよね。
ここに飾らがあると思うんですよ。
つまり、完全にイリュージョンの世界に叩き込まれたように思えても、
あくまでも内脳が一生懸命イリュージョンを支えているだけなので、
簡単に言うと、それをやめればいいんですよね。
内脳がやるべきことというのは、その時に扁桃体をなだめることだから、
つまりそれはどういうことかというと、この辺のことはですね、私のストーリーじゃないですよ。
池谷雄二さんという農家科学者さんが、本の中でも書いていることです。
内脳というものが、扁桃体をなだめる役目をちゃんと持っているんだから、
つまりそこに預ければいいわけですよ。
これは母親機能ですよね。
私がこの番組で言うところの母親機能ですよ。
つまり僕らは大脳に甘えればいいんですよ、早い話が。
これをやらずに、大脳が、大脳新品質がですね、扁桃体の下僕みたいになっちゃって、
扁桃体がこんなに怒っているから、この怒りを正当化するイリュージョンを頑張って、
ストーリーを作りなさいというストーリーを、シナリオライターみたいになっているから、
いつまで経ってもこの不快感から逃れられないんです。
そうなった時って、なかなか他の考え方を取るとか、
そういうこと自体が相手に負けることだっていう、
そういう闘争モードに入っちゃっているんで、
もう一つあって、もう一つというのが私が最終的に取る手段なんですが、
遠影同一化だっていうことなんですよ。
これも気づくってことなんで、気づくということは、
つまりある程度イリュージョンが収まらないと気づかないんですけれども、
この叩き込まれた感情、私でいうと理不尽だと思って、
奥さんなりにすげえ腹を立てているという、
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この腹立たしさと気持ち悪さというものが、奥さんから叩き込まれたということは、
もともと奥さんはこれだけの不快感と罪悪感なんですよね、
罪の意識というものをこういうぐらい持ってたんだというふうに認識する、
コピーされたと考えるんです。
これは間違いなくそういうことって起きていて、
僕は稚拙なコミュニケーションの形だと思うんですけれども、
遠影同一化というのは要するに、相手の不快さというものをコピーされているわけです。
ここに大事なポイントがあって、
コピーされたんだと気づきさえすれば、相手はこのぐらい不愉快になっているんだ、
なんだか知らんけどっていうふうに考えられるんですよ。
相手はこれぐらい不愉快になっているということは、
実に気の毒だなという感じがするんですよ、自分が苦痛であればあること。
だってものすごく苦痛だということは、相手もものすごく苦痛なわけじゃないですか。
この苦痛は確かに嫌だろうと、これぐらい苦痛であるならば、
関係を破壊しようとしたり、理不尽な態度を取ったとしても、
不思議はないよねという感情を持つことができる。
これがカウンセラーがよくやっている手法であって、
私は意外とこの手法で乗り切っていることがありますね。
この手法をただ使うためには、
同英同一かのど真ん中にいるときは無理なんですよね。
脳がシングルタスクかっていうのは、
私はちょっと留歩している部分もあるんですけれども、
相手のと完全に同じ気持ちになっているときには、相手には同情できないんですよ。
やっぱりこう、ふとこれは同英同一かじゃないだろうかって考えた瞬間、
これ考える能力は大脳にしかないですね。
言葉だから。
それに複雑ですからね、それなりに。
大脳進出がこれは同英同一かなんじゃないの?と考えた瞬間に、
イリュージョン作りはやめるんですよ。
この苦しさというものが相手が抱えているものなんだと、
これは自分が苦しければ苦しいほど同情できない。
苦しければ苦しいほど同情の余地は高いと思うんですね。
だって苦しいわけだから。
苦しみの度合いが高いほど、やっぱり同情の余地は高いんですよ。
このときに横取り不尽でも、むしろ横取り不尽だからこそ、
なお納得できる観点が高くなっていくんですね。
納得でき得る、その理由付けにはっきりとなるんですよ。
大した苦しさではなければ、このぐらい我慢しろよって思うんだけど、
ひどい苦しさであればあるほど、むしろ納得感が高い。
ここであと一つ一押しなのが、
多分僕のようにカウンセリングの本とか精神分析の本をやたら読んでいる人間は、
東映ドイツカって絶対起こるっていうのを確信できるんだけど、
そんなものは本当にあるのかというふうに思う人は、
実は自分が子供のとき、ひょっちゅうやってたはずなんで、
そういう自覚さえあればですね、東映ドイツカなどというのは
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オカルトでも魔法でもなんでもなくて、
子供のコミュニケーションの景色は実はこれしかないってことを知ってるはずなんですけど、
分かりにくいという場合にはですね、
誰かが不機嫌であって、その人が不機嫌さをまき散らさない限り、
他の人にその不機嫌さが映る可能性はないと、
そういうような形から入っていただくといいのかなと。
これだけでは十分じゃないかもしれませんが、
人の感情は映るんだってことなんですね。
映るということはですね、
元のとほぼ同じ形を持っているんですよ。
人間の脳と心は同じような構造を持っているので、
一人一人がそんなに異常なユニークさを持ってない限り、
同じような理由で同じような感情になるんですよ。
自分が理不尽な目にあっていると猛烈に思うということは、
そしてそれが誰かから投げ込まれたものであるならば、
投げ込んだ人は間違いなく自分は理不尽な目にあっているって、
強い確信を抱いているんですね。
そして物凄く気分が悪くなっているんです。
このことをトエドイツカというふうに呼ぶんですよね。
これに気づけるとですね、
これは九軸も倉園さんも同じ表現を使われるんですけど、
心のスペースが開くんですよ。
この心のスペースを使ってトエドイツカを理解して、
共感に持っていけるんですね、自分の気持ちを。
自分の気持ちを共感のほうに持っていける。
この状態になれば、自分の返答タイムホードはもう去っているんで、
あれはですね、脳内のイリュージョンをたくましくしない限り、
長時間は持たないんですよ。すぐ去っちゃうんですよね。
去っているので、そこそこ冷静に対応できると。
この心理状態に入ればですね、あとはそう難しくはないんですよね。
想的防衛に訴えるとかは全然いらなくなります。
で、スペースというのは、
これはビヨンの言葉で文字通りスペースって彼も言ったんだけれども、
この場合、これは僕の解釈ですが、
大脳神秘室がイリュージョンを作っていた。
それをやめることによって、そこが空になるじゃないですか。
その機能をスペースって呼ぶんじゃないかなと思います。
ここにトエドイツカだとか、想的防衛をやりそうだったとか、
相手に共感する手順だとかを考えるスペースが生まれるんですよ。
で、デカいんですよ、大脳神室は。
少なくとも返答体よりは遥かに大きい。
だから一旦このスペースが空けばですね、話早い。
こういう風に展開するというのが今回私の体験したことで、
ギリギリ追い込まれた時は、私はですけれども、
トエドイツカというのが一つのキーワードになり、
スペースを空けるというのがもう一つのキーワードになっていて、
さっき呼吸は現実にしているはずだと言ったのはですね、
つまり脳はどこかは現実が現実であるということを知っていて、
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どこかはイリュージョンがイリュージョンであるということを知っていると私は思うんですよ。
そこで分かりにくいんですよ。
一見自分が夢を見ている、イリュージョンを見ているということは、
こういう時は気づきにくいんです。
部屋がホラーみたいになるわけでは決してないんですよね。
見た目は変わらないじゃないですか。
近くまで歪んでいるわけではないんでね。
だけれども、イリュージョンを一生懸命作っているんですよ。
内蔵寝室が。
これが実に余計な作業で、これをしなければですね、
変動体モードというものは、数秒しか実は続かないような、
そういう流れなんですよね。
長くったって数分ですよ。
私の知っている人がこれを1週間だの、3ヶ月だの、
言っていたんだけど、もしそんなことが起こり得るならば、
それはよっぽど全能を上げて、
イリュージョンを作りまくっているわけで、
その方はですね、ほぼ有病に近い状態だろうなと
類推されるんですね。
普通、そんなことはそこまででも言っても、
やっぱりその人は歩行はしている、呼吸はしているし、
関係ない人には噛みつかない。
つまり、どこかで現実検討はちゃんと行われているので、
この現実検討を行っているところから、
スペースを広げていくというのが、
たぶん実際に必要なことだし、
一つのテクニックになるのではないかなという風に
今回思いました。