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おはようございます、グッドモーニングバイブスです。
うーんと
昨日、妙な、まあ、出現ですよね、のお話がありまして、
それはまあ、わりと
ここで話題にすることと関係あるような内容なのですが、
昔ですね、 中根知恵さんという、
名前多分そうだったと思います。間違ってたらすみません。
「縦社会の人間関係」という本を出されているんですね。
で、私、あの、HSPとか、発達障害とか、怒られたくないとか、
いろいろ様々困っていて、
このこととライフアップが関係あると私は思っているから、こういう話している面もあるんですけど、
えっと、
いう人たちはですね、あの本読まれるといいんじゃないかなと思ってます。
薄いし、まあ古い本なんですけどね。
でもあの、今どこでも手に入る、
あの、ダイロングセラーなんて。
で、あの本とセットでですね、これが勧めにくいんですよ。
なぜならあんまりわかりやすくないんですよ、ある意味では。
すっごくわかりやすく書かれてるんだけど、読み終わってみるとよくわからなかったみたいな本ってあるじゃないですか。
私の本もそう言われるんだけど。
えっと、そういう感じのところがあって、でもお勧めしたいのが甘えの構造なんですね。
散々この番組では出てきていて、
で、私はこの2冊セットだと思っているんですね。
えー、
んー、甘えの構造と縦社会の人間関係読んでおくと、
あの、日本人っていうものがなんか非常に見えやすくなる気がします。
まあ、だからあんなにベストセラーでロングセラーなんでしょうね。
で、中根知恵さんのにもちゃんとこの甘えについて書いてあるんですけど、
ちょっと強調の仕方が、そもそもね、あの、縦社会の人間関係とか、確かひどく薄い本だったんですよね。
もっと書いてくれないとわかんないんですよ。
で、彼女はエモーショナルっていう表現を盛んに使ってるんですけど、
エモーショナルって感情的ですよね。
わからなくはないんですけど、まあわかりにくいんですよね。
甘えなんですよ、あれ。
で、縦社会の人間関係、私ここのところ恥ずかしい感情みたいなの、
これは、あの、ぶっちゃけ相談で質問いただいてから考えて答えるようにしてから考えるようになったんですけど、
あの、この羞恥心というものになんでこんなに苦しむのかということも、
えー、全部書いてあります。
甘えの構造と縦社会の人間関係。
で、一言で言うとですね、コミュニティなんですね。
で、そこに私たちは、いないと死ぬと思わされてるんですね。
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で、えーと、ここに甘えがあって、逆に言うとですね、
コミュニティにいさえすれば、良くしてやるよっていうことなんですよ、これ。
良くしてやるってどういうことかというと、
油断してリビドを振り巻いていてもバッシングしないよっていうことなんですよ。
人間の生き方ってのは、油断してリビド振り巻くと、一歩間違えると張り付けにされるわけですよ。
あの、そこら辺にあるものを食べると怒られるとか、殺されるとか、最悪の場合ね。
そういうところから来ているんですが、動物はそういうことに頓着しようがないですよね。
そこら辺にあるものは食べますよね、当然。
さっきも目高に餌やりましたが、そこら辺にあるものを食べますよね。
目上の人のためにこれは取っておくとかしないですよね。
で、リビドが、えー、流暢に流れるというのかな。
よくよく流れていると私たちは気分良く生きられて、
で、私ここが仕事術に貢献できると思うんですけど、
リビドがよくよく流れていると仕事もスイスイ行くはずなんですよ。
で、このリビドを自分で止めにかかるのが発泡塞がりなんですよ。
で、リビドというものがこう流れているんだけど、
日本社会のやり方というのはですね、
甘えていい場所と良くない場所と分けるんですね。
で、甘えていい場所ではリビドをどんどん流して活発にやるわけです。
で、外に行ったら黙る。
内と外をはっきり分けて、
で、外に行ったらリビドをこう良いように使っちゃいけない。
それは恥とされるわけですよ。
だけどこの恥っていうのはよくよく考えてみると実に甘くて、
えーと、脅しでしかないんですね。
このそれをやってはコミュニティから放り出すぞって言ってるんだけど、
放り出じゃない、出さないんですよ。
ここに甘えがあって相応に、
えーと、メンバーは放り出されないことが分かってるんですよ。
所詮それは警告に過ぎないんですね。
威嚇発砲みたいなもんなんですよ。
えーと、放り出すぞ、放り出すぞって言うんだけど、放り出されることはないんですね。
このからくりが分かってればですね、
恥ずかしさというものをそこまで苦にしないでいいはずなんですよ。
というのが多分今までの日本人のやり方で、
だからこう、羞恥心というものがことさら問題にならなかったと思うんですね。
コミュニティどうせ移れないんですよ、日本人っていうのは。
これ不思議なんですけどね。
中根さんが盛んに書いてることなんですけど、
日本人にとって属するべきコミュニティは1個じゃなきゃいけないんですよ。
これが多分あらゆるからくりに通じていて、
だからしがみつくし、放り出すぞ、放り出すぞって言っても放り出されないことは分かんない。
よっぽどのことがない限り、放り出されることはないんですね。
だから身内に甘いっていう話になっていくわけですよね。
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で、やがて日本人っていうのは、これをどうやって達成したのか分かんないんですけど、
日本全国をウチにしたんですよ。
だから日本の中でやることはですね、オッケーなわけですよ。
ただそれが外にバレてはいけないわけですね。
このウチと外が非常によく使い分けられていて、
まあ、なんかですね、近代化にあたってそうしたんでしょうけど、
日本人は会社をウチと見出すことにしたんですね。
国鉄一家みたいなやつですね。
だから外で働くっていうのはなんかすっごく、まあその社内規定的なものもあるんですけど、
そもそも僕が子供の頃はまだありました。
他で働くなんていうのは、なんていうんですかね、武士の裏切りみたいな。
そういうすごい全近代的なものとリンクしていて、とにかく恥ずかしいことだったわけです。
恥が出てきちゃうんですね、ここで。
だけども、逆に言うとこのコミュニティから放り出すぞというのが有効なのは、
放り出されることを怖がる場合だけですよね。
いやいや、そんなコミュニティなんか出ていきますからって言われると困っちゃうわけですよ。
ここに甘えがあるんですね。
こうやって相互に甘えているということが非常にこう日本社会では発達していて、
で、ここが逆に受け取られるんだけど、私はこれ大変いいことだと思うんですよ。
今後これをなんとかうまく活用して変更していかなきゃいけないんでしょうけど、
ここまでこれでやってきたのは大したことだ、大した話だと思うんですね。
ここを逆に取られるんですよ。
なぜならば、今の世の中って進歩的ってのは欧米的ってことだから、
この全近代的な日本のやり方はすっごいダメだってことになってるんですね。
で、甘えが通用しないって言葉が好きなんですよ、私たちは。
とっても好きなんですね、甘えが通用しない。
甘えが通用しないっていうのは、社会的に見ると私は退化していくとしか思えないんだけど、
私たちは不思議とですね、多分これ敗戦でねじれたんだと思うんですけど、
逆に考えたんですね。
甘えが通用しない社会の方が進歩的なんだって考えるんですよ。
これは絶対におかしいと思うんだけど、私たちはとりあえずなんかね、そういうものを受け入れたんですね。
ここで私たちのなんか、日本人特有の努力が始まってるような気がするんです。
ちょっと話が大きくなってますけど。
アメリカとか、僕の場合はイギリス旅行したときですね、ハンガリーもそうでしたけど、
このことを痛感したんですよ。
あの、日本人というのは甘えて生きているんですよ。
例えば、まあ僕はさすがにアメリカではこれは頑張って避けましたけど、
木差しっぱなしでガソリン入れたりするじゃないですか。
もうすぐ殴られて持ってかれますよね、車ごと。
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で、気がついたときには最悪の場合、車ばらされて売られて二度と戻ってきません。
そういうことは現に普通にそこら中で起きるんだけれども、
日本人はこれを結構やる、しかもおそらく世界で唯一やる国民だって言われたことが台湾人にあります。
台湾人ですからね。
あの、これをインド人とかに言われるなら分からないではないんですけど、やっぱ油断ならないわけですね。
日本以外の国っていうのは。
で、ハンガリーに行ったときだったと思うんですけど、
とにかくこう、絶対にどんなことがあろうとも札を見せちゃダメだみたいなことを言われたことがあるんですよね。
小銭は全部取られてもしょうがないけど、札を見せるとどっかに連れて行かれるかもしれないみたいな、やっぱ大変なわけですよ。
で、私たちはコミュニティというものを信用しているので、
そこら辺にお金置いてどっか行ったりすらしますよね。
で、そんな甘い考えは通用しないっていうのが好きなんだけど、
私これどうしたって逆だと思うんですよね。
これができるっていうことは、世の中がよっぽど成熟してるんであって逆であるはずがないと思うんですよ。
なんかこうハンガリーのようになった方がいいって話になるじゃないですか。
甘えが通用しないよっていう話をするってことは。
で、どう考えてもそうではないと思うんですよね。
やっぱりこう、地下鉄に乗る時も擦りに合うことは覚悟しましょうみたいな話になりましたし、
私のほら、知っている人でいうと、J松崎さんがベルリンに行ってiPhone擦られましたけど、
あの話を見ていてもですね、あれの何がいいんだろうって思うんですよ。
どっちともいいと思わないんですよね。
日本人の中にももちろんすっごく警戒心が強い人がいて、
俺はそういう目には決して会わないっていうふうにおっしゃる方もいるんですけど、
それって自慢にならないとは思うんですよね。
それって結局、俺は人のことを常に疑ってるよっていうことを公言してるようなものであって、
身を守るという意味において、必要なケースの多いスキルです。
特にアメリカに行くと必要ですが、
自慢になる話だとは思わないんですよ。
私は気がつけば物がなくなってましたっていう人の方が、
よっぽどこう、いいんじゃないかと思わなくはないんですよね。
少なくともその社会はいい社会だと思うんですよ。
何かの本で、ちょっと忘れちゃったんですけど、モルドバーでしたっけ?
この一番逆になるとモルドバーのようになっていくみたいな話がモルドバーじゃなかったかな?
とにかくあるんですよね。
相互に絶対に信頼しない社会みたいな。
絶対に発展しないですよね、経済は。
だって危なくってしょうがないですよ。
人と一緒に仕事をしたら、いつどういう形で訴えられるかわかったもんじゃないし、
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契約書もどうしてもこういうむちゃくちゃ分厚くなる。
私、アメリカで、結局やむを得ずなんですけど、アパート借りたんですけど、
ほんと大変で、もうね、書類を読み終わるだけでも半日以上かかっちゃうんですよ。
英語だってこともあるけど、あれは全部日本語だとしても、
1時間やそこらじゃ絶対読み終わらないんですよ。
しかも全部読まなきゃダメだって言うんですよね、やっぱり。
で、なんならばって言うんですけど、この契約に当たって弁護士を用意するかっていう話になるんですよ。
弁護士って、月4万5千円で借りるアパートを借りるのに、弁護士って。
弁護士とかめちゃくちゃ高いですからね、当然ですけども。
学割とかもあるんですけどね。
もう、正気とは思えないですよね、日本人からすればですね。
月4万5千円のアパート借りようとしている人間から、何をそんなにせしめたがるんだろうっていうぐらい、
アメリカでは月4万5千円のアパートを借りるのも、ものすごく社会的に恵まれていると言える面もあるんですよ。
一方で、月4千万ぐらいするマンションを借りられる人だっているし、やっぱりピラミッドが極端ですけれども、
あるわけですよね、そういう甘えられない事情が、甘えが通用しないというわけが、非常に警戒するようにはなりました。
何しろすぐ何でもかんでも持ってかれるんで、例えば非常に分かりやすいところで言うと、カーナビつけることができないんですよ。
カーナビつけると一発で、もうほぼ確実にその日の夜にはフロントガラスを叩き割られて、カーナビだけ持ってかれるんですよ、車の。
100%と言っていいレベルなんですよ、これ。だから絶対つけちゃダメというふうに言われたんですよ。
で、私一回だけですね、うっかりして、泳いでたんですよね、近くで。
海パンだけ入れている袋を置きっぱなしにして行ったら叩き割られて、それだけ取られてましたね。
海パンを取ってってどうしようと言うんだろうというぐらいな勢いなんですけど、そういうところだから、やっぱりこう、
あれですね、触っただけで電気ショックが走るようなガレージを持っていない限りカーナビはつけられない。
発展しないですよね。僕はこう、世の中が発展するためには信頼って非常に大事だなと思いました。
思ったもんです、アメリカにいて。日本人ってパソコン入れたまま駐車場に止めるじゃないですか。
絶対考えられないですよね。必ず叩き割られて絶対持っていかれちゃいますね。
これは極めて治安の良いカンザースシティで起きることなんで、もっとヤバい南部の方の州とかに行ったらもう敵面ですよね。
だから信頼して甘えていられる社会というのはめちゃくちゃ良いわけですよ。
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これをどうして甘えの通用しない社会にしたいのか、つまり契約型社会ということになるわけですけども、
悪いことをした奴は今回多めに見てみたいのはやめてですね、全部法廷で争うようにすると。
本当困りますよ。前に私はメキシコ人に当て逃げされたことがあったんですけどね、アメリカで。
法廷闘争をしない限り車へこんだのも直せないんですよ。
車へこんだ部分についてはへこんだ場所と当て逃げに関して保険が利かなかったんで、直すなら150万円と言うんですよ。
私の買った車が中古で15万円ですから、だったと思いますから。何のためにこういう話になるんだろうって、とっても不思議でしたね。
だからこれがどうして良いことに、これが進んだ社会だってことには、どこから来るんだろうって言うと、やっぱ敗戦しかないと思うんですよね。
アメリカが勝ったからこっちが進んでるってことになるんでしょうけれども、こういう社会が進んでるようには少しも思えない。
歴史的な事情があるからですね、僕アメリカにいるにもかかわらず、当てて逃げたのはメキシコ人だし当てられたのは日本人。
こういう意味では進んでるんですけれども、少なくとも合理的っていう言葉の使い方が日本人が考えるそれとは全然違うよなという感じはします。
で、かなり盛大に脇道に反れておりますけど、甘えられないわけですね。
で、それでも僕はイギリス行った時に思ったのは、アメリカ社会はでも安心していられる。
イギリスはもっとある意味油断ならないと思ったし、ハンガリー行った時はもっとハンガリーの方が油断ならないとは思いました。
だから甘えが通用するっていうのは大変すごいことなんだなっていうのを感じさせられるんですよ。
アメリカに行った時はですね、やっぱ甘えで通せたところが日本人ならではなところもあったけど、甘えで通せたところが結構ありましたから、
そういうことが通じなくなりますよね。過酷であればあるほど。一番原始的な社会こそ甘えが全く通じないですよね。
額に穴開けられて終わっちゃいますよね。 それは結局進んでないってことだとしか思えないんですよ。
で、このですね、
根じれがある中で、でも世の中、近代化しないわけにいかないというか、少なくとも日本は近代化しちゃってるし、
全近代的に戻すというわけには絶対いかないわけですよ。それは不可能ですよね。
身内だったらまあまあいいからって世界に全部戻すっていうわけにはいかないですよね。 その世界はしかも男女だいたい不平等なんで、
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昨日のお話が絡んだのは、冒頭で思い出したのはそれなんですけど、ダメなんですよ。
それを言うわけにはいかない。甘えは、この相互信頼というのはとっておいたまま、
欧米化だけはきっとすることになる。 だからここで何か工夫がいるんだと思うんですね。
で、その一つが、っていうかその工夫の過程で大変な目にあってるのが僕は、一つはHSPっていう風に考えられている人。
この言葉の
全く日本的でないところからも、この病気が日本的なものじゃないってことを
物語ってると思うんですよ。HSPって意味不明ですよね。
ハイセンシティブパーソナリティ、意味不明ですよね。
欧米初じゃないですか。私この概念が欧米で生まれてきたというのは非常に意味あることだと思うんです。
欧米社会がだんだん成熟して日本化してきている証拠だろうと僕なんかには思えるんですよ。
多分こう言っても通らないと思いますが、僕はそうとしか思えないんですよ。
相互信頼に向かっていく過程で繊細な人が出てくるわけですよ。
過酷な社会で繊細だったら辛いじゃないですか。
だからそんなに繊細ではいられないんだけれども、日本人ってのは大体みんな繊細なんですよ。
甘えていられる世の中だから。甘えが進めば進むほど、つまり繊細になっていくしかないと思うんですね。
コミュニティから放逐されるってことに懸念を覚える、不安を覚える。
ということはつまりそのコミュニティの人たちはどんな表情をしているのか、何を言うのか、何を望んでいるのかということに敏感じゃないとダメじゃないですか。
そもそもいられるコミュニティが1個しかないことになってた日本では、そこから放り出されたらおしまいなわけですよ。
だからまず放り出されることはないっていうこともあるけれど、放り出されたら終わりなわけですよね。
ところが欧米化が進むことの中の1つに、コミュニティをどんどん移っていいっていう合理化が進むわけです。
考えてみれば不合理じゃないですか。ある家に生まれました。一生その家で暮らしましょう。
ある国で生まれました。一生日本人としてやりましょう。それが素晴らしいんです。
これはローカリズムですよね。だからある会社に入りました。一生そこでやっていきましょう。
合理化が進むとですね、リストラみたいなことになるわけじゃないですか。
今でももう一生そこで面倒見ますって、全然現実的じゃなくなりましたよね。
いわゆる年功序列って全然現実的じゃなくなったわけですよね。
そしてこういろんなコミュニティ渡り歩けますということになると、さっきの前提がぶっ壊れますよね。
いろんなコミュニティに行けるんだから、お前そんなことじゃここ放り出すぞって言われたら、はいわかりました。さよならってことになると。
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例の日本人の恥で、脅して恥をかかせるというやり方が全く機能しなくなるわけですよ、ここで。
そうすると何が起こるかというと、常識的にはまず能力主義が発達していきます。
いろんなコミュニティに移れるということはですね、いろんなコミュニティで強法がられる人材になるということが
非常に大事なことになっていくわけです。そうした人は恥なんかに耐えしのぶ理由は全くない。
いやお前そんなに遅刻して恥ずかしいと思わないのかって言われたらですね、そういう人はじゃあ遅刻してもいいところに移りますからって本当に移っちゃうわけですよ。
そしてそっちでバリバリやって、移られたところはだんだん衰退していくということが現実に起こってますよね。
これが起こるようになるということは恥が全く機能しなくなるわけですね。
で、でですね。ところが、ということはですよ、
能力のある人はこれでいいんですが、必ずしもそこまでの能力があるわけじゃない人はどうなるかというと、はっきり自分がいるコミュニティというものが
見えなくなってくるわけじゃないですか。年功序列じゃないんだから
しがみつくほどコミュニティが安心かどうかはわからないですよね。
しかも大家族的でもないわけだから、一本間違うと家にコミュニティなんてないかもしれませんよね。
一体自分はどこに属しているんだっていう、それは日本人かもしれませんけど、これやっぱり
膨膜というか広大すぎてですね、いまいちコミュニティとして機能してないと思うんですよね。
国っていうことでは、これ実は日本の外に出るといかにこれがすごく機能しているかで、むしろ悩むぐらいなんですけど、
国の中にいる限りはこれじゃやっぱダメなんですよ。どっかに属していてその恩恵を受けるというやり方で生きてきているのに、
どこにも属してないというのはとっても厳しいですよね。だからどっかに属すことになります。
問題なのはそこの時に、どこでもやっていけるという自信、これ結局自信の問題になっちゃうんですけど、ある人は
恥ずかしさとかを考える必要はなくなっていくんだけど、 私はここでしかやっていけないという風になってくるとですね、その人はものすごく
本来日本人が持っていたその甘えの機能というものに対する恐怖感が
増大していくと思うんです。 これが欧米でも同時進行的に起こっていることだと思うんですけど、何にせよですね、
ここから放逐されるかもしれないっていうことと、自分は無能であるってことが掛け算されるんですよ。
今までそういうことはなかったはずなんですね。ここから放り出されるかもしれない。これだけだったんですよ。
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しかも多分そんなことは起こらないだろうって内心では思ってるわけですよ。 しかも僕が思うにおそらくですね、放り出すわけにはいかないっていうことをコミュニティの方も認識してたから、
怒るじゃないですか。恥ずかしい思いをさせるじゃないですか。で、相手が反省するじゃないですか。で、分かった、分かったということで、みんなでまた仲良くするって一連の儀式があったと思うんですね。
だから大した問題にならなかったと思うんだけど、今そうじゃないんですよ。お前能力がないから本当に放り出すよって言われるわけですよ。
そしてそれは脅しじゃなくなりつつあるわけですね。現実味を見てるわけです。
その上で、この相互に甘えるコミュニティという感覚やしつけや教育や価値観は残ってるから、
すっごく恥ずかしくなると同時にすっごく怖くなるわけじゃないですか。
で、しかもその恐怖感は本当に意味を持っちゃってるわけですよね。
以前は多分それは所詮威嚇者演技でしかなかったから、本当に放り出されるというのはよほどとんでもないこと、会社の金をやだら使い込むとかそこまでしない限りは放り出されなかったと思うんですけど、
今は仕事で結果が出ないというだけで放り出され得る時代になっちゃったので、恥ずかしいということと自分が無能力だということがものすごく深く結びつくようになったと思うんですね。
これが今新しく発生しているHSP的な問題、単に怒鳴られるのが怖いとか、厳しく言われるのが怖いというのの意味がですね、少なくとも2乗ぐらいには、昔の2乗ぐらいにはなってると思うんですよね。
だから本当に怖いわけですよ。
で、これがですね、もともと多分繊細さで言えば明らかに繊細だった日本人には食い込んできちゃうと思うんですよね。
ちょっと上司の機嫌が悪いとか、それこそあれですよね、メールで厳しい文面で書いてきたとか、メッセージに返事来ないとかですね。
いろんなものがですね、繊細であるために、いちいちそれについて気がついて反応しちゃうわけですよね。
で、昔だったらそれは嫌だったかもしれないけど、本質的な意味は持たなかったわけですよね、結局。
外に出されることはなかったから。逆に言うと外に出すわけにはいかなかったから。
1個しかないコミュニティの外に出したら終わりじゃないですか。でも今はそうじゃないんですよ。
コミュニティはそこらじゅうにあり、しかも移動は自由であるということになってしまったので、
嫌なら外へ行きなさいというのが本当の言葉になっちゃったんですね。
そうすると、メールの文章一つでも、これはもしかして自分は見らないということなんだろうかという疑念に囚われ、安くなっているわけですよね。
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本当にそういうことが起こり得るわけですから。
これが昔と今の恥ずかしさということについて感じる深刻さの度合いを変えている、多分原因なんだろうなという気がします。
ここから余談なんですけど、昔は一つのコミュニティっていうのはですね、今私たちがよく知っているものとしてお相撲さんの世界があります。
中田知恵さんがすごい面白いなと思ったのはですね、一つのコミュニティしか属せないとはどういうことなのかというと、物理的な場所なんだというふうに言うんですね。
日本人というのは物理的な場所を共有していることをコミュニティとみなすと、それはネットワークというようなものじゃない、徹底的なローカリズムなんだと。
つまりコミュニティとは場所を同時に意味する名称になる。
で、私はそのことは当然だと思ってたんだけど、考えてみればちっとも当然じゃないですよね。
今私たちがよくコミュニティ、例えばこの番組ではライフハック界隈とかってよく言ってますけど、このライフハック界隈って場所全然共有してないじゃないですか。
で、ネットワークですよね。コミュニティでもある。
Facebookで今私たちはGood Vibes Factoryというコミュニティを作ってますけど、そんな場所はどこにもないですよね。
Good Vibes Factory協会とかいうのが東京都新宿区にありますということはないわけですよ。
そこでみんなで一堂に会していつもお祈りしてますとかいうこともないわけですよ。
なきゃ日本人にとってコミュニティじゃないんですよ。
お相撲さんの公開するやつは必ず場所って言いますよね。
名古屋場所とか大阪場所とか場所なわけですよね。
そして一番偉い人たちは席があるわけですよね。大席とか席分けとか小結びとか。
場所なんですよ。とことん日本人の発想って。
そして彼らは部屋ってところに属して、現に同じ部屋で寝起きを共にしてるんですよ。
多分私は日本人というのは昔は全部のコミュニティでああやってたんだろうなと思うんですよ。
だから2箇所に属せないんですね。
どこかに属してコミュニティに入っているってことはもうそこにいるってことなので、
他の場所に同時にいることできないじゃないですか。そしたら裏切りですよ。
だからここから追い出すぞっていう恥に訴えるってものすごく効くんですよね。
しかし追い出されることはまあないわけですよ。
よく言いますよね、相撲の世界はやたら厳しいと。一方でえらい甘いところがあると。
あれは両方とも成立する話なの。
それが近代化の中でですね、すごい難しいことになってるわけですよね。
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ずっとそうやってきたのに、もっと近代的になれても、近代的になれないんですよ。
ああいう場所場所場所でやってるところは。
場所というものを設置してしまったらですね、
そのコミュニティは序列というものがどうしても重視されざるを得ない。
これはアジア的ってこともあるんだけど、
場所は序列っていうものを作りやすいですよね、すごく。
その人はどこにいつもいるのか。
その中で重要な人はもちろんいいお部屋とか、床の間の近くとかあるわけじゃないですか。
一方で新しく入ってきたばっかりの人がそんな奥の奥の方に行くのは、
はばかられるじゃないですか。
だから当然のことながら端っこにいると。
この序列を極端にすると、前頭1、2、3、4、5ってなっていくわけですよ。
なっていくんだけど、一旦作った序列は絶対じゃないんですよ。
ここが非常に面白いところなんですけど、
だってあの序列の通りに相撲を取るだけだったら、面白くもなんともないですよね。
バンズ系の人が常に勝つってことになるんで。
だから実力主義が必要になると。
実力主義になると途端に横綱も平膜もないみたいな話になるわけですよね。
これも共存しないと成立しないんですよ。
だから必ずそういう話になるんですよね。
徹底的な序列化なんだけれども、
それはあくまでも言ってみれば対外的な表明であって、
実際に何かをするときは意外とごちゃごちゃになると。
うちだけの時はね。うちだけの時は。
外向けにあるんですよ、序列というのは。
非常に極端な話になった場合は。
だから外に対しては偉い人通りにビシッと並んで、
しかもそこには男しかいないというね。
けれども実際に相撲を取るということになったら上も下もなくなるみたいな、
そういうのが常に成立するように一つの場所で作り出すと。
家族っていうのは多分昔の日本人にとってまさにそういうものだったし、
会社っていうのもそういうものだったと思うんですよね。
だけれども今は明らかにそうじゃないですよね。
だって今の時代って相撲取りが同時に大学に行きますって
称賛される時代になったじゃないですか。
2カ所に同時に入ることが可能になっている。
2カ所、3カ所、4カ所。
そしたらコミュニティ一つ一つに属していることの価値っていうのは
相対的に下がっていきますよね。
どこにいてもいいんだってことになればですよ。
これは合理的なんだけど、
これはどこにでもいられる人にとって合理的なんですよ。
どこにもいられない人にとったらすっごい困ることになるわけです。
最近永田花美さんっていう、
レズ風俗に行きましたみたいな女性の漫画家がいた人が、
最初の漫画でですね、とにかくもう居場所がないってことに悩むんですよ。
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居場所が欲しい、居場所が欲しいって。
必要はあるわけじゃないのにバイトする。
なぜなら居場所が欲しいから。
彼女は、漫画家ってその辺すごいなと思うんですけど、
じりじりといろんな人から居場所を奪われていって、
崖から突き落とされて、
さあそうになって泣いているっていうシーンが
大変身につまされるなと思ったんですよね。
割と伝統的な日本人感覚で生きてきた人が、
急に今の日本社会に出てみると、
こういう感覚に多分襲われることがあるだろうなと。
私はこう能力がないから居場所がなくてって言うんだけど、
そうじゃないんですよね。
これは能力の問題じゃないと思うんですよ。
居場所がない恐怖症なんですよ。
そういえばそういうことを言っている大学の友達が、
女性だったけどいたなっていうのを、
漫画読んでてつくづく思い出したんだけど、
とにかく居場所がなきゃダメだって、
場所が大事だっていう、
この場所って言葉は、
いつも私はオスモーさんを連想するんですよね。
あの人たちは場所で生きているんだよなと思うんですよ。
日本人はきっと非常にずっとそうやってきたんだと思うんですよね。
それももちろんずっとって言ったって、
昭和までですよ、せいぜい。
明らかにインターネット社会において、
このネットワークというコミュニティの中で、
居場所というローカルなものに、
ほとんど何の意味もないです。
何の意味もないけど、
私たちの感覚に根強くそれが染み付いている部分があって、
特にそういうものに寄って生きているのは、
必要なことだし大事なことだし、
そうでなければ生きられないと思っている人にしてみると、
厳しいわけですよ。
多分その人の能力云々じゃないと思うんですよね。
これが自信のなさっていうことに、
日本人の場合はなるんだろうなという気が非常にします。
とにかく私この一連のことを知って以来ですね、
非常にこの2冊の本を読んだ時からですね、
やりやすくなったんですよね。
このことを理解しておくと、
自分が恐れていることの大半は、
かなりどうでもいいことに思えてくるわけです。
居場所がないって言ったって、
必要なんですよね、私たちにとってすでにそれは。
あの、
日本の言葉に、
武士道みたいな話に、
一族老頭皆殺しって言葉があるじゃないですか。
あれ、非常に日本的だと中根さんが指摘していて、
一族と老頭って繋がりないですよね。
一族は血の繋がりがあるから繋がってるんだけど、
老頭はどうして繋がるのかと。
中国ならそんな言い方しないですね。
旧族皆殺しって言うんですね。
中国人は場所なんかで考えないんですよ。
老頭なんか殺してもしょうがないわけですよ。
血が大事なんですね。
血縁者を皆殺すと。
そうしないとネットワークを立ったことに、
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そのコミュニティを潰したことにならないから。
旧族というのは要するに、
血縁していると考えられる全ての人という意味ですね。
ところが日本人はそうはしないんですね。
一族老頭なんですよ。
老頭はその屋敷に住んでいる使用人とかそういう人たちが、
なぜそんな人たちを殺すのかってことに、
多分他の国の人たちから見るとなるんですが、
日本人のコミュニティというものは、
同じ屋根の下で同じ釜の飯を食った人たちの間での絆が強いから、
そのコミュニティに忠誠を誓ってるから、
意外に後で老頭が復讐に来るとかするわけですよね。
中国では考えられないって言うんでしょうね。
血縁者でもない人のために仇討ちしたりしないわけですよ。
たまたまそのお城で世話になったとか、
屋敷で世話になったとか、
そんなのはアルバイトだから、他のに移ればいいわけです。
ところが日本人の発想にはそういうのがなくて、
老頭は一族と一緒になってしまうわけですね。
同じ屋根の下にいるから。
やっぱり場所なんですよね。すごく大事なのは。
だから一族老頭って言葉が出るんだっていうのが書いてあって、
それは鎌倉時代の話なんですけど、大変なるほどと思った。
確かに日本人は旧族皆殺しって言わないんだよなと。
で、一族老頭って何かにつけて言うわけですよね。
我々一族も老頭も知らないじゃないですか。
そんなのも、老頭とかが屋敷にいるってのは
四方の屋敷だと思うんですよ。
ないんじゃないかと思いますね、今時そういうのって。
でもこの言葉があると。
非常に場所を重視し、場所とコミュニティが密接につながってて、
そこから追い出すぞっていう恥の概念みたいなものが
すっごく発達している。
だから今回ですね、会長は日本の恥だっていう。
あれなんですよ。
日本の恥かどうかを国際社会で問題にしているのかもしれませんが、
多分そうじゃないと思うんですよ。
これよく日本人のやるやつなんですよね。
このコミュニティにとってあなたのやったことは恥だから、
そんなことをやっているとコミュニティから追い出しますよという。
コミュニティが迷惑するんですというメッセージ。
これやるケースすごい多いですよね。
本当に外にいるか外が外と内なんですが、
このコミュニティ全体をこの発言によって恥だと考えているかどうかは
ほぼどうでもいいんですよ。
あるコミュニティメンバーを罰するためにこれを言うっていう
この観念が非常にやっぱり日本的だという感じがします。
そして彼がそれに対してですね、
それで老害がダメだということならば、
吐き捨ててもらっても構わない。
あれが腹切りってやつだと僕は思うんですね。
あれも大変日本的な返事だなと。
漢字悪いとみんな思うだろうし、
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明らかに時代錯誤的なものを感じるんですけど、
あれ腹切りだと思うんですよ。
つまり日本人というのはコミュニティからそんなことをしているようで
追い出すと言われたことを恥と受け止めるわけですよね。
これに対して良い、分かった、出て行ってやるって時は死ななきゃいけないんですよね。
これをいつでも死んで見せられるんだぞという風に
言うことがつまり腹を切るってことだと思うんですよ。
恥を欠かされたから腹を切るっていうのは
外国人には全く理解できないみたいなんですけど、
当然だろうなという気がします。