1. グッドモーニングボイス
  2. 【GMV 185】なぜ私が?
2020-07-09 35:56

【GMV 185】なぜ私が?

イリュージョンを取り除くのは不可能だというイリュージョン
00:04
おはようございます。グッドモーニングバイブスです。
えーと、どういうわけなのかわかりませんが、
えー、私のポッドキャストというのか、アンカーがですね、何か新しいシステムに移行したか何かで、
えー、過去にあったものはすべて消えてしまったんですよ。
で、えーと、まあ、そんなことは別にどうでもいいのでいいんですけれども、
あのー、あれですね、最近僕の使っているクラウド管理アプリもそうなんですけど、
まあ、だいぶ昔に3.7あたりから5に突然移行されたEvernoteも割とそう感じる感じをしたんですけど、
まあ、良くなってると思うんですけども、
あのー、正直、えー、変えないでおいて欲しかったと思うことの方が個人的には多くて、
どうしてそういうことになるのかが大変大変不思議なんですよね。
自分が慣れてるっていうことはあるにしてもあるんですけどね。
あのー、多分全面的に良くなるから良くなるはずだと思うんだけど、
あのー、昔ね、よく本屋さんに行ってたんですけど、本屋さんが全面改装しましたってなると、
えーと、すごい、なんかこう、あーって思ったことが多かったんですよね。
えー、まあ、綺麗にはなるんですけど、大体こう、使いにくくなった上に私が欲しい本の数は減るっていう現象が起こってですね、
まあ、これもあれなのかな、えー、意味付けということにしておいた方がいいのかなと思うんですけど、
そうは言っても、こう、改装されるというのは事実だし、
しかも、えー、それが、それによってこう、あのー、足の、足、自然とこう足が遠のいていたという事実もあったんで、
あれはなんかこう、お互いもっと良いところに落ち着けないのか、それとも自分が特殊なのか、
でも今回、会計管理アプリの方は元に戻すみたいな話だったんで、結構私が特殊なわけじゃない気がしたということを喋っている日に2分経ちましたね。
えー、本題に入ります。
あのですね、人のイリュージョンを取るのは損だっていう感覚ってGoodVibes系には割とあるあるだと思うんですね。
例えば、上司なり家族が、とてもいつも理不尽なことを言ってくるとして、
それは、向こうが恐れていて、私がそれに対する恐れを与えたから、見除いてあげましょうみたいな、あるじゃないですか。
まあこれを、大阪では少し、もっと先へ行ったような話もあったんですけど、まあ、こういう話は散々してきたと思うんですね。
03:06
私はこれは、結果として有効だったんで、非常にこう、意識しているんですけれども、
あの、これを言え、なぜ私がやらなければならないんだという感覚から、なかなか抜けられないという問題がありますよね。
で、何度かやっているうちにですね、だんだんそうは思わなくなってきたんで、今日はその話をしたいと思うんですけれども、
人のイリュージョン、イリュージョンなんですよ。
で、特にクレーマーという件について、最近私はたまたままた数冊まとめて本を読んだんですね。
なんか別にクレーム対策がしたいわけじゃなくて、単に興味本位で読んだんですけど、
クレーマーって普通の人の感覚からすると、受け手としては怖いじゃないですか。
ところが、いろんな本を読んでいるうちに、クレームをする人というのは、自分をとっても弱い人間、強く出ることのできない人間だと思っているケースが全部じゃないんですけど、少なくないんですね。
これはクレームを言われる側にしてみると、とんでもないことのように思えると思うんですよ。
あのズズしさが引っ込み次半みたいなところから来るっていうのって、なんかありえない言い訳みたいに聞こえると思うんですね。
で、この行き違いは何なんだろうと、今もずっと考えてるんですよね。
割と物事に突っ込む人っていらっしゃるじゃないですか。
本当に細かいところで言うと、メールの誤字とかを指摘するのが趣味みたいな、そういう趣味じゃないのかもしれないけど、そういう感じを受ける人っていますよね。
なんでこの人はこんなに心が強いんだろうって思うんですよ。私は聞いていて。
だって細かい突っ込みを入れることによって、余計な反撃を食らう回数を増やすわけですよね。
正義感なのかもしれないし、正したいという人並み外れた気持ちが強いのかもわかんないんですけど、いずれにしてもですね、私はそういう人たちはみんな気が強く心が強いと思い込んでたんですよ。
なぜなら、無用なトラブルを増やしても大丈夫っていう感じが、私は黙ってるわけですよ。多くの場合、どっちでも良さそうなこと。
人と衝突するのを避けたいという気持ちがあったので、黙ってるんですけど、黙っていられないということは、つまり人との衝突は実はないというふうに見えるわけですね。
そうすると、そうか、この人は強気なんだと思ったんですよ。クレーマーというのは、それの究極形みたいな感じで、
06:04
そのクレームを言う人が、自分は人に強く出るのが苦手だという話を聞くと、そのところはどうなっているんだろうと思ってたんですけど、
一つ分かってきたのは、理不尽なことを言う人は大体において、定番ですが、恐れや不安を確かに抱いているんですね。
それをなかなか並々ならぬ恐れを抱いている。イリュージョンなんだけど、とにかく抱いているわけですね。
それを恐れているものだから、先手必勝みたいな感じなんですね、あれはね。ほとんど無意識なんだけど、先手を打ってやり込めておかないと、自分がとてつもなく人生で…
あともう一つあるんですね。そもそも自分は人生で割り送ってきたという感覚がベースにある感じなんです。
で、割り送ってきてこれ以上割り送わされるということを、何て言うんですかね。見過ごしていてはいけないっていう人生観があって、だからこう、些細なことでも先手を打とうっていう感じで来るみたいなんですよ。
だからよく話を聞いていると分かってくるのは、要するにお前はすでに私に酷いことをいっぱいしている。大体それがイリュージョンなんだけど、してるんですよね。
で、しているんで、これ以上黙っていると、どんどんあなたの行動はエスカレートしていって、取り返しのつかないことになると。このとき言っている取り返しのつかないことって、大体双方にとってって意味なんですよ。
クレーム言う人も似たようなこと言いますよね。この客である私と、商売をしているあなたのビジネス双方にとって、このまま行くととんでもないことになる。それもイリュージョンなんですけども、そもそも未来予測はイリュージョンなんで、エスカレートしてとんでもないことになるというのは、完全にその人の脳内で展開している一つのドラマみたいなものであって、そういうことにはなり得ないんだけど、
そういうストーリーが出来上がっているんですね、きっと。だからここで歯止めをかけなければいけないんだけれども、多分あなたはその事態がよくわかっていないだろうから、ここでちょっと嫌な思いをしてでも、この事態を直視しようということみたいなんですね。
これが私が見た理不尽な攻撃によく見られる現象で、これをなぜ、クレームはちょっと仕事になっちゃうから置いとくとしてもですね、なぜ取り除くのかって話になるんですけども、これですね、取り除くといいことが確かに一つは、一つはいろいろありますが、一つは確実にあります。
09:18
で、一番いいのは、自分もイリュージョンを振り払えるということ。だいぶ前に、ちょっと前だな、ちょっと前に、ジョイさん、わままのジョイさんみたいなノートの話を取り上げたんですけど、トイレ掃除をとにかく夫がしないと。
あれなんですよね。あれ、双方のイリュージョンがありまして、ジョイさんが言っていることは要するに私は割り送ってきたと。それは多分イリュージョンというよりは事実なんだと思うんですよ。
で、このままトイレ掃除を私がし続けるということによって、この家族は崩壊するっていう恐怖感が、今言ったのは大雑把ですけども、多分それに近いイリュージョンだと思うんですね。
で、それはまあ、わかんないから、本当にそうかもしれないけどわかんないから、多分にイリュージョン感がありまして、何よりもそこであるのはですね、もう一つ大事なイリュージョンが、それは夫の人がですね、少し言ってたことなんですけど、要はトイレ掃除は大変だというイリュージョンなんですね。
いやいや、大変だろうって思われるかもしれません。それは人によって様々だからわかりませんけど、大事なのはですね、大変だからやらないという選択をとると、このイリュージョンはより大変な方に進行していくんですよね。
なんかこう悪性の病気みたいな感じなんですよ、この種のことは。私もこのイリュージョン取り払う月間みたいな、イリュージョン取り払う週間みたいな感じで動いていて、わかってきたんですけど、人のイリュージョンを取り払うということは、多かれ少なかれそこに共通認識が常にあるわけじゃないですけど、多くの場合あるんですよ。
で、それはあんまり前面に出てこないですね。トイレ掃除は大変なのは確かだけどっていう感じがあるんですよ、ここには。でも私がずっとやっていくとあなたはどんどん妻になんでも押し付けとけばいいやという態度をエスカレートさせるでしょうっていう風に話が展開してるんですけど、その前のところにあるんですよ。
トイレ掃除が大変なのは確かだけどっていう、これを取り払えるんですよ。トイレ掃除をした方が。で、特にしていなかった人はそれをすることによって両方のイリュージョンが一つ減るんですよね。実は大変じゃないかもしれないという。
12:07
で、他の人がどう思うかは関係ないじゃないですか、この場合。やる人がどう思うかがほとんど全てですよね。やる人さえトイレ掃除が大変だというこのイリュージョンを消滅することができると、トイレ掃除が大変だからあなたは私に押し付けるっていう論法も一緒に崩れ去りますよね。大変じゃなければ。
これがイリュージョンを取り払うってことにつながるんですけど、同時に自分の中のイリュージョンも一つ消せるんですよ。で、こうやっていくうちにどんどん消していけるんですね。
人が大変だと思うけど自分が大変だと思わないことと、人も自分も大変だと思うことと、相手は大変だと思わないけど自分は大変だと思うこと。全部大変だと思わない方が楽なんですよ。それが大変だって思われると思うんですけど、それがイリュージョンなんですよ。
それはとても楽なんですということが最近非常によくわかってきたんですね。で、面白いことにですね、不尽なことを言われているときというのは少なくとも一つだけは、一つだけじゃないことがほとんどですが、少なくとも一つだけは今みたいな前提イリュージョンをお互いが共通で持っています。
僕はこれが人に攻撃される理由なんだと思っています。最近で言うとですね、うちの奥さんは私は庭に興味がないが事実なんです。で、庭のことをやっているのは私だ。完全に事実なんですよ。私は庭のことをほぼやらなかった。最初からそういうような約束でしたからね。
で、庭はどうであっても私は興味ないから、まあ金は極力出したくないけど出すけども、基本的に手はかけたくないって言ってたんですけど、まあこのグッドバイブス月間なんで言われるがままに庭のことをやっていたんですよ。
そしたらですね、神妙なことが起きて、つまり私は庭維持がとても好きなんですよ。これがあれだなと思ったんですね。本気でやっているうちに自分の、まあこれここまで言うと多分に大げさでそこまではまだいけないんですけど、適色がわかるってやつですね。
わかんないんですよ、適色が。私は実は物書きをやるより農家でもやっていた方がいいんじゃないかと思う時が最近はあるんです。やらないですけどね。すぐそういうことをやっている場合じゃないんで。
ただ、そういうことなんですね。イリュージョンなんです。私が庭をいじりたくないということや、庭をいじっても何にもならないと思っているようなこと。何になるかというのを僕は全然説明できないですけど、何にもならないというのがイリュージョンなのは確かなんですよ。
15:12
ここにもまた共通の認識があるんですよね。庭いじりは大変だ。大変なんですよね。時間がかかるとか、肉体労働として重いとかあるんだけど、そんなことは問題じゃないんですね。
もっと言うと、最初の約束があったから、最初の約束があったじゃんって言ってもいいわけですよ。いいんですけど、これもイリュージョンなんですよね。最初の約束を守ることは大事だって僕が思っているんですけど。
なぜならば、そういう約束を保護になって、どんどん言われるがままに動いていると、僕の仕事量が激増して、本を書いたりできなくなる。ならないんですよ、これが。現に今、本の構成に入ってますからね。
なるとみんな思うんですよね。特に仕事を多くする人はそうです。これはですね、ここら辺がややこしいんですけど、じゃあ女優さんはトイレ掃除をするべきだったのかっていうと、そういうわけじゃないんです。
均等にするとか、役割分担するとかは、した方がいいケースも多々あると思います。男女どっちの役割だというのも、一般論としては、男女、男の方がいい目を見てきたからっていうのもあるでしょう。
でもそれは、個々の過程で投入する価値があるかどうかはまた別の問題で、それを言い出すとですね、すごい難しくなっちゃうじゃないですか。結局、労働時間を均等にするのか、報酬体系との兼ね合いを考えるのか、無理があります。どうやってもね。
だから、その辺のことを考えないために一番いいのがですね、自分のイリュージョンが、これもあれなんですよ。人間、そうそうそこまでは行きつかないんで、なくなるってわけにはいかないんですけど、一番やっぱり良くないのはですね、これはライフハックで先送りするときによく言うんですけど、
大変だと自分に言い聞かせて、そのように行動を取ってしまうこと。それはやっぱり一番イリュージョンを強化するんですよね。大変じゃなかったことまで大変になっちゃいます。
で、私は留学中とか毎日料理作ってたわけですよ。毎日作ってなかったけど、まあまあ作ってたわけですよね。大変だとはあんまり思わなかったんですよ。ところが結婚してしばらく経ってるうちに大変な気がしてきたんですよね。これが押し付け合うことの弊害だと思うんですよ。
18:04
大変じゃないのに大変にしちゃうんですよね。大変だからあなたがやってとか、大変だから分担しようっていうことをしていると大変になっていくんですよね。悪性の病気みたいに。
分担するのはいいんですよね。デフォルトの大変さというものを信じなければ。デフォルトの大変さを信じたところで、その大変さを理由に公平にしてみたところで、誰も楽にはならないわけじゃないですか。
これは結局ことをクレームにしているだけで、みんなが苦しむという公平さは担保されるかもしれないけど、それをやりたい人は本当のところにいないと思うんですよね。
途中私が申しました通り、クレーマーの人が言う、誰も得をしていない現状のここで歯止めをかけるべくみんなで苦痛を分かち合おうとか苦痛を凝視しようという、これがおかしいわけですよね。
これをしなければならない義理は誰にもないので、クレーム言う人にもないので。ただクレーム言う人はドラマができちゃってるから、たぶんこのおぞましい現実を凝視しないと会社も私も破滅するというような世界になってるんだと思うんですけど。
それに近いものがやっぱりトイレ掃除ごときに出てきちゃうわけですよね。ここでトイレ掃除をどれほど嫌でも夫であるあなたに押し付けることが家庭の平和を保つ道だというニュアンスが記事にあったわけですけど。
このニュアンスどっかおかしいですよね。私は今トイレ掃除とかをやるから思うんですけど、いやいや、喰いきみたいなものにしなくてもできないことではないし、だから結局喰いきであるからこそ押し付け合う価値が出るという理屈がそこに一点あってですね。
そういうものが見え隠れしていると思うんですね。何かを分担し合うときのイリュージョンですよね。私がなぜやらなければいけないとか、私がなぜ相手のイリュージョンを取り去ってあげなければならないんだろう。悔しいみたいなやつですね。
ここには一つは絶対あるじゃないですか。イリュージョンが。相手のイリュージョンを取り去るのは大変だというイリュージョンがありますよね。これが簡単になったら人生めちゃくちゃ楽だと思いません。
21:05
これが簡単になったら人生はもう勝ったも同然だなと思うんですよね。だってあの女医さんのにしても夫から見ても妻から見てもですよ。女医さんは明らかに大変な目に遭ってきたけど、それだけにイリュージョンが濃いけれども、あの女医さんのイリュージョンを夫が取ってあげることができれば、そうしてもってないと思いますけど、あげることができれば楽勝じゃないですか。
多分トイレ掃除もしてくれますよ。奥様の方がね。逆もそうですよ。あれ、あなたがもう私は二度とトイレ掃除はしないからっていう記事があるんですけど、じゃなくて、トイレ掃除なんて簡単だから。あなた医者なんだから、診察するのもずっと簡単だから。それは本当ですからね。
で、いうことを理解してもらえば、多分夫は毎日でもトイレ掃除しますよ。あれを週に一回なのに、さらにそれを先送りにするのは大変だというイリュージョンのど真ん中にいるから、そういうことになるわけですよね。
途中で、だいぶ昔に紹介したラテに感謝って本があるんですけど、その人は要するにスタバのトイレ掃除をすることに最後なって、そのスタバのトイレ掃除こそが自分の唯一の仕事なので、絶対それを他人に渡したくないという、そういう人なんですけど。
その人はあれですからね、エリザベス女王と会ったこともあるぐらいのそのアッパークラスの人で、それがこう、しかも今こういう詐欺になって、ちょっと前のあの人種問題みたいなのがあったけど、そのアッパークラスから出たこともなかったのに、いきなりこう、どちらかというと、まあダウンタウンですよね。
ブラックの方が普通に来るようなところでトイレ掃除するわけですけど、それがしたくてしょうがないみたいな。イリュージョンっていうのはそういうもんだと思うんですよね。
人によって現実は全く違うので、そして事情によっても現実というのは見え方がガラッと変わってしまうので、だからイリュージョンなんですけど、その確固とした現実があるっていうふうに思っているときほどイリュージョンを見ているはずですね。
で、私たちが確固として思う一つのイリュージョンとして、イリュージョンを、人のイリュージョンを取ってやる義理はないという、このとき確固とした何かを感じているんですよ、その人はとても悔しいとか、私が先にこの人の恐怖を取ってあげる前に相手こそ私の恐怖を取るべきだとか、どう考えても理不尽だとかですね、あるんですよね。
そこに対していかなる議論も入り込む余地はないような気がするはずなんですけど、そういうときも。つまり、グッドバイブスは一切忘れて相手を罵倒したいという、それさえできればとてもスッキリすると思うと思うんです。
24:08
それがいかに濃いイリュージョンを見ているかという感じもしますけれども、このとき一番ポイントになっているのが、人のイリュージョンを消し去るのはとても大変だって思っている。だってごくごく簡単にできることなら、それをやったほうが簡単ですからね。
クレーマーに言われたときも同じですよね。この人の相手をなぜしなければならないのだというときに、いや給料をもらっているからだって思うことによってですね、自分のイリュージョンをいって濃くするんですよ。給料をもらっているからだということは、給料がなければやってられないほどの苦難だと。そう思って当然ですけれども、そう思うわけじゃないですか。
でもお給料は我慢料だということで、これは我慢をすることによってお金をもらっているんだから。2個進みましたよね。お金をもらうために私は我慢をしなければならない。その我慢がこれである。これはとても辛いことだと。ここに客観性みたいなニュアンスが入ってくるじゃないですか。これを辛いと思っているのは私だけだというニュアンスはもはやないですよね。
みんなが大変だと確信して当然であり、それを率先してというか、とにかくやっているからこそ、それのことを客観的に評価してお金がもらえるという図式であって、2個進んだんですよね、これによって。間違いなくこれは苦痛そのものであるという確信を得たわけです。
この確信を得ることでどういう得があるのかというと、多分どういう得もない。だって目の前の出来事が苦痛以外の何物でもないという確信を二重に得て、何か楽しいことがあるかというとそれはないですよね。
ここにですね、クレームの人の話を聞くなんてとても簡単なことだという人が登場したら、というかそういうふうに思えるようになったらですね、とってもラフになると思うんですよ。
それは何をすることかというと、クレームを持ってくる人のイリュージョンを結局取り去るということで、最初から簡単である可能性はないと思うんですし、どうしてもそこに理不尽さを持つと思うんですけれども、結局なんだかんだ言って自分のためなんですよ。
金がもらえるなら、どういうかもらえなきゃやるべきでないとは私も思うんですけれども、人のイリュージョンを取り去るということが大変だというイリュージョンの中に巻き込まれていると、結局は人って必ずイリュージョンを持っているものなので誰とも関わりたくないという結論にしかならないと思うんですよね。
これが多分私たちがこもっていく最大の理由だと思います。物理的な意味ではなくてですね、精神的に他人から距離を置き始める。なぜならば、私とその人は違うイリュージョンを見るから、そしてイリュージョンというものは取り去ることができないものだから、こう考えることによって人はですね、ソーシャルディスタンスではなくて、本当にディスタンスを取るようになると思うんですよ。
27:23
このディスタンスは、途中だいぶこれも前にお話ししたハワードヒューズの話。どんなに頑張ってもその人を楽にはしないんですよね。だって、ハワードヒューズよりこもれる人はこの世にいないんじゃないですか。
ラスベガスのビルを1棟買い上げて、その最上階にこもったんですよね。それで苦しみが取り除けないということは、この戦略はやめた方がいいと僕は思うんですよね。僕はそれよりはるかに中途半端なことしかできません。この書斎にこもるとかね。お金ないですからね、そんなデザートインを買い上げるとかいう。
この書斎を手に入れるのですら、僕は借金しなきゃならなかったんだから、全然普通はそんなことはできないですよね。だから、この戦略でいくには莫大な費用がかかり、しかも無効なので、やっぱり人のイリュージョンを取るということに理不尽さを感じないということは、トイレ掃除に理不尽さを感じないのと同じで。
要は、前提の大変さというものを信じないことかなと思うんですね。楽だったら理不尽も何もないですよね。だって楽なんだから。そんなのは簡単で即できる。もちろんそれを私がする義理はないかもしれないけど、難しくことではなく簡単にできることであれば、人はですね、それによって一定以上のものが手に入るなら、やると思うんですよね。
人がするのは好きなことじゃなくて楽なことだって誰かが書いてたんですけど、習慣家の本で。まあまあそういうようなことでもあります。一番の問題は、とてつもない大変なことだって思うから、なぜ私がやらなければならないんだってことになっちゃうわけで、そうではないと思うってことが大事だと思うんですね。
で、イリュージョンを取り除くというのは、これ多分ですね、私、ここは倉園圭三さんのグッドバイブスのすごいところだなと一つ思っておるんですけれども、私たちはこの路線を習ってこなかったような気がするんですね。
人は何かしら異常行動、おかしな行動に打って出ている人は、恐怖にまみれていて、その恐怖はイリュージョンだから、その恐怖を取り除いてあげることが私たちのするべきことです。
一回も習った気がしないんですよね。最近娘の道徳の話を聞いていたり、道徳の教科書を読んでもですね、違う話に持って行っている感じがするんですよ。
30:11
で、私たちの大半は他の戦略を知らないから、理不尽なことを言われたら毅然として怒鳴り返すみたいな戦略ばっかりになっちゃっているような気がして、あれはとても大変なんですよ。
あれをやるとき私たちはすっきりすると思い込んでますけれども、怒鳴り返すということが楽だと、大変だと全然思っていないからみんなやるわけじゃないですか。
グッと堪えるというのはちょっと大変ですけれども、でもセカンドベストとしてはみんなこのグッと堪えるをやってますよね。
あるいは闇打ちするみたいなものを妄想するとか、いずれも私たちはその戦略しか知らないんですよね。
で、それは簡単にできると思ってるんですけど、決してこの3つのうちのどれも簡単だった試しはないはずですよね。
理不尽なことを言ってくる人間に毅然として怒鳴り返しても相手はますます怒鳴り始めて自体収集しないじゃないですか。
で、たぶんすっきりもしてないと思うんですよ。
で、グッと堪えるはむろん簡単にできることではないと思いますし、闇打ちするとかはもう社会的にリスクを伴いますよね。
簡単にできることは一個もないのに、私たちはこっちをやりたいと思っているというのは、簡単だからやりたいわけじゃないと思うんですよ。
たぶんこれをやるほうが正しいと思っているだけなんだと思います。
で、その正しいっていうのはまず間違いなく習ってきたことだと思うんですよ。
毅然とやり返しなさいと。何らかの形でね。そういうようなことを習ってきたと思うんですよね。
だからみんな反伝をしたようにですね、戦略の中に一つとして相手はイリュージョンを持っているからそれを取り除きましょうっていうのを聞いたことがないんですよ。
結構宗教的にもないような気がするんですよね。
この国はクリスチャーの国じゃないんで、キリスト教的にどうかっていうのはちょっとなんとも言えないですけど、
なんとなくこう、いろんな意味で、これは結局モラル的な話に持っていかれてしまうんですけれども、
モラル的な意味で、モラル的な意味に持っていくから必ずどっちが正しい問題にしか、問題しかクローズアップされないんですよね。
どっちが正しいのかって話にすぐなるわけですよ。
まずそういうことはあり得ないから。
だからみんな釈然としない気持ちで、クレーム対応専門の人が話を延々聞いて、お給料がもらえるみたいな、そういう話になってると思うんですよね。
途中出てきたジョイさんの話、これも何度もここで取り上げさせてもらってて悪いんですけども、
どっちが悪いかって話になってますよね。
あれは夫が悪いっていう話に多分モラルを持ち出すとなるので、
33:04
そうするとその夫に何としてでもトイレ掃除をさせるべきだっていうことになるじゃないですか。
それはそれで間違ってるとは思わないんですけど、これ簡単だとは僕には思えないんですよね。
かなり難しいと思います。
これよりはイリュージョン取り除く方がはっきり言って簡単ですよ。
やり慣れれば。
トイレ掃除は大変だというイリュージョンを薄めるのでもいいんですけど、
あるいはそういうようなことですよね。
ご主人の方からジョイさんのイリュージョンを薄めるというのは、
やはり今言ったような流れのために誰も決して考えつかないことなので、
不思議とそうなんですよね。誰も決して考えつかない。
夫婦仲をもっと良くしましょうとか、もっと話し合いをしましょうという話は出るんですよ。
それは結局のところイリュージョンをお互いで和らげていきましょうということなんですけれども、
ものすごく間接的ですよね。何の話し合いをすればいいのか。
多分多くの人が考えてしまうところはですね、
もっと分担について公平を競うみたいな話になるんですよ。
そうすると、労働の話をもっと緻密に詰めようということにしかならないじゃないですか。
前提が変わらないですよね。
何が大変で何が大変じゃないかは、実は数値で出せるぐらい客観的なものだということになってしまう。
そんなことはあり得ないと思うんですよね。そんなことはあり得ないです。
私が今からやる本のゲラを見るにしても、
そのメールでスキャンして戻すにしても、
うちの奥さんとかに言ったらですね、そんなおぞましいことは絶対、
まあそういう言い方はしないですけれども、
非常にそれは大変で辛いというか、やってられないことだって必ず思うと思うんですよね。
それは彼女と私とでも見ている現実がまるで違うからじゃなくて、
ITに慣れてないとか慣れてるとかいう話ではないですよ、これは。
結局だからトイレ掃除がどう見えているかは絶対全く違うと思うんですよ。
大雑把に大変そうだっていうふうに決めておいて、
その後の公平性をきっちりさせてみたところで、
多分話し合いがうまいところに集約させるのはとっても難しいと思います。
これらに比べるとですね、
イリュージョンを取り除く方がかなり現実的で難しくないんですよね。
このイリュージョンが大変なイリュージョンというものを
イリュージョンだと思えるようになるのがとりあえず大事かなと思うわけです。
35:56

コメント

スクロール